たくさんの人間が行き交う人間の里の道をフランと一緒に歩いていく。いつもどおり手を繋いで。
里に入ったばかりのときは擦れ違う人たち皆が皆私たちのことを見てきていた。人の視線に慣れてないフランは私の手をぎゅっ、と握って身体を寄せる。
見慣れない、ってのもあるんだろうけど、それにもまして私たちには目立つ特徴があるからねぇ。
私には第三の目とそこから伸びる何本かの管。フランには宝石みたいな七色の羽。いくら妖怪の蔓延る幻想郷でも私たちの姿はかなり特異だ。
それに今いるのは人間の里だから余計に私たちは周囲から浮いてしまっている。
フランも私自身も興味だけで構成された視線に耐えられなかった。だから、私は無意識を操って皆の視界に私たちを入れないようにした。こういうことは慣れてるから造作もない。
今では誰も私たちに注目していない。きっとこの里にいる誰よりもこの空間に溶け込んでいることだろう。
周りからの視線がなくなったことに安心したのかフランの手から力は抜けていて適度な距離を保って歩いている。
私たちは特に行く当てもなくうろうろと歩く。皆の視線から逃れて緊張のほぐれたフランは視線を右に左にと忙しない。
人間の里にはいろんな物がある。野菜や果物を売ってるお店、お肉を売ってるお店、お米やお酒を売ってるお店、パンを売ってるお店、と食べ物だけでもかなり充実している。
それ以外には畑仕事の道具だとか花屋、服屋、装飾品店とひとつひとつあげていったらキリがない。
一度来たことのある私でも目移りしてしまうのだ。初めてここに来たフランがあちこちに興味を惹かれるのは当然のことだろう。
フランの為に歩調を落としてゆっくりと歩いていると不意に何かの音楽が聞こえてきた。
何だろうか、と思って音のした方に視線を向けてみるとなにやら人だかりが出来ていた。人だかりが出来ている、というのにその一角は私たちが立っている場所以上に静かだ。音楽だけが浮いていて妙な感じがする。
「フラン、あそこに行ってみる?」
「うん」
足を止めフランにそう聞いてみると興味深そうに羽が揺れたのだった。
◆
近づいてみると音楽の正体が明瞭となった。どうやら、多数の楽器によって形成されてるみたいだ。
澄んだ主旋律の音が青い空の下何処まで伸びていく。その音を支えるように響く低音が心地いい。
誰が演奏してるんだろうか。確かめてみたいけど人の壁はかなり厚くて一歩も奥へと入れそうにない。フランの傘を畳むとか畳まないとか以前の問題だ。
「フラン、飛んで上から見てみようか」
「うん」
幸いなことに私たちは空を飛ぶことが出来る。皆が下で頑張って見ようとしている中ちょっとずるいかもしれないけど上から見させてもらおう。
私たちは同時にふわり、と浮かび上がる。こうしてみるとこの場にどれだけの人が集まってきているのかが良く分かる。人ばっかり。里中の人間が全員ここに集まっているんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
けど、そんなことをどうでもよくなるくらいの光景がその中心にはある。
特に子供たちが集まった中心部の本当に中央。そこでは、人形たちの舞踏会が開かれていた。
楽器を演奏する人形、踊りを踊る人形、そして、人形たちの中心で指揮を取るアリス。
優雅で軽やかなメロディーに合わせて人形たちが踊る。
軽快にステップを踏んで、スカートを翻しその場で回り、手を取り合い共に更に回る。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の服を着た七対十四体の人形が回り回り踊り回る。七色が混ざり合ってまるで虹そのものが踊っているようにも見える。
そして、アリスは人形と比べて遥かに大きく目立つはずなのに控えめな指揮がアリスへの注目を避けさせている。意図的に人形たちに意識が集中するようにしている。
すごい! ただ、そんな感想しか思い浮かばない。
ここにこれだけの人だかりが出来て、なおかつ静かなのにも納得だ。こんなものを見せられれば声を失うことしか出来ないだろう。
私は人形たちの奏でる音楽に、踊りに惹き込まれてしまっている。人形たちの動きを目で追うことしか出来ない。
音と踊りとが混ざる。視覚と聴覚の境界が曖昧になっていく。私も華やかな舞踏会の一部になってしまったかのような錯覚を感じて―――
そして、そうして、舞踏会は終わりを告げてしまう。私たちが来たときが既に終盤だったのか、それとも意識を奪われてしまって時間の感覚を失ってしまったからなのかはわからないけど一瞬の出来事のように感じた。
私はすぅーっ、と感覚を取り戻すのを感じた。そして、ここが人間の里であったということを思い出す。
徐々に、徐々に意識が舞踏会から里へと戻される。スカートを広げ優雅に礼をするアリスと人形たちの姿が目に入る。
……気が付けば私は拍手を送っていた。あまりにも素晴らしすぎる人形劇にはそれしか送れるものがないと思って。
隣からも拍手が聞こえる。フランもアリスと人形たちに拍手を送ることにしたようだ。
いや、違う。
意識が現実へと戻されていけばいくほどに拍手の音は大きくなる。そうだ。アリスの人形劇を見た人たち皆が拍手を送っているのだ。
下からも大きな音が響く。
拍手の渦はいつまでも続く。アリスは観衆へと微笑みを浮かべる。
そうして、喝采も何もなくただただ拍手の音だけが響きわたった。
◆
どれくらいの間、拍手が鳴り響いていたかわからないけどアリスが一声掛けると一気に拍手は止んでしまった。そして、これで終わりであることを告げると後ろの方にいた大人たちは皆解散してしまった。
私たちは立ち去らずに残っている。アリスに言っておきたいことがあったから。
けど、私たちはアリスに話しかけられないでいる。
何故なら、私たちの他にも子供たちが残っていて、アリスの周りに集まっているからだ。
アリスは子供たちにとても慕われているらしく皆からアリスお姉ちゃん、と呼ばれている。
こうして少し離れた所から眺めていると確かにアリスが慕われるのもわかる気がする。人形劇をしている、っていう理由だけじゃなくてね。
あれだけの子供に囲まれているにも関わらず優しい笑顔を浮かべながら均等に皆と接してあげられているのだ。
私なら無理だろうなぁ。そもそも、あんな状態になれば一人を相手にするのも大変そうだ。
「すごいね、アリス」
フランもどうやら私と同じことを思っているみたいだ。
……ん?
「もしかしてフランって、アリスと知り合いなの?」
「うん、そうだけど。もしかして、こいしも?」
「うん、神社の宴会に遊びに行ったときに会ったんだ」
「私は、パチュリーの図書館にいるときに会ったよ」
面白い偶然もあるものだ。……というか、ルーミアも共通の知り合いだったよね。世界は狭いといえども狭すぎる気がする。
もしかして、私もフランも交流の広い人としか知り合いじゃないんじゃないだろうか。
取り合えず、フランと知り合う前の知り合いを何人か思い浮かべてみる。うん、フランが絶対に合うことのなさそうな人もいる。地底にいる人たちとか。こうして共通の知り合いにしか会えないのは単なる偶然みたいだ。
こういう偶然っていうのは妙な思い込みをさせるから恐ろしいのだ。冷静に考えてみれば馬鹿馬鹿しい、とか思えるんだけどね。
そんなことをつらつらと考えながら子供たちの相手をするアリスを眺めているのだった。
◆
「貴女たちまだいたのね。私に何か用事かしら?」
ようやく子供たちから解放されたアリスが首を傾げながら私たちの方に近づいてくる。手ぶらだけど人形や楽器はフランのように魔法空間の中に収めているようだ。人形や楽器を片付ける姿を見ていたフランがそう教えてくれた。
今、アリスの傍らにいるのは黒い衣装を纏った上海と緑色の服を来た蓬莱だけだった。
「大した用事じゃないけど、アリスとお話をしてみたいなぁ、って」
「お話ねぇ。私に何か聞きたいことでも?」
「聞きたいことはないけど言いたいことなら!」
人形劇を見ていたときの感動を思い出して声を弾ませる。
「うん? 何かしら?」
「アリスの人形劇すごかったよ! もう、言葉に出来ないくらい!」
言葉に出来ないから適当に手をばたばたと振りながらそう言う。この感動を的確な言葉に言い表せないのがもどかしい。
「うん。私もずっと見惚れちゃってた。アリスってすごいんだねっ」
フランもアリスの人形劇を見ていたときの感動を思い出しているのか羽が忙しなくパタパタと揺れている。
「あはは、ありがと、二人とも」
絶賛されて嬉しかったからなのか、私たちの様子がおかしかったからなのかはわからないけどアリスが笑いながら答える。
「ねえ、アリス。私も人形を動かしてみたいっ」
おおっ、知り合いだからかフランがいつにも増して積極的だ。
「ええ、いいわよ。……ちょっと待っててくれるかしら」
「うん」
そう言うとアリスが中空から一体の人形を取り出す。それは赤い人形だった。髪も服も全て赤い。アリスはフランが好きな色を知ってるのかな?
「この子は和蘭人形。まあ、和蘭、とでも呼んであげて」
「うん、わかった。よろしくね、和蘭」
フランはアリスから和蘭を受け取ると笑顔を浮かべてそう言った。
◆
私はアリスの用意してくれた椅子に座ってフランの姿を目で追う。フランは和蘭をじっと見つめて操っている。
フランが出来るだけ集中出来るように、ということで日傘は上海と蓬莱が支えている。そういえば、あの二体はいつも一緒にいるような気がする。
最初フランは和蘭を立たせることにさえ苦労していた。立ち上がっては倒れ、立ち上がっては倒れを繰り返していた。
けど、アリスからのアドバイスを聞くにつれてフランは確実に和蘭を自在に操れるようになっている。
立っていられる時間が伸び、そして今ではずっと直立をさせられるようになっていた。今は歩かせる練習をしている所だ。
一歩ずつ、倒れることなく進んでいく。けど、あまりバランスが取れていなくて一歩ごとに身体がふらふらと揺れる。とっても頼りない歩みだ。
ふらふらとしながらも一歩ずつ確実に歩んでいく。諦めないで、挫けないで。
そうして、和蘭は大きな石の所へと辿り着く。
私はそれを見て思わず拍手を送る。その音が聞こえたのかフランが私の方を見て笑顔を浮かべる。それには、私も笑顔を浮かべながら小さく手を振って応えた。
それからフランはアリスの方へと向き直る。アリスは笑顔を浮かべて何かを言っていた。ここからでは聞こえなかったけど、きっとフランのことを褒めてたんだと思う。
また、アリスが何かを言う。それにフランが頷く。そして、アリスはフランの頭を撫でるとこちらに向かって歩いてきた。
なんだろう?
「こいし、暇してるみたいね」
「ううん、そうでもないよ。こうやって見てるだけでも面白いし」
どうやら、暇をしているように見えた私の相手をするためにこっちに来たようだ。アリスの後ろではフランが一人で人形を動かす練習をしている。まあ、正確には横に上海と蓬莱がついてるんだけど。
「それよりも、フランは放っておいても大丈夫なの? まだまだ、一緒に見てあげてたほうがいいんじゃない?」
「たぶん必要ないと思うわ。あの子、私が思っていた以上に上達が早いんだもの」
アリスが笑顔を浮かべてそう言う。自分の教えをどんどん吸収していくのが嬉しいようだ。
あることに一生懸命になったフランの成長速度は目を見張るものがある。例えば、お菓子作りとかね。
「じゃあ、アリスは暇を持て余してるように見えた私に何をしてくれるの?」
フランを見ながらお話とか、かな?
「折角だから、貴女には糸操り人形を教えてあげようと思ってね。こっちは魔法で操る人形のように一筋縄ではいかないわよ」
そう言いながらアリスが取り出したのは、頭、腕、足、腰、と所々に糸をつけられた人形だった。所々から伸びる糸は一枚の板へと届いている。
「……出来そうな気がしないんだけど」
「やる前から諦めたりしてたら駄目よ。ま、最初のうちは私が後ろから手取り足取り教えてあげるから安心しなさいな」
そう言ってアリスは私に人形を押し付けてきた。断る暇もなかった。
仕方なく私は渡された人形をじっと見てみる。
青い服を着た人形だ。目は開かれていてガラス玉を思わせる。そして、手足がだらんとさがり、腰もありえない方向に曲がっている。
アリスが普段使っている人形に比べるとだいぶ人形らしく見える。生気がない、というか誰も触れなかったらそのまま動かず埃を被っていきそうな印象だ。まあ、それが普通の人形なんだろうけど。
それから、糸のつけられた板の方を見てみる。これで人形を操るんだろうけど、どうやって持てばいいのかわからない。
「これ、どう持てばいいの?」
とりあえず人形を地面に置いて板を適当に握ってみる。ちょっと動かしてみるけど身体のあちこちが単に糸に引っ張られているようにしか見えない。思い通りには動いてくれない。
「ちょっと後ろから失礼するわよ」
後ろから抱き締められるようにして手を取られた。ふわり、とアリスの暖かさに包まれる。
「ここは、こうして、指はこうすればいいわ」
アリスが私の手を動かして正しく板を握らせる。それから、私の手に手を重ねたままアリスが人形を動かす。
「こうすれば、右手が、こうすれば、左手が動くわ」
指の動きにあわせて人形が右手を上げたり、左手を下げたり。そして、このときにさりげなくアリスの指の動きの癖を私自身の手に写す。
癖って言うのも無意識なものだから私自身に今までなかった癖をつけることくらい造作ない。ただ、見ただけで癖を写すことが出来るわけではない。実際に身体を動かしたりしないといけない。
私はそうやってアリスの手から伝わる指の動きを自分の身体に覚えこませながら人形の基本的な動作を覚えていく。
「……っと、こんなものね。よし、一人で動かしてみなさい」
「うん、わかった」
私が頷くのにあわせてアリスが私から離れる。今まであった暖かさがなくなったことで少し肌寒さを感じる。
私は手に覚え込ませた動きを思い返す。
ちゃんと動かせる自信は、ある。なんといったって最高の人形遣いであるアリスの手の動きをある程度再現できるんだから。
まずは、手を上げさせる。右手と左手を交互に上げさせたり、手を振らせたりする。よし、私の思ったとおりに動いてくれる。
次に私は人形を歩かせる。一歩、二歩と進んで行く。行くんだけどなんだかとても不自然。手や足はちゃんと動いてるんだけど、滑っている、という感じがかなり強い。
「手の動きは完璧だけど、身体の動かし方が駄目ね。貴女の身体も動かさないと人形の動きはとても不自然なものになるわよ。……というか、こいし、何かずるしてるでしょう」
ばれてしまったようだ。流石その道の人っていうだけある。
「えっと、よくわかったね」
「あら、本当にずるしてたのね。で、どんなずるをしてたのかしら?」
……どうやら、鎌を掛けられただけのようだった。アリスが可笑しそうに笑っている。
なんだかもう恥ずかしすぎる。
「……アリスの指の動きの癖を私の指に刷り込ませたんだ」
「へえ、そんなことが出来るのね」
笑っていたかと思うと感心したように頷く。そして、何か思うところがあるのか考え込んでしまう。
「……アリス?」
声を掛けてみても反応はなし。
今度はアリスの顔の前で手を振ってみる。でも、やっぱり反応なし。視線は私の方を向いているのに私を見ていない。
と思ったら、今度はフランの方へと視線を向ける。いつの間にかフランは上手に人形を歩かせられるようになっていた。
「よしっ、決めたわ!」
突然、アリスが声をあげる。私はびっくりして身体を震わせてしまう。向こうの方でフランも何事かとこちらを見ている。
「こいし、今からみっちり教え込んであげるから、指や手の動きだけじゃなくて身体の動きも覚えなさい!」
そう言うと私に有無も言わせず再び後ろから手を取られる。
「えっと、アリス。何を決めたの?」
私よりも頭一つと半分くらい大きいアリスを見上げる。何だか目の中に炎が見えるような気がする。
「後で教えてあげるわ。とにかく、今は私の動きに集中しなさい」
「う、うん」
私はアリスの勢いに押されて頷くことしか出来なかった。
……な、なんか怖い。
◆
「こいし、大丈夫?」
椅子にぐったりと座り込んだ私にフランが心配そうに話しかけてくる。
「……とりあえずもう、動きたくない」
あの後、ぶっ通しでアリスに操り人形の動かし方を教えられた。基本だけじゃなくてかなり難しい感じのも含めて。
とりあえず、動きを覚えるのは私の能力のおかげで何の問題もなかった。けど、身体の方がついてこなかった。
癖を再現できるようになっても身体の方に変化があるわけじゃない。だから、慣れない動きに身体がついていかずとても疲れてしまうのだ。
アリスは私にこんなに操り人形の動かし方を教えてどうするつもりなんだろうか。
「この程度で音を上げるなんてだらしないわね」
アリスが可笑しそうに笑いながらそう言う。
アリスと一緒にいて分かったことが一つある。それは、意外と意地が悪いってことだ。私が休みたいって言ってもなかなか休ませてくれなかったり、身体が慣れてないと中々出来ないような指の動きを無理やりさせられたりと。しかも、逃げようとしてみても後ろからしっかりと押さえられてるせいで逃げられなかった。
「……それで、アリスは何を決めたの?」
力なくアリスを見上げて聞く。アリスが何かを決めたからこそ私はアリスに振り回されてしまったのだ。
隣ではフランが首を傾げているけど残念ながら今の私に説明をしてるだけの元気はなかった。私が説明するよりもアリスが言った方が早そうだし。
「貴女たちに人形劇を開いてもらおうかしら、ってね」
「え?」
アリスの言葉に同時に声を上げる私たち。ど、どういうことっ?
「フランは筋が良いし、こいしには私のほとんどを教えてあげたから問題はないと思うわ」
「いや、いやいやいや、いきなりそんなこと出来ないよっ」
私がアリスの言葉を否定しているとフランが首を縦に大きく振る。私とフランの意見は一致してるみたいだ。
「流石に今日明日やれ、とは言わないわよ。……そうねぇ、指定なしだとずるずると伸びそうだから何をやるか決めてから一週間ってところかしらね」
「短すぎるし、そもそも私たちやるって言ってないよっ!?」
「大丈夫、貴女たちなら一週間練習すれば十分見せられるものになるわよ」
私の後半の言葉無視してるしっ!
「それに、ちゃあんと私が指導してあげるから。確かフランの部屋って地下だったわよね?」
「え? うん」
「うん、よし。練習はフランの部屋でやりましょう」
「え……」
フランが動きを止める。アリスの言葉に驚いてしまったようだ。
私は途中でなんとなく気付いてた。どう止めればいいかはわからなかったけど。
というか、これでもう逃げられなくなってしまった。フランを見捨てて私だけ逃げる、って言うわけにもいかないし。
「……アリスはなんでそんなに私たちに人形劇をやらせたいの?」
「ん? 私が人形劇を見たことなかったからよ。ここで人形劇をやるのなんて私くらいしかいないし」
うーん、その理由のためなら頑張ってみてあげても良いかもしれない。でも、
「じゃあ、観客はアリスだけってこと?」
「そんなことないわよ。私がやってたときみたいにお客さんの前でやってもらうわ」
ああ、やっぱり。
「えっと……、なんで?」
「そっちの方が頑張れるでしょう? 失敗できない、って。貴女たちの最高の人形劇、楽しみにしてるわよ」
にこにことした笑顔を浮かべてそう言う。けど、期待してる、というよりは楽しんでいる、という感じだ。
絶対にアリスは私たちの心情に気付いてる。
「やりたくない、っていうのは?」
「あー、ごめんなさい。何を言ってるのか良く聞こえなかったわ」
わざとらしくそう言う。うん、聞こえてない人の台詞ではない。
……はあ、何としてでもやるしかないようだ。やらなかったらフランの所に居ついて、いつまでも人形劇をやれって言いそうだし。
私はフランの方を見てみる。そうすると、仕方ない、って感じに苦笑を返されてしまった。
たぶん、私も同じように笑ってた。
◆
翌日、私は気が進まないまま足を進ませてフランの所へと訪れた。
「あら、ようやく来たわね。意外と遅いのね」
フランの部屋には当然のようにアリスがいた。自分の部屋のようにくつろいで紅茶を飲んでいる。
「こいしっ。良かった、来てくれてっ」
それから、私の方へと駆け寄ってくるフラン。
「わ、っと。どうしたの? アリスに何かされた?」
思わず抱き止めてしまう。フランもそのまま私に抱きつく。
「ううん、そんなことないけど。何だか二人っきりだと怖くて……」
「あー、そっか。よしよし、私がいるから大丈夫だよ」
私も出来ればアリスと二人きりになるような状態にはなりたくない。
「……うんっ」
私が抱き締めたまま頭を撫でてあげるとフランは抱きついたまま嬉しそうに頷く。
「こらそこ、何で私を悪者扱いしてるのよ」
私たちの会話を聞いてたアリスがそう言う。口ではああ言ってるけど怒っている感じではない。
抱き締めていたフランを放して二人でアリスの方に向く。
「いや、悪者扱いしてるわけじゃないんだけどね。ただ、私たちに無理やり人形劇をやらせようとしたり、そのためにフランの部屋に押しかけたりしてるから、ちょっとこう、警戒心というか、そういうものが」
こくこく、と頷くフラン。
「そう。まあ、人形劇を満足にやれるようになる頃にはお互いに信頼関係が出来てるはずよ。ね?」
笑顔で首を傾げられても……。
とにかく、今、私たちとアリスの間に出来てる間は埋まってるようなきがする。でも、信頼関係が出来上がってるような気はしない。
「とにかく! 何をするか決めなければ前には進めないわ。こいし、何か決めて来たかしら? フランは特に決まってないらしいけど」
私がいない間も人形劇のことについて話してたらしい。進展はしてないみたいだけど。
「私も特には決めてないよ。フランと一緒に決めるつもりだったから」
「ふーん、フランと同じことを言うのね。……で、私は除け者というわけね。いいわよ、いいわよ。二人で決めてちょうだい」
すねたような口調でそんなふうに言われてしまう。なんか昨日から私が今までイメージしてたアリスと違うんだけど。実は誰かと入れ替わってたり、とかなんじゃないだろうか。私にそれを確かめる術なんてありはしないけど。
「いや、アリスも手伝ってくれると嬉しいんだけど。私たち、初心者だからどうすればいいのか全くわかんないし」
「そう言われなくても勝手に助言させてもらうつもりだったわ」
どうやら拗ねてたように見えたのは演技だったようだ。あーもう! 面倒くさいな!
「とりあえず、そうね。フランは魔法の糸で、こいしは実在する糸で人形を操る、ということを考慮に入れて考えてみればどうかしら?」
考え始めてもないのに早速そんな助言をくれた。
ふむ、まあ、確かにそうだ。フランの操る人形と私の操る人形の動きは全く違う。何の理由もなしに同じ舞台に立っていれば当然違和感があるだろう。
「うん、そうだね。ありがと、アリス」
「いえいえ、貴女たちに最高の人形劇をやってもらうため、と思えばどうってことはないわ」
こうやって私欲の為に動いてなければ素直に助言を喜べたのになぁ。それに、そうだとしたらこの人形劇をやること自体快く聞き入れていたかもしれない。
……まあ、今はアリスから逃げられないでいるからそんなに変わらないか。
◆
「こいし、出来たよっ」
羽ペンを握って紙の束に向かっていたフランが顔を上げてそう言う。
フランが今の今まで書いていたのはとある物語の清書だ。
私たちは自分たちで物語を考えてそれを劇にすることにしたのだ。
物語の内容はとても簡単なもので、外に出ることを怖がっていた主人公の女の子が意志を持つようになった大切な人形に連れられて外に出る、というものだ。
なんとなく、私とフランの出会いを彷彿とさせるけど間違いではない。このお話は私とフランの出会いを元にして書いたようなものだ。
私が操る人形の特性を生かすために雰囲気はだいぶ変わってしまってるけどおおまかには似たようなものだ。外に怖がっている人を引っ張って外に連れ出す。この構図は変わっていないのだから。
「おおー、出来たの? ちょっと見せてもらってもいい?」
「うん、いいよ」
何が書いてあるのかは分かってるけど、清書と下書きでは見え方が違ってくるんだろう。そう思ってフランの手から物語の清書を受け取る。
「やっぱり綺麗だね、フランの字は」
出てきた感想は物語に対するものではなかった。まあ、当然なんだけどさ。
けど、本当にフランの字は綺麗だ。ちょっと複雑な魔法を使うときは魔法陣を書く必要があるらしいからそれのおかげなのかもしれない。
「そう、かな」
照れたような口調でそう言う。私は「うん、そうだよ」と言いながら頷き返す。
「もう完成したのかしら? 随分と早いわね」
私たちの会話が聞こえてきたのか邪魔にならないように、と部屋の片隅で本を読んでいたアリスが近づいてくる。
「うん、これが完成品だよ」
私とフランが考えた物語をアリスに手渡す。
アリスは受け取ったそれをぱらぱらと捲って読み進めていく。あれで読めてるんだろうか。まあ、おおまかな流れだけを見るならあれでも問題無さそうだけど。
「へぇ、面白いわね。……これは、あれかしら? フランとこいしの出会いの話を元にしているのかしら?」
「うん、そうだよ」
おっと、声が重なってしまった。まあ、良くあることだから今更そんなに気にはしないけど。
「ふむふむ。まあ、物語を書く上で自分の体験を元にする、っていうのは基本的な手法ね。……でも、二人とも物語を書くのは初めてなのよね? それにしてはよくまとまってて分かりやすくなってると思うわ」
「そうなんだ?」
今まで読んできた物語を頭の中で思い描きながらフランとあれやこれやと悩んで書いたんだけど、悪くなかったみたいだ。
「ええ、初めてでここまで書ける人なんてそういないわよ。そうね、今なら私の人形劇用の物語書きとして高く雇ってあげるわよ」
「いや、やめとくよ」
隣でフランも頷く。
「そう、残念ね」
本当に残念そうに呟く。お世辞でも何でもなく私たちの物語を評価してくれてたみたいだ。
それにしても、もう少しで危うく、遠慮しとく、と答える所だった。たぶん、アリスにそう言ったら、遠慮する必要なんてない、と言って私たちを無理やり引きずり込んでた。
さっきのアリスの反応を見ると特にそう思う。
「さてさて、気分を入れ替えてこれからこの物語を人形劇用の台本に直していきましょう。まずは二人でやってみるかしら?」
その一言でアリスの残念そうな表情は何処かへと飛んで行ってしまう。切り替えるのがとても早いみたいだ。
まあ、それよりも、
「いや、どう書けばいいのか全くわかんないからアリスも手伝ってよ」
「うん、私も見たことないからわかんない」
本ならそれなりに読んでる私たちだけど、人形劇なんて見たことがなかった。昨日アリスがやっていたのを見るのが初めてなのだ。
ましてや人形劇用の台本なんて見たことあるはずがない。そんな私たちに人形劇用の台本を書け、なんていうのは無理な話なのだ。
「私のことを頼りにしてくれてるのね」
アリスが嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「……アリスにしか頼れないっていう状況なだけなんだけどね」
嫌味っぽい言葉にアリスは表情一つ変えない。
それと、アリスにしか頼れない状況を作ったのもアリスだ。
溜め息混じりにそんなことも思うのだった。言った所でアリスは表情一つ変えないんだろうけど。
◆
そして、それから一週間が経った。
人形劇用の台本はアリスの手によって私たちが物語を完成させたその日に完成させてしまった。流石、手馴れてる、と言ったところだ。
と、言ってもそれは練習用の仮のもので細かい部分は練習をしながら修正していった。物語とは違って頭に思い描くだけじゃなくて実際に演じてみないと分からない部分もあるからねぇ。
そうやって劇もなんとか完成へと近づいて今日が本番だ。完成した、と言い切らないのは、アリスが、人形劇は誰かに見せて拍手をもらってようやく完成よ、と言っていたから。
意味はよくわかんなかった。実際に演じ終わったときに分かるんだろうか。
「さーてと、今日はどれくらい来てるかしらね、っと。……あらあら、随分といるわね」
私たちはアリスに連れられてアリスがいつも人形劇をしている場所へと向かっていく。アリスの声に釣られるようにして角の向こう側を見てみると。
「わ……」
声を失ってしまうほどの人たちが集まっていた。隣でフランも止まるのがわかった。
「ア、アリス何かしたの?」
あまりの数の多さに私は動揺してしまう。くるり、とアリスの方を見てそう問い掛ける。ちなみにアリスは私たちが練習している間に一度だけ里で人形劇を開いている。
「んー、今度、私の可愛い弟子たちが素晴らしい人形劇を開くから見に来てください、としか言ってないわよ」
たぶん、それだ! 今までアリスに弟子なんていなかっただろうし、里で人形劇をやっているのなんてアリスくらいだ。きっと皆物珍しさから集まってきてるんだ。人間、珍しいものにはどうしても興味を引かれてしまうものだから。
「ま、頑張りなさい。貴女たちなら問題はないわ。何といったってあんなに練習していたんだもの」
……まあ、最初に乗り気ではないと思っていた割には気が付けば一生懸命に練習をしていた。少しずつ、何かを積み重ねていく、という感覚が面白かったのだ。
アリスから人形の動かし方の癖を盗んでいるとはいえ実際に演じさせてみるとなかなか上手くいかないものなのだ。細かい部分でその場面に相応しい動きを意識しないといけないから。
「……」
深呼吸して自らの動揺を抑えようとする。けど、動揺が抑えられれば抑えられるほどに自分の緊張が浮き彫りになってきてしまう。
あー、今までこんなに緊張したこと、あったかな。……身構える暇もなくやってきた緊張なら何回かあるか。
そう思ってみれば意外と大したことないように思えてきた。だって、不意打ちじゃないからどうにかこうにか対処することは出来る。
ほら、そんなことを思っている間に緊張はいい感じにほぐれてきた。
「よしっ、行こうか、フラン」
笑顔さえも浮かべてフランの手を取る。
「……うんっ!」
深呼吸を一度した後、笑顔で頷き返してくれた。私と一緒なら何処までもついて行ける、とでも言うように。
こうして、こうしてフランが私を信頼してくれている限り私も何処までも何処までも進んでいくことが出来るんだ!
◆
「初めまして、今日、アリスに代わって人形劇をやらせていただく、古明地こいしです」
「え、えと、ふ、フランドール・スカーレット、です。は、初めまして……っ!」
私は出来る限り平静を装って、フランは隠し切れなかった緊張を滲ませながらそう言った。礼もする。
大勢の人たちが見ている中、私たちは舞台の上での軽い自己紹介。皆、静かにしてくれているから声を張り上げる必要はない。それに、アリスの魔法によって私たちの声は遠くまで響きやすくなっている。だから、アリスの言っていたとおり声量に関しては意識する必要は無さそうだ。
顔を上げて私たちの人形劇を見に来た人たちを瞳に映す。
最前列には期待を込めた眼差しで私たちを見つめる子供たちとアリスが座っている。
アリスは観客側にいながら私たちのサポートをしてくれる。舞台の入れ替えとか。
それと、アリス以外にも私たちの舞台のサポートをしてくれる人がいる。舞台の演出にどうしても必要だったから頼んで協力してもらうことにしたのだ。
その人は私たちの見える場所にはいない。まあ、結構油断のならない性格をしてるから心配する必要はないだろう。
それよりも今は私たちのことだ。
私たちは大舞台から人形たちの為の舞台の裏へと動く。木の枠で囲われた小さな舞台。今は幕が閉じられているそこには今回のお話の主な舞台である女の子の部屋がある。
背景は絵などではない。テーブルも、本棚も、本棚にある本も全部全部アリスが作ったミニチュアだ。いつかアリスが劇をやったときに使ったものだそうだ。
その舞台の中には二体の人形が横たわっている。一体は精巧な作りで、もう一体は精巧さにはかけるものの丁寧な作りだった。
私は精巧な作りでない銀髪の女の子の人形から伸びる糸が括りつけられた板を手に持つ。フランは精巧な作りの金髪の女の子の人形を魔法の糸で操って立ち上がらせる。
この二体はアリスが今回の為に用意してくれたものだ。どことなく私たちに似せて作られている。今回の物語が私たちの出会いを基にしてるからアリスがわざわざ私たちに似せて作ってくれたのだ。
最初は自分に似た人形を動かす、っていうのは妙な感じがしていた。けど、練習を重ねるにつれてそんなものは気にならなくなってきた。
むしろ、自分の手足を動かすような感覚が付き纏ってくるのだ。その不思議な感覚に身を任せれば自然と演じきることが出来る。
……さてと、無駄なことを考えるのはここまでにしようか。
私は隣に立つフランへと無言で頷く。フランも緊張した面持ちのまま頷き返してくれた。
『……私はどうしようもなく臆病で外に出ることが出来なかった』
フランが自己紹介をしたときとは違う、震えのないはっきりとした声で語り始める。
それと同時に、舞台にかかっていた幕が開いていく。
『外に出ないから誰とも会わない。誰ともお話もしない』
フランが語り続ける。この物語はフランが演じるフィアの視点の物語だからどうしてもフランの台詞は多くなってしまう。
人前に立つことに慣れてないからどうだろうか、と思ったけど、今のところは特に問題がありそう感じはない。順調だ。まあ、まだまだ始まったばっかりなんだけど。
『でも、私はそれだけで十分だった。だって、この子がいるから。大事な大事な人形―――ローズがいるから』
フランの操る人形―――フィアが私の操る人形―――ローズを抱き締める。糸の引っ張られる感触が指に伝わった。
名前は私が薔薇の弾幕を使うからっていうだけの理由でつけられたものだ。ちなみに、フランが演じるフィアはファイアを適当にもじったものだ。こっちもフランが炎の魔法が得意だから、っていう理由だけでつけられた。
ま、そんなこと分かる人しか分からないんだけど。
『触っても暖かくはない。話しかけても返事をしてくれなければ笑いかけてもくれない。それでも、私はよかった』
静かなフランの声が響く。フランをモデルにしたキャラクターなだけあってフランの鈴のように澄んでいて、かつ大人しげな雰囲気の声はとても合っていた。
『こうやって抱き締めていれば次第に暖かくなる』
ローズを抱くフィアの腕に力が込められる。まるですがるようだ。
『私にお話しすることなんてなかったから返事をしてくれなくても困ることなんてなかった。けど、ある時―――』
ここで、ようやく私の出番だ。
『……ね、え……』
意図的に声を掠れさせながら声を出す。これが中々難しい。
私の―――ローズの声に驚いてフィアが身体をびくりっ、と震わせる。この時、微かにフランの身体も震える。
人形を動かすことに集中しすぎていて、時々自らも人形にさせる動きをするときがあるみたいなのだ。フランは全然自覚してないみたいだけど。
『ねえ、フィア……』
今度の声は最初よりもはっきりしたものだ。少しずつ、少しずつ声を出すのに慣れていくのだ。
フィアはより一層怯えてローズを強く抱き締める。
初めて会ったときのフランには近くにすがるものなんて何もなかったけど、彼女にはそれがある。
『私、私だよ……、だから、怖がらないで……』
持ち主を安心させようと出来る限りの優しい声でそう言う。それと、誰が声を出しているのか気付いていないから身動ぎをする。今はそれで精一杯。
『……もしかして、ローズが喋ってるの?』
フィアが強く抱き締めるのをやめてローズの顔を見る。怯えはすっかりなくなっていて代わりに驚きを浮かべている。
いつも思うけど、アリスの作る人形っていろんな表情が出来てすごいなぁ。まあ、私の糸操り人形に限ってはそんなこと出来ないんだけど。
『うん、そう。そうだよ。ごめんね、驚かせちゃって』
無表情に頷きながらフィアの言葉に答える。
『ううん。それは、いいよ。……でも、なんであなたは喋れるの?』
『君とお話がしたかったからだよ』
『なんで、あなたは動けるの?』
『こうして私を抱き締める君を抱き返すためだよ』
そう答えながらフィアを抱き締めた。
ただ、糸繰り人形なので強く抱き締めることは出来ず、フィアの身体に手を添えるくらいだ。糸繰り人形は結構動きに制約があるのだ。代わりに、フランが操ってる人形よりも作りやすいらしいんだけど。
『……よかった。ようやく私は君に話しかけることが出来た、君を抱き返すことが出来た』
この台詞は、中々恥ずかしい。表に顔を出してないからなんとか平静を保ったまま言う事が出来るけど表に出てやれ、と言われた多分、逃げ出す。恥ずかしさに耐え切れなくて。
『フィア、これからもよろしくね』
『うんっ』
フィアはローズの言葉にそう頷いたのだった。
そして、ここで舞台が変わる。その為に幕が一端閉じる。閉じてくれたのはアリスの操る人形だ。
幕が降りている間に私たちは急いで人形の立ち位置を変える。でも、あんまり急ぎすぎると糸が絡まったり、小物を倒したりするから慎重に、慎重に。
所定の位置についたところでアリスの人形に合図を送る。幕が開かれる。
『それから、ずっとずっと一人だった私はローズと二人きり。この子がたんなる人形だったときとあまり変わらないみたいだけど、本当は大きく、大きく違う。どんな行動をするにしてもローズとお話をする、ということが加わったのだ。
お料理をするときも……、掃除をするときも……、本を読むときも、私はローズとお話をする』
声にあわせてそれぞれの行動を実際にやっていく。フランの台詞に普通の喋るときには絶対にないような間があるのはその為だ。
ちなみに、ここがこの劇の中で一番忙しい場面だ。あっちに行ったりこっちに行ったりとかなり忙しない。しかも、それを急いでやらせてはいけない。だって、そういう雰囲気の場面じゃないからだ。
急がず、穏やかな雰囲気を出しながらも、フランの台詞に送れないように人形を動かさなくてはいけない。急ぎたいのに急げない、という状態に焦燥感を覚える。
『私はお話をすることが楽しいって事に気付いた』
ようやく、フィアが手を動かしながら笑顔を浮かべてローズに話しかけてる場面で落ち着く。
そう言えばフランは私のお陰で誰かに会う楽しさを知ることが出来たって言ってた。まだ、一人で会うのは怖いみたいだけど。
『でも、その為には他の誰かがいないといけない。……でも、今は、この子がいるだけで十分だ。だって私はこんなにも笑っていられるんだから』
フランは抱いていない、フィアだけの想い。フランとフィアの違いは、知らない誰かに出会ってるか出会ってないかってこと。
言葉にすると簡単だけど、実際にはとても大きな違い。臆病な人にとって体験したことがない、というのは本当に本当に怖いことだろうから。
『ねえ、私、外に出てみたいな』
フィアの語りが終わって、ローズがそんなことを言う。
彼女はただ純粋に外に興味を持っているだけ。意志を持ち始めたばかりで初めてのことだらけな彼女は好奇心が強いのだ。
『やだ』
即答されてしまう。それも肯定の言葉ではなく否定の言葉で。
臆病なフィアにしてみれば当たり前な答えだろう。
『ねえ、どうして? 外はとっても楽しそうなのに』
けど、自らの好奇心を抑えられないローズはそう言う。何も知らないローズにとっては本当に楽しそうに見えるのだろう。
『それは、本に書いてある世界だからだよ。本当は、とてもとても怖い所なんだ』
そう、実際に外は怖い所だ。何が起こるかわからないのだから。昔はお姉ちゃんや私を迫害する存在がいた。今でも、心を狂わせようとする桜があったりと本当に怖い所だ。
でも、それを知っても、知っていても私は、フランは外に出ることをやめない。怖いだけじゃない、ということも知っているから。
『そうなの?』
純粋で何も知らずフィアを信じきっているローズはフィアを疑うことなんて出来ない。だから、これは確認の言葉。
『うん。だから、絶対に出たらダメなんだよ』
『……そっか、それは残念』
本当に残念そうな声を出してその場は諦めてしまう。
『代わりに本を読もう。そうやって、楽しい楽しい世界を思い描こう?』
フィアはその言葉が逃げであると気付いている。けど、臆病だからそれで納得してしまっているのだ。
ローズの好奇心の芽は摘まれてしまった。けど、執拗と言われるまでにしつこいのが好奇心だ。
フィアは外に出ないと言ったけど、ローズは一度諦めたはずだけど、窓の外を眺める。どこまでも広がる世界を思い描いて。
『ねえ、フィア』
窓の外を、アリスが作った精巧な木々の置物を、アリスが描いた美麗な空を眺めながらローズがフィアを呼ぶ。
『本当に外は怖い所なの? あんなにも木々は鮮やかな緑色で、あんなにも空は澄んだ青なのに。本当に、本当に怖い所なの?』
『……うん』
ローズの問い掛けにフィアは嘘をつく。そうだと思っているから目を逸らす。けど、窓の外を見つめ続けているローズがそれに気付くなんて事はありえない。
だから、ローズは夢を見ているような口調で続ける。
『ねえ、一緒に外に出てみよう? きっと、一人だったから怖かったんだよ。私と一緒なら大丈夫』
そう言ってローズは自分の胸を叩く。けど、それは力ないものでどこか頼りなく見える。
けど、けど、それなのにローズは動かないはずの表情を動かして笑っているようにさえ見えた。
ローズのそんな不思議と力の篭った声を前にしてもフィアは首を横に振るだけだ。
『フィアはどうしてそんなに怖がってるの? 大丈夫だよ、私が護ってあげるから』
手を差し出す。でも、フィアは部屋の隅へと逃げ出してしまう。そして、ローズに背を向けてうずくまってしまう。
そして、ローズが何も言わないにも関わらず首を横に振り続ける。ローズはただ、そんなフィアを見つめることしか出来なかった。
フィアに私を拒絶したフランの姿が重なった。
フィアがうずくまってからそのまま時間が過ぎていった。気が付けば辺り暗くなっている。目を凝らさなければ周りの様子を見ることは出来ない。
この演出をするためにアリス以外のもう一人のサポートが必要だったのだ。流石に、日中、しかも外で暗幕程度ではこの薄暗さは表現できない。
『ローズ……』
臆病なフィアは闇へと向かって大切な人形の名前を呼ぶ。だけど、返事はない。
『ローズ……?』
もう一度呼んでも返事はない。
『ローズ……っ!』
悲痛な声。大切な大切な人形を求めて求めて求める声。
それが、フランの声で放たれるから私の胸が痛んでくる。演技だ、って分かってるのに。
そして、フィアの目から涙が流れる。
今回の為にアリスが用意したものだ。観客の方からは決して見えないだろう。
けど、それはどうしても必要なものなのだ。
『……ローズ……』
闇の中へと消え入ってしまいそうなほどにか細い声。
ああっ、もう! フランのこんな声を聞かされて何もせずに聞いてるだけ、だなんてできるはずがないじゃないか!
でも、でも、頑張ってこの衝動を抑えて―――
『フィアっ!』
闇が晴れる! フィアの前にローズが現れる!
少し感情が高ぶりすぎててちょっと声が上擦ってたけど気にしない。そんなの些細なことだ。
フィアがゆっくりと顔を上げてローズの顔を見る。彼女の頬は涙で濡れていた。
『どうしたの? 何を泣いてるの?』
『どうも、してない』
フィアは涙を拭いながらそう言う。
『まあいいや、まあいいや。そんなことよりも、ねえ、フィア』
高ぶった感情のまま私は息を吸う。同時に、フランを連れ出したあの時の感情を呼び起こす!
『外はとっても綺麗だったよ! 怖い所なんかじゃなかったよ!』
見てきた。この目で見て焼き付けてきたから分かるのだ。
『ほら、ほら、怖がる必要なんてないよ。行こう? 外に出よう!』
そう言ってフィアの手を掴む。
実際にはフランのフィアの方からローズの手を握らせてるんだけど今はそんなの些末なことだ。
走る、走る。フィアの手を引いて走る。
『ろ、ローズ! ちょ、っと待って!』
焦るフィアの声を気にせず、ローズはフィアの手を引いて外へと出た。
取っておきの景色を見せてあげよう、と思いながら。
そして、再び舞台は闇に染め上げられる。そして、闇の中で瞬くはアリスの作り出す無数の星々。
『フィア、綺麗でしょ?』
ローズがフィアの方へと振り返ってそう言う。けど、フィアはローズの顔なんて見ていない。
『……うん』
空に見惚れたままそう答える。
そういえば、フランに星ってまだ見せたことがないなぁ。いつか見せてあげよう。
『ねえ、ちっとも怖くなんてないでしょ?』
『うん……』
まだ、星に見惚れたままだ。
『これからは、もっともっといろんなところに行こうよ!』
『うん……っ!』
今度はローズを見ながら笑顔で頷く。そして、握り締めるのはローズの右手。
フランが私の手を握るときと同じ側の手。
そして、そうして、幕が下りる。彼女たちの物語はここから始まるけど。私たちが追いかけるのはここまでだ。
『ローズと一緒ならきっと私はどこまでも歩いて行ける。きっと、きっと……』
フィアの締めの言葉。
それは、フランの想いでもあるって言っていた。だから、私はその想いに答えてあげるために頑張らないといけない。
そんな想いを前にしたまま私は―――私たちは拍手をする観客の前に立つ。
「ここまでご静聴いただきありがとうございました! 演目『外に出よう!』でした!」
この物語の名前を口にして、私たちの人形劇は終わりを迎えた―――
◆Alice’s Side
人里で一番大きな甘味処。
フランとこいしには人形劇を成功させたお祝いに、ルーミアには暗幕係をやってくれたお礼に、餡蜜を奢ってあげることにしたのだ。
私の向かい側にはフランとこいしが、隣にはルーミアが座っている。フランとこいしが一緒に座るから自然とこういう座り方になってしまう。
向かい側ではフランが運ばれてきた餡蜜を見て首を傾げている。どうやら、フランは餡蜜を初めて見るようだ。
そんなフランを見てこいしが餡蜜のことを教えている。甘くて美味しい、という言葉を聞いた途端にフランは瞳をきらきらと輝かせ、羽をぱたぱたと揺らし始めた。
どうやらフランは甘い物が好きなようだ。それも、相当。何かに使えそうだから覚えておこう。
こいしはそんなフランを見て小さく微笑みを浮かべている。
こうして見ると仲の良い姉妹みたいね。こいしがお姉さんでフランがその妹。
さとりはともかくレミリアは私のこの言葉を聞いたときどう思うのやら。
そして、隣では、
「じゃあ、アリス。いただきますー」
ルーミアが真っ先に餡蜜の中にスプーンを突っ込んで食べ始めてた。
「こらこら、私の食べて良いって言葉が待てないのかしら? 一応私が奢ってあげてるのよ」
「うん、こんなにも美味しそうな物を前にして我慢するなんて食べ物に失礼だからねー。だから、フランとこいしも早く食べたら?」
そう言って二口目を口へと運ぶ。相変わらずマイペースだ。
ルーミアの言葉を聞いたフランとこいしは私の方へと視線を向けている。この子たちは律儀なのにねぇ。
「フランもこいしもどうぞ。温まっちゃうと美味しくなくなるし」
「うん、じゃあ、いただきます」
「いただきますっ!」
そう言って二人はほとんど同時にスプーンを口へと運ぶ。フランの声は随分と弾んでたみたいだけど。
「わ……、すっごく美味しい!」
「うん、そうだね」
フランは満面の笑みを浮かべ、こいしも笑顔を浮かべる。二人とも幸せそうだ。
こういう姿を見ていると何だか気持ちが和んできてこちらも自然と頬が緩んでくる。
そんな二人を眺めながら私も餡蜜をすくって口へと運ぶ。
みつの強烈な甘さ、寒天の冷たさと独特の食感、そして、小豆の控えめな甘さが広がる。なんとなく私の人形劇を連想させる。私の人形劇は視覚に七色の刺激を与えるが、この餡蜜は味覚に様々な刺激を与えてくれる。
一口程度では満足させてくれない。
いつ食べてもここの餡蜜は最高だ。フランやこいしが幸せそうになるのも当然のことだ。
「……ねえ、どうして、こいしたちは人形劇を今回限りでやめるのかしら?」
そうして、気分が良くなったまま私は口を開く。気分の良さで考え方を変えてくれないかしら、と思いながら。
「あー、もう、あれだけの人の前に立つのはこりごりだからね」
「うん。あんなのは一回だけで十分」
フランの頷きは特に大きかった。
ちなみに、フランは人形劇が終わった後、緊張が一気にほぐれてしまったせいかその場にへたり込んで立てなくなってしまった。ここまでフランを支えて歩いたのはこいしだった。
私やルーミアが支えてあげようとしたら遠慮して断ったのにこいしにだけは頼るとは。よっぽどこいしのことを信頼してるのねぇ、と思う。
「そう、残念ね。貴女たちなら十分に素質があると思ってるのに」
最初に二人を誘ったときとは違って私はあっさりと引き下がる。あんまり長く無理に引っ張っているとせっかくの才能の芽も枯れてしまう。まあ、また機会を見て二人を誘おう。
「……随分とあっさりと諦めるんだね」
こいしが疑うような視線をこちらに向ける。隣ではフランも同じような視線を向けている。
あらあら、随分と二人から信用されてないみたいね。ま、それだけ、からかう余地が出てくるからいいんだけど。
「あら、それは無理に誘われたい、と期待してるのかしらね?」
「いやいや、どうしてそうなるの」
手を左右に振って私の言葉を否定する。そんな反応が面白い。
「そ。でも、もしもまたやりたくなったら私に言ってちょうだい。台本作りと舞台の用意はしてあげるから」
「あ、そのときは私も呼んでねー。また、暗幕係として頑張ってあげるから」
ルーミアが餡蜜を食べる手を止めてそう続く。けど、それだけじゃなくて、もう少し続きがあった。
「それと、これは私の思いだけど、あの二人の続きの物語も見てみたいなー、って。人形劇じゃなくて、本、っていう形でもいいからさ」
ルーミアの言葉を聞いた二人が顔を見合わせる。
ルーミアの言ったことは私も頭の隅で考えていたことだ。でも言わないでいた。人形遣い仲間が増えて欲しいから。それも、魔法の研究とは一切関係ないようなただ純粋に人形を動かすことに楽しさを覚える仲間が。
でも、有望な脚本家が増えるのも悪くはないわね。二人の物語を読んだ私はそう思っていたわけだし。
「うん、そうね。人形劇に拘らずとも私は貴女たちの物語を読んでみたいわ」
そして、それを人形劇にしてみたい。
これは、二人が続きを書くことにしてから言おうかしらね。
ルーミアと私の思いを聞いて真剣に考え始めるフランとこいし。
さてさて、今この瞬間に二人の新たな物語作家が増えるのか否か。もし、増えるのなら純粋に祝福しよう。
そう思いながらもう一口餡蜜を口に運ぶのだった。
Fin
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