こいしに散々と言われたけど、お姉様に慰めてもらったり、咲夜から助言をもらったりしてなんとか立ち直ることができた。
 今のところ、私ができることなんて朗読をしてこいしを楽しませようとすることくらいなのだ。もし仮にこいしを楽しませることができたとしても、こいしとさとりとの間にある不自然な距離が縮まるなんていう確信はどこにもないけれど。
 さとりに会いに行こうとも何度か考えたけど、それに必要な情報は相変わらず全然足りない。こいしから聞ける話なんてないに等しいから。
 だから、こいしの方からこちらに来てくれるという状況はとても好ましい。いつ終わるともしれない、不安定な関係でも。

 だから、今日も一人部屋の中で朗読の練習を続けている。

「あれだけ言われてまだ続けるつもりなんだ。意外に雑草みたいにしぶといんだね」

 不意に、自分の声の間にこいしの冷ややかな声が混じってきた。その不意打ちに驚いた私は、身体を震わせ物語をぶつりと途切れさせてしまう。
 今までは咲夜が連れてきていたから、こいしだけがやってくるということに対しては全く心構えができていなかった。咲夜が突然現れても驚かないのは、この心構えができているからだ。もしかしたら、驚かない瞬間を狙ってくれているのかもしれないけど。

「きょ、今日は直接こっちに来たんだ」
「どうせ台所の方に行ったってあのメイドに捕まるだけだし。……フランは私が学習しないとでも思ってるの?」

 椅子に座ったこいしがこちらを睨んでくる。私は少し怯んでしまう。

「そうは思ってないけど……」
「けど?」
「……絶対に私のところに直接来ないだろうって思ってた」

 嫌いな相手の前に好き好んで現れることなんてないだろうと思ってるから。

「ふーん……」

 こいしの声の温度が更に下がり、居心地が悪くなってくる。さほど逃げ腰にならなくなってきたとはいえ、この雰囲気からはどうやっても居心地のよさを感じることはなさそうだ。

「え、えっと……、あっ、こ、こんにちは、こいし」

 気まずい空気をなんとかしようとして、挨拶をしていなかったことを思い出す。無理矢理言葉を絞り出すようにしたから、かなり不自然だ。

「普通は、会ったときにするもんじゃないの?」
「それは、こいしが突然話しかけてきたから。……こいしの方から挨拶するべきじゃないの?」
「私は別に挨拶する気なんてない。だから、フランだけが私に会ってすぐに言えばいい」

 かなり自分勝手な意見だった。なんだか呆れが出てくる。というか、自分の中にそんな余裕があることが意外だった。
 もしかすると、何度もこいしの刺々しい態度を前にしてきたから慣れてきてしまったのかもしれない。
 これで少しは自然体で振る舞えるだろうか。あまり自信はないけど。

「そんなどうでもいいことよりも、いつになったらお菓子は出てくるの? 私はフランに会いに来たわけじゃないんだけど――っ?!」

 不満そうなこいしの言葉に応えるように、突然テーブルの上に色とりどりのタルトが乗せられたお皿と紅茶の注がれたカップが現れる。タルトはいろいろな種類を食べれるようにと配慮してか、随分と小振りで代わりに数が多い。
 こいしと私は同時に一瞬でお茶会の準備が済まされたことに驚く。咲夜の仕業だというのはすぐにわかったけど、こういうことをしてくるとは思っていなかったから身体が竦む方が早かった。

「……顔を見せないなんて、失礼なメイドだね」

 こいしが平然とした様子を装ったように言う。あの驚きは心の底からのものだったようで、こいしの素の表情が微かに覗いているような気がする。

「こいしが咲夜のことを苦手視してたから、気を遣ってるんじゃないかな」
「……別に、苦手視なんてしてない」

 そう言いながらも、視線は私からそれている。
 もしかして意地っ張りなんだろうか。今までの行動を振り返ってみればそんな感じはする。
 さとりもなんだか意地を張ってるみたいだし、姉妹揃って一筋縄ではいきそうにないというのをより一層強く感じる。
 うーん……。

「……なに?」
「こいしとさとりって二人とも意地っ張りなのかなぁって」

 怒るだろうなと思いながら、考えていたことを素直に言葉にしてみた。少しずつ自分の中に余裕が芽生えてきているからこそできたことだろう。あんまり距離を取り続けていても、進展がなさそうだと思った結果でもある。

「お姉ちゃんはそうかもしれないけど、私はそんなことない」
「なら……、なんでさとりのことを避けてるのか教えて」

 一度は冷たく拒絶された質問。それを、今一度聞いてみた。
 きっとこの問題を解決するには、この質問に対する答えは必要不可欠なものだろう。こいしから聞き出すか、いろいろな断片を繋ぎ合わせて自分で導き出すしかない。

「フランには関係ないって言ったはず」

 顔をこちらに向けて再び睨んできた。まだ話してくれそうにないし、私もこれ以上の言葉は持っていない。

「……わかった。今はもう聞かない」
「今後一切二度と聞いてこないで」
「それはできない」
「……フランこそ意地っ張りなんじゃない?」
「うん、そうかもね」

 何を言われても諦めようとは思わないから、こいしの言うとおりなのかもしれない。だから、否定の言葉は考えず平然と肯定した。
 私の様子が気に入らないのか、こいしが浮かべたのはつまらなさそうな表情だった。どういう反応を期待してたんだろうか。
 こいしは不機嫌そうにしたままタルトを手で掴んで食べ始める。

 私はこいしの様子を眺めながら本をめくる。前回の続きのページを探しているのだ。
 こいしがそれを止めようとする様子はない。だから、目的のページはすぐに見つかったし、滞りなく朗読を始めることができた。




「感情がこもってないし、声がこもってて聞き取りにくかった。やっぱりフランの朗読は最悪」

 相変わらず散々な感想だった。でも、前に比べれば指摘されている箇所も減っているし、一応進歩はしているという証かもしれない。初めて散々に言われたときに比べれば、前向きに受け取ることができたからかさほどへこんでいない。
 一度最悪を味わったおかげか、少々打たれ強くなったのかもしれない。

「うん、今度はその辺りに気をつけてみる」

 頷きながら、今回の朗読に関して思い返してみる余裕さえもある。
 声がこもっていたというのは俯いて読んでいたからかもしれない。もしくは、まだ失敗を引きずっていて慎重になりすぎていたかもしれない。次からはできるだけ顔を上げるようにしよう。少しずつではあるけど、こいしにも慣れてきているし。
 でも、感情を込めて読むというのはどうすればいいんだろう。練習中にもよくわからなかった部分だ。

「……」
「ん? どうしたの?」
「……なんでもない」

 無言でこちらを見ていたこいしは、私が視線を向けると顔をそらしてしまった。そして、まだ残っているタルトを食べ始める。
 気になるけど、追求しても答えてくれないだろう。だから、後で考えてみようと思いつつ私もタルトを手に取ろうとして、あることに気付いた。
 何種類かのタルトがあったはずなのに、残っているのはココアのタルトばかりだ。ちらほらと他のも残っているけど、その他でまとめしまってもいいくらいに少ない。

 さとりがココアはこいしの好きなものだと言っていた。でも、今こうしてそれを避けているのはどうしてなんだろうか。
 嫌いになってしまったから? それとも、さとりを避けているから?

「……さとりは、ココアを作るのが上手だよね」

 ココアのタルトを一つ取って、不意にそう言ってみる。この話題がこいしのどこまで届くのかはわからない。
 まあ、届かなかったならそれでも構わない。さとりの作ってくれたココアを思い出した私の独り言。そう思うことにするから。

「あのココアが本当においしいって思えるのは、作った直後だけだと思うんだ。熱いわけでもなく、ぬるいわけでもなく、暖かくてほっとできる温度になってるのは本当に短い時間だけだろうから」

 そして、きっとそれは飲んでくれる誰かのことを想っている暖かさなんだろう。あのときに飲んでいたのは私だったけど、きっと作りながら想い浮かべていたのはこいしだったはずだ。
 こいしがココアを好きだと話すさとりの様子からそのことは十分に伝わってきていた。

「……なんで、いきなりそんな話をするの?」
「ココアタルトばっかり残ってたのを見たら、ふと思い出したから。それに、こいしも半年もさとりのことを避けてるなら、忘れてるんじゃないかなって思って」
「余計なお世話」

 そう言ってこいしはタルトの最後の一欠片を口の中に放り込み、残っていた紅茶でそれを流し込む。

「じゃあ、私帰るから」
「うん、……ばいばい」

 また来てと言うのとどっちがいいだろうかと考えて、立ち上がったこいしへとそう言った。相手に嫌われてるのがわかってるのに、また来てなんていうのはどうかと思ったのだ。
 こいしは振り返りもせず、無言で逃げるように部屋から出て行った。

 その足はどこへ向かっているのだろうか。
 私の言葉でさとりの想いが届いたなら、さとりに会いに行ったのかもしれない。
 そうだといい。……そう簡単にはいかないんだろうけど。

 思い通りにいきそうになく、少しばかり現実逃避をし始めた私は、あのおいしいココアをもう一度飲んでみたいなぁ、なんて思っていた。


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