目が覚めると、私はベッドの上に横になっていた。

「……あれ?」

 寝る前との状況の違いに思わず声が漏れてきてしまう。身体を起こすと同時に、かけられていた毛布がずれ落ちる。それから、なんとなしに自分の身体を見下ろしてみるけど、特に変化はない。頭に触れてみても、髪を片側だけ結わえたリボンがあるだけだ。

 私の記憶では、天気が良かったから木陰に隠れて、空を眺めながら本を読んでいたはずだ。
 その最中、少しずつ暖かさに誘われた眠気が集まってきて、心地よさに身を委ねてそのまま眠ってしまった。でも、部屋に戻ったという記憶はない。

 誰かが部屋まで運んでくれたのだろうか。
 でも、この部屋は今まで見たことがない。そもそも館の中に運び入れるなら、普通は私の部屋へと運んでくれるはずだ。自室とは違う、それも私が知らない部屋へ運ぶとは思えない。
 もしかしたら、なんらかの事情があって、わざわざ別の部屋へと運んだのかもしれない。
 でも、その事情とはなんだろうか。

 いや、それ以前にこの部屋は、館の部屋とは雰囲気が違っている気がする。
 部屋に窓はない。でも、明かりが灯されているから暗くはない。同じように地下にある私の部屋よりも明るい印象を受ける。
 それは壁のせいだろう。白色であることは見慣れた部屋と同じだけど、材質が違う。表面に光沢があり、明かりを反射してきらきらと輝いているように見える。それによって、明るい印象を受けるようだ。
 部屋には物が雑多に置かれている。ビー玉やガラス瓶といった光り物の類が多い。ふと、自分の羽のことがよぎったけど、これのせいでこんなところにいるわけじゃないよね?

 ……それで、今どこにいるんだろうか。

 部屋の中を見回している間に頭は冴えてきて、じわりと不安が滲み出してきている。ここにいるべきではない。そんなふうに何かが訴えかけてきている。
 じっとしていることに耐えられなくて、ベッドから起き上がる。もしかしたら、もしかしたらだけど、ここは紅魔館で、たまたまこの部屋だけ作りが別なのかもしれない。地下にある部屋は自室と図書館だけだと聞いていたけど、ここはわざと窓を作らなかったのかもしれない。
 自分自身に言い聞かせるようにして、不安を払いのけようとする。
 扉の向こうには知っている場所があるんだと信じて、扉に駆け寄る。その向こうの景色を見れば、不安は消し飛ぶんだと思い込ませながらノブを掴む。

 扉は抵抗なく開いた。そのことに、一瞬安堵しかける。
 でも――

「え……?」

 部屋と同じ壁。白と黒のタイルの床。所々にはめ込まれたカラフルなステンドグラス。それらで構成された長い廊下。
 色鮮やかなガラス細工は、下からの光を受けて輝き、天井を染め上げている。それが、今までに見たことのない不思議な景観を作り出している。

 扉の向こう側にあったのも、やっぱり知らない場所だった。
 珍しい光景をゆっくりと眺めているような余裕はない。
 興味や好奇心よりも、怯えや不安の方が断然大きかった。

 逃げるようにして扉を閉じる。焦ってはいたけど、それと同時に音を立てないようにと慎重だった。音を立てた瞬間に何か怖いことが起こるんじゃないだろうかと、とても不安だったから。
 扉から離れて、現状をもう一度考えてみようとしてみる。本能の方が現実を直視するつもりがないのか、未だに紅魔館のどこかだ、なんて考えている。でも、そんな悠長に構えている余裕はなさそうだ。
 私は誰かに誘拐されたのかもしれない。知らないうちに全く知らない場所にいるということは、そうとしか考えられない。廊下の作りがこの辺りだけ違うと考えるのはかなり無理がある。

 でも、どうするべきなんだろうか。
 戦うことはできる。ある程度力のある妖怪や人間を相手にしても、負けることはないくらいの力があることは自覚している。でも、できることなら戦うことは避けたい。
 私の持っている力は、ふとした弾みでも簡単に殺せてしまうような力だ。弾幕ごっこのような遊びの場合はともかく、こうして実際に危険が迫っているような場面で制御しきれる自信はない。私の精神が不安定になってしまえば、使うつもりがなくとも周囲を無作為に巻き込んでしまう危険が高い。

 なら、どうするのが最善なんだろうか。
 とっさの場合になんとかできるようにレーヴァテインを出しておくというのも考えてはみたけど、武器を見せて下手に刺激してしまうのもまずい気がする。向こうがいきなりこちらに手を出してくるつもりがないなら、様子を窺って不意打ちを仕掛ける方が有効そうだ。

 あ、それよりも――

「お待たせっ! 助けに来たよ!」

 突然、扉が開け放たれた。扉が壁にぶつかる音が部屋の中に響く。
 驚いた私は、身体をびくりと竦ませる。もう少しで最善の答えが出てきそうな気がしたけど、全部大きな音と共に吹き飛んでしまった。

「だ、だれっ?」

 一歩後退り、警戒態勢に入る。先ほどの言葉を鵜呑みにするなら私を助けに来てくれたようだけど、扉の向こう側にいるのは特徴的な姿をしている、でも知らない人、おそらくは妖怪だった。

 まず、目に付くのは胸の前にある藍色の閉じた目のような大きな物体。そこから二本の紐のようなものが伸びていて、彼女の身体に巻き付くようになっている。
 それから、黄色いリボンの揺れる大きな黒色の鍔広の帽子が目に入る。その下には、不思議な色合いをした銀髪。純粋な銀ではなく、緑と青の中間のような色が混じっている。
 そして、好奇心で輝く翠色の瞳でこちらを見てきていた。私よりも身長がいくらか高いから、少し見下ろすようになっている。

 普段なら、好奇の視線を向けられると恥ずかしいような、逃げ出したいような、そんな気持ちになるけど、今は不思議とそうはならない。今が異常事態だからだとかは関係なく、目の前の彼女の存在感がどこか希薄だからだろうか。
 目をそらしたその瞬間に姿を消してしまっていそうな、そんな雰囲気をまとっているのだ。行動と雰囲気とが不釣り合いで、違和感がある。

「私は古明地こいし。あなたを助けに来たんだ」
「……あなたは、私のことを知ってるの?」

 存在感の薄さに何か恐怖に近いようなものを感じて警戒心を抱く。でも、はっきりとしたものではないから、少し及び腰になる程度にとどまった。

 私は目の前にいる彼女のことを知らない。誰かと出会う機会もかなり限られているから、どこかで会っていたけど忘れているということもありえないだろう。
 でも、向こうだけが知っているという可能性がないこともなかった。お姉様はいろんな人と出会う機会があるから、話をしている間に私のことが話題に上ったということもありえる。

「ううん、知らない」

 でも、返ってきたのは予想に反して否定の言葉だった。
 なら、どうして私を助けようなんてしているんだろうか。善意からという雰囲気ではない。
 いくら世間知らずでも、悪意の存在は知っている。でも、彼女から悪意は感じない。なんにもない。それが、一番しっくりとする気がする。

「だから、今から知るよ。ほらほら、あなたの名前を教えて。誘拐した人が戻ってくる前にさ」
「あ、えっと、フランドール。フランドール・スカーレット」

 急き立てるように言われて思わず名乗ってしまう。

「む、長い。面倒だし、フランでいいよね」
「え。別に、いいけど……」

 そんな理由で、出会っていきなり愛称で呼ばれることがあるとは思わなかった。確かに幻想郷の中では長い名前だとは思うけど。
 知らない人から愛称で呼ばれるのが嫌ということはない。ただ、初対面でいきなりそのことを感じさせないような近づき方をされると、困惑が大きくなってしまう。こっちは初対面というだけで、どういう態度を取ればいいのかわからなくなってしまうのだから。

「よしっ、さっさとここから逃げよう!」

 私の困惑に気づいた様子もなく、こちらへと手を伸ばしてくる。
 掴めということなんだろうけど、どうしても躊躇してしまう。意図がわからないし、不自然なほどに希薄な存在感に警戒を抱かざるをえない。

「ねえ――」
「ああもう! 焦れったい! さっさと行くよっ!」

 ――どうして助けてくれるの?
 せめて、それだけでも聞こうとしたのに、質問を遮るように手首を掴まれてしまった。こいしはそのまま部屋の外へと駆け出す。
 手首を掴まれている私は引っ張られるように後に続く。失礼かもしれないけど、私の手首を掴んだその手が温かかったことが意外だった。

「ちょ、ちょっと! 話を聞いてっ!」
「質問は後! 今はこっから逃げるのが最優先!」

 確かにそれは正論かもしれないけど、このまま素性のわからないこいしに連れていかれてもいいのかという不安もある。
 でも、帽子を押さえて駆けるその後ろ姿からは、質問を受け付けてくれるような雰囲気はない。何を言っても無視されてしまいそうだ。

 後で質問を聞いてくれるみたいだし、仕方なく足を動かす。
 色鮮やかに照らされる廊下に、私たちの足音が不揃いに響いた。




「よし、無事に脱出成功っ!」

 こいしに導かれるまま廊下を駆け抜けて、館の玄関扉に負けないくらいに大きな扉を二人でくぐり抜けた。
 外に出る直前に身構えたけど、予想していたものはどこにもなかった。見上げて映り込んできたのは、茶色い天井だけ。
 どうやら、ここは巨大な洞窟の中のようだ。吸血鬼の天敵である太陽はどこにも見当たらない。
 そして、もう一度思う。ここは、どこなんだろうかと。

「何か、聞きたそうだね。走るのも飽きたし、ここらで、質問タイムに、しようか」

 こいしがこちらへと振り返る。体力はあまりないのか、少し息が上がっているようだ。ちょうど目線の高さに肩があるから、上下しているのがよくわかる。

「こんなところで立ち止まっててだいじょうぶなの?」

 確かに聞きたいことはいくつかあるけど、誘拐されて連れてこられた場所の目と鼻の先でそんな悠長なことをしていていいんだろうか。後ろの方ばかりが気になって、質問に集中できそうにない。

「大丈夫大丈夫。ほら、私がいるから」
「……どこからそんな根拠が出てくるの?」

 こいしは、かなり余裕のある表情を浮かべている。でも、その余裕の理由が分からないから、大丈夫という言葉は全く信用できない。
 そもそも、本当に私を助ける気があるのだろうか。

「ふっふっふー、何を隠そうこの私は無意識を操れるんだよ。だから、私たちのことを無意識のうちに無視しちゃうようにすれば、そう簡単には見つからないよ。たとえ、目の前に立っていようともね」

 不敵な笑みを浮かべながら、そう説明をしてくれる。
 そういえば、建物の中で何匹かの動物とすれ違ったけど、どの動物も一切の反応を見せなかった。いくら命令に忠実でも、注意さえも向けさせないということになるとほとんど不可能だと思う。
 だから、こいしの言葉を信じてもいいという根拠はある。

 でも、こいしのことはまだ信頼できない。追いかけてくる存在がいないというのは確実だろうけど、突然現れて私を助け出したこいしに対する胡散臭さは消えていない。
 もしかしたら、こいしが第二の誘拐犯という可能性だってある。

「というわけで、質問をどうぞ。あんまり疑問を抱えてたら楽しめないでしょ?」
「楽しめないって、どういうこと?」

 どうして今そんな言葉が出てくるのかわからない。
 何かさせるつもりなんだろうか。

「そのままの意味だけど? 一人で遊んでてもつまんないから、一緒に地底巡りでもしてもらおうとね。面白い羽を持ってるあなたとなら、面白いことになるかなって」

 今の答えで私が抱いていた疑問のうちの二つの解を得られたということになる。でも、そんな理由で遊び相手を決めるのはどうなんだろうか。誰かと遊ぶなんてことを滅多にしない私にそんな期待を抱かれても困る。

 それよりも、ここは地底なんだ。
 言われてみれば大きな建物が洞窟の中にある時点でそう思うべきだったかもしれない。そんなことに気づけないくらい、余裕を失っているということなんだろう。
 地底については、パチュリーから少しだけ聞いたことがある。確か、地上で忌み嫌われていた妖怪たちが住んでいる場所だとか。

 ……私が、こんな場所にいてだいじょうぶなんだろうか。
 ある程度地上との関わりを取り戻してきたとも聞いたけど、それは表向きの話であって、実際のところはどうだかわからない。特に感情面なんかはそう簡単に変わるとも思えないし。

「……私、遊んでないですぐに帰りたい」

 そんなことを考えていると急に不安になってきて、声も潜めたようなものになってしまう。こいしと二人きりの状態でそんなことをしても意味がないというのに。
 それに、寝てしまってからどれくらい時間が経ったかはわからないけど、館から私がいなくなったことには気づいているはずだ。私が無断で外に出るなんていうことは今まで一度もなかったから、お姉様も心配していると思う。

「ん? そう? なら気をつけて帰ってね。この辺の人たち、余所者に対する風当たり強いから」
「えっ? 出口まで案内してくれないの?」

 不安を抱えていた上に、そんなことまで言われてしまって一人で帰れるはずがない。

「うん。私は一緒に遊んでくれるかなって思ってフランを助けたんだよ? だから、フランが遊んでくれないっていうんなら、これ以上何かをしてあげる理由はない」

 私の手首を放して、距離を取ろうとする。でも、途中で足を止めると、こちらへと振り向いてきた。
 かなり意地悪そうな笑みを浮かべている。

「で、どうするの? 私と遊んでくれる?」

 絶対に断られることがないだろうという確信に満ちたような問い。
 こちらの考えを見透かしているのだろう。だからこそ足を止め、振り向いたのだと思う。
 それに、こいしの方は私に断られたところでなんの不利益もない。優位に立っているのは明らかに向こう側だ。
 お姉様のことは気になる。でも、度胸が足りないから断るなんてことはできない。そもそも、それだけの度胸があったなら、一人でさっさと逃げ出していたと思う。

「……わかった。遊んであげる」

 だから、私はそう答えることしかできなかった。仕方がないけど、信頼しきれないこいしの傍にいるしかないようだ。

「でも、私なんかと一緒に歩いても楽しいとは思わないんだけど」

 地底巡りをすると言っていたけど、私にできるのは後ろから付いていくことくらいだろう。
 数年前まで部屋に閉じこもって、特定の人以外とは一切接触のない生活を送ってきていたのだ。他人と話をすることにはなんとか慣れてきているけど、場の盛り上げ方は未だにわからない。
 そんな私が、散歩の相方に適しているとはとても思えない。

「楽しい楽しくないは私が決める。だから、フランは私に付いてきて好きなようにすればいいよ。さっ、行こうっ」
「あ、うん」

 再びこいしは私の手首を掴んで、立ち止まっている時間がもったいないとでも言うかのように駆け出した。
 他に選択肢がなかったから、私はその背中を追いかけた。




 こいしに引っ張られるようにしながら歩いたのは、旧地獄街道と呼ばれる通りだった。
 地面に白い敷石が敷き詰められ、それに沿うように長屋が並ぶ。所々に提灯がぶら下げられ、敷石をぼんやりと赤色に染めていた。いつか本で読んだ古い時代の日本の城下町。それも、大通りを外れたところのような雰囲気の場所だった。
 本に描かれていたものからは狭そうな印象を受けたけど、ここはそうでもなかった。並んで歩いていても、意識することなく反対側からやってきた人たちとすれ違うことができる程度には広い。
 そのすれ違う人もひっきりなしに現れてきたから、もしかしたらここが地底で一番賑わっている場所なのかもしれない。地底に住んでいる人の数もそれほど多くはないだろうし。

 通りに沿って並んでいる長屋の中には小さな商店を営んでいるようなところもあり、こいしに連れられてそのうちのいくつかに入った。私もこいしも、お金も物々交換に使えそうな物も持っていなかったから、綺麗に、ときには雑多に並べられた商品を見るだけだった。
 こいしは、興味を抱いたらしい物を手に取ったり触れたりしながら感想を漏らしていたけど、私はそれに対して気のきいた言葉を返したりはできなかった。こじんまりとした店内で、羽をぶつけないように注意することばかりに神経を注いでいた。
 そうだというのに、こいしはなんだか楽しそうだった。途中で何度も私がいる必要はないのではないだろうかと思ったほどだ。

 そういえば、商店をまわっている間もこいしは力を使い、店員が私たちに気づかないようにしていた。最初のうちは、商品を盗み出したりするんじゃないだろうかと思って不安になっていたけど、問題行動を起こすようなことは一度もなかった。
 でも、それならどうしてこいしは、力を使ってたりしていたのだろうか。商品を眺めるだけならそんなことをする必要はないはずだ。

「ねえ、フラン。何か考え事してる?」

 不意に、こいしが足を止めてこちらへと振り向いた。余計に進んだ分だけ、こいしとの距離が縮まる。
 私を見るこいしは、小さく首を傾げている。今までの余韻からか、楽しげな雰囲気を纏っている。

「あ、えっと、なんで力を使ってるのかなって。散歩をするだけなら必要ないよね?」

 今も力は維持しているようで、道の真ん中で足を止めている私たちに注目するような人はいない。誰も一瞥も向けることなく、でもぶつからないように避けて歩いている。

「そんなつまんないこと考えてたの? フランがこっちに集中してくれないと、私の楽しさも半減するんだけど」

 少々不満そうな表情を浮かべたこいしが一歩こちらへと近づいてくる。もとからそれほど離れていなかったから、お互いの距離はほとんど零となる。そのせいで、見上げないと顔が見えない。
 じっと見下ろしてくる翠色の瞳。そこに最初のころの好奇心の輝きはない。代わりに少々不機嫌そうな色が浮かんでいる。
 その視線の威圧感から逃れるように一歩後ろに下がってみるけど、同じ距離を保ったまま追ってきた。

「余計なことなんて考えずに、素直について来て楽しめばいいのに。そうすれば、私も楽しくなれるのに」

 不機嫌さを消して、無表情に告げる。その様子が怖くて、意識せずに再び一歩後ずさってしまっていた。でも、今度はこいしが追いかけてくるようなことはなく、きっちりと一歩分距離が開く。

「……ねえ、なんで私を選んだの? 私の羽は関係なかったよね?」

 こいしは面白い羽をしていて面白いことがありそうだから、と言っていた。でも、力を使って誰にも気づかれないようにしていたのでは意味がないのではないだろうか。力を使っていなければ、注目を集めるということはできそうだけれど。

「……ほんと、余計なことばっかり考えてるんだね」

 無表情の上に呆れが上塗りされた。今にもため息をつきそうな様子だ。もう先ほどまでの楽しそうな雰囲気は、どこにも感じられなくなっている。

「まあ、そうだね。フランが育ちの良さそうなお嬢様だったから、だね。最初に興味を持ったのはその羽の方だけど」

 視線が少し横にそれる。おそらく、私の羽を見ているのだろう。飛ぶのには全く役に立たない、でもやけに目立つ宝石のような羽を。

「つまんなくなっちゃった」

 興味を失ったように私に背を向ける。おそらく、こいしは私が従順に素直に楽しむことを期待していたのだろう。先ほどの、お嬢様という言葉にはそういったニュアンスが込められていたように思う。
 私はこのまま置いて行かれてしまうのではないだろうかという不安に襲われた。とっさに、こいしの手を掴んでしまう。

「なに? いくら楽しくなかったからっていっても、約束は守るからそんなに焦らなくてもいいよ」

 明らかに態度が刺々しくなっている。完全に私への興味も失せてしまっているということだろう。
 だから、こいしの言葉が信じられなくて、及び腰になりながらもこいしの手を放すことはできなかった。

「……」

 こいしは、一度こちらを睨むように見ただけで振り払うようなことはしない。
 そのことに安心をしながら、突然歩き始めたこいしの背中を追いかけたのだった。信頼できなくとも、今この場で頼ることができるのはこいしだけだから。


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