コンクリートでできた壁のような塀のようなものに腰掛けて、お姉様にあげる貝殻を探していたときにみつけた貝殻を眺める。桜の花びらのような薄桃色の貝殻を。
 こいしに貰ったものに比べるとずいぶんと小さいけど、色はとても綺麗だ。いくつか並べると見栄えもよくなるかもしれないけど、これ一つだと少し寂しい感じだ。
 いくつかあったらお姉様にあげるようになっていたかもしれないけど、生憎これだけしか見つからなかったから自分用のお土産にするつもりだ。
 お姉様にあげるものはちゃんと別に用意してある。それは、絶対に割れてしまわないように厳重に魔法空間に納めている。今まで勝手に中身が出てきたようなことはないから特別警戒する必要もないのかもしれないけど、心情的にどうしても身構えてしまう。

 ちなみに、こいしは巻き貝を中心に集めていた。こいしはあの少し変わった独特な形が気に入ったようだ。
 今も靴を履きなおした足尾ぶらぶらとさせながら、拾った貝殻を脇に並べて一個一個眺めている。

 かしゃり。

「フランはその貝が気に入ったみたいね」
「うん」

 未花の方へと向いてみると、カメラをこちらに向けていた。私たちが貝を集めている間、ずっと私たちのことを写真に撮っていたからわざとらしいシャッターの音にも慣れてしまった。
 私たちが物に思い出を込めている間、未花は写真に思い出を込めていたのだ。でも、そこに未花は写っていないはずだ。

「ねえ、未花は自分の写真を一枚も撮ってないけどいいの?」
「別に自分が写ってる写真がほしいとは思わないから。ああ、でも、一枚くらい三人が写ってるのがほしいわね。今から撮ってもいい?」
「うん、いいよ」

 私たちの思い出作りに付き合って貰ったのだから、断る理由なんてない。

「こいしも、いい?」
「大丈夫」
「よしっ、じゃあ寄って寄って」

 そう言って、未花が顔を寄せてきた。こいしも遠慮なく顔を寄せてきて、私は二人から挟まれる形になってしまう。いつの間にかこの三人でいるときの私の定位置は、二人に挟まれる位置となってしまったようだ。
 まあ、別にいいんだけど。

 そんな状態で未花がカメラを持った手を前に伸ばす。レンズがこちらへと向いている。

 かしゃり。

 何の前触れもなくシャッターが切られた。こういうときは何か合図をするって聞いたことがある気がする。でも、そういうことをされると私の場合、変に身構えてしまうかもしれないから、これで正解だったのかもしれない。

「どうかしら?」

 そして、未花は手を引き戻して、先ほど撮った写真を見せてくれる。

 少し傾いているけど、そこには三人がしっかりと写っていた。未花は笑みを浮かべていて、こいしも気兼ねない様子で笑顔を浮かべている。そして、二人に挟まれた私は困ったような表情を浮かべながらも、口元が微かに緩めている。
 あのとき、あの時間を楽しんでいた。それが、如実に伝わってくる写真だ。集合写真としてはかなり出来がいいのかもしれない。今までそんなものを撮ったことがないから、本当に直感だけの感想だ。でも、だからこそ正しいとも言えるかもしれない。

「うん、いいと思うよ」
「だね」

 こいしも、文句はないようだ。

「そう、よかったわ。本当は二人にも写真をあげれたらいいんだけど、印刷できる場所がないのよね」

 残念そうに言う。写真は複製しやすいから、思い出を共有するのに最適なものなんだろう。同じ物を持っているというのは、それだけで共感を得られるだろうし。
 でも、本当に印象深い事柄なら無理してそういうものを作る必要もないと思う。

「なら、その分だけ覚えておくよ。今日のことは絶対に忘れないから」
「……まあ、そうね。さすがに、今日あったことは簡単に忘れられないでしょうし」

 そう言いながら、思い出の詰まったカメラを片付ける。この雰囲気はそろそろ帰るのかなと思っていると、

「ねえ、一つだけお願いしたいことがあるんだけど、いい?」
「未花が無茶なことを言ってくるとは思わないけど、内容によるかな」

 帰る前にまだ一つイベントがありそうだ。提供者はこいしか私か、それとも二人ともか。
 何にせよ、安請け合いはできない。内容を聞いてから、やっぱりできないと言って落胆させるのはいやだし。

「まあ、そうよね。……空を飛んでみたいのよ。フランもこいしも飛べるのよね? だったら、私を抱えたりして飛べたりしないかな、って」
「うーん、どうだろう。日傘を支えないといけないし、周りに人がいないけど飛んだらさすがに目立つだろうし」

 特に日傘に関しては死活問題だ。飛んでる姿を見られたところで死にはしないけど、陽に当たることはそうとは言えない。少しの間ならだいじょうぶだけど、長時間当たることはできない。

「なら、私が後ろから抱きついて傘も持つよ。そしたら、まず気づかれないし、フランも陽から守られる」
「この前、私の傘を持ったときふらついてたけど、だいじょうぶ?」

 私の日傘は大きさがある分、重くなっている。私には吸血鬼の身体能力があるからなんともないけど、人間と同じくらいの力しかないこいしでは満足に支えられなかったようだった。

「そういえば、フランの傘ってものすごく重かったよね。フランが平然と持ってるせいですぐに忘れるけど」
「まあ、そこは実際に体勢を取りながら考えればいいんじゃない? 適当にやってれば最適な体勢が見つかるかもしれないし」

 かなり楽観的だけど、あんまり悲観的になっても仕方ないか。だめだとわかればそこで諦めればいいわけだし。
 ……よくよく考えてみれば、こいしが未花を抱えて飛べばいいんじゃないだろうか。でも、私の傘を持ってふらついていたことを考えると、未花を抱えて飛ぶことができないのかもしれない。
 まあ、今更誰かが一人だけ残るというのもなんだし、考えても仕方ないか。

「というわけで、ちゃっちゃと考えちゃおう。フラン、これ預かっといてくれる?」
「うん」

 こいしから貝殻を受け取って、私がさっきまで眺めていた貝殻と一緒に魔法空間へと納める。普段は日傘を出し入れするくらいしかしないけど、今日はいろいろな物を納めている。それだけ、外の世界へと出るというのは特別なことなんだろう。

「とりあえず、私が未花を後ろから抱きかかえるっていう形でいいかな?」
「で、その後ろから私がフランに抱きつけばいいんだね」

 これが基本の形になりそうだ。空を飛んでいると一番実感できそうなのは、景色がちゃんと見えているときだろうし、そうなればこいしは後ろから支えるしかなくなる。

「じゃあ、フラン。傘貸して」
「うん、はい」
「と、と」

 渡した途端に、こいしがバランスを崩しそうになる。でも、何とか支えることはできたようで、倒れることも私に陽が当たるようなこともなかった。

「前に持ったときと同じで、重い……。でも、フランのために全力で頑張るから」
「……あんまり無理しないでね」
「命尽き果てようとも、絶対にフランを陽から守ってみせるから」
「そうなる前にちゃんと言ってよ?」

 大げさだなぁ、と心の中で突っ込みを入れつつそう返す。こいしは言い回しが大仰になることが多いから慣れてしまった。

「わかってるわかってる。私が無理して一番危険なのはフランだもんね」

 そうやって大回りして、ようやく話が一個前に進むのだった。
 無駄な会話で時間を費やすのは嫌いではないけど、いつ話がまとまるかなとそんなことを考えていた。




 あれこれと思索を繰り返して、ようやく準備が整った。
 基本的な形は事前に考えていたとおりで、私が未花の脇から腕を通して抱きかかえて、こいしが後ろから抱きついてきている。
 日傘はこいし一人では支えきれなかったから、未花にも支えてもらうことにした。
 こいしが腕を突き出すようにしていて、柄の部分が未花の前で袈裟掛けになっている。その柄を未花が両手で持って支えている。少し窮屈そうだけど、問題ないとのことだ。

「じゃあ、未花、今から飛ぶけど、いい?」
「うん、大丈夫よ」

 私とこいしはすでに浮き上がっている状態だ。そうしないと、一番身長が一番低いのに真ん中にいる私は押しつぶされてしまう。それに、こいしが傘を支えるために結構力を入れている。
 で、私が浮かんでいると、今度はこいしが前を見れなくなってしまうから、こいしも浮かんでいるということだ。

 かなり目立ってしまうような状態だけど、周りには誰もいないし、こいしも力を使って私たちに気づかれないようにしてくれているだろう。

「じゃあ、行くよ」

 まずは、未花の足が地面から離れる程度に浮かび上がる。日傘を支えるまでが大変だったというだけで、人一人を持ち上げるくらいは簡単だ。たぶん、こいしが自力で飛んでいなくても何とかなると思う。

「お、おお?」

 浮かび上がる感覚に驚いたのか、未花がそんな声を上げる。でも、こんな高さで止まっても仕方ないから、構わず高度を上げていく。
 初めて空を飛ぶという未花のために、いつもよりも速度は抑える。少しずつ、海の見える面積が増えてくる。
 何度見ても、陽の光を反射してきらきらと光っている海は綺麗だと思う。でも、見惚れてしまわないように気を引き締める。腕の力が抜けてしまって未花を落としたらいけない。

 正面を見つめて空の割合が多くなってきたところで上昇をやめる。これくらい上がってくれば十分だろう。そう思い後ろ、町のある方へと振り向いてみる。

「わ……」

 今度は、私の口から感嘆の声が漏れてきた。

 数え切れないほどにたくさんの建物。縦横無尽に引かれた真っ黒なアスファルトの道。
 背後に広がっている海と比べると、少しばかりこじんまりとしているように見える。でも、この目に映っている光景が人の手によって作られているのだと思うと、すごいと思う。

「フ、フラン! 手の力が緩んできてるわよっ!」
「あ、わ、ご、ごめんなさいっ」

 未花の慌てたような声に我に返る。そして、取り返しのつかないことになる前に、手と腕とに力を込め直す。

「はぁ……。フランは身を預けるにはちょっと危なっかしいわね。信用はできるんだけど」

 安堵の溜め息とともにそんなことを言われてしまった。

「本当にごめんなさい」
「まあ、これはこれでスリルがあって面白いからいいけどね」

 未花の声は少し弾んでいた。本当にこの状況を楽しんでいるということなんだろう。怖いことが嫌いな私にはあまり理解できない感性だ。

「それにしても、二人は自分でこういう光景が見られるのね。羨ましいわ」
「私からすれば、未花の方が羨ましいよ。幻想郷には海もこんなに大きい町もないから」

 私たちが普段見られるもの、未花が普段見られるもの。
 違いがあって当然だ。だから、お互いに羨んでしまうのも仕方のないことだろう。

「ないものねだりってやつね。じゃあ、今のうちにお互いこの景色を楽しめるだけ楽しんでおきましょうか」
「うん」

 そう、お互いに普段見られないものを見ているのなら、それを見られるときに存分に眺めればいいのだ。目の奥に焼き付けるくらいに見つめ続ければいいのだ。余計なことを考えてしまっていてはもったいない。

 それから、私たちは一言も発することなく町を俯瞰する。
 人や自動車が動いているのがちらほらと見える。スズメやカラスばかりだけど、鳥の姿もいくつか見える。町の境目はどこにも見当たらなくてどこまでも続いているようだ。
 こうして空から見るとよくわかるけど、外の世界は人間の世界なのだ。そして、その大半は私たちの存在を認めていないのだから、こちらに私たちの居場所はないのだろう。
 だから、立ち止まるのではなく、こうしてすれ違うくらいがちょうどいいのかもしれない。こっちでは、文字通り羽をのばすことができないし。

「……くしゅんっ」

 不意に未花がくしゃみをした。未花の身体が大きく揺れる。
 驚いて腕の力が抜けそうになったから、慌ててぎゅっと力を込めた。

「……フラン、ちょっと痛い」
「ご、ごめんなさいっ。驚いて落としそうになったから……」

 ゆっくりと腕の力を緩める。とっさに力を込めるとどうしても力が入りすぎてしまうようだ。これでも、かなり抑えてるつもりなんだけど。

「いや、今のは私が悪かったわ。……さすがに、ここまで高いところにくると寒いわね。二人は平気なの?」
「うん。慣れてるし、今は二人に挟まれてるからね」
「そうそう。私とフランの間で熱を循環させてるから、いつもと比べると暖かいよ」

 自分を基準に考えていたから、気づかなかった。とにかく、魔法で未花の周りの温度を上げる。次にまたいきなりくしゃみをされたときに支えきれる自信はない。

「ん? なんだか暖かくなってきたわね。フラン、何かした?」
「うん。魔法で周りの温度を上げたんだよ。寒くない?」
「ちょうどいいわ。ありがと」
「どういたしまして」
「でも、そろそろ降ろしてほしいかなー、と。足をぷらぷらさせてるだけでも、結構不安って煽られるものなのね」

 くしゃみをする前は怖さも楽しんでいたようだけど、怖くなってきたようだ。もしかしたら、初めて空を飛べたことに興奮してて麻痺してただけなのかもしれない。

「そう? じゃあ、降りようか」
「うん、お願い」

 というわけで、降下を始める。俯瞰しているようだった視点が徐々に下がっていき、普通に立っているときと大差がなくなってくる。
 上昇するときとは違って、寂しさのようなものが付き纏ってくる。これで、終わりなんだとわかっているからかもしれない。

「はぁ……、地面に足が着いてるのってこんなに安心できることだったのね」

 地面に降りてきたとき、未花はそんなことを言った。空を飛ぶことが当たり前の私たちには、決して理解することのできない感覚だ。

 それから、こいしが日傘の柄から手を離して、私は未花を離す。最後に未花から日傘を受け取って、飛び立つ前の状態へと戻った。なんとも面倒くさい。

「さて、と、そろそろ帰りましょうか」

 最後のイベントも終わってしまったから、もうこれでおしまいのようだ。雰囲気的にもそうだけど、電車に乗っていた時間を考えてみても、そろそろ帰らないといけない。

「うん」

 こいしと私が頷いたのはほとんど同時だった。


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