「他人の部屋で何してるの?」
「……っ!?」
突然聞こえてきた声に、びくりと身体が震えた。私の大きな動きに合わせて、椅子ががたりと音を立てる。
椅子に腰掛けて、こいしがさとりやその周辺の人たちを避けているということ、さとり自身もこいしを避けているような様子をしていたことを考えていたせいで、かなり驚いてしまった。
心臓が早鐘を打っている。それをなだめるように、左胸に手を当てる。どくどくと高鳴っているのがよく分かる。
「お、おかえりなさい、こいし」
顔を上げてみると、不機嫌そうなこいしの顔が目に入ってきた。一応予想して心構えをしていたはずなんだけど、さとりから聞いたことを考えてたせいか、もしくはそもそも心構えが足りなかったせいか、すでに及び腰だ。
「ここ、私の家であってフランの家じゃないんだけど」
不機嫌な上に、怒っているような雰囲気もある。あんまり他人と関わることのない私でも、毛嫌いされているらしいというのはいやでもわかる。
「そうだけど、私の方が先にここにいたから、そう言うべきかなって」
「普通はお邪魔してますとかじゃない?」
「あ……、そっか。えっと、お邪魔してます」
少し冷ややかな視線を向けてくるこいしの指摘に納得して、頭を下げつつそう言い直す。誰かの家を訪れることがなかったから、とっさに思い浮かんでこなかった。
「……非常識だね」
「う……、ごめんなさい」
自覚しているだけに何も言い返せない。
「それで、わざわざ私の部屋まで何しに来たの?」
こちらに用件を聞いてきながらも、声は刺々しく、関わるつもりがないというのが伝わってくる。何を言っても最終的には追い出されてしまいそうな気がする。
「こいしに館まで案内してもらったお礼が言いたくて。この前は、ありがと。それで、私たちの従者が作ったお菓子を持ってきたんだ」
あらかじめ用意していた言葉を告げる。ただ、怯えのせいか思ったよりも早口になっていた。
魔法空間からクッキーの入った黄色いリボンでラッピングされた青色の少し大きな袋を取り出す。
どうやら興味を持ってくれたようで、こいしの視線は私の手を追っている。
「ど、どうぞ」
おずおずと袋を差し出す。刺すような視線を向けてきているのと、こういうときにどうやって渡すのがいいのかがわからなくて、かなりぎこちなくなってしまう。
しかも、なかなか受け取ってくれないから、さらにどうしていいかわからなくなってしまう。こちらから何かをすべきなのか、それとも受け取ってもらえるまで待っているべきなのか。
でも、仮に何かをした方がいいにしても、それはそれでどうしていいかわからない。だから、結局、固まってしまったように動きを止めたまま、こいしが受け取ってくれるのを待つことしかできない。
「……私は、お礼がされたいわけじゃない」
「……何か、別にしてほしいことがあるの?」
こいしの潜めたような声につられて、私まで潜めたような声となってしまう。
「そんなこと言ってないっ」
自分の発言を誤魔化すように言いながら、私の手から袋をひったくる。乱暴に掴んだから、クッキーの潰れるような音が聞こえてきた。
そのことを残念だと思うよりは、こいしの態度が気になった。そうやって誤魔化すような態度を取るのは図星だからなのか、単に私に知ったような態度を取られるのが気に入らないのか。
「これで用事は終わり?」
冷たい視線でこちらを見下ろして、すぐに出て行けという雰囲気を醸し出している。その威圧感に圧倒されそうになってしまうけど、それではここまで来た意味がないと意気込んで、なんとか言葉を紡ごうとする。
「ね、ねえっ。なんで、さとりを避けてるの?」
地霊殿に着くまでは一切考えていなかった疑問。でも、さとりの話を聞いてから一番大きくなってしまった疑問。
「あなたには関係ない。勝手に私の領域に入り込んでこないで」
冷え冷えとした声で突き放される。
関わってくるなと、拒絶される。
それでも、さとりの作ったココアや、寂しそうなさとりを思い浮かべると簡単に後には引けない。
「で、でも、私はこいしがさとりを避けてるから、さらわれたわけだし、関係ない、ってことは、ないと、思う……」
自分がなんだか無茶苦茶なことを言っているような気がして、最後の方は掠れたようになってしまう。でも、さとりのペットがさとりをこいしと会わせるために私をさらったというのは事実だ。だから、間違ってはいないと思う。
なんだかこいしの不機嫌そうな態度を前にしていると、どんな自信も失ってしまいそうな気がする。
「なに? お礼じゃなくて、文句を言いに来たの?」
「そ、そういうわけじゃ、なくて」
こいしがテーブルに手をついて、顔を近づけてきた。
不機嫌そうな表情が間近にあることに、たじろいでしまう。でも、まだこのまま引き下がるわけにはいかない。せめて、何か納得する答えを引き出したい。
だから、その場に踏みとどまるようにして気を引き締める。更に不機嫌そうになってしまったら、簡単に一歩後ろに下がってしまいそうだけど。
「……ただ、こいしがさとりのことを避けてるのは、いやだな、って」
一言にしてしまえば、本当にただそれだけ。でも、だからこそ、抗いがたいほどに強く、私らしくないとはわかっていても、口に出してしまう。
「ふーん……」
心底どうでもよさそうに呟いてこいしが離れる。その無関心さは私の言葉だからなのか、それともさとりの話だからなのか。
前者なら別にいい。私がこいしにとって他人で、受け入れがたいということはわかっているから。
でも、もし後者なのだとしたら、それほど悲しくて寂しいことはないと思う。こいしがさとりを避けているのは、無関心やそういったものではなく、もっと別の理由があるんだと思いたい。
たとえ、世間知らずの勝手な思いなのだとしても。
「……ねえ、そのクッキー、さとりと一緒に食べてくれないかな。一人で食べるよりはきっと、ずっとおいしいと思うよ」
たぶん、私の言葉なんて聞き入れないだろうと思いながらも、抗うようにそう口にする。
「あなたに指摘されるいわれなんてない」
「そう、だよね。……ごめんなさい、勝手に部屋に入っちゃったりして」
これ以上は何を言っていいかわからず、立ち上がって部屋から出て行こうとする。
最初から私にどうすることもできないことはわかっていたけど、無力感に襲われる。
本当に何もできないんだなぁ、私。
「目障りだから、もう二度と近づいてこないで」
「……うん」
こいしの拒絶に、私は頷くことしかできなかった。
◆
こいしの言葉に打ちのめされた私は、頼りない足取りで館へと帰ってきた。
帰り際にさとりに挨拶をしたのは覚えているけど、その後のことは全然覚えていない。地霊殿を出たら館に着いていた。まさにそんな感じだ。
開いた覚えはないのに、日傘はしっかりと私を日光から守ってくれていた。開いてなければ、道中で倒れてたんだろうけど。
「お帰りなさい。……随分と傷付いてきたみたいね」
「あ……」
館に入ると、出迎えてくれたのはお姉様だった。有無を言う暇もなく抱きしめられる。
その瞬間、全身から力が抜けるのを感じた。身体をお姉様に預けて支えてもらうことで今の私は立っている。
お姉様はそんな私の頭を撫で始める。何も言わず、ただただ優しく撫でてくれる。
今になって私はようやく気づく。こいしの拒絶の言葉に自覚していた以上に傷ついていたということに。
昔だったら、私が自分自身のことを否定することはあった。
私は必要ない存在だ。私は周りを傷つけるだけで捨てられるべき存在だ。そんなことを毎日毎日繰り返し繰り返し続けていた。
でも、誰かに面と向かって拒絶されるようなことは一度もなかった。なぜだか知らないけど、お姉様を筆頭として周りに私を否定する人はいなかった。
だからだろう。こいしの拒絶で前後不覚に陥るほど傷ついてしまったのは。
「お姉様」
「ん? 何?」
「私……、どうすればいいのかな?」
何も考えられないほどのショックは受けたけど、こうしてお姉様に抱きしめられて頭を撫でてもらって冷静になってくると、やっぱりさとりとこいしのことが気になってくる。姉妹の間で何か問題がありそうだから、なおさらだ。
「突然そんなことを聞かれても困るわよ。私は何があったのか知らないんだから。貴女のやりたいようにやればいいと言われたい訳でもないんでしょう?」
苦笑の混じったお姉様の声。お姉様の言うことはもっともだ。
さとりとこいしのことに関して見聞きしてきたことは何も話してない。いくら私の考えていることを見抜くことのできるお姉様でも、知らないことはどうしようもない。
「でも、大丈夫? これ以上踏み込もうっていうつもりなら、今回以上に傷付けられる可能性だってあるわよ」
「それは、そうかもしれないけど……」
だからといって、無視することもできない。見なかった、聞かなかったと思い込もうとしても、今までのように集中力がどこかへと飛んでいってしまうような気がする。
だったら、納得ができるまで関わっていった方がいいんじゃないだろうか。
「まあ、貴女がそうしたいって言うんなら止めはしないわ。ただ、そういう覚悟はしておいた方がいいって言いたかっただけ」
背中を優しく何度も叩いてくれる。でも、お姉様の手が触れる度に覚悟という言葉が重くのしかかってくる。
「フラン? なんだか身体が強張ってきてるわよ?」
「え? あ、う……、覚悟、なんてできるのかなって思って……」
「これは、行動に移せるまで長そうねぇ。まあ、向こうから会いに来たりすればそんな事言っていられなくなるでしょうけど」
「……それは、絶対にないよ」
面と向かって二度と来ないでほしいと拒絶してきたのだ。そんなこいしが自ら会いに来るとは思えない。
「ふーん、そう? なら、貴女自身で何とかするしかないわね」
お姉様が私の身体を放す。でも、完全に脱力していて、お姉様に支えられていることで立っていた私は、その瞬間に倒れそうになってしまう。
なので、お姉様に両肩を押されることでなんとか倒れずにすんだ。お姉様は、呆れたように私を見ている。
「なんだか頼りないわねぇ。本当に大丈夫?」
「……大丈夫じゃない、かも」
もともと自信なんてなかったところに、覚悟なんて言葉が出てきたのだ。雀の涙程度しかなかった自信も、簡単に涸れ果ててしまう。
「でも、諦めるつもりはないのよね」
強い意志の宿った紅い瞳でじっと見据えてくる。対して、同じ色であるはずの私の瞳は、躊躇や不安で揺れているのだろう。
それでも、私は頷いた。諦めるつもりがあるかどうかではなく、諦められないのだ。姉妹の仲というのは、私の根底にある大切なものだから。
たとえそれが他人のものだろうと、関係なく気になってしまうのだ。
「よし。それならいいわ」
そう言って、肩から手を離す。今度は、バランスを崩すことなくちゃんと一人で立つことができた。
「とりあえずパチェの所に行きましょう。そこで、今日貴女が見聞きしてきたことを聞かせてちょうだい。どうするのがいいか一緒に考えてあげるから」
「うん」
私が頷くと、お姉様は図書館の方へと向かい始める。私はその背中を何の疑いもなく追いかけた。
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