再び私たちは硬いコンクリートの床の上に足をつける。
 私の時間感覚には正確性の欠片もないから、電車に揺られていた時間は長くも感じたし、短くも感じた。ただ、決して不快ではなく、むしろ心地よかった。
 何もせずじっとしているのには慣れている。いや、景色が動いていたから何もせずというのとはちょっと違うか。部屋でじっとしているよりは、ずっと楽しかった。

 私たちが降りたのは、最初に乗り込んだところよりも二回りくらい大きな駅だ。線路が一本だけでなく何本も伸びている。
 人の姿もちらほらと目に入る。何を急いでいるのかわからないけど、みんな早足だ。
 何となく目で追いかけてみると、屋根のついた橋のようなものを渡って別の線路の前へと降りる。そこにはすでに電車が止まっていて、早足だった人たちはそれに乗り込んだ。
 それから少しして、電車は走り出す。あれに遅れないように急いでたんだ。

 あの電車はどこに向かっていくんだろうか。

 ここにはいろんな場所で人を乗せた電車が集まってくるんだろう。
 ここからいろんな場所へ人を乗せた電車が走り出していくんだろう。
 そう考えると、この場所は遠くのいろんな場所と繋がっているようだ。外の世界というのは、閉じた幻想郷とは違ってどことでも繋がっているのかもしれない。

「フラン、なに考えてたの?」

 前に向き直ると、未花と一緒に歩き出そうとしていたこいしと目が合った。電車の中で未花へと心を許したのか、私の後ろへと隠れることはなくなっていた。
 そのきっかけというのが、私の容姿を褒めてっていうのが納得いかないというか、受け入れがたいというか……。
 しばらくは、鏡をまともに見ることができないかもしれない。それくらい、二人からはあれこれと言われた。

「ここから、どれくらいの場所に繋がってるのかなって」
「どこにでも繋がってるんじゃない? これだけ走ってるんだから」

 どうやら、こいしも私と同じような印象を抱いていたようだ。

「うん。実際、お金と時間さえあれば世界中のどこだっていけると思うわよ。秘境の地とかでなければね」
「へえ、そうなんだ」

 外の世界は想像に追いつくものも平然と存在しているようだ。当然のことのように話している未花の姿からそう思う。

「だから、私もこんなことやってられるのよね。国内なら、往復を考えても一日で行ける範囲ってかなり広いし」

 色んな場所のオカルト的なことを調べるのが趣味だとか言ってたっけ。そういうことができる世界に未花が生まれてきたのか、それともそういうことができるからこそそういう趣味ができたのかはわからないけど、未花にとって外の世界は都合のいい場所のようだ。
 まあ、大抵の場合は後者なんだろう。私も昔は本を読むことくらいしかできなくて、気がつけば本を読むことが好きになっていた。強制されるのでなければ、人も妖怪もそこにあるものを自然と好きになっていくのかもしれない。

「さてと、次の電車が来るまで時間もあるし、どこかでお弁当でも買いましょうか」
「……いいの?」

 電車に乗るためのお金も払ってもらったのに、そこまでしてもらうのは悪いような気がする。というかそもそも、吸血鬼に人間と同じ食事は必要ない。生きるためだけなら、血さえあれば事足りる。
 でも、味覚はあるから娯楽として楽しむというのはある。だからこそ、お金を払ってもらうのは悪い気がするんだけど。

「いいのいいの。せっかく海を見に来たのに、着いたときに空腹でぐったりしてたら楽しくないでしょう?」
「私、人間と同じものを食べる必要はないんだけど」
「ああ、そうだったわね。……私の血って美味しいのかしらね?」

 なんでそんな質問なのかはわからないけど、未花の意図は読めた。

「え、っと、知らないけど、一日一回くらい血が飲めればいいから、そこまでしてくれなくてもだいじょうぶ」

 その一回分の血は咲夜が料理とか紅茶とかに混ぜてくれてるから、誰かから吸ったりする必要もない。

「へえ、そうなのね。でもまあ、必要ないってことは食べることはできるってことでしょう? やりたいことがあるから付き合ってちょうだい。お金のことは気にしなくていいから」
「そういうことなら、別にいいけど……」

 何かを楽しみにしているような顔を見ると、断ることはできなかった。まあ、未花自身がいいと思ってるみたいだから、ありがたくその申し出を受け入れればいいんだろうけど、どうしても遠慮してしまう。

「よしっ、決まりね」

 やけに嬉しそうな様子で未花は歩き始める。
 こいしの方に視線を向けてみると首を傾げられた。未花のことはどうでもいいか、気にしてないらしい。
 まあ、いいか。嬉しそうなのを邪魔するのも無粋だろうし。

 そういうふうに気持ちを入れ替えて、少し弾んだ様子の未花について歩いた。




 次に私たちが乗った電車は、最初に乗ったものとさほど変わらない作りをしていた。違うといえば、私たちの他にも乗る人たちがいたことくらいだろうか。こいしはそんな人たちの視線から隠れるかのように、未花と私の間で縮こまっていた。
 こいしよりも身長が高くて隠れやすそうな未花じゃなくて、身長の低い私にすがりついていたあたり、完全に未花へと心を許したわけではないようだ。まあ、こいしが他人を避けてるのはトラウマからのものだから、少しでも心を許している時点でかなりすごいことだとは思う。

 そんなこいしのため、というわけではないらしいけど、私たちは二人掛けの椅子を向かい合わせた席に座っている。こいしと私が同じ椅子に座り、未花が正面の席に座っている。
 太陽はてっぺんまで昇ったから、カーテンは上げたままの状態だ。顔を横に向ければ、こいしの横顔とともに外の景色が見える。

「一度でいいから、こういうことしてみたかったのよね」

 膝の上に先ほど露店で買ったお弁当を乗せた未花が嬉しそうにそう言う。こいしと私の膝の上にもお弁当が乗せられている。
 箱は木でできていて、絵の描かれた紙と紙でできた紐とで包装されている。
 それと、短い木の棒の物が半分くらい紙に包まれて紐と紙の間に挟まっている。何だろうか、これは。

「こういうことって?」
「移動中の電車で同行者と向かい合って、お弁当をつつき合うこと」

 その答えを聞いて、三人全員に違うお弁当を渡した理由を察する。一緒に食事をするのに、別のものを食べるのはなんだか落ち着かない感じだけど、そういう理由があるなら納得だ。
 これが、未花がやってみたいって言ってたことなんだ。

「今まではずっと一人だったから、する機会がなかったのよね。」

 そう言いながら、未花はお弁当の紐をほどいている。黙って見ているのも悪い気がするから、私も開けてみる。
 紐の一端を引っ張るとするりとほどけた。こいしも同じようにしている。
 解いた紐と何だかよくわからない木の棒の拘束から解き放たれた紙の蓋を外す。お弁当の中にどんなものが入っているのか、というのを写した写真が横に置かれていたから中身は知っている。それでも、蓋を外すという行為にはわくわくさせる何かがあるような気がする。

「そういえば、お箸は?」

 蓋を完全に外してから、そう気づいた。どう見ても、手で掴んで食べるようなものには見えない。
 まあ、お箸を使うのは苦手だから、フォークとかスプーンとかの方がいいんだけど、和風っぽい感じだからお箸の方が妥当だろう。
 館の中では、あまり食事を摂らないパチュリーと私だけがお箸を使うのが苦手だ。他のみんなはメイド妖精を含めて上手に使っている。

「これが箸よ?」

 未花が何だかよくわからなかった木の棒を紙の中から出して目の高さに上げる。さっきまではわからなかったけど、上端だけを残して真ん中に切れ込みが入っている。
 確かに、上端が繋がっていなければお箸のように見えないこともない。

「こうやって、割って使うのよ」

 未花が木の棒を左右に引っ張ると、ぱきっ、という乾いた音を立てて二本に割れた。ちょっと持ちにくそうだけど、一膳のお箸になっている。
 こんなものがあるんだ、と感心しながら私も同じことをしてみようとしてみる。

「……」

 力加減がわからないから、すこーしずつ手に力を入れながら左右に引っ張っていく。込められる力にあわせて間が大きくなっていくけど、割れる気配は一向に感じられない。

「もっとこう、一思いにやった方がいいと思うわよ」

 見るに見かねたらしい未花が助言をしてくれる。

「でも、それだと折れたりしそうで怖い」
「あはは、それは心配しすぎよ。変に力を込めない限り折れたりなんてしないわよ。ま、もしものときは私のと変えてあげるから心配する必要もないわよ」

 そんなものなのか、と内心頷きながら、気持ち先ほどよりも力を込めてみた。
 でも、お箸からの反発を感じてきた辺りで、なんだか怖くなって手の力が抜けていく。だんだん開きが小さくなってきて、最後には元の形に戻ってしまう。
 精神的にかなりの強敵だ。

「フランはいろんなことに対して身構えすぎなんだと思うよ」

 そんなことを言いながら、こいしは平然とした様子で割っていた。初めてという感じはしない。幻想郷で同じような物は見たことがないはずだけど。

「何だか手慣れてるね」
「うん、他人の得意なことを真似するのは得意だから」

 単にずるをしているというだけだった。いや、無意識の部分を操ったりするのは専売特許だからそうでもないんだろうか。こいしだからこそ、という感じだ。

「まあ、思いっ切りやっちゃえばいいよ。こう、抵抗されても無慈悲にぐーっていく感じで」

 言葉の選び方が何だか物騒だったけど、未花の助言よりは具体的だった。
 とりあえず、もう一度挑戦してみる。

 こいしに言われたとおり、ぐーっと力と思い切りを込めてみる。でも、押し戻そうとしてくる力が、折れる直前の知らせなのではないだろうかと思って再び力が抜けてくる。

「ほら、フラン頑張ってっ!」

 こいしが応援をしてくれる。でも、それだけでやりたいようにやれるほどの度胸とかは持ち合わせてない。
 ぐっ、ぐっと何度か力を込めてみるけど、その度に押し返されてしまう。

「わっ」
「うわっ!」

 今まで黙って見ているだけだった未花が突然そんな声を上げた。驚いた私はそれ以上の声を上げてしまう。
 お弁当が膝から落ちそうになったけど、真向かいに座っていた未花が支えてくれた。

「い、いきなり、何……?」
「驚かせばその衝撃で割れるんじゃないかと思ったんだけど、期待通りだったわね」

 お弁当を支えていた手を離した未花が嬉しそうな笑みを浮かべる。
 自分の手元に目をやってみると、木の棒は綺麗に二つに割れていた。私はそれを呆然と眺める。

「でしょう?」

 未花の笑みが悪戯っぽい物に変わっていた。ああ、もしかしたら未花も他人をからかったりするのが好きなんだろうか。
 どうして私の周りにはそういう人ばかりなんだろうか。こいしからも若干そういう傾向が見て取れるし。

「む……、ちょっと味が濃ゆい」

 そのこいしは、いつの間にかお弁当を食べ始めて感想を漏らしていた。まあ、いつもどおりと言えば、いつもどおりのマイペースっぷりだ。

「あ、ちょっと! 何勝手に食べ始めてるのよ!」
「待ちきれなかったから。それに、フランがちゃんと箸を割るのを見てから食べ始めたから問題ない」
「そう言うなら、まあ、それでもいいわ」

 未花がお箸を構える。視線が心なしか鋭くなっている。
 お弁当をつつき合いたいとか言ってたけど、未花が纏っているのは奪い取るといった感じのオーラだ。図書館に来た魔理沙がよく同じような雰囲気を醸し出している。

「ただし、これはもらったぁっ!」

 私の抱いた印象は間違ってなかったようで、未花のお箸が勢い良くこいしのお弁当へと伸びる。多分狙ってるのは、レタスの上に乗せられた鶏の唐揚げ。
 この調子だと奪い合いへと発展していくんじゃないだろうか。まあ、私は取られても気にしないけど。

「……あれ?」

 勢いよく伸びた未花のお箸は、唐揚げではなくレタスを掴んでいた。こいしが力を使って何かをしたんだろうか。

「一度掴んだ物は、責任を持ってちゃんともらうっていうルールにしよう。文字通り唾を付けたわけだし。これ貰うね」

 こいしが固まったまま動かない未花のお弁当から、魚のフライを取りながらそう言う。なんだかやけに手馴れている感じだ。力を使っての撹乱もしてるから、案外地霊殿の食事風景は大体こんな感じなのかもしれない。
 全てのペットがちゃんと言うことを聞いてくれるというわけでもないらしいし。

「ええ、望むところよ」

 これは荒れそうだなぁ、と思いながら一人手を合わせて昼食を食べ始めたのだった。


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