目が覚めて、最初に感じたのは息苦しさだった。
 布が顔に近い。どうやら寝ている間に布団に潜ってしまったようだ。私にしては珍しい。大体蹴っ飛ばしてるのに。
 でも、布団にしては薄すぎる気がする。肌触りとしては、私の着てるパジャマと同じ。
 別にパジャマの生地が薄いって訳じゃない。水に濡れても透けない程度には厚い。

 まあ、なんにしろ早く顔を出そう。布団に潜ってても仕方がない。
 もぞもぞ、と動いてみる。だけど、なかなか顔が出ない。新鮮な空気はどこだ。
 おや? そもそも、布団が身体に触れている時の感触もどこかおかしい。
 これでは、まるで――

 いや、結論を出すのは布団から出てからにしよう。それからでも、十分十分。

 もぞもぞもぞ、と芋虫のように這い続ける。進行は遅く、光は遠い。
 いい加減疲れてきた頃に、ようやく顔が外の空気に触れた。そして、頭を動かしてみて、

「おわっ!」

 私の目に映ったのは全てが巨大化した世界だった。
 目の前の枕もでっかい。ベッドもあり得ないくらいでっかい。向こうの方に見えるタンスも机もでっかい!

 まあ、そんなこともあるよね。

 事実は小説より奇なり。
 よって、この世界を受け入れることにした。





 少しして残念なことに、私はこの世界を素直に許容することができないことに気付いた。
 それは、無視する事のできない二つの問題があるからだ。

 まずは、服がない。
 起きた時に私を覆っていたのは、巨大化したパジャマだったのだ。
 そこから得られる結論。他の服も同様の状態である。
 よって、今の私は裸。寒い。

 もう一つの問題。
 扉があり得ないくらいに巨大で、押しても引いてもびくともしない。扉の隙間を通ってやろうかと思ったけど、無理だった。
 ちなみに、うちの部屋の扉は内開き。よって、押す意味はない。

 どうしよう、と思うもどうしようもない。さとり妖怪である私自身の力なんて高が知れてる。
 ただ、一つ救いがあるとすればお姉ちゃんが起こしに来てくれる、ということ。

 昔の私なら、一人で適当にふらふらして、食事も食べたい時に食べてたから、誰かが部屋まで様子を見に来る事はなかった。ただ、掃除をする為に部屋に入ってくることはあった。
 けど! 今は出来るだけ、一緒に食事を摂るようにしてる。だから、しばらくすれば、お姉ちゃんかお燐辺りが起こしに来てくれるはずだ。
 流石私! 偉い!

 というわけで、果報は寝て待て、ほととぎす。
 布団に飛び込んで、寒さ、現実の非情さから逃げてやる。

 おやすみなさーい。





「こいしー? そろそろ朝食の時間よ。……って、あら?」
「はいはーい! お姉ちゃん、お姉ちゃん、ここにいるよ!」

 声が聞こえた途端に飛び起きて、自分の存在を全力で誇示した。ここで気付かれないと、朝ご飯食べられないわ、外に出られないわと色々と問題が生じてくるから必死。
 お姉ちゃんの顔の前へと飛んで、出せる限りの声を出す。

「こ、こいしっ? どうしたのよ!」

 焦ってるのやら驚いてるのやら。両方がない交ぜになったような声色で詰め寄ってくる。
 顔が近づいきて、お姉ちゃんの巨大さが強調される。なんだか、このままがぶりと食べられてしまいそう。
 でも、これ以上近づいてくる事はなくて、一安心。

「いや、なんかよくわかんないけど、起きたらこうなってた」

 心当たりがないわけじゃないけど、多すぎてどれに目星を付ければいいのやら。心の推測図に星空を作り出しても意味がない。もれなく、感動ではなく当惑がもたらされるだけだ。

「とにかく。寒いから、何か身に纏う物持ってきて」

 ほんとは、下着も何もない状態だから着る物が良かったんだけど、そんなものはなさそうだから贅沢は言わない。
 羞恥心は無意識の底に沈ませておく。ずぶずぶずー。

 でも、服に関しては、一応心当たりがあるから、朝食を摂ったら行ってみよう。

「わ、わかったわ。ちょっと待っててちょうだい」

 駆け足で出て行くお姉ちゃん。扉がばたんと閉まり、また私は閉じ込められる。
 ぽつん、と一人取り残される。別に心細くはない。お姉ちゃんが戻ってくるのは分かってるし。

 ただ、とても暇だ。
 無意識無自覚無抑制で動く私にとって、何もしない、というのは苦痛以外の何物でもない。常にふらふら動きたい。
 寝るっていうのも芸がないし、私の部屋にはベッド、机、タンス以外は何もないから冒険のしがいもない。お散歩の途中で何か持って帰っておけばよかった。残念。

 こんな事を考えてる間、無意味にくるくる回ってた。素肌に当たる風が冷たい。
 暇は私に纏わりついたまま離れないけど、何もしないでいるよりはまし。

 くるくるるー。


 そうやって、適当に時間を潰していると、お姉ちゃんが戻ってきた。

「……何をやってるの?」
「暇飛ばしを」

 お姉ちゃんの声が聞こえてきて回るのをやめた。うわお、世界がぐらぐらする。
 結局暇が飛んでいくことはなかった。代わりに、周りすぎで意識は飛びかけた。でも、新世界はまだ遠い。

 お姉ちゃんの方を目指して飛んでみるけれども、真っ直ぐ飛べない。

「ふらふらじゃない」
「いやいや大丈夫。目が回ってるだけだから。それよりも、服の代わりは?」

 そう言いながら二回、三回と逆回転してぐるぐるした世界を少し落ち着かせる。まだ少しふらふらするけど、幾分かましになった。
 今度からは暇潰しにくるくると回るのはやめよう。三秒後には消滅するだろうと予測されるメモ帳にしっかりと書き込んでおく。

「今から作るから、ちょっと机の上に立っててくれるかしら」

 作る? 
 首を傾げて、お姉ちゃんが薄青色のタオルとハサミを持っているのに気付く。ああ、あれを今の私の身体に合うように切るってことだね。

「うん、わかった。寒いから早めにね」
「ええ」

 だいぶ世界のぐるぐるも治まってきたから、机までは一直線に飛ぶ事が出来た。無事、机の上に着地。素足には少し冷たい。心の冷たい人なんだね、とか思ったりはしない。

「じゃあ、ちょっと腕を広げてくれるかしら」
「はっ……! お姉ちゃんもしかして!」

 すかさず、両腕で裸の胸を守る。ぎゅっと自分の身体を抱き締める。

「な、何もしないわよ。自分の妹に欲情してどうしますか」

 顔が赤くなってるけど、こういう話に弱い、ってだけで別段そういう気があるわけじゃないと思う。確証は見つけられない。

「ま、それもそうだよね」

 とにかく、いい加減寒いからふざけるのはやめにして、腕を広げる。羞恥心は既に無意識の底にあるから躊躇なんてものはない。

 すかさず、巨大なタオルが軽い力で私の身体へと捲きつけられる。実際に捲きつけてどれくらいの大きさが必要なのか測っているのだろう。
 捲きつける際に、腕にお姉ちゃんの指が触れた。温かい。
 どうやら、思ってた以上に身体が冷えているようだ。小さくなった分、すぐに熱が何処かに行ってしまうんだろうか。

 それにしても、お姉ちゃんの手の動きには迷いがない。だからこそなのか、こちらには一切の痛みがない。
 小動物の世話なんかもしてるから、小さい生き物に触れる事に慣れているのだ。だからまあ、こうして安心して身体を預けていられる。
 慣れてない人だと、大体力を入れすぎて痛がらせるか、もしくは、痛がらせるのを怖がって何も出来ないか。

 どれくらいの大きさに切ればいいのか見当がついたのか、タオルが私の身体から離される。
 うわ、寒い。一度身体が温まってしまったせいで、さっきよりも余計に寒く感じる。
 これがお姉ちゃんの陰謀か、と思ったり思わなかったり。

「ほら、出来たわよ」
「やった! これで、寒さとはおさらばだ!」

 お姉ちゃんの手にある間は布の切れ端でしかない物も、私の手に渡ればバスタオルほどの大きさがある。どれだけ目という物が騙されやすいのか、という実例である。

 そんなことより、寒さから逃げることこそが第一だ。
 受け取ったタオルの切れ端を、まさしくバスタオルのように巻きつける。これで幾分かましになったけど、肩の部分が露出してるからまだ寒い。
 でも、そこは気の利くお姉ちゃん。私が何も言わずとも、今度は細長い布切れを渡してくれた。
 私はそれを肩にかける。露出してる部分は大分少なくなった。

「それで、こいし。どうするの?」
「お腹空いたからご飯食べたい」

 とりあえずだけど服が手に入ったから、次の要求。外が温まれば今度は内から温まりたい。

「いえ、そういう事ではなくて。……はあ、まあいいわ。まずは食事にしましょうか」

 溜め息を吐いたかと思ったら、すぐに微笑みを浮かべた。
 無意識に適当に動く私との付き合いは長いから、こっちの言動に結構合わせてくれる。以心伝心はまだまだ遠いけど。

「うん、朝食は大切だからね」

 朝食は元気の源だ。





「こ、こいし様っ? どうなさったんですか! そのお姿は!」
「何か悪い物でも食べたんですか! それとも、何かの病気ですか!」

 食堂に入った途端、椅子に座っていたお燐とお空の二人に詰め寄られた。二人とも心配そうな表情を浮かべて、とっても必死な様子だ。
 うーむ、大迫力。
 というか、お空がさりげなく失礼。

「お燐、お空。二人とも落ち着きなさい」
「あ、はい」
「わ、わかりました」

 お姉ちゃんの一言で二人とも落ち着いた。大人しく椅子に座り直す。

「それにしても、大丈夫なんですか?」
「私も心配です!」

 二人とも、心配そうに私を見る。さあ、お姉ちゃん、ここが腕の見せ所だよ!
 そうやって、丸投げする。

「大丈夫、とは言い切れないけど、……大丈夫、なのよね?」

 けど、お姉ちゃんまで心配そうな表情を向けてきてしまった。しかも、他の二人以上に心配そうだ。
 ここは、私の口から一つ何かを言うしかないようだ。面倒くさい。
 でも、そういえばここに来てから一言も喋ってない。口が固まってしまう前に開いておこうか。

「うん、心配しなくても大丈夫だよ。身体が小さくなった、ってこと以外には問題ないし」

 今の所は、とは言わなかった。無駄に心配を煽る意味もない。
 これでとりあえずは、皆安心してくれたようだ。

 そんなことよりも、私はご飯が食べたい。先の心配より、今の空腹だ。私は自分の欲求に素直。

 ほっと胸を撫で下ろす三人を横目に、すいー、と自分の席へと向かう。椅子に座れるはずがないから、机の上へと降りる。今日に限っては行儀が悪い、なんて誰も言いやしないだろう

 そして想像はしてたけど、朝食の風景は物凄い迫力だった。
 トーストはまるで絨毯のようだし、コーンスープは大浴場にあるお風呂のよう。目玉焼きは恐竜の卵で作られたかのように巨大だ。
 そして、食器。フォークはまるで悪魔の持つ矛のようで、スプーンは……うん、とにかく巨大だ。

 今私は大変感動している。
 何もかもが新鮮じゃないか! この世界は素晴らしい!

「こいし、食事はどうするつもりなのかしら?」

 けどまあ、そんな心の内での盛り上がりも、話しかけられればすぐにしぼむ。私は切り替えが早いのだ。
 それに、感動でお腹が膨れたりはしない。そんなもので満たされるのは脳味噌くらいなものだ。

「手で食べるよ?」

 トーストはもともと手で掴んで食べるものだ。他は、まあ適当に頑張る。とにかく、スプーンもフォークも使えないなら、この手を使うしかない。
 小さくても、きっと何かを掴めるこの手を。

「そう? じゃあ、トースト、小さく切ってあげましょうか?」
「いや、このまま頑張る! 頑張りたい! だって、こんな巨大なトースト、中々見れないよ!」

 なんかよくわかんないけど、ハイテンションで言うべきだと思った。けど、間違ってはないはず。

「わ、わかったわ。でも、無理して全部食べる必要はないわよ」
「うん、わかってる」

 もともとそんなに食べる方じゃないから、自分の体積以上の物を食べられない方が当たり前だ。全部食べようだなんて無謀な事を思いやしない。
 いつだってほどほどにね、っと。





「ごちそうさま」

 思った通りほとんど食べられなかった。お姉ちゃんたちから見たらほんの端っこが無くなったくらいにしか見えないと思う。
 でも、お腹一杯。満足満足。

「こいし様ー、食べないなら貰ってもいいですか?」

 神様の力とやらを手に入れてから食いしん坊になったお空が、物欲しそうな顔でこっちを見てる。
 ふふー、どうしようかなー、とか意地悪な事は言わない。

「うん、どうぞどうぞ」
「やった! ありがとうございます!」

 分かりやすいぐらいに喜んで、食器を自分の方へと引き寄せて行く。真っ黒な翼がバサバサと揺れて、お燐に当たってる。

「お空、嬉しいのは分かるけど、落ち着きなよ。羽が当たってるって」
「あ、ごめん」

 お燐の言葉に素直に従って、翼の動きを止める。でも、よっぽど嬉しいらしくて笑顔が零れてきている。

「えへへー」
「お空、嬉しそうだねぇ」
「うん、だって、さとり様の料理がいっぱい食べられるから!」

 そうして、本当に幸せそうな表情を浮かべて食べ始める。
 お空は、反応が大げさな上にかなり素直だから見ていて面白い。

「わぷっ」

 突然、何の前触れもなく湿った布で口許を塞がれた。ぐにぐにぐに、と口許を拭った後、それは離れた。
 犯人は、分かってる。

「お姉ちゃん、いきなり何するの!」

 振り返って不届き物へとそう言ってやる。何の許可もなく口を塞がれて怒り心頭である。

「ごめんなさい。でも、何度呼んでも反応しない貴女も悪いのよ?」
「あれ? 呼んでたんだ?」

 全然気付かなかった。嬉しそうにするお空に見惚れてたせいだ。全部、可愛い反応をするお空が悪い。そういう事にした。

「ええ、何度もね。はい、手も拭いておきなさい」
「はーい」

 湿ったタオルを差し出されたから、トーストやら目玉焼きやらを掴んで汚れた手を拭く。ふきふきふき、で綺麗になる。
 ちなみに、スープは直接口を付けて飲んだ。それ以外の方法は思いつかなかった。

 さて、と。
 お腹も満たした事だし出発しましょうか。まともな服を手に入れに。

「じゃあ、お姉ちゃん、行ってくるね」
「ちょっと待ちなさい。何処に行くつもりよ」

 いつものようにちゃんと声を掛けてから出かけようとしたのに呼び止められた。普段は何処に行くか、なんて聞かないのに。
 まあ、私が小さくなってしまってる時点で普段なんてものは崩壊してるけど。

「今の私に丁度いい服を作ってくれそうな人の所に」

 お姉ちゃんってアリスのこと知ってたかなぁ?、と悩んだ結果、ぼやかすような言い方に。
 けど、前に霊夢や魔理沙がうちに突入してきた時は、魔理沙がアリスの人形を連れていた。だから、魔理沙の連れていた人形の持ち主、って言った方が良かったかもしれない。あれが借り物だった、っていうのは知ってるみたいだし。
 まあ、言ってしまったものはしょうがないし、言い直すのも面倒くさい。

「不安だから、私も付いていくわ」
「いやいや、いいよ。一人で大丈夫だよ」

 どうせなら、一人で行ってついでに冒険気分も味わいたかった。こんな体験、まず出来ないだろうから。

 そう思いながら玄関を目指す。お姉ちゃんも後ろに付いてくる。
 むー、一人で行きたいのに。
 まあ、どこかで適当に引き離そう。無意識の力と併せればそう難しい事じゃない。

 けど、目の前に私の行く手を遮るものが現れる。
 それは、巨大な木の板。一部分に金属の取っ手が付いている。おそらく、うちにある扉では最大の大きさを持つ玄関扉だ。
 普段でも少し重いと感じるくらい、無駄に豪奢な扉。それを今の状態の私が開けられるだろうか。いやいや、無理に決まっている。自室の扉でさえ全く動かすことができなかったのだから。

「ふっふっふ、どうやら、お困りのようね」

 背後からそんな気取った笑い声が聞こえてきた。あんまり似合ってない。

「お姉ちゃんがおかしくなった」

 普段はこんな人じゃないのに、と内心嘆いていると、バツが悪そうな表情を浮かべてわざとらしく咳払いをする。これぐらいで仕切り直すくらいなら、最初っからやらなければいいのに。
 私なら最後までやり通すか、仕切り直さずそのまま突き進む。時の流れは止まりもせず、戻りもしないのだ。

「と、とにかく! 身体が小さくなったのなら、苦労する事もたくさんあるはずよ。貴女の力があれば外では何とかなると思うけれど、こういった建造物の中ではどうしようもないでしょう? 今みたいに、扉の前で立ち往生するような事がきっとあるはずだわ」

 ふむ、言われてみれば確かにそうだ。今の状態でアリスの所まで行って、私のノックの音に気付いてくれるかさえも怪しい。
 それほどまでに、私の小さな手は無力なのだ。

「しょうがない。じゃあ、付いてきてもいいよ」
「ええ、ありがと。こいし」

 そんなわけで、お姉ちゃんと一緒に地上に向かう事になった。
 確か、一緒に地底から出るのは初めてだったかな?





「ねえ、こいし。小さくなった原因に何か心当たりはないかしら?」

 地上へと出た頃、そんな事を聞いてきた。旧地獄街道は騒がしすぎてあまり落ち着いて話が出来ないのだ。そして、旧地獄街道を抜ければ真っ直ぐな縦穴が続いていて、これまた油断していると出っ張った石に頭をぶつけたりする。
 そういわけで、今更のように話しかけてきたのだろう。

「心当たり? うーん」

 腕を組んで考え込む。記憶を呼び覚ましてみる。
 心当たりなんていくらでもあった。私の行動範囲を舐めないでほしい。

「魔理沙の研究を横で見てた事とか、パチュリーが何かの魔法の詠唱をしてる所の横を通ったりだとか、てゐに何かの飲み物を勧められた事とか――」

 適当に思い浮かんだ物から挙げて行く。正直言って、きりがなかった。
 それでも、頑張って思い出せる限りのことを話した。明らかに関係なさそうなことも多数混じってた気もするけど。

「……多いわね」

 お姉ちゃんが真横で呆れたように言う。関係ないことも混じってることに気付いてるのかはわからない。

 ちなみに、私は今お姉ちゃんの肩に乗っている。自分で飛ぶ必要がないから、らくちんらくちん。冒険心なんてものは、楽が近くにある事で何処かへ沈んでいってしまった。
 彼は基本的に怠惰な性格なのだ。情けない。

「もしかして、全部回るつもり?」
「原因が見つかるまで、虱潰しにしていく必要はあるわね」
「じゃあ、私も付いてくよ」

 今の状態で色んな場所を回れる、っていうのは面白そうだ。朝食の時みたいに新鮮な気分を味わえるかもしれない。

「付いてくる必要があるのよ。だから、もしどこかで貴女が飽きたとしても、無理やり連れて行くわよ」
「意地悪」
「意地悪じゃないわよ。貴女がいないと、原因が分かるものも分からなくなってしまうでしょう?」
「まあ、確かにそうだね」
「でしょう? だから、意地悪、だなんて言わないの」

 まだ角度のきつい陽を浴び、いつも通りの会話を繰り広げながらアリスの家を目指してく。

 小さくなっても、会話の内容は大きく変わらないもんなんだねぇ。ああ、小さくなってるんだから当たり前か。





 アリスの家に着いて早々、私は玄関の扉に殴りかかった。けど、大した音はせず、まるで小石がぶつかったかのような音しかしなかった。
 面白くともなんともない。ただただ手が痛い。
 お姉ちゃんのから呆れの視線をちょうだいしながら、自らの手を労わる。
 扉のノックはお姉ちゃんが代わりにしてくれることになった。

 こんこん、としっかりとした音が鳴る。これなら、中で騒いでたりとか、何かに集中してたりだとかしない限り反応が返ってくるはずだ。

 それほど待たされることもなく扉がゆっくりと開いて、アリスの人形が顔を覗かせる。確か、上海、とかいう名前だったはず。
 上海も例に漏れず巨大化してた。私の二倍か三倍くらいは身長がある。
 お姉ちゃんは、その人形を見て驚いていた。けど、すぐにここが魔理沙に人形を貸した人の家だと気付いたようだ。驚きは得心へと変わった。

「はいはい、どちら様ですか……って、これはまた珍しいのが来たわね。しかも、片方はちっちゃくなってるし」

 続いて出てきたアリスに物珍しそうな視線を向けられた。私とお姉ちゃん、同じくらいの割合で。

「アリス! 早速で悪いけど、私の服、作ってくれないかな」

 切ったタオルを巻いただけ、というひどい格好を見せつけるようにアリスの視界の中に入る。

「私からも、どうかよろしくお願いします」

 私が頼むと、お姉ちゃんは頭を下げた。外だとかなり礼儀正しいんだよね。

「別に作ってもいいけど、無償で、とはいかないわよ。服を作る材料だってタダじゃないんだから」
「では、地底の鬼たちのお酒でどうでしょうか」

 最初から何を渡すのか決めてたかのように即答だった。もしかしたらだけど、アリスの頭の中にお酒でもちらついてたのかもしれない。
 まあ、心の読めない私には永遠の謎であり、どっちでもよかった。

「二本ね」

 笑顔で指を二本立てた。アリス、結構がめついらしい。

「……わかりました」
「ふふ、商談成立」

 お姉ちゃんが敗北者のため息を漏らし、アリスが勝者の笑みをこぼす。明日から、食事が質素にならないことだけを祈ろう。
 まあ、その場合は外を適当にうろついて、食べ物を分けてもらうけど。

「じゃあ、二人とも入ってちょうだい。上海は、さとりに紅茶を淹れてあげて」

 アリスに促されて、家の中へと入る。
 玄関から直接繋がる居間は綺麗に整頓されていて、外から射す光が部屋の中央にある木のテーブルを明るく照らしている。アリスが何か手を加えているのか、アリスの家の周りには全然木が生えていないのだ。
 それから、何といってもアリスの家の特徴は棚に並べられた大量の人形たち。同じ姿の人形がある中、何体かは特徴的な姿をしている。例えば、蓬莱とか和蘭とか。

「さとりは、まあ、ゆっくり座って待っててちょうだい。で、こいしは、今からサイズを測るからこっちに来てちょうだい」

 人形の方へと向かおうとしてたら、私の身を守ったり隠したりするタオルが掴まれた。

「ぬ、脱がされるっ?」
「脱がしはしないわよ。まあ、脱ぎたい、っていうんなら脱いでもいいけど」
「いや、やめとく」

 何度も言うけど、寒いのは嫌だし。

「そ。なら、もたもたしてないで早く付いてきなさい」
「はーい」

 そんなわけで、作業場へと向かうアリスに付いて行った。





「私は、アリスに嘘をつかれました。
 それはもう、大きな嘘です。
 彼女は、確かに脱がしはしない、と言ったはずです。私は、彼女のことを信頼していたのです。
 なのに! アリスは、サイズが測りにくい、という理由で私の纏うタオルを剥いたのです!
 そして、私の柔肌へとメジャーを当てサイズを測ったのです!
 これはもはや裏切り! 許すまじ行為です!
 さあ、お姉ちゃんも立ち上がって!」
「こいし、少し落ち着きなさい」
「うん」

 そんなわけで、お姉ちゃんの正面に座る。タオルはちゃんと巻き直してある。
 ちなみに、敬語を使ってるときの私はあんまり本気では発言してない。まあ、普段もそうだけど、少しくらいは本気で発言することもあるよ。

「……それで、今のは本当?」
「私の気持ち以外は全部本当」

 いきなりタオルを剥かれたのには驚いたけど、サイズを測る以外は特に何もしてなかったから、それほど気にしてはいない。言い換えれば、お姉ちゃんに報告する程度には気にしてる。

「同情してくれるの?」
「ええ。測りにくいのだとしても確認の一つくらいはするべきでしょう」
「いや、確認はされたよ? ただ、ふざけてたら剥かれた」
「……」

 ありゃ、呆れられた。

 ちなみに、アリスに脱げ、と言われたとき、私は、自分の身体を全力で抱きしめて、脱がせられるもんなら脱がしてみろ、と挑発した。
 その結果、見事なまでの手さばきで脱がされてしまったわけだ。かなり手慣れてた。

「それなら、貴女が悪いわね」
「うん、ごもっともで」

 そんなわけで、この話題は終了。
 紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせる。ティーカップは飾り用の小さい物を用意してくれたんだけど、やっぱりまだ大きい。両手で支えるくらいのサイズはある。
 それを考慮してか、少し冷めてた。それでも美味しいっていうのがすごいと思う。

 時間をかけて紅茶を飲み終える。けど、アリスはまだ戻ってこない。
 服を作り終えるまで暇だから、私は家の中でも探検してみることにする。

 まずは、棚に納められた人形に近づいてみる。
 やっぱりでかい。限界まで首を曲げないとその顔を拝むことは出来ない。
 今、その人形は目を閉じている。お腹や手のひらを触ってみるけど、返ってくるのは硬質な触感だけで、反応は返ってこない。
 面白くないから別の場所に行く。

 お次は何やら作業をしているらしい人形の後に付いて飛んでみる。
 あっちに飛んでー。こっちに飛んでー。部屋の中を右往左往縦横無尽。一つ言葉の意味が間違ってるけど気にしない。ニュアンスニュアンス。
 そうやって、アヒルの子供みたいに後ろを付いて飛んでいると、いつの間にやらニ体の人形と協力して箒を動かして部屋の掃除をしていた。
 おや。無意識がまたやらかしてしまったようだ。

 けど、時間つぶしには最適だと思い、続行。ただまあ、ちっちゃくて非力な私は単なる足手まといにしかなっていないような気がする。
 けど、人形たちは私のことを鬱陶しく思うことはない。だって、この子たちには心がない。私の力がそう告げている。
 でも、上海とか蓬莱とかアリスがよく連れてる子たちにはそれっぽい物がうっすらとだけど見えるんだよねぇ。
 まあ、不確定な物だから誰かに伝えるなんてことはしないけど。

 そうやって、考え事をしながら家事を手伝ったり手伝わなかったりしていたら、アリスが服を完成させたらしい。人形を引きつけれて居間へと入ってくる。
 おお! 早い!

「大急ぎで作ったからデザインはあまり凝れなかったけど、着るには問題ないわ」

 差し出されたのは、折り畳まれた洋服と下着だった。
 早速着替えよう、ということでタオルを脱ぎ捨てる。恥はすでに沈めてある。捨ててはいない。

「貴女、さっきもそうだったけど、全く恥じらい、ってものがないわね」
「うん、羞恥心は無意識の底に沈ませてあるからね。あ、でも、服を着た後は通常営業に戻すよ」

 そう言いながら、ドロワーズに足を通す。驚くほどにちょうどいい。
 白いインナーのトップも問題なく着れた。
 ちなみに、第三の目から伸びるコードは、第三の目が読み取った無意識やらが可視化したもので、実体があるわけじゃない。だから、着替えに支障が出てくることはない。

 そして、最後にメインの洋服。
 とりあえず、着る前に広げて、どんな服なのかを見てみる。
 それは青色のワンピースだった。デザインを凝れなかったという割には、袖やスカートの裾の部分に藍色のフリルが付いてる。
 ふりふりフリル、ふりフリル。

 文句なしなので頭を通し、袖に腕を通す。

「どうかしら?」

 着心地は問題なかった。私のためだけに作られた、と言った具合にフィットする。流石、全裸にされてまでサイズを測られただけのことはある。

 けどまあ、アリスが聞きたいのはそう言うことだけじゃないだろう。だって、私の方へと鏡を向けていたから。
 手鏡なのに、姿見以上の大きさがある。こんなにも大きな鏡を見たのは初めてだ。

 まあ、そんなことは置いといて。

 鏡の向こうにいたのは少しだけ大人っぽく見える私だった。洋服のシンプルな作りがそう見せてるのかもしれない。
 ちょっと大人っぽい私を見れたのが嬉しくて、その場でくるりと一回転。ふわりと舞ったスカートの裾が少し私を子供っぽく見せた。
 何とも儚い大人な私。

「ありがと、アリス。これ、気に入ったよ」
「どういたしまして。気に入ったのなら、元の大きさに戻ったときにまた作ってあげるわよ」
「うん、その時はよろしくね」

 私が頷くと、アリスはお姉ちゃんの方へと向いた。何か要求するつもりなのかな?

「……わかりました。それくらいなら、いいでしょう」

 どんな要求を出されたのかはわからないけど、お姉ちゃんは渋々頷いたのだった。





 アリスの家を後にした私たちは、まず永遠亭へと向かうことにした。いくつか候補を挙げ、アリスの意見を採り入れた結果だった。
 一番怪しい、と。

「ねえ、こいし。永遠亭とやらにはいつ着くのかしら?」

 竹林の中。私が前を飛んで、お姉ちゃんが後ろに着いてくる。

「さあ? 運が良ければすぐに着くだろうし、運が悪いと逆に出れなくなるかもしれないね」

 迷いの竹林、だなんて呼ばれてるくらいだから正規の道が分からなければそんなものだろう。私の無意識が正解を選び取ってくれることを願うばかりだ。誰かがいる方に行きたがる傾向があるから、結構当てにはできる。

「え……?」

 後ろから聞こえてた足音が止まる。置いてくわけにもいかないから、振り返ってお姉ちゃんの顔を見る。
 その顔は、不安に染まっていた。

「そんな顔しなくても大丈夫だよ。私の帰巣本能は誰にも負けないから。お姉ちゃんが私からはぐれさえしなければ、家には帰れるよ」
「……そう。それなら、しっかりと貴女に着いていくことにするわ。改めて、案内、よろしくね」
「はいはい、おまかせください、っと」

 そんなわけで、移動再開。何処に行けばいいかは分かってるけど、どう行けばいいか分からないから、道の選択はとっても適当。
 確実なのは、竹林から出ることはないってこと。

 あー、誰か永遠亭の関係者とかいないかなぁ。そうすれば簡単に辿り着けるのに。
 適当に道を選びながら進んでいくのも面倒くさくなって、きょろきょろと辺りを見回しながら進む。

 と、竹林の中に白い毛玉を見つけた。

 確かあれは、永遠亭で飼われてる兎だ。あの子なら、どうすれば永遠亭に辿り着けるか知ってるはず。
 もしも、迷子だったらどうしようもないけど。

「おーい!」

 すいーっ、と一直線に兎の前に降りる。素足が土を踏む。
 靴も用意してもらっとけばよかった、と今更ながらに思う。まあ、これくらいなら気にしなければいいか。

 いつもなら、しゃがんでも私より小さい位の兎が、今日は立ったままでも見上げなければいけなくなっていた。口を開けば頭からぱくりといかれそうだ。

「なにー?」

 永遠亭に住む兎は、見かけは普通の兎とさほど変わらないけど、言葉を理解できたり喋れたりと知性は結構高い。
 既に妖怪化が進んでるんだろう。ゆくゆくは人型化するのかな? てゐとか鈴仙みたいに。

「永遠亭まで案内してもらいたいんだけど、いいかな」
「いいよー」
「ん、ありがとう」

 頭を撫でようと思ったけど、どうしようもない身長差により額にまでしか手が届かなかった。
 というか、思ってた以上に手が毛の中に沈んでびっくりした。全力で抱きついたら毛の中に埋もれられるんじゃないだろうか、って思ったくらい。
 まあ、そんなことはないんだろうけど。
 でも、埋もれたら埋もれたで面白そうだとは思う。

「ついてきてー」

 ぴょーん、ぴょーんと跳ねながら進んでく。私の身長の何倍も高く飛んでるから、もし間違って踏まれたら大変なことになりそうだ。
 だから、気を付けて行こう。痛いのは嫌だし。

「ささ、お姉ちゃん、あの子に付いてくよ」
「あの子、貴女の知り合い?」

 今まで無言で私たちのやりとりを見ていたお姉ちゃんの第一声はそれだった。わざわざ聞いてくるって事は、あの子の頭の中に私はいなかった、という事だ。

「さあ、どうなんだろ」

 永遠亭にはたくさん兎がいるし、私はそれらの区別なんてできない。だから、もしかしたら一度は会ったことのある子かもしれないし、今日が初対面の子かもしれない。
 けど、私にとってもあの子にとっても、そんなことは些細なことでしかないのだ。
 私もあの子も、自分の動きたいように動ければそれでいいのだから。

 ぴょんぴょこぴょこぴょこ、兎は跳ねる。





「ありがとう」
「ありがとうございます」

 私は、もう一度額を撫でてあげて、お姉ちゃんは頭を下げた。

「どういたしましてー」

 そうして兎はぴょんぴょこ跳ねる。また、どこかに遊びに行くのかもしれない。

 さて、私たちは悪の総本山である永遠亭へと辿り着いた。今から、内部へと侵入し、敵の頭を叩かなければいけない……ということでは決してない。
 ただ、ここに私がこうなってしまった元凶がいるかもしれない、というのは確かだ。気を引き締める必要はなさそうだけど。

「ここが永遠亭?」
「そうそう。これだけ豪華な日本家屋もなかなか見られないよね」

 まるで、貴族の住む屋敷のような造りだ。大昔には、都の方に行けばこういう造りの家も珍しくなかったよねぇ。第三の目のせいで昼間に見るようなことはできなかったんだけど。

 木造りの引き戸を前にしてそんな風に懐古する。苦い思いでばっかりだけど、景色だけを切り出してみれば案外そうでもなかったんじゃないだろうか、って思う。単なる逃避でしかないけど。

「ささ、お姉ちゃん、ノックをお願い」

 今日に限って思い出したくない記憶が甦ってきたから、振り払うためにそうお願いする。
 お姉ちゃんは私の言葉に逆らうことなく従順に引き戸を叩いてくれた。
 お姉ちゃんが私のペットと化する日もそう遠くない……。いや、そんな願望持ってないけどさ。

「はーい、どういったご用件でしょうか」

 程なくして、慌ただしい足音ともに鈴仙が出てきた。今日も代わり映えなく白く長い耳は垂れ下がっている。

「こんにちは。この子が小さくなってしまったので、その原因を探しているところなんです。こう言うのも心苦しいのですが、もしかしたら、そちらが関係してるのではないか、と思い訪ねてきたのです」

 お姉ちゃんが他人行儀な堅っ苦しい口調でそう言う。もうちょっと砕けた口調でもいいと思うんだけど、生真面目なお姉ちゃんには難しいのかもしれない。

 鈴仙はお姉ちゃんの言葉を聞いて、私の方を見る。一瞬驚いたように目を見開いたかと思うと、しゃがみ込んで私と目線を合わせようとしてきた。

「……こいし?」
「やっほ、鈴仙。また来ちゃった」

 片手を上げて挨拶。

「えー、ちょっと待って。聞きたいこと整理するから」

 私の動きを制するように右手の平をこちらに向けて、左人差し指をこめかみの辺りに当てる。そして、うんうん、と唸りながら、何かを考え始める。
 その間、私はとてつもなく暇。それに、私は待つ、だなんて一言も言ってない。
 だから、不満やらを込めてえいやと垂れ下がった耳を引っ張ったのは不可抗力である。
 お客様を放って考え事をするなんで言語道断だと思う。

「って、こらー! 引っ張るんじゃないわよ!」

 鈴仙が怒ったけど、私だって怒りたい。

「じゃあ、人の前で考え込まないでよ」

 ぶらぶらとぶら下がったまま、口を尖らせて鈴仙の顔を見る。

「待ってって言ったじゃない!」
「いいよ、って言ってない」
「……あ、確かにそうね」

 はい、呆気なく陥落、と。鈴仙は純粋すぎるのか、かなり他人に流されやすい。
 だからこそ、永遠亭の中でいじられてるんだろうけど。

 そんなことを思いながら耳から手を離して、地面に着地。

「で、聞きたいことは? 待つのが面倒くさいからお早めに」
「えっと、じゃあ、あの人は?」

 指さしたのは私の背後。それを追いかけてみると、視界に入ってきたのはお姉ちゃんだった。背後霊とか守護霊とかを指さしてるってことはないと思う。紹介してくれ、と言われたところで私には全く見えやしないし。

「私のお姉ちゃん。名前はさとり」

 私がそう言うと、お姉ちゃんは頭を下げて「よろしくおねがいします」と言った。鈴仙も自分の名前を告げて、「おねがいします」と返す。
 初めて聞いたときも思ったけど、鈴仙の名前って無駄に長いと思う。

「それで、他には?」
「なんでちっちゃく? というか、何を思ってここに?」
「昨日、てゐに渡された飲み物が原因じゃないかな、と思って」
「……貴女、よくてゐに渡された物を飲めるわね」

 物凄く呆れられた。でも、鈴仙に言われるとなんだか悔しい。

「喉の渇きに抗えなかったからね」

 生き物は水を飲まないと死んじゃうんだよ。
 まあ、好奇心が疼いた、ってのもあるんだけど。ほんのり甘くて、飲みやすかった。

「……わかったわ。師匠を呼んでくるから、診察室で待っててちょうだい。ただし、器具とか書類とかには勝手に触るんじゃないわよ」
「はいはーい」
「……ほんとにわかってるのかしら」

 心外なことに信頼されてなかった。でも、何を言われようとも触ろう、と思ってたから信頼しないのは正しい。私としては迷惑なだけだけど。
 せっかく小さくなったのに、色々してみないなんてもったいない。

「大丈夫ですよ。その子が何かやらかしそうになったら私が止めますので」
「そうですか? では、さとりさん、おねがいします」

 鈴仙は頭を下げてそう言うと、屋敷の中へと戻っていった。戸は私たちの為にか開けっ放しである。

 お姉ちゃんと鈴仙が結託してしまった。私一人で勝てるだろうか。
 不安だから、私も誰か仲間を見つけてこようか。そう思った。だけど、その前にお姉ちゃんに捕まってしまう。片手で軽くだけど握られている。
 逃げられそうにはない。
 無念。

「お姉ちゃん、何するの」
「貴女が何かしでかす前に止めておこうと思ったのよ」
「む、こんなことするんなら、診察室の場所、教えないよ」
「ええ、別にいいわよ。ほら」

 お姉ちゃんが私の顔を身体ごと玄関へと向ける。視線の先には『診察室』と書かれた小さな木の板と引き戸とがあった。
 おっと、これは盲点だった。縁側の方から出入りしてたから正面がどうなってるのか知らなかった。
 まさか、こんなことになってるとは。

 そして、無情にも私はお姉ちゃんに掴まれたまま、診察室へと連れて行かれるのだった。
 私が反撃できるのはいつになるのか。反撃するとして、どんなことをするのか。実行する気もないのに、そんなことを考えてみる。
 どうせ、永琳が来るまで暇になるんだろうし。





「待たせたわね」

 反撃するなら噛みつくのが一番確実だろうな、と結論が出てきたところで、部屋の中に永琳と鈴仙が入ってきた。

 お姉ちゃんが座っている椅子の正面にある椅子に永琳が腰掛ける。
 ここにある椅子はくるくる回るのが面白いんだけど、今の私じゃ回せはしないし、お姉ちゃんがそんなことをするとは思えない。というか、私、未だにお姉ちゃんに掴まれたまんま。
 永琳の座っている側には、普段見ることのできない医療器具がいっぱいあるのに……っ!

「それで、てゐに渡された物を飲んだ、と聞いたのだけれど、どんなものだったか覚えてるかしら?」

 宝の山、もしくは遊具の楽園を前にして無力感を味わっているとそう聞かれた。
 暇つぶし終了、ってことで無力感は投げ捨てる。こんな物持ってても虚しいだけだし。

「入れ物がどんな物だったかは覚えてないけど、うすーい紫色の液体だったのは覚えてるよ」

 そう確か、ブドウのジュースみたいだなぁ、と思っていたはずだ。だからこそ、どんな味がするのか気になったのだ。

「ウドンゲ、薬品庫からA-12の薬を持ってきてちょうだい」
「A-12ですね! 分かりました! 少々お待ちを!」

 鈴仙が診察室から駆け出してく。忙しそうだなぁ、なんて他人事のように思う。
 本気で元に戻りたい、と思ってるわけじゃないんだから仕方ない。

「ウドンゲが戻ってくるまで、診察でもしておきましょうか。こいし、どこか調子の悪いところとかはないかしら?」
「身体の身動きが取れない」
「それは、貴女の姉に掴まれてるからね。それ以外は?」

 返ってきたのは何番煎じか分からないお茶のような反応だった。
 やっぱり手強い。ため息でもいいから反応してほしいところだ。

「後は、内なる好奇心がその辺の器具を触りたい、って叫んでるけど、悪いところはないよ」
「そう、ならよかったわ」

 薬を作った張本人してはかなり落ち着いた反応だった。いや、作った本人だからこそ、かな。
 相当自分の作る薬に自信を持ってるんだと思う。さっきのは一応、という形で確認しただけなんだろう。いつどんなときに、予想外が起こるかなんてのはわからないから。
 というか、永琳の中では私がてゐに小さくなる薬を飲まされた、ってことで確定してるんだろうか。

「さとり、と言ったかしら? 貴女もそんなに心配しなくてもいいわよ。貴女の妹さんは私が絶対に治すから」
「……そんなに顔に出てますか?」
「ええ、覚り妖怪でなくとも心情がありありと伝わってくるほどには」
「そう、ですか」

 お姉ちゃんは恥ずかしそうに顔を伏せてしまった。いやいや、そういう顔をこっちに向けないでほしい。どうすればいいか分からなくなる。
 だから、すぐに顔を逸らして開けっ放しの戸の方へと視線を向けた。早く鈴仙戻ってきてくれないかな、と思いながら。

 と、ちょうどよく、出て行ったときと同じように駆け足で戻ってきた。その手には空っぽのガラス瓶が握られている。

「師匠! 見事空っぽになってました!」
「ありがとう、ウドンゲ。こいし、この瓶に見覚えはないかしら?」

 鈴仙から空の瓶を受け取って私へと見せてきた。私は、じっとその瓶を見てみる。
 口の広い瓶で、口の部分には大きなコルクがはめられている。薬瓶、と言えば大抵の人がこういったものを想像するのではないだろうか。

 こうして眺めてみれば、確かにてゐに渡された瓶はこんな感じの物だった気がする。

「うん、見たことあると思うよ」
「なら、これで原因は私の作った薬だと考えても良さそうね」

 そう言って、永琳がしばし考え込む。けど、鈴仙ほどこちらを待たせることなく口を開いてくれる。
 さすがお師匠様。弟子とは比べものにならないくらいの頭の回転の速さ。鈴仙にも早いところ見習ってほしいものだ。

「解除薬を作るのに三日ほどかかるから、三日後取りに来てちょうだい。竹林の前にウドンゲを待たせておくから。それで、代金の話だけれど――」

 そう言うと、視線はお姉ちゃんの方へと向く。私にお金やら報酬やらの話を持ちかけられても困るから、永琳の選択は正しい。私はお姉ちゃんに頼って生活してるから無一文なのだ。お財布なんて持ったことない。木の葉なら時々くるくる回してるけど。

「――今回は、特別タダでいいわ。もともと、こちらの身内が悪いわけだから」
「……そうですか、ありがとうございます」

 なんだろ、今の間。何か読んだのかな?

「さ、ウドンゲ、患者様のお帰りだから、竹林の外まで案内してあげなさい」
「はい、わかりました」

 そんなわけで、私たちは永遠亭を後にした。

 器具やらに触れなかったことが非常に心残りではあるけれど。





 行きとは違って、鈴仙の案内もあったことで意外とすんなりと外に出られた。
 鈴仙曰く、どの方角にどれだけ進めばいいかを覚えておけば迷うことなく行き来できるそうだ。あの竹林の視覚トリックはどうするのか、って問題もあるけど、私には関係ないことだ。無意識に進む方向が変わるのなら、そうならないようにすればいいだけだし。

 意外と汎用性のある私の力。
 最近は目を開いちゃってもいいかな、と思ってるけど、便利なこの力を手放したくないから保留中。

 今は関係ない話だけど。

 不意に風が吹いてきて、ぶるり、と身体を震わせる。
 行きに迷ったせいか予想以上に時間が過ぎていて、竹林を抜ける頃には夕方に。そして、地底への入り口近くの森に入る頃には夜になっていた。
 小さい身体は、すぐに熱を奪われる。ヤカンに入ったお湯はすぐに冷えることはないけど、コップに入ったお湯はすぐに冷えてしまうのと同じ。奪われると、簡単に補えることが出来ないのだ。
 お金だけでなく体温も貧しい。

「こいし、大丈夫?」
「大丈夫。まだ大丈夫」

 お姉ちゃんが心配してくれてるけど、ずっとお姉ちゃんに掴まれてた反動で今は自分で動きたい気分。だから、ふわりふわりとお姉ちゃんの前を飛ぶ。

「そう? でも、寒くなったらすぐに私が温めてあげるわよ」
「なんかそれ、えっちぃ」
「単に貴女の捉え方が悪いだけね。普通に考えれば、そのように思うことはないはずだわ」
「そう言いながらも、顔、赤くなってるよ」
「……貴女が余計な事を言うからよ」

 周りが薄暗くとも、色白だからすぐにわかってしまうのだ。白色パレットに付いた色はとてもよく目立つ。

「なんだかんだでお姉ちゃんって結構純情だよね」
「そういう貴女はもう少し節度をわきまえるべきだと思うわ」

 いつも通りの何も変わらない会話。ここで交わした会話で何かが変わる事なんてありはしない。
 だから、変化が訪れるとしたら、外から何か加えられることでしかあり得ないのだ。

 例えば、こんなふうに。

 いきなり、身体に強い力が加わり、腕の辺りに強い痛みを感じる。視界の中、景色が流れていく。お姉ちゃんはもう映っていない。

 何事かと思い、周囲を見渡すと普段私が飛ぶのよりも速く森の中を飛んでいることが分かる。けど、忙しなく変化していく景色の中変わらない物があった。
 それは、毛に覆われた大きな何か。たぶん、鳥類であることは間違いないけど、近すぎて何なのかはわからない。
 わかるのは、私が食料として認定されてしまった、ということ。このままでは美味しく頂かれてしまう。
 鶏肉は好きだけど、食べられるのは嫌。

 だから、身をよじって逃げみようとしてみる。だけど、そうする度に私を掴んでいる足に力が込められ、爪か何かが腕に食い込んでくる。
 指の先まで液体が伝っているのが分かる。私の生の証が流れ出ている。

 力でどうしようもないなら別の方法でどうにかするしかない。
 私は、痛みを無視して精神集中。そうして、自らを囲うように、私を捕らえる、なにものかを囲うように弾幕を並べる。
 上下左右四方八方余すところなく弾幕で覆う。逃げ場は一切ない。

 弾の一つ一つはいつもと同じ大きさに見える。と、いうことはいつもよりも小さい、ということか。
 でも、それで問題ない。今の私にとって重要なのは倒すことでも、当てることでもなく、ただ驚かせることだけなのだから。

 そして、私を掴んでいた鳥は驚きの声のようなものを上げる。足に込められていた力が解放される。
 同時に始まるフリーフォール。鳥が離れてく。
 どうやら、私を捕まえていたのはフクロウだったようだ。道理で、羽の音が聞こえなかったわけだ。道理で、爪が刺さるのではなく腕に食い込んでたわけだ。

 いやいや、こんなことをぼんやり考えてる暇なんてない。早くしないと全力で地面に体当たりをかましてしまう。
 そうなってしまっては、赤い薔薇が咲く。こいし薔薇とでも名付けようか。花言葉は無意識の恋、で。
 いやいやいや。

 そうやって、一人で脳内ノリ突っ込みをしながら、自らの力でふわりと宙に浮く。
 足が何かに触れた。冷や汗が流れる。
 下を見てみると足のつま先が地面に当たっていた。ぎりぎりセーフである。余計な事を考えてなかったらこんな事にはなってなかったんだろうけど。

 さてと、これからお姉ちゃんと合流し直さないと。
 一人で帰ることは出来る。だけど、きっと玄関に辿り着いても扉が開けられない、誰にも気付いてもらえない、で中に入れない。それに、お姉ちゃんを残して帰ったら、私を見付けるまで探し続けそうだ。
 流石にそれを可哀想だ、と思うくらいにはお姉ちゃんのことは考えてるよ? いくら自分勝手な私でもさ。

 私はお姉ちゃんを捜すべく、気配を完全に殺す。虫の息さえも残させない。
 流石に、夜の森の中を一人で、しかも血を流しながら移動するほどの無謀さは持ってない。お姉ちゃんから私を見付けられなくなるだろうけど、もともと私はちっちゃくなってしまってるんだから関係ないだろう。

 移動を開始する。
 それにしても、腕の傷が痛い。だから、痛みを意識しないようにして痛みを感じないようにする。本人が怪我を自覚しているのなら痛みなんてのは邪魔なだけだ。
 痛みの代わりに、ぽたぽたぽた、と腕を伝った血が指の先から落ちていっているのを感じる。この感覚も不快だから意識から消す。
 これで、私の腕は何も感じなくなった。快調快調。

 そんな腕を振りながら歩く。前にも後ろにも血が飛んで、あちらこちらに赤が付着する。私の縄張りが広がってく。

 ふと、何かの気配を感じ取る。くるりと振り返ってみると、そこには一匹の狼がいた。
 送り狼、迎え狼、一匹狼、はぐれ狼。さてと、彼はどれだろうか。
 まあ、どれにしろ、私を見つけ次第捕まえて首を引き裂いて内蔵を引きずり出すつもりなんだろうけど。そして気付けば私はあの子のお腹の中。
 ああ、怖い怖い。

 けど、どうせ見つけられやしないのだ。
 血の匂いで私のいる場所は分かるかもしれないけど、私の姿を知覚できなければ血の塊を見つけたのと何ら変わりはない。
 よって、私が襲われることはない。

 そう思って、私は視線を、進もうと思っていた方に戻す。
 そして、見付けた。草木をかき分けて森の奥の方へと入ってくるお姉ちゃんを。
 きょろきょろと辺りを見回しながら歩いてる。だけど、私にも狼にも気づいてないようだ。第三の目の有効範囲はどれくらいだったか。
 けど何にしろ、突然襲われてお姉ちゃんが反応できるか、っていう問題がある。飛ぶのは横じゃなくて上じゃないといけない。私たちはそんなに速く飛べないのだから。

 突然、狼が私の視界の中に映り込んだ。明らかにお姉ちゃんを狙っている!
 ああ! もう!

「お姉ちゃん! 危ない!」

 全力で叫んで、狼の私に対する無意識の優先度を最高位にまで釣り上げる。これで、よほどの強い意志が働かない限り狼は私を無視することは出来ない。
 そして、犬畜生にそんな強い意志があろうはずがない。どうだ! 妖怪を見習ってみろ!

 目論見通り、狼はお姉ちゃんへと向かっていた足を止め、私の方へと向く。私は正面から狼を睨み付けてやる。それだけじゃなくて、牽制するように周囲に弾幕を浮かべる。けど、どちらにしろどれだけ効果があるかなんて分かったもんじゃない。
 特に弾幕なんて頼りなさすぎる。少しくらいたじろいでくれればいいんだけどそんな様子は一切ない。

「お姉ちゃん! 早く逃げて!」

 驚いたまま足を止めてるお姉ちゃんへとそう言うけど、動こうとする気配はない。狼もまだ、私の方を向いている。

 さてと、絶体絶命の大ピンチである。
 こんな時でも焦らずマイペース。けど、だからといって妙案が降りてきたり、冷静な対処でどうにかなったりするわけじゃない。
 逃げすぎれば結局お姉ちゃんに被害が及ぶことになる、かといって襲われた場合に私が勝てる見込みなんて零に等しい。
 さてさてと、どうしたものかねぇ。

 襲う機会を窺うように狼はじりじり、と距離を詰めてきている。
 んん? どうやら、獲物、というよりは敵、として見られているようだ。慎重な動きからそう判断する。。
 なら、ということで、弾幕の範囲を広げてみる。こちらを大きく見せることで、少しくらいは襲うのを躊躇ってくれるだろう、という希望を抱いて。
 ついでに、さらに目力を込めて睨んでやる。私なんかの視線でどれくらい効果があるかなんて知らない。
 実は相手を石化させるなんていう素敵な効果があっちゃたりするかもしれない。万分の一にも億分の一にも満たない縋るだけ無意味な希望的観測だけど!

 お姉ちゃんはまだこちらを見ているままで、逃げようという素振りは一切ない。
 早く私を置いて逃げてくれれば私も逃げられるんだけどなぁ、と思っていると、

 風切り音が聞こえてきた。
 そして、いつの間にか地面に矢が突き立っている。
 どこから飛んできたものなのかは分からない。いや、周りを見てみれば、何処からでも飛んできていた。
 四方八方、私と狼とを射殺すかのようにむやみやたらに放たれている。
 けど、そのどれもが私にも狼にも当たらずただ地面に突き立つだけ。

 それでも、狼には効果があったようで、突然どこかへと駆け出していってしまった。
 どうだ! 私の勇姿に恐れを抱いたのか!、という訳ではなさそうだ。

「こいし! 大丈夫っ?」

 お姉ちゃんがこっちに向かってくると同時に矢の幻は消え去ってしまう。どうやら、さっきのは狼のトラウマを具現化したもののようだ。実際のトラウマよりも増幅されてるんだろうけど。

「大丈夫大丈夫、まだ襲われる前だったし」
「そうじゃなくて、腕! すごい血が流れてるじゃない!」

 おおっと。そういえば、怪我してるんだった。腕の感覚を全部意識から排除してたから忘れてた。
 怪我を自覚しても、忘れてしまえば意味ないね。痛いのも、血が流れてる感覚も嫌だからこのままにしとくけど。

「動くんだから大丈夫なんじゃないの?」

 そう言いながら曲げたり伸ばしたりしてみる。痛みを感じないから動かすのに支障はない。無理させてるせいか、余計に血が出てきてるけど。

「大丈夫じゃないわよ! 確か、近くに神社があったはずだから、そこに行くわよ!」

 おわっ! もしかして、私の意志って全然関係ないっ?
 私の同意もなく掴まれた!

 それから、腕で抱きかかえられてしまう。これ以上少しでも力を込められたら窒息死するか、圧死してしまいそうだ。

 だけどまあ、不安はなかった。
 不思議とね。





「霊夢さん! 夜分に失礼します!」

 お姉ちゃんは神社に着くなり母屋の方へと向かって行って、一切の躊躇なく閉じられた障子を開け放った。ちなみに、今お姉ちゃんが立ってるのは縁側。
 許可なく障子を開けたりしたけど、靴は律儀に脱いでる。

 ちゃぶ台に向かって畳の上に座っていた霊夢が、目をまん丸に見開いてこちらを見ている。驚いてる驚いてる。

「治療するための道具を貸してもらいますね!」

 そう言うなり、部屋へと入っていく。その歩みに迷いはなくて、一つの箪笥の前で立ち止まる。
 私を畳の上へと降ろすと、箪笥を開いて一つの箱を取り出した。多分、あれが救急箱なんだろう。外から見たら単なる木箱にしか見えないけど。

「ちょっと! 突然何なのよ!」

 今まで動きを止めてた霊夢が激昂する。だんっ!、と音を立てて立ち上がり、こっちを睨み付けている。
 とっても視線が鋭い。

「すいません。事情は後で説明しますので、先にこいしの怪我を治療させてください」

 霊夢の方へと頭を下げたお姉ちゃんは、返事も待たずに木箱を開けて必要な物を出していく。
 包帯、傷薬、消毒液、ガーゼ、ハサミ。

「こいし、動かないでちょうだいね」

 そう言って、ガーゼで腕に付いた血を拭き取っていく。腕の感覚は捨て去っているから分からないけど、きっと柔らかな手つきなのだろう。けど、それでいて迷いなく早い。
 それから、慣れた手つきで、ガーゼを傷に合わせて切り、傷薬を染み込ませ、包帯を巻いて、治療はあっけなく終わった。右腕も左腕も。
 私はただ、流れに身を任せている事しかできなかった。

 なんとなく、腕の感覚を意識してみる。
 相変わらずズキズキと痛むけど、包帯の締め付けが何だか温かく心地よかった。だからこのままにしておく。
 お姉ちゃんの温もりでも残ってたのかもしれない。

「さて、大人しく待っててあげたわよ。だから、どういうことか説明してもらおうかしら?」

 霊夢の静かな声。けど、そこに込められていたのは怒気。
 何となく事情を推し量って我慢はしてくれてたみたいだけど、余計な事を言ったら爆発してしまいそうだ。

 今回ばかりは、私は黙っておこう。
 触らぬ神に祟りなし。





「ふーん、そういうことがねぇ」

 足をぶらぶら。私じゃなくて、霊夢が。

 何故だかわからないけど、説明をしようとして霊夢に連れてこられたのは縁側だった。お姉ちゃんと霊夢が並んで腰掛けてる。
 私は、お姉ちゃんの柔らか温かい膝の上。ただ、お姉ちゃんが大きすぎるせいで、座り心地はあんまりよろしくない。
 なんでここまで、極端に小さくするんだか、と永琳へ抗議の電波を送り出す。届いたかどうかは知らない。

「あの、本当にすみませんでした」

 お姉ちゃんがしゅんとうなだれてしまう。お姉ちゃん曰く、私の怪我を見てからずっと周りが見えてなかったそうだ。霊夢の言葉に答えていたのもほとんど反射的だったとか。
 必死だったんだなぁ、と思うと同時に、心がこそばゆかった。

「まあ、後で勝手に使った分弁償してくれる、って言うんなら別に良いわよ」

 そう言って、霊夢はお茶を啜る。私たちの分はない。まあ、最初は尋問みたいな形だったから当たり前、といえば当たり前なのかもしれないけど。

「はい、ありがとうございます。では、これで私たちは帰りますね。本当、ご迷惑をおかけしました」

 私を抱いて立ち上がると、ぺこりと頭を下げた。

「あー、調子狂うからそういうのなしでいいから。ま、気を付けて帰んなさい。見送りはしないから」

 ひらひら、と適当に手を振る。自分勝手の塊みたいな存在ばっかりを相手にしてるから、お姉ちゃんみたいに真面目なのは苦手なのかもしれない。
 霊夢の口から初めて、気を付けて、なんて言葉を聞いてそんなことを思った。





「ねえ、お姉ちゃん。いつまでこうしてるつもり?」
「家に帰るまでよ」

 帰路。私はお姉ちゃんに両腕で抱きしめられていた。逃げ出せない程度に強く、けど、痛くない程度に優しく。
 ちなみに、腕は自由に動かせる状態になってる。そうじゃないと、今頃私は痛みに悶絶してるはずだ。痛みは非常に好ましくない。

「貴女を一人でふらふらとさせてたら、またさっきみたいなことがあるかもしれないでしょう?」

 まあ、確かにそうだ。狩りをする動物、っていうのは基本的に夜に活発になるのが多い。
 けど、

「私は自由の方が好き。何物にも縛られたくない」
「そう。だけど、今ばかりはそんな主張認められないわね」

 私を抱きしめる腕に少しばかり力が込められる。ぎゅむぅ、とでも言えば放してくれるだろうか。

「ふみゅぅ」

 けど、口から出たのは見当違いの声だった。潰れたのではなく空気が抜けてしまったような声。我ながら、なんとも間抜けだと思う。

「何よ、その声は」

 呆れを含みながらも、その声は笑っていた。まるで、今まで騒がしかったのに突然大人しくなった、猫を、犬を、その他諸々のペットたちを抱いた時みたいに。

「私の無意識が勝手に作り出した声だから、意味は私自身も分からないよ」

 そんなことを言うけど、ほんとは分かってる。
 まあ、その、なんだ。素直に認めるのが恥ずかしいというか、何というか、そんな感じ。

 一度姉離れをした私にとって、もう一度近づく、というのは何とも気恥ずかしい物なのだ。
 いやはや。

 まあ、心配するような様子が薄まったから、このままでいいかなぁ、なんて思うことにした。
 ゆりかごにもちょうど良さそうだし。





 そして、何と言うこともなく三日が過ぎた。
 何もなかった、というよりはお姉ちゃんの手際がよすぎて何も問題がなかったのだ。
 食事は私用にわざわざ小さい物を作ってくれた。布団も私の身体に合わせた物を作ってくれた。お風呂も小さめの湯呑みを探してきてくれて代用した。
 小動物の世話をしていて培ってきた知識がこんな形で役立つとは私もお姉ちゃんも思ってなかった。
 どんな知識も大切だ、ってことだね。

 ちなみに、ここ三日間お姉ちゃんは一度も私を外に連れ出してくれなかった。お姉ちゃんが出かける時以外はずっとお姉ちゃんに見張られてた。
 家族による陰湿ないじめである。私は有り余る体力と好奇心とを常に発散しなければ死んでしまうというのに。まあ、嘘だけど。
 けど、発散したい要求がある、というのは真実だ。だから今日、久しぶりに外に出て周りを見ずにはしゃぎすぎて、壁に激突したことは忘れてほしい。
 流石の私でもあれは恥ずかしい。

 まあ、そんな三日間を思い返しながら、着替えを終わらせた。久しぶりに被る黒帽子の重さが心地いい。
 くるりと回ってみる。身体に問題なし。腕の傷も、しっかりふさがった。
 足下にはさっきまで私が着てた服が落ちてる。手のひらの上に広げられるほどにちっちゃい。

 それにしても、世界ってこんなに狭かったんだねぇ。
 私のためだけにあてがわれた部屋で、そんなことを思う。
 少し飛べば天井に手が付きそうだし、少し走れば壁にぶつかりそうだ。小さかったあの頃を思い返して、ちょっぴり後悔。でも、お姉ちゃんのせいだと思い出して憤慨。
 いやいや、一人寂しくこんな事してる場合じゃない。

 自分一人では決して動かせなかった障子を今日は私一人の手で動かす。
 これで、明日からは無事お散歩再開だね、と思っていると、

「こいしっ!」

 一歩踏み出す前に突然、抱きつかれた。それも、遠慮も手加減も何もなくぎゅっと。

「さてと、結果も良好みたいだし私たちは席を外しておきましょうか」
「え? あ! はい、そうですね」

 お姉ちゃんの後ろにいた永琳と鈴仙が立ち去ってしまう。というか、鈴仙のどこか羨ましそうな表情は何だったんだろうか。

 あーいや、それよりも。

「お姉ちゃん、ちょっと、苦しいんだけど」

 もしかしてここで殺害するつもりか、と思ったけどそう言うわけではなさそうだ。簡単に私のことを放してくれた。
 元の身体に戻って初めてお姉ちゃんの顔を見る。少しだけ高い位置に私と同じくらいの大きさのその顔はある。あり得ないほどに遠いこともなく、どうしようもなく大きいこともない。

「ごめんなさい。嬉しすぎて、力を入れすぎてしまったわ」

 謝りながらも、申し訳ない、というよりは嬉しさの方が強く滲み出していた。

「泣いちゃうくらいに?」
「ええ」

 実際に、お姉ちゃんは目尻に涙を浮かべていた。私に関するときだけ感情的になるのはやめてほしい。
 さっきは、茶化すように言ったけど、実際の所かなり恥ずかしいのだから。まだ、裸を見られてる方が幾倍もましだ。

「えっと、ありがとう?」

 困った結果、口から出てきたのはそんな言葉だった。まあ、無意識が選んだ言葉だから、私の本音で間違いないんだろう。
 疑問系になってるのは私の意志がこれでいいのかと迷ってる証。

「どういたしまして、こいし」

 適当な言葉だったけど、返ってきたのは誠実な言葉と笑顔と抱擁で、

「ぎゅむぅ」

 私はいろんな物に押しつぶされた。
 身体は元の大きさに戻ったというのに。


Fin



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