灰色と白との中間の色合いのコンクリートの床。
 陽を遮る鉄でできた大きな屋根。
 そして、どこまでも続いているような二本の鉄の棒状の物体で作られた道。

 今私たちは駅と呼ばれる場所に立っている。
 本に書かれていたから存在自体は知っていたけど、実際に見てみるとだいぶ印象が違う。長い年月が経っているからか、人工物の割にどことなく自然にとけ込んでいるように見える。正確には、自然に飲み込まれかけているという感じだ。土とコンクリートの隙間や、ひび割れの間などから雑草が覗いている。
 文章から抱いた印象では強そうだと思っていたけど、生き物のように自己修復ができないから、放っておくと自然に負けてしまうようだ。こういうのを見ると、紅魔館はちゃんと手入れが行き届いているんだというのがよくわかる。

 本の中にだけ存在していた世界を実際に見ることができる感動は、初めて外に出てから数年経った今でも変わらない。
 アスファルトの道。その上を走る自動車。レンガ造りでも、木造でもない家々。
 ここに来るまでの間に見たそんなものたちにも私は意識を向けていた。

「そういえば、フランたちが住んでるところの交通網ってどうなってるのかしら?」
「え? えっと、みんな自力で移動してるんじゃないかな。人里の人たちはそんなに広い範囲を動かないし、私たちみたいなのは空を飛べるし」

 周りを見るのに集中していたせいで少し反応が遅れてしまった。
 ここに来るまでの間も、未花はこうしてふと思いついたことを質問してきた。
 答えたのは幻想郷のこととか、紅魔館のこととか、地霊殿のこととか、個人的なこととか、本当に節操なしという感じだった。私の知ってることはかなり狭い方だから、満足してくれているかどうかはわからないけど、少なくとも不満は抱いていないと思う。欲求不満だからこそ、次々と質問してくるとも考えられるけど。

「ふむふむ。まあ、必要がなければ発展することなんてないわよね」
「こっちにはどんなものがあるの?」
「車に、電車に、飛行機、船と色々とあるわね」
「へぇ……」

 私の方からも結構質問をしている。
 紅魔館が幻想郷に入ったのが割と最近とはいえ、十何年も前の話だ。あのころは変化が早かったような気がするから、私の知識が古くなっているというのは大いにありえる。
 それに、私の知識は全て聞きかじりのものであって、そこに実態は全く伴っていない。それに、もしかしたら誇大表現をされた情報、全くの嘘の情報だって混じっているかもしれない。だから、実際にその世界に住んでいる人から話を聞けるだけでも貴重なのだ。
 こっちに住もうという気は全くないけど、色々なことを知れるというのは楽しい。そういうところでは、未花と私は相性がいいのかもしれない。多分だけど、未花も知るという行為を楽しんでいるように思う。

 それはいいんだけど、ただ一人、こいしだけは不満そう、というか不機嫌そうだった。時々視線を向けてみるんだけど、その度に恨みがましそうにこちらを見てくる。思っていた以上に未花といるのがいやなようだ。
 橋渡しをするのがいいのかな、と思うけどどうやって二人の間を繋げればいいのかもわからない。未花はあまり気にしてないようだけど。

「ん、そろそろ来るわね」

 腕時計を確認した未花が不意にそう言う。幻想郷で時刻はあってないようなものだから、時刻を確認するという行為はかなり珍しい。

 少しして、遠くから規則正しい音が聞こえてきた。
 がたんごとん、がたんごとん。
 幻想郷では決して響かない人工の音。その音から感じるのは、強い力。同じ規則正しい音でも、停止を感じさせる時計の音とは違って、動いているというのが強く感じられる。

 曲線を描いている線路の先から、四角い鉄の塊が現れる。道に沿って真っ直ぐとこちらに向かってきている。
 ぶつかることはないだろうと思っていても、近づいてくる姿を間近で見ていると身が竦む。思わずこいしの手を握る手に力を込めてしまう。

 電車はゆっくりと速度を落としていく。
 何かがこすれ合う頭の奥まで届きそうな甲高い音が響き渡る。
 先ほどとは違った理由で身体に力が入る。長時間聞いていると、気分の悪くなりそうな音だ。
 でも、そんな拷問のような状態になることはなく、音は次第に小さくなっていき、最後には空気の抜けるような音がして、不快な音は聞こえなくなった。電車も完全に止まっている。

 本の中では日常に紛れ込むような存在だったり、はたまた旅行といった非日常にある存在だったりした。でも、私にとってそれ自体が完全に非日常の存在であり、異質なものだった。
 だから、細かい動きの一つ一つに注意を払ってしまう。

「……っ!」

 結果、突然開いた扉に声も出ないくらいに驚いてしまった。そうなるんだっていうのは、一応前知識として知ってたはずなのに。

「あははは。警戒心の強い猫みたいな反応で面白いわね」

 未花は驚く私を見て笑っていた。
 驚いたのと恥ずかしいのとで心臓が高鳴っている。

「あれは、自動扉っていうのよ。機械で閉じたり開いたりする扉。自動なんてついてるけど、実際は車掌が離れた場所から操作してるだけなんだけどね」
「……うん、知ってるけど、見たことのないものを前にして、必要以上に身構えちゃって」

 溜め息を吐くようにしながら、胸を押さえて気持ちを鎮める。こうして手を当てると、脈が速くなっているのがよくわかる。

「ふーん。話を聞いてて思ったんだけど、フランって結構こっちのこと知ってるのね」
「時々、外の世界の本が入ってくることがあるからね。そういうのを読んでるから、知識だけはあるんだ」

 とはいえ、そのほとんどは小説なんだけど。一応、雑誌や図鑑なんかも読むけど、気がつけば小説の方に手が伸びている。

「とと、こんな所で話してたら置いてかれるわね。フラン、こいし、付いてきて」

 未花が少し足早に電車の中へと進んでいく。私もこいしの手を引くようにしながら続く。

「誰もいないから席が選び放題ね」

 こいしも電車の中に入るのを確認してから中を観察してみる。
 扉の右側には、六、七人が座れそうな長椅子、左側には二人掛けの椅子が二つ向かい合ったのを一セットとして、真ん中の通路を軸として右側と左側に並んでいる。

 確かに私たち以外には誰もいない。あんまり気を張る必要はなさそうだ。
 ちなみに今、私たちはこいしの力を使って、周囲から完全に浮いてしまっている姿を気にされないようにしている。認識をずらさせるには、こいしと接触していなければいけないという制約があるから、私たちは手を放すことができない。
 こいしも私も目立つのはいやなのだ。だから、誰に言われることもなく自主的にそうしている。

「今の時間帯ならこっちの方がいいかしらね」

 そう言って未花が向かったのは右側。
 長椅子に膝を乗せて、窓の上の方でひらひらとしていたものを掴んでゆっくりと引き下ろす。どうやら、カーテンになっているようだ。完全に日を遮るすだれみたいなものだろうか。館の中ではまず見られない形だ。

「さ、そろそろ出発するでしょうから座って座って。初めてなら、座っといた方が安全よ」

 安全という言葉に急かされるように、私は慌てて席の方へと向かう。座った方が安全というのは、裏を返せば立っていると危険だということだろう。わざわざ危険な真似はしたくない。
 私は先に座っていた未花の隣に腰を下ろす。こいしはその隣だ。
 私たちが乗り込んだ後に、誰かが乗ってきたということもないから、相変わらず私たちしかいないけど、こいしは警戒するようにこちらに身を寄せてきている。
 未花との間はそれほど詰めてはいないけど、身長が一番低い私が真ん中に来ると、実際以上に狭く感じる。

「あ、二人とも羽、邪魔じゃないかな」

 一応背もたれの上に行くようにしてるけど、羽の宝石のようになった部分はほとんど触覚がないから聞いてみないと当たっているのかどうかわからない。
 二人に当たらないように羽に力を入れておくことに関しては、お姉様と隣り合って座るときは邪魔にならないように動かす癖があるから特に問題はない。

「大丈夫」
「ん、大丈夫よ」

 両側の二人が頷いてくれた。
 これでようやく一心地がつける。そう思った途端、

「……っ!」

 突然聞こえてきた空気の抜けるような音に驚いた身体がはねる。
 鉄でできた扉が勝手に閉まっている。同じ音にまた驚いてしまったようだ。

「何回目で驚かないようになるのかしらね」

 未花がおかしそうに笑いながらそう言ってきたのだった。
 本当、何度目で驚かなくなるのだろうか。いつ動き出すかわからない外の世界の機械と私は、すこぶる相性が悪いようだ。




 世界が流れていく。
 遠くにあるものは、あれは家だとか、木だとか、人だとかいうのはすぐにわかる。でも、近くにあるものは線の集まりである面に成り代わり、よくわからないものへと変容している。

 速度を出して飛んでいるときに横を向くと、世界はこんなふうに見えるんだろう。

 そう思いながら、窓の外をじっと眺める。この高速世界はいつまで眺めていても飽きそうにない。見慣れないものがいっぱいあるとかは関係なく。
 手前の方は幻想郷では見慣れないコンクリートの壁か種類が分からないけど幻想郷でも見たことがあるような木がほとんどの割合を占めている。一瞬一瞬としては変化があるけど、全体の流れとしての変化は少ない。ただ景色が流れていく、それだけだ。
 単純に、高速に流れていく世界が好きなのかもしれない。自分でもそういった世界を作り出せるかもしれないけど、私は安全飛行しかできないから今のうちに十分楽しんでおく。

 かしゃり。

 不意にそんな音が聞こえてきて、私は全身を揺らして驚いた。聞き覚えがあるけど、なんだかわざとらしい感じのする音だ。
 なんだろうかと思って音のした方、未花の方を見てみると、赤色の金属的な輝きを持った長方形の物体を持っていた。
 少しの間それを眺めていて、いつだったか館にやって来た天狗が持っていたカメラに似ていることに気づく。あれに比べると随分と小さいけど。

「あ、ごめん。いい顔してたから、声をかけたら表情が変わるかと思って。写真を撮られるのは嫌だった?」
「撮られるのはいいけど、事前に声をかけてほしかったな」

 わかってたらそこまで驚くことはないだろうし。

「ほんとごめん。えっと、この後も気に入った場面があったら撮ってもいい?」
「うん、いいよ」

 今まで割と強引な感じだったから、少し態度がしおらしくなるのはちょっと意外だった。でも、そうやって申し訳ないと思ってくれているから、素直に頷くことができた。強引なままでもたぶん無茶はしてこないだろうから許可はしてたと思う。でも、それで気分がいいかっていうと別だ。
 ちなみに、かなりしつこかった天狗は弾幕で追い返そうとした。素早いせいでうまくできなかったけど。

 まあ、そんなことより。

「それ、カメラなの?」

 確認のために聞いてみる。会話の流れから察しはついていたけど、私の知ってるものとは随分と違う。

「そ、たぶんフランが思い浮かべてるのに比べたらちっちゃいでしょう?」

 そう言ってから、その小さなカメラのことについて説明してくれる。

 そのカメラはデジタルカメラと呼ばれるらしく、写したものを画像データという状態で保存しておくことができるらしい。従来のカメラに比べると少し写真の質は悪くなるけど、物理的なものではないから保存や加工が容易になるそうだ。
 幻想郷も外の世界も情報だけではかさばらないというのは同じらしい。動かない図書館とも呼ばれているパチュリーの持っている情報を文字などの媒体として出力すれば、それは莫大な空間を占領することになるだろう。
 まあ、あの無限の広さを持つ図書館なら問題なさそうだけど。

「あ、そういえば、ちゃんと写るのかな?」

 鏡には映るけど、写真がどうなのかは分からない。七色の羽を始めとして、例外も色々とあるのだ。いちいち試してもいられないから、全てを把握しているわけではない。
 前に天狗に写真を撮られたときは写ってたけど、弾幕を消すことができたり、正面に構えてるのに自分の後ろ姿が写ってたりと、もともと持ってたカメラの知識ともかなりかけ離れてたから、あまり参考にならない気がする。

「そういえば、フランって吸血鬼だったわね。うーん、ちゃんと写ってたと思うけど……」

 未花がカメラへと向かって何かをし始める。写したものをその場で見れるとか言ってたから、そのための操作をしてるんだろうか。
 館が幻想郷へと移る前もそうだったけど、どんどん外の世界は便利になってきてるんだなぁ。たぶん、カメラだけじゃなくて他の部分も変わってるんだと思う。
 世話をされる立場にいる私はしなければいけないこともないけど、メイド長として毎日がんばっている咲夜にとっては役立つものもあるかもしれない。

「あ、写ってる写ってる」

 嬉しそうに言いながら、今まで触れていた面を見せてくれる。
 最初に見せてくれたときは、レンズの向いている方が写っていた四角い枠のような部分に、私の横顔と少しだけこいしの姿が映っていた。普段は自分の横顔をちゃんと見ることなんてできないから妙な感じだ。
 興味があるのか、こいしが覗き込んでくる。未花との距離を気にしてるのか、控えめな様子ではある。

「吸血鬼って、鏡に映らないって聞くけど、写真には写るのね」
「それはたぶん、私が変わってるからだと思うよ。私、鏡にも映るし」

 そう言いながら、正面の窓を指さす。外の景色が見える硝子に薄ぼんやりと私たち三人の姿が映っている。

「あー、確かにそうね。言われるまで気が付かなかったわ」

 半透明な未花が高速に流れ去っていく背景を透かして苦笑を浮かべる。まあ、当たり前だと思っていれば、本当は異常だったとしても気づかないものなんだろう。たぶん、私が硝子に映っていなければ未花は誰に言われなくとも気づいていたかもしれない。

 と、こいしが私の顔をじっと見つめていることに気づく。こいしだけ、横顔が映っている。

「どうした、の?」

 本物のこいしの方へと視線を向けると、当然だけど翠色の瞳と目が合う。それが思ったよりも真っ直ぐなものだったので少し狼狽してしまう。
 どうしてそんなにも真剣な瞳をこちらに向けているのだろう。

「せっかくいい表情を浮かべてたのに、それを実物で見れなかったのが悔しかったから、それが見れるまで見てる」
「え……?」

 全然冗談だという感じもしなくて、どう受け止めていいかもわからない。だから、口からこぼれてきたのは困惑だけだった。

「ふむ、それもそうね。写真なんて後で出来事を詳細に思い出すか、他人に齟齬を少なく出来事を伝えるための道具でしかないから、実物にはどうしても負けるわね。フランは顔の作りが綺麗だから、ふとした瞬間に子供っぽさが抜けたときにすっごく絵になるのよね」
「え? み、未花までそう言うこというの?」
「嘘でもないし、お世辞でもないわよ。ねえ、こいし」
「うん」

 未花とは距離を取っていたはずのこいしが力強く頷く。私は二人の顔を見ていられなくて、反対側の窓へと視線を向けた。

 でも、その瞬間に外が暗くなって内側の様子がはっきりと映る。
 二人の言葉を気にしてしまうと、自分の顔でさえまともに見れなくなってしまった。


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