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 煉瓦造りの街並み。止まることのない雑踏。空を舞う鳩。
 活気溢れる西洋の街並み。無表情な者もいれば笑顔を浮かべている者もいる。そんな無秩序な様相。
 しかし、そこに音はなく。色はなく。温かみはない。白黒のモノクロームの静かな世界が広がる。
 そんな中にただ一人色を持つ者がいた。

 それは、十歳前後の一人の銀髪の少女。服は白で肌の色も抜けるような白色だった。
 瞳の赤がなければモノクロの背景の一部だと勘違いしていたかもしれない。
 彼女は首から鎖の付いた銀の懐中時計をぶら下げている。しかし、その懐中時計は時を刻むことをやめてしまっている。
 
 そして、それは少女自身も同じだった。

 誰も彼女に声をかけようとしない。誰も彼女を見ようとしない。誰も、彼女を認識していない。
 一人、ずれた世界に佇む少女もまた何も見ようとしない。
 赤い瞳に意志はなく地べたに座ったまま虚空をただぼんやりと眺めている。

 彼女がどれだけの間そうしていたのかは知らないし、わからない。
 少女自身それを知ろうとしなかったし、他の誰も彼女を認識していないのだから。

 カチッ……

 不意に、懐中時計が小さく音を立てる。
 ただ、それだけだった。秒針が一つの時間を区切ってまた動きを止めてしまう。
 しかし、無音の世界にその音はあまりにも大きく響いた。

 少女の瞳が何かを探るように動く。
 けど、それは無意識によるもので意志はほとんど宿っていない。

「なんだか、面白い世界に紛れ込んできたと思ったら、今度は人間?」

 聞こえてきたのは少女と同い年くらいの少女の声だった。
 微かだった意識がその声の主を捉える。

 立っていたのはぶかぶかなブラウンのコートを着た十歳程度の少女だった。色素の薄い髪と紅い瞳とがモノクロの世界において浮いている。

「この世界は貴女が作り出したのかしら?」

 好奇心で輝く紅色の瞳をモノクロの少女へと向ける。
 ずっと動きを止め続けていた意識が動き始める。

「どうやって、ここに……?」

 その問いは無意識に放たれたものだった。そして、あまりにも久しぶりに出すその声は頼りなかった。

「人間、私が質問をしたのよ。だから、貴女は私の質問に答える義務があるわ。質問はその後で受け付けてあげる」

 尊大な口調で告げた。総てのモノたちは自分に従うべきなのだ、と宣言するかのように。

「……ここは、私が作った時間の狭間の空間よ。普通では絶対に、入ってこられない世界」

 だから、貴女はどうやってここに入ってきたのか。目でそう問う。

「ふふ、愚問ね。私がそうなるよう運命を操ったのよ」

 容姿に似つかわしくない大人っぽい笑みを漏らす。

「貴女は私のことを―――」
「知るはずがないわ。ただ、面白いものの運命を見つけたからそれを弄って私とそれが出会うように仕向けただけ」
「運命……?」

 事もなげに紅い瞳の少女の口から告げられたその言葉に首を傾げる。

「そう、運命。決められ、定められ、誰も見ることのできないそれを私は見て、操ることができるのよ」

 子供が自分の宝物を見せるような笑顔を浮かべて答える。紅い瞳の少女にとってその力は掛け替えのないもののようだ。

「そして、私は今、貴女の運命を私のものにしようと思うわ。……けど、特別に選ばせてあげるわ。この白黒の世界に残るのか、……それとも、私のものになるか」

 紅い瞳の少女は銀髪の少女へと手を差し出す。その顔に浮かぶは絶対的な自信。絶対にこの手を握り返す、そう確信している。

 銀髪の少女は不思議そうにその手を見、顔を見る。
 このモノクロの世界で初めて出会った自分以外のモノ。

 人間なのか人間以外なのか。それは判別が出来ない。
 ただ、銀髪の少女の耳に妙に印象強く残った運命、というその言葉。

 自分以外誰もいなかった世界で初めて自分以外に出会った。
 それは、本当に運命的な出会いなのではないだろうか。これを逃してしまえばもう一生誰も自分を見つけないのではないだろうか。

 ……そんな想いが去来し、自然と手が伸びる。

 そして―――

 カチッ……

「……あ」

 声を漏らす。同時に懐中時計が小さな音を立てる。

「これで、貴女は私のものとなったわ」

 紅い瞳の少女がその手が伸びきる前に掴み返した。驚く銀髪の少女の様子を気にした様子も無く屈託の無い笑顔を浮かべる。

「私は、レミリア・スカーレット。永遠に紅き月を背負う夜の王で吸血鬼よ。貴女の名を教えなさい」

 尊大な様子で告げる紅色の瞳の少女を銀髪の少女はぼんやりと見詰め返す。

「……どうしたのよ。名前が無い訳じゃあないでしょう?」

 不思議そうな表情を浮かべながら首を傾げる。
 対して、銀髪の少女は何か悩むような様子を見せて、静かに口を開いた。

「……忘れたわ」
「そう。なら、私がつけてあげるわ」

 言いながら、銀髪の少女の手を引っ張り立ち上がらせる。

「十六夜 咲夜。そんな名前はどうかしら?」
「十六夜、咲夜……」

 聞き慣れないようなその音を反芻する。

「そ。遠い遠い東の国で使われるような名前。十六夜は満月の次の日の月を指し、咲夜は夜に咲く花を表してるわ。貴女なら満月の次に優秀になってくれると信じているわ。いえ、なるのよ。血の滲むような努力をしてでもね」

 命令。背くことは許さない、とでもいうような強い口調。

 カチッ……

 再び懐中時計が音を立てる。

「……わかりました、レミリア・スカーレット」
「なんだか私に対する敬意が感じられない呼び方ね。他に何かないのかしら?」
「……レミリア、お嬢様」
「ふふ、合格よ」

 笑顔を浮かべて紅色の瞳の少女―――レミリアは銀髪の少女―――咲夜の頭を撫でた。

 カチッ、カチッ、カチッ―――

 今まで時を刻むことをやめていた懐中時計が規則正しく時を刻み始める。
 モノクロの世界に色が広がっていく。

 赤や茶色といった煉瓦で造られた街並み、色とりどりの服を着る者たちで構成される雑踏、青い空を舞う白い鳩。
 活気が、溢れる。騒がしいほどの音が溢れる。

 咲夜は驚いたように周りを見回す。
 久しぶりの音に、色に戸惑っている。

「あー、騒がしいわね。……あら?貴女、瞳の色が」

 赤色だった咲夜の瞳はいつの間にか青色となっていた。

「せっかく、素敵な色だったのに残念ね。でも、その色も綺麗よ」

 レミリアの言葉に咲夜は首を傾げる。彼女は自らの瞳の変化に気づいていないようだった。

「ま、とりあえず、私の館に行きましょう」

 握ったままだった咲夜の手を引いてレミリアは雑踏の中を進んでいった。咲夜はぼんやりとした足取りでそれについて行った。


 懐中時計は止まらず時を刻んでいる。



 そして、時は流れた。
 十年。その間に咲夜は従者としての修業を積み、立派な従者となった。

 料理の腕は今までレミリアに仕えた者たちの中でもっとも高かった。
 戦いも誰よりも強く手際が良かった。

 そして、今まで仕えてきた誰よりも忠誠心があり、誰よりもレミリアに対して素直だった。

 例えば、どんなにこんな命令であろうともこなして見せようとした。例えば、気に入らないことを言われた場合にははっきりとそのことを告げた。



 完璧により近い従者となった咲夜にある時レミリアは言った。



「咲夜、フランに会ってきなさい。紅茶とお菓子を持って、ね」
「フランドールお嬢様にですか?以前は会うな、とおっしゃっていませんでしたか?」

 レミリアの自室で紅茶を淹れていた咲夜が主の言葉に首を傾げる。

 紅魔館に連れられてきた初日咲夜はレミリアから地下室には絶対に近づくな、と言われた。妹に壊されてしまうかもしれないから、と。

「今の貴女なら大丈夫だと思ったのよ。……それに、私とフランに認められてこそ私の完全な従者となるのよ」

 咲夜から紅茶を受け取りながら告げる。

「はあ、そういうものなんですか」
「そ。そういうものなのよ。というわけで早速行ってきなさい。善は急げ、よ」
「畏まりました」

 恭しく礼をすると、何の前触れもなく姿を消した。



 こんこん

「フランドールお嬢様、入りますよ」

 扉を叩いて中へと声をかける。返事は返ってこない。

 こんこん

 もう一度扉を叩く。
 しかし、やはり返事は返ってこない。

 誰もいない、ということはあり得ない。紅の吸血鬼の妹がこの部屋から出たことはないのだから。
 逡巡し結局ドアノブへと手を伸ばした。
 主に会ってこい、と言われたのだ。引き返す理由などありはしない。

 咲夜はドアノブを回し、扉を開ける。
 予想以上にその扉は軽く、それはレミリアが毎日のようにここに訪れている、ということを示唆している。

「フランドールお嬢様、お茶を―――っ」

 扉を開いた途端に飛んできたのは一本の歪な形をした杖のような物体。尖った先端が咲夜へと向かっていく。

 しかし、咲夜へと真っ直ぐ飛んでいたはずのその何かが咲夜を貫くことはなかった。そのまま部屋の外へと飛んで行き階段にぶつかった。

「とりあえず、第一試験は合格」

 その声と同時に部屋の中央にこの館の主よりも尚紅い少女が現れる。

 フランドール・スカーレット。レミリアの妹で全てを破壊する力、不安定な心を持ち合わせた危険性ゆえ地下室に閉じ込められている。
 彼女自身、外に出よう、というつもりもないみたいだが。

「突然、危ないですわね」

 姿を消していた咲夜がフランドールの前に現れる。

 フランドールは虹色の羽を揺らしながら咲夜の言葉を気にした様子も無くマイペースに咲夜へ話しかける。

「貴女がお姉様の新しい従者でいいのよね?」
「果たして十年経っても新しい、と言えるのでしょうかね」
「さあ?……でも、最新でしょ?」
「ま、そうですわね」

 答えながら咲夜は紅茶とお茶請けのお菓子を乗せたトレイをテーブルの上に置く。

「貴女は五十年に一度の逸材」

 不意にフランドールが咲夜を指さす。思ったままのことを口にしているのですぐに会話の流れが途切れてしまう。

「?どういうことですか?」

 咲夜は首を傾げて尋ねる。

「私はお姉様の新しい従者が来るたびにさっきみたいに力試しをしてるの」

 笑顔を浮かべてそう告げる。右手にはいつの間にか歪な形をした杖、レーヴァテインが握られている。

「でも、みんなみんな弱いから最初の一撃で壊れちゃうんだ」

 笑みを深める。ずっと欲しかったものを手に入れた子供のような笑みだった。

「でも、貴女は違った。貴女は私の攻撃をなんなく避けた。五十年に一度はそういう奴が来るのよ」

 静かに魔力が渦巻き始める。咲夜は油断なくフランドールを見つめる。

「そして、これが第二試験!百年に一度来るやつがこれを避けたわ!」

 レーヴァテインが炎を纏う。真っ赤な炎が部屋中を赤く染める。
 そして、フランドールはその炎剣のごとき杖を無造作に振り下ろす!

 一つ一つが人間の身長の半分はあろうかという火の玉が無数に飛ぶ。
 咲夜は身を躍らせるようにしながら隙間を見つけては避けていく。そして、全ての火の玉を避けきった。

「まだまだぁ!」

 今度は直接斬りかかってきた。

 後ろに飛んでその鋭い切っ先を避ける。しかし、今度は近距離で放たれた炎はほとんど壁となっていた。普通の動きでは避けられない。

 ぱちんっ

 咲夜は指を鳴らし、その一瞬後にはフランドールの背後に立っていた。

「この試験、というのはレミリアお嬢様のお考えですか?それとも、フランドールお嬢様が自ら?」
「!」

 フランドールは驚いたように振り返って咲夜から距離を取る。

「私が考えたのよ。簡単に壊れちゃうようなのが従者になってもつまんないだけだもん。……でも、それにしても貴女、すごいわね。こんなにも簡単に百年に一度の逸材になっちゃうんだから」

 楽しそうに笑いながら告げる。

「ふふ……、でも、次の攻撃を避けられた奴は誰一人としていなかったわ」

 浮かぶのは妖しげな笑み。今まで余裕さを保っていた咲夜も流石に本能的な恐怖を感じる。

「第三試験は……、きゅっとして―――」

 フランドールが右手に力を込めようとする。

 咲夜は何かを感じ取った。
 何が起こるのかは分からないがこのままこうして突っ立っているのは危険だと感じた。だから、フランドールの声に合わせて―――

「―――ドカーン!」
―――ぱちんっ

 咲夜は姿を消して再びフランドールの背後に立った。

「……第三試験、合格」

 振り返らないままそう言う。

「ふふ、貴女、面白いわね。私がここまで本気を出しても壊れないなんて貴女はナニモノ?人間?妖怪?それとも神様?」

 楽しげに、本当に楽しげに小さく笑い声を漏らしながら問いかける。

「……」

 フランドールの問いに咲夜は何も答えない。フランドール自身も余興のようなものとして聞いているので気にしない。
 ただ、重要なのはこうして簡単に壊れないモノがここにいる、という事実。

「まあ、何でもいいわ。……貴女なら私を満足させてくれそうだから」

 気がつけば咲夜を取り囲むようにしてヨニンのフランドールが立っていた。

「まだまだ、壊れちゃ嫌だよ」

 その言葉と同時に最初からいたフランドールが咲夜の方へと振り返った―――



「すーすー……」

 ぼろぼろになった部屋の中。フランドールは咲夜の服を掴んで静かな寝息を立てて眠っていた。
 なんとか寝具としての体裁を保っていたベッドへと運んで離れようとした時に掴まれてしまったのだ。

 仕方なく咲夜は近くにあった背もたれがなくなってしまっている椅子に座ってフランドールの寝顔を見ていた。

 肩や腕、足に傷が出来ているがどれも致命傷とはなっていない。

 あの後、フランドールは数々の攻撃を咲夜に対して仕掛けた。
 ヨニンに増えたフランドール、咲夜を囲うようにして現れた鳥籠、壁で反射する魔法弾、見えない場所から放たれる魔弾。そして、無作為に広がる破壊の波紋。
 咲夜はそれら全てを時間操作を交えつつ華麗に避けた。

 フランドールは最後の攻撃を放った後、糸が切れたかのように寝入ってしまった。久しぶりに連続して魔法を使って疲れてしまったのだろう。

「派手にやったわねぇ。……ふふ、でも、貴女はちゃんと生きてるみたいね」

 開けっぱなしだった扉を抜けてレミリアが勝手に部屋へと入ってきた。
 嬉しそうに笑顔を浮かべながら咲夜へと近づく。

「貴女は文句なしに私の完璧な従者だわ」
「はあ、ありがとうございます」
「なんだか反応が薄いわね。私が認めてあげたんだからもっと喜びなさいよ」
「いえ、私がレミリアお嬢様にとって最高の従者であるということは自覚をしていましたから」

 自信に満ち溢れた口調で告げる。

「どのような根拠があってそのように言ってるのかしら?」
「今こうして生きていることですわ」

 その言葉を受けてレミリアはベッドの上のフランドールへと近づく。

「そうね。この子を前にして生き残った従者は貴女が初めてだわ」

 妹へと優しい眼差しを向けながら流れるような金糸を優しく手で梳く。

「んにゅ……。……お姉様?」

 フランドールがゆっくりと瞼を上げ、姉の姿を認める。

「おっと、起こしてしまったかしら?」
「お姉様、こいつ、詰まらなくないわ」

 レミリアの言葉を無視して咲夜の服を引っ張りながらそう言う。それから、自分の言いたいことを言いたいように告げていく。

「私の不意打ちのレーヴァテインを簡単に避けちゃったし、私の力も避けちゃったのよ。それから、どんな攻撃もこいつには効かなかったわ!」
「こいつ、ではなくて咲夜。十六夜 咲夜よ」

 興奮してまくしたてるようにして言葉を紡いでいたフランドールへとレミリアは静かな声で言った。

「咲夜……。うん、咲夜!」

 何が嬉しいのか妙に弾んだような声で咲夜の名前を声に出す。
 それから、ベッドの上で正座をして咲夜を見る。

「ねえ、咲夜。また遊んでくれる?」
「私は構いませんよ。ただ、私はレミリアお嬢様の従者なのでお嬢様の許可がなければ遊べませんが」

 フランドールは再びレミリアの方へと視線を向ける。

「お姉様、いいでしょ?」
「駄目よ。部屋を直すのも大変なんだから」
「私は別に構いませんよ」

 侵入者などによって館が破壊された場合には大抵咲夜がその傷を直していた。

「私が構うのよ!このくらいならどうにかなるでしょうけど、加減を知らないフランが暴れたら館ごと壊れかねないわ」
「むー……」

 不満そうにむくれるが反論は出来ないのだろう。フランドールはその気になれば容易くこの地下室から抜け出せることを知っている。

「その程度の心配でしたらなんとかなりますわ」
「……どういうことよ」

 レミリアが胡乱な瞳を咲夜へと向ける。


「こういうことですわ」


 咲夜が指を鳴らすと、一瞬後にサンニンの周りは地平線が見えるほどの空間となった。

「わぁ」

 真っ先に声を発したのはフランドールだった。
 ベッドの上に正座をしたまま右に左にと視線を動かす。

「へぇ……こんなことまで出来るのね」

 レミリアが感心したように声を漏らす。

「ねえねえ、お姉様!これだけ広かったらどれだけ暴れても大丈夫よね!」

 フランドールが興奮したようにそう捲し立てる。

「……そうね。……わかったわ。咲夜と遊ぶことを許可してあげるわ」
「やったっ!ありがとう!お姉様!」

 よっぽど嬉しいのか声を弾ませたままレミリアへと抱きつく。倒れそうになったレミリアは少々慌てながらもなんとかフランドールを抱きとめる。

「ただ、ひとつだけ条件があるわよ。咲夜がやりたくない、って言ったら諦めること。わかったかしら?」
「うん、わかった」
「よし、いい子ね」

 レミリアは抱きとめたままのフランドールの頭を撫でる。フランドールはその感触に気持ちよさそうに目を細める。
 そのままレミリアが頭を撫で続けていると、フランドールは再び眠りについてしまった。

「お疲れになっているようですね」
「ええ、そうね。ここまで本気を出せるようなことなんてなかったから張り切ってたんだと思うわ」

 そう言いながらフランドールをベッドの上に横たわらせる。腕を放させようとするがなかなか放そうとしない。

「そうなんですか」
「ええ、そうなのよ。だから、正直言うと貴女がフランドールと遊んでくれるのは嬉しいわ。……けど、貴女には死なれたくないとも思っている」
「大丈夫ですよ。私は死にませんわ。お嬢様の命令があるまでは」
「頼もしい言葉ね。……じゃあ、私がそう望むまで絶対に死ぬんじゃないわよ」
「はい、仰せのままに」

 絶対の忠誠が、永遠の忠義が咲夜の返事には込められていた。
 レミリアはそれに満足そうな笑みを返した。


 ちなみに、フランドールの腕を放すことは出来ず、レミリアはフランドールが起きるまで一緒のベッドで横になっていた。



 そして再び十何年かが経つ。
 その間、人間であるはずの咲夜が成長をすることはなかった。十代の後半。その姿を保ち続けた。


「咲夜、貴女、また自分の時間を止めてるわね」

 咲夜の淹れた紅茶を飲んでいたレミリアが不意にそんなことを言う。
 不老の存在である彼女は当然ながら十年前と変わらず幼い容姿をしたままだ。

「はい、そうですが、それがどうかしましたか?」

 レミリアの斜め後ろに佇んでいた咲夜が首を傾げながら聞き返す。
 彼女の首からぶら下がる懐中時計は何の音も発していない。

「いつまで、そうしているのかしら、と思ってね。私がいなくなってからもそうやって時間を止め続けているのかしら?」
「いなくなる?吸血鬼は不老不死の存在なのではないでしょうか」
「勘違いも甚だしいわね。それは、私たちの死ぬところを見たことのない人間の勝手な妄想。どんなモノであれどんな存在であれいつかは滅びてしまう運命にあるのよ。よほど、道を外れていない限りはね」

 静かな口調で告げる。

「では、お嬢様もいずれはそうなる、ということでしょうか」
「ええ、そうね。それがいつかはわからないけれど、いつかやってくるわ。その時、貴女は―――」

―――どうするのかしら?

 椅子に座ったまま後ろを振り返り瞳で問いかける。

「無論、お嬢様に付いていきますわ。この世であれ、あの世であれ、天国であれ、地獄であろうととも、いつまでもどこまでもお嬢様の従者であり続けますわ」
「そう。……ふふ、それでこそ私の従者だわ」

 嬉しそうに言いながら前へと向き直り、紅茶を口に含む。

「……それに、貴女がいなくなってこの紅茶が飲めなくなるなんて嫌だしね。貴女は誰よりも紅茶を淹れるのが上手なんだから」
「お褒め頂き光栄です。……おかわりはいかがですか?」

 咲夜が礼をするときに丁度レミリアは紅茶を飲み終わっていた。

「ん。淹れてちょうだい」
「はい。畏まりました」

 レミリアが片手で揺らす白いティーカップを手に取ったのだった。



 今度は何十年かが経って、館の外にも内にも大きな変化があった。
 まず、咲夜の能力により館は見かけ以上の広さを持つようになった。レミリアの指示だった。
 次に、館の住人が増えた。
 ヒトリは大陸を横断してきた気を扱う妖怪。ヒトリは古い慣習に縛られた小さな村の中で起こった魔女狩りにより殺されかけていた本物の魔女。ヒトリは魔女の作りだした図書館にいつの間にか住み着いていた大きな力を持たない悪魔。
 ヒトリは門番となり、ヒトリはレミリアの友人となり、ヒトリは魔女の助手となった。

 そして、それから、また何十年かが経ってさらに数え切れないほどの住人が増えた。
 しかし、その前に一つの大きな変化があった。


「……お嬢様、これはどういうことでしょうか」

 レミリアを起こし、カーテンを開いた咲夜が漏らしたのはそんな言葉だった。

「ん〜、どうしたのよ。また、パチェが変なことでもやらかしたの―――」

 眠そうに目を擦りながら咲夜の隣に並んだレミリアは途中で言葉を失ってしまった。
 今まで森の木々が見えていただけの窓からは月の明かりに照らされる霧のかかった湖が見えるようになっていた。

「……まだ、夢の中にいるのかしらね」
「さあ。私にそれを証明する手立てなどありはしませんが、少なくとも私は現実だと思っています」
「んー……。こういうことはパチェに聞くのが一番ね。心当たりがないわけでもないし」

 額に指を当てて考える素振りを見せ、そう言った。

「心当たり、ですか?」
「そ、心当たり。……ま、こんな所で何が起きたのか論じても二度手間になるだけだからパチェの所に行きましょ」

 そう言いながらレミリアは踵を返し衣装棚へと向かう。

「さてと、今日は何を着ようかしらね。今日はちょっといい気分だから派手目の服でも着ましょうか」

 レミリアは八割方赤色で埋め尽くされた衣装棚を楽しそうに漁っていた。



「……レミィ、どうしたのよ、その服」

 図書館へと入ってきた友人を見てパチュリーはそんな一言を漏らした。

「ん、ちょっと気分が良いからね。奥から引っ張り出してきたのよ」

 そう言ってレミリアはその場でくるりと一回転する。スカート部分がふわり、と広がる。

 今、レミリアが着ているのはスカート部分に何重ものフリルが付いている紅いパーティドレスだ。これは肩が剥き出しになるタイプなのだが、寒かったのか肩にはストールが掛けられている。

「で、聞きたいんだけど、今、この館はどういう状態になっているのかしら?」
「……確定出来たわけではないけど、十中八九この館は幻想郷へと飛ばされてしまってるわ。館から何処までの範囲が飛ばされているのか、っていうのはこあに調べさせてるところだけど―――」
「パっチュリー様!おっわりましたよー!……あっ、おはようございます!レミリアお嬢様っ!」

 元気よく図書館へと入ってきた小悪魔はこれまた元気な様子でレミリアへと礼をしながら挨拶をした。

「ええ、おはよう。……それで、館はどうなっていたのかしら?」
「塀を含むその内側にあったものは全てこっち側に来てるみたいです」

 小悪魔は直接の上司ではないレミリアにも律儀な対応をする。

「美鈴は?」

 普段なら門の前―――塀の外にいる門番のことを尋ねる。

「ちゃんといましたよ。丁度休憩所の方で休んでいて、外に出たらその時にはもうこっち側に来てたらしいです」
「そう。ありがとう。……さてと、館の現状の確認はこれでいいとして、どうしようかしら、これから」
「あの、一つよろしいでしょうか」

 咲夜が静かな声で主へと声をかける。

「ん?何かしら?」
「幻想郷とは何でしょうか。先ほどお嬢様が申し上げていた心当たりのことですか?」
「ええ、そうよ。私たちが住んでいた世界で忘れ去られ、そして失われたモノたちが引き寄せられる結界に覆われた秘境の地。それが幻想郷よ」
「そうなんですか。……それってヨーロッパ圏内にあるんですか?」

 なんとなく違うのだろうな、と思いながらも尋ねる。

「残念ね。幻想郷は日本の中にある秘境よ」
「やはりそうですか。なんとなく予感はしていましたが。言葉はどうするつもりですか」
「何とかするのよ。ね、パチェ」

 笑顔を浮かべて友人の魔女の方へと振り返る。

「……そう言うだろうと思ってこあが外の様子を調べてる間に日本語の資料は集めておいたわ」

 そう言って机の上に重ねられた大量の本を指さす。

「ああ、それ、全部私たちの為に用意してたものだったのね」
「いや、フランと咲夜、あと、こあの為よ」
「……私は?あと、美鈴も」

 おいてけぼりをくったような表情を浮かべてパチュリーを見る。

「レミィは読み書きくらいは出来るんでしょ?」
「まあ、出来るわね。英語で書いてある日本の資料ってあてにならないものが多かったから」

 昔から極東の国、日本に興味を持っていたレミリアは独学で日本語を読めるようにしていた。その国のことについて知るにはその国の者が書いた資料が一番だからだ。それに、その国の言葉で書かれたものにしか書かれていないことも多い。
 ついで、ということで日本語を書けるようにもしていた。

「でも、話すことは出来ないのよね?」
「うん、まあ、そうね」

 話すためには音を聞き、それを実際に口にする必要がある。書物から知識を得るだけだったレミリアにはその機会が全くなかった。

「というわけで、話せるようになるには実践あるのみよ。幸い、美鈴が日本語は使えるらしいからあの子に日本語の発音は教えてもらうわよ。……どうせ耳で覚える必要があるから美鈴をここに連れてきて私たちがここで教えてもらってるのを他の皆にも聞いてもらうのが一番効率がよさそうね」

 レミリアへと話しかけていたはずだがいつの間にかぶつぶつと呟いて自分の中で考えをまとめている。

「こあ、美鈴をここまで連れてきてくれるかしら?咲夜はフランを連れてきてちょうだい」

 館の主の意見は一切聞かずに勝手に指示を出していく主の友人兼食客。

「お嬢様、よろしいのですか?」

 パチュリーがこの場を取り仕切っていることに対してではなく、フランドールをこの場に連れてくることに対しての確認。

「ええ、大丈夫。あの子が問題を起こしそうになれば私と貴女のフタリで止める。そうすればいいのよ。……それに、いつまでも、あの子をあそこに閉じ込めておくわけにもいかないしね」

 静かな呟きは誰に向けられたものだったのか。



 それから数年。毎日のように紅魔館のモノたちは日本語を習得すべく頑張っていた。

 途中で飽きたフランドールが咲夜やレミリアへとちょっかいを出すなどの邪魔も入った。それでも、咲夜とレミリアが交互にフランドールの相手をするなどして何とか進めた。
 ちなみに、そんなフランドールだったが全く日本語を使えなかったサンニンの中では最も習得が早かった。

 そうして、紅魔館内での会話も日本語で交わされるようになったころ、ちょっとした出来事があった。


 ざぁーーー……
 こんこん……

 突然降ってきた雨音に紛れて玄関の大扉が叩かれる音が響く。

 それは小さく微かな音だった。
 しかし、紅魔館中の音を聞きとれるように空間を操っている咲夜にとってその音を聞き取るのは造作ないことだった。

「……貴女、何の用かしら?」

 大扉を開けた向こう側に立っていたのはヒトリの妖精だった。
 背中まで伸びた茶色の髪をうなじの部分で赤色のリボンで結わえている。
 その長い髪や服の裾の辺りからは雨が滴り落ちている。

「あの、突然雨に降られたので雨が止むまで雨宿りさせてもらえませんか?」
「……ええ、いいわよ。上がりなさい」

 紅魔館において訪問者はいつも暇を持て余しているレミリアの暇潰しの相手だった。向こうの世界にいた頃は道に迷った者が訪れてはレミリアにからかわれたり、遊ばれていたりした。

 この妖精もそう言ったレミリアの暇潰しになるだろう、と思い招き入れることにした。
 それに、外の情報を手に入れるのにもいい機会だ。

「あ、ありがとうございます」

 そう言って妖精はぺこり、とお辞儀をしたのだった。


「咲夜さんも着てますけど、これって、メイド服、って言うんでしたっけ?」

 空き部屋の一つで妖精のヒトリが咲夜に手渡されたメイド服を揺らしながらそう聞く。頭には咲夜から渡されたバスタオルが乗っている。
 濡れたままの服でいられると後で掃除が面倒だから、と言って咲夜が服を着替えるように言ったのだ。

「ええ、そうよ。こっちの国にそういう服はないのかしら?」
「えっ!咲夜さん、って外国から来た人だったんですか?」

 ここに来るまでの間に簡単な自己紹介は済ませてしまっている。
 咲夜は名前含め、時間を操る力を持っているという所まで教えた。
 逆に妖精は名乗る名前もなかった。

「そういうことになるわね」
「そうなんですかー。普通に日本語を喋ってるので日本の人かと思ってました―――くしゅんっ」

 そこまで言ったところで不意にくしゃみをする。

「早く服を脱いで身体を拭いて着替えないと風邪をひくわよ。……いや、そもそも妖精って風邪をひくのかしら」
「ずびっ……ひきますよー。珍しいことですけどね」

 洟をすすりながらそう答える。

「というか、咲夜さんの国には妖精っていなかったんですか?」
「とりあえず、早く着替えなさい。着替えながらでも話は聞けるでしょう?」
「あ、はい。そうですね」

 頷くと頭の上に乗せていたタオルを咲夜が持ってきた服掛けに掛けて、着替えを始める。

「いたと言えばいたわね。けど、お嬢様に近づくのを忌避してたのか、館の中ではヒトリも見かけなかったけど。……貴女たちはここに近づくのが怖くないのかしら?」
「別になんともないですねー。幻想郷って力を持った妖怪がたくさんいるのでいちいち怖がってたりしたらどこにも行けませんよ」
「ふーん。……大変なのね、こっちの生活って」
「そうでもないですよ。そういう力を持った妖怪ほど見境なく力を振るったりしませんから。外、出歩かないんですか?」

 メイド服から顔を出して首を傾げる。

「出ないわね。言語の壁が厚かったから」
「え?じゃあ、食べ物はどうしてるんですか?咲夜さん、って人間ですよね?」

 妖怪ならいざ知らず、人間で何も食べずに生きていける者など存在はしない。もし、いたとしたらそれはもはや人間とは呼べないだろう。

「私たちがこっちに来た初日にやってきた怪しくて胡散臭い奴が定期的に食料を持ってきてくれてるのよ。私たちが人間の里を襲わない、という条件でね」
「んー?怪しくて胡散臭くて、そういうことをしそうな妖怪に心当たりがあるんですが……」
「もしかしたら同一妖怪かもしれないわね。金髪に茶色の瞳で、日傘を持っていて、空間の割れ目から湧いて出てきたわ」
「あー……八雲 紫ですね」
「どうやら、貴女の心当たりは合っていたみたいね。会ったことはあるのかしら?」
「ないですよー。けど、幻想郷で彼女の存在を知らないのはいませんよ。この博麗結界を作り出したヒトリですからね」
「確かに、ここの自称管理人、とか言ってたわね」

 頷きながら妖精が脱いだ服を回収していく咲夜。

「幻想郷に住む誰もが彼女のことをもうヒトリの管理人だと思ってますよ。十何年か前に吸血鬼がこの幻想郷で好き勝手暴れてナンニンもの人間、妖怪を手に掛けた時も彼女が制裁を与えたのが一番最近八雲 紫が動いた事件ですね」
「お嬢様以外にも吸血鬼がいたのね。それで、その吸血鬼はどうなったのかしら?」
「さあ、よくわかんないんですよね。八雲 紫は幻想郷の中にはいない、って言うだけでそれ以上は言おうとしませんし。ほとんどの人間や妖怪の間では外の世界とは違う別世界に飛ばされたんだ、なんていう説が一番有力ですけど」

 そう言いながら妖精は慣れた様子で後ろ手で腰のリボンを結ぶ。髪にリボンを結んでいるからからそういうことには慣れているようだ。

「吸血鬼に勝つなんて相当の実力者なのね。……その服、丁度いいかしら?」

 言われて妖精は腕を動かしたり、その場で回ってみたりする。

「はい、全然大丈夫ですよ」

 そして、笑顔を返す。

「そう、よかったわ。……じゃあ、私は紅茶を淹れてくるからちょっと待っててちょうだい」
「え、そんな悪いです!雨宿りまでさせてもらってる上に着替えまで用意してもらったんですから」
「別に遠慮することなんてないわよ。代わりに貴女には幻想郷のことを話してもらうから」

 そう言って咲夜は姿を消した。

「別に紅茶なんて出さなくても―――、って行っちゃった」

 ヒトリ取り残された妖精は至れり尽くせりで申し訳ない気分になることしかできなかった。


「弾幕ごっこ?」

 妖精から話を聞いているとき、咲夜はその単語を聞いて首を傾げた。

 咲夜が紅茶を淹れてきた後、妖精は申し訳なさから一生懸命に自分の知っていることを話した。
 幻想郷の地理。幻想郷に住む妖怪。そして、幻想郷での最近の出来事。
 当たり障りのないところから始まり、三つ目くらいに上がった話題が、最近定められた決闘方法のことだった。

「妖怪と人間がある程度等しく力比べが出来るようにした決闘方法ですよ。ここ、幻想郷においては人間の数が限られてますけど、妖怪にとって人間を襲わない、というのは自らの本質に反すること。まあ、私たち妖精は悪戯できれば何でもいいんですけどね。その本質に出来るだけ逆らわないように、ということで現博麗の巫女が考え出した決闘方法です。……八雲 紫に接触してるのでてっきり知ってるのかと思ってましたけど」

 妖精が不思議そうな表情を浮かべる。

「つい昨日、食料を届けに来たけど、そんなこと一切言ってなかったわね。……それで、それは、具体的にはどんなルールなのかしら?」
「それはですね―――」



「―――つまり、スペルカードに自分の攻撃――弾幕の名前を付けておく。で、決闘時には何枚使用するかをあらかじめ宣言しておく。で、全てのスペルカードを相手に攻略されたら負けを認める。そう言うことね」
「はい、そう言うことです」

 咲夜のまとめに妖精が頷く。

「妖怪が異変を起こしやすく、人間が異変を解決しやすくする為のルールを考え出すだなんてほんとに変わってるわね」
「まあ、妖怪と人間がいてこその幻想郷ですからね。私の仲間たちの中にも異変を起こそう、なんて言ってるのが居ますけど、到底な無理な話ですよね」

「―――なら、私が起こしてあげるわ」

 突然、咲夜と妖精以外の声が割って入ってきた。
 咲夜と妖精が視線を向けた先――開け放たれた扉の前にはレミリアが立っていた。

「お嬢様?もしかして、ずっと聞いてたんですか?」
「ええ。館の中に妙な気配が入り込んでくるのを感じて、様子を見に来たら咲夜が妖精と紅茶を飲みながら話をしてるのが見えたから聞かせてもらってたわ」

 一切悪びれた様子を見せずにそう言う。子供らしい振る舞いをするが、それを見咎められた時の反応も子供らしい、というわけではない。

「ふふ、起こすならどんな異変が良いかしらね。蝙蝠を大量発生させてやるか、……陽の光を奪うのも良さそうね」

 悪戯を考える子供のような笑みを浮かべながらぶつぶつとそう呟く。日本語習得のため長い間館の中に溜まっていたせいでだいぶ鬱憤がたまっているようだ。

「そこの妖精」
「え?あ、はい!私ですか?」

 突然呼ばれて妖精は驚き、身を竦ませる。元来臆病な妖精が吸血鬼の前に居る、というだけでも随分異常なのだが、声を掛けられて逃げ出さないというのも珍しい。

「妖精たちは異変を起こしたい、と言っているのよね。……だったら私の下にその妖精たちを連れてきなさい。私が起こす異変の片棒を担がせてあげるから」
「……あの、咲夜さん」

 妖精は困ったように咲夜の方へと視線を向ける。突然のことすぎて状況についていけていないようだ。

「諦めなさい。お嬢様がああなると誰にも止められないから」
「……わかりました。仲間たちに声をかけてみますね」
「ええ、頼んだわよ。……咲夜、妖精たちの指揮は貴女と美鈴に任せるわ」

 満足そうに頷くと、今度は咲夜へと顔を向ける。

「私と美鈴が、ですか?お嬢様が直接指揮を取ればよろしいのでは」
「残念ながら私は大多数を率いれるほどの統率力は持ってないのよ。私は貴女のような頭にしか的確な指示は出せないの」
「はあ、そうですか。……と言っても、私もどうすればいいのかわからないんですけど」
「パチェの所に行って勉強してきなさい」
「なら、お嬢様が―――」
「さてと、私は異変の準備をしないといけないから、もう行かせてもらうわ」

 言いたいことだけ言ってレミリアは咲夜の言葉を無視して部屋から出て行ってしまった。

「……大変なんですね。吸血鬼に仕える、って言うのは」
「でも、それも意外と楽しいわよ」

 実際に小さく微笑みを浮かべながらそう答える。

「そうなんですか?」
「今回の異変に関わってみればわかるんじゃないかしら?」
「そうでしょうか……」

 よくわからない、といった風に首を傾げる。

「まあ、終わってから考えてみるといいわよ。もし、貴女がずっとここに居たい、って言うなら居させてあげるし」
「どうして、私なんかを?」
「簡単なことよ」

 そう言って妖精の顔を見据える。

「貴女がこっちの世界で最初に出会ったモノだから」



 妖精の誘致により数え切れないほどの妖精が紅魔館へと集った。

 直接的に異変は起こせなくともそれに少しでも加担出来ればいいと思うモノも居たが大多数が面白そうだから、という理由で集まったモノたちだった。

 こうしてたくさんの妖精が集まるとある特定の妖精を呼ぶのも一苦労だ。何故なら妖精には名を持たないモノが多く存在するからだ。
 そういうわけで咲夜は最初に紅魔館に訪れた赤色のリボンを付けた妖精に名前を付けた。

 咲夜に名前を授けられた時その妖精は本当に嬉しそうに笑っていた。


 しかし、肝心の異変は失敗に終わった。

 いや、そもそもスペルカードルールに準ずる限り成功するはずがないのだ。
 このルールは妖怪に異変を起こさせ、人間に異変を解決させるためのルールなのだから。

 どうせ解決されるのだから、ということでレミリアは異変を起こしている、というその時を楽しんだ。

 西洋の魔女の姿をした人間の魔法使いを倒し、博麗の巫女とともに紅い月の夜空を舞い、倒された。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 諦めの悪い魔法使いが再度紅魔館へと侵入してきたのだ。

 そして見つけた地下への階段。開けてしまった地下室の扉。

 幻想郷で初めて出会った遊び相手にフランドールが宣言したのは十枚のスペルカード。
 黒白の魔法使いはことごとくそれらを避け、ついにはフランドールを打ち倒してしまった。


 そうして、紅霧異変と名付けられた異変は終わりを迎えた。



「咲夜さーん!掃除、終わりましたよ!」

 赤色のリボンを付けた妖精が咲夜の所まで駆け寄る。

「御苦労さま、ティーナ」

 赤色のリボンを付けた妖精――ティーナへと労いの言葉を掛ける。

 紅霧異変が終わった後、たくさんの妖精が紅魔館のメイドとして残った。大半は自分勝手にやっていてあまり仕事をしないのだが、中にはしっかりと仕事をするモノもいる。

 ティーナもそのヒトリだ。そして、中でも彼女は特別で咲夜の片腕とも呼べる存在となっている。
 咲夜に名前を付けられた時からティーナが咲夜から離れることはなかった。咲夜がレミリアに仕え続けているように。

「咲夜さんはお昼の仕事終わったんですか?」
「一通り終わったところよ」
「では、一緒に紅茶でも飲みませんか?また、咲夜さんに紅茶の淹れ方を教えてもらいたいですし」
「ええ、いいわよ」
「やったっ!では、行きましょう」

 昼の仕事が終わった後は大抵フタリはこうして一緒に居ることが多い。
 ティーナの方から咲夜に近づいて行っているのだが、咲夜もそんな彼女の為の場所を作ってあげている、といった感じだ。

「……」
「?どうしたんですか?」

 突然立ち止った咲夜を振り返る。

「フランドールお嬢様が館から出ようとしてるわ」
「え!それって早く止めないといけないんじゃ?」
「そうね。……ティーナ、貴女はここで待ってなさい」
「いいえ、私もついて行きます」
「なら、離れるんじゃないわよ」
「はい!」

 差し出された咲夜の手を握って頷く。

 その直後、フタリの姿は消えた。



「フランドールお嬢様、お待ち下さい」

 そう言いながら咲夜はフランドールの前へと立ち塞がる。

「あー、やっぱり咲夜には見つかっちゃうのね」

 この事態は予想していたのか特に驚いた様子も無い。ただ、右手に持っていた紅色の日傘を左手に持ち替える。
 それから、右手に現れたのは自在に変形する、魔杖レーヴァテイン。

「……私の邪魔をするって言うなら、手加減はしないよ」

 そして、フランドールの周囲を魔力が渦巻き始める。
 彼女の周囲でだけ風が巻き起こり、金色の髪が、緋色のスカートが、七色の羽が揺れる。

「……咲夜さん……」

 ティーナが不安げに身体を寄せる。咲夜から離れてしまった方が安全だというのに。

 張り詰めた空気の中ただ咲夜だけは飄々とした態度を崩さずにフランドールと相対している。
 それから、咲夜はその口を開いた。

「フランドールお嬢様、三つほど言いたいことがあるのですが」
「……なに?」

 何を言われるのだろうか、と身構える。

「まず、一つ目。お出掛けになられる際はちゃんとレミリアお嬢様か私に声を掛けるようにしてください」

咲夜は右手の人差し指を立てる。

「え?」
「咲夜さん?」

 フランドールもティーナも咲夜の言葉に驚いたようだった。しかし、当の本人は気にした様子も無く続ける。
 二本目の指が立つ。

「二つ目。外に出る際は玄関から出てください。壁を直すのもなかなか骨の折れる作業なんですよ?」

 言いながら咲夜が視線を向けたのはフランドールの背後にある大穴を空けた紅魔館の壁。あの程度の壁ならフランドールにとって壊すのは造作ないことだ。

 そして、三本目の指。

「最後に。外に出る、というのなら私も付いて行きます。フランドールお嬢様がヒトリで出歩きなさるのは少々心配ですから」

 そこまで言って咲夜は手を下ろした。

「私を、止めないの?」

 絶対に止められるだろう、と思っていただけにフランドールの困惑は大きい。

「止めて欲しい、と言うのなら止めますが」

 そう言いながらナイフを掴む。しかし、棒立ちのままで戦闘態勢には入ろうとしない。

「ううん、止めないで。……でも、咲夜はお姉様の従者なのに私を止めなくてもいいの?」

 困惑と疑問に彩られた表情で首を傾げる。手にはレーヴァテインが握られたままだが、周囲で渦巻いていた魔力は消え、戦意も失われていた。

「確かに、私はレミリアお嬢様の従者です。けど、私はフランドールお嬢様を外に出すな、とは一度も言われたことがありません。お嬢様が仰っていたのはフランドールお嬢様を閉じ込めている、ということで、閉じ込めていろ、とは言われていないのです」

 飄々とした態度でそう告げる。
 隣にいるティーナも、相対しているフランドールも咲夜の真意を推し量ることは出来ない。
 フタリとも咲夜の顔をじっと見つめる。

「それで、フランドールお嬢様どこに行かれるつもりでしょうか」

 フタリの疑問を無視して咲夜はそう問いかけたのだった。



「この森の中に黒白の家があります」

 咲夜たちが降り立ったのは魔法の森の入口の前。

 フランドールが行きたい、と言ったのは魔理沙の家だった。前に弾幕ごっこで負けたのが悔しかったらしく、今までパチュリーと共に弾幕の研究をしていたらしい。
 そして、今日。その成果を試すべく魔理沙へと再戦を申し込む、とのことだった。

「ここに魔理沙が居るのね。さっ、早く行きましょ。……って、うわ、凄い瘴気」

 フランドールは魔法の森の茸が放つ瘴気に顔をしかめながらも森の中へと入っていく。
 この森はその瘴気の濃さで有名だ。並みの人間なら四半日も森の中にいれば余りの体調不良に動くことが出来なくなる。

「ティーナ、貴女は瘴気の中に入っても平気なのかしら?」
「二日くらいは大丈夫だと思います。……むしろ、咲夜さんの方こそ大丈夫なんですか?」
「ええ、平気よ。鍛えてあるから」
「鍛えて何とかなるものなんでしょうか……」

 呆れているような驚いているようなそんな口調で返す。

「そーいえば、咲夜に聞いてみようって思っててずっと聞き忘れてたんだけど」

 森の中に入ろうとしていたフランドールが振り返って咲夜の方を見る。

「咲夜って人間?妖怪?神様?それとも、それ以外?」

 フランドールが咲夜と初めて出会ったときに発した問い。あの時とは違って純粋に疑問だけで問いかけられる。

「そうですね。昔は化け物、だなんて呼ばれてましたが、私はれっきとした人間ですよ」

 咲夜の言葉を聞いた途端、ティーナは何か驚いたようだった。
 そして、何か言いたげに咲夜の方を見るが口を開くことをしない。咲夜も気づかない。

「魔理沙が私の初めて見た人間だ、って思ってたけど違ったんだ。……でも、咲夜って人間の匂いが薄いよね。人間の返り血を浴びたんだって聞いたら納得できそう」

 そう言いながら咲夜に顔を近づけて鼻を動かす。

「そうでしょうか」

 咲夜も自身の匂いを嗅いでみようとするが当然わかるはずもない。

「うん。お姉様の匂いの方が強いかも」
「まあ、私はレミリアお嬢様の従者ですから」

 恥ずかしげもなくそう告げる。

「さて、無駄話もここまでにして、早く行きましょう。日が沈めばレミリアお嬢様が起きてしまいますわ」
「うん、そうだね」

 フランドールは頷いて咲夜から離れる。

「?ティーナどうしたのよ。何か言いたそうね」

 歩き出そうとしてようやく咲夜はティーナが自分に視線を向けていたことに気づく。
 フランドールも足を止めて妖精メイドを見る。

「あ、いえ、別になんでもありません」

 慌てたようにそう言って咲夜から顔を逸らしてしまう。

「気になるわね。私は何を言われても気にしないから言ってみなさい」

 腕を組んでティーナに促す。レミリアの影響か一度気になるととことん突き詰めたくなるようだ。

「……じゃあ、言わせて、もらいます」

 咲夜の視線に耐えられなくなったのか口を開く。

「……咲夜さんは、化け物、と呼ばれて、なんともなかったんですか?」

 咲夜の口から出た、化け物と呼ばれていた、という言葉。ティーナは最初その言葉に大きな衝撃を受けていた。
 ……けれど、よくよく考えてみれば時間を止める事が出来る咲夜は心の弱い人間からそう呼ばれても仕方のないことなのだ。
 それよりも自分が化け物、と呼ばれていた、と咲夜は何でもないことのように告げていた。ティーナにとってそのことこそ、気にかかった。

「昔はそれを気にして自分の世界に籠っていたけれど―――」

 モノクロの世界に自らを閉じ込めていたことを頭の片隅に思い浮かべる。

「―――今ではそんなこと、どうでもいいわ。それに、私がそう呼ばれていたから、レミリアお嬢様と巡り合えたようなものだから、むしろ感謝してるかもしれないわね」

 自分が化け物であるからこそ、あの出会いはあったのだ、と告げる。

「そうなん、ですか?」
「そう。だから、貴女が気にする必要なんて一切ないわ。ま、その心遣いは嬉しいけれどね」

 微笑みをティーナへと向ける。

「咲夜さん……」
「フタリとも!私は早く魔理沙の所に行きたいんだけど」

 待ちきれなくなったのかフランドールがフタリに声を掛ける。

「そうでしたね。では、行きましょう。魔理沙の家はこっちですわ。……ティーナも遅れずについてくるのよ」
「あ、はい!」

 咲夜を先頭に、サンニンは魔法の森へと入っていった。



「うわっ、咲夜っ?私はあれ以来まだ何も借りてないぜ!」

 扉を開けた先に居た咲夜を見たとたん、魔理沙は必要以上の驚きを見せた。

「別に今日はパチュリー様の本を取り返しに来たわけじゃないけど……なんだか、その反応は怪しいわね」
「いやいや、今日の私は何にも隠してないぜ。アリスから借りてきた魔導書ならいくつかあるがな」

 そう言って、近くにあった魔導書を咲夜に見せる。当然、それが主の友人の物なのか、咲夜とは何の関係のない人形遣いの物なのかはわからない。いつもはパチュリーに持たされたメモをもとに本を回収している。

「まあ、そんなことはどうでもいいわ。今日はフランドールお嬢様が貴女に用事があるみたいだから」
「やっほー!魔理沙、もう一回、弾幕ごっこを受けてもらうわよ!」
「……見ないようにしてたが、やっぱりお前だったか」

 そう、フランドールは咲夜の背後に隠れていたのだ。しかし、大きな七色の羽は隠れきっていなかった。

「むー、何よ、その言い方は。今日の為にたくさん練習してきたのよ?パチュリーにも協力してもらって」
「ああ、そうか。けど、この辺りには弾幕ごっこが出来るほど十分に広い場所はないぜ?森の上空に行けば別だが、お前、太陽の光は苦手だろ?」
「大丈夫よ!狭くても私は気にしないわ。ここでやりましょう?」
「いやいやいやいや、私は家を失う気なんて毛頭ないぜ」
「なくなったらうちのメイドとして働けばいいじゃない。魔理沙は私と遊ぶ係でいいよ」

 言いながらフランドールはレーヴァテインを喚び、右手で握りしめる。

「うわ!待て!」

 ぱちんっ

 魔理沙の叫び声をかき消すように指を鳴らす音が響いた。

「こうすれば万事解決ですわ」

 そして、気がつけばヨニンは広大な土地の中に立っていた。

「咲夜、ナイス!最初は付いてこさせるつもりは全くなかったけど、付いてこさせせてよかったわ。さあ、魔理沙、存分に遊びましょう?」
「ここから逃げる、ってことは出来ないんだろうな。……しょうがない、いっちょやってやるか」

 魔理沙も箒を喚び出して、帽子を深く被り直す。

「私に勝負を挑んだこと、後悔させてやるぜ」



「あー、負けだ負けだ。私の負けだ」
「やったっ、魔理沙に勝った!」

 魔理沙の最後のスペルカードを破りフランドールは嬉しそうに飛び跳ねる。
 戦いは熾烈を極めたもので、魔理沙もフランドールも服がぼろぼろとなっている。しかし、フタリともそのことを気にした様子もない。

「おめでとうございます、フランドールお嬢様。それにしても本当にお強くなられましたね」
「ふふ、まあね」

 自信たっぷりに胸を張る。地下室に閉じこもっていたころには一切見せなかったような仕草だ。
 弾幕ごっこ、という遊びを通じてフランドールは変わってきている。

「フラン、次は私が勝たせてもらう。だから、それまで首を洗って待っておけ」

 魔理沙が次なる勝利を宣言して宣戦布告をする。

「うん。でも、次も負けない。私が絶対に勝たせてもらうわ」

 くるりと魔理沙の方へと向き直り言葉を返す。今、この瞬間にフランドールは魔理沙を、魔理沙はフランドールを好敵手として認めたのだ。

「……何だかフタリとも仲がよさそうですね」

 フタリの様子を見ながらティーナが呟くような声で言う。聞こえたのは隣に立つ咲夜くらいだろう。

「そうね。フランドールお嬢様が外に出られるきっかけが出来て何よりだわ」
「え?咲夜さんって、元々、フランドール様を外に出そうと考えてたんですか?」

 驚いたように咲夜を見る。

「ええ。だって、あんな狭い世界に閉じこもっていたら勿体ないでしょう?」

 首から提げた銀の懐中時計に触れながら告げる。

「受け入れてくれるべき世界があって、その世界が狭い世界よりも少しでも温かいならそちらに行くべきよ」
「咲夜さん?」

 少し遠い目をし始めた咲夜を見てティーナは首を傾げる。

「私にもいろいろあった、ということよ。……さて」

 ぱちんっ

 この話題は終わりだ、というように指を鳴らす。同時に無限に続いていた空間が元の狭い魔理沙の部屋へと戻る。

「フランドールお嬢様、そろそろ帰りましょう」
「うん、そうね。……じゃあ、魔理沙、また来るね」
「いや、今度は私の方から行かせてもらう。中途半端に強くなったところで再戦に来られても嫌だからな」
「そう。……うん、わかったわ。楽しみにしてる」

 フランドールが笑顔を浮かべ、魔理沙も笑顔を返す。

「ああ、そうだ。ちょっと待ってろ」

 そう言って魔理沙は部屋の奥へと消える。
 フランドールが首を傾げるが間もなくすると魔理沙は黒色のローブを持って戻ってきた。

「ほら。服、ぼろぼろだろ?」
「ありがと、魔理沙」

 魔理沙はフランドールへとそのローブを渡した。早速、それをぼろぼろになった服の上から着る。

「貴女にしては珍しく気が利いてるわね」
「なんだよ、その言い方は。私はいつだって気を利かせてるぜ?」
「嘘をおっしゃい。気を利かせてるって言うならパチュリー様の本を勝手に持っていったりするんじゃないわよ」
「優先順位ってのがあるんだよ。全てを投げ打ってでも気を利かせられるほどの聖人じゃぁないからな」
「それでも泥棒行為だけはやめなさい」
「借りてるだけだぜ」
「咲夜ー、ちょっと手伝ってー」

 いつもの様に言い合いをしているとフランドールが咲夜を呼んだ。いつも着ているものとは違うので少々戸惑っているようだ。

「はい、わかりました、フランドールお嬢様」

 主の妹の言葉に応えて傍に寄る。
 咲夜が離れて手持無沙汰となった魔理沙は適当に視線を動かす。と、先ほどまで咲夜の隣に立っていたティーナと目が合う。

「お前は確か、妖精メイドの中で一番真面目な奴だったな」
「そう、見えるんですか?」

 魔理沙の言葉に首を傾げる。

「ああ、お前ほど真面目な妖精は見たことがないな」
「むー、そうですか。私は咲夜さんのお役に立てれば、と頑張ってるだけなんですけどねー」

 しっくりこない、といった感じの反応を返す。咲夜に認めてもらいたい、というその想いだけで動いてきたのであまり周囲に目を配らせて自分と他者との比較を行っていないのだ。

「あいつを慕うような奴がいるなんて思わなかったな」
「確かに、館でも咲夜さんのことを敬ってるのって私だけかもしれませんね。他の皆はレミリア様にそう言った感情を寄せてますし」
「ふーん。それで、お前は何でまたレミリアの奴じゃなくて咲夜なんだ?」
「そーですねー……」

 額に指を当てて考える素振りを見せる。

「簡単に言えば咲夜さんも私のことを特別視してくれているからでしょうか」
「特別視?あいつがレミリア以外に?」
「……そう言われると何だか私の思い違いのような気がしてしました。……けど、咲夜さんは『貴女がこっちの世界で最初に出会ったモノ』って言ってくれましたし、今の私の名前も咲夜さんが付けてくれたんですよ」

 最初、自信を失くしたかのように沈んでいたが、言葉を紡ぐたびに表情は明るい物へと変わっていく。
 相手が例え自分に対して無関心であろうとも、自分は想い続けているのだ、というように。

「そうか。……ま、お前があいつを慕ってるってことはよくわかった。それに、あいつがお前のことを少しくらいは特別視してるんだろうってこともわかった」

 言いながらフランドールの着替えを手伝っている咲夜へと視線を向ける。

 元々首周りに余裕のある服なのだが、小柄なフランドールの体形とも相まってかなり余裕がある。だから、襟を大きく引っ張って七色の羽をそこから出そうとしているようだ。

「そうですか。……まあ、私はもうどっちでもいいんですよ。咲夜さんが私のことをどう思っていようと。一度でも勘違いをしてしまった心は中々離れようとはしてくれませんから」
「……やっぱりらしくないな。妖精はもっと享楽的だ」
「ふふ、十分享楽的じゃないですか。憧れている人もこっちのことを特別視してるのではないか、って半ば本気で信じてるんですから」

 自嘲も諦めも、そう言った負の感情が一切込められていない笑いをこぼす。

「……お前、名前はなんて言うんだ?」
「ティーナ、ですよ」

 彼女の中にある全ての誇りを掛けてそう言った。



 咲夜たちの視線の先に紅魔館が映るころには陽は大きく傾いていた。
 サンニン分の影が長く長く伸びる。世界は真っ赤に染まり、フランドールに今まで見たことのない世界を見せる。

「わぁ……、本では読んだことがあるけど、夕日、ってこんなに赤くなるんだね」

 楽しげに日傘を回しながらそう言う。顔以外は全て黒色のローブで覆われているので傘の傾きもあまり気にしてはいない。

 魔理沙から借りた真っ黒なローブは首の部分が大きく背中の方へと下ろされ、そこから七色の羽が伸びている。

「あ……、咲夜さん、あれ」
「ん?ああ、レミリアお嬢様が居るわね」

 ティーナが指差した先にはフランドールが持っているのと全く同じ日傘を差したレミリアが立っていた。
 フランドールも姉の姿に気づいたようで一瞬、表情を凍らせる。それから、咲夜へ近づくと、

「……咲夜、時間止めて、私を部屋まで連れて行って」
「駄目ですよ。どうせ、後で顔を合わせることになるんですから」

 咲夜はそう言ってフランドールのお願いを聞き入れようとしない。フランドールも咲夜の言葉に納得してしまったのかそれ以上は何も言おうとしなかった。
 代わりに、咲夜の背後に隠れるようにして紅魔館への道を進んでいく。

 そして、咲夜たちは門の前に立つレミリアの前へとたどり着く。

「お嬢様、ただ今戻りました」
「ええ、お帰り。けど、主に何も言わずに出ていくとは感心しないわね」
「少々立て込んだ案件があったんですわ」

 悪びれた様子を一切見せることなく答える。レミリアも言うだけで余り気にした様子もないようだ。

「そ。……それで、フランはそんな所で何をしているのかしら?」

 咲夜への言及は終わりだ、というように今度は咲夜の後ろに隠れるフランドールへと視線を向ける。その途端にフランドールは身体を縮こまらせる。だが、傘と羽のせいでまったく隠れる事が出来ていない。
 いや、隠れられないことなど百も承知だ。それでも、身体が勝手に動いてしまうのだ。

「……お姉様……」

 絞り出すような小さな声でそう言った。
 地下室から出ていったことを怒られるのではないだろうか、自分のことを嫌いになってしまうのではないだろうか。そう、思うと何を言っていいのかわからなくなってしまう。

「ま、それはいいわ。それよりも、フラン、怪我とかはないかしら?」
「……え?」

 レミリアの言葉に茫然としたような声を返す。姉のその言葉は予想だにしていなかったことだ。

「怒ら……ないの……?」
「どうして怒る必要があるのかしら?」

 フランドールが何を考えているのかわかっていてなお首を傾げる。

「だって、勝手に外に出ちゃったから」
「まあ、確かにそれについてはいくつか言っておかないといけないわね」

 言いながらフランドールへと近づいて行く。咲夜はフランドールを自らの前に立たせてレミリアと相対させる。
 フランドールは少し怯えたようにレミリアを見ている。

「外に出るときは必ず私に声を掛ける事。それと、外に出るときはちゃんと玄関から出る事。……わかったかしら?」
「……私、外に出てもいいの……?」

 驚いたように姉の顔を見つめる。
 対して、レミリアは静かに微笑んで答える。

「ええ、貴女から言ってくればそのつもりだったもの」

 フランドールが魔理沙と弾幕ごっこをして、魔理沙が無事だったからこそそう決める事が出来た。勝負に負けそうになっても無暗に力を使わないだけの分別が付くのならきっと大丈夫だろう、と思って。

「……お姉様、ありがと!」

 嬉しさのあまりにフランドールは日傘を放り投げてレミリアへと抱きついた。

「ととっ……」

 転びそうになりながらも片手で何とか妹を抱きとめる。
 フタリの影が日傘の中に納まる。

「……咲夜さん、こうなることがわかってたんですか?」

 抱きしめ抱きつき合っている姉妹の姿を見ながらティーナがぽつり、とそう漏らす。

「さあね。私は私が正しいと思ったことをやっただけよ」
「そうなんですか?じゃあ、咲夜さんとレミリア様が同じようなことを言ってたのは?」
「単なる偶然ね。まあ、長い間近くに居ると考え方が似通ってくるのかもしれないわね」
「んー?」

 ティーナはなんとなく納得が出来なかったようだ。
 しかし、咲夜が言ったことは真実である。そこには嘘も偽りもない。

「さてと、私は夕食の準備をしてくるわね」
「あの、私も手伝っていいですか?」

 少し慌てたように咲夜を呼び止める。そうしないとすぐに居なくなってしまうのだ。

「いいわよ。……では、お嬢様方、私たちは夕食の準備をしてまいります」
「ええ、今日の夕食も楽しみにしてるわ」
「うん、何を作るのか楽しみにしてるね」

 姉妹が咲夜の方へ向き声を揃えてそう言った。

「必ずやお嬢様方を満足させるものを作りますわ」

 咲夜が微笑みを返して、咲夜とティーナの姿は消えた。



 夜も更け、時計が次の日になったことを告げる。
 レミリアの部屋に満月の光が差し込む。その光は紅の吸血鬼姉妹を照らしている。

 レミリアは空っぽになったティーカップを弄びながら反対側でテーブルに身体を預けて眠っているフランドールを見ている。

 先ほどまでレミリアとフランドールは同じテーブルで咲夜の淹れた紅茶を飲んでいた。けれど、いつもよりも早く起きたのと、魔理沙と遊んで疲れたのとでつい先ほど眠気に負けてしまった。

 小さく肩を上下させ、気持ちよさそうな寝顔を見せている。
 レミリアはその顔を見ながら小さな微笑を浮かべる。

 と、咲夜が現れる。
 フランドールの背後へと回ると毛布をその肩に掛けた。

「んぅ……」

 小さく身動ぎをするが、起きるような気配はない。

「ありがとう、咲夜」
「いえいえ」

 寝てしまっている妹の代わりにレミリアがお礼を言う。
 それに対して咲夜が返したのはごく短い言葉だった。

 ……それから、咲夜はレミリアの背後に立つ。従者として居るべき場所へと。

「お嬢様、紅茶をお淹れしましょうか?」

 眠っているフランドールを考慮してその声は控えめだった。

「いいえ、今日はもういいわ」

 レミリアは同じように控えめの声で答えて弄んでいたティーカップをテーブルの上に戻す。

「そうですか。わかりました」

 咲夜の言葉を最後に部屋の中の音が消える。聞こえてくるのはフランドールの小さな寝息だけだ。

 レミリアはフランドールを眺め続ける。その視線に込められているのは姉としての愛おしさ。フランドールだけに向けられる感情の一つだ。

「……咲夜」
「はい」

 主の静かな声に従者は答える。

「これからも、フランのことを頼んだわよ」

 今日のこと、今までのこと、それからこれからのこと。全ての想いや感謝をその短い一言に込めてそう言った。
 当然、返す言葉も―――

「わかっていますわ」


 ―――一言だった。


「ふふ、いい返事だわ」

 その言葉を聞いたレミリアは嬉しそうに笑みを漏らす。

「……私だけではどうしても不安になってしまうのよ。この子の扱い方についてはね」

 それは、レミリアが咲夜に対して漏らした初めての弱い部分だった―――。



 それから、普通の人間では体験し得ないような長い時間が過ぎ去った。

 その間、様々な異変が起こった。
 冬が終わらなくなったり、本物の月が隠されたり、天候が不安定になったりと紅魔館に直接関係するような異変。四季折々の花が咲いたり、新しい神様が博麗神社を乗っ取ろうとしたり、博麗神社の近くで間欠泉が起きたり、謎の飛行物体が幻想郷中を舞ったりと紅魔館にあまり関係のない異変。その他諸々の異変、と本当に様々な異変が引き起こされた。

 異変以外にも色々あった。
 月に行ったり、紅魔館でパーティを開いたり、ティーナが正式なメイド長補佐となったり、魔理沙が人間をやめ魔法使いになったりした。

 けれど、時の流れがもたらした変化はそれだけではなかった。
 レミリアの起こした異変を止めた博麗の巫女は何代も前の存在となってしまい、人間の里ではレミリア達の起こした異変は歴史の一部となり、紅魔館と関係の深かったモノも果ててしまった。

 ヒトリはパチュリー・ノーレッジ。元々、病弱だったこともあり後から魔法使いとなった魔理沙よりも早くに果ててしまった。
 彼女の残した無数の書物は未だに魔法図書館に収められ、残された小悪魔がそれを管理している。
 レミリアも、彼女の事の記憶に触れるかのように図書館に入り浸るようになった。

 そして、それからあまり時間が経たず、先ほど話題にのぼった霧雨魔理沙が果てた。彼女は老衰した後も力を抑えるようなことはせず結果的に一般的な魔法使いよりも寿命を縮めることとなってしまった。
 彼女の残した家にはフランドールが居る。住んでいる、というわけではない。
 
 魔理沙の事切れた姿を見つけたフランドールは半狂乱な状態だった。辺りに合った物は暴走した力によって壊されていった。けれど、それでも魔理沙の身体には傷一つ付いていなかった。
 周囲の物を原型がなくるまでに壊し続けていたフランドールを止めたのは咲夜だった。
 フランドールに付いて魔理沙と出会っていた咲夜は予想していたのだろう。事切れた魔理沙を見たフランドールがどうなってしまうのか、を。

 長い時間の中でフランドールにとって魔理沙はレミリアと咲夜の次に親しいモノとなっていた。いや、むしろフランドールにとっての一番だったかもしれない。
 明るい性格、気兼ねのない物言いが気に入っていた。
 フランドールを恐れずに対等に接していたその態度に惹かれた。
 そして、いつも見せてくれていた明るい笑顔が大好きだった。

 それらを咲夜は知っていた。
 フランドールの態度から、言葉から、魔理沙の事を話すときの笑顔から、感じ取っていた。

 だから、錯乱するフランドールを見つけた咲夜の行動は迅速だった。
 壊されないよう、一気に距離を詰めフランドールを抱き締めた。

 完全には破壊の力を避けきれず腕に傷を負ったがそれだけだった。咲夜に抱き締められた途端にフランドールの力の暴走が止まったから。

 フランドールを落ち着かせた後、咲夜は家の前に魔理沙の墓を立てた。

 墓を立てた後もフランドールは家の中から動こうとしなかった。戻ってきた咲夜に、ヒトリにしていてほしい、と言った。
 その時の咲夜は何も言わずにその願いを聞き入れた。

 けれど、その次の日―――



「フランドールお嬢様、入りますよ」

 咲夜が静かに魔理沙宅の扉を叩く。それから、返事も待たずに勝手に入ってしまう。

「……ヒトリにして、って言ったじゃない」

 最期に魔理沙が寝ていたベッドの上で膝を抱えて座っていたフランドールが咲夜を睨みながらそう言う。
 その咲夜の腕には包帯が巻かれている。昨日、フランドールによってつけられた傷だ。

「ヒトリでいても塞ぎこんでしまうだけですわ」

 咲夜は対して気にした様子もなく近づく。その際にガラスの割れる音がする。

「……家事は?」
「ティーナに任せていますわ」
「……お姉様を放っておいていいの?」
「それもティーナに任せていますわ」
「……咲夜じゃないとちゃんと出来ないんじゃない?」
「その辺りは大丈夫ですわ。ティーナにはヒトリで手に余るようなことがあれば小悪魔に頼むようにしてますから」
「…………そう」

 どうしても咲夜を追い出したかったようだが何を言っても無駄だと悟ったようだ。
 軽く睨みつけながらもそれ以上は何も言おうとしない。

「フランドールお嬢様、お腹は空いていませんか?」

 そう問いかけながら隣に腰掛ける。

「……別に」

 膝の間に顔を埋めて答える。
 昨日から何も口にしていないが、本当にお腹など空いていなかった。

「そうですか。では、お腹が空きましたらいつでも申してくださいね」
「……」

 フランドールは黙り込んだまま返事をしなかった。
 そのまま、両者共に黙ってしまい静かになる。

 咲夜の懐中時計の音が小さく響く……。

 フランドールは膝を抱えたまま宙空を見つめ、咲夜は何を考えているのかが読めない表情で部屋の中を見回している。

 部屋の中は昨日のあのままでそこら中が散らかっている。
 足だけが残った椅子だったもの、何かのガラス片、木片。元の形が分からなくなっているテーブルの天板。
 今、咲夜たちが座っているベッドにしても魔理沙が横たわっていた部分が無事なだけであって、足は折れ、布団の端は千切れてしまっている。

「……これは、掃除をした方がいいかもしれませんね。でも、一人で掃除をするのは大変そうですね」

 ぽつり、とわざとらしく呟く。
 その声につられたようにフランドールは顔を上げて咲夜の顔を見る。

「フランドールお嬢様、手伝っていただけないでしょうか」

 フランドールへと笑顔を向ける。

「え……?でも、咲夜なら、一人でも―――」
「いえ、今日は少し能力の調子が悪いようで長い間時間が止められないんです。ですが、それなら何度も時間を止めればいいとお思いになられるかもしれませんが、それだと、とても疲れてしまい掃除なんてすることができません。なので、フランドールお嬢様、手伝っていただけないでしょうか」

 フランドールの力ない追及を覆うように捲し立てた。

「う、うん、わかった」

 勢いに押されてしまって頷くことしかできなかった。
 そもそも、手伝う気は合ったのだ。彼女にとって特別な存在であった魔理沙の家を掃除したくない理由など存在しない。
 ただ、いつもはしない咲夜の遠回しな言い方が引っ掛かっただけなのだ。

 けど、自分のことを考えて言ってくれている、ということはわかっていた。

「ありがとうございます。では―――」

 咲夜がそう言った時には周りに箒や塵取り、雑巾等といった掃除道具が並べられていた。全て一瞬とも呼べないような短い時間の間に咲夜が紅魔館から持ってきたものだ。

「―――始めましょう」

 言いながら箒をフランドールに差し出したのだった。



 咲夜の時間停止を使うことなく普通に掃除を進めていった。

 フランドールは今まで掃除をしたことなどがなかったので、最初はかなり不慣れな様子だった。けれど、要領が良いので咲夜に教わりながら作業を進めるうちにそれなりには掃除を進められるようになっていた。

 まずフランドールが壊した物品を箒で塵取りに集め、それから床に雑巾がけをした。
 元々物で溢れ返っていたのでそれだけでもだいぶ見違ってきた。


 そして、今は魔理沙の蒐集品を整理しているところだった。

「あ……、これは」

 フランドールが手に取ったのは床に投げ出されていたミニ八卦炉だった。魔法の反動に耐えられないほど衰えるまでは魔理沙が愛用し続けていたマジックアイテムだ。

 これを見て魔理沙との想い出が意識せず溢れだす。

 初めて出会って弾幕ごっこで敗れてしまった時のこと。
 ―――咲夜に負けた時には感じなかったような悔しさを感じた。余裕な表情と物言いが癪に障ったから。

 紅魔館を抜け出して、咲夜と共に初めて魔理沙の家に訪れた時のこと。
 ―――今度は勝つことが出来た。努力が実った、そのことが嬉しかった。

 それから、何度も魔理沙と弾幕ごっこをした。
 ―――勝ったり、負けたりで実力は大体拮抗していた。けど、そんなことよりも遊んでいるそのこと自体が楽しかった。

 ……気がつけば魔理沙と一緒に居るだけで満足できるようになっていた。
 話をしたり、紅茶を飲んだり、隣に座っていたり。そんな当たり前のことが出来るだけでも嬉しかった。


 知らぬ間に両の目から涙が溢れ出てきていた。それは止まることを知らず、いくつもの水滴が八卦炉の上へと落ちていく。

「う……あ……」

 抑えきれない感情が溢れ出てきそうになる。
 魔理沙の冷たくなった身体を見たときにはなかった、引き裂かれるような痛みを感じる。

「フランドールお嬢様」

 不意に、咲夜がフランドールを抱き締める。

「泣きたいときには泣いてしまった方がいいですよ。その方が辛くもないですし、色々なことを抱え込まなくてすみますから」

 あまり聞かない咲夜の優しい声にフランドールは感情を抑えきれなくなった。

「うああああぁぁぁっ!魔理沙っ、魔理沙っ、魔理沙ぁ……っ!」

 もう、声を聞かせる事が出来ないヒトの名を叫びながら慟哭する。
 一度溢れてしまえば止める事など出来ない。ただただ、目の前の咲夜にしがみついて、想いを吐き出し続けることしかできない。

 溢れ出る感情の奔流は誰にも止められない。
 喪失はただただ悲しみへと変わっていく。

 止まらない涙は咲夜の服を濡らし、叫びは誰にも届かない。
 ただ、疲れきるまで、感情が底を尽きるまで、それを続けていることしかできない。


 咲夜はフランドールを優しく抱き返し、優しく背中を撫でていた。



 かちっ、かちっ、かちっ……

 咲夜の持つ懐中時計が小さく音を立てて時を刻む。
 部屋の中ではその音しか響かない。

 ようやく泣き止んだフランドールは咲夜にしがみついたまま動こうともしない。咲夜もまた、今なお彼女の背中を撫で続けている。

「……咲夜……」

 不意に、少し掠れて、疲れているような声色。

「なんでしょうか?」

 背中を撫でる手を止めないまま問い返す。

「……ありがと」
「従者として当然のことをしたまでですわ」

 弱々しい口調。それに対して、いつものような飄々とした口調を返した。

「それよりも、落ち着きましたか?」
「……うん、少しは……」

 咲夜に抱きついたまま首を縦に振る。

「そうですか。……では、片付けの方、再開しますか?」
「……ううん、もう少しこうしてて」

 そう言って抱きつく腕に少し力を込める。

「わかりました。満足するまで抱きついてていいですよ」
「……うん」

 頷いて身体の力を抜く。咲夜はもたれかかってきたフランドールをしっかりと支える。

 かちっ、かちっ、かちっ……

 再び、聞こえてくるのは規則正しく刻まれる懐中時計の音だけとなる。
 持ち主の性格を表すかのように寸分の狂いもない。

「……ねえ、咲夜。今まで咲夜の時計って止まってたよね」

 少し心に余裕が生まれてきたのか、今更ながらそんなことに気づく。

「はい、そうですね」
「壊れてたの?」
「いえ、壊れていたわけではありませんよ。どういう理屈かはわかりませんが、私自身の時間が止まっているとこれも時を刻むことをやめてしまうみたいです」

 そう言いながら懐中時計の中身を見せる。それはしっかりと時間を刻んでいるがそれ以上の事は見ただけでは分からない。

「え……?なら、このまま時間が経っちゃうと咲夜も死んじゃうの……?」

 フランドールに怯えに似た明確な動揺が現れる。咲夜から少し身体を離して咲夜を見上げる瞳は揺れている。
 今の彼女は『死』というものにすっかり怯えてしまっている。

「このままこうしていればそうなることになりますね。けど―――」

 優しくフランドールの頭の上に手を置く。

「大丈夫ですよ。今はただ傷を治すために時間を動かしているに過ぎません。この傷が治ればまた私は自らの時を止めます。そうやって、レミリアお嬢様の隣に居続けるのが私の役目ですから」
「あ……。そっか……、私、咲夜を傷つけちゃってたんだね。……ごめん、私、全然気付いてなかった」

 咲夜の言葉を聞いてしゅん、と項垂れてしまう。

「仕方ないですよ。あのような状況で何を壊して何を傷つけたのか把握する方が難しいでしょうから」
「咲夜……」

 咲夜の優しさにフランドールは泣きそうになってしまう。

「だから、そんなに気に病む必要はありませんよ。この程度の傷ならすぐに治りますし、仕事に支障も出ませんから」

 言いながら頭の上に乗せたままだった手を動かしてフランドールの頭を撫でる。

「……うんっ」

 少し、声を弾ませる。無理に、元気さを装う。
 そうしないと、また泣いてしまいそうだったから。そうやって、これ以上に咲夜に心配をかけたくないと思ったから。

 だから、顔を上げて無理やり笑顔を浮かべて言った。

「残りの片付けも、やろ」



 木で作られた簡素な墓の前でフランドールが魔理沙の被っていた三角帽子を抱きしめ瞳を閉じて祈りを捧げる。
 咲夜は何も言わず、斜め後ろでその様子を見守っている。

 懐中時計の音は響かない。気を利かせた咲夜が時計を止めてしまったのだ。

 あまり生き物の住まない魔法の森は時折静かに木々を揺らすだけだ。フランドールの祈りを邪魔するものはない。

 長く、長く祈りは続く。
 今までの想い出を、積ってきた想いを、伝えられなかった言葉を。全て、全て祈りに変えるかのようにしている。


 それから、どれくらいの時間が流れただろうか。不意に、フランドールがゆっくりと瞼を上げる。

「魔理沙……」

 掠れたような声で名前を呼ぶ。
 どれほどの想いがそこに込められていたかは本人でさえもわからない。

 おもむろに紅色の帽子を脱ぐと墓に引っかけた。それから、祈っている間ずっと抱き締めていた三角帽子を被った。

「……魔理沙。私の帽子をあげるから、代わりに、この帽子はもらうね」

 誰にも自らの顔を見せないようにするかのように帽子を目深に被る。

「……魔理沙、また来るね。今度は魔理沙が欲しそうな物を持ってくるね。あと、掃除もしてあげるから……」

 それから、何かを堪えるかのように両手をぎゅっ、と握りしめる。

「……さ、帰りましょう、咲夜。私、お腹すいちゃった」

 くるり、と咲夜の方へと向き直る。その顔には笑顔が浮かんでいた。

「はい。帰ったら腕によりをかけて料理をお作りしますね」
「うん、楽しみにしてる」

 本当に楽しそうにそう言った。

 ―――けれど、目尻にはまだ涙が残っていた。



「お嬢様、夕食のご用意が出来ました」

 主の居なくなった魔法図書館。

 咲夜は大きなテーブルに向かって座っている自身の主へと声をかけた。しかし反応はなかった。
 それはレミリアが自らの腕を枕として眠っていたからだ。

 彼女の前には彼女の友人が著した魔導書が積み重ねられている。
 パチュリーが居なくなってしまってから、彼女の歴史を心のうちに刻み込むかの様に毎日パチュリーの魔導書を眺めている。

 咲夜は静かにレミリアへと歩み寄っていく。足音は響かない。代わりに懐中時計の音だけが響く。

 と、不意にレミリアが驚いたように身体を起こす。
 右に、左にと首を動かして、それから、後ろに立つ咲夜へと顔を向ける。

「……ああ、咲夜、帰ってきてたのね」

 椅子を動かして身体を向ける。

「はい。フランドールお嬢様もしっかりと連れて帰ってきましたよ」
「ありがとう、咲夜。……本当は私自身が行くべきだったんだろうけど、何を言えばいいのかわからなかったから」
「……」

 自嘲気味な弱々しい笑みを浮かべてそう言う。
 対して、咲夜は何も答えない。レミリアが答えの返ってくることを望んでいないのを知っているから。

「それよりも、腕の傷は大丈夫かしら?」
「はい、大丈夫ですよ」
「そう……」

 頷くが、傷よりももっと別のものを気にしている風だった。
 その視線は咲夜の懐中時計へと注がれている。

「レミリアお嬢様。ご安心ください。私はお嬢様を置いてどこかにいったりなどしませんから」
「……ええ、十分にわかっているわ。貴女が私の傍にいてくれる、ということは」

 そう言いながらレミリアは立ち上がる。

「でも、ありがとう。別のモノたちのそれを見てしまって少し不安が大きくなっていたから貴女の言葉は心強いわ」
「それはよかったです。不安を抱えているお嬢様なんてらしくないですから」
「全くもってそうね」

 今までの不安げな様子を押し隠し、尊大な態度で首を縦に振った。

「……で、確か夕食が出来たんだったわね。ちょっと待っててちょうだい。パチェの魔導書を片付けるから」
「私も手伝いましょうか?」
「いいえ、結構よ。私ヒトリで片付けたいから。……フランにもう少し待ってくれるように言っておいてくれるかしら?」
「畏まりました」

 恭しく礼をして、その場から去っていった。

 それを見届けてレミリアは魔導書の積まれたテーブルへと向き直る。

「……ねぇ、パチェ。咲夜は私が果てるその時、何を想ってくれるのかしらね」

 今はなき友人へと呟きかけた。



 ―――それから、気が遠くなるほどの時間が流れた。

 ついには門番の紅美鈴が果てた。彼女は最期まで門番としての務めを果たすかのように門の前に腰掛けていた。

 彼女の身体はパチュリー・ノーレッジの墓の隣に手厚く葬られた。

 その後から妖精の数は減っていき、ついにはティーナだけが残った。
 妖精は強い力に惹かれる性質でもあるのか、妖精の数が減るにつれスカーレット姉妹の力は徐々に衰えていった。

 容姿こそは遠い昔と変わらないが、瞳の紅は褪せて、羽が少しずつ朽ちていった。

 ―――そして、最初に果てたのはフランドール・スカーレットだった。

 身体に力が入らなくなり突然倒れたのが最初だった。

 それから、日に日に衰弱していき、数日後には灰となってしまった。
 レミリアも、咲夜も予感はしていたのだろう。だから、フタリはほとんど寝ないでフランドールに付きっきりだった。

 フランドール自身も自覚をしていたのか、フタリに話しかけるとき口から出るのは想い出話ばかりだった。

 地下室に閉じこもっていた時のこと。初めて咲夜と顔を合わせた時のこと。それから、魔理沙と出会ったこと。

 弱々しい口調ながらも、楽しげに、愛おしげに話していた。
 レミリアも咲夜も相槌を打つなどしてそれに応えていた。

 そして、最期の時。フランドールは笑顔を浮かべて言ったのだ。


 ―――ありがとう。皆のおかげで楽しかった。


 そう言ったきり動かなくなってしまい、灰へと還ってしまった。

 レミリアは灰をすくい上げると声を上げることなく泣いた。
 涙は止まることを知らず、静かに斑模様を作り上げていた。


 それから、数年後。レミリアにもまた終わりが近づいてきていた。





「フランが居なくなってしまってから予感はしていたけれど、こんなにも早いとはね」

 いつかのフランドールがそうしていたように、レミリアもまたベッドの上に横たわったまま咲夜を見上げている。
 その瞳には昔あった力強さも、不思議な魅力も残ってはいない。褪せた紅が今なお意志の強い青を捉える。

「ええ、そうですね。お嬢様ならもう少ししぶとく生き残ると思っていたのですが」
「うん、私もそのつもりだったわ。……でも、フランが居なくなってからは、どうも、ね」

 フランドールを喪ってしまってから徐々に薄れていっていた気力がごっそりと奪われてしまった。
 あらかじめ覚悟はしていてもやはりたったヒトリの肉親を喪うということは耐えがたいことだったようだ。

「それにしても、貴女が泣いている姿を見れないなんて残念だわ」
「どういうことでしょうか?」
「別に隠さなくてもいいじゃない。フランが亡くなった後、部屋の中で一人で泣いていたでしょう?」
「……お嬢様には最後まで敵いませんね」
「当たり前よ。私は主で、貴女は従者なんだから」

 微かに笑みを浮かべる。

「私は貴女の全てを知っている。それは、単なるつもりかもしれないけれど。でも、私以上に貴女を知っているモノはいないと断言できる」

 声に力はない。けれど、その口調はどこまでも強く、一切の迷いも乱れもない。

「そして、貴女もまた私の事をたくさん、知っている」
「残念ながら私からお嬢様の胸中を推し量ることは出来ませんわ」
「でも、貴女以上に私を知ってるのはいないと思うわ。……いや、パチェがいたわね。あの子には時々敵わないことがあったし」

 遠い昔に旅立ってしまった友人を思い描く。
 時々、何を考えているのか分らなくなることがあった少し、遠くに居た友人を。

「ま、それでも、貴女の方が私の事を知っているはずよ。いいえ、そうあるべきなのよ」
「それは、お嬢様の従者として、ですか?」
「ええ、そうよ」

 レミリアは微笑みを浮かべて頷いた。

「そうですか。お嬢様にそう言って頂けて嬉しい限りですわ」

 咲夜もまた一切の曇りのない微笑みを返す。
 微笑みを向け合ったままお互いにそのまま黙ってしまう。

 別れがすぐそこに迫っているというのに悲しさは一切ない。むしろ、清々しささえも感じる。

「咲―――」

 レミリアが咲夜の名を呼ぼうとして突然、その言葉が途切れる。

「お嬢様?」
「……そろそろ、タイムリミット、みたいだわ」

 先ほどよりも明らかに弱々しくなった声。

「咲夜、私は、先にいくけれど、それから、貴女がどうするかは、貴女が、決めなさい」
「何を今更聞くんですか。いつだったかは忘れましたが、私はレミリアお嬢様に申し上げたはずです。この世であれ、あの世であれ、天国であれ、地獄であろうとも、いつまでもどこまでもお嬢様の従者であり続けます、と」
「そう、だったわね。……でも、貴女が望むのなら、今度は、従者じゃなくても、いいのよ?」
「いいえ、私はお嬢様の従者であり続けると決めましたから」

 強い意志を込めてそう言う。

「そう……。なら、私から言うことは、ないわ」
「……お嬢様は、私が従者以外の何になってほしいと思っているのですか?」
「そう、ね。家族のヒトリ。もうヒトリの、私の妹にでも、なってほしいと思ってるわ」
「そうですか。では、考えておきますわ」

 少々夢見心地なレミリアの言葉に咲夜は頷く。

「ええ、なら、私は向こうで、貴女が来るまで、待っておくことにするわ。……じゃあ、一時の別れね。さようなら、私の最高の従者」
「すぐに追いつきますわ。我が唯一にして無二のお嬢様」

 笑顔で別れの言葉を告げると同時にレミリアの身体は静かに灰へと還っていった。
 咲夜はしばしの間、元主だったものを見つめていた。

 灰を少しずつ濡らしながら―――。



 満月に照らされながら咲夜はレミリアの墓をフランドールの墓の隣に立て終えた。

 これでもう館の中に残っているのは実質的には寿命のないモノたちと寿命を操ることの出来る者だけとなってしまった。

「咲夜さん……」

 静かな声が咲夜の名を呼ぶ。
 振り返ると、そこに立っていたのは咲夜の片腕的存在であるティーナだった。

「あら、丁度いい所に来たわね。……それよりも、何か用かしら?」
「用ってほどでもないです。……ただ、咲夜さんは本当にレミリア様を追いかけていってしまうんですか?」
「ええ。だって、私がレミリアお嬢様にお仕えするようになったころから決めていたことだもの」
「そう、ですよね……」

 咲夜の言葉にティーナは顔を伏せてしまう。

「それで、二つほど貴女に頼んでおきたいことがあるのよ」

 そう言いながら小さな妖精の方へと歩み寄る。ティーナは顔を上げて咲夜の顔を見る。

「……何ですか?」
「一つはこの館の事。私が居なくなると大変になるでしょうけど、掃除は続けてほしいのよ」
「言われなくても、やります。咲夜さんのいたこの館が汚れてしまうなんて、私は耐えられませんから」
「そう。でも、もしヒトリでやるのがきつかったら小悪魔に頼りなさい。あの子は魔法で掃除をすることに慣れてるからきっと助けになるはずよ」
「はい」

 ティーナが頷くのを見て、咲夜はさらに続ける。

「それで、二つ目だけど、この時計を預かっていてほしいのよ」

 言いながら咲夜はいつも首にかけていた懐中時計をティーナへと手渡す。

「預かる、ですか?」

 咲夜の言葉にティーナは手渡された懐中時計を見ながら首を傾げる。意味がわからなかったのだろう。

「そう、預かる。もしかしたら、何かの因果でここに帰ってくるかもしれないでしょう?その時に何処にいったかわからない、なんてのは嫌だから信用の出来る貴女に預けておくわ」

 そう言って、咲夜は振り返って再びレミリアの墓へと近づいていく。

「さてと、お嬢様が待ちくたびれるといけないから私はもういくわ」

 その言葉と同時にティーナの手に乗せられた懐中時計から音が発せられる。
 それを聞きながらティーナは慌てたように咲夜へと駆け寄る。懐中時計を強く、握り締める。

「あの、咲夜さん!絶対に、絶対に帰ってきてくださいね!私、私、待ってますから!」

 浮かぶ涙も気に掛けずに叫ぶように声をかける。
 悲痛な感じさえもするその声に、咲夜は笑顔で短く答える。

「ええ、じゃあ、また何時か、会いましょう」

 フタリの見えない所で懐中時計の針が目にも止まらないような速さで回り始める。

 今まで止められてきた時間を取り返すかのように、歪められた時間を正すかのように。


―――そして、咲夜は土へと還ってしまった。


 ティーナの手にある時計は正常な時間を刻んでいる。それが指す時刻も紅魔館の大時計と全く同じだ。

「咲夜さん、私、待ってますから……」

 止まらない涙を流しながら、懐中時計へと呟きかけた―――。


Fin



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