「あの、お嬢様、どいてくださいませんか?」
「駄目よ。どいた途端に逃げるつもりなんでしょう?」

 咲夜をベッドの上に組み敷いたままそう言う。視線は少し睨むようになっているかもしれない。けど、そうなってしまって当然のことだろう。
 視線の先、真下にある咲夜の頬は微かに赤く染まっている。無理矢理寝間着に着替えさせている間、私から逃げ出そうと暴れたことだけがその理由ではない。
 その前、朝食の準備を終えて、私の所に来た時からこの状態となっている。

 そう、自分の事を一切省みないこの大馬鹿なメイドは、調子が悪いというのに働こうとしたのだ。しかも、一度無理矢理ベッドに寝かせたのに、逃亡までして。
 だから、私は今こうして咲夜が逃げないように押さえつけている。余裕がなかったから、寝間着のボタンは外れたままだし、布団や毛布も咲夜の身体の下だ。身体が冷える前に何とかしないと。

 力では敵わないとわかったのか、抵抗はしなくなった。けど、私がどいてしまえばすぐに逃げ出してしまうつもりなのは、その瞳から伝わってくる。
 だから、早い所大人しくしてるようにと咲夜を説得しなければいけない。

 内心で溜め息をついて、一度自分を落ち着ける。

「咲夜。貴女は調子が悪い時まで頑張る必要はないの」

 先ほどまでのきつい口調を抑える。代わりに、聞き分けのない我が子を諭すように出来る限り優しい口調で話しかける。

「いえ、私はなんとしても、お嬢様のお世話をしなければなりません」

 けど、咲夜はどうしても休む気はないようだ。私の為に無理をしてくれようとしている気持ちが伝わってくる。
 特別私が何かをしたわけでもないのに、どうしてこう忠誠心が高くなったのやら。

「お願い。私に心配を掛けさせないでちょうだい」

 私は咲夜の忠誠心を満たせるような事は言ってあげられない。咲夜を心配する気持ちが、それを言うことを拒絶させる。
 咲夜はこの館で唯一の人間だ。もしかしたら、魔女であるパチェよりも弱いかもしれない。そんな咲夜に無理はしてほしくない。
 咲夜は私に仕えることにこそ意義を感じているようだけど、私としては居てくれるだけでも十分だ。出会ったばかりの頃は、主従の関係なんてなかったから。
 ……これは果たして、私の我が侭なんだろうか。

「……わかりました。今日は大人しくしています」
「今日はじゃなくて、治るまでよ」
「……」

 返事はなかった。
 咲夜は私にだけかもしれないけど、決して嘘はつかない。そして、同時に頑固でもある。
 だから、今日は大人しくしてくれているはずだ。けど、明日までに治らなければ、また同じやりとりをすることになるのかもしれない。
 面倒くさいわねぇ……。

 溜め息をつきたくなったけどこらえる。自分の中にあるものは吐き出せるかもしれないけれど、周りには悪い影響を及ぼすばかりだ。
 病は気からとも聞くし、マイナスになるような事は出来るだけしないようにしないと。

 とりあえず、今すぐに逃げるつもりはなくなったらしい咲夜の上から降りる。まだ、手の中に咲夜の熱が残っている。

「そういえば、朝食はまだよね? 食べられる?」

 確か、咲夜はいつも私たちが食べた後に食べると言っていた気がする。

「……多分、大丈夫だと思いますよ」

 拗ねているのか、私に背を向ける。
 周りも、そして私も咲夜は完璧だと言うけど、その実子供っぽいところもある。滅多に見られるものでもないけど。
 それを知っていて私がなおも完璧だと言い続けるのは、親心のようなものなのかもしれない。もしくは単なる親馬鹿か。

「じゃあ、何か食べやすい物を作ってきてあげるわ。要望はある?」

 どうせ、私たち向けの朝食しか用意してないのだろう。それなら、私が用意するしかない。

「……別にないです」

 相変わらず咲夜は私に背を向けている。戻ってくる頃には機嫌直しててくれるかしらねぇ。

「ん、わかったわ。じゃあ、ちゃんと布団と毛布を被って、大人しくしてるのよ」

 最後に微かに頷くのが見えたから、安心して部屋から出ることが出来た。





 まず食堂へと向かって、テーブルに着いて私を待っていてくれていたフランに先に食べておくように言っておいた。
 咲夜のことを聞いて、心配するような素振りをしていたけど、大丈夫と言っておいた。無駄に不安を煽る必要もない。

 それから、まっすぐに厨房へと向かった。
 そこで私はまず何を作るかを考える。

 咲夜に食欲がなさそうな様子はなかった。それなら、味気のない物よりは、少しでも味のある物の方が食欲も湧くというものだろう。
 頭を働かせながら、辺りを見回してみる。清潔さを保たれた厨房の中、湯気を立てるご飯の入った大窯を見付けた。ほとんど反射的に雑炊にしようと思い付く。

 そこまで決まれば、必要な材料も順繰りに浮かんでくる。それを頭の中で繰り返しながら食料庫と厨房を往復して材料の用意を終える。

「あの、お嬢様、大丈夫なんですか?」

 調理を始めようと思って、エプロンを付けたとき、赤い髪の妖精が心配そうな表情を浮かべてそう聞いてきた。遠巻きからも何人かの妖精がこっちを伺っている。それぞれが、私の傍にいる妖精と同じように心配そうな表情を浮かべていた。
 流石咲夜、慕われてるわね。

「そんなに心配しなくても大丈夫よ。多分風邪を引いただけだと思うから」
「いえ、それもあるんですけど……」

 どうやら、咲夜のことではなかったようだ。なら、何なのだろうか。
 興味を引かれながらも咲夜を待たせるわけにはいかないから、包丁を取り出しながら耳を傾ける。

「えっと、失礼を承知で聞かせていただきます。……その、お嬢様、料理出来るんですか?」

 非常に歯切れの悪い物言いで、心外なことを言われてしまった。後ろの方にいる数人も同意するように何度か頷いている。
 まあ、この子たちが館に来てから包丁を握ったことはないし、普通私みたいなのが料理できるとは思っていないだろう。だからそんなことを思うのは、仕方ないことなのかもしれない。
 だから、この子たちの反応は特に気にもならなかった。

「ええ、出来るわよ」

 素っ気なく答えた。私にとっては当たり前の事実だから。
 その途端、どよめきが生まれる。というか、いつの間にか妖精の数も増えていた。数人どころの声ではなかった。
 この時間帯は皆ここに集まるのか、それとも単に面白そうだから集まってるのか。
 まあどちらにしろ、私は咲夜のための朝食を作ってあげるだけだ。妖精がいようといまいと関係ない。

 これ以上、妖精たちの存在は気にしないようにして、材料を切るために包丁を動かす。
 とんとんとんとん、と材料を切っていく。久しぶりだけど、手が覚えててくれたようだ。これなら、さほど時間は掛からないはずだ。

 お父様もお母様も居なくなった時、私はフランのために包丁を握ることにした。
 それ以来、咲夜が私の従者となるまで包丁を振るい続けていた。

 ちなみに、咲夜に料理を教えてあげたのは私だ。拾ったばかりの頃は、私に妙になついていて、ずっと後ろを歩いていた。だからか、私の料理をする姿に興味を持って、教えてほしいとせがまれたのだ。
 ……そういえば、今も咲夜は私の後ろを歩いてるのよね。あの時は追いかけてきて、今は着いてきてくれているという違いはあるけれど。

 さて、今は過去を振り返ってる場合じゃないわね。

 料理の方へと意識を集中させて、やたらと盛り上がっている妖精たちの中で、私は咲夜の為に包丁を振るうのだった。





「ありがとう。助かったわ」

 ワゴンの場所を教えてくれ、その上咲夜の部屋の前まで押してくれた赤髪の妖精へとお礼を言う。
 私一人でも十分だったんだけど、自分から申し出てくれた場合は断らないようにしている。
 悪い気がするのだ。自分の意志で決めた行動を断ってしまうというのは。まあ、今日の咲夜のように無理をしてるようなら断るし、止めるけど。

「いえいえ、お嬢様の珍しい姿を見せていただきましたので」

 どうやらこの子は妖精らしく自分にとって楽しい事に重点を置く性格のようだ。けど、楽しませてもらったお礼という形で働くのは珍しい。

「私は珍獣か何かかしら?」
「まあ、お嬢様の滅多にない行動はそんな感じですね。……では、私はここで失礼させていただきます。咲夜さんのこと、よろしくお願いしますね」

 後半はまくし立てるように言って、その妖精は廊下の向こう側へと行ってしまった。度胸があるんだかないんだか。
 まあ、そこまで気分を害されたわけではないから、これ以上あの妖精の事は気にしない。この程度のことを気にしていたら切りがない。

「咲夜、入るわよ」

 扉を二度叩いて、返事も待たずに土鍋の乗ったワゴンを押して部屋へと入る。今の私に入らないという選択肢はない。私の言うことを聞いてくれているのなら、咲夜は大人しく横になってるはずだろうし。

「……鍋?」

 言いつけ通り布団の中に入った咲夜がこちらを見て、不思議そうな表情を浮かべる。ふむ、機嫌が悪いのは直ったみたいね。

「雑炊を作ったのよ」

 ベッドの横までワゴンを押して、ストッパーをかける。それから、テーブルの前にあった椅子を咲夜の傍まで動かして、腰掛ける。
 咲夜はその間に身体を起こしていた。支えもなく身体を起こしていて大丈夫なんだろうか。

「咲夜、辛くない?」
「重病人扱いしないでください。本当ならこんなの全然大したことありません」

 むっとした表情を浮かべる。けど、変わらずその顔は赤く火照っていて、体調が悪いことを周囲へと伝えている。

「赤い顔で言ったって説得力ないわよ」

 まあでも、こういうことを言えるという事は一応は大丈夫だという事だろう。ようやく少しだけ安心することが出来た気がする。

 心の中で胸を撫で下ろしながら、鍋の蓋を開ける。真っ白な湯気が立ち上り、まだまだ多量の熱を持っていることを辺りへと伝える。
 深皿を手に取り、おたまで雑炊を注ぐ。人参にしめじに鶏肉と卵。それらをご飯と一緒に味噌と醤油で味付けした簡単なものだ。
 それを少量スプーンですくって、息を吹きかける。

「お嬢様? どういうつもりでしょうか」
「ん? 確か咲夜って猫舌だったでしょう? だから、冷ましてあげてるのよ」

 熱を湯気と共に飛ばす。
 食べやすい温度になるまで何度も何度も。

「いえ、そういうわけではなく、自分で食べれるのでスプーンとお皿を渡していただけませんか?」
「そう? でも、せっかく冷ましたんだから、一口は私の手から食べてちょうだい。ほら、あーん」

 湯気の立たなくなったスプーンを咲夜の方へ差し出す。咲夜はしばらくスプーンの先をじっと見つめていた。
 嫌なんだろうかと思い始めた頃、目を閉じてスプーンを口に含んでくれた。
 このくらいの事が恥ずかしいのか、頬の赤が濃くなっている。

 スプーンが歯とぶつかるのを感じながら、口の中から引き抜く。もう何も残っておらず、銀色に輝いているだけだった。

「どう? 美味しい?」

 口の中の物を飲み込んだところを見計らってそう聞く。
 一応私も味見はしたけれど、風邪を引くと味の感じ方が変わるとも聞く。だから、少し不安なのだ。

「……はい、変わらず美味しいですよ。お嬢様の料理は」
「それは、よかったわ。多めに作ったから好きなだけ食べてちょうだい」

 ほっと胸を撫で下ろす。それから、木の盆にスプーンと雑炊の入った皿とを乗せて渡す。もしかしたら、こう言われるかもしれないと思って一応用意しておいたのだ。
 もう少し食べさせてあげたかったけど、自分で食べるというなら仕方ないわね。

 咲夜は盆を太股辺りに乗せると、スプーンを手に取る。雑炊をすくい、息を吹きかけて冷まそうとする。
 私はそんな咲夜の横顔をじっと眺める。白い肌が綺麗だとか、動きに無駄がないだとか考えながら。

「お嬢様は食べないんですか?」

 不意に手を止めて、そんなことを聞いてくる。少し居心地の悪そうな表情を浮かべてるけど、どうしたのかしら。

「煮込んでる間に食べさせてもらったわ。いつもよりも、味が少し濃いかったわね」
「あ……。すいません」

 私の言葉に気を落としてしまう。
 別に咎めてるわけではないんだけどねぇ。ただ、別のことに気付いてほしいだけだ。

「まあ、気付いてるのは私くらいでしょうけど。それよりも、私は料理の味について文句を言いたい訳じゃないの。貴女が大丈夫だと思っていても、確実にその影響は出ているって言いたいのよ」

 今はまだ料理の味にしか影響が出ていなかった。でも、そんな状態で仕事を続けていればどこかで大きな失敗をしていたかもしれない。それが、取り返しのつかない事につながっていたかもしれない。
 失う事ばかりを怖がっている私はそんな事ばかりを考えてしまう。けど、今回は、私の臆病さが出した考えも正しいはずだ。

「だから、ちゃんと体調が戻るまでゆっくりと休んで、また最高の仕事をしてちょうだい。私はいつまでも待っててあげるわ」

 手を伸ばせるだけ伸ばして咲夜の銀髪を撫でてやる。焦る必要なんてない。咲夜が何もしていなくたって責める者はいない。だから、ゆっくりと休んでいいのよという気持ちを込めて。
 昔は私と同じくらいの身長だったというのに、今ではずっと私よりも高い。それでも、こうしていると私よりも子供なんだという気持ちを抱く。

「はい……」

 頭を撫でられながら、咲夜は頷いてくれた。今日初めて素直に頷いてくれたかもしれない。
 だから、大丈夫と思えた。完治するまで、無理はしないだろうと思うことが出来た。

「よろしい。そういうわけだから、ちゃんと食べて、ゆっくりと寝なさいな」

 最後に、私が浮かべられる中で一番柔らかな笑みを浮かべて頭から手を離す。私の笑みに何らかの力があるとは思えないけど、無表情でいるよりはいいはずだ。
 咲夜の返してくれた笑みを見ながらそう思う。

「……あ、そういえば」

 何かに気付いたらしく、咲夜が笑みを引っ込めてそう言う。なんだろうかと、私は少し身体を乗り出す。

「お嬢様、いただきます」

 スプーンを一度皿の上に置いて、手を合わせた。

「ええ、どうぞ」

 私の言葉を聞いて、咲夜はスプーンを再び持ち上げて、雑炊を冷まし始める。

 そういえば、咲夜からこの言葉を聞くのもずいぶんと久しぶりね。
 私は懐かしい気持ちが湧き上がってくるのを感じ取りながら、咲夜の横顔を眺めていた。

 雑炊から立ち上る湯気に私の懐かしさが込められているような、そんな気がした。





 私の作った雑炊を半分くらい食べて、咲夜は横になった。食べる量は昔よりも少し増えた程度のようだ。まあ、今は調子が悪いからこの量なのかもしれないけど。

「お嬢様? 別にずっと傍にいてくださらなくてもいいんですよ?」

 横になった咲夜がそんなことを言ってくる。私は立ち去る気なんてない。

「私は傍に居てあげたいから居てあげるのよ。まあ、居てほしくないならすぐに出ていくけど」

 そう言いながら、低い位置にある咲夜の頭を撫でてあげる。フランは、こうすれば落ち着くと言っていたけど、咲夜はどうなのかしらね?

「……」

 咲夜は否定も肯定もせず、顔を天井の方へと向ける。それを居てもいいというふうに受け取ることにした。

 しばらく、頭を撫でてあげる。こうすれば寝付きが良くなるのではないだろうかと思って。
 けど、咲夜は一向に目を瞑ろうとしない。私の手が気になって寝れないんだろうか。
 だとしたら、私は咲夜に悪い事をしているのかもしれない。フランにとってプラスになることが、必ずしも咲夜にとってプラスになるとは限らない。
 だから、手を止めて、頭から離した。
 その瞬間、

「あ……」

 咲夜がそんな言葉を漏らした。視線も私の方へと向いている。
 けど、すぐにそらされてしまう。そのまま、私から逃げるように背を向ける。

「咲夜?」

 その反応に私は首を傾げてしまう。とりあえず、嫌がられてる訳じゃなかったと思っていいんだろうか。
 少し迷って、もう一度頭に触れてみる。一瞬咲夜の身体が震えたようだけど、拒絶するような素振りはないから手を動かす。

「ねえ、咲夜。私の手は、眠るのに邪魔?」

 自分の行動に自信が持てなくて、そう聞いてしまう。私はとてつもない臆病者なのだ。

「……」

 咲夜は何も答えてくれない。それでも、咲夜の漏らした小さな声が私の中にまだ残っているから、手を止めることはしない。代わりに、もう少しゆっくりと撫でてあげることにする。
 不安はある。自分がこうしているのは、勘違いによる押しつけなのではないだろうかと。けど、やめてしまう事も間違いなのではないだろうかと思って、そのまま続けている。

「……懐かしさを、感じてるんです」

 不意に、咲夜が私に背を向けたまま口を開いた。

「今ではもう、撫でてくださる事はありませんから、今のうちに味わえるだけ、味わっておこうと思ったんです」

 ゆっくりと、どこか恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。私はそれを黙って聞いている。

「眠るのに邪魔だという事はありません。むしろ、私を眠りへと誘ってくれます。けど、もったいないので寝られないんです」

 肯定された。私の行動は間違っていないんだと言ってくれた。
 それだけで私の中の不安は消えてしまう。私はだいぶ単純な考えの持ち主なのだ。

「……決して、お嬢様に撫でられるのが、嫌だというわけではないんです」

 最後の言葉は簡単に消え入ってしまいそうなほどに小さな声で放たれた。だけど、私と咲夜しかいないこの部屋はとても静かだ。だから、ちゃんと咲夜の言葉は届いてきた。
 咲夜の言葉がくすぐったかった。でも、同時に嬉しくもある。好意的に受け取ってくれているということがしっかりと伝わってきたから。

「別に、普段でも撫でてあげてもいいのよ?」

 身長の関係で少々不格好なものとなってしまいそうだけど、そんな事構いやしない。私の大切な人が喜んでくれるというのなら、周りからどう思われようとも気にならない。
 まあ、咲夜がどう思うかというのは気になるけど。

「それは、駄目です。お嬢様は主で、私は従者なのですからそんな慣れ親しんでしまうような事をしてはいけません」

 けど、咲夜が気にかけているのは全く別のことだった。私の意識の中には一欠片もないような事だった。

「別に主が従者の頭を撫でてあげるような主従関係でもいいと思うけどねぇ」

 甘やかしすぎると、主従の関係が壊れることもあるというけど、咲夜に関してはあまり気にしていない。信頼しているっていうのもあるし、元々私が面倒を見ていたのだ。例え、主従の関係が壊れてしまったとしても、咲夜はここにとどまり続けてくれると思う。
 端的に言えば、私は咲夜とのつながりが主従だろうとそれ以外だろうと気にしてないという事だ。
 けど、咲夜は違うらしい。だから、

「けど、貴女がそう言うのなら、私から言う事はないわ」

 私の信頼している者たちは、出来るだけ自分の意志で行動してほしい。だから、今日の朝の咲夜のように無茶なことをしない限りは、私の方から何かを言うような事はしないつもりでいる。

「主従の関係のせいで甘えられないというなら、今のうちに存分に甘えていいわよ。休暇中の貴女は単なる十六夜 咲夜なんだから」

 まあ、私なりの考えであって咲夜がどう思っているのかはわからない。けど、今日一日の咲夜の行動を振り返ってみれば、どう思ってくれているか大体はわかる。

「では、その……、私が眠るまで頭を撫でてもらってもよろしいでしょうか」

 私の方へと顔を向けてそうお願いしてくる。少し、恥ずかしそうに。
 当然、断る理由はない。

「ええ。眠るまでと言わず、ずっと撫でていてあげるわ」

 私の答えに、咲夜は小さく笑みを返してくれたのだった。
 きっと、私も同じ笑みを浮かべていることだろう。





 穏やかな寝息だけが聞こえてくる。

 咲夜はずいぶんと頑張って睡魔に対抗していたようだけど、ついさっさき負けてしまった。必死に抗がっていた割には、今浮かべている表情はどこか幸せそうだ。こちらの頬まで自然と緩んでくる。

 さて、咲夜は寝てしまったわけだけど、約束通り今も頭を撫でてあげている。

 こうしながら、私も懐かしい気分に浸らせてもらっている。咲夜の寝顔は、いつもよりも幼く見え、より一層懐かしさを呼び覚ます。拾ったばかりの頃を思い出す。

 咲夜といた時間は、吸血鬼にとってはほんの短い時間のはずだ。なのに、随分と長い間一緒にいるような気がする。ずっと一緒にいたような気がする。
 それくらい、私にとって咲夜は必要不可欠な存在なのかもしれない。一番大切なフランと同じくらいに。

 髪を梳くように頭を撫でる。手入れの行き届いた銀の髪は一切指に絡んでこない。だから、咲夜は少しだけくすぐったそうにするだけで、起きる気配は一切ない。

 フランと一緒にいる時のような穏やかさを感じる。それは、私が咲夜を守るべき存在だと思っている証なのかもしれない。
 おかしな話だ。私こそが守られる立場であるはずなのに。
 でもまあ、それも仕方ない話だ。

 咲夜はどう思ってるかは知らないけど、私にとっては娘のような存在なのだから。


Fin



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