◇Flandre's side


 こいしが部屋から出て行ってしばらくしてから、私はようやく動き出すことができた。紅茶からは湯気が立ち上らなくなっている。

「……咲夜、ちょっといい?」

 いまだに混乱したままの思考を落ち着けるように一度深呼吸した後、咲夜を呼ぶ。本当は何が起こったのかをしっかりと考えたいところだけど、それ以上にこいしを放っておくことはできなかった。なんだか、いやな予感がするのだ。胸の奥がざわついている。

「はい。こいしなら、館から飛び出して行ってしまいましたよ」
「そっ、か。ありがと」

 用件を伝える前に答えてくれた。異常事態を目の前にして、焦っているときにその察しの良さはとてもありがたい。
 でも、状況は芳しくない。思っていた以上の間、私は動きを止めてしまっていたようだ。こいしが館の中にいるなら、館内の空間を把握している咲夜の力を借りることによってすぐに見つけられる。でも、そうでなければ見つけるのは困難だ。衝動的に逃げているだけなら、なんとかなるかもしれないけど、見つけられないつもりで逃げているのなら、こちらから見つける手段はない。

「どうするつもりですか?」

 思考の坩堝を覗いていた意識が咲夜の声に引き戻される。
 見つけられないかもしれないというのがなんだというのだろうか。見つけるしかないのだ。いくらここで考えていたって、事態は好転しないのだから。

「咲夜、こいしを探してくるから、お姉様に私が外に行くこと伝えといて」

 どうするかを決めたから立ち上がる。友達として、こいしの傍にいてあげるべきだ。今のこいしに、私のそんな考えがどう響くかは未知数だけど。

「わかりました。ですが、一つだけ言わせてください」
「……何?」

 咲夜が姿を消したらすぐにでも飛び出そうと思っていた私は、出鼻をくじかれる形となる。

「外に出るときはハンカチくらいは持っておいた方が良いですよ」

 咲夜はそう言いながら、レースの付いた薄紅色のハンカチをこちらに差し出してきた。何か重要なことを言われるのだろうかと思っていた私は、拍子抜けをする
 それでも、ハンカチを受け取り、少し考えた後にポケットへとおさめる。ほとんど外に出ないから、こういったものを持つ習慣がないのだ。
 とはいえ、場違いであるというのはやはり否めない。

「では、いってらっしゃいませ、フランドールお嬢様。健闘を祈っていますわ」
「うん、いってきます」

 いつもよりも大仰な見送られ方だったけど、だからこそがんばろうという気持ちも湧いてきた。





 当て所もなくこいしを探して飛び寒空の下を飛ぶ。本当は全力に近い速度で飛びたいところだけど、日傘を支えるためにある程度速度を落とさなくてはいけない。それでも、私の下にある物体は、その全てが一瞬で流れていっている。
 私は真っ直ぐ飛ばず、かといってでたらめな軌道を描くようなこともせず、館を中心として渦を描くようにしてこいしを探している。一切の目星がつかないときの探し方がわからないのと、探さなかった場所に不安を残すくらいなら、最初から虱潰しにしてしまおうと思ってのことだ。
 効率は悪いような気がするけど、見当違いな場所を探して見つけられないよりはましだ、……と思う。まあ、どんな探し方をしたところで確実に見つけられるわけではないし、不安を拭い去ることもできないだろう。

 私よりも低い位置をのんびりとした速度で飛んでいた妖精が、驚いたようにこちらを見上げる。普通ならここでこいしの姿を見たかどうかを聞いてみれば効率がいいんだろうけど、妖精相手だと無駄足になる確率の方が高いような気がする。館の妖精メイドたちと関わった経験からそう思う。
 それに、こいしが力を使っていたとすればよほど特殊な力を持っていない限り、こいしを見つけることは不可能だ。
 それらの理由から、妖精の存在はすぐに意識から外して、周囲に視線と意識とを向けてこいしを探す。常に気配を消されていたら、私も見つけられないけど、今は気にしてもしょうがない。

 こいしを見つけたらどうするかというのは、全く考えていない。というよりも、どうしようもない気がする。
 一瞬だけ見えたこいしの第三の目。そこは、ほんの少しだけだけど、開いているように見えた。だからたぶん、こいしが逃げるように部屋から出て行ったのは、私の心が見えてしまったせいなんだと思う。
 私が考えていた内容の悪意のあるなしは関係ない。ただ、心が見えたという事実がこいしに逃走の衝動を与えた。こいしの境遇を考慮するとそう考えるのが妥当だろう。私だって、もし仮に自分の忌避する力が鳴りを潜めていたのに、不意に姿を現したとなれば逃げ出したくなる。
 私がこいしにとって聞きたくないことを考えていたとは思えない。……そう思いたくないだけかもしれないけど。

 とにもかくにも、今ここでどうするかを考えても、全て筒抜けとなってしまうのだからあまり意味はないだろう。なるようにしかならない、ということだ。
 それでも、逃げられたらどうしようかと考えずにはいられない。

 と、踏み固められただけの道の外れに、黄色いリボンの揺れる見慣れた黒帽子を見つける。考え事に集中していたせいで、危うくそのまま通り過ぎかけた私は慌てて止まり、そちらの方に向けて飛ぶ。

 こいしがこちらを見上げようとする気配はない。自分の殻の中にこもって、外を気にかけないようにしようとしているように見える。
 声をかけるということに多少の躊躇を覚える。だからといって、放っておくという選択肢はありえない。

「こいし」

 こいしの進行方向に降り立って名前を呼ぶ。
 最初は目のことを聞いてみようか、何気ない話から始めようか、それともこいしから何かを言ってくれるまで待ってみようかと色々と考えていた。でも、頬を濡らしたこいしを見て、そんな考えはどこかに吹き飛んでしまう。

「こいしっ!?」

 勢いだけでこいしとの距離を一気に詰める。でも、泣いている相手に対してどう接するべきかわからなくて、それから先はわたわたとしていることしかできない。そもそも、こいしが涙を見せるようなことがあることさえも意外だった。
 一応日傘のことを覚えていて、こいしに当たらないようにと考えることができていたのは、幸いと言ってもいいかもしれない。

「……酷いねぇ、フランは」

 呆れた、そして疲れ切ったような色の滲む声。私はその声を聞いて、はっとしたように冷静さを取り戻す。ここで私が取り乱していてはいけない。
 なんとか落ち着いた思考を回して、次の行動を決める。こいしの顔を見ればそれは自ずと決まった。
 私はポケットから咲夜に渡された薄紅色のハンカチを取り出して、こいしの濡れた頬を拭く。こいしは身動きせずにされるがままとなっている。いつもよりも大人しいその様子が、なんだか私を不安にさせる。

「追いかけてくるとは思わなかった」
「あんな露骨に逃げるように出て行かれたら気になるし、その直前にこいしの第三の目が開いてるようにも見えたし」

 頬を拭き終えた私は、ハンカチをポケットに入れ直しながら、視線を下げる。こいしの胸の辺りへと向かう。
 そこには、二本の管が延びる目がある。いつもは閉ざされていて、その瞳を見ることはできない。でも、今はほんの少し開かれた瞼の間から、藍色の瞳が見える。

「……やっぱり、見えてるの? 私の心」

 それを聞くことには少し抵抗があった。こいしの心の傷に触れてしまうことが怖かった。でも、心を読めてしまっているのなら、そんな心遣いはなんの意味も持たなくなってしまう。思考が全てそのままこいしに向かって行ってしまっているのだから。

「さすが、私が惚れただけあるねぇ。私が心を読めるって知ったときの恐怖はいくらでも見たことあるけど、そういう形は初めて」

 こいしは嬉しそうな笑みを浮かべる。でも、普段に比べるとずっと静かな様子で、見ていると明確な理由があるわけでもないのに不安が浮かんでくる。
 だからか、気が付くとこいしの手を握っていた。日傘がなければ両方の手を使って、距離も更に詰めていたかもしれない。
 なんだか、ふとした瞬間に消えてしまいそうな気がしたのだ。それは言い過ぎだとしても、このまま背を向けられたら止められないような気がしたし、そのまま別れたら二度と会えなくなってしまうような気もしている。

「……私ってそんなに逃げてばっかりに見える?」
「……自覚なかったの?」

 いつもいつも逃げているという印象はないけど、心の傷に触れそうに、触れられそうになったら逃げている。それは仕方のないことなのかもしれないけど、そうして私までも避けられてしまうのはいやだった。
 押しつけがましいわがまま、なんだろうけど。

「そういえば、そうだったけ」

 静かな声。本当に私はこいしの手を握っていられているのだろうかと不安になって、少し力を込める。でも、力を込めすぎれば、それはそれで壊れてしまいそうで怖い。
 私はどうしてあげればいいのだろうか。それとも、何もしないのがいいのだろうか。何もわからず、立ち竦んでいることしかできない。

「ふふ、嬉しいね。そんなに力を込めて握ってくれるなんて」
「……まあ、これ以上逃げられて探すのも面倒くさいからね」

 こいしの軽い調子の口調に、私は少し考えてからできるだけいつもの調子で返す。そうすることを望まれている気がしたのだ。
 まあ、こいしに気になるところがあるとはいえ、いつまでも深刻な様子でいるというわけにもいかないだろう。ただ、不意に心を見る力が戻ってきたことに戸惑っているだけかもしれない。だとすれば、私はいつも通りになって、こいしが安心できるようにすればいいのだろう。

「とりあえず、私の部屋に戻ろう? せっかく咲夜が紅茶を淹れてくれたのに一口も飲まないのはもったいない」
「いや、今度は私が淹れてあげようかな。そうすれば、あんなひねくれた回答を聞かなくてすむだろうし」
「私は正直な感想を言うってことは念頭に置いといてね」
「だいじょうぶ、愛は絶対に勝つから」
「……何に?」
「私が今まで紅茶を淹れたことのない現実とか、フランの意外に肥えてる舌とか」
「……まあ、がんばって。というか、早く戻ろう?」
「乗ってくれたのはフランだけどね」
「いやまあ、それは気にしないで」

 このまま立ち止まっていたら、延々と無駄話を続けてしまいそうな気がするからこいしの手を引く。無駄話自体は別にいいんだけど、わざわざこんなところでしなくてもいいだろう。せっかくなら、紅茶とお菓子を挟んで力の抜けるところでしたい。

 気がつけば、私の思考はだいぶ落ち着いている。
 こうしていると、なんとかなるのではないだろうかと思えてくる。

 傷を抱えた本人ではないから、こうして暢気に考えられるのかもしれない。でも、心を許した相手の傍でなら、こいしも気を抜いていられるようになってほしい。例えば、さとりとか私とか。

 こいしのものとは性質が違うけど、同じように傷を抱える者としてそう思うのだった。


◇Koishi's side


 フランにエスコートされ、フランの部屋へと戻ってくる。そういうことをしたことがないからだろうけど、上手だったとは言い難い。でも、最大限に私のことを気にかけ、気遣ってくれているというのはしっかりと見て取れたし、目が閉じた状態でも伝わってきていたと思う。

「こいし、離してくれないと席に座れないんだけど」
「せっかくこうしてフランの手を握れたのに離すと思う?」
「紅茶を淹れるとか言ってた気がするんだけど」
「いざフランの手を放す段階になったら惜しくなっちゃった。どうせ、そう簡単には褒めてくれないだろうし」

 フランが私を椅子に座らせようとしたところで、私はいつもの調子を振る舞ってそんなことを言う。少しでも嫌がる気持ちを持っていたなら、フランの手を離して逃げていたかもしれない。でも、フランは困ったような表情を浮かべ、心の中では思案をするだけで、私が見たくないような感情は一切感じられない。
 フランは少し考え込んだ後、このまま私の手を繋ぐということを決めてくれた。正直な話、今の状態で触れることができるのが心だけというのはあまりにも心細すぎる。何かの拍子に、全く別の誰かの心が割り込んできてしまいそうな気がして。
 フランはそこまで考えていたというわけではない。ただ、私の不安がる様子を汲み取って、行動をしたというだけだ。でも、弱い感情を表に曝け出す方法を忘れてしまった私にとっては、それだけでも嬉しいことだった。

 フランは私のそんな喜びには気づいた様子もなく、魔法で自らの分身を作り出すと、向かい側に置かれていた椅子を運ばせている。頭に並んでいるのはその魔法を使うのに必要な知識やらなんだろうけど、私にはさっぱり理解ができない。この辺りから、フランが世間知らずなだけのお嬢様ではないということが窺える。
 人知れず複雑な処理を経て作り出されていた分身は、フランが私を座らせようとしていた椅子の横に椅子を下ろすと、あっさりと消えてしまう。今までそんなことを思うことはなかったけど、生み出されるまでの過程の一端を垣間見たからか、もったいないと思ってしまう。

「こいし? どうかした?」
「フランって思ってた以上に天才なんだなぁって」

 フランは何を褒められているのかわからなくて、不思議そうな表情を浮かべて首を傾げる。生活の中に魔法を自然と溶け込ませているから、全くの意識外にあるようである。

「だって、いつもは平然とやってるから全然わからなかったけど、魔法を使ってる時って一瞬であんな複雑なこと考えてたんだなぁと」
「ある程度の魔法を使うなら普通だと思うけど。それに、私のやってることなんて魔法使いの真似事みたいなものだし」
「ふーん。私からしてみればすごそうだけど、そんなものなんだ?」

 まあ、私は魔法に関する知識なんて一切持ち合わせていないから、フランがそう言うのなら納得するしかできない。専門家の知識は、初歩の時点から理解不能なものが多い。

「うん、そんなもの」

 フランは私の言葉に頷きながら、分身に運ばせた椅子へと腰を下ろす。私もその隣の椅子に座る。中心ではなく、フランの方へと身体を寄せるように。
 私にしては素直すぎる甘え方に、フランは別段何かを言ってくるということはない。私の心情を汲み取って、こうしていることを許してくれる。

「……普段から、これくらい優しくしてくれればいいのに」
「私としても、普段からこれくらい大人しいなら、なんとか応えられるんだけどね。それに、今は普段とは求めてるものが全然違うだろうし」

 そう言って、フランが浮かべるのは穏やかな笑み。その裏側に見えるのはフランの過去の記憶。傷混じりの、でも優しい記憶。
 そこら中に何かの残骸が転がった部屋の中で、フランの姉であるレミリアがこちら――過去のフランの頭を撫でている。その表情は周囲の惨劇には似つかわしくないほどに優しくて、絶対的な安心感を与えてくれる。
 フランは自分自身をそんなレミリアと重ねて、私には過去のフラン自身を重ねている。本人はただ拙い真似事をしているだけだと思っている。でも、その笑みは紛れもなく本物だったし、私も過去のフランと同一の感情が自身の中からわき出てきているのを感じる。

「……こいし?」
「フランの浮かべる微笑みが綺麗だなぁって。別に、頭撫でてくれてもいいよ?」
「いや、それはこいしの願望なんじゃあ……。まあ、いいけど」

 私の褒め言葉やら願望がだだ漏れな言葉やらを聞いて、フランは呆れる。でも、私の願望は叶えてくれるようだ。
 空いている方の手をこちらに伸ばして帽子を取る。その帽子を私の腿の上に乗せると、頭を撫で始めてくれる。
 どこか覚束ない手つきなのは、こうすることが初めてなのと、私との身長差のせいで腕を伸ばす必要があるから。それでも、精一杯の優しさが込められていて、心の奥底から安心が出てくる。

 できることなら、このままフランに身を任せてしまいたい。
 心が読めることに気づいたそのときこそは、フランが心のどこかで私を拒絶しているんじゃないかと怯えて逃げ出した。でも、実際はどうだろうか。フランに私を忌避する様子はない。それどころか、心の広い領域を私のために取ってくれている。レミリアに対するそれと比べたら極々小さな割合ではあるけど、心が読めていたときには拒絶ばかりされていたから、それでも十二分に広い。だから――

「ねえ、フラン。私をフランのペットにして」
「え……?」

 私の言葉を聞いたフランが動きをぴたりと止める。思考も止まってしまっているから、私の言葉をどう受け止めたのかもわからない。驚いているというのは、心が読めなくともわかることだ。

「えっと……、どういう意味?」

 フランの思考がゆっくりと動き始める。その大半は疑問で埋まっていて、不理解を示している。

「ペットって呼ぶのに抵抗があるなら従者でもいいし、愛人でも配偶者でもなんだっていい。肩書きには拘らないから、とにかく私をいつでもいつまでもフランの傍にいさせて。私にとって、安全なのはフランの傍だけだから」

 私はそうまくし立てる。拠り所がフランの傍以外にないのだから、必死になってしまうのも仕方がない。
 これで拒絶されてしまえば、私の場所はこの世界から消えてしまう。

「……さとりじゃだめなの?」
「私はフランがいい」

 今の私にお姉ちゃんの心が見えてしまうのかはわからない。でも、もし見えてしまうのなら、向こうからもこちらの心は見えることだろう。それだけなら、私の弱気が客観的に見えてしまうだけだからまだいい。けど、少しでも昔のことを思い出してしまえば、お互いがお互いの記憶を掘り起こし、鮮明に鮮烈な過去が私に襲いかかるだろう。そのときに、私は私を保っていられる自信はない。今度こそ、私の心は過去によって壊されてしまうだろう。
 そんな可能性があるのなら、お姉ちゃんのことは切り捨ててしまって、私を受け入れてくれるフランに完全に依存してしまった方がいい。それで、私に平穏は訪れる。
 でも、姉という存在を絶対的に信奉しているフランとしては、私にはお姉ちゃんに頼ってほしいようだ。私にとってはフランこそがそうすべき対象であるのに。

「どうしても、ダメ?」

 私らしくないことは百も承知で、甘えるような声を出す。私にはあなたが必要なのだと、私にはあなたしかいないのだと、言外に込める。
 私の目が最初に見たのがフランの心だというのは、きっとそういうことなんだろう。

 フランは私の言葉を聞いて考え込んでいる。でも、そうやって悩んでいるのは、他の要素があるからで、もし私とフランだけの世界であったなら、二つ返事で頷いてくれていたはずだ。
 もう少し押せば私の望んだ結果へと傾く。でも、今のように私がしおらしい姿を見せているだけでも、フランには効果的なようだ。だから、フランが答えを出すまで待ってみることにする。

「……みんなが許可してくれたら、いいよ」

 みんな、というのには紅魔館の人たちだけでなく、お姉ちゃんも含まれていた。いや、一番気にしているのはお姉ちゃんのことだ。やはりフランとしては、そこが一番引っかかるようだ。
 それに、いつかこうした状況が終わるものだと思っている。確かにこの先どうなるかなんてわからないけど、少なくとも私は変えるつもりはない。
 お姉ちゃんに会うことに対する恐怖が拭い去れることはないだろう。会いたいという感情がないわけではない。ただ、恐怖がそれを凌駕しているというだけ。

「今までお姉ちゃんと会わないことなんていくらでもあったんだから、伝えなくていいよ」
「……そんなにさとりと会いたくないの?」

 寂しそうな顔、寂しそうな声でそう言う。フランは私と一緒にお姉ちゃんに会いに行くつもりみたいだけど、生憎私にそうしようという気持ちはない。お姉ちゃんに顔を合わせること自体が私の破滅へと繋がる可能性もあるのだから。それに、今はだいじょうぶだとしても、もしかしたら移動の途中に赤の他人の心が見えてしまうようなことがあるかもしれない。
 そうした可能性たちが、私にお姉ちゃんに会いたくない、外に出たくないと思わせる。

「他の人たちに会うのが怖いから」

 嘘は言っていない。すべてを口にしていないというだけで。フランがどんな反応をするのかわからなくて、つい半分伏せてしまった。
 更には、言葉足らずのせいでフランは勘違いをしている。訂正する必要は感じないから、こちらは放っておく。

「……」

 それでも、私の反応に引っかかりを覚えている。人付き合いはほとんどないはずなのに、他人の反応に敏感な所があるのだ。
 フランは私の真意を見抜こうとして、紅い瞳で顔を覗き込んでくる。その無防備な距離に唇を奪ってみようかと考えるけど、もし嫌われたらと思うと何もできなかった。そして、いつものように軽口を口にすることもできない。見えすぎるがゆえに、私は一層臆病になってしまっている。

「……わかった。さとりには私が伝えておくから、いつか絶対会いに行ってあげて」

 何かあるというのを感じ取って引き下がってくれる。せめていつかは私の怖がるものを教えてあげないといけない。いや、もしかすると私の怖がるものに気づいたお姉ちゃんが、フランに教えてあげるかもしれない。同じ覚りだからこそ、気づけるものだろうし。

「ん」

 適当に返事をすると、フランはすぐにその適当さに気がついた。けど、特に咎めるようなことはなく、同時に浮かんでいるのは心配だった。
 自分がすごくダメになっているような気がした。


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