翌日、お姉様に告げたとおり地霊殿へと向かった。流されるような形ではあったけど、自分で決めたことなんだからうじうじと悩んでも仕方がないと無理矢理意気込んで。
館を出る前に、お礼の品であるクッキーの詰め合わせを咲夜から渡された。移動の途中に割れてしまわないようにと、魔法で作り出した空間の中に納めてある。
このクッキーを渡すだけで十分なのではないだろうかなんて、会う前から及び腰になってしまっている。でも、それだと意味がない。最悪の場合でも、私がこいしへの興味を失ってしまうくらいの収穫がないといけない。
そのために、昨日の夜の間に気になっていることの質問をまとめておいた。
そうやって、自分なりにどうするかは決めているけど、こいしが素直に答えてくれるかという、私からはどうしようもない問題は残っている。そもそも会ってくれるんだろうか。
とまあ、そうやって考えごとをしながらも遅々と足を進める。こいしの言葉があったから、地霊殿の前までは魔法で姿を消して真っ直ぐに飛んできたけど、その後からはほとんど前に進んでいない。
さらわれたという事実があるせいで、怯えて前に進めないのだ。正面から行けばだいじょうぶだということをパチュリーが言っていたけど、大した支えにはなっていない。
それでもがんばって足を進めて、後は扉を叩くだけというところまでは距離を詰めた。でも、私をさらった犯人が出てきた場合、どうなるんだろうかと考えてしまって扉を叩くことができない。
そうやって玄関の前でうだうだと考え込んでいると、不意に扉の軋む音が聞こえてきた。
驚いた私は、すでに逃げ腰になっていたということもあって、反射的に背中を向けて逃げ出しそうになってしまう。
「あっ! 待ってください!」
でも、呼び止める言葉が思っていたよりもずっと丁寧だったから、なんとか踏みとどまった。
開かれた扉の向こう側に立っているのは、こいしに似た容姿をしている人だ。紫の髪はこいしとは色が違うけど癖が似ていたりと共通点が見られる。
最も際だっている共通点はやはり胸の辺りにある赤色の目のような物だろう。こいしのものとは違ってその目は開かれていて、妙な存在感がある。作りものめいた瞳がこちらをじっと見つめてきていて、なんだか怖い。目から伸びる紐のようなものもこいしよりも多く、六本の紐が複雑に絡み合うようになっている。
この人が古明地さとりで間違いないだろう。地霊殿の主で、こいしの姉。それから、心を読むことができる、だったっけ。読めないこいしの方が覚りとしてははみ出し者らしいけど。
「ああ、自己紹介は必要なさそうですね。……先日は、申し訳ありませんでした」
さとりが謝罪の言葉を述べながら深々と頭を下げる。そういうふうにして謝られたことがないから、困惑してしまう。
それに、さとり自身が犯人だというわけでもないから、どういう感情を抱くべきなのかもよくわからない。
「えっと……、なんで、私は連れ去られたりしたの?」
とにかく頭を上げてもらいたくて、とっさに思い浮かんだそのことを聞いてみる。
コレクションの一部にしたかったからだとかだといやだなぁ。私が入れられていた部屋のことを思い出しながら、そんなことを思う。
「うちのペットが、……私をこいしに会わせようとしたから、です」
さとりは言うか言うまいかを悩む素振りを見せたあと、そんな予想さえもしていなかったことを口にしたのだった。
「……それって、どういうこと?」
言われたことの意味がよくわからなかった。でも、なんだか深刻なことが起こっているような気配を感じ取る。
「ここ半年、こいしは私たちに姿を見せていません」
さとりが口にした事実は、私の持っている常識からすれば大きく逸脱していることだった。
でも、不思議と衝撃はそれほど大きくなかった。もしかしたら、こいしと関わっている間に、理性とは関係のない部分でそのことを感じ取っていたのかもしれない。
さとりに案内してもらったのは、こじんまりとした食堂だった。大きな木造のテーブルが一つと、同じく木造の椅子が数脚置かれているだけだ。
「これでも地底では一番大きいそうですよ。座って待っていてくださいますか?」
「あ、うん」
私が頷くと、さとりは食堂の奥へと向かった。向こう側が厨房になっているのだろう。それにしても、どこに行っても私の普通はずれてるんだなぁ、と思い知らされる。
ずっと館にいたから、そこでのことが私の普通の基準となっているけど、どうやら一般的な普通とは大きく逸脱しているようなのだ。
外に出始めた頃はそんなことにもいちいち驚いていたけど、今ではすっかり慣れてしまった。
そんなことを思いながら、適当な椅子に座らせてもらう。
そして一息つきつつ、玄関からここに向かうまでの間に聞かせてもらったことを頭の中で反芻してみる。
さとりは言っていた。こいしは半年ほど前から姿を見せなくなったのだと。でもそれは、地霊殿に帰ってきていないということではないらしい。
食事を用意すればいつの間にか一人分なくなっているし、洗濯物も気がつけば一人分増えていたりする。そうして、こいしがいるという確かな痕跡があるにも関わらず、姿を見た者は誰もいないというのだ。
姿を見せなくなる前も、二、三日帰ってこないというのはよくあり、数日帰ってこないというのは時々あったそうだ。でも、帰っているにも関わらず姿を見せないということはなかったらしい。どちらかというと、わざとらしいくらいに姿を見せていたそうだ。
そんな折に、この状況を是としないさとりのペットのうちの一匹が独断で行動し、私を連れ去ったとのことだ。そのペットの言い分は、好奇心の強いこいしが興味を持って姿を見せてくれるんじゃないだろうかと思ったとのこと。
その思惑通り、こいしは私に興味を持ったようだけど、力を使って私を部屋から連れ出したから意味はなかったようだ。
それにしても、どうしてこいしはさとりやペットたちを避けるようにしながら、傍にいるようなことをするんだろうか。
他人を避けるように力を使っているのとそのこととは、何か関係があるのだろうか。
ここまで移動する間はさとりの話を聞かないと、と思って思考は止まっていたけど、こうして一人になるとぐるぐると思考が空回りし始める。
考えるには考えるんだけど、堂々巡りで考えはまとまらない。昨日までの私と同じ状態だ。深刻な状態だというのを聞いた分だけ、空回りの具合も酷くなっているような気もする。
「フランドールさん」
と、不意に思考の間に声が割り込んできた。
「あっ、わ、ご、ごめんなさいっ」
びくりと肩を震わせながら、反射的に謝る。こっちから訪ねたのに、考えごとに没頭していたことに申し訳なさを感じる。
「いえ、気にしなくてもいいですよ。私のペットが勝手なことをしなければフランドールさんが関わることもなかったのですから」
ことり、と小さな音を立てながら取っ手の付いた大きめの白磁のコップが置かれる。容器の中では微かに湯気を立てるココアが小さく揺れていた。
今更ながらに甘い香りが部屋の中に漂っていることに気づく。あれこれ考えていて、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっていても、気づいた途端に意識は甘い物の方へと向かってしまう。
単なる逃避なのかもしれないけど。
「えっと、いただきます」
せっかく作ってくれた物を味わうときにまで、うじうじと考え込んでいたら失礼かと思い、意識はそのままココアの方へと向けておくことにした。しばらくすれば、また考えることになるだろうし。
「はい、どうぞ」
さとりが柔らかな微笑みを浮かべる。さとりが纏っている雰囲気と違わない微笑み方だ。
たぶん、さとりの傍は居心地がいいんだろうな。心を読むことで忌み嫌われていると聞いたけど、大したことを考えてない私にとっては特に気にならない。だから、さとりを嫌ってる人たちはもったいないことをしていると思う。
まあ、私にとって一番居心地がいいのは当然お姉様のいる場所だけど。
そんなことを考えながら、私の手には少し大きなコップを両手で包むように持ち上げる。警戒するように触れてみたけど、ちょうどいい温度に調節されているようで、持ち上げてみても熱くはなかった。心地よい温かさが手に伝わってくる。
コップに口を付けて、ココアを口に含む。そうすると、ほわりとした暖かさと一緒に幸せにも似た甘さが広がった。なんだか身体だけじゃなくて、心も暖められていくような気がする。
「……おいしい」
コップから口を離したとき、自然とそんな言葉がこぼれてきていた。
ただただおいしいものを作るのではなく、誰かを想って作り始めたものなんだろうか。一時期、お姉様が作ってくれた料理のことを思い出す。あの料理を食べたときも、同じような暖かさを感じたのだ。
「ありがとうございます」
さとりが、顔を少し伏せて恥ずかしそうに言う。褒められることに慣れていないのだろうか。頬が少し赤く染まっているのが見える。
私も私で、誰かを褒めてそんな反応をされたことがなかったから、ちょっと反応に困ってしまう。でも、いやな感じはしない。
「あの子の、こいしの好きな飲み物なんですよ。まだ普通に姿を見せてくれていたときは、帰ってくる度に作ってあげていたんです」
一言一言大切そうに言葉を紡いでいく。さとりが姉として、こいしのことを本当の本当に大切に想っているのだというのが伝わってくる。
でもだからこそ、さとりから聞いた現状を思い出して胸が苦しくなってくる。
どうして、こいしはこんなにも想ってくれているさとりを避けるような行動を取るんだろうか。
「……避けられている事は、構わないんです」
そうは言っているけど、その声は寂しそうで、構わないと思っているとはとても思えない。
「でも、寂しそう」
「そう、見えてしまいますか……。ですが、私があの子にあれこれ言うべきではないと思うんです。あの子が独り立ちをしたいというなら、私に止める理由もありません」
そう言われると、口を挟むことはできなくなってしまう。同じ姉という立場にいるお姉様も、時々私に独り立ちをしてほしいと言う。そこにさとりのような寂しさが見えたことはないけど、もしかしたら私のいないところでは寂しそうにしているのかもしれない。私が知っているのは、私の前にいるお姉様だけなのだ。
独り立ちしてほしいから関わらなくてもだいじょうぶなんて言う理由は理解できない。だから、妹である私からは何を言っても無駄なんだろうと思ってしまう。
私にとって姉というのは絶対的な存在であって、決して理解の及ばない存在なのだ。
でも、なんとなくだけどさとりは現状について納得していないような気がする。それが私の中に何かもやもやとしたものを作り出して、これでいいんだろうかという気持ちになってしまう。形がはっきりとしていないから、言葉にできない。そして、そのことがひどくもどかしい。
「ただ、こいしには独りではいて欲しくないと思うんですよ」
私が考えていることを無視するかのようにさとりはこいしへの願いを口にする。でもそれは、はたして何番目の願いなのだろうか。
「嘘偽りなく一番目ですよ」
淡々と告げる様子に、本当に何も言えなくなってしまう。何にも知らない私が口を挟める余地がどこにもない。
「フランドールさん。よろしければ、こいしの友達になってあげてくれませんか?」
そして、これ以上私の追求を避けるかのように、そんなお願いをしてきた。納得はできていないけど、強く押していけない私は、そんなことだけで諦めの気分になってしまう。
「それは、できないと思う」
でも、だからといって流されてさとりの言葉を聞き入れるということはない。私のこいしとの相性は最悪だというのは、よくわかっているから。
正直に言うと、今日こいしに会うことさえ少し怖いと思っている。少々無理にこうしてここに来たせいか、苦手意識が表面化してしまったようなのだ。
私がこんな状態で友達になれるとはとても思えない。
「そう、ですか」
さとりもそれ以上言う事を失ってしまったようで、俯いて黙ってしまう。気まずい沈黙がお互いの間に流れる。
「……えっと、こいしにお礼を言いに来たんですよね? 現れるかどうかは分かりませんが、部屋に案内しましょうか?」
しばらくして、さとりが今までの会話をなかったことにするかのようにそう聞いてきた。
私はそれに救われたように何度か頷いて、ココアの残りを一気に飲み干した。
冷めてしまっていてもおいしかったけど、暖かさが失われてしまっていたことをもったいないなぁ、と寂しく思った。
「ここが、こいしの部屋です」
黒と白のチェックのタイルとカラフルなステンドグラスの廊下をさとりについて歩いていると、ある部屋の前で立ち止まった。通り過ぎた部屋の扉はどれも代わり映えがしなかったけど、ここの扉には『こいし』と書かれた青いハートのネームプレートがかかっている。
さとりが扉を叩いてしばらく待ってみるけど、反応はない。今はいないのか、それとも私たちのことを無視しているのか。
少し諦めたようにそう考えていると、さとりが突然ノブを回して扉を開けた。
視界に入ってきたのは中に誰もいない、空っぽの部屋だった。
でも、勝手に入ったりしても大丈夫なんだろうか。私は部屋に勝手に誰かが入ってきてもいやだとは思わないけど、普通はいやがったりするものだと思う。
「大丈夫ですよ。こいしは自室を寝るためか休憩するための場所だと思っているので、あの子が部屋にいるにも関わらず勝手に入らない限りは怒ることはないと思います」
さとりの言葉を証明するかのように、部屋に置かれている物は極端に少ない。テーブルと椅子、ベッド、クローゼットといった必要最低限の物しか目に入ってこない。私の部屋の方が広いはずなのに、この部屋の方が広い感じがする。物が少なくて、空虚さを感じるせいだろうか。
「では、帰ってくるかどうかはわかりませんが、くつろいでお待ちください」
「うん。ありがと、ここまで案内してくれて」
本当は一緒にこいしのことを待って、三人で話をしようと言いたかった。そうするべきだと思った。
でも、さとりの様子を思い返すと断られてしまうような気がして、呼び止めることができない。
「私の代わりに色々と話してあげたり、聞いてあげたりしてください。あの子は私のことは気に入らないようですし」
「……」
そんなこと、言わないでほしかった。でも、現実としてこいしはさとりのことを避けているから、何も言うことはできない。
それに、さとりの方が私よりもずっとこいしのことを知っているというのは確実だ。こいしの姉だし、心も読むことができるのだから。
でも、だからこそ正面から向き合えばこいしを連れ戻すことができるのではないだろうか。いや、でも、それならそもそもこんなことにはなっていなかったのではないだろうか。
何がどうして、それをどうすべきなのか全くわからない。
「私のことは気にしないでください。こいしのことだけを考えて、どうやって仲良くするかだけを考えれば十分ですよ」
「そんなこと、できない」
私は姉妹というのは仲がいいものであってほしいと思っている。実際は全ての姉妹でそうあるというのは不可能だろうけど、さとりとこいしの二人は仲良くできるんじゃないんだろうかって信じてる。さとりが作ってくれたココアの柔らかな暖かさが私にそう思わせる。
「いいえ」
短く否定の言葉を告げられる。私の思考のうちのどれだけを否定されたのか正しくはわからないけど、自分はこいしと仲良くすることはできない。そう言っているかのようだった。
「私には、あの子の心は見えませんから」
やっぱり寂しそうな声だった。それだけに、どう受け止めて、何を言えばいいのかわからなくなる。
でも、一つだけ理解する。さとりとこいしの間には何か妙な距離があると。
「では、私はこれで失礼させていただきます」
さとりが逃げるように部屋から出ていく。
私はそれを止められず、小走りに遠ざかっていく背中を視線で追いかけることしかできなかった。
次へ
一覧に戻る