「……無様な姿ね」
そこには失望に似たような色が混じっている。
「なんで、貴女が……」
レミリアは傷の塞がりつつある身体を起こしながら咲夜を見上げる。
「胡散臭い雰囲気の妖怪があなたを倒したことを伝えてきたのよ。それで、ついでに拾って帰れ、ともね」
そう言いながら、咲夜はレミリアの前に屈みこむ。
「魔女は魔法の研究に忙しくて、門番はあそこから動けない、って言うから仕方なく私が来てあげたわ」
自分で進んできたのではない、ということをアピールするように溜め息混じりに告げる。
そんな咲夜の顔をレミリアは戸惑ったまま見つめていた。
「まあ、貴女程度じゃ、ここを支配するなんて無理だと思ってたわ」
レミリアへとそんな言葉を投げかける。
しかし、咲夜の言葉は、嘘だった。ただ、最初に出会った時、殺しにかかったせいで、素直な言葉を紡ぐことが出来ない。
「……咲夜ぁー」
レミリアは、しゃがみ込んだ咲夜を見上げてそんな見かけ相応の子供のような声を漏らす。今にも泣き出してしまいそうなほどに弱々しい。
レミリアは絶対に負けない、と信じていた。絶対に負けられない、と強く想っていた。だからこそ、こうして地面に這いつくばっている今、悔しさしか浮かんでこない。
そして、ついに我慢できなくなったのか両の眼から涙が溢れ始める。
咲夜は突然泣き出したレミリアを驚いたように見ている。
今まで見てきた吸血鬼の中では最も子供っぽく、けれど、最も余裕を持ち合わせているように見えた。だから、このように泣きそうになるとは微塵も想像していなかった。
「私は、私は……っ!」
レミリアが悔しそうに何かを言おうとする。けれど、その何かは言葉にならない。
代わりに、涙となり零れ落ちる。
「なっ!なんで、あなたは泣いてるのよ!」
泣き出すとは思っていなかった咲夜は少し遅れてレミリアの様子に狼狽し始める。
「だって、だって……っ!私は、ここを支配することで、貴女に認めてもらおうと思ってた!でも、でも……っ!私は負けてしまったっ!だから、だから……っ!貴女が私を見限ってどこかに行ってしまうんじゃないかって……」
涙を流しながら叫ぶように想いを吐露する。ここまで誰かに認めてもらいたいと思ったのは初めてだった。こんなにも誰かを手に入れたいと思ったのは初めてだった……っ!
そんな想いを乗せた言葉はしかし、最後は弱々しく掠れていってしまう。
「……はあ」
涙を流すレミリアを見ながら咲夜は小さくため息をつく。そこには、呆れと諦めが混じっていた。
「私の、負けだわ。仕方がないから、なんだか、あなたをこのままにしていると可哀想だからあなたの従者になってあげる」
「……咲夜……?」
涙を流しながらレミリアは呆けたように咲夜の顔を見つめる。頭が咲夜の言葉を処理するのに追いついていないようだ。
「あなたのこと、本当はかっこいい、って思ってたのよ。それに、いいやつなんじゃないか、とも」
言いながら、指でレミリアの涙を拭う。
「でも、こんな風に子供みたいに泣いて、駄々っ子みたいに叫んで……。誰か、ちゃんと世話をする奴が必要なんだって気付いたわ」
「……どういう意味よ、それは」
涙で少し掠れた声に、不満そうな声が混じる。
「あなたが子供だってことよ」
「……失礼ね。従者候補の癖に」
「候補じゃないわよ。従者になってあげる、って言ったでしょう?」
「なら―――」
そう言いながら、レミリアは起き上がる。そして、自らの威厳を見せ付けるかのように立ち上がる。
「―――私に話しかけるときはもっと丁寧に話しかけなさい」
今まで泣いていたことを隠すかのように、尊大な口調で命じる。
「わかりました。……こんな感じですか?」
咲夜はレミリアの言葉に従い言葉遣いを改める。
「ええ。いいわよ。……では、十六夜 咲夜。貴女を私の従者として正式に認めるわ。一生、私について来なさい」
「はい、ありがとうございます。私、十六夜 咲夜はレミリア・スカーレットに一生を捧げます」
重々しい声音に咲夜はぎこちない礼とどこか演技のような恭しい声とを返した。けれど、胸の内の感情に偽りは、ない。
◆
レミリアはヒトリ自室で紅茶を飲みながらフランに話さなかった咲夜が従者になったその時を思い返す。
「……なんで、あんな風になっちゃたのかしらねぇ」
自分でもあの時は泣き出すとは微塵も思っていなかった。まさか、この自分が人間の前で涙を見せてしまうとは!
けれど、過ぎ去った過去はどうしようもない。
咲夜もあれが従者になろうと思った最後のきっかけになったと言っていた。だから、結果的にはいいのだろう。レミリアの自尊心がそれを認めることが出来ないだけで。
カップに注がれた紅茶を眺めていたレミリアは不意に、その紅茶を飲み干した。そのことについてそれ以上思考したくなかったのかもしれない。
それから、空になったカップに紅茶を注ごうとしてポットを手に取り、ポットを傾ける。しかし、注ぎ口からは何も出てこなかった。先ほど飲んだのが最後だったようだ。
レミリアは少し考えて、もう少し飲もう、と決める。
「咲夜」
静かに従者の名を呼ぶ。
そう言えば、本名を聞いていなかった、と今更ながらに思い出す。
「はい、お嬢様」
レミリアの声を聞きつけて咲夜がレミリアの自室の中へと現れる。
「紅茶のお代わりをちょうだい。後、久しぶりに貴女と一緒に飲みたいわ」
微笑みを浮かべて、咲夜を誘った。紅茶を一緒に飲む、というよりは酒を飲み交わす時のような誘い文句だった。
「はい、いいですよ。では、少々お待ちください」
少々、といってもそれは咲夜の世界の中でのことで、咲夜以外にとって彼女の少々は一瞬でしかない。
消えた、と思っても瞬きをしたその後には既に咲夜はトレイを持って戻ってきていた。
「お待たせしました」
新しいティーポットと、二つ目のカップをテーブルの上に置く。それから、レミリアのティーカップを自らの方に寄せて、紅茶を注ぎ始める。
「それにしても、珍しいですね。お嬢様が私を誘うなんて」
「ん、まあね。フランに昔のことを話して、貴女に聞いてみたかったことを思い出したのよ」
「そうなんですか。どうぞ、お嬢様」
そう言いながら、レミリアの方へと湯気の立つ紅茶が入ったカップを差し出す。
「ありがと」
いつものように小さく礼を言って、少しだけ紅茶を飲む。
その間に、咲夜は自分のカップにも紅茶を注いで、主の対面に座った。
「こうやって、貴女と向かい合って座るのって久しぶりね」
「私が従者になる前以来ですね。……それで、私に聞きたい、ということは?」
「うん、貴女の本名を聞いてなかったわよね?」
「はい、私が名乗ろうとしませんでしたし、最終的にはお嬢様が聞いてきませんでしたからね」
「だから、今聞かせてもらうわ。貴女の本名は?」
「昔なら別の答えがあったのですが、今はこう答えさせて頂きます。私の本名は十六夜 咲夜。それ以上でも以下でもありませんわ。私にはお嬢様の与えてくださったこの名前だけで十分ですから」
笑顔を浮かべてそう言い切った。それ以外の名など単なる偽りにすぎない、と断言するかのように。
「そう……。そうね、いい答えだわ、咲夜」
レミリアは満足そうな笑みを浮かべる。
「あと、もう一つ聞かせてもらうわ」
すぐに浮かべていた笑顔を引っ込める。
「貴女はどうして、私たち吸血鬼を殺して回ろうと思ったのかしら?」
これもまた聞く機会がなくて結局そのまま忘れてしまっていた質問だ。
「復讐ですよ。私の家族を殺した存在に対する」
もう特にこだわりがないのかなんてことのないように告げた。
「……もしくは、殺されたかったのかもしれませんね。あの頃の私は何もかもを失っていましたから」
かと思えば咲夜の表情に陰が落ちる。
「そう。それで、貴女は吸血鬼を殺していく過程でその復讐相手は見つけることが出来たのかしら?」
「はい。お嬢様と相対したあの吸血鬼こそ私の復讐相手でした」
「それは、悪いことをしてしまったかしらね」
「いえいえ、決してそのようなことはありません。あそこでお嬢様が出てこなければ私は殺されていたでしょうから。本当に感謝していますわ。……本当はあの時から、お嬢様のことを敬う気持ちはあったのですが、あの頃は素直ではなかったですから」
気恥ずかしそうに告げる。完璧な従者といえども、今とは違った昔の自分を思い出す、というのには抵抗があるのだろう。レミリアが咲夜が従者になったその時のことを話すのを嫌がるように。
「でも、お嬢様の泣き顔を見て、少し素直になることができましたわ」
「……そのことは忘れなさい」
「無理な話ですね。まあ、安心してください。フランお嬢様以外には言うつもりはありませんから」
笑顔を浮かべてそう答えた。主とその従者のやり取りらしくはない。
「……貴女、最近、フランの味方をすることが多いわね」
「フランお嬢様はまだまだ色々な経験が必要ですからね。その手助けをしようと思えば、フランお嬢様の味方になることも多くなるものです。それに、レミリアお嬢様は姉なのですから、少々、我慢してください」
「いや、まあ、そうなんだけど、……私が思い出したくないことを話されるのは気にくわない」
拗ねたような口調だった。
「それも、我慢ですわね。姉の歩んだ人生を聞く、というのはそれだけでも良い経験になると思いますよ。私に話されたくなければお嬢様の口から話されればよろしいのです」
「うん、まあ、それはわかってる」
歯切れの悪い返事を返しながら紅茶を口に含む。
「でも、私の中でもうちょっと整理をつけたいのよ、あのことは」
「フランお嬢様にもそのように仰ったのですか?」
「ええ。そうよ。整理出来るまで待っていて欲しい、ってね。……他でもないあの子の頼みだから、早く整理をつけたいと思っているんだけどねぇ」
どう整理をつけていいかわからない、と言う。
「なら、いっそのこと整理も出来ていないまま話してみるのはどうですか?もしかしたら、それがきっかけで整理ができるかもしれませんよ。もし、お嬢様が話せなくなった時の為に、私も一緒にいますわ」
「……そうした方がいいのかしらね」
絶対にそんなことをしない、と言うと咲夜は思っていたのだが返って来た反応は予想と異なっていた。フランはレミリアに自らの自尊心を無視させることができるほどの存在、といったところなのだろう。
「うん、そうね。そうと決まったら早速実行よ!咲夜、付いてきなさい」
「畏まりました、お嬢様」
部屋から飛び出していくレミリアを咲夜は微笑ましい感情を浮かばせながら追いかけた。
FIN
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