◇Flandre's side
さとりと共に考え出した理想の幸せを抱いて、館へと帰ってくる。こいしにはまた嘲られそうだけど、まあそういうのを考えたのだから、どうということはない。
結果として、そんな偽りの幸せが二人の真の幸せに繋がってくれればいい。
さとりはきっと前を向いてくれた。私もたぶんだいじょうぶ。だから、後はこいしに顔を上げてもらうだけ。これが一番難しいんだろうけど。
そうやって考え事をしながら、地下へと向かう階段を真っ直ぐに降りていた。先に帰っていた咲夜に、こいしとお姉様は私の部屋にいると教えてもらっている。私が外へと連れ出される前の二人は、一触即発といった様子だったけど、だいじょうぶなんだろうか。
お姉様のことは心配していない。不安なのは、私がいないとだめだと言っていたこいしの方。喧嘩をしているならまだしも、こいしが追いつめられていたりしないだろうか。
扉の前に着く。声や音は聞こえてこない。中の様子を窺うような感じで、そっと扉を開く。
そこに見えたのは、意外な光景だった。
まず、目に入ってきたのはベッドに腰掛けているお姉様。どことなく優しげな視線の先には、俯せで横になっているこいしがいる。お姉様を避けているのか、こいしの顔はお姉様がいるのとは逆の方に向いている。お姉様はそんなこいしの髪を手櫛でそっと梳いている。
「あら、おかえりなさい、フラン」
お姉様がこちらに気づいて顔を向けてくる。こいしは寝ているのか、その声は抑えられたものだった。時計の音くらいしか聞こえてこないから、それでも十分聞こえるのだけれど。
「ただいま、お姉様。……何してるの?」
できるだけ音を立てないようにしてお姉様たちの方へと近づきながらそう聞く。
何をしているかは見ればわかるけど、予想していたのとはほとんど真逆の光景を目の当たりにして、そんな言葉しか出てこなかった。
「ん? 見ての通り、髪を梳いてあげてるのよ。寝てるから、静かにしてあげてちょうだいね」
私はお姉様から少し離れた位置に腰掛けて、こいしの顔を覗き込む。確かにこいしは寝ているようだ。寝息も聞こえてくるし、無防備な表情も見て取れる。
そして、そのこともかなり意外だった。私以外の誰かがいるところで寝ることがあるとは思ってもいなかった。
「お姉様、何したの?」
「ちょっと言いたいことを聞いてもらっただけよ」
お姉様とこいしの距離を考えると、そのもらったという言葉に不穏な響きが込められているように感じてしまう。実際は、穏やかな声なのだけれど。
目の前の光景が信じられなくて、お姉様の方をじっと見つめる。視線に気づいたお姉様が、こちらを見る。
「なんだか、胡乱なものを見るような視線を向けられてるような気がするわ」
「……だって、お姉様の優しそうな態度もこいしの無防備な姿も怪しいから」
「自分の力を嫌って意固地になってるのが昔の貴女っぽいなぁとね。こいしが無防備なのは、なんでかしらね? 本人に聞いてみたら?」
私も昔の自分をこいしに少し重ねているから、お姉様の言い分は一応納得。
でも、それならこいしはどうしてだろうか。お姉様の言っていたとおり、本人に聞けばいいんだろうけど、どうしても考えてしまう。それに、素直に教えてくれるとも思えないし。
「それはいいとして、どうするか決めたのかしら?」
お姉様はこいしの頭から手を離して、こちらを真っ直ぐに見据えてくる。自然と私の背筋は伸びる。緊張などではなく、確かに覚悟を決めたからこそだ。
「また、迷っちゃうかもしれないけど、今はだいじょうぶ」
さとりの所で生み出した希望を抱きながらそう言う。
「何よ、その聞いてる方が不安になるような返事は。……まあでも、その表情に免じて許してあげる」
呆れたような態度でそう言われてしまう。
言葉が不確実なものとなってしまっているのは私も自覚している。とはいえ、明確に起こりえないことを断言できるほどの自信は持っていない。あるのは、いかにして理想まで近づけるかという意志だけだ。
「ただし、中途半端な結果は許さない。私の妹なんだから、結果には期待してるわ」
お姉様はこちらへと人差し指をびしりと突きつけてくる。私はその勢いに少々たじろいでしまう。
「う、うん」
「ほんとに大丈夫かしら? ま、私があれこれ言い過ぎるわけにもいかないわよね」
不審そうな表情を向けられたけど、すぐに指とともに引っ込められる。一応信じてはくれているようだ。
「じゃあ、私はそろそろ退散するわ。後は、貴女が頑張りなさい」
お姉様は立ち上がって、扉の方へと向かっていく。
私はその背中へと向けて、声をかける。
「お姉様、ありがと」
私に考える機会を与えてくれて、こいしの面倒を代わりに見ていてくれて。
「どういたしまして。お礼は、貴女たちの明るい姿を見せてくれればいいわ」
「ん、楽しみにしてて。……でも、妹からお礼をもらおうとするのはどうかと思う」
「私にこいしまで救う理由はないもの。何もかもを無償でやるほど私はお人好しじゃないわ」
まあ、言われてみればそうかもしれない。
そうやって、納得している間にお姉様は部屋から出ていってしまう。私は先ほどまでお姉様が座っていたところへと移動する。
こいしは相変わらず向こうの方へと顔を向けている。
と思っていたら、不意にこちらへと寝返りを打ってきた。安堵を浮かべた無防備な顔がこちらへと向く。
「……こいし、起きてるの?」
小さな声で呼びかけてみるけど、反応はない。寝たふりをしているのだろうかと思って、唇に指を当ててみるけど、むにゅむにゅと寝言のようなものが口から漏れてくるだけだ。たまたまあのタイミングでこちらに顔を向けただけのようだ。
そういえば、寝ている間もこちらの心が見えていたりするのだろうか。今まで一緒に生活している時には、どちらだと断定できるような出来事はなかった。
見えているのなら、お姉様がいなくなったタイミングでこちらを向いてきたというのは、偶然ではないと言える。
折角だから、今ここで確かめてみることにする。思い浮かべるのは、こいしとさとり、それから私が一緒にいる光景。それぞれがその手に持っているのは、さとりが作った温かいココアの入ったコップ。
三人の間に言葉はない。でも、その場にいられるというだけで、心は穏やかになってきて、それ以上は何も必要ないのだと思うことができる。
さとりと共に想い描いた幸せの一つだ。これくらいなら、この問題が解決さえすれば案単に実現できるだろう。
そんなふうに、現状を無視して都合のいい幸せを思い浮かべていると、自分の表情が緩んできているのを感じる。私はこんな光景をいつか目の当たりにできると信じている。だから、表情にもそれが出てくる。
こいしの顔を見てみると、微かに笑みを浮かべていたのが目に入ってきた。どうやら、寝ている間も心を見ることはできるようだ。どれくらいそれがこいしの夢へと影響を与えているのかはわからないけど。
私は更に想像を続ける。先ほどお姉様がこいしにしていたことを思い出して、さとりがこいしの頭を撫でる光景を作り出す。
現実世界の私をさとりに重ねて、目の前で横になっているこいしの頭を撫でる。この数日の間に常習化していたから、ぎこちなさは出てこない。
また、こいしの口が動く。何を言っているのかはやはりわからない。
でも、一層幸せそうに見えるその顔を見ていれば、悪いことは言っていないのだろう。
そんな姿を見ていると、綺麗な位置に収まるのではないだろうかと甘い考えが浮かんでくる。こんな思考をこいしにどう思われるかなぁと考えながら、甘さを堪能するのだった。
◇Koishi's side
まず気づいたのは、隣に誰かがいるということだった。眠りに落ちる直前にレミリアがいたことを思い出す。けど、何も見えなくとも、居心地のいい心から隣にいるのはフランだとわかる。
目を開けてみると、無防備な寝顔が目の前にあった。警戒心を抱いている様子はなく、穏やか様子で眠っている。
今は何も見ていないけど、何か幸せな夢でも見ていたのだろうか。
私もそういう夢を見ていた気がする。内容はさっぱり覚えていないけど、フランの寝顔が起因となって、幸せの残滓が微かに反応しているような気がする。
たぶん、フランの夢でも見ていたのだろう。今の私にとって、フランが幸せをもたらしてくれる存在なのだから。
でも、そんな私の予想に反して、もやもやと心の中に浮かぶ夢の残滓が象るのは微笑むお姉ちゃんの姿だった。
恋しくはないと思う。会いたいという気持ちもここ数日の間に封じ込めた。私にはフランだけがいればいい。
そのはずなのに、言い様のない寂しさが身体の中で荒れ狂っている。自分の身体をかき抱くようにするけど、抑えられそうにはない。だから、目の前にいるフランの小さな身体を抱き寄せ、ぎゅっと力を込める。それで、少しは落ち着いてくる。
ほら、やっぱり私にはフランがいればだいじょうぶ。私の身体で包み込むことのできるこの温かさがあればいい。それにお姉ちゃんは私の心を殺しうる存在だ。突き放す理由はあれど、わざわざ受け入れる理由はない。だというのに、しっかりと暖房された部屋に隙間風が入り込んできたときのような心細さを感じる。心が何かが足りないと訴えている。
それがなんだかわからないまま、自分の足をフランの足へと絡ませる。できるかぎり触れ合う部分が多くなるようにと。
それから、私の履く長めのスカートをたくし上げるようにして、柔らかい肌へと私の肌を触れさせる。直接触れた分だけフランが近づいたような気がして、安心感が芽生えてくる。
けど、ふとレミリアの言葉を思い出す。
あの声、あの言葉に私を責める様子はなかった。でも、私自身がフランを信じているんだろうかという疑念は私の心を凍らせる。隙間風なんて比べものにならないくらいの不安が私を取り巻く。
無意識にフランを抱く腕に、フランへと絡みつく足に力がこもる。けど、いくら外から熱を取り込もうとも、私の内は冷え切ったままだ。
「……こいし?」
その声にはっと我に返る。フランが目を覚ましたことに気がつかなかった。
でも、それに気づいたからといってフランを放しはしない。逃げられないよう私の身体で、フランを拘束する。
フランは逃げる方法を持っているにも関わらず、私に抱きしめられたまま、不思議な輝きを伴った紅い瞳でこちらを見つめてくる。まだ寝ぼけているようで、特に何かを考えているわけではない。目の前に私の顔があった。だから、声をかけた。そんな感じだ。
「おはよう、フラン。モーニングサービスはあっさりとしたキスがいい? それとも、胸焼けがしそうなくらい濃厚なキスがいい?」
「……どっちもやめて」
寝ぼけていても、返ってくるのはつれない言葉だった。
「……」
フランの頭は徐々に起きてくる。それに伴って、フランは私の表情から怯えを読み取りつつある。
私は顔を逸らす。でも、そんなことをするのは今更で、私の感情を隠蔽することはできなかった。
フランは私の不安の意味を導き出そうとしている。色んなことを考えて、私の心を推測しようとしている。
「フランが私のことを真剣に考えてくれてて嬉しい」
茶化すようにそう言う。
でも、嬉しいのは事実だ。それは、私がフランのことを信じているという証になりはしないだろうか。きっとなるはずだ。
「こいし、何を不安がってるかはわかんないけど、さとりも私もこいしを見捨てるつもりはない。だから、ゆっくりでいいから顔を上げて。そうしたら、今よりも怯えるものは減るはずだから」
私が自分自身を納得させていると、そんな不意打ちが飛んできた。
フランの言葉を支えるものは、あまりにも眩しかった。少し前まで、私の言葉に簡単に揺らいでいたのに、今は強い意志がフランを支えている。
私から離れたことで、フランは希望にまで手を伸ばすことができてしまったようだ。その希望が、フランを前へと進ませようとしている。
でも、よくよく心を覗いてみれば少し不安も残していることが窺える。それは、私にとって狙うべき点である。
「フランがやろうとしてるのは単なる欺瞞。そんな虚妄なんかで私が希望を持つと思う?」
不安を呼び起こすようにそう言う。フランの抱えているものは絶対に届きやしない夢物語なんだと切り捨てる。
「うん、そうかも。でも、幸せな未来を想うことは希望に繋がるって信じてる。私もそういうこと、経験してるから」
開き直った前向きさで、私の言葉を受け流そうとしている。でも、完璧に流すことはできなかったようで、少し揺らいでいるのが見受けられる。
何度も何度も揺さぶりをかけていれば、きっとまたお姉ちゃんのことを忘れてくれるはずだ。それで私に平穏が訪れる。
でも、フランが思い浮かべた、幸せな未来を見せられて笑みを浮かべる私の姿を見せられて、私の心もまた揺さぶられる。いつの間にか私の心に焼き付けられたお姉ちゃんの笑顔が、私の心のどこかから寂しさを引っ張り出してくる。
このままでは、再び前の状態に戻すにしても、私の方が先にフランに陥落される可能性もある。
「とりあえず、まずはこいしの口からさとりに会いたいって言葉を聞かせてもらう。そうしたら、後は一緒にがんばろう? さとりに会う覚悟ができるまで、辛抱強く付き合ってあげるから」
フランは私を敵と見なしているようだ。レミリアのように明確な敵意はない。正確には、私のひねくれた部分へと向けられたものだから当然だ。
本当、私から離れている間に色々と考えたようだ。
「ねえ、フラン。その余計なことを考える思考をめちゃくちゃにしてあげようか?」
私の平穏な安全地帯を取り戻すために。
「……変なことしたら怒るよ?」
フランの瞳に険が滲む。こうしていると、レミリアとその輝き方が似ることに気づく。さすが姉妹と言ったところだ。
「ん、冗談冗談。私はフランがいなくなったら生きられないから」
ここまで明確に嫌がられてしまえば、私は手を出すことなんてできなくなる。私の言葉に一切の偽りはないのだ。
私はフランに抱きつく腕と足に更に力を込める。これも私の意思表示だ。
「……さとりの方が抱きつき心地はいいんじゃないかな」
「そんなことない」
フランの言葉を一蹴する。
だというのに、私はいつだったかお姉ちゃんに後ろから抱きしめられたことを思い出す。
フランは私の否定的な言葉に揺さぶられ、私はフランが思い浮かべるお姉ちゃんの姿に揺さぶられていた。
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