今日は、こいしの誕生日。年に一度の、本当に本当に特別な日。
こいしが、第三の目を閉じてしまってからは、一度もまともに祝ってあげることが出来ませんでした。
『目』を閉ざしたばかりの頃のこいしは、全てに無関心で、私が何をしようとも、反応を返してくれはしませんでした。だから、私があの子の誕生日を祝っても、虚ろな瞳でこちらを見返すばかりです。
それから少しして、努力の甲斐あってか、話しかければ反応を返しくれるようにはなりました。けれど、ふわふわと、捉え所のない雲のように漂って、いつも半ば行方不明。そんなのだから、誕生日の用意をしても、いつもこいしは何処にもいません。
けれど、今年はきっと違います。
地上に出るようになってから、こいしは変わりました。以前ほど、ふわふわとした様子もなくなりました。
放浪癖は、治ってないみたいですけど、それでも、毎日地霊殿へと帰ってきてくれるようになったのです。
これならば、これならば、今年はきっと、あの子の誕生日を祝ってあげられます。
ようやく、ようやく、ようやくです……。そう思うと、柄にもなく、気分が高揚してきてしまいます。踊りだしてしまいたい、と思ってしまうほどです。
それは、私がそれだけ、こいしのことを想っている、という証明なのでしょう。
けど、実際に踊ったりはしません。そんなことは、するだけ無意味ですから。
そんな、踊り出したい衝動は、全てこいしの誕生会の用意に注ぎ込みます。
ではでは、今年は、今まで祝えなかった分の想いも、込めてあげましょう!
◆
「お姉ちゃんっ、お散歩に行ってくるね!」
「ええ、気をつけて行ってくるのよ。それと、今日は出来る限り、早く帰ってきなさい」
ケーキの生地を混ぜて、甘い香りを辺りに広げながら、私はそう言います。この甘い香りは、こいしにも届いていることでしょう。
こいしは、この匂いをかいで、何を想っているのでしょうか。
「うん、分かった!」
こいしが、私に元気よく返事をして、キッチンから出て行きました。最近は、こうして、ちゃんと声をかけてから外に出て行くので、安心です。
そう思いながら、私は生地を混ぜる手を止めません。
ケーキには、数えるのも面倒くさくなるくらいの年月の想いをこめます。こいしに、その積もった想いに気付いてもらいたい、とは思っていません。
ただ、美味しくこのケーキを食べて、嬉しそうに笑顔を浮かべてくれたら、私はそれだけで満足です。いえ、満足どころか、幸せすぎて、どうすればいいのか分からなくなってしまうでしょう。
……こいしの前で、妙なことをしてしまわないか、心配になってきました。
まあ、そのときはそのとき。起こしてしまってから、考えればいいのです。……その時にはすでに手遅れな気がしますが、まあ、気のせいでしょう。
もし、こいしに引かれたなら……そこまで心を取り戻したのだ、と前向きに受け止めます。
くるくる。泡立て器が、私の手の動きにあわせて回ります。
いつもは途中で疲れて、休憩を挟むのですが、今日は不思議と疲れません。このまま、生地の完成まで、止まることなく回し続けることが出来そうです。
想いの力、というのは何でも出来るようにしてくれるようです。
こいしの笑顔が見たい、こいしに喜んで欲しい。そう想うだけで、全身に力がみなぎってくるような気がするのです。
……顔だけは、力が抜け切ってしまってるようですが。
「〜♪ 〜♪」
気が付けば、私は、鼻歌を歌っていました。
意味のない旋律、ただただ、出鱈目に流れるだけで人様に聞かせられるようなものではありません。
でも、なんだか気分が良くて、私はそのまま、鼻歌を歌い続けていたのでした。
◆
テーブルの上にフォークとスプーンを置いて、準備はお終い。時計を見てみれば、そろそろこいしの帰ってくる時間。
こいしが帰ってくるまでに準備が出来ました。良かったです。
大きなテーブルの真ん中にはショートケーキ。
行儀よく円状に並んだ真っ赤なイチゴ。その周りを真っ白なクリームでデコレート。そして、中央には、黒いチョコプレート。上には、白いチョコで、『こいし お誕生日おめでとう』の文字。
我ながら会心の出来です。作っている途中も、緩んでいたはずの顔の表情が、更に緩んできます。いつかは、このまま溶け出してしまうのではないでしょうか。
それはそれで、私がそれだけ幸せだ、ということでいいのかもしれません。
ケーキの周りには、数々の料理。
カリカリに焼き上げたフランスパン。たっぷりと煮込んだ熱々のシチュー。色とりどりの野菜を盛ったサラダ。そして、とろとろのデミグラスソースをかけたハンバーグ。
この辺りは、お空とお燐に手伝ってもらいました。体力的には一人でも大丈夫そうだったのですが、いかんせん時間が足りませんでした。
こうして並べてみると、少し多いような気もしますが、今まで祝ってあげられなかったこいしの誕生日を思うと、少ないくらいかもしれません。
もし食べられなかったなら、他のペットたちに分けてあげればいいのです。
本当は、こういったものは、あまり食べさせるべきではないのですが、今日くらいはいいでしょう。この幸せは、皆に分け与えてあげたいですから。
準備のし忘れがないことを確認して、私は席に座ります。私の隣、こいしの席にはまだ、誰も座ってません。
でも、そこに、こいしが座ってくれたときのことを想うと、自然と笑顔が浮かんできます。あの子は、どんな表情を浮かべてくれるのでしょうか。
「さとり様、嬉しそうですね」
先にテーブルについていたお燐がそう言ってきます。いつもは、一緒にこいしの帰りを待ったりはしてくれなかったんですが、今日は違うようです。
それに、お燐だけではありません。お空も待ってくれています。
それにしても、お燐自身も、なんだか嬉しそうな表情を浮かべています。
ああ、私が嬉しそうだから、嬉しいんですか。つくづく、私思いなペットだと思います。私には勿体ないくらい。
「ええ。だって、ようやく、こいしの誕生日を祝ってあげられそうなのよ。嬉しくならないわけがないわ」
「やっぱり、そうですよね。今まで、さとり様の顔を見るのが辛くて、一緒にお待ちすることが出来なかったんですが、今日はこいし様が帰ってくるまでお待ちすることが出来そうです」
言いながら、お燐が思い浮かべるのは、手作りのケーキや料理を前に、暗い表情を浮かべる昔の私。どうして、二人がこいしを一緒に待ってくれなかったのか、謎が解けました。
……それにしても、私は、そんなに酷い顔をしてたのでしょうか。他人の視線を介して見る自身の姿は、私の羞恥の心を刺激してきます。
お燐から顔をそらしたくなってしまいますが、そこは、主としての意地で我慢。それに、昔、酷い表情を浮かべていた、というのなら、今から素晴らしい表情に塗り替えればいいのです。
「さとり様、さとり様! なんだかよくわかんないですけど、とってもわくわくしてきますね!」
横から元気な声でそう言ってきたのは、お燐の隣に座ったお空。いつもは真っ先に食事に手を出すのですが、今日は違うようです。
食べたい、という欲求を抑えながら、こいしの帰りを待ってくれているようです。
「そうやって、貴女が場を盛り上げてくれていたら、きっとこいしも楽しい気分になってくれるはずだわ。こいしが帰ってきたときも、よろしくね、お空」
「はいっ! わかりました!」
お空はあまり私の言葉を理解してくれてなかったみたいですが、それでもいいです。それだけ元気に答えてくれれば、私が何を言わずとも、場を盛り上げてくれるでしょう。
「場を盛り上げることなら、私だって負けませんよっ。最近、ゾンビフェアリーたちに新しい芸を覚えさせたんですから!」
お空に対抗するように、お燐が何処からか、ゾンビフェアリーたちを呼び出します。ゾンビ、とは付いていますが、彼女たちは頭の上に、光の輪が乗っただけの単なる妖精に過ぎません。まあ、光の輪がある時点で、特殊な存在なのですが。
「ええ、お燐にも期待しているわ。だから、その新しい芸は、こいしが帰ってきてから、見せてちょうだい」
私は、今にもゾンビフェアリーたちに芸をやらせようとするお燐を止めます。既に、お燐の心を見ることで、何をさせるのかは分かってしまっているのですが、こういったことは、ほとんどの場合、実際に見るのとでは全く様子が違います。
その時の感動は、こいしと一緒に共有したいのです。
「おおっと、それもそうですね。ではでは、期待して待っていてください!」
お燐が笑顔を浮かべてそう言うと、ゾンビフェアリーたちもなんだか張り切った様子で、口々に各々の心意気を声にしてくれます。
主役がいなくとも、この盛り上がり。こいしが帰ってきたなら、何処まで盛り上がるのでしょうか。
◆
「こいし様、遅いですね」
時計の秒針が六十回ったところで、お燐が口を開きました。準備が終わったばかりの頃の浮かれたような様子はありません。
場の盛り上がりも、すっかり静まってしまっています。
「……ええ、そうね」
私の声にも、何処か影があります。お燐の心を読んでそれに気付きましたが、後の祭り。
「さ、さとり様! そんなに気を落とさないでください! こいし様はきっと、ちょっと時間を忘れて、遊んでいるだけです! 絶対に、帰ってきますよ!」
お燐が、私を心配してそのように言ってくれます。なんとかして私を元気付けようと、必死な様子も伝わってきます。
……ペットに心配をかけさせるなんて、駄目な主ですね。こいしの事となると、どうしても感情が大きく揺れ動いてしまうようです。
そんな風に、自嘲しながらも私はすぐに気を取り直します。
こいしが、帰ってきてすぐに、暗い私の表情を見て、いい気分になるはずなんて、ないでしょうから。
「そうね。こいしは絶対に帰ってくる。だから、気を落とす必要なんてないわね……」
それは、お燐の言葉に答えた、と言うよりは自分に言い聞かせるようでした。
ああ、こいし、今、貴女は何処にいるのですか?
冷め切った料理と、待ちくたびれて寝てしまったお空とゾンビフェアリーたちの姿を見ながら、そう思うのでした。
◆
時計の秒針がもう六十回っても、こいしは帰ってきませんでした。
私と一緒に待ってくれていたお燐も、気が付けば夢の中。逃げる空飛ぶ魚を追いかけています。……それだけ、お腹が空いている、ということなのでしょう。
お空が見ているのも、似たような夢。彼女が追いかけているのは魚ではなく、卵ですが。彼女の好物は温泉卵なので、おそらくそれを追いかけているのでしょう。
……ごめんなさい、二人とも。こんなことに、付き合わせてしまって。
胸中で二人にそう謝ります。声に出してしまえば、もう二度と立ち直れなくなるような気がしたのです。
ああ、こいし、どうして帰ってこないの?
地霊殿に帰りたくないから? 誕生日を祝われるのが嫌だから? ……それとも、私のことが嫌いだから?
ぐるぐるぐる、と思考が回って、暗い、暗い方へと落ちていくのを感じます。
ふと、ケーキの方へと視線を向けて、『お誕生日おめでとう』の文字が目に入ります。
私の半生とも言える想いを、そこにこめたのですが、あの子にとっては、重しとなるだけのものだったのでしょうか。私は、あの子に余計なことをしていたのでしょうか。
あの子を護れなかった私が、あの子のことを想うのは、おこがましいことなのでしょうか。
……もし、もしも、貴女が、私のことを心の底から嫌っているのなら、無理をして帰ってこなくても良いです。貴女が、貴女らしく笑って、生きられる場所を見つけてください。
貴女に会えない、というのは辛いことですが、貴女が幸せなら、私も幸せなのです。
……ぎい……ぃ……
真っ暗な方向へと向けて考えを巡らせていると、ふと、遠くから、扉の開かれる音が微かに聞こえてきました。あの重い音は、玄関の扉が開けられる音です。
……ばたん……
続いて、扉の閉じる音。
お空とお燐以外のペットが、玄関の扉を開けることはありえません。だとしたら、外から誰かが入ってきた、ということでしょう。
けど、それは、誰でしょうか?
真っ先に思い浮かんできたのは、こいしでした。けど、先程まで、暗い想像ばかりをしていたので、真っ直ぐに自室に向かって行くでしょう、と思っていました。
「お姉ちゃん、ただいま……」
なので、こいしが食堂へと真っ直ぐに向かって来たときには、驚いてしまいました。
私は、呆然としたようにこいしの顔を見つめます。その時に、帽子に土汚れが少し付いていることに気付きます。
こいしは、少しバツが悪そうにしながらも、私の方へと近づいてきます。
それにあわせて、徐々に強くなってくる、ケーキとは違った、甘い、香り。
「えっと、ごめん、すっかり遅くなっちゃったね。何のお祝い事で、誰に言えばいいのかはわかんないけど、おめでとう!」
こいしが、『誰か』へと向けたお祝いの言葉を発しながら、両手を差し出してきます。一層、甘い香りが強くなります。
こいしが、差し出したものはなんでしょうか、と視線を下に向けてみると、籠一杯の薔薇の花。うちの中庭に咲いているものよりも、深く濃く鮮やかな赤色をしています。
「……こいし、これは?」
顔を上げて、こいしの顔を見ながらそう聞きます。
こいしの心だけは読めないので、言葉に頼るしかありません。
「誰かへのプレゼント! なんだか、お姉ちゃんがすごく嬉しそうにケーキを作ってたから、これは私も何か用意しなくちゃなー、って思って用意したんだよ」
それから、魔理沙や霊夢に相談して花をプレゼントにすることに決めたことだとか、紅魔館へと行って薔薇を貰ってきてくれたことだとか、一杯摘もうと頑張ってたらすっかり遅くなってしまっただとかを話してくれます。
そうしている間、こいしの表情はとても楽しそう。地上での出来事が楽しかったからでしょう。
……でも、どうやら、こいしの帰りが遅くなったのは私が嫌いだったりしたからではなかったようです。そのことについては、一安心。
「それで、お姉ちゃん。今日は何のお祝い事なの?」
こいしが、首を傾げながら、そう聞いてきます。
「貴女の、誕生日よ」
「あれ? そうだったけ? んー?」
傾げた首が、更に大きく傾けられます。
ああっ、なんと言うことでしょうか。こいしが自分の誕生日を忘れていただなんて!
……でも、それも仕方のないことなのかもしれません。ずっと長い間、祝ってあげることが出来なかったのですから。
「ということは、お姉ちゃんが用意してくれてたケーキって、私のための物?」
「ええ、そうよ」
「……そーだったんだ」
呟くような声で言った後、こいしの視線はケーキの方へと向きます。
「あ、ほんとだ。『お誕生日おめでとう』、って書いてある。……お姉ちゃん、これ、持ってて」
独り言を零したかと思うと、私の方へと薔薇が一杯の籠を手渡してきました。思わず受け取ってしまいましたが、どうしましょうか、これ。私の部屋にでも飾っておきましょうか。
私がそんなことを考えている間に、こいしは手近なフォーク、私の手元にあったフォークを手に取ります。そのままフォークはケーキの方へと伸びていき、一部を削ると、それをこいしの口へと運んでいきました。
別のことに気を取られていたせいで、私はこいしを止めることが出来ませんでした。
でも、こいしの為に作った物だし、別にいいか、と納得しておきます。
「わ……、昔食べたときと全然味が違う!」
こいしの零す感嘆の声が、どこか気持ちいいです。
「どう、こいし? 美味しいかしら?」
「うんっ、今まで食べたケーキの中で一番美味しいよっ!」
弾むような声。私も、心の中で何かが弾むのを感じ取ります。
「当然よ。貴女を祝ってあげるためだけに、私の全力と全霊を持って作ってあげたのだから」
「えへへ〜、そうだったんだぁ」
こいしが、満面の笑顔をこちらへと向けてくれます。幸せだとか、嬉しさだとかが織り交ぜられた笑顔。このような笑顔を見るのは初めてかもしれません。
毎年、積み重ねてきたこいしへの空虚な想いがようやく一つの笑顔で報われます。
想いを伝えられない、と塞ぎこむ必要がないのだと実感します。
そのことが、心の底から、嬉しくて、嬉しくて、たまりません。こんな幸せを、受け取ってしまってもいいのでしょうか、と思ってしまいます。
分不相応でも、こんな幸せがいつまでも、いつまでも続けばいい。
だから、私は―――
「お誕生日、おめでとう、こいし」
「ありがとう、お姉ちゃん。……って、えっ? どうしたのっ? なんで、泣いてるのっ?」
―――笑顔を零したのでした。暖かな雫と共に。
Fin
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