「お嬢様っ!大変ですっ!」

 紅魔館の主の従者である咲夜が慌しい様子で主の私室へと入ってくる。その部屋の調度品は紅色か白色で統一されている。

「どうしたのよ、咲夜」

 騒がしい従者の闖入にも慌てず優雅に紅茶のカップを口に運ぶ。それから、紅茶を少量口に含み嚥下する。

 彼女の座るテーブルや椅子は穢れを知らないような白色だ。

「大変です、フランお嬢様が外に出てしまわれました!」
「……そう」

 自分の妹―――四百九十五年間決して外に出ないように閉じ込めていた――が外に出てしまったことを聞いてもレミリアは冷静な様子だ。
 まだ紅茶の入ったままのカップを弄ぶ。

「……追って、連れ戻さなくてもよろしいのですか?」

 主のあまりにも落ち着いた様子に従者も落ち着きを取り戻す。そして、彼女に去来したのは疑問だった。

「別に何もしなくてもいいわ。あの子の好きなようにさせてあげなさい。黒白に会うために出て行ったのでしょう?」

 淡々と、ただ事実を伝えるだけのような口調で答える。

「そうですけど、……本当によろしいのですか?」

 咲夜はレミリアの言葉に納得できないようだ。それもそうだ。フランをこの紅魔館の中に閉じ込めておくよう言ったのは他でもないレミリアなのだから。当然、いくら主の言葉とはいえどそう簡単に納得できるはずがないだろう。

「ええ、いずれ、そうなる運命だったのよ。黒白のお陰であの子にも他者とコミュニケーションを取る能力が身に付いてしまったわ。……いいえ、私が弱すぎただけね。本当は私があの子に教えてあげるべきだった。いずれにせよ、あの子が外に出たい、と言えば出させてあげるつもりだった。だから、これでいいのよ」

 再び、紅茶を口に含む。

「そうですか。わかりました。……しかし、今日は天気がとても不安定です。いかがいたしましょうか」
「貴女が監視していなさい。でも、雨が降ったから、といってすぐに手を出しては駄目よ。そのあとは貴女が判断しなさい」

 何故、手を出すな、というのか。そのことには一切、疑問を持たない。
 彼女は運命を視ることができる。といっても全てを視ることができるわけではなく、なんとなく、その運命の道筋がわかるそうだ。それを知っている咲夜はレミリアの言葉を全面的に信頼する。例え、レミリアに未来がはっきりと視えていないのだとしても。

「かしこまりました」

 恭しく礼をして、咲夜の姿が部屋から消えた。
 そうして、紅魔館主の私室にはその主たるレミリアだけが残される。

 レミリアは静かな自室の中で紅茶を飲みほしてしまったカップを揺らす。

「……行かせる前に紅茶の御代わりを頼んでおけばよかったわ。まあ、たまには自分でいれてみるかな」

 自分の紅茶を持って立ち上がり、レミリアも部屋から出て行った。



「広ーい!屋敷の外ってこんなに広かったんだ!」

 咲夜の目をかいくぐり、立ちはだかった美鈴を打ち倒し紅魔館から出ることに成功したフランは霧の湖の前で両手を広げる。嬉しさからか彼女独特の宝石のような羽もぱたぱた、と揺れている。
 紅魔館も咲夜の力により十分広いのだが、やはり外に出ると曇ってはいてもその解放感が違った。それに、地下独特の埃っぽさもない。

 ただ、月が出ていないのだけが残念だ。しかし、今は昼間なので、月が見えていれば同時に太陽もその顔を見せるので吸血鬼の身体は焼けてしまっていることだろう。初めて外に出て、最初に太陽に焼かれる、だなんてのはまっぴらごめんだ。
 本当は夜、外に出るつもりだった。だけど、パチュリーから夜になると人間は寝るものだ、と聞いたからわざわざ昼間を選んだのだ。今日この日のために、曇りになるのを待っていた。

「でも、急がないと雨が降ってきそうね」

 灰色の雲に覆われた空を見上げる。家の地下ほどではないが圧迫感がある。

 一応、レミリアの愛用している傘を勝手に借りてきたが風が強くなれば意味がなくなる。でも、とりあえず今の風の様子からすれば大丈夫そうである。
 雨が降って地面を流れる水さえも吸血鬼にとっては脅威だが、身体を浮かせれば問題はない。身体を浮かせることは彼女にとって朝飯前だった。いや、幻想郷に住まう実力者の全てがそうだろう。飛べないのは人間の里に住む人間くらいだ。

 とにかく、吸血鬼は流れ水に弱い。

 水に触れた瞬間に消える、なんてことはないが、長時間水の流れに触れていれば命の危険にさらされる。――そう、パチュリーから聞いていた。だが、今回の場合はそこまで気にする必要もなさそうだ。だからと言って、雨の中を歩きたいとは思っていない。

 とりあえず、こんなところで外に出れたことへの嬉しさの余韻に浸っている暇なんてない。それに、ずっとここにいればすぐにでも咲夜が追いかけてくるだろう。レミリアが直々に追ってくることは多分ないはずだ。

 そう思いながら全力で霧の湖の向こう側、魔法の森へと向けて飛び立った。



「ああ、もうっ!なんでこんなに時に限って風が吹いてくるのよっ!」

 悪態をつきながら雨空の下を飛んで行くフラン。風と共に雨が傘を力強く叩く。

 フランの予想通り雨が降ってきた。

 最初はびくびくとしていたのだが、傘を叩く雨の音を聞いているうちに楽しくなってきた。だから、鼻歌を歌いながら魔理沙の家を目指していた。
 しかし、徐々に風が強くなってきて、今では傘を差していても足の方に雨粒が当たる。普通なら恐るるに足りないような小さな粒だが、吸血鬼にとっては十分な脅威だ。

 足にはいくつもの小さな火傷の跡が出来ていて、痛さももうよくわからない。ただ、雨が体に触れる度に火傷が出来るだけでなく魔力も奪われていっていることに気づく。早くどこかで休憩を取らなければ浮遊することもできなくなり、命を奪われてしまうだろう。

(初めて外に出て、それで死ぬなんて、嫌だなあ)

 なんとなく暢気な感じがするのは魔力が奪われすぎて、頭がうまく働かないからだ。恐らく、あと十分もしないうちにフランは地面に落ちてしまう。
 そうなれば、流れ水によって彼女の身体は容赦なく焼かれる。塵一つ残ることはないだろう。

 けど、頭がうまく働かなくなっている彼女は近いうちに地面に落ちてしまうそのことに気付かない。このままだといつか命が危険にさらされることを知っていながら、その兆候に気付くことが出来ない。

(あ、あそこなら、雨宿りができそうね)

 フランが見つけたのは一軒の木の小屋だった。長い間使われていないのか、あちこち傷んでいるのが見える。屋根が無事なら雨宿りに使えないこともなさそうだ。

 ……とにもかくにも、近づいて調べてみるしかないわね。

 魔力を奪われてふらふらな頭でそう思って、フランは木の小屋へと近づいて行った。



「うわ、埃っぽい……」

 小屋の中に入っての第一声はそれだった。紅魔館の図書館、更には地下室よりもひどい。
 だけど、それは同時にこの中ではしっかりと雨風が防げる、ということを示している。と言っても、フランはそのようなことまでは気が回らなかった。ただ、小屋の中が濡れていないから雨宿りに使える、とそう思った。

 フランはこのぼろぼろの小屋の中で雨宿りをすることにした。いつ止むかはわからないけど、とにかく待つしかない。

 小屋の中を見渡して、座れる場所を探す。足が火傷でぼろぼろになっているため、立つことは難しい。
 浮いていても魔力の消耗はないに等しいが、座った方が落ち着けるのだ。

 一通り部屋の中を見たところで、フランは一脚の椅子を見つけた。

 その椅子はあちこちが朽ちていてとても座れそうになかった。だけど、楽観的思考で座っても大丈夫だろう、と判断したフランは、なんの躊躇もなくその椅子に体重をかけた。
 その瞬間、

「きゃっ!」

 いとも簡単に椅子の脚が折れてしまった。

「っ……!」

 両足が激痛を発してフランは声なき悲鳴を上げる。

 フランは紅魔館の地下に閉じ籠っていて大きな怪我を負ったことがなかった。だから、フランは怪我をした時には注意して行動しなければいけない、ということをよく分かっていなかった。
 だけど、今ので彼女は理解した。怪我をした時は安静にしていなければいけない、ということを。

「……もう、なんで、こんなことに、なるのよっ」

 痛みが引いて、苛立たしげに放たれたその言葉は同時に泣きそうでもあった。

 今まで、これほどまでの痛みを感じたことのないフランは絶対に魔理沙の家に辿り着くことが出来る、という自信を失ってしまっている。
 けど、だからと言って、帰りたいとは思わない。

 魔理沙に会いたい。

 三日に一度くらいは紅魔館を訪れて外の話をしてくれた魔理沙。時々、弾幕ごっこに付き合ってくれた魔理沙。
 パチュリーは本を持っていかれるから、と迷惑がっていたけど追い出したりはしなかった。たぶん、ずっと静かな図書館にいたからあの騒がしさを楽しんでいるのかもしれない。
 気がつけば、フランにとってもパチュリーにとっても当たり前となっていた魔理沙の存在。
 けど、彼女は二週間前に紅魔館を訪れてから一度も姿を見せていない。
 パチュリーはそのうち、ひょっこり帰ってくるでしょう、なんて言ってた。

 そうかもしれない。そうかもしれないけど……。でも、パチュリーには本があるからそう言えるのだ。けど、私には何もない。

 これ以上、待つことはできない。何もない、ということがこんなにも辛い、ということを知らなかったから。

 そうして、フランは決断した。魔理沙が来るまで待つんじゃない。自分から、彼女に会いに行くのだ、と。

 外に出ること自体は簡単だった。何の障害もなく紅魔館の玄関の扉を開き、何の苦労もなく美鈴を気絶させることができた。

 幸先がいいと思っていたのだ。何も、誰も壊さずに外に出れたから。
 けど、そんなのは、最初だけだった。

 雨が降ってくるのは最初から予想していた。だから、レミリアの傘を勝手に借りてきた。魔理沙と違ってちゃんと返すつもりだから借りる、で間違いではない。

 だけど、雨だけでなく風まで吹いてきた。そのせいで、両足ともに火傷のような傷を負ってしまった。そのうえ、座ろうとした椅子まで壊れてしまう。

「……」

 フランの右手が何か、の“目”を掴む。辺りの物にあたって、不満を紛らわそうとしているのだ。

 ぱきんっ。

 壊れていた椅子が音を立てて更に壊れて崩れる。後に残ったのは塵だけだ。その塵も、小屋の中に微かに吹く風に飛ばされてしまう。

 次に壊れたのは小さな机の上に置かれていたランタン。火が付いていれば惨事になっていたことだろうが、埃が積もりに積もっていたそれに灯が点っていたはずがない。

 ランタンも粉々に砕けてしまう。そして、次に壊れたのはランタンを乗せていた机だ。
 足が折れ、上に乗っているランタンの残骸を床に落とす。

 しかし、それが他の二つのように粉々になるようなことはなかった。なぜなら、

「こんにちはー。あなたもここで雨宿り?」

 フランに声を掛けるモノがあったからだ。フランは億劫そうに振り返る。

「……貴女は?」

 ずっと館に籠りっきりだった彼女にとって当たり前のことだが、見たことのないモノだった。

 その身を覆っているのは黒色の服。全身が黒いというわけではない。そでの部分は白くなっている。胸元にはほおずきを模したような飾りがある。
 そして、金色の髪に赤色のリボンが揺れている。

 フランと同じように浮かんでいるようで、長いスカートから覗く足は床から離れている。
 
 赤い色の瞳がフランを見る。

「私はルーミアだよ。紅魔館の吸血鬼の妹さん」

 そう言って、ルーミアは無邪気な笑顔を浮かべる。

 それを見てフランの脳裏に思い浮かんだのは門番の美鈴の笑顔だった。
 灯りは点っていてもどこか薄暗い感じのする館の中で美鈴だけは明るく、真っ直ぐな笑顔を浮かべていた。

「……どうして、貴女は私のことを知っているの?」

 次いで浮かんだのは疑問だった。面識のないはずの彼女がどうして、フランがレミリアの妹だということを知っているのか。

「それは、レミリアがあなたのことを話しているのを聞いたから。ちゃんと、名前も知ってるよ。フラン、でしょ?」

 ルーミアは確認を取るように首を傾げる。
 フラン、は彼女の愛称なのだが気にはしなかった。自分を指す名称として間違いではないのだから。

「ええ、そうよ。……お姉様は私のことをどう言っていたのかしら?」

 問うその声には怯えが少し含まれていた。自分の前では嫌っているような様子を全く見せていないが、いないところではどうだかわからないのだ。自分がどれだけ迷惑な存在であるか自覚しているだけに余計に、だ。

「手は掛かるけど、大切な妹だ、って言ってたよー」
「ふーん、……そう、なんだ」

 それに似た言葉はフランも姉から直接言われたことがある。

――私が貴女を地下牢に閉じ込めていた理由?……それは、この館の中に本気になった貴女を止められるモノがいないからよ。貴女の力は少々危険すぎる――
――お姉様は、本当は私のことが嫌いなんじゃないの?――
――そんなことあるはずがないわ。貴女は私のたった一人の血縁。どんなに手が掛かろうとも私の大切な妹よ――

 あれは、嘘ではなかったのか。レミリアが自分の威厳を保つために言った嘘だと心の中のどこかで思っていた。
 だから、ルーミアの言葉聞いてフランは安堵した。紅魔館の中で少なくとも自分の姉だけは自分を拒絶していないのだと知って。

「あ、怪我してる。大丈夫?」
「地面に足を着けさえしなければ大丈夫よ」

 足をぶらぶらとさせながらそう答える。宙に浮いた身体もそれにつられるように少し、揺れる。

「そっか、なら放っておけば大丈夫だね」

 ルーミアは安心したような笑みを浮かべる。出会ったばかりのフランのことを心配しいたのだろう。

「そういえば、吸血鬼、って流水に弱いんだよね。……傘があるんなら私が紅魔館まで連れて行ってあげようか?」
「……私はまだ帰るつもりなんてないわよ」
「なら、その目的地まで連れて行ってあげるよ」
「それは素敵な提案ね。でも、どうやって私を連れて行ってくれるつもりかしら?完全に雨を防ぐ方法を貴女は知っているの?」

 フランはルーミアの言葉に半信半疑だ。だから、言い方も皮肉っぽくなってしまう。

「うん、あるよ。フランが蝙蝠になって私の頭なり肩なりに乗れば雨に当たらなくなるはずだよ。……フランは、姿を蝙蝠に変えれる?」
「変えられるわよ。……というか、そんな方法思いつきもしなかったわ」

 ルーミアの提案にフランは素直に驚く。

 フランにとって、姿を蝙蝠に変える、というのは攻撃を避ける行為でしかなかった。だから、ルーミアの言ったような日常での活用法はまったく頭の中になかった。他種族のモノよりも自分の能力の活用法を知らない、というのはどこか間抜けな感じだ。

「うん、じゃあ、連れて行ってあげるよ。フランはどこに行きたいの?」
「魔理沙の家。ルーミアはどこにあるのか知ってるの?」
「知ってるよー」

 暢気な声だが、雨に当たっていろいろと自信を無くしていたフランにとってはどこか頼もしい。

「じゃあ、お願いするわね」

 フランはそう言うとルーミアに紅色の傘を渡し、一瞬にして自分の姿を蝙蝠に変えた。
 ぱたぱた、と羽を羽ばたかせてルーミアの肩に乗る。

「よし、じゃあ、行くよー。準備はいい?」

 蝙蝠となったせいで口をきくことができないので頷いて答える。

「それじゃあ、しっかり捕まっててね」

 フランから受け取った傘を開くと、ルーミアはふわふわと小屋から出て行った。



 暗く湿った森の中、フランたちの前に蔦に覆われた洋風の家が現れる。窓からは明かりが漏れてきている。

 この幻想郷において西洋建築は珍しい部類に入る。けど、紅魔館から出たことがなく、西洋建築の建物こそ当たり前と思っているフランにとってそう言った観念はない。

「到着ー、っと」

 ルーミアは玄関の前に降り立ち、傘を畳む。傘の先から雫が垂れ落ち、屋根に覆われて濡れていない部分にまだら模様を作る。

 フランはルーミアの隣で元の姿に戻る。雨に当たらないようにフタリで立つには少々狭い。かといってフタリとも濡れる気はないので、身体をかなり近付けている。
 フランの目に霧雨魔法店、と書かれた看板が映った。なんだろうか、と思ったが、すぐに興味を失った。フランにとって今は魔理沙に会うことの方が先決だ。

 視線を扉に向けるとトントン、と扉を叩いた。

 …………反応は返ってこない。

「寝てるのかなー」
「そうかもしれないわね」

 灯りが点いている、ということは中に誰かがいる、ということだ。そうなると、寝ているか、こちらに反応することができない状態になっているのかのどちらかだ。

 フランはすぅー、っと息を吸う。

「魔理沙ー!私だよ!フランだよ!遊びに来たよー!」

 …………やはり、反応は返ってこない。だけど、意識してみると、家の中に何かの気配があるのがわかる。少なくとも留守でないのはわかる。

「魔理沙ったらなにしてるのかしらね。せっかく、出向いてきてあげた、っていうのに」

 そう呟きながらフランはドアノブを掴んで回した。家の中にいるなら鍵くらい開いているだろう、と判断したのだ。

 フランの予想通り扉は何の抵抗もなく開いた。少し開いた扉の隙間から光が漏れてくる。

「ふふ、寝てるんなら私が起こしてあげよ、っと」

 楽しげな笑みを浮かべながら家の中に入った。その途端、

「動くなっ!動くと撃つ!いや、撃っても撃つ!」

 魔理沙が八卦炉を構えてフランの前に立ちはだかった。その瞳には敵対する者を前にした光が浮かんでいる。
 反射的にフランはレーヴァテインを喚び出し臨戦態勢に入る。ルーミアはマイペースに傘を傘立てに置き、それから、さりげなく魔理沙の攻撃の射程内から離れる。

 フランと魔理沙の間には緊張した空気が流れている。

「早速、私と遊んでくれるんだ。魔理沙が来なくなってからだあれも遊んでくれなかったから手加減出来ないかもしれないわ。だから、壊れないでね」

 くすくす、と小さく笑いをもらす。今から始まるであろう弾幕ごっこへと思いを馳せ気持が高揚する。

「ありゃ、なんだ、フランか。悪い、人違いだった」

 しかし、魔理沙はフランの姿を確認するとすぐに八卦炉を下ろしてしまう。その瞬間に両者の間にあった緊張はしぼんでしまう。

「というか、なんでお前がここにいるんだよ。紅魔館からは出れないんじゃなかったのか?」
「魔理沙が来てくれないから館を抜け出してここまで来たのよ。そんなことよりも、遊びましょう」

 自らの手に握っている得物を見せながら言う。先端がハート型だったりとぱっと見た感じは玩具のようにも見えないことはない。しかし、先端には見かけ以上の鋭利さがある。

「抜け出してきた、ってあいつらは追ってこないのか?いや、まあいいか。……それよりも、悪い。今日はちょっと立て込んでるんだ」
「えー、つまんないー」

 不満を表すように頬を膨らませる。魔理沙といるときのフランは行動がどこか子供っぽくなる。それだけ、魔理沙のことが好きだということなのだろう。

「遊ぶ、って言っても雨が降ってる今、どこで遊ぶんだ?私の家の中で遊ぶなんて御免だぜ。私の家はひとつしかないからな」
「いいじゃない、壊れても。そうしたら、私のところに来ればいいんだし」
「あの主従二人組が私を住まわせるのを許してくれるのかねえ。まあ、それに、魔法の研究は一人でしたいんだ。だから、お前の所に住む、っていうのは却下だ」
「……私と遊べないぐらい何で忙しいのよ」

 痛い思いをしながらもここまで来たのに何もないなんて……。

 そう思うと、周りにあるものを壊したくなってきた。だけど、そうしたら、魔理沙も巻き込んでしまうかもしれない。それは、嫌だった。

「ああ、ある奴に追われててな。そいつから逃げる準備をしているんだ」
「また、どこかで泥棒でもしたのかしら?」
「私は物を盗んだことなんてないぜ。私はいつだって物を借りてるだけだ。私が死ぬまでな」
「そーゆーのは盗んでるのと変わりないわよ。まあ、私は何も盗まれてないからいいんだけど。……それで?結局、どうして追われるような羽目に陥ったの?」
「ああ、ちょっとな。地下に行っている時にある物を盗まれてしまってな。あの時は本気で焦ったな」

 フランは地下がどこを指しているのかはわからないが、そんなのは些細な問題だった。

「ふーん、じゃあ、二週間の間、私に会いに来ずにずっと、その盗まれたものを取り返そうとしてたんだ」
「ああ、なんたって私の命がかかってるからな。いや、自由か」

 そこで、フランは首を傾げる。盗まれて自由がなくなるものとは何だろうか。

 ……八卦炉だろうか。妖怪の蔓延るこの幻想郷の中で攻撃手段がなくなれば自由に動くことはかなわなくなるだろう。

「八卦炉でも盗まれたのかしら?だとしたら、相当、間抜けね」

 いつも魔理沙が肌身離さず持っている八卦炉を盗むには魔理沙が気を抜いてるか、相手がよほどの手練を積んでいるとしか考えられない。

「いや、もっと大事なものだ。まあ、間抜けなことには変わりはないんだろうけどな」

 そう言って魔理沙は頭をかく。なんなんだろう、と思ってフランは身を乗り出す。

「盗まれたのは他でもないこの私自身だ」

「……」

 フランは額に指を当てて考える。あまりにも突飛すぎる言葉で理解が追い付かなかったようだ。

「これで、捕まえられてたのー?」
「ああ、そうだぜ。……って、何でお前がこんな所にいるんだよ。フラン以上に意外だな」

 フランの方に集中していたせいで魔理沙は今までルーミアの存在に気が付いていなかったようだ。

「フランの傘代わりをしてたんだよ。ほら」

 ルーミアが傘立てに置いた傘の方を指差す。

「玄関の扉はちゃんと閉めてくれ」

 魔理沙が注目したのは別のところだった。

「あ、ごめん」

 ルーミアは素直に謝って扉を閉めに行った。

 ちなみに、魔理沙を捕まえていた、というものは手綱付きの赤色の首輪だった。ひらがなで「まりさ」と書かれている。
 フランは、ルーミアが扉を閉めに行っている間もずっとそれを見ていた。

「……ルーミア、それ、見せて」

 ルーミアがフタリの方に戻ってくるなりそう言った。それ、というのは当然ルーミアの手に握られる首輪のことだ。

「これ?」

 ルーミアは首を傾げながら首輪をフランに渡す。フランはそれを頷いて受け取り、首輪と魔理沙とを交互に見る。

 そして、ゆっくりと笑みを浮かべる。

「魔理沙、私が弾幕ごっこに勝ったら―――」
「嫌だ」

 フランの言葉が終わる前に魔理沙は答えた。

「私はまだ何も言ってないのになんで拒否するのよー」

 不満そうな表情を浮かべる。自分の言が終わる前に止められる、というのは気に入らなかったようだ。

「どうせ、その首輪をつけて紅魔館に来い、とか言うんだろ?」
「正解っ。やっぱり魔理沙は私と気が合うね」
「そんなの誰でもわかるぜ」

 嬉しげな笑みを浮かべるフランと疲れたような溜息をつく魔理沙。魔理沙は胸中でなんで私の周りはこんなやつばっかりなんだろうか、と思っている。

「まあ、魔理沙を私の物にする、っていうことは今のところは置いといて」
「そのまま破棄することをお勧めするぜ」

 魔理沙はそう言うが、当然のことながらフランはその言葉を無視する。

「誰が、私の物になる予定の魔理沙に手を出したの?」
「……あくまで、私の意見には耳を傾けないつもりか。レミリアといいフランといい、吸血鬼、っていうのは自分勝手だな」
「吸血鬼、っていうのはそういう種族だからね。仕方ないよー」

 独り言のような呟きに答えたのはルーミアだった。

「そうだったのか?というか、お前、そういうこと、知ってるんだな。何も知らないと思ってたぜ」
「常識だよ?」
「…………」

 ルーミアの一言を聞いて魔理沙は床に手をついてがっくりと項垂れた。自分よりも知識面で劣っていると思っていたルーミアに常識を諭されてかなりへこんでしまったようだ。

「もう、魔理沙、ルーミアと話してないで私の話聞いてよ」

 フランが魔理沙の背中の方から魔理沙の顔を覗き込む。今にも頬同士がぶつかってしまいそうなほどに近い。

「ん、ああ、聞いてるぜ。……私は少しの間パチュリーの図書館に引き籠ろうと思う。まさか、ルーミアに知識で負けるとはな」
「む、それは心外だなー。私だって無知じゃないんだよ」

 ルーミアは魔理沙の言い分に不満そうだが、当の本人の耳には届いていない。
 対してフランはパチュリーの図書館に引き籠る、という言葉を聞いて喜んでいる。魔理沙が図書館に籠ることでずっと一緒にいられると思ったのだ。

「え?私の館に来てくれるの?やった、これで毎日一緒に遊べるね」

 そのまま勢いをつけて魔理沙に後ろから抱きついた。魔理沙は抵抗するそぶりさえ見せない。

「……暑苦しいぜ」
「大丈夫よ、そのうち苦しさがなくなって熱さだけが残るはずだから」

 魔理沙に抱きつく腕に力を込める。密着できる部分はすべて密着させたい、とでもいうように。
 実際にフランは魔理沙に自分の全てを密着させたいと思っていた。腕も頬も足も胴体も。中々魔理沙を自分だけの物に出来ないから、出来るだけ、自分という存在を魔理沙に近づけたい、と思っているのだ。

「私は暑いだけなのも嫌いだ。涼しいくらいが丁度いいな」
「それは、『あつさ』違いよ。私が言ってるのはもっと直接的な『熱さ』よ」

 熱っぽい声で魔理沙の耳元で囁く。恋人に向けてそうするかのように。

「あー、そっちの熱さもお断りだな」
「えー、なんでよー」

 不満そうな声を漏らすと今までの艶っぽさも消えて、子供っぽさだけが残ってしまう。
 けど、そのままでは終わらない。フランは魔理沙を捕まえていた、という首輪を用意する。正攻法で手に入らないのなら、それ以外の手を使うまでだ。誰だか知らないけど、この首輪を用意してくれたモノに感謝をする。

「魔理沙」

 再び甘い声で囁く。しかし、そこには悪戯好きな子供のような雰囲気も混ざっている。

「何だよ」

 ここに来て魔理沙はようやく顔を上げた。しかし、フランは後ろから抱きついているので彼女にその姿は見えない。だから、フランが何をしようとしているのかわからない。

「ずっと、ずっとずっと、私と一緒にいてね」

 その言葉と同時に魔理沙に首輪をつけた。

「おいっ、何するんだよっ!」

 魔理沙が勢いよく立ちあがる。フランは振り落とされる前に魔理沙から離れた。その右手には魔理沙の首輪へとつながった手綱が握られている。それをフランは軽く振る。

「大丈夫。魔理沙が私のもとから逃げ出さないようになったらこの首輪は取ってあげるよ。だって、魔理沙に首輪は似合わないもの。でも、こうでもしないと、魔理沙はいつの間にかいなくなっちゃうかもしれない。その前に魔理沙が絶対に私から離れていかないようにする枷を作ってあげないと」

 フランは恍惚とした表情を浮かべている。魔理沙の声は聞こえているようだがまともに応えてくれるような状態ではない。半分、自分の世界に浸ってしまっている。

「……おい、ルーミア、助けてくれ。お前が首輪を見つけたからこうなったんだろ」

 八つ当たり気味にそう言う。しかし、同時にそこには切実さも混じっている。一度、首輪で捕まえられたことに対するトラウマでもあるのかもしれない。

「触らぬ神に祟りなしー。いや、この場合は悪魔かな?そんなことよりも、ちゃんと片付けておかなかった魔理沙のせいだと思うよ」
「お前らが予告もなしに来るのが悪いんだ」

 憮然とした口調でそう言う。しかし、その言葉は単なる八つ当たりの言葉でしかない。

「この幻想郷の中で予告ありで訪れてくるのがいるのかなー?私はいないと思うけど。魔理沙だって気が向いたときに気が向いた場所に行くでしょ?」
「うぐ……っ」

 今度はルーミアに正論を諭されたことが魔理沙に精神的なダメージを与えたようだ。彼女が妖怪だったなら既に立ち直れないほどのダメージだろう。

 しかし、魔理沙は幸いにも人間だ。だから、いつかはその傷を乗り越えて成長することだろう。今はただ、首輪をつけられたり、自分よりも格下だと思っていた相手に諭されたりして惨めな気持ちに打ちひしがれている。

「まーりさっ、じゃあ、私の家に帰りましょう」

 フランは魔理沙をずるずると引きずり始める。抵抗する気力のない魔理沙はそのまま引きずられる。そもそも吸血鬼の彼女に単純な力で勝つことは不可能に近い。
 首が絞まらないように、という配慮なのか、誰の指示を受けることもなくルーミアが魔理沙の腰の辺りを持ってフランが魔理沙を引きずるのを手伝う。

「……フラン、その足の火傷はどうしたんだ?」

 このときになって魔理沙はようやくフランの足の火傷に気付いた。でも、もしかしたら、とっくに気付いていて、逃げる隙を作るために今、わざわざ言ったのかもしれない。

「ん?これ?ルーミアに会う前まで私一人だったから傘で防ぎきれなかった雨粒が当たったのよ」
「大丈夫なのか?お望みなら簡単な治療もしてやらないこともないが」

 治療の申し出までする。いつもの魔理沙らしくないと言えばらしくない。

「心配してくれるのね、嬉しいわ。でも、大丈夫よ。月が出てくればすぐに治るだろうし、地面に足を付けられないだけだから」
「羨ましいくらいの再生能力だな」
「私も再生能力なら自信があるよ。闇さえあればほとんど一瞬だよ」
「普通の人間の私には縁のない話だな」

 この中で唯一人間である魔理沙は単に事実を告げるようにそう言う。口では羨ましい、と言ったが本当はそれほど興味はないようだ。怪我さえしなければ再生能力なんて関係ない、と思ってるようだ。

「魔理沙が望めば私が吸血鬼にしてあげるわよ。今まで直接人間から血を吸ったことがないから上手くできるかわかんないけど」

 何かを期待するような視線を魔理沙へと向ける。好きな人間の血、というのに興味を持っているのだろう。それとも、寿命の短い人間である彼女の寿命を延ばしたい、と思っているのだろうか。

「お断りしておくぜ。私は一生普通の人間でいるつもりだ。それに、もし妖怪になるんなら魔法使いか魔女がいい。そっちの方が魔力の融通が効きそうだからな」
「今は、再生能力がどうこう、って話じゃなかったの?」

 ルーミアが首を傾げる。話が違う方向へ向かっていることに即座に気がついたようだ。

「そうだったぜ。……まあ、そんなことはどうでもいい。お前らはいつになったら私を解放してくれるんだ?」
「館につくまで」
「フランが、魔理沙を離すまで」

 フランとルーミアの声が重なった。同時に質問を受けたので当然と言えば当然のことである。

「……なんで、ルーミアがそんなにフランに協力的なんだよ」

 フランの答えは魔理沙にとって予想通りだった。けど、ルーミアがそこまでフランに協力することは全くの予想外だった。

 ルーミアは大体、ヒトリでふわふわしているか妖怪の中で底辺の実力の妖怪たちと一緒にいる。魔理沙はそんな姿を多く見ているから、フランのような強い妖怪に力を貸すのを意外に思ったのだ。

「今日は雨が降っててみんな雨宿りしてるか家の中にいるかだから暇なんだよー。あと、ちょっとした気紛れ。だから、あんまり気にしないでよ」
「まあ、そうだな。お前がいるから、といって状況が大きく変わるわけじゃないからな」

 ルーミアの言葉に魔理沙は納得する。自由に動けたなら大きくうなずいていたかもしれない。

「納得したなら、もういい?」

 今まで黙って聞いていたフランが聞く。

「駄目だぜ。私はこの部屋にいたいんだ」
「却下」

 笑顔で即答だった。

「追われてるんでしょう?だったら、私の所にいる方が安全だと思わない?」
「いや、思わないな。お前自身も危険だぜ。あと、お前の所のメイド長には敵視されてるしな」

 何とかフランから逃れようと紅魔館には近寄れない根拠を並べていく。

「大丈夫よ。魔理沙と遊んでるうちに力の制御の仕方はわかってきたからそう簡単には壊さないわよ。あと、咲夜は私が説得するわ」

 ただ、魔理沙の根拠はすぐに潰されてしまう。けど、魔理沙には一つだけ切り札があった。それは、

「頼もしい限りだな。けど、今は雨が降ってるがどうするつもりなんだ?」

 厳密に言うなら切り札でも何でもない。どうせ、玄関を開けたところで気がつくのだから。それでも、自分の口から言うからこそ意味がある、と魔理沙は思っている。

「……あー、そういえば、そうだったわね。ルーミア、ヒトリで魔理沙を館まで連れていける?」
「難しいかなー。私、そんなに力ないから」

 答える声は暢気なものだった。

「……なら、雨が止むまで魔理沙のお家にお邪魔することにするわ。よろしくねっ、魔理沙」

 そう言ってから、フランは手綱を放した。家から逃げることはない、と踏んだのだろう。同時に、ルーミアも魔理沙から手を離す。

「じゃあ、私もー」
「……なんなんだよ、お前らは。さっさと帰ってくれ」

 手綱から手を離されたことに安堵する間もなく魔理沙が疲れたような声で二人に言うが、

「あ、キッチンは綺麗なんだ」
「そうだねー」
「あ、これ、なに?」
「それは、急須だよ。お茶を淹れるためのものだよ」
「お茶を淹れる?ティーポット?」
「役割は同じだけどねー。ちょっと雰囲気が違うかな。ティーポットが紅茶を淹れる為のものなら、急須はお茶、日本茶を淹れるためのものだね」
「そうなんだ。あ、日本茶の茶葉発見。私、日本茶、って飲んだことないんだ。魔理沙ー、これ飲んでもいい?というか、淹れてー」
「私が淹れてあげるー。あれ、魔理沙、どうやってお湯を温めればいいのー?」

 フラン、ルーミアのフタリは勝手に台所に入って騒がしく物色を始めていた。今日出会ったばかりのフタリだが仲はよさそうである。

「お前ら、私の話を聞く気がないのか。……はあ、ないんだな」

 一人で呟いて、一人で納得した。幻想郷に住むモノで話を聞くのはあんまりいない。魔理沙もその例外ではないのだが、自分のことは棚に上げている。

 フタリが自分から離れているうちに首輪を取ってしまおう、と思って魔理沙は首輪に手を伸ばした。

「あー!なんで、首輪取ってるの!」

 フランが大慌てで魔理沙の元へと戻ってきた。室内に小さな風が起きる。

「こんなものをつけてたら息苦しさで死んでしまうからな。もう付けるつもりはないぜ」

 そう言うや否や八卦炉を取り出して、首輪を燃やし、玄関の扉を開けると手綱の部分を持って外に捨てた。

 雨に当たって火は消えてしまったが、もうすでに使えるような状態ではない。

「あーあ、なんで、燃やしちゃうの?……まあいっか、今度パチュリーに頼んでもっと強力なものを作ってもらおっと。名前もどうせ書くならひらがなよりもアルファベットがいいわよね?」
「作らないのが一番だな」

 当然のようにそう答えたが、

「まあ、今はそんなことどうでもいいわ。お湯がないから沸かしてちょうだい」

 フランは自分にとって都合の悪い言葉を聞く気はないようだ。徹底したわがままっぷりである。

「少しは、私の話を聞こうぜ」
「なら、お茶を飲みながらにしよう?そっちの方が話しやすいわ」
「お前が飲みたいだけだろ。……まあ、いいか。私もちょうど飲みたいと思っていたところだ。ちょっとだけ待っててくれ、すぐにお湯を沸かすから」

 魔理沙は台所に入ると、八卦炉を調理台の上に置く。そして、その上に樽の中の水を入れたヤカンを置く。

「霧雨式湯沸かしを見せてやるぜ」

 恰好をつけてそう言ったが、実際に起こったのは八卦炉から火が熾る程度だった。

「そんな火じゃ、なかなか温まらないわよ。貸して、私がやる」

 フランは魔理沙の返事を待たずに八卦炉へと魔力を注ぎ込んだ。直後にヤカンを包み込むほどの炎が八卦炉から放たれる!

「うわっ、馬鹿、やりすぎだ!」

 慌てているのか魔理沙はフランの方ではなくヤカンの方へと向かった。

「ぅあちっ!ああ、もう、どうすりゃいいんだよ!」
「あははは、魔理沙おもしろーい」

 慌てふためく魔理沙の様子を見てフランは爆笑した。そうしたせいで、八卦炉に集まっていた魔力が霧散し、火が収まった。
 魔理沙はそれを見て安心する。どこにも燃え移らなくてよかった、と。

「あ、ちゃんと沸騰してるー」

 ヤカンの中を覗き込むとルーミアの言うとおりお湯が湯気を立てて沸騰していた。

「けど、持ち手の部分が炭化してるな。どうやって、持つつもりだよ」

 炎でヤカンの持ち手が持ち手として機能しなくなっている。あの一瞬で木が炭化してしまうとは大した魔力量である。

「それ以外の部分を掴めばいいんじゃない?」
「火傷するぜ」

 人間なら当然のことである。

「む、じゃあ、しょうがない私が急須にお湯を入れてあげるから、誰か淹れて」
「じゃあ、私がー」

 ルーミアが右手を挙げて立候補する。それから、すぐに急須の前に立って茶葉を急須の中に入れた。

 それを確認するとフランは持ち手のない部分―鉄が露出している部分―を掴んでヤカンを持ち上げ、急須へとお湯を注ぎ始めた。

「あつつつ。意外と熱くなってるわね」
「普通だとその程度で済まないんだけどな。……妖怪と一緒に暮らす、ってのはこんな感じになのか?道理で、咲夜の奴の精神が図太いわけだ」

 魔理沙はフランのある意味での奇行を見ながら、一人納得する。彼女の言葉に賛同するものはいない。フタリとも当の妖怪であるから反応のしようがないのだ。

「あ、お湯はそれくらいでいいよー」
「うん、わかったわ」

 ルーミアの指示でフランはお湯を入れるのを止める。ヤカンは適当な場所に置く。
 フランは、ふー、ふー、と手に息を吹きかけている。火傷をしたわけではなく単に手を冷やそうとしているだけのようだ。

「魔理沙、湯呑はどこにあるのー?」

 ルーミアはお茶が浸出する間に準備を進めようとする。
「そこの棚だ。好きなのを使ってくれ。……私がここにいても意味なさそうだからあっちに行ってるな」
「うん」「いいよー」

 フタリが同時に頷いた。魔理沙はそれを見る前に居間の方へと行ってしまっていた。

 そんなことは気にせずにフタリは作業を続ける。

「ねえ、湯呑、って何?」

 魔理沙の言っていた棚を開けるルーミアへとフランが問いかける。
 紅魔館ではティーカップしか使わないのでフランは湯呑が何かを知らないのだ。

「湯呑、っていうのはこれのことだよ」

 高そうな陶磁器のカップ、湯呑、ガラスのコップなどなどが雑多に置かれている棚からルーミアは湯呑を一つ取り出した。

「へぇ、これが湯呑、っていうのね。取っ手がないのね。熱くないの?」

 ルーミアから湯呑を受け取ってそれを興味深そうに眺める。中を覗いたり、裏返して底を見てみたりとしている。

「熱くないよ。原理は知らないけど、熱を通しにくい素材で出来てるみたいだよ」
「ふーん、うちのティーカップなんか取っ手じゃない部分を触ったら熱いのに不思議なものね」
「先人の知恵、とかいうやつなのかー?……っと、それよりもそろそろ淹れないとお茶が苦いだけになっちゃう」

 そそくさと残りの二つの湯呑も取り出す。フランは手に持っているひとつをルーミアに返す。

 そうして、調理台の上に三つの湯呑が並ぶ。ルーミアは急須を傾けて順番にお茶を淹れていく。手つきに慣れた感じがしないが、慣れている人の淹れ方をしている。どこかでこういう風に淹れているのを見たのだろうか。

 最後の一滴までを湯呑の中へと注いでいく。お茶は最後の一滴にこそ美味しさがあるのだ。

「よし、できたー。私ヒトリだと三つも運べないからフランも持ってって」
「うん」

 頷くとフランは二つ湯呑を持っていた。ルーミアの仕事を減らそう、と考えたわけではない。
 自分の分は自分で持っていこう、魔理沙の分は自分で持っていきたい。そう思ったからフランは二つの湯呑を手に取ったのだ。

 その体は何かはしゃいでいるように揺れている。自分の手で魔理沙に対して何かをする、というのがよほど嬉しいようだ。

「はい、どうぞ」
「ん、ありがとな」

 少し危なっかしかったがなんとか魔理沙の座っている机へと運ぶことができた。

 フランが笑顔で差し出した湯呑を魔理沙は微かに頷いてから受け取った。嬉しそうな表情を浮かべたままフランは魔理沙の隣に座った。

 少し遅れてやってきたルーミアは自分の湯呑を持ってフタリの対面に座った。

「じゃあ、ルーミアのお茶を淹れる手並みを拝見させてもらうか」
「目じゃなくて口で感じて欲しいなー」
「それもそうだな。私は目で物を飲みも食べもしない。じゃあ、飲ませてもらうか」
「どうぞー」

 ルーミアの言葉を合図に全員でずずっ、とお茶を啜る。

「うー、苦いー。何これ、苦いだけじゃないー。茶葉がダメになってたんじゃない?」

 フランは顔を顰めて舌を出す。紅茶を飲み慣れた彼女にとって日本茶は単なる苦いお茶、でしかなかった。

「普通だぜ。お茶、ってのはもともとこんなもんだ。あと、ルーミアの腕前も普通だな。私が淹れるのとなんら変わりがない」

 フランの言葉に答えながら雑感を漏らす。

「あんまり淹れることなんてないから当然だろうねー」

 魔理沙の言葉に落胆した様子もない。本当に好きで、毎日勉強してる、というわけでもないので当然だろう。

「お砂糖がないとこんなの飲めないわよー」

 フランはいまだに日本茶に対して文句を言っていた。

「普通、日本茶に砂糖は入れないぜ」
「そうだねー」

 魔理沙の言葉にルーミアが同調する。お茶に対する観念はフタリとも同じようだ。

 ルーミア、魔理沙はもう一口お茶を啜る。

「何でフタリとも平気なのよー。おかしいわよ」
「私は普通だぜ」「普通だよー」

 フタリの声が綺麗にはもる。フランは逆に自分が普通ではない、と言われているような気持になる。

「いいわよ、いいわよ。私だけお砂糖を入れて飲むから。で、どこにあるの?」

 ふてくされたように言うが、そのまま立っていくようなことはしない。砂糖の置き場所を隣の魔理沙に聞く。

「調理台の下の所だな。塩とか、小麦粉とかと間違えるなよ」
「え?角砂糖じゃないの?」

 フランが紅茶を飲むときはいつも、角砂糖の入ったガラス製の入れ物が置かれている。ちなみに、その角砂糖は咲夜のお手製のものだ。

「ああ、私は型にはまって生きるのが嫌いなんだ。ま、そもそも、人間の里じゃぁ角砂糖なんて扱ってないんだけどな」
「そうなんだ。まぁ、いっか。あ、あと、私はお砂糖とそれ以外を間違えたりはしないわよ。お砂糖はあまぁい匂いを出してるからね」

 魔理沙の軽口にそう言い返して椅子から立ち上がる。そのまま台所の方へと向かって行く。

「お茶っていったら苦くないとお茶じゃないよなぁ?」
「そーだねー」

 フランが離れて少し静かになったところでフタリはお茶を啜って和む。微妙に間延びした口調がなんとも和みな空間であった。



 雨の降る魔法の森。木が鬱蒼と茂っていても雨は隙間を縫って入り込んでくる。

 そんな森の中咲夜は魔理沙の家の窓の傍に張り付いている。

 最初はフランが出てくるのを待つために少し離れた場所に立っていたのだが中々出てこず暇になったのでこうして中の様子を窺っている。

 今、フランは魔理沙、ルーミアとともに話をしながらお茶を飲んでいる。
 その様子は四百九十五年間閉じ込められたモノのようには見えない。少し強引な部分も見受けられるが、それは彼女の姉にも当てはまることだ。

 とにもかくにもこの様子なら自分が何かするまでもないだろう。

 だから、ただ暇を潰すためだけに魔理沙の家の中での会話に耳を傾ける。

 フランは雨が止むまで帰るつもりはないようだ。だが、咲夜の能力を使えば、上空の空間を広げ、局所的ではあるが雲を散らせることができる。恐らく、レミリアはこのことを見越して咲夜にフランを追わせたのだろう。
 日の暮れる時間になったときに雨雲を散らして迎えに行けばいい。魔理沙を連れて帰るつもりらしいが、どうしようか。一度連れて帰るだけ連れて帰ればいいか。

 そして、時間を潰すため思考に耽る。

 咲夜にとって、フランドール・スカーレットというのは彼女の主の妹であり、護るべき存在だ。しかし、同時にどう接すればいいかもわからなかった。

 あらゆるものを破壊する能力を持ち、同時に精神が非常に不安定。人間である咲夜は潜在的にフランに対して恐怖心を抱いていた。

 ―――けれど、あの紅霧異変を境に変わった。

 魔理沙が紅魔館の魔法図書館の存在を知り、そこに頻繁に出入りするようになった。屋敷の中で暇を持て余していたフランがその魔理沙に興味を持たないはずがなかった。
 そして、必然的に両者は出会う。魔理沙はフランの存在を知らないでいて驚いたようだが、いつものように弾幕ごっこを始めた。

 魔法図書館にいくらか損害が出たようだが、それだけで済んだ。魔理沙はフランを打ち倒したのだから。

 それから、変化が訪れる。まず最初に訪れた変化はむやみやたらと物を壊さなくなった。でも、機嫌が悪い時はやはり物に当たってしまうようだった。次に訪れた変化は精神の安定化だった。

 最初は弾幕ごっこが終わればそれっきりだったが、徐々にその後に話をするようにもなってきた。そのときに身についてきたコミュニケーション能力が彼女の精神を安定させたのだろう。

 魔理沙が訪れるたびに紅魔館内に被害が出るのは相変わらずだが、確実にフランは変わってきている。

 今では咲夜にとってフランは恐るべき存在ではなくなっていた。敬愛すべき主の妹であり、護りたいと思う存在になっていた。

(ふふ、この様子をお嬢様が見たらどう思うのでしょうかね)

 フランを変えた魔理沙を嫉妬するのか、それとも感謝するのか。彼女の性格を考えれば前者なのは確実だろう。けど、もしかしたら、ということもある。彼女も多少なりとも変わってきたのだから。

 そんな風に考えを巡らせていた時、声が聞こえてきた。

「この辺に魔理沙の家があるって話だったけど……。どう、お空、それっぽいの見える?」
「うにゅー、暗い所は苦手なんですよー。……あ、あれがそうじゃないですか」

 陰気な雨の森の中に似合わない暢気な声が聞こえてくる。幻想郷には暢気なモノばかり。

「んー?うん、そうみたいだね。さあって、逃げたペットを捕まえに行かないとね」
「あ、その為に私を連れてきたんですね」
「……家を出る時もそう言ったんだけど。まあ、お空が忘れっぽいのはいつものことだからいっか」
「え?別にそんなことないですよ」

 魔理沙の家へと近づいてきているのはお揃いの傘をさしたこいしと空だった。

 咲夜は空の方は博霊神社で何度か姿を見ていた。しかし、こいしについては話に聞いたことがあっただけで直接見るのは今日が初めてだ。
 ただ、特徴からあれがこいしだと判断する。

「こんにちは。この先の家に用かしら?」

 能力を使い、咲夜は二人の前まで移動をした。
 二人は突然現れた人間に驚く。

「わ、すごいすごい。突然人間が出てきたよ」
「??」

 ただ、反応は全く違っていた。こいしは楽しそうにしているが、空は混乱していた。

「……もう一度聞くけど、貴女たちはこの先の家に用があるのかしら?」
「うん。最近捕まえたペットが逃げちゃってねぇ。だから、もう一度捕まえに来たんだ。逃げたペットを捕まえるのは飼い主として当然の義務でしょう?」

 首を傾げてそう聞く。癖のある髪がそれに合わせて揺れる。

「まあ、そうね。だから、通してあげる……と言いたいところだけど、今日はうちのお嬢様の妹様があの家にいるのよ。たぶん、このまま貴女たちが出会ったらこの辺一帯が焦土と化するでしょうからここでお引き取りを願うわ。あと、あの黒白鼠が連れていかれたら妹様の落ち着きがなくなるから、一生あれを捕まえに来ないでほしいわね」

 腕を組んで言う。その態度は彼女にとって相手に攻撃をするつもりはない、と伝えているものだ。……相手がこちらの要求に従うかぎりは。

「えー、イヤ。このまま帰ったら骨折り損になるじゃない」
「くたびれが儲かる分、得したと思いなさい」
「そんなの得した、って言わない」

 軽口の応酬。それは既にお互い会話をする意味がない、と思っている証拠だ。だから、

「なら、力づくで帰ってもらうしかないわね」

 そう告げて、何処からかナイフを取り出して構える。瞳にはナイフよりも鋭い光が浮かぶ。既に、咲夜の瞳にこいし達は敵としてしか映らない。

「お空、行くよっ」
「うにゅ?」

 空はまだ混乱が収まっていないようでこいしの声にまともな反応を返さない。

「ああ、もう!あれは敵だから倒すの!」
「え?……あ、りょ、了解です」

 こいしの叱咤で空は我を取り戻した。空は慌てたように第三の足を構える。核の力がそこの先端を中心として集まり始める。

「パチュリー様から聞いていたけど、それが貴女の力ね。そんなので料理なんてしたらすぐに炭になってしまいそうね」

 どうでもいいことを言いながら咲夜は空の背後に回り込む。それから、空が振り返る前にナイフの柄を首筋に叩きこんだ。

「うにゅっ?!」

 何の抵抗もないまま地面に倒れこむ。今の一撃で気を失ってしまったようだ。

 空の攻撃は一撃一撃に威力がある代わりに隙も大きい。時間を止めて一瞬で間合いを詰めることの出来る咲夜とは相性が悪すぎた。

「他愛もないわね。神様の力を持ってるって聞いたけど、嘘だったのかしら」

 空が起き上がらないのを確認すると、再びナイフを構えてこいしと相対する。

「お空を一撃で倒すなんてやるね。でも、私の攻撃はどう?」

 そう言うと咲夜の立つ地面の周囲から霊が現れてきた。一度上空まで上ると霊同士が交差して再び地面へと降りてくる。

 咲夜はその霊たちを難なくかわす。しかし、そこを狙ってこいしは全方位へと弾幕をばら撒きながら中玉で咲夜自信を狙う。

 事象「夢枕にご先祖総立ち」。地面から現れた霊は本物の霊ではなく彼女の弾幕の一部だ。

「あの、鴉よりは早い攻撃ができるのね。でも、私を倒すにはまだまだ足りないっ!」

 弾幕の隙間を縫いながら時を止め幾つものナイフをこいしへと向けて投げる。こいしを狙うナイフ。こいしの左右を狙うナイフ。

 幻在「クロックコープス」。別々の三つの軌道を取るナイフが飛んでいく。

「おととと」

 こいしは、わざとらしくそう言いながら全てのナイフを避けきった。咲夜のこの攻撃は狙いすぎているからこそ逆に避けやすくなっている。

 しかし、それは彼女の計算の内だ。すぐさま、ナイフの周りの空間を捻じ曲げてナイフの軌道を変える。

 幻象「ルナクロック」。どのように飛んでくるのか予測することが出来ないその攻撃は生半可な反応速度では避けることがかなわない。

「うわっ、……とと、危ない危ない」

 危険を感じ取った瞬間、無意識に周囲に弾幕をばら撒く。精度の粗いそれは攻撃ではなく防御のためのもの。

 いくつかのナイフが撃ち落とされ隙間が大きく空く。こいしはその隙間へと滑りこんで攻撃をかわした。

 ―――そう、こいしは思ってしまった。だから、そのまま立ち止まる。

「油断大敵、ですわよ」

 言いながら咲夜は指を鳴らした。しかし、それに注目をしてしまってはいけない。

 大抵の生物は突然の音に反応をする。それは、妖怪とて例外ではない。こいしは咲夜の手に意識を集中してしまった。
 だから、背後でもう一度向きを変えたナイフに気付かない。気付いた時にはもうすでに避けることが出来ないほど接近していた。

 ―――命中。こいしが体を捻ってナイフを避ける前にそのナイフはこいしの左腕に突き立った。

「空間を曲げてナイフを当てるとなると、やっぱり命中精度が落ちるわね」

 そう呟くと同時にこいし刺さったナイフ以外が消える。今の一瞬でナイフを回収したのだ。

「いたたた……。あーあ、服に穴あいちゃった。お姉ちゃん、怒るかな」

 今この場においては割とどうでもいいことを呟く。まだ、それだけ余裕がある、ということだ。

 ナイフの刺さった部分から血が出てきているが致命傷とまでは至っていない。右手でナイフを抜くと地面にそれを捨てる。

「手を抜いてもなんとかなると思ったけど、そうもいかないみたいだね。うん、それじゃあ、今度はこっちの攻撃!」

 こいしが両腕を上げる。その瞬間、咲夜を覆うようにして球体の弾幕が形成される。身動きがとれる程度には余裕がある。

 ただ、その弾幕に隙間はない。咲夜はナイフを投げ隙間を作ろうとするが、弾が何重にも重なっているうえすぐに穴が別の弾によって埋められてしまう。

―――さて、どうしようかしら。

 今すぐにもその弾幕が迫ってくる様子はないようなので、周囲を見回してみる。
 改めて確認してみるがやはりどこにも穴はない。こうして、敵を捕えるだけの弾幕ではないはずだ。

 だとしたら、何か。敵を捕えてどうするのか。

 その答えはすぐに返ってきた。

 弾幕を突き破って中玉が飛んでくる!

 咲夜は咄嗟の判断で回避する。しかし、焦っていたせいで大きく動きすぎた。
 右腕が弾幕の壁に入り込む。

「っ!」

 弾の一つ一つが鋭い形状をしていたらしく右腕がずたずたに切り裂かれる。
 腕が持っていかれる前に引き抜く。動かないことはないが、ナイフを投げることはできそうにない。

 だからと言って止まっているような暇はない。第二、第三の大玉が迫ってきている。

 今度は周囲の弾幕も意識しながら最小限の動きだけで避ける。冷静になれば避けることはそう難しくなかった。

 しかし、このまま続けていればいずれ負けてしまう。腕から溢れる血の分だけ体力を失っていっている。だから、時間を止め左手だけでありったけのナイフを前方に向けて投げる。

 ナイフが砕け、弾が消える。咲夜の前方に人が一人通れそうな穴があく。それを確認した瞬間、時を止め球体を形作る弾幕の中から抜け出す。

 そして、お返しとばかりにこいしへと向けて無数のナイフを投げつけた―――。



「なんだか、外が騒がしい?」

 魔理沙とフランと話をしていたのを止めてルーミアが唐突にそう言う。視線は窓の方へと向いている。

「単なる雨の音じゃないのか?」
 二杯目のお茶を啜りながら魔理沙が言う。ちなみに、このお茶はフランが淹れたものだ。ルーミアがお茶を淹れている姿を見て自分も淹れてみたくなったようだ。

 ちなみに、魔理沙の感想はルーミアの時と同じだった。今度は頑張る、と言っていたが、頑張ってなんとかなるものでもない。巫女の所に教えてもらいに行く方が手っ取り早い。

「ううん、違う。多分、誰かが戦ってるんだと思う」
「ふーん。でも、こんな狭い所で戦ったらもっと大きな音がするんじゃない?」
「フランみたいに力技ばっかり使う奴らじゃないんだろ」

 そう言ってからお茶を飲み干す。

「何よー。その私が何も考えずに戦ってるような言い方は。それに、魔理沙こそ力技ばっかりじゃない」

 魔理沙のマスタースパークの威力と派手さは幻想郷の中でも有名である。しかし、最近はもうヒトリ派手な弾幕を撃つモノが現れたようだ。

「弾幕はパワーだぜ。ちんたら戦ってたら疲れる」

 言いながら魔理沙は立ち上がり八卦炉の用意をする。

「見に行くの?」
「当然だ。このまま放っておいて私の家に被害があったら嫌だからな。喧嘩両成敗、ってことで戦ってるやつらを吹っ飛ばしてやるぜ」

 トレードマークである黒色のとんがり帽子を被り、箒を手にする。最悪、一撃で倒れなかったら戦うつもりもあるようだ。

「私も見に行きたいけど、まだ、雨が降ってるのよね。ルーミア、また、雨除け係頼んでもいい?」
「うん、いいよー」
「じゃあ、よろしく」

 フランは自らの姿を蝙蝠に変えてルーミアの肩に乗る。ルーミアは傘立てに立て掛けていた傘を手に取る。

「吸血鬼って自分の姿を変えれるんだったよな。……そういえば、レミリアもフランも霧状になって攻撃を避けてたな。ずるいよな」

 一撃で片付けようとしてマスタースパークを撃った時のことを思い出す。魔力を無駄に使わされたので腹立たしい思いをした。

「私も似たようなことならできるよ。ほら」

 魔理沙の言葉を聞いたルーミアが右腕を上げる。右腕の先にあるはずの右手は見えない。

「私の体を闇として空間上に拡散させれば攻撃を避けるくらいには使えるよ」

 笑顔で何のことでもないように言った。彼女にとっては当たり前のことであるからそういう風に言うのも当然である。

「……お前って実はすごい妖怪なんじゃないか?」
「そんなことないよー。魔理沙にも霊夢にもすぐに負けちゃった弱小の妖怪だよ。……と、そんなことよりも早く見に行こうよ。フランが見に行きたがってるからさ」

 会話に参加することのできないフランがルーミアの肩を引っ掻いていた。ただ、ルーミアが話を切り上げたのはフランのため、というよりは、ルーミア自身がこの話をやめたいから、のように感じた。

「なんだかはぐらかされたような気分だな。……まあ、どうでもいいことか」

 いくら問い質したところで無駄だろう、と踏んで玄関へと向かう。

「さあ、私の家の周りで騒ぐような迷惑な奴らは誰だ?」

 扉を開けて左右を見渡す。ルーミアも後ろから外の景色を覗く。
 もう少しの間は家の中からは出なさそうだ、と思ったフランは元の姿に戻ってルーミアの隣に浮かぶ。

「あれは。フランの所のメイド長じゃないか。なんで……って思うのは野暮か。差し詰めレミリアに言われてお前を追いかけてきたんだろうな」

 魔理沙の視線の先、森の茂みに隠れるようにして右腕から血を流し、荒い息を吐く咲夜の姿があった。

「けど、珍しいな。あいつが苦戦してるなんて、誰の相手をしてるんだ?……げっ」

 魔理沙が視線を横に向ける。そこにいたのは、肩、腕、足にナイフの刺さっているこいしだった。流石に余裕の表情は浮かんでいない。

「フラン、私はちょっと里の方まで買い出しにいかないといけない。留守を頼めるか?」
「え?別に、いいけど」

 魔理沙の唐突な言葉に驚きながらも頷く。

「よし、あいつらがいなくなったところで私は帰ってくる。じゃあなっ」

 踵を返し家の中に戻る。足早に玄関とは反対側の窓に近づいてそこから家の外へと飛び出た。ああやって外に出たのは一度や二度ではないようだ。本職の盗賊顔負けの動きである。

「手慣れてるわねー。いつもあそこから逃げてるのかしら。……それよりも、咲夜を助けてあげないと。この距離から狙い撃ち、ってやったことないけど、やってみようか。最悪、気を逸らさせればいいのよね」
「がんばれー」
「うん」

 ルーミアの気の抜けるような応援の声に頷いてフランはレーヴァテインを喚び出し縦に構える。

 レーヴァテインが炎を纏う。フランはレーヴァテインの真ん中の部分の前でなにもない所を摘む。
 それから、ゆっくりと腕を後ろに引く。フランの腕の動きに合わせるようにして、レーヴァテインが弓のようにしなり、フランの指に炎の矢が現れる。

 ボウオブレーヴァ。フランが魔理沙たちにやられた時に創り出した新しい技だった。大きな範囲を攻撃できるわけでもなく、連続で攻撃をできるわけでもないので、創り出したはいいが度も使うことがなかった。

 けど、そういう技でも利点がある。それは、一本の炎の矢に魔力を込めて火力を高めているためほとんどの障害物を無視できることだ。

 魔力が込められ、炎の矢の火力が上昇し、周囲に熱を漏らす。余りの熱さに耐えきれずルーミアはフランから距離を取る。

 炎の光が周囲を赤く染めたとき、咲夜、こいしのフタリはフランの姿に気がついた。しかし、もうすでに遅い。フランが攻撃を放つのを止めることはできない。

 光の中心地に立つフランに周りはもうあまり見えていない。圧縮された魔力と熱が暴れ狂い風が巻き起こり、フランの紅いスカート、七色の羽が揺れる。

 そうして、ついに炎の矢が放たれた。

 玄関の周囲の草をその熱だけで焼き真っ直ぐに飛んでいく。雨が一瞬で蒸発し水蒸気が視界を奪う。

 こいし、咲夜の二人は相対していることも忘れて慌てたように炎の矢の射線から逃れようとする。

 一切の慈悲の込められていない炎の矢は周辺の植物を焼き払っていく。炎の矢の通った後は全ての水分が奪われてしう。年中湿っている魔法の森の地面もその熱で乾いてしまっている。

 そして、炎の矢はこいしが立っていた場所を突き抜ける。何も止められる物がない為、炎の矢はそのまま真っ直ぐ飛んで行ってしまう。

 数秒後、爆発の音が聞こえてきた。限界まで溜め込まれていた魔力が急激に霧散した結果だ。

 フランのもたらした攻撃の爪痕は凄まじいものであった。炎の矢の通り道は全て例外なく焦土と化し、周辺は炎で包まれている。雨で森全体が濡れていたので良かったが、晴れていたなら森の中で大火災が発生していたことだろう。

 正に、破滅の炎であった。あの攻撃の直撃を受けて無事なモノはいないだろう。

「……あー、やりすぎた、かな」

 レーヴァテインを右手に掴んだまま呟くようにそう言った。流石に、このままだと大変だ、と悟ったのだろう。

「大丈夫だよー、雨が降ってるから。……たぶん」
「自信がなさそうな声ねぇ。……魔理沙に留守を頼まれたのに、このままだとその家が燃えそうよね」

 フタリしてこの先どうなってしまうのか、と考えていると。

「フランお嬢様」

 突然、声が掛かった。紅魔館内ではよくあることなので驚いたりはしない。

「あ、咲夜。腕の傷は大丈夫?」
「ええ、なんとか。このくらいで動けなくなっていては紅魔館のメイド長は勤まりませんから」

 しかし、そう言う咲夜の身体は少しふらついている。

「ウソ。いつも通りの咲夜ならもっとしゃきっと立ってるよ」

 言いながら、フランは咲夜に近づき右腕の傷を舐めはじめた。

「あの、フランお嬢様?」
「ぅん?」

 咲夜の腕の傷口を舐めながら上目遣いで咲夜の顔を見る。

「何故、私の傷口を舐めているのでしょうか」

 フランは傷口から口を放す。その時に、血の混じった唾液が糸を引く。

「パチュリーから、傷口を舐めたら治るのが早くなる、って聞いたのよ。それに、血を零すのも勿体ないしね。……咲夜の血、美味しいよ」

 笑顔でそう言うと、また咲夜の傷口を舐めはじめる。パチュリーの知識は役に立ったり立たなかったりするのだがフランは全面的に信用しているようだ。

「はぁ、そうですか。くれぐれも間違えて噛みついたりしないでくださいね。私はまだ吸血鬼になるつもりなんてありませんから」
「これだけ溢れ出てくるなら噛む必要なんてないわよ」

 血を舐めとりながら答える。

 咲夜からしてみれば舐められるのはこそばゆいことこの上ない。だが、同時に痛みが引いてきているのもわかる。動物の唾液の中には傷の治りを早くする作用があるが、吸血鬼の唾液はそれ以上なのかもしれない。

「……そういえば、咲夜は私を連れ戻しに来たの?」

 問いを投げかけて再び血を舐める。
 魔理沙はどこかに行ってしまったがまだ帰りたくはなかった。

「いえ、レミリアお嬢様には私の判断に任せる、と言われただけで連れ戻せ、とは言われてませんわ」

 咲夜はどうするつもりなの、とフランは言おうと思ったが止めた。とりあえず、今すぐに連れ戻す、という様子は見受けられないからどうでもいいか、と思ったのだ。

「そこ!私が入れない雰囲気を作るの禁止!」

 フランと咲夜の間にこいしが割って行ってきた。フランと咲夜はこいしの手によって離される。

 先ほどまでこいしに刺さっていたナイフは全て抜かれている。ナイフが刺さっていた場所は全て傷になっているが、やはり致命傷とまではなっていない。

「そういえば、咲夜。こいつは?」
「自称黒白の飼い主だそうです」
「自称じゃないよ!魔理沙は正真正銘、私のペットだよ!」

 すぐさまここいしが訂正を入れる。しかし、この場にそれに対しての反応を返すモノはいない。

「そう、じゃあ、こいつが魔理沙を盗んだ犯人なのね」

 フランはこいしから距離を取り、レーヴァテインを構える。魔理沙が誰かの手に渡る、というのは許せない。

「……誰も反応してくれないのには慣れてるけど、こんな目の前でも反応がないとなぁ」

 対してこいしは微妙に落ち込んでいた。無意識に行動をして気配を消して動くので気付かれないことが多々あるこいしだが、ここまで反応がないのは初めてだった。

 けれど、気持ちを入れ替えてすぐに立ち直る。

「それよりも、貴女は魔理沙とどういう関係?あと、魔理沙は?」
「質問は一つずつにしてほしいところだけど、まあいっか。魔理沙は私の遊び相手。で、魔理沙は貴女を見た時にどこかに行ったわ。人間の里に行く、とか言ってたけど、たぶん嘘でしょうね」
「うーん、そっか。じゃあ、もう一個質問。その武器は?」

 フランの手の中で不穏な輝きを見せるレーヴァテインを指差す。明らかに友好的になるつもりはない、ということを伝えている。

「魔理沙はいずれ私の物になるのよ。だから、魔理沙を盗もうとする貴女には帰ってほしいの」

 敵意を剥き出しにしてこいしを睨む。それでもなお、こいしは飄々とした態度だ

「魔理沙は私のものだよ。ちゃんと、首輪も付けてあげたんだから」
「……なら、弾幕ごっこでどちらが魔理沙を自分の物にする権利があるのか決めましょう?咲夜を追い詰めれる程度には強いんでしょう?」
「うん、いいよ。貴女となら戦うだけでも楽しめそう」

 こいしもフランと戦うのには乗り気なようだ。黒い帽子の位置を直して挑戦的な表情を浮かべる。

「じゃあ、決まりね」
「ちょっと、スットプー。フラン、どこで戦うつもりなの?外は雨が降ってるし、ここで戦ったら家がボロボロになっちゃうよ?」

 今まで傍観しているだけだったルーミアがフタリを止める。

「うん?大丈夫、咲夜がいるから。ねっ?」

 フランは笑顔で咲夜の方を見る。対して咲夜はため息を吐いて答えた。フランが何を望んでいるのかはわかっているようだが、あまり乗り気ではないようだ。

「どうしても戦うんですか?私個人の意見としてはやめてほしいのですが」
「なによー、咲夜だってさっき戦ってたじゃない。私だけ除け者?」

 頬を膨らませてジト目で咲夜を見る。

「あれは、あのままフタリを合わせたら絶対に戦いになると思って追い払おうとしていただけです。……はあ、まあ、いいですわ。私の力でフランお嬢様を止められることはできませんから」

 咲夜がそう言うと、瞬きもしないうちに魔理沙の家の部屋が大きく広がった。

 もう、部屋ではなく単なる空間となっている。壁も天井も見えない。唯一見える床は地平線が見えるほどに広がっている。

「おー、すごい、広い。これなら、フランも満足に戦えそうだねー」

 ルーミアは感心したように辺りを見回している。普通、このような光景を見ることはまずないだろう。

「これくらい朝飯前ですわ。……あぁ、そう言えば、帰ったら夕食の準備をしなくてはいけませんわね。フランお嬢様、夕食は何がよろしいでしょうか」
「咲夜の血ー。美味しかったから、もうちょっと飲んでみたいなー」
「今出ている分だけならいいですが、それ以上は駄目ですよ」
「わかってる。だから、さっさと、この戦いを終わらせるね」

 それからフランはこいしと相対する。

「話は終わった?」

 こいしは律儀にもフタリの話が終わるのを待っていたようだ。それだけ、フランと戦うのを楽しみにしているのかもしれない。戦いを楽しむための基本は正々堂々だ。

「うん、終ったわ。……じゃあ、始ましょう?簡単に壊れたら嫌よ」

 言い終わるや否やフランは炎を纏うレーヴァテインを振るった。

 こいしはバックステップでレーヴァテインの射程から離れる。しかし、火の粉がこいし目掛けて飛んでいく。

 弾幕で火の粉を撃ち落としそのままフランを迎撃すべく次なる弾幕を放つ。

 それは、ハート形をした弾によって構成される弾幕だった。こいしを中心としてあらゆる方向へと放たれる。

 本能「イドの解放」。こいしの魔理沙を手に入れたい、という想いが弾幕に素直にあらわれる。

 咲夜は時を止めて確実に弾を避け、ルーミアは自らの体を闇に溶け込ませて巻き添えを食らわないようにする。

 フランは素早い動きで難なく攻撃を避ける。右に、左に、上に、下に。回って、反転して、踊るように。

 そうしながらフランは次の攻撃のための魔力を溜め込む。普通の弾幕ではこの弾幕を止めることはできず、大技を使うには集中するための時間が足りなさすぎる。

 だから、彼女は溜めた魔力を使って高密度の通常弾幕をこいしに向けて放った。

 弾同士がぶつかり消滅していく。徐々にフランの放った弾幕はこいしへと迫っていく。

 しかし、このままではフランの放った弾幕は全て無効化されてしまうだろう。だから、フランの本当の目的は弾幕による攻撃ではなかった。

 フランは自らの放った弾幕の作り出した弾幕の空白を高速で通り抜けレーヴァテインを構える。

 そう、彼女の目的はただ一つ。レーヴァテインで直接、こいしを斬る。

 フランの攻撃に気付いたこいしは弾幕を撃つのを止めて回避行動に入る。

 しかし、少し遅かった。フランは弾幕が消える前にレーヴァテインに炎を纏わせ勢いよく切りかかった。

 直接レーヴァテインが当たることはなかったが、それに纏わりついた炎がこいしに襲いかかる。

「熱っ!」

 熱がりはしたが火がつくようなことはなかった。先ほどまで外で戦っていたので服が濡れていて引火しにくかったのだ。

 しかし、フランの攻撃はその程度では止まらない。

 空に逃げたこいしを追いかけて飛翔。下から振り上げる。しかし、今度はひらり、と避けられてしまう。

 それでも、なおフランはレーヴァテインを振り続ける。何としてでも当てる、とでもいうかのように。

「単調な攻撃は面白くないよ。というわけで、こっちの反撃!」

 反射的にフランは前方からの攻撃に備える。しかし、何も起こらなった。

 ―――いや、それは正確ではなかった。こいしだけを見れば何も起きていないように見える。しかし、フランの背中へと衝撃が走った。

「……っ」

 背中の痛みは無視する。この程度ならまだまだ大丈夫だ。
 崩れかけた体勢をすぐに整え後ろを振り返ってみる。そこには、下の方から先ほどと同じハート形の弾幕がこいしのほうへと向けて集まってきているのが見える。

 こいしの撃った弾幕は全て消えずに残っていたのだ。

 抑制「スーパーエゴ」。一度解放されたこいしの欲求が彼女の内へと戻っていく。

 こいしの方へ注意を向けながら背後から迫りくる弾幕を避けるのは至難の業だ。しかし、フランには対処法があった。

「普通は、こういう使い方あんまりしたくないんだけど……仕方ないわね」

 そう言ってフランが召喚したのはフランと姿形が全く同じの三つの分身だった。それらが全てフランへの軌道をなぞる弾幕の射線上に立ち弾幕を受ける。

 禁忌「フォーオブアカインド」。普段ならフラン本人を合わせて四種類の弾幕で攻撃をするのだが、今回は盾役となっている。

 本人よりも圧倒的にもろいその分身は今にも弾幕に打ち負けそうだ。けれど、少しでも避けなくていい時間があるならばその間に攻撃をすることができる。

「これは、お返しっ!」

 こいしを直接狙う弾、こいしの逃げ道を塞ぐ弾。その二種類を混合した弾幕を放ちながら再びこいしへと接近していく。

 突然、こいしの周辺でハート型の弾幕が渦を巻く。フランの放った弾幕を弾きそして、フランを寄せ付けない。代わりに、後ろからの攻撃はもう来なくなっていた。

 それは、フランにとっては好機だった。次なるスペルを使うための魔力を練る余裕が出来るからだ。

 辛うじて残っている壁役となっていた三つの分身を消し、次なるスペルの準備をする。

「そんなに、弾幕で囲うのが好きなら私が弾幕の籠の中に閉じ込めてあげるわ」

 呟き、こいしの弾が途切れてきたのを見計らって次のスペルを放った。

 こいしの周囲に弾幕が籠の目のように現れ彼女を覆い尽くす。それはまるで、鳥を籠の中に捕らえたように見える。

 そして、フランは弾幕の籠へ向けて大玉を放つ。その一撃は籠に捕らわれた鳥を叩き潰す手と同じものだ。

 禁忌「カゴメカゴメ」。いつか、パチュリーの図書館で見つけた鳥の捕らえ方を載せた本の情報をもとに作り出したスペル。ただ、フランの場合、餌で釣るのではなく、直接籠で捕えている。

 フランの放った大玉の動きに合わせて籠が潰れていく。普通の実力のモノならこれで終わる。

 けど、フランと戦いここまで残っていて普通なはずがない。だから、何らかの形でこのスペルを越えるはずだ。

 それに備えて更なるスペルを用意する。その間、注意深く籠を観察する。異常を察知すればすぐにでもスペルを発動させるつもりだ。

 そして響く異音。弾幕同士のぶつかり合う聞くモノによっては不気味に聞こえる旋律。しかし、フランにとっては胸を躍らせる快音だ。抵抗してくれる、ということはそれだけ楽しめる相手であることを意味しているから。

 そして、籠の弾幕は消滅する。中から、左右対称の弾幕を従えたこいしが現れる。

 無意識「弾幕のロールシャッハ」。その弾幕は複雑な軌道を描きながらも、綺麗に対称形を描く。

 フランは、その弾幕を蝶のようだと思った。自由に恋い焦がれ籠を飛び出した哀れな蝶のように。そう、その蝶は結局、フランの手によって撃ち落とされてしまうのだから。

 回転。全方位へと向けて弾幕を発射する。フランを中心として渦を描くように弾幕が広がる。時折、気まぐれのように弾幕を撃つのを止め、隙間を作る。

 禁忌「恋の迷路」。自由に恋い焦がれた蝶に相応しい弾幕だ。

 しかし、相応しいからと言ってそう簡単に墜ちはしない。羽ばたき、迷路へと飛びこんでゆく。何匹もの蝶がその身を砕いて道を切り開こうとする。

 弾幕同士が激しくぶつかり合う。ぶつかり合った弾幕は彼女たちが予測していない方へと飛んでいく。

 それは、咲夜、ルーミアが立っている場所も例外ではない。しかし、こうなる前にも何度か流れ弾が飛んできたので対策は済んでいる。
 ルーミアは相変わらず身体を闇に変えて弾を避け、咲夜は動くのが面倒になったのか自分の周囲の空間を捻じ曲げて擬似結界を張っている。

「二人ともすごい広範囲の攻撃だねー」
「二人ともそれだけ魔力やら霊力やら残ってる、ってことだと思うわよ。……それよりもさっきから思っていたんだけれど、貴女そんな芸当ができたのね。何もないところから声が聞こえてくるなんて不気味ね」

 手持無沙汰な観戦組が雑談を始める。少しの間、このまま硬直状態が続くと思ったのだろう。フタリとも絶対に弾が当たらない自信があるようでかなり余裕だ。

「この程度なら宵闇妖怪としては当たり前だよ。闇から生まれた存在だからね」
「ふーん、まあ、その宵闇妖怪である貴女が言うんだから本当のことなんでしょうね」

 流れ弾が咲夜の顔目掛けて飛んできたが進行方向を捻じ曲げられ、あらぬ方向へと飛んでいく。その間、咲夜は眉ひとつ表情を動かさなかった。弾が届かないのが分かっていても普通の人間なら少しぐらい驚くことだろう。咲夜の精神力は並の人間の遥か上を行っているようだ。

「それよりも、腕の傷大丈夫ー?どんどん血が出てきてるよ」
「貴女に心配なんかされなくても大丈夫よ。それに止血したらフランお嬢様の為の血がなくなるでしょう?流石に自分をナイフで傷つけたいとは思わないわ」

 強がっているわけではなく、平然とそう言い切る。

「でも、ちょっと顔色が―――」
「だから、貴女が気にすることじゃない、って言ってるでしょう?」
「……うん、わかった……」

 咲夜の有無を言わせぬ口調にルーミアは口を閉ざすしかなかった。ルーミアなりに咲夜のことを心配していたのだが、咲夜はその言葉を聞く気はないようだ。

「どうやら、両者とも次の攻撃に入ったみたいね」

 お互いに攻撃が通らないと悟ったフランとこいしはほぼ同時に弾幕を撃つのを止めた。残った弾がフタリ目掛けて飛んでいくが、フランはレーヴァテインを振るい、こいしは最小限の弾幕を放って無効化する。

 そして、完全に弾幕が消えたところで同時に新たなスペルを放つ。
 フランが放ったのは左回転の刃を模した弾。

 禁弾「過去を刻む時計」。今を刻むはずの時計が逆回転をし、過去へと戻っていく。しかし、本当に時間を過去に戻せるモノはいない。だから、フランが放ったのは刻まれてしまった時間の傷痕。

 こいしは先ほどの弾幕と似た雰囲気の弾幕を形成する。今度はこいし自身も動き回り弾幕は螺旋を描いている。

 深層「無意識の遺伝子」。こいしが全てを無意識に委ねて弾幕を放つ。だから、どんな弾幕が放たれるのかこいし自身にさえ分からない。

 しかし、今回のスペルのぶつかり合いは一方的なものとなった。一発の弾の質が違いすぎたのだ。完全にこいしのスペルの選択ミスだった。

 こいしは無数の弾をばら撒いているがフランの放った弾はたったの五発。しかし、こいしの弾がフランの弾に当たるたびに消えているのに対して、フランの弾はびくともしない。

 そのまま、最初に放たれた時から速度を変えずこいしへと向かっていく。

 全てを無意識に委ねてしまっているこいしは意識的に避ける、ということをしない。弾が迫ってくると非常に素直な方向に弾を避けていく。

 だから、こいしがどこに攻撃を避けるのか、というのが読みやすかった。
 今なら、弾幕も薄くなっている。フランの撃つ弾を遮りそうなものはあまりない。

 フランはこいしの無意識が捉えることが出来ないほどの高速弾を放った。

 風を切り、こいしへと一直線に飛んでいく。こいしは避けようとしたが、遅かった。フランの放った弾が直撃する!

「……っ!」

 上から下へと落ちて行く。このまま地面に落ちればフランの勝ちだが、そう簡単にはいかなかった。

「これで、最後っ!」

 地面に落ちるギリギリのところでこいしが再び宙に浮かびあがる。

 フランを見据えると、両手を上げる。そして、赤い薔薇と青い薔薇とを模した弾幕がフランに目掛けて放たれる。

「サブタレイニアンローズ」。地底に咲くその薔薇は彼女の無意識そのものだ。彼女はその無意識を意識的に放つ。

「そっちが、終らせるつもりなら私も終わらせてあげるわ」

 フランは意識を集中させ、こいしの放ついくつもの弾を一発の弾としてではなく、弾幕という一つの塊として認識しようとする。

 今までしたことのないことをやるのでフランは幾分か緊張している。でも、右手に握るレーヴァテインの存在を確かめて失敗しても後がない、というわけではないことを確認し気持ちを落ち着ける。

 地下に閉じ籠ったままのフランだったならこのラストスペルに対抗するものもあった。

 QED「495年の波紋」。それは、彼女が495年の間に溜め込んだ狂気と歪みを込めたものだった。だけど、魔理沙たちに負けたあの日から、もうこのスペルは使えなくなってしまった。あの瞬間から自分の中の何かが変わっていってしまったから。

 だから、彼女は今、新しいラストスペルを創造しようとしている。もう、大体の形は出来た、後は、それを放つだけだ。

 ―――フランはいつの間にか右手にあった『目』をきゅっと潰した。

 瞬間、訪れる静寂。それから、フランを中心として波紋が広がるようにしてこいしの放った弾幕が崩れていく。

 禁断「破滅の波紋」。それは弾幕そのものを破壊する禁断のラストスペル。フランが一つの物しか破壊できない、という弱点を補ってできたものだ。

 しかし、あまりにも強力すぎた。攻撃能力はないが、完璧に敵の弾幕を消せてしまうスペルは戦いの流れを完全に壊してしまう。

 フランは心の内で、つまらなくなるからまた別のラストスペルを考えないと、と思いながら呆然としているこいしへとレーヴァテインを振り下ろした。本気は、出していない。今回は壊すことが目的ではないのだから。

 こいしは勢いよく地面へと向けて落ちて行き、地面に叩きつけられる。

 そうして、勝負は決した。



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