◇Flandre's side
「おかえりなさい、フラン」
部屋に戻ってみると、ベッドの傍に置いた椅子に座るお姉様と、私の布団を抱きしめてそこに顔を埋めているこいしとがいた。一体どういう状況なのだろうか。
いや、それ以前にこいしは私以外の誰かといてだいじょうぶなのだろうか。それに、お姉様はこいしに対してあまり良い感情を抱いていなかったような気もする。
「フランっ!」
妙な状況を整理することに意識を向けていたせいで、突然起き上がったこいしへの対応が遅れた。勢いよく抱きつかれて転びかけたけど、なんとかその場に踏ん張った。私が人間だったら、体格差のせいでそのまま倒されていたと思う。
視界はこいしの身体に遮られて何も見えなくなる。ついでに、身動きもとれない。でも、私に縋りつくこいしの弱々しさを感じて、大人しく抱きつかれるままとなる。
「……こいし、お姉様に何かされた?」
代わりにそう聞いてみる。お姉様がこいしに対して嫌がらせのようなことをしたとは思いたくないけど、今の状況からは、そう思ってしまっても仕方ないと思う。
けど、こいしは特に反応をしてくれない。代わりにお姉様が答えを返してくれる。
「気に食わない部分があるのは確かだけど、こそこそと嫌がらせするくらいなら、最初からここにいる事を許さなかったわよ。フランには私がそういう事をするようなのだと映ってるのかしら?」
「え、えっと……」
確かに言われてみればそうだ。本当に気に入らないなら、最初からきっぱりと切り捨ててしまっていると思う。お姉様は大切にするべきものとそうでないものを明確に線引きしているから。
でも、
「……確かにそういうのはお姉様らしくないと思う。でも、それならなんで私の部屋にいたの?」
そういった疑いを持っても仕方のない状況が私の前にはある。
「私はここの主として挨拶をしに来たついでに、ここで時間を潰してたのよ」
「……私の話聞いてた?」
こいしに抱きつかれていなかったら、視線に抗議を込めていただろう。それくらい、お姉様の行動に対して不満が募っている。
こいしは他人の心を見ることを怖がっている。だから、あまり近づかないようにしてあげて欲しいと伝えたはずだ。
「聞いてたわよ? でも、顔見せくらいはしておくべきだとは思うわ。それに、私は何度か貴女が追いつめられてるのを見てるから、見て見ぬ振りって言うのも難しいし」
それは、お姉様が私を大切に思ってくれているということだ。けど、だからといって喜んでいられるほど、私は単純ではない。
「だからって、こいしに対して嫌がらせみたいなのをするのは許せない」
「許せない、ね。まあ、貴女の気持ちも理解できなくはないけど」
お姉様は飄々とした態度のままだ。自分のしたことを省みるつもりはないようだ。じわじわと怒りが沸いてくる。
「ああ、そういえば、こいしと話していて気付いた事があるんだけど、こいしは貴女の心だけが覗けるらしいわよ」
けど、不意に突きつけられる事実に、不満も怒りもどこかへ行ってしまう。代わりに出てくるのは驚きと疑問だ。
「そうなの?」
こいしを見上げるようにしながらそう聞いてみると、頷いた。
それなら、さとりに会いに行けるのではないだろうかと思う。けど、私の考えには同意できないようで、腕に力が込められる。
まあ、今はまだ私の心しか見えないということかもしれないし、さとりもこいしに近いから、そちらの心も見えてしまう可能性は十分に有り得る。
なんにせよ、こいしがさとりに会えるようにしなければいけないことに変わりはないようだ。
「さてと、私はそろそろ退散するわ。フラン、一緒に沈まないよう気をつけなさい」
「え?」
私はお姉様の言葉の意味がわからず、疑問の声を上げる。けど、お姉様は立ち止まらなかったようで、背後から階段を上がっていく音が聞こえてくるだけだ。無視されてしまった。
なんだか、お姉様なりに気がついていることがあって行動しているような気がする。私が考えている以上に深い部分で。
ただわかるのは、私のために動いてくれているということ。あと、案外こいしのことを見ているということ。
少し短気になりすぎていたかもしれない。いやでも、近づかないでと言っておいたはずなのに、それを無視するのはどうなのだろうか。
「こいし、ちょっと苦しい」
徐々にこいしの腕に力が込められてきている。それによって、考え事をしている余裕がなくなる程度には息苦しさを感じてくる。
今のところこいしが頼れるのは私くらいしかいないみたいだから、多少依存されるということは予想していた。だから、抱きつかれ続けられるということ自体に文句はない。
ただ、体格差を少しは考慮して欲しい。快適な呼吸のために押しやるというのも気が引けるし。
「……じゃあ、後ろから抱きしめて良い?」
「羽が邪魔になりそうだけど、だいじょうぶ?」
「ん、気にしない」
そう言って、こいしはいったん私を放す。そして、すぐさま背後へと回と、覆い被さるような形で抱きついてくる。胸の辺りに回された腕は絶対に私を放したくないと訴えるように力が込められている。
もしかすると、私がいない間に不安に押し潰されそうになっていたのかもしれない。頼れるのが一人きりだと、その人が離れていくときに強烈な不安に襲われるものだから。
私の場合は、自分自身が消えてしまうことも同時に願っていたから、ここまでお姉様に縋るようなことはなかった。だから、そういう部分では安心してもいいのかもしれない。もし、私と同じようなことを考えることがあれば、本当にどこかに消えてしまいそうだ。
こいしが消えてしまうことに引き替えれば、私が身動きを取れないのはどうということもなかった。
◇Koishi's side
私の目が微かに開き、フランの傍で過ごせることが決まってからの毎日は、思っていたよりも穏やかなものだった。
私は煙たがられても仕方がないくらいにフランに付き纏っていたけど、鬱陶しいといった感情を抱かれるようなことはなかった。
ただ、入浴時とか就寝時とか、無防備な姿を曝さざるを得ないようなときまでも私が傍にいることには抵抗があるようだった。でも、それも私が大人しくしていれば、ある程度慣れてくれた。私だって、自ら安全地帯を壊してしまうほど愚かではない。目がしっかりと閉じていた頃なら、好機とばかりに何かしでかしていたかもしれないけど。
ここ数日の間に、フランの隣は完全に私の居場所となっていた。しかも、私以外に納まるのは誰もいない私専用の場所だ。フランにとって、レミリアは向かい合っている存在だというのが、良かったのかもしれない。
四六時中、私はフランの横に並んで、その手を握って、寄りかかる。そうでもしていないと、自分の力では歩けないと錯覚するくらいに、フランに依存している。
私はそれをどうにかしようとは思わない。そもそもどうにかすべき事案であるとも思っていない。
でも、フランにとっては違う。いつも思考のどこかではお姉ちゃんのことを思い描いていて、なんとか私をお姉ちゃんに会わせようと考えている。フランの方から何か具体的なことを言ってくることもしてくることもない。私も見て見ぬ振りをして、自分から触れようとはしない。
……お姉ちゃんのことが気にならないわけではない。心が読めないのだと確信すれば、会いに行っていると思う。でも、懸念を払拭することはできず、恐怖の方が勝っている。だから、私はお姉ちゃんのことから目をそらしてフランの隣にいる。
逃げていると言うのなら、まさにそうだと頷く。自分自身を守ることの何が悪いというのだろうか。自ら破滅に向かっていく方が、よっぽど愚かだと思う。
お姉ちゃんは言っている。私が幸せならそれで十分だと。そのためなら、フランに忘れられてもいいのだと。
私が言うのはどうかとも思うけど、私もそう思う。フランは、きっぱりお姉ちゃんのことを忘れてしまえばいいと思う。
私がお姉ちゃんに会いに行ったところで、用意されているのはバッドエンドだ。私の心は壊れて、私の物語は終わる。後は、フランとお姉ちゃんが後悔を抱えて紡いでいくことだろう。
それくらいなら、このままを維持する方がずっとまし。お姉ちゃんだってそれで納得するはずだ。
フランのいない頃の私なら、この心が壊れてしまおうとも、どうでもいいと思っていた。でも、今の私はそんなふうになるのは絶対にいやだと思う。
だって、フランを認識できなくなってしまうのがいやだから。
覚りではなく、聖人君子でもなく、かといって心が壊れているわけでもない。ただ、ちょっと不具合を抱えただけの普通の精神にも関わらず、私を受け入れてくれている。ただ、姉妹で同種族だからというだけで理解していたお姉ちゃんとは、全く違った居心地の良さを与えてくれる。
だから、私はフランとお姉ちゃんとで迷わずフランを選んだ。そもそも、フランに出会うことがなければ私の目は開いていなかったはずだ。
私のそんな選択のために努力をする。
フランは、なんとか打開策がないかと頭を悩ませる。けど、私はフランへと甘えてそれを邪魔する。
深い思考を奪われ、更に諦めきったお姉ちゃんの言動を思い返す度にフランの心からお姉ちゃんは薄れていく。少しずつお姉ちゃんのことを考えないようになってくる。
そうしていつしか、フランはお姉ちゃんのことを考えるのをやめた。私がやめさせた。
なぜ私がここにいるのか疑問を浮かべて思い出しそうになるときがあるけど、そのときは私がその思考を邪魔した。
こうしてフランの傍は私にとって理想の居場所となる。
お姉ちゃんのことが引っかかるけど、私もそのうちこの幸せの中に埋没させていくことだろう。
……けど、そう簡単に思い通りに事が運ぶなんてことはありえないのだ。世界は誰かの都合良く作られてはいないのだから。
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