「ペットたちが勝手に食材に触れることはありません。自由に出入りさせていたら、どれだけ荒らされてしまうかわかりませんから。それと、あの子が私に顔を合わせてくれている間にいつの間にか食材が減っていたということもありませんでしたね」

 翌日、私は地霊殿へと訪れていた。
 さとりは快く迎え入れてくれ、食堂へと案内してくれると密かに望んでいたココアを作ってくれた。
 そちらに心を奪われて、どのタイミングで質問を切り出そうかなんて考えつつココアを飲んでいたところ、さとりは私が何度も何度も頭の中で反芻していた質問に答えてくれた。
 心を読めるさとりにしてみれば、うるさくてかなわなかったかもしれない。

「いえ、これくらい大丈夫ですよ。食欲に突き動かされているペットたちの催促に比べればずっと静かなものですから」

 気にしてはいないようだ。
 ペットの世話も大変なんだなぁ、と思いつつ次に何を聞こうかと考える。昨日、こいしに言い返せなかったことへ言い返せるような情報がほしいとだけ考えていたから、これ以上は何も考えていなかった。

「……なんだか、こいしが迷惑ばかりをかけているようですね。すみません」
「いいよ、気にしなくて。なんだか私もやりたい放題やってるような気がするし」

 聞かれたくないと思ってることをしつこく何回も聞いたり、抱きついて無理矢理足を止めさせたり。まあ、主に昨日のことだけど。
 なんだか、昨日は私自身把握してなかった部分が露呈されてしまった。相手に言われたことを受け流そうとするのは、お姉様の影響のような気がするけど。

「そのことですが、フランドールさんは私のことは気にせず、純粋にこいしを相手にしてもらえませんか?」
「それは無理だよ。こいしとの話題なんてさとりとのことくらいしかないし、なにより私はこいしに嫌われてる」

 今私がなんとかこいしと顔を合わせられているのは、こいしが咲夜のお菓子に興味を持っていて、かつその咲夜が館に侵入してきたこいしに気づくことができるからだ。
 今思えば、咲夜のおかげでこいしとの繋がりをなんとか保っていられるんだなぁ。対して私は何一つ成果を出せていない。私が知っている限りではこいしと関わっているのは私だけのはずなのに。

「いえ、あの子はフランドールさんのことを嫌っていないと思いますよ。あの頃から変わっていなければ、嫌いなものは優先的に避けようとするような性格ですから」
「そうなの?」

 それほど意外だとは思わなかったけど、それだとお菓子を食べに来る理由がわからなくなってしまう。
 嫌いなんじゃなくて、無関心なんだろうか。でも、面と向かって嫌いだって言われたし……、よくわからない

「そう、ですね……。あの子のことは、よく分かりません」

 目を伏せて、寂しそうな表情を浮かべる。
 その姿を見て、やっぱりこのままではだめだと思う。さとりとこいしがどう距離を取るのがいいのかはわからないけど、少なくともその間には理解や納得があるべきだと思う。
 よくわからないまま距離をあけているなんていう状態を見るのはいやだ。

 そんなわがまま混じりの主張をさとりに向ける。心が読まれているのを防げないのはわかっているから遠慮がない。
 昨日、こいしが帰った後に考えてみて気づいたけど、私は開き直ると図々しくなってしまうようだ。
 今は勢いがほしいからあまり気にしないようにするけど、この問題が片付いたら気をつける必要がありそうだ。

「そういえば、あのころっていうのは? 今と昔で何か違うの?」

 ふと気になったことを質問してみる。
 こいしを説得するのに何か重要な手がかりになるかもしれない。

「はい。……こいしの第三の目、今は閉ざされていますよね? ですが、昔はしっかりと開いていて、私もあの子もお互いに心を読めていたんですよ。あの頃なら、こいしに関して知らないことは何もありませんでした。そして、あの子もそうだったでしょう」

 そう言われて私は今頃になって気づいた。閉ざされているなら、当然開かれていたときもあったということに。
 そして、こいしが目を閉ざしてしまったその理由は――

「フランドールさんのお察しの通りです。こいしは他人に嫌われることを、疎まれることを、拒絶されることを嫌がり、同時に怖がっていました。私が最後に見たあの子の心もそういった感情で満たされていたのです」

 悲しそうに目を伏せて言う。やっぱりさとりはこいしのことを強く強く想っている。それは、さとり自身振り返りたくないだろう過去を話す姿が、とても痛ましく見えるくらいに。

「あの子が閉ざしたのは目だけではありません。心を読む力を閉ざすというのは、同時に心を閉ざすことでもあります。目を閉ざしてしまって以降、あの子が外へと向ける感情はどこか空虚な物となってしまいました」

 心を閉ざしている?
 でも、私が何度か相対したこいしからそういった様子は見えなかった。

 初めて会ったときはなんとなく雰囲気の焦点が合わず、その理由がわからない私はそのことを怖がっていた。たぶん、さとりの言う空虚な感情を本能のどこかで警戒していたのだろう。
 でも、私の言葉に機嫌を悪くしてからはそういったことはなかった。不機嫌そうだったり、不満そうだったり、怒ったり、そして咲夜のお菓子を食べて顔を綻ばせたり。
 良い方向の感情を見せてくれることはほとんどなかったけど、あれらの反応は、心を閉ざした人の反応なのだろうか。心を閉ざしていたにしては感情の輪郭がやけにはっきりしていたように思う。

「ねえ、こいしはもう、心を閉ざしてなんかいないんじゃないかな」

 でも、こいしは無意識を操る力を手に入れてしまっていた。たぶんだけど、それは心を閉ざしたことで得られた力なのだろう。
 その力でこいしは自らの心を守っていた。意識しなければ、どんなことが起きても傷つくことはなくなるはずだ。私が初めて出会ったのはそんな状態のこいしだった。
 感情を隠し、意識もぼやかして関われば嫌われることはない。でも、同時に好かれることもなくなる、はずだ。人付き合いがまだまだ薄いからなんとも言えない。
 でも、もしそれが正しいなら、こいしがさとりを避ける理由も予想がつく。

「たぶん、こいしはさとりに嫌われることを怖がってる。心を閉ざして無意識だけで動く姿じゃなくて、ちゃんと感情があって自分の意識で動いてる姿を嫌われることを怖がってる」

 それが私の単なる想像ではないなんていう確たる証拠はない。でも、想像だという証拠だってない。
 だったら、私がそうあってほしいと願う方を信じる。違ったら、なんていうつまらないことは考えない。
 どうせ、二人の間には何か動きがあるべきなのだ。だから、私が今こうして作る。

「……理性的なのに、地の部分は感情的。初めてお会いしたときから見抜いてはいましたが、実際に感情的な部分を見せられると、少し圧倒されてしまいますね」
「え? あ、勝手なこと言ったりしてごめんなさい」

 さとりの落ち着いた声を聞いたら、私も内側の熱が引いていってしまった。同時に勢いもなくなってしまう。
 でも、思いは変わらず、ある一つの願いはまだ胸の中に残っている。それを言葉にするだけの勢いも残っていないけど、さとりには届いてしまっているだろう。

「いえいえ。フランドールさんの視点のおかげで、真実を垣間見れた気がします。……正直に言うと、私は私で悲劇にどっぷりと浸かり込み、あの子のことをちゃんと見てあげることができていなかったようです。本来は、私が気づいてあげるべきだったんですよね」

 自虐的な笑みと言葉。でも、どこか吹っ切れたようにも見えて、清々しさが覗いているように見える。

「……フランドールさん。こいしを、ここに連れてきてくださいませんか? 私ではあの子を捕まえることができませんから」
「うん、もちろん。今後一切絶対に私に会いたくないって思われるくらいのことをしてでも連れてくるよ」

 それが、どんな方法なのかなんて思い浮かばない。でも、こいしを連れてくる手段は考えてある。

「私としては、フランドールさんのような方があの子の友達になってくだされば嬉しいんですけどね」
「相性が悪いからうまくいかないよ」

 今までのやり取りを思い返せばよくわかる。そこに、私が無理矢理関わっているのだから、今更どうしようもないほどに嫌われてしまっていると思う。

「私は、そうは思いませんけど……、まあ、頼むようなものでもないですよね」
「さとりにとって、友達ってどういうものなの?」

 いつだったかお姉様に聞いてみた問い。
 お姉様が友達の捉え方にはいろいろある、みたいなことを言っていたのを思い出して、少し気になったのだ。

「私に友達と呼べるような相手はいませんが、うちのペットたちにとても仲のいい子たちがいるんですよ。その子たちを見ていると、こういうのが友達なのではないだろうかと思うんです」

 一息、間を置いて、

「お互いに励まし合い、叱り合えるそんな関係」

 お姉様の答えよりはわかりやすかった。でも、わかりやすいというだけで、実際にするとなれば難しいと思う。私の場合、叱る場合萎縮してしまうだろうし。

「まあ、私の知っている子たちは片方がしっかりものなので、叱り合っているというのは見たことないですが。それに、フランドールさんは、誰かを叱るということはできると思いますよ。現に、こいしから目をそらしていた私も叱られたような気持ちですし」
「う……、ごめんなさい……」
「だから、謝らなくてもいいですよ。むしろ、感謝しているくらいです。ですが、もしどうしても謝りたいというなら、代わりにちゃんとこいしを連れてきてくださいね」
「……うんっ」

 今日ここで初めて私は覚悟というものをできた気がする。
 あのときのように、身体が強張るようなことはなかった。


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