紅魔館のとある一室。紅色の分厚いカーテンが閉じられていて、昼間だと言うのに部屋全体が薄暗くなっている。
ベッドやクローゼットといった調度品が影の中に佇んでいる。
部屋の主であるフランは灯りを灯そうともせず部屋の中央に置かれたテーブルに向かって座っている。テーブルにはティーポットとカップが置かれているが手をつけられた様子はない。その横には三毛猫のステアが横になって尻尾をゆらゆらと揺らめかせている。
劉が死んでから二日が経った。
あれから、ずっと、死について、寿命について考えて、考えて、考えていた。けれど、答えは見付かりはしなかった。
自分の周りにいるモノたちが死ぬ時、自分はどうすればいいのか。どうするべきなのか。全然、わからなかった。
そして、同時に怖かった。信頼しているモノたちが、好きな者がいつか死んでしまうかもしれない、ということが。
だから、外に出れなかった。顔を合わせたときどんな顔をしていればいいのかわからないから。
こんこん。
フランの思考を断ち切るようにノックの音が部屋に響く。
咲夜が来たのだろうか、と思ったがすぐに違う、と思いなおす。咲夜が叩いたにしては迷いが感じられたからだ。
「……フラン、入るわよ」
それは、レミリアの声だった。
咲夜の声は毎日聞いていたが、自分の姉の声を聞くのは三日ぶりだった。
フランは何を言えばいいのかわからず、黙っていた。
そうしていると、部屋の主の許可なく扉が開かれた。
「返事がないから、勝手に入らせてもらうわよ」
扉の向こう側に立っていたのは、思ったとおり、フランの姉、レミリアだった。
「……相変わらず自分勝手だね」
「入られたくなければ、鍵を掛けていればいいのよ。咲夜は合鍵を持っているから意味がないのけれど」
そう言いながらレミリアがフランの向かい側の席に座る。空っぽのカップを自分の方に引き寄せてポットの紅茶を注ぐ。
注がれていくのは湯気の立たない紅茶。レミリアはそれを口に含む。
「……既に冷めてるわね。でも、流石咲夜。全然味が落ちてないわ」
ここにはいない従者を褒め、満足げな笑顔を浮かべる。
「……何しに来たのよ。紅茶を飲みに来たわけじゃないんでしょ」
フランは自分勝手に振舞うレミリアをジト目で見る。
「ええ、少し話があるのよ」
「……」
何も答えない。大体、何の話をするのか予想はつくし、何も言わなくとも勝手に話を始めるだろう。
「フランは、最近外に出ないのね」
そう思っていると案の定、レミリアは勝手に話し始めた。
「……そっちの方がお姉様は安心できるんでしょ?」
「そうね。……でも、そんな表情を浮かべられるくらいなら、まだ外に出られてたいた方がましよ」
今は姉の前だからか無表情に近い表情を浮かべている。けれど、誰よりも妹の変化に敏感なレミリアはその裏に不安と怯えが隠れているのに気が付いている。
「私は、フランには家に居て大人しくしてほしいと思ってる。……でも、それ以上に貴女には笑っていて欲しいのよ。悩んでばかりで全く前に進もうとしない貴女なんて見ていたくない。私たちは吸血鬼よ?自分が思ったとおりに、自分が思ったように行動すればいいのよ」
「でも、私、どうすればいいのか……」
「どうすればいいのか、じゃないの。どうしたいか、よ」
強い口調で、諭すように言う。
「どうせ悩んでも最適な解なんて見つかりやしないのよ。実際に行動して、感じて、ふとした拍子に浮かんできた解こそ最適解になるのよ」
「……」
フランは机を見つめて黙り込んだまま何も言おうとしない。レミリアの言っていることが理解できないわけではない。けど、動き出すには足りない。
「……そう言えば、ここ四日ほどあの黒白を見てないわね。少なくとも三日に一度は来てた、っていうのに」
レミリアのその言葉にフランが反応を示す。顔を上げて姉の顔を見る。
「フランがいない時に来たんだけれど、ちょっと調子が悪そうだったから今頃家の中でくたばってるかもしれないわね」
「……っ!お姉様!私、魔理沙の所に行ってくる!」
急いで立ち上がり扉の方へと走っていく。ステアは片目を開いてフランの方を見るだけだった。今日は邪魔をしないためなのか、付いて行く気はないようだ。
「……ええ、行ってらっしゃい」
フランが立ち止まる。レミリアのその言葉はずっと自分が待ち望んでいたものだった。
だけど、今はそれを噛みしめている余裕もない。振り返り、
「お姉様、行ってきます」
そう言って、魔理沙の家へと向けて走り出した。迷いを抱えたまま。それでも真っ直ぐと。
◆
「随分あっさりと行かせてさしあげたのですね。いつもの過剰な心配はどうなさったんですか?」
レミリアが紅茶を口に含んだその直後に咲夜が部屋の中に現れた。
突然現れた従者に驚くことなく、落ち着いたまま紅茶を嚥下する。
「……どうもしてないわ。今だって私はフランのことが心配で心配でたまらない。……でも、止めることも、追いかけることもできるわけがないじゃない。あの子はもう、私が無理に関わらない方がいいのよ」
「ようやく、おわかりになられたのですね」
「……うるさいわよ」
拗ねたように言いながら紅茶に口をつける。
「拗ねないでください。しっかりとフランお嬢様のお姉様らしく振る舞えていたんですから」
「らしく、ってどういう意味よ。私は疑いようもなくフランの姉よ」
「そうですわね」
「なんだか気に障る言い方ね」
ジロリ、と咲夜を睨む。が、咲夜は怯えも何も見せず飄々とした態度のままだ。
「そういえば、お嬢様が飲んでいらっしゃる紅茶は冷めてしまったものですよね?淹れなおしてきましょうか?」
あくまでマイペースな従者の態度にため息一つ。
「……必要ないわ。これはこれで美味しいから」
「そうですか」
会話がそこで途切れる。
レミリアは無言で紅茶の味を楽しみ、咲夜は主の後ろに佇んでいるだけだ。
主のいない部屋でもフタリは自分たちのペースを貫き通すようだ。そういった点ではフタリとも似通っている。
「……それにしても、気に食わないわね」
「?フランお嬢様が黒白の話を聞いて顔色を変えて出て行ったことですか?」
「そうよ!なんだってフランはあんなやつのことが好きになったのかしら」
レミリアは少しいらついているようだった。
「それは、黒白が―――魔理沙がフランお嬢様の心を導く星となったからでしょう。魔理沙は鈍感なくせにやることがいちいち他者を惹きつけるようなことばかりですからね」
「ほんと、納得いかないわね」
いまだ紅茶が入ったままのカップを弄ぶ。慣れているのか零れそうな様子はない。
「本当、そうですわね。……そういえば、お嬢様、黒白の調子が悪そうだったというのは本当なのですか?」
「さあ?私はあいつが倒れる、っていう運命を視ただけだからあの時点で調子が悪かったかどうかなんてわからないわ」
「……大丈夫、なんですか?倒れるほどひどい病気に?」
咲夜は主の言葉を疑いはしない。だから、その先を聞く。何故、魔理沙が倒れるのか。……魔理沙は、死にはしないのか、と。
「私は実際に見たわけでもなければ、医者でもないから何が原因で倒れたかなんてわかるわけがないわ。けど、大丈夫。きっと、貴女の心配しているようなことになりはしないわ」
それから、どこか遠くを見つめる。
「……死ぬことが分かっていてあの子を送り出せるはずがないじゃない。フランは心の本質が不安定だから、今みたいに表の心まで不安定な状態で好きな者の死なんて見たら心を壊しかねないわ」
魔理沙の家を訪ねて、劉の死を見届けるまでのフランの心は非常に安定していた。けれど、それは表面的なものでしかない。
長い間、地下に閉じ込められ、まともな心の成長を遂げてこなかったフランの心は今更どうすることも出来ないほど不安定だ。ただ、出来るのは外側から内側の心を支えてやることだけ。
過去のフランは狂気でもって無理やり心を支えていた。だから、長い年月閉じ込められていたにも関わらず、その心が壊れることはなかった。
けど、今のフランは表の心の安定も、狂気も失ってしまっている。支えてくれるもののないフランの心は不安定にぐらぐらと揺れている。そんな心に好きな者の死なんていう衝撃を与えれば容易に崩れ去ってしまうだろう。
「……お嬢様、もし、魔理沙の死の運命を視たらお嬢様はどうなされるつもりなのですか?」
「……その時までに、フランの心が好きな者の死に耐えられるほど安定していたら何もしはしないわ。けど……」
そこでレミリアは言葉を止める。
一度目を閉じ、そして、また開く。紅い瞳に浮かぶのは強い決意。
「……フランが耐えられないというなら、私の従属にしてでも、永遠亭のやつらから蓬莱の薬を奪い取ってでも魔理沙の寿命を延ばすわ」
たったヒトリの妹の為ならどんな非難があろうと構わない。そもそも、吸血鬼は周囲に多くの敵を作ってきた。だから、そんなこと慣れてしまっている。
「過激ですわね」
「中途半端にやるよりはいいでしょう?……まあ、やらないに越したことはないわ。下手をすれば魔理沙がフランのことを嫌ってしまうかもしれないから」
「それもそうですわね」
無理やり生きながらえさせたところで魔理沙が人間のまま死にたい、と思っていたら嫌な思いをさせるだけでなくフランをも嫌ってしまうかもしれない。そうなってしまえば、レミリアの行為は何の意味も無くなってしまう。
「とにかく、今のうちにお嬢様がフランお嬢様の心の支えを増やして差し上げればよろしいのではないでしょうか」
「……そうね。と言っても、何をどうすればいいのやら」
レミリアはカップに口をつけ、ゆっくりと紅茶を嚥下する。
何を思ったかテーブルの上で退屈そうにしていたステアが小さく、鳴いた。
◆
「はぁ……っ、はぁ……っ!」
フランが息を切らしながら空を翔ける。あまり意味はないのだが必死に羽を動かしている。
日傘が前に進むのを邪魔して思うほど速く飛ぶことが出来ない。だが、それでも、今のフランに追いつけるのは天狗ぐらいのものだろう。
それほどまでの早さで魔理沙の家を目指す。
フランの中にあるのは不安と、魔理沙に会いたい、と言う強い気持ち。
と、森の入口に着く。
昼間でも薄暗いこの森の中では日傘は必要ない。むしろ、邪魔にしかならない。
だから、日傘を畳み。そして、先ほどよりも速く宙を舞う。
迫りくる木の枝を避け、木々の隙間を縫うように進んでいく。まるで、風のようだ。意志を持つ紅い風。
そして、魔理沙の家を見つける。今までにないほどの早さでここに着いた。
急いで扉の前まで行くと、扉を叩く。
……返事はない。
嫌な予感が一瞬で膨れ上がり逃げ出したい衝動に駆られる。けど、同時に湧き上がってきたすぐに魔理沙の無事を確認したい、という気持ちがそれを抑える。
そして、すぐさまそれらは逆転し、躊躇なくフランは扉を勢いよく開ける。
家の中にはうつ伏せになっている魔理沙がいた。
「魔理沙っ!」
途端、抑えきれない衝動が湧き上がり傘を放り投げて魔理沙の方へと駆け寄った。
「魔理沙、魔理沙っ!ねぇ、魔理沙、大丈夫っ?」
魔理沙の身体を揺すりながらその名を呼ぶ。声には若干、涙の色が混じっている。
「……ああ、フラン、か。大丈夫、とは言えないが、切羽詰まってるわけじゃないから、そんなに揺すらないでくれ」
ゆっくりと顔をあげてそう言う。けれど、フランにその声は届かなかった。
「魔理沙、何かの病気っ?死んじゃやだ、死んじゃやだよぉ……」
魔理沙が倒れている、という状況だけで取り乱してしまったフランは、魔理沙の顔を見て、その声を聞いて余計に取り乱す。その赤くなった顔、弱った声が何か重い病気の症状だと思ってしまったのだろう。
フランは今にも泣き出してしまいそうだ。
取り乱したまま魔理沙を抱き締める。取り乱しながらも、その力はしっかりと加減されていた。
「お、おい、フラン、落ち着いてくれっ」
魔理沙がフランに対してそう言うが届いてはいないようだ。魔理沙を放そうともしない。
「あら、騒がしいと思ったら紅魔館の主の妹さんじゃない」
フタリの間に第三者が入ってきた。その声で、フランは正気を取り戻す。
「……おお、アリス、か。助かった、ぜ」
「助かったぜ、じゃないわよ。どういう状況よ、これは」
フタリの間に入ってきたのは何体もの人形を従えた少女、アリス・マーガトロイドだった。
アリスは家の中に勝手に入り魔理沙へと近づく。
しゃがみ込むとフランに抱き締められたままの魔理沙の額に触れる。突然の来訪者にフランはどう反応していいのかわからない。
「随分と顔が赤いわね。……熱もだいぶあるみたいだけど、風邪?」
「さあ、な。風邪で倒れるようなことがあるのか?」
「あるわよ。特にあんたみたいな馬鹿はね。どうせ、無理して研究でもしてたんでしょう?」
「うお、なんでわかるんだ。超能力か?」
「あんたが倒れる要因なんてそれくらいしか思い浮かばないわよ」
そう言ってアリスは魔理沙の額を小突く。
フランはフタリのやり取りを見ながら戸惑っていた。
魔理沙と話しているのは誰なんだろうか、いや、そもそも魔理沙は大丈夫なのだろうか、と。
「ね、ねえ、魔理沙、大丈夫、なの……?」
フタリのやり取りを見て多少冷静さを取り戻したフランがそう尋ねる。
「たぶん、大丈夫だぜ」
「大丈夫よ。たぶん、風邪を引いたっていうのに無理をしたのが祟っただけだと思うだけだから」
フランの問いにフタリが同時に答える。魔理沙の答えは随分と簡単で、アリスの答えは随分と具体的だった。その対照的な受け答えがフタリの特徴を表している。
「あと、あなたは?」
次いでフランはアリスの方へと視線を向ける。その際、彼女の周囲に浮かぶ人形たちとも目が合った。
「……そういえば、貴女は私のことを知らないんだったわね。私は、アリス・マーガトロイド。貴女のことはレミリアから聞いてるわ。……えーっと、フランでいいわよね」
「うん」
小さく、頷く。
「じゃあ、よろしく、フラン」
笑顔を浮かべてそう言う。魔理沙を相手にしている時にはなかった柔らかさがそこにはある。
「……うん、よろしく」
まだ、少し錯乱しているようでフランの口調ははっきりとしていない。
「……お前ら、私のことを、忘れてないか」
「忘れてないわよ。……上海、他の子と一緒に魔理沙をベッドの上に運んであげて」
「ワカッター」
少し無機質さを帯びた声でアリスの周囲にいる人形の一体が動き始める。それに追従するように他の人形たちも動き出す。
「私は一人でも動けるぜ」
「じゃあ、動いてみなさいよ」
人形たちは律儀に動きを止め、魔理沙の動きを見ている。
「ほっ、と。……いたっ!」
フランから離れて身体を起こそうとしたらしいが力が入らず起き上がれなかったようだ。そのまま床に頭をぶつけてしまった。
「魔理沙、大丈夫っ?」
フランは慌てるが、アリスは至って冷静な様子だ。
「みんな、魔理沙を運んで」
アリスの短い言葉に人形たちが一斉に頷く。
フランの前で、人形たちが魔理沙の肩を、手を、足を、腰を持つ。二体ほどがベッドの方に行き、布団をめくっている。
人形たちの力によって魔理沙が持ちあげられる。軽々、といった感じではないがベッドの上にあげられる程度には力がある。
人形たちは無表情だが、その中で上海だけが踏ん張るような表情を浮かべている。
この人形たちの中で上海だけは特別なのだ。
そんな上海の顔を見て、フランはゆっくりと立ち上がる。魔理沙の方へと近づくと、フランは魔理沙を抱き上げた。はからずも、お姫様だっこのようになってしまう。
人形たちが魔理沙から手を放す。その中で上海だけがフランの前に行く。
「アリガトー」
ぺこり、と頭を下げる。
「私がやりたかっただけだから気にしなくてもいいわよ」
「フラン、イイヨウカイー」
上海が笑顔でそう言った。とても人形だとは思えないほど完璧な笑顔だった。
「えっと、ありがと」
まだまだ、褒められることに慣れてないフランは返す言葉が少しぎこちない。
「魔理沙、体の状態はどんな感じ?」
なんとなく落ち着かない気分になったフランは抱き上げた魔理沙に話しかける。ちゃんと魔理沙の体調を知っていたい、という思いもあった。
「あー、そうだな。とりあえず、ダルい。あと、ぼんやりするのと、腹が減った」
「他には?痛い所とかない?」
「さっきぶつけたところ以外は大丈夫だ。だから、そんな心配そうな顔をするな、お前らしくないぜ」
「だって、だって、魔理沙が死んじゃうんじゃないか、って思って……」
魔理沙が倒れていたのを発見した時を思い出したのか今にも泣きそうな表情を浮かべる。
「うっ……。だから、そんなに心配そうにするなって、私は、まだまだ死なないから」
フランの泣きそうな顔にたじろぎながらもそう言って、魔理沙はフランの頭を優しく撫でる。
「……うんっ」
泣きそうなまま、どこか嬉しそうに頷く。
頭を撫でられるのが嬉しかった。まだまだ死なない、という言葉が悲しかった。
「……ふーん、魔理沙、吸血鬼にまで気に入られてるのね」
作業を全て人形たちに任せて手持無沙汰なアリスがそんな言葉を漏らす。
「マリサ、ニンキモノー」
「何故か、ああいう性格の奴に限って人気が集まるのよ。少なくとも、一緒にいて退屈はしないけど。……まあ、フランは少し違うみたいだけど、ね」
「ウン。ミンナハマリサノコトガスキー。デモ、フランハマリサノコトガダイスキー」
「そういう意味じゃないんだけど。……でも、間違ってはないか」
再びフランたちの方へと視線を向ける。ちょうど、魔理沙をベッドの上に寝かせて上から布団をかけた所のようだ。
「魔理沙、寒くない?」
「ああ、大丈夫だ」
「そう言えば、魔理沙、お腹が空いてたんだよね。ちょっと、何か作ってくる!」
「え?フラン、お前、何か作れるのか?」
魔理沙がそんなことを言ったが最後まで聞きもせず台所の方へと向けて走ってしまった。
「魔理沙ー!材料はっ?」
すぐに戻ってきた。
「奥にあるでかい箱の中にあるけが……。もう一度聞くが、フラン、料理は出来るのか?」
「……あ」
魔理沙の言葉にフランは固まってしまう。
勢いだけで動いていて自分に出来ること、出来ないことの区別がしっかりと出来ていなかったようだ。
最近は比較的冷静なフランだが魔理沙の為に何かしよう、何かしよう、と思うとその気持ちだけが先走って空回りしてしまうようだ。
「じゃあ、咲夜に頼んで何か作ってきてもらうね!」
今度はそう言うと、家の中から出て行った。玄関の前に投げっ放しにしていた紅色の傘を拾い上げて。
「忙しない子ね」
少し離れたところからフタリのやり取りを傍観していたアリスが魔理沙の方へと近づく。
「んー?」
対して、魔理沙は首を捻って何かを疑問に思っているようでアリスの言葉は聞いていない。
「どうしたのよ。そんなに首を捻って」
「いや、フランってあんな性格だったかなぁ、って。もっと自分勝手だった気がするんだが」
「それは、あなたが調子を崩して倒れてたからじゃないかしら?」
「なんで、私が倒れてたことが関係あるんだ?」
「……鈍感ね」
「ドンカンー」
人形遣いと人形にそんなことを言われてますます首を傾げる魔理沙だった。
◆
フランが部屋の中を飛び出してから四半刻ほどが経った。
ベッドの上の魔理沙はアリスの手によって魔理沙の言う魔法使いらしい服から寝間着に着替えさせられていた。星の絵が散りばめられたそれは魔理沙らしい寝間着だ。
魔理沙はベッドの上で横にならずにアリスを見ていた。
アリスは魔理沙を放置して人形たちに何か指示を出している。人形たちの前には無数の魔道書が積まれている。
それらは全て魔理沙がアリスの家から勝手に『拝借』したものだ。今の今まで家の中で魔道書探しが行われていた。
「じゃあ、上海。貴女には多目に魔力を渡しておくから、皆を率いて魔道書を家まで運んでちょうだい」
「リョウカイー」
上海が頷くと人形たちが風呂敷に包まれた本を持ち上げる。今、人形たちの制御権は上海に移っている。といっても、アリスが止まれ、と念じればすぐに止まってしまうので実質的な制御権はアリスにある。
「ヨーシ、ミンナ、シュッパツー」
人形たちの指揮官となっている上海が先頭に立ち人形たちを先導する。
重い本を持っているにも関わらず進む速さは人が歩くのとそれほど変わらない。
「アリス、イッテクルー」
「ええ、気をつけて行ってらっしゃい」
ぺこ、とアリスに頭を下げると扉の方へと飛んで行って扉を開けた。その隙間を本を持った人形たちが抜けていく。そして、扉は閉められた。
「結局、全部持って行っちまったのか」
「当たり前よ。あれは、私の本よ。というか、貴女は病人なんだから寝てなさいよ」
「お前が私の物を持っていかないか心配でな。見張ってたんだ」
「勝手に他人の物を持っていくのは貴女だけよ」
溜め息をつく。魔理沙の物言いに呆れているようだ。
「じゃあ、アリスが妙なものを仕掛けないか見張ってたんだ」
「……そんなこと言うなら仕掛けるわよ」
言いながらアリスは懐から人形を取り出す。ただの人形ではなく、中に火薬が仕込まれているものだ。
アリスが今持っている人形は牽制用だがそれなりの火薬が仕込まれている。家の中で爆破させれば火事が起こるのは確実であろう。
「いや、止めてくれ。流石に家がなくなるのは勘弁だ」
「冗談よ、冗談」人形を懐に収めながら「でも、家がなくなってもフランが拾ってくれるんじゃないかしら?」
「多分、首輪を付けられて軟禁生活だぜ」
「ふーん?そんなことするような子には見えなかったけど」
取り乱したまま倒れた魔理沙を抱き締めていたフランを思い出しながら答える。
「いや、あいつが初めてこの家に来た時は実際に付けられたんだ。で、そのまま連れて帰られそうになったんだが」
「別にそのまま連れて帰られたっていいじゃない。例え首輪を付けるようなことをするんだとしても、貴女に酷いことはしないと思うわよ。紅魔館なら毎日、豪華な物が食べれていいんじゃないかしら?それに、図書館の本も自由に読めそうじゃない?」
「そうだとしてもごめんだな。私は誰かのモノになるつもりなんてさらさらない」
断言するようにそう告げる。縛られることが嫌いな彼女らしい言葉だ。
「なら、貴女がフランを貴女のモノにすればいいと思うわよ」
「は?一体全体、どうしてそんな話になるんだよ」
「さあね。貴女はフランがどうして貴女の場所を訪ねてくるのかわかってるのかしら?」
「私の所以外に行く場所がないからじゃないか?と言っても、最近は地霊殿の方にも行ってるらしいけどな」
フランの話を思い出してそう言った。
「何日おき貴女の所に来てたのかしら」
「毎日飽きもせず来てたな。長くいる時もあればすぐに帰ってくこともあったがな。そういえば、最近は来てなかったな」
「最近来てなかった?」
アリスは魔理沙のその言葉に少々の疑念を感じたが気にせず続ける。
「まあ、何にしろ、フランが貴女の所に毎日訪ねていた、という事実を再確認して何か気付いたことは?」
魔理沙が腕組をして少し考え込む。
「……紅魔館の中は居にくいからどこかに行こうとしたけど、外の知り合いはよく紅魔館にお邪魔してる私しかいないから、その家に来てるんだろうな。んで、最近来てないのは私の所よりも地底の方が気に入ったからだな」
その答えを聞いてアリスはたまらず額に手を当ててしまった。
「……全く、貴女って本当に鈍感ね。最近来てなかったことを除いて考えてもわからない?」
「いや、お前が何を言いたいのか全くわからないな」
「あー、もういいわ。じきに気付くわよ、……多分」
自分の言葉に確信が持てなかったのか、最後に一言付け足す。
「なんなんだ?そんなにもったいぶられるとかなり気になるんだが」
「気にしなくていいわよ。本人からしてみればそうじゃないかもしれないけどそんな大したことじゃないから」
「?」
魔理沙は首を傾げるが、アリスはそれ以上何も答えようとはしなかった。
と、突然、魔理沙の部屋の中に咲夜とフランが現れた。フランは咲夜が作ったと思われるお粥の乗ったトレイを持っている。
「お邪魔するわよ」
「魔理沙、持ってきたよ!」
フランは魔理沙の方へと駆け寄る。絶妙なバランスでお粥は零れなかった。
トレイをベッドの横のテーブルに置き、スプーンとお粥の入った容器を持つ。
そして、フランはスプーンでお粥をすくうと魔理沙の口へと運んで行く。
「……フラン、どういうつもりだ?」
困惑したような感じに魔理沙は尋ねる。
「どういうつもり、って魔理沙に食べさせてあげようと思って。だって、魔理沙辛そうだし。……あ。熱いの苦手だった?」
そう言うと、スプーンを自分の方へと戻して、ふー、ふー、と息を吹きかける。目の色がかなり真剣だ。
「はい、どうぞ」
再び魔理沙の口元に差し出されるスプーンとお粥。
「フラン、私は自分で食べれるんだが……」
「ダメだよ!魔理沙は病人なんだから出来るだけ動かないようにしないと」
「いや、でも……」
「魔理沙は嘘つきだから、信用できない。だから、ほら」
押され気味な魔理沙と、一歩も譲ろうとしないフラン。そんな状態でどちらが先に折れるかなんて当然のように決まっている。
「あー、わかった。食べてやるから、そんなに突きつけるなって」
実はフランがスプーンを押しつけすぎて魔理沙の鼻の頭にご飯粒が付いていた。
「うんっ」
満面の笑顔と共にフランは頷く。サイドテールも頭の動きに合わせて嬉しげに揺れる。
「はい、あーん」
差し出されるスプーン。特に抵抗もなく魔理沙はそれをくわえる。
「……お、なかなか美味しいな。咲夜が作るものだからてっきり変なものでも入ってると思ったがそんなこともないみたいだな」
先ほどやり取りの間にお粥はすっかり冷めきってしまっていたのだが、それでも味は衰えていなかったようだ。
「私が作るんだから美味しいに決まっているでしょう?」
紅魔館メイド長としての矜持を持って答える。と言っても、彼女にとって美味しさとは第二である。
「あと、私が料理に入れるのは変なものじゃなくて珍しいものよ。貴女にあげる料理にそんなものを入れるなんてもったいなさすぎるわ」
「いやいや、それで結構だ。珍しいものを入れて何度か不味くなってたからな」
そう、珍しい物好きのレミリアの従者である咲夜は珍品を料理の中に入れることがしばしばある。それは、食べれる物から食べれない物まで様々だ。中には毒を持つものもちらほら、と。
ちなみに、魔理沙はそう言った毒を持ったものも口にしたが大事には至っていない。魔法の研究のため毒草を扱うこともある彼女は毒に対する耐性が常人よりも高くなっているのだ。
「魔理沙、魔理沙」
話が終わったと判断したのかフランが二口目を差し出す。魔理沙は口を開けて、再びスプーンをくわえる。
「……しかし面倒だな、この食べ方は」
「気のせいよ。魔理沙は全然体を動かしてないんだから疲れることもないんだし。はい」
フランはスプーンを差し出す手を止めない。ぶつぶつ言いながらも魔理沙も食べるのは止めない。
「あの魔理沙が押されてる、なんて珍しい光景ね」
アリスがフタリを見ながら誰に言うでもなく言葉にする。
「……そう言われてみれば魔理沙があんな風に押されるのってフランお嬢様だけなのよね」
咲夜がアリスの言葉を聞いて初めて気付いたかのように呟く。
紅魔館の中でも門番の美鈴を始め、パチュリー、小悪魔、と魔理沙の押しの強さに負けていた。そして、レミリアと咲夜はそんな押しの強さに負けることはなかったが、魔理沙を押し負かすこともなかった。
けど、フランだけはその勢いで魔理沙を押していた。咲夜はすっかり見慣れていたが、こうして、珍しいことなのだ、と再確認した。
咲夜とアリスは無言でフタリの様子を眺めている。フランも魔理沙も、咲夜とアリスのことを気にしている様子はない。
「……さてと、お邪魔みたいだし私は帰らせてもらうわ。あなたも、ここにいたら居心地が悪いんじゃないかしら?」
そう言って、咲夜はアリスの方を向く。
「ええ、そうね。……でも、上海にはこっちに戻ってくるように言ってあるから待ってないと」
「なんで、そんな面倒なことさせてるのかしら?家で待たせてればいいじゃない」
「そんなことしたら私を守る人形がなくなるじゃない。流石に森の中で人形を爆発させるわけにもいかないし」
「そう。あなたも魔理沙を看てるつもりなのかと思ったけれど違うのね」
「あれだけ元気なら誰かヒトリが魔理沙を大人しくさせてれば十分よ。料理も、貴女が作るんだし」
「ふーん。……まあ、私は帰らせてもらうわ。じゃあ」
咲夜の姿が消失する。
アリスは何の感慨も持たず、椅子に座ると、再びフタリの方に視線を向けた。
◆
「アリスー、モドッター」
魔理沙がお粥を食べ終わったとき、ちょうど上海が戻ってきた。
「お帰り、上海。……魔力がなくなりそうなんだけど、どうしたのかしら?」
アリスが出発に前に上海に渡した魔力だが、それは人形を動かすだけの為のものではなく、ナニモノかに襲われた時の為でもあった。だから、アリスの声には少し心配の色が滲んでいる。
「ホンノカタヅケー。アリスガラクデキルヨウニー」
「ああ、そうだったの。よかったわ、襲われたんじゃなくて」
アリスはほっと胸を撫で下ろす。けど、上海の報告はそれだけではなかった。
「デモ、カタヅケテルトチュウデマリョクキレソウニナッター。ダカラニンギョウウゴカスノヤメター。ソシタラミンナオチター。ボトボトーッテ」
「あー、まあ、あのくらいの魔力ならそうなるでしょうね。……それで、本の下敷きになった子とかは?」
「イナイー。デモ、マリョクタリナカッタカラソノママー」
「それは、別にいいわよ。帰ってからやればいいから。とにかく、誰にも怪我がなくてよかったわ」
そう言いながらアリスは上海の頭を撫でる。
「アリスハ、コレカラドウスルノー?」
「んー、そうね」フランたちの方を見て「私たちは必要ないみたいね」
今、フランは魔理沙の口の周りを拭いたりと甲斐甲斐しく世話をしている。そこにアリスの入る間は見受けられない。
「フラン、何か必要なものはある?」
「え?」声を掛けられると思っていなかったのか少し驚いて、「……うーん、正直こうやって誰かを看病するなんて初めてだから何が必要かなんてわかんないわ。アリスはわかる?」
「あー、私もそんなことしないからわかんないわね。でも、今の魔理沙なら、無理しないように見張ってるだけで十分じゃないかしら?」
「そう、かな?」
不安なのか歯切れの悪い返事となる。そして、顔を俯かせてしまう。
人間の里に行き、子供の相手をよくしているアリスはすぐにどうしてほしいのかを理解した。
「えーっと、不安なら残ってあげてもいいわよ」
「いいの?」
顔を上げて微かに首を傾げる。こういうときは迷わず頷いてあげるのが一番だ。
「ええ、いいわよ」
「ありがとう、アリス」
安心したような笑みを浮かべる。魔理沙のことを大切に思っているからこそ、自分だけで看病をするのが不安だったのだ。だから、自分よりも頼りになりそうな誰かがいるだけで安心が出来る。
そう、フランはこうして少しアリスと話しただけで彼女が自分よりも頼りになる、ということを見抜いたのだ。
こんこん。
扉が叩かれる。それは来訪者を告げる音だ。
こんな場所に来るようなのはここにいるサンニン以外にいるのだろうか、と思っているアリスは首を傾げる。けど、ここ最近、何人か魔理沙の家を訪れるモノが増えたことを知っているフランと魔理沙は誰が来たんだろうか、と考える。
「誰だ?こいしか?それとも、ルーミアか?ルーミアは別にいいが、こいしは、な」
「今、こいしは咲夜を気に入ってるから来ないと思うよ。でも、何にしろ開けてみないと」
そう言って、フランが魔理沙の代わりに扉を開けに行こうとした。けれど、それよりも先に上海が扉を開けてしまった。
「こんにちはー」
扉の向こう側にいたのはルーミアだった。大量の何かの草を抱えている。所々に小さな紫色の花が見え、ご丁寧に根っこまでついている。
「コンニチハー」
上海が律儀に挨拶を返す。その人形の主であるアリスは予想外の客に驚いているようだった。
「なんで貴女が魔理沙の家に?」
「薬草を見つけたから届けに来たんだよー」
言いながらルーミアが部屋の中へと入ってくる。そして、テーブルの上に大量の薬草を置き、手に付いた土をテーブルの上に落とす。
「あ、魔理沙、顔が赤いね。熱でもあるの?大丈夫ー?」
すたすた、と魔理沙の方を目指す。そして、フランの隣に立つと魔理沙の額に触れた。マイペースすぎる動きにサンニンはルーミアの動きを目で追うことしかできない。
「んー、結構、熱あるね。ちゃんと、横になって寝てないと。眩しくて寝れないなら私がカーテンの代わりになるよー」
「……いや、大丈夫だ。明るくても眠い時は寝れる。今はそもそも眠くない」
真っ先に我を取り戻したのは魔理沙だった。というか、話しかけられたので戻らざるを得なかった。
「眠くない時でも寝てないと。無駄な体力を使ってると治るものも治らなくなっちゃうよ」
「お前がそんなことを言うとは意外だな」
「失礼だなー。私も無知じゃないんだよ」
少しだけ拗ねた言い方となる。
アリスはそんなフタリのやり取りは気にせずルーミアの持ってきた薬草を見ていた。
「……これって、風邪薬を作る時に使う薬草じゃない。ルーミア、もしかして貴女、魔理沙が風邪を引いたって知ってて採ってきたの?」
「偶々だよー」
「そう。……でも、誰から聞いたのよ。これが薬草だ、って」
「この前、慧音が永琳から簡単な薬草の講義を受けてるのを聞いたんだ。これ、ジャノヒゲって言うんだよね?」
「ええ、そうよ」ルーミアの確認の言葉に頷いて「……慧音と永琳?いや、別におかしくわないわね」ぶつぶつと呟く。
ルーミアの言葉にいまいち納得がいかないようだが、否定するだけの材料もないので納得することにしておいた。
「なんだか、貴女は侮れそうにないわね」
「気のせいだよー。私みたいな弱小妖怪は侮ってるくらいがちょうどいいよ」
相手が自分のことを高く評価しようとすると、自分は弱小妖怪だ、と笑顔で言うルーミア。そこに深いわけがあるのかないのか。知っているのはルーミアだけだ。
「まあ、なんにしろ、いいタイミングで持ってきてくれたんだから使わせてもらいましょうか」
アリスはこれ以上ルーミアのことを気にしないことにした。
とぼけている、もしくはとぼけたように見せかけている相手の腹を割ることは中々に骨の折れる作業なのだ。幽々子などがその筆頭だろう。
「上海、悪いんだけど家からネーデルを連れてきてくれるかしら?」
アリスは上海に魔力を注ぎながら頼む。人形たちは彼女の命令ひとつで動くのだが、意志を持つ上海に対してはどうしても、お願い、という形になってしまう。
「ワカッター」
頷くとすぐに家から飛び出して行った。
「……さてと、上海が戻ってくる前に出来るところまで準備しておきましょうか。ルーミア、手伝ってくれるかしら?」
「いいけど、何するのー?」
「根っこからこの塊になった部分だけを取って、水でよく洗って土を落としてくれる?」
「わかったー」
ふわふわとジャノヒゲが大量に置かれたテーブルへと近づく。地に足を付けるつもりはないようだ。
「アリス、私も手伝う」
「ん?別にいいけど、魔理沙の傍にいなくてもいいの?」
「うん。出来れば、傍に居たいけど、早く薬を飲んで楽になって欲しいから」
「……あの尊大な吸血鬼の妹とは思えないくらいいい子ね」
アリスは苦笑のようなものを滲ませながら言う。
「わかったわ。ルーミアと一緒に作業しててちょうだい。私は別の準備をしてるから」
「別の準備?」
「薬草は乾燥させてから使うものだから、乾燥させる為の魔法を使わないといけないのよ。自然乾燥させてたら何日かかるかわかったもんじゃないでしょう?で、その為には術式の準備をしないといけない、っていうわけよ」
そう言いながらアリスは家の中を物色する。
「あ、そういうことね」
アリスの言葉に納得できたようでフランは頷く。
「あったあった。魔理沙、これ、借りるわよ」
そう言ってアリスが掴んでいたのは白色のチョークだった。魔法使いの必需品とでも言えるようなものだ。
手軽に魔法陣を描くことができ、しかもすぐに消すことができる。簡単な魔法陣を描くにはうってつけのものだった。
どちらかと言うと物に頼っている魔理沙とアリスはこう言ったものを持ち歩くことはない。フタリのような魔法使いにとっては研究用なのである。
「別にいいが、折ったら弁償な」
「折れるものなのかしら?」
「折れないのか?私は何度も折ったんだけどな」
「……どんな描き方をしてたら折れるのよ」
呆れたように溜め息を吐く。
「普通の描き方だな」
「あんたの普通は普通じゃないのよ。そろそろ、その辺りを自覚した方がいいと思うわ」
「それは、アリスこそ普通じゃないんじゃないのか」
「ええ、そうね。私は普通じゃないわよ」
「……ありゃ?」
私は普通よ、とでも返ってくると思っていたのかそこで魔理沙が不思議そうな表情を浮かべる。
「フラン、ルーミア、この薬草邪魔だから持って行ってくれないかしら」
アリスは気にせず、フタリに指示を出す。
「わかったー」
「……あ、うん」
羨ましそうにフタリのやり取りを見ていたフランが少し遅れて返事をする。
その間にルーミアはさっさと全てのジャノヒゲを抱えていた。魔理沙の家を訪ねてきたときと同じような格好になってる。
「ルーミア、半分持つわよ」
少し慌てたようにルーミアの方へと駆け寄る。
「ううん、いいよ。代わりに、フランはこれを洗うための水を用意しててくれる?」
「うん、わかったわ」
フランはルーミアを追い抜いて台所へと向かう。
台所の棚から迷わず大きな桶を見つけ出して、隅に置かれている水瓶に向かう。何度も魔理沙の家には来ているので大体どこに何があるかわかる。
水瓶の蓋を開け横に置いてある柄杓を取るとそれで桶に水を入れていく。
面倒くさいので直接桶を水瓶の中に入れたかったのだが瓶の口に比べて桶は大きすぎた。
少しずつ増えていく水。ルーミアがこっちにきて待たなくてもいいように、と少し急ぎ目に入れていく。
そのお陰でルーミアが来る前に桶の中は水で満たされた。けど、考えてみれば洗い物をするには多いか、と思い少し水を水瓶の中に戻す。
よし、とヒトリ頷いて振り返る。ジャノヒゲを抱えたルーミアが調理台の前にいた。
それを見てフランは急いだように水の入った桶を調理台の上に置く。
「ルーミア、ちょっと待って」
すぐに、調理台の傍から離れ、ルーミアの後ろに立つ。
「よし、いいわよ」
その声を合図にしてルーミアは抱えていた薬草を桶の中に入れた。出来るだけ丁寧に入れたつもりなのだろうが、量が量なので水が辺りに飛び散る。
散った水は、調理台の上や、床の上に落ちたり、ルーミアの服を少しだけ濡らしたりした。けど、フランには一滴も届いていない。
ふう、と安心したような溜息を零す。
しかし、実際のところあのくらいの水なら触れた所で問題はないだろう。吸血鬼が雨水程度で火傷を負うのはそこに神の恵みが含まれているからだ。一度水瓶に溜め、神の恵みが薄れてしまった水なら全身を濡らしたとしてもほぼ無害だ。
実際、お風呂などに入っても平気なのだが、気持ち的に平気だとは思えないのだろう。
「じゃあ、洗おうか」
「うん」
フランはルーミアの後ろから出て桶の前に立つ。フタリで並んで作業をするには少し桶が小さかったかもしれない。かといってこれ以上大きな桶があるわけでもない。
そんな些細なことはすぐにどうでもいい、と判断するフタリ。
各々、適当にジャノヒゲを掴んで根の塊となった部分を取り、土を落とす。
フランは何かを洗う、というのはこれが初めてだった。館の中ではいつも咲夜がやってくれていたから。
初めてのことをする、というのは中々楽しいことで、フランは自然と鼻歌を歌い始める。
「フラン、上機嫌だねー」
ルーミアは作業の手を止めず聞く。
「え?そう?」
対して、フランは思ってもいなかった言葉に手を止めてしまう。
「うん。見てるこっちも気分が良くなるよ」
そう言って、笑顔を浮かべる。
フランは釣られるように笑顔を浮かべながら内心首を傾げる。
(そんな気分が良くなるようなことなんてなかったんだけど……。あったとしても、こうやって初めて洗い物をする、ってことぐらいだし)
フラン自身は気付いていないようだが、魔理沙の調子が思っていたよりも全然良かった、というのもその機嫌のよさの原因の一つとなっている。あと、二日間考え事ばかりしていて、そのことから解放された、というのもあるだろう。
フランが気付いていなかっただけで心はいろんなことに雁字搦めにされていたのだ。その戒めが外されたとなれば自然と機嫌も良くなるだろう。
(まあ、いっか)
結局、結論の出なかったフランは再び作業に戻った。気分がいいなら気にすることもないだろう、ということだ。
作業再開とともに鼻歌も再び流れ始める。
それは、フランがいつか聞いた、名も知らぬ歌。誰から聞いたかも思い出せない歌。
けど、地下室に閉じ籠っていて歌を全然知らないフランが知っているのはその歌だけだった。
魔理沙以外の全員が何かの作業に没頭する中、フランの鼻歌が優しく静かに響き渡った。
◆
ジャノヒゲの根っこの塊取りも、アリスの魔法陣も完成して思い思いに時間を潰していた。
フランは、暇だったのか眠ってしまった魔理沙のベッドの横に座り、ルーミアは何を考えているのかわからない表情でふわふわと浮かんでいる。
アリスは―――
「タダイマー」
上海が赤毛で赤い服に包まれた人形を連れて帰ってきた。それが、アリスが上海に連れてくるように頼んだネーデルだった。ネーデル、と言うのは愛称で和蘭人形と言うのが本名だ。
魔法陣を描き終え座って魔法陣に間違いがないかを確認していたアリスが真っ先に気付く。
「あ。ありがとう、上海」
「ドウイタシマシテー」
笑顔を浮かべる。大好きなご主人様にお礼を言われる、というのが嬉しいのだろう。
「ネーデル、こっちに来てくれるかしら?」
アリスが手招きするとネーデルがこくこく、と頷く。
上海のように喋ることは出来ないがネーデルも一癖ある人形のようだ。
「じゃあ、魔法陣のこの辺りに立ってくれる?」
ふわーっ、とアリスに指示された場所に移動する。風に吹かれればいとも容易く飛ばされてしまいそうな飛び方をしているが、魔力が切れかかっているわけではなく、それがネーデルの特徴だった。
上海が素直でしゃっきりした性格なら、ネーデルはマイペースでぼんやりとした性格なのだ。ただ、ぼんやりしているから、と言ってアリスの命令を聞かないことは決してない。
「じゃあ、ちょっとずつ赤の魔力を放出してくれるかしら?」
赤の魔力とは、簡単にいえば炎的な性質を持った魔力のこと。七色の人形遣いと名乗るアリスらしい表現である。
ネーデルの手のひらから赤色の霧のようなものがゆっくりと出てくる。それこそがアリスの魔力が性質を変えたモノだ。
見かけはレミリアの出した紅い霧と酷似している。そしてそれは、実際同じようなものだった。この魔力を広く、そして、濃く出すことでレミリアが起こしたのと同じ異変を起こすことができるだろう。アリスにそれだけの魔力があれば、の話だが。
ネーデルは赤色の魔力が魔法陣を覆ったところで魔力の放出を止める。意志を持つ人形は細かい指示がなくともある程度、主の意図を読み取って行動することができる。
「これでいいわね。……あとは、このジャノヒゲの塊根を乗せて―――」
魔法陣の横に置いていた桶からジャノヒゲの塊根を掴んで魔法陣の上に乗せる。
ルーミアが持ってきたときは抱えるほどあったというのに実際に使える部分だけにしてみると両掌に盛れるくらいしかない。
アリスは魔法陣の上に手をかざす。それから、ぶつぶつと呪文を唱え始める。
といっても、呪文自体に意味はなく、ただ、何か言葉を呟く、ということに意味がある。
徐々に魔法陣から光が漏れてくる。赤色の魔力がその光に飲み込まれるようにして消えていく。
そして、赤色の魔力が完全になくなるのに合わせて光も収まる。
魔法陣の上にあったジャノヒゲの塊根は全て乾燥し切っていた。
「よし、成功ね」
ぱさぱさとした触感を確かめながら言う。
「出来たのー?」
ふわふわと浮かんでいたルーミアがアリスの方へと近づく。
「ええ。といっても、実際に使うときは煎じる必要があるんだけど。……ネーデル、もう少しだけ手伝ってくれるかしら?」
アリスの言葉にネーデルは嬉しそうに頭を縦に振る。やはり、人形たちにとって主の役に立てるのと言うのは嬉しいことのようだ。
アリスは乾燥させたジャノヒゲの塊根を適当な量取ると台所へと向かって行く。
台所の棚から勝手に鍋を取り出す。それから、水瓶の前に立つが、
「あ。……上海、水を入れてくれるかしら」
両手が塞がっていて自分だけでは水を入れられないことに気付く。
上海が「ワカッター」と頷き柄杓を持ち、水を入れていく。
その隣でネーデルが少し不満そうにアリスを見ていたがやがて諦めたように顔を背ける。
主の役に立ちたいのにその役目を上海に取られたのと、自分を頼ってくれないアリスに不満を抱いたのだろう。
嫉妬もしたりと、アリスの自我を持つ人形たちは中々感情豊かだ。
それでも、アリスは満足していない。こんなのは完全に自立した人形とは言えない、と言って。
彼女の指す自立した人形とは、魔力の供給を自分たちで行い、時にはアリスの命令を無視するような、そんな人形のことだ。
それが完成すればその人形には逃げられても構わない、と考えている。
けど、だからと言って、アリスが上海たちそのものに対して不満があるわけではない。主人の気付かないことにも時々気付いてくれる自分の人形たちを誇りに思っている。
上海は一生懸命な様子で柄杓を持ち上げて鍋に水を入れていく。
アリスは、そんな上海を微笑ましい気持ちで見る。
そして、同時に彼女はネーデルの抱いている気持にもちゃんと気付いている。
「じゃあ、次はネーデルに頑張ってもらうわよ」
鍋に必要な量だけ水が入ったのを見てアリスが言う。
ネーデルはすぐに嬉しそうな表情をして頷く。
「ガンバレー」
上海がネーデルに声援を送る。上海はネーデルに比べて素直な性格なので自分に仕事が回ってこないからと言ってそれで他の人形に嫉妬したりしない。というよりも、汎用性の高い上海はアリスと一緒にいることが多い。その辺りも性格に関係しているのかもしれない。
アリスは、鍋に乾燥させたジャノヒゲの塊根を入れる。それから、調理台の横、壁や台に耐火加工がなされている所に鍋を置く。
「これから薬草を煎じるから、火を出し続けてちょうだい」
ネーデルはこくこく、と頷いて、マイペースな速度で鍋の前に浮く。そして、手をかざすと鍋を包むような炎が現れた。
魔力が途切れないようにアリスは魔力をネーデルに送り続けている。
そんな主と人形の後ろで上海がネーデルを応援し続ける。
アリスの家ではよくある、いつもと変わらない光景だった。
◆
アリスが薬草を煎じている間フランはじっと魔理沙の寝顔を見つめていた。
起きている間は事あるごとに口を出してきて風邪の割には騒がしかったのだが、こうして眠ってしまうと静かだった。それは当たり前のことであるはずなのに、不安になる。
眠るような死もあることを知ったフランはもしかしたら、死んでしまっているんじゃないだろうか、とそんな不安を抱いてしまう。
不安になって魔理沙に声をかけようとして、魔理沙の寝息が聞こえる度、肩が上下するのが見える度にほっと息をつく。
緊張にも似たような精神状態がどこまでも続く。
「フラン、そんなに気を張ってると心にあんまり良くないよー」
後ろから聞こえてきた言葉は気を使うようなそれなのに口調がどこまでも暢気だった。そんな喋り方をするのはルーミアしかいない。
フランは顔も上げずに魔理沙の顔を見つめ続ける。
「よいしょ、っと」
ルーミアはフランの隣に椅子を置いてそこに腰かける。
「……魔理沙、気持ち良さそうに寝てるねー」
起こさないように考慮してか声量は随分と抑えられている。
「……うん」
「……こうやって、安心したように寝てる、ってことは魔理沙、ここにいる私たちのことを信頼してるんだろうね」
「……魔理沙は屋根の下ならどこでも寝れると思うわよ」
静かな声で答える。無意識に伸びかけた手が魔理沙の髪に触れそうになる。けど、起こしたら悪いと思い、途中で手を引っ込める。
「……それもそうかも知れないけどねー。でも、信頼されてるんだ、って思う方が心がぽかぽかしていいと思うよー」
「……」
ルーミアの言葉で思い出すのは地霊殿に住む猫たちのこと。彼らはフランに大きな信頼を寄せていた。さとりがそう言うのだから間違いはない。
あの時、感じた感情はどんなものだっただろうか。暖かいような、くすぐったいようなそんな感情だった。
「……それに、信頼されてない、なんて思ってたら気持が重くなるばかりだよ。フランはもっともっと気楽に考えた方がいいと思うよー」
フランは顔をあげてルーミアの顔を見る。
彼女は暢気な笑顔を浮かべている。けれど、捉えどころがない。不思議な雰囲気の笑顔だ。
「……前向きに考えるだけならタダだし、後ろ向きに考えてるよりも何倍も心に優しいと思うよ」
「……ルーミアは、いつも前向きに考えてるの?」
「……うん。私はいつだって前向きだよ。どこかに美味しいものが食べれないかな、とか考えてるよ。あと、考えるのが面倒くさい時は何にも考えてないよ。時々は頭を休ませてあげないとねー」
何にも考えてなさそうに見せかけて思った以上にいろいろなことを考えていそうな自称弱小の妖怪が暢気な声で言う。
「……ルーミア、ありがとう」
なんとなく、心が軽くなったような気がしたから。
「……私はお礼を言われるようなことなんてしてないよ」
謙虚、というよりはとぼけたような物言い。こうして、近くにいて一緒に話をしたのに、ルーミアの底はまったく見えてこない。
「……ほんと、あなたってよくわかんないわね」
「……私は闇そのものみたいなものだからねー」
返答も意味がわかるようなわからないようなそんなものだった。
◆
「……フランはわかるが、何でお前まで私の顔を見てるんだ?」
目を覚ました魔理沙の第一声がそれだった。フランがルーミアの話を聞いてから半刻ほどが経った。
「フランの付き添いー。気にしなくてもいいよ」
何のこともないように答える。
「いや、お前に覗かれると余計に気になる」
そう言いながら魔理沙は身体を起こす。
「魔理沙、体調はどう?」
フランが心配そうな表情を浮かべてそう尋ねる。
「さっきよりは良くなったみたいだな。何となくだが、体が軽くなった気がする」
「そっか。じゃあ、一応快復には向かってるんだね。……よかったぁ」
心の底から安心したような声を漏らす。
「……やっぱりフランらしくない」
魔理沙の小さな呟きはフランには届かなかった。
「魔理沙、起きたのね」
離れた場所で棚から抜き取った魔理沙の書いた魔導書を読んでいたアリスが本を持ったまま魔理沙の方へと近づく。
「それは……っ!」
魔理沙がアリスが持っている本を見て顔色を変える。それから、フランたちを避けてベッドから飛び降りる。アリスの方へふらふらとした足取りで近づくとアリスの手から本を奪い取った。
突然の魔理沙の行動に驚いたアリスとフランは反応することが出来なかった。ルーミアは事態がどう動くのかだけを見ようとしている。
「ど、どうしたのよ、突然」
最初に口を開いたのはアリスだった。本を抱くようにして床に座っている魔理沙に戸惑うようにしながら疑問をぶつける。
「……見たのか?」
きっ、と鋭い視線をアリスに向ける。思いがけない魔理沙の反応にアリスはたじろいでしまう。
「え、ええ。さっきまで読んでたんだけど、何か問題でも?」
「大ありだっ!」
熱以外の要因で顔を赤くしながら声を荒げる。しかし、やはり風邪で体力が落ちているのか思ったよりは声が出ていない。
「……お前みたいな自分で魔道書を書けるやつからしてみれば、こんなもの単なる紙切れにしか見えないんだろ?」
僻むような口調。
「別にそんなことはないわよ。……確かに、魔道書としては不完全だけど、必要なことは全部書かれてあるわ。もう少し、魔力の流れを気にしながら書けばちゃんとした魔道書になるはずよ。魔道書を書くための知識がいるなら私か紅魔館のパチュリーにでも聞けばいいのに」
「……私は、誰かに努力してる所を知られるのが嫌なんだ」
そう言いながら立ち上がると、ふらふらとした足取りで本棚を目指す。
フランは慌てたように魔理沙に近寄って、本を代わりに片付け上げようか、それとも支えてあげるだけにしようか悩んだ。そして、結局、魔理沙を支えて本棚の前まで連れて行ってあげることにした。先ほどの魔理沙の言葉を聞いて、自分はそれに触れてはいけないような気がしたからだ。
「……悪いな、フラン」
本棚に本を戻した魔理沙は珍しくお礼の言葉を口にする。
「……ううん、魔理沙の為ならこれくらいするのは当たり前だよ」
フランは魔理沙のお礼に一瞬戸惑うが、笑顔を浮かべながらそう返した。そして、そのまま、ベッドまで支えていく。
「魔理沙。確かに、貴女ならいつかは独学でも魔導書を書くことができると思うわ」
「……それは、お世辞か?」
フランに抱きあげられて布団の上に戻った魔理沙が聞く。
「魔法使いである私から見た客観的意見。いや、私見も入ってるかも知れないわね」
「アリスハ、マリサノマッスグナブンショウガスキナンダッテー」
上海がアリスの心の中を勝手に曝け出した。
「上海!」アリスは顔を赤くしながら、「でも、そうね。貴女の文章には魔法使いらしからぬ真っ直ぐさがあるわ。それが、魔導書にひとつ魅力を付けることになると思うわよ」
「魔導書にそんなもの必要なのか?」
「必要ないと言えばそうだけど、らしさ、がある方がいいじゃない?例えばパチュリーの魔導書なんかは答えまでの道筋が遠くなってるわね」
「お前、パチュリーの魔道書、読めるのか?私はさっぱり読めないんだが」
アリスの言葉に魔理沙は驚く。ありえないことを聞いた、といった風に。
「パチュリーが色んなのから意見を聞いてみたい、ってことで書いてる途中の魔導書を見せてもらったのよ。私も流石にあの七曜の魔女の魔道書は読めないわ」
魔導書、というのは書き手と同程度以上の魔力がなければ読むことが出来ない。そのせいで、魔理沙が魔法を使い始めたころはいろいろと困難があったのだがそれは今は関係のない話である。
「ああ、そういえばそんなものもあったな。私は読みにくい、って言って付き返したんだが」
「その言葉、結構気にしてたわよ。まあ、私も、純粋な読解力が問われそうね、なんて似たようなことを言ったんだけど」
……アリスと魔理沙はフタリで魔法談義を進めている。魔法に関する知識の乏しいフランはフタリの間に入ることが出来ない。
ルーミアはあくまで、マイペースな感じで今はぼんやりとしているようで入る気もなさそうだ。
「むー……」
フランは不満そうにフタリの話を聞いていた。あと、胸の内にあるもやもやした気持ちにいらいらもしていた。
アリスばっかりずるい、と思っているのだが、それなりに楽しそうに話している魔理沙を見ていると止めようにも止められない。じゃあ、フタリの話に加わってみようか、とも思うのだが、それだけの知識がフランにはない。
結果、不満な気持ちを持て余すしかない。
「アリスー」
フランの様子に気付いた上海がアリスの袖を引く。ネーデルも気付いているようだが、フランの方に視線を向けるだけで特に何かをしよう、という気配はない。
「ん?なに、上海」
「フラン、タノシクナサソウー」
上海がフランの方を指差す。アリスは指差す先を見て、すぐに理解する。
やれやれ、と内心肩を竦め、
「……と、そういえば、魔理沙には薬を飲んでもらわないといけないわね。せっかく作ったんだし。ルーミア、ちょっと手伝ってくれるかしら?」
「んー?」フランと魔理沙を見て、「うん、わかった」
椅子から立ち上がる。神出鬼没だからなのか、場の雰囲気を読むのは得意なようだ。
「あ……アリス、私も―――」
不満な気持ちが内にあったからか少し反応が遅かった。
「準備は上海とネーデル、それとルーミアがいれば十分だからフランはそこで待ってていいわよ。……そうね、出来れば魔理沙が退屈しないように話し相手にでもなっててくれるかしら?」
「え?……うん」
「よし、じゃあ、頼んだわよ」
アリスはフランの頭を撫でるとルーミア達を伴って台所の方へと行ってしまった。
実際にアリスたちがする必要があるのは先ほど煎じて作った薬液を温めるだけなのだが、フランも魔理沙もそのことは知らない。フランは薬草に関する知識がないし、魔理沙は薬草を煎じているときに寝てしまっていたから。
「……」
フランは魔理沙がアリスばかりと話していたことに不満を持っていた反動か、こうして実際フタリきりになってしまうと気まずさを感じてしまう。鈍感な魔理沙は一切そのようなことはないが。
「ま、魔理沙っ」
気まずさを感じているせいか声に変な力が入ってしまう。
「ん?何だ?」
「……魔理沙は、私とアリスとどっちと話してる方が楽しいの?」
口から出たのはそんな質問だった。
「んー。どっちと話してると楽しい、か。意識したこともないな。……というか、なんで突然そんなことを聞くんだ?」
「え?……な、なんとなく、気になったからっ!」
そう言ってフランは顔を俯かせてしまう。魔理沙とアリスが楽しそうに話してるのが不満だったから、とは言えなかった。
「そうだな。アリスはあの冬の明けない異変の後から魔導書を借りる為に話すようになったが、楽しい、というよりは単に私自身の確認作業してるだけだな。あいつは私よりも魔法には詳しいから為になるんだよな。フランは……そうだな、楽しいのかもしれない。お前は、いちいち私の言葉に反応を返してしてくれるからな。どんな反応をしてくれるのか、って思いながら話してると中々楽しい」
どうせ、はぐらかすように話すのだろう、と思っていたフランは意外にも素直な物言いをした魔理沙の顔を見つめる。
「……あー、っと。今のは私らしくなかったな。なんだ、風邪のせいか?フラン、今のは―――」
「忘れないよ。ずっっっと、覚えてる。魔理沙がそんなこと言うなんて滅多にないもん」
フランは本当に嬉しそうな満面の笑みを浮かべている。
何を思ったか魔理沙はフランから顔を逸らす。自分が普段言わないような言葉を真っ直ぐに受け止められたことが恥ずかしいのかもしれない。
「じゃあ、せめて誰にも言うなよ」
「アリスやルーミアにも?」
「ああ、アリスやルーミアにもだ」
そうは言うが実はアリスもルーミアも台所から聞き耳を立てていた。フタリともそんなことには微塵も気が付いていない。
「うん、わかった。……ふふ、私だけが聞いた魔理沙の言葉だ、って思うとすごい、嬉しいね」
「そうか?よくわからんな、その感覚は」
首を傾げる。物に縛られやすい魔理沙はフランのような心に対して執着する気持ちはよくわからないようだ。
「魔理沙がわかんなくても、私が嬉しいんだからいいんだよ」
そう言って、ベッドの上で体を起こしたままの魔理沙にぎゅぅ、と抱きつく。
抱きつかれた魔理沙は何も言わない。最近はこうして抱きつかれることも多くなっていたので、魔理沙も慣れてしまったようだ。諦めたのとは違う。
「魔理沙、早く元気になって、また私に紅茶を淹れてね」
魔理沙を放し、正面から向き合う。お互いの顔はかなり近い。
「……ん、そうだな。けど、次はお前の番じゃなかったか?」
フランが魔理沙の家に初めて行った後の一週間ほどは、魔理沙を連れ去りにきたこいしを追い払ったお礼、という形で魔理沙が紅茶を淹れていた。けど、それから、フランも魔理沙に紅茶を飲ませてあげたい、ということで交互に紅茶を淹れるようになった。
「じゃあ、今度はお互いがお互いに紅茶を淹れ合おう!私が魔理沙に紅茶を淹れてあげるから、魔理沙は私に紅茶を淹れてちょうだい」
「それだと、せっかく交代制にした意味がなくなるぜ」
「いいじゃん、別に。そんなに体力を使うようなことじゃないんだから」
「まあ、確かにそうだけどな」
「じゃあ、決まりだねっ!」
笑顔でお互いに紅茶を淹れ合うことを勝手に確定した。
「いや、待て……」魔理沙は何かを言おうとしたが、「はあ……、まあ、いいか」
フランの底抜けの笑顔を見て何も言えなくなってしまった。それに、フランの紅茶も、フランに紅茶を入れてあげることも満更嫌なわけでもないのだろう。
そのままフタリは見つめ合ったまま動かない。と言っても、フランは純粋に魔理沙の顔を見つめているだけだったが、魔理沙はフランの次の言葉を待っている、という差異がある。
「フラン?」
何かを言うものだと思って待っていた魔理沙は待ちきれなくなって口を開いた。
「なに?」
魔理沙の呼びかけに小さく首を傾げる。
「いや、私の顔ばっかりを眺めてどうしたんだ?何か付いてるのか?」
「ううん。単に魔理沙の顔を見てるだけよ」
「そんなに私の顔は面白いのか?」
魔理沙はフランのにこにことした笑顔を見ながら尋ねる。
「そんなことないよ。……魔理沙の顔を見てると、こう、幸せな気持ちになれるよ」
そう、どんな顔をして会えばいいのかわからない、と思っていたにも関わらず、こうして実際魔理沙の前に来てしまえば、こうして笑っていられるのだ。
今もまだ、魔理沙が死ぬその時どうすればいいのかなんてわからない。だけど、フランはこうして魔理沙と一緒にいたい、と思う、願う。
出来るだけ長い間、魔理沙の隣に、前に立ってこんな幸せを感じていたい。例え、別れ際に泣いて、泣いて、泣いてしまうのだとしても。
だって、部屋の中で悩んでいる時間が無駄だと気付いたから。紅魔館のメイド長のように時間を止めることが出来ないのなら、その時間の中で出来ることをやるしかない。
―――その時が来た時、自分は泣いていたって構わない。ただ、魔理沙にはあの劉のように死ぬ間際に幸せだったと言ってほしい。その為ならどんなことだってやってみせる。
そう、決意をした。
……だけど、やっぱり怖い。好きなモノが死に逝くことはどうしようもないくらいに怖い。
どんなに幸せでも、どんなに満たされていてもそれが夢であったかのように失われてしまうような気がするから。
魔理沙のことは決して忘れない自信がある。だけど、どんなに頑張ったってそれは単なる記憶であり、触れることは出来ない。
そんなのは、嫌だ―――!
「お、おい、フラン!?」
焦ったような魔理沙の声。そこで、フランは自分が泣いていることに気付いた。
「あ、あれ?」
拭っても拭ってもその透明な雫は溢れ出てくる。そして、次第に嗚咽が漏れ始める。
「魔理沙っ!なに、フランを泣かせてるのよ!」
隠れてフタリの様子を見ていたアリスが一気に魔理沙の方へと詰め寄った。
「わ、私は何もしてない!フランが勝手にっ!」
無実の罪を着せられた魔理沙は必死に弁解を試みるがアリスは既に聞いていない。
「フラン、魔理沙が、何かしたのかしら?」
後ろからフランの頭を撫でながら優しい口調で問いかける。フランは首を左右に振って答える。
「じゃあ、どうしたのかしら?私でよければ聞いてあげるわよ。それとも、魔理沙にだけ話したいのかしら?」
ただおろおろするだけで何も言うことのできない魔理沙の代わりにアリスが問い掛ける。子供と関わってきた経験の差がここにも表われている。
「魔理沙が、……魔理沙が、いつか、死んじゃったら、もう、魔理沙に、触れないんだ、って思って……っ!」
しゃくりあげながら、答える。
「……魔理沙、何か言ってあげなさい」
アリスはフランの言葉を聞いて頭を撫でるのをやめる。
「わ、私がか?私は、泣いてるやつの相手をするのは苦手なんだが―――」
「いいからっ!この状況で魔理沙以外の誰が、声をかけてあげれるかしら?とにかく、貴女は貴女の言いたいことを言ってればいいのよ。」
「た、確かにそうだな」
アリスの言葉に納得してしまった魔理沙はもう、立ち止まることはできない。そもそも、目の前でフランに泣かれているせいで逃げることも出来ないのだが。
「えっと、フラン?」
探るような口調で話しかける。本当に泣いてるのを相手にするのが苦手なようだ。
「まあ、その、なんだ。何で、私のことをそこまで想ってくれてるのか、知らないがっ……!」
言葉の途中でアリスに頭を叩かれた。
「アリス!何すんだよ!」
「貴女のデリカシーがなさすぎるからよ!本当に分かってないんだとしてもわざわざそう言うことを言うんじゃないわよ!」
「は?意味がわかんないんだが」
「……はあ、貴女が心の機微を読めないのはわかったわ。とりあえず、フランのことを考えながら貴女の好きなように喋ってちょうだい」
「後ろのほうだけ聞き入れたぜ」
呆れるアリスと、人を食ったような態度で答える魔理沙。あまりにもこの場に合っていないフタリのやり取りにフランはきょとん、としてしまう。涙も、いつの間にか止まっていた。
「フラン。私は、死ぬ時も派手に死ぬ。静かに死ぬなんてつまらないからな。だから、その時になってそんな泣き顔を浮かべるなよ。派手なことに似合うのは笑顔と驚嘆だ。私が死ぬ時は笑顔と驚きで持って私を送ってくれよ」
そう言って不敵な笑みを浮かべる。
「魔理沙……」
フランの瞳に再びじわ、と涙が浮かぶ。そして、また、溢れ出す。
「うわっ!な、なんだ、私、何かまずいことでも言ったかっ?」
フランの涙を見て魔理沙は錯乱し始める。
「ううん、そんなこと、ないよ……っ。でも、私、笑顔で、いられるなんて、思えない、から……っ」
劉に笑顔で送って欲しい、と言われた。自分は幸せに生きたから、と。
だけど、無理だった。結局、あの時は感情が抑えられず、泣いてしまった。
だから、多分、魔理沙の時も同じなんだと思う。ぼろぼろと泣いて笑顔を浮かべる余裕なんてないんだと思う。
それを思うと、無性に悲しい。魔理沙が笑顔を望んでいるのにそれを叶えてあげられないなんて。
「フラン」
魔理沙がフランの頭に手を乗せる。そして、彼女には珍しい柔和な笑みを浮かべる。
「私の言葉を真剣に受け止めてくれるのはフランだけだな。ありがとな。……けど、だからと言って、私の言葉が誰かにとっての重しになるのは嬉しいことではないな。
私の言葉を真剣に聞かない奴なんてごまんといる。だから、私の言葉が蔑ろにされたところで気にはしない」
「魔理沙の言葉を、蔑ろになんて、出来ない……」
ふるふる、と首を横に振る。
「……魔理沙、貴女は、ほんと、馬鹿ね。言い方を考えなさい」呆れるように呟き、「ま、そこが貴女らしいと言えばらしいんだけど」
「馬鹿とは失礼だな」
心外だ、とでも言うようにアリスの方を見る。
「事実を言っただけよ」
短くそう言って、フランへと話しかける。魔理沙が何かを言いたがっていたが無視する。
「フラン、魔理沙はあんな言い方だけど、一つの歪みもなく望まれた通りにする必要なんてないと思うわよ。泣きたければ悲しさに打ち震えて泣けばいいし、罵りたければなんで死んだんだって罵ればいい。それで、いつか笑顔を浮かべれるようになったなら墓前でもどこでもいいから、その笑顔が届くように祈りながら笑っていればいいと思うわ」
「お劉と、同じようなことを、言うんだね……」
少しだけ、先ほどよりも落ち着いた声。
「お劉?」
聞き慣れない名前にアリスが首を傾げる。魔理沙は、何度かその名前をフランの口から聞いていた。
「……うん。私が、初めて、作った、友達……」
そう言って、地底で出会った老猫のことを話し始めた。
◆
「ルーミアハ、イカナクテイイノー?」
未だに台所にいるルーミアへと上海が話しかる。
「うん。あのフタリに任せてれば大丈夫そうだから」
ルーミアはそのまま床に座り込む。
「それに、私自身重い話が苦手だからね。気楽でいるくらいがちょうどいいよ」
人形だけの前だからかルーミアの纏う雰囲気はいつもと違う。いつもの暢気さがどこかに行ってしまっている。
「キラクー?」
「そう、気楽。難しく考えても行きつく答えなんてそんなに変わりっこないんだから、マイペースに生きてるくらいがちょうどいいんだよ」
「ネーデルモ、マイペースー」
一体でぼんやりとしていたネーデルがルーミア達の方を向いて、少し首をかしげたあと、首を縦に振った。
「私から見れば上海も随分とマイペースだと思うけどね」
「ソウー?」
不思議そうな表情を浮かべて首を捻る。ルーミアはそんな上海を可笑しそうに見る。
「うん。アリスの言葉には素早く従ってるけど、それ以外は随分とマイペースだよ」
「ムムー」
上海は頭を抱えて考え始めてしまう。自分の今までの行動とかを思い返しているのかもしれない。
そんな上海を見ながらルーミアは耳を澄ませる。
聞こえてくるのは、フランが経験した老猫との別れの話。
悲しげな声だが、大切に大切に言葉を選んでいる、ということもわかる。それだけ、フランの中であの出来事は尊いことなのだ。
ルーミアはその場にいなかった。偶々なのかそれともわざわざあの日を選んで地霊殿に行かなかったのか。それを知っているのはルーミアだけだ。そして、そのことが明るみ出ることは決してないだろう。
と、フランの声が途切れる。それから、聞こえてくるのは魔理沙とアリスの声。
「さてと、そろそろ私たちも向こうに行こうか。ネーデル、私の魔力を使って炎は出せる?」
立ち上がりながらネーデルに話しかける。ネーデルがルーミアの問いに頷く。
「じゃあ、お願い。薬液は使う前に温めておかないといけないらしいからね」
そう言いながらルーミアが闇を放ち、ネーデルに纏わりつかせる。その闇こそがルーミアの魔力だ。
ネーデルは薬液を入れたまま放置していた鍋へと向けて炎を放つ。
その炎はルーミアの魔力の影響を受けて黒くなっていたが温度には問題ない。しっかりと鍋の中の薬液へと熱が伝わっている。
「熱すぎても飲めないだろうから、適当なところでやめてね」
ネーデルはこくり、と頷いて、薬液を熱し続けた。
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