鏡を見たら、猫耳やら猫尻尾やらが生えてた。
「……はいっ!?」
朝起きて、寝巻きから着替えようとしたときの出来事だった。
◆
とりあえず着替えたけど、どうしようか。
私は、姿見の前で立ち尽くす。
鏡の中には、昔よりも表情豊かになったと言われる私の顔。そこにある、翠色の瞳がこっちを見返してきている。
そして、相変わらず閉じたまんまの第三の目。
ここまでは、いつも通りの私だ。
とりあえず、視線を上へと向ける。
最初に映るのは少し癖のある水色の混じった銀髪。お姉ちゃんとお揃いの髪型。そして、もう少し視線を上げて映ったのは、髪と同じ色の猫耳。偽物とかじゃなくて、時々ぴくぴくと動いてることから本物だと思われる。
そして、視線を一気に下に向けると、猫の細い尻尾がスカートの中から垂れ下がってるのが見える。こっちも、時々揺れているのが見える。
最後に、自分と見詰め合って、うーん、と悩んでみる。
私の身に、何が起きたんだろうか。無意識に何かやらかしちゃったかな。寝たまま歩いてることがあるらしいし。
いやいや、それでも猫の尻尾や耳が生えてくる事態なんてそう起きない、はずだ。地上をうろうろとしていると、自分の常識になんだか自信が持てなくなってくる。
……まー、いいや。害があるわけでもないし、気にしないようにしよう、っと。
無意識に生きていると、考え方がアバウトになるのだ。
そういえば、触った感じはどうなんだろうか。着替えることを優先してたから、全然触ってない。
というわけで、姿見に映る自分の姿を見ながら、手を恐る恐る自分の猫耳へと伸ばしていく。
少し触れると、ぴくっ、と動いた。特に何かを感じることはない。
ならば、ということで、意を決して掴んでみた。そして、なぞるくらいにしておけばよかった、と後悔する。
掴んだ瞬間、悪寒に感覚が背筋を駆け抜け、全身に鳥肌が立った。同時に、私の意識と関係なく身体がぶるり、と震える。
咄嗟に手を離した。うん、耳を握られて嫌がる猫の気持ちがわかった。今度からはやめてあげよう。
そういえば、猫って耳の付け根を撫でられるのが好きなんだよね。
そんなことを思い出して、触れてみる。耳の周りをぐるり、と一周させてみる。
……んー、こそばゆい、っていうだけで何でこんなのが好きなのか良く分からなかった。
ふーむ……。
頭から手を離して、腕を組む。鏡の中の私が二割り増しくらい真面目な顔になる。もともと真面目な顔してないからそんなに変わんない。
こんな機会、滅多にないから、何か有効活用は出来ないかな、と考えてみる。戻れるのかどうかさえも分からないけど、何もしないまま戻ってしまうのは勿体ない。一つくらいは何かしたい。
とりあえず、思いついたのは、このままお姉ちゃんに会いに行って脅かす、ってこと。流石に、妹の身体に変化があれば、最近あんまり驚いてくれないお姉ちゃんも驚いてくれるだろう。
あんまり、今の姿である意味を感じないけど、気にしない。満足できなければ、また考え直せばいい。
耳や尻尾が消えてしまう前に実行しよう。今日の食事当番は、確かお燐だったからお姉ちゃんはまだ部屋にいるはずだ。
途中で他の誰かを驚かせてお姉ちゃんに気付かれたら台無しだ。だから、私は誰にも見付からないように無意識の力を使って、お姉ちゃんの部屋を目指した。
◆
「お姉ちゃん! おはよう!」
ノックもなしに部屋に入る。案の定お姉ちゃんは部屋にいた。着替えを済ませていて、椅子に座って本を読んでいた。
「おはよう。こいし。でも、部屋に入るときは……」
いつもの注意をしようとして、お姉ちゃんの言葉が止まる。代わりに、私の姿をじっ、と見ている。普段は眠そうな紫の瞳も見開かれてる。
うん、驚いてる驚いてる。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
内面では、笑いたいのを堪えながら、無表情のままそう聞く。ここで、私が大きな反応を見せないことで、お姉ちゃんにある程度の混乱を与えることが出来る。
「……こいし、あの、その、猫の耳が、尻尾が……、え?」
相当混乱してるみたいで、言葉が意味を成してない。本を机の上に置いて、立ち上がる。そして、私の方に近づこうか、近づくまいか悩んでるみたいだ。その上、手が無意味に宙を彷徨ってて、かなり面白い。
「……ぷっ。くっ、あはははははっ!」
ついに堪え切れなくて、私は大笑いしてしまう。そこまで取り乱すことないのに! 面白すぎるよ、お姉ちゃん。
あ、からかわれてた、って気付いたのかさっきまで見開かれてた目が、不機嫌そうに細められる。お姉ちゃん、何故か私の前だと不機嫌になりやすい。
「ご、ごめん、お姉ちゃん。お姉ちゃんって、最近あんまり驚かないから、つい驚かせてみたくなっちゃって」
必死で笑いを堪えながらそう弁解する。こんな私の様子を見て、更に不機嫌そうになる。
「……もう、朝からなんですか」
そして、溜め息をつくと、椅子に座り直した。半眼でこっちを見てくる。無表情よりも全然いい表情だと思う。
「それにしても、中々に出来のいいものね。本物かと思ってしまったわ」
「え? これ、本物だよ?」
ありゃ、お姉ちゃんはどうやら、私に生えたこの耳と尻尾を作り物だと思ってしまったようだ。幻覚を見た、って錯覚させるつもりだったんだけど、どうやら思い通りにはいかなかったようだ。
まあでも、よくよく考えてみれば、作り物だ、って考える方が自然か。本物の耳や尻尾が生えてくるなんて、普通はありえないことなんだし。
「え、っと、どういうことかしら? また、私をからかってるのかしら?」
「どういうこと、って言われてもなー。朝起きたら生えてた、それだけ、ってことなんだけど」
お姉ちゃん、最初よりも遥かに混乱してるみたいだ。ちゃんと意味のある言葉を口に出来てるみたいだけど、この状況に追いつけてない感じがする。
「本当?」
「うん、ほんと」
ここで、自分の意思で動かせたらそれが証明になるんだろうけど、生憎、どう動かせばいいのか分からない。私の意志と関係なく動いてるときもあるけど、多分、目の錯覚かも、と思われる。
「あの、触ってみてもいいかしら?」
ふむ、そっか、触らせてみる、っていう手があったか。自分でちょっと触っただけでも動いたんだから、お姉ちゃんが触っても動くはずだ。
「ああ、うん。どうぞどうぞ」
というわけで、お姉ちゃんの言葉に頷く。それと同時に立ち上がるお姉ちゃん。
ゆっくりとこっちに向かってくる。そろり、そろり、と一歩一歩がかなり慎重だ。まるで、猛獣を前にしたよう。
そういう姿を見せられると、こちらの悪戯心が刺激される。だから、次に私がとってしまった行動は、必然だったのだ。
「わっ!」
「――っ!」
私の突然の大声に驚いて、全身を震わせるお姉ちゃん。まるで猫みたい。猫になってるのは私なのに。
「お、脅かさないでください!」
「む、こっちの悪戯心をくすぐるようなことをするお姉ちゃんが悪いんだよ」
無意識の強い私は、自分を抑えられないのだ。だから、私悪くない。
「……はぁ」
自身を落ち着かせるように溜め息を吐くお姉ちゃん。決して、私の言動に呆れてるわけじゃないと思う。
それから、また私の方に近づいてくる。今度は、いつもよりも大またで。その上、じっとこっちを見てるから、ちょっと怖い。
だから、思わず身を引いてしまった。けど、お姉ちゃんは気付いてないみたいで、私の前に立つと、猫耳の方へと手を伸ばす。
そこに躊躇はない。迷ってたら、また私に驚かされると思ってるんだろうか。まあ、間違ってないけど。
「あ、動いたわね」
お姉ちゃんの手が触れる。少しこそばゆさを感じて、少し身を震わせる。
「本物、なのね」
「うん、本物だよ」
信じられない、といった表情を浮かべるお姉ちゃんへと頷き返す。
「……大丈夫なの? 何処か体調が悪かったりしてないかしら?」
「んー、大丈夫だよ。特に動くのに問題とかないし」
ほらほら、と無意味に両手を振って元気なのをアピール。こんなのでちゃんとアピール出来てるかどうかなんて謎だけど、ようは気持ちが大切なのだ。元気さが表に溢れ出してればそれでいいのだ。
「そう……。なら、一応は安心ね」
お姉ちゃんがほっ、と胸を撫で下ろす。
あんまり心配はして欲しくないんだけどなぁ。なんというかその、心がむず痒くなるからさ。
「それで、こいしはどうするつもりなの?」
「んー? 別にこのままでもいいかなー、って思うからこのままでいるつもりだよ。治せそうな人も何人か知ってるし、戻りたいときはその人たちに頼んでみるよ」
地上には色々といるのだ。変なのが。
「こいしがそう言うなら、貴女に任せるけど、おかしなことがあったらすぐに言うのよ」
「この状況自体がおかしなことだと思うけどね」
「まあ、確かにそうね」
余裕を取り戻してきたのか、お姉ちゃんは柔らかく微笑む。とりあえず、ここら辺でお姉ちゃんを驚かせるのはお終いか。
いつもみたいに、気配を消して、じゃなかったし、ちゃんと驚いてくれたから結構楽しかった。
でも、私はまだ満足できない。やっぱり、この姿だからこそ出来ることをやりたい。
うーん、どうしようかなぁ……。
「……あの、こいし。一つお願いがあるのだけれど、いいかしら?」
私が頭を悩ませていると、お姉ちゃんがおずおずとそんなことを口にした。なんだろ。
「貴女の、頭を撫でさせてくれないかしら」
「別にいいけど。どうしたの? いつもはそんなこと聞いてこないのに」
「いえ、いつもは、貴女が抱きついてきてから、撫でていたのでどうすればわからなくて……」
ああ、そういえばそっか。いつもは、私が抱きつきたいときに抱きついて、頭を撫でてもらってるんだった。ほとんど無意識の中で行ってる行為だから、言われるまで気付かなかった。
「じゃあ、はい、どうぞ。いつもと、変わんないと思うけど」
というわけで、私の方からお姉ちゃんへと抱きついた。お姉ちゃんの懐で目を閉じる。柔らかくて、暖かくて、一番安心できる場所。
「ありがとう、こいし」
いつものように、手のひらで優しく頭を撫でてくれる。けど、今日は耳があるから撫でにくいだろうな、って思ってたら――
「んっ……」
不意の心地よさに、そんな声を漏らしてしまう。指で耳の付け根の辺りを触れてるようだ。
「弱いのは猫と同じ場所みたいね」
ゆっくりと耳の周りをなぞられる。途切れることのない心地よさに、身体の力が徐々に抜けていく。
自分で触ったときはなんともなかったのに。これは、あれだろうか。自分で自分をくすぐったときはくすぐったくないのに、他人にくすぐられたときはくすぐったいのと同じなんだろうか。
「あの、お姉ちゃん――んあ……」
声を出そうと思っても、途中で遮られてしまう。もう身体にはほとんど力が入らなくてお姉ちゃんに支えてもらってるような形になっている。
「こいし? どうかした?」
お姉ちゃんは、明らかに今の状態を楽しんでる。うん、声で分かる。分かるけど、どうしようもない。
「んん……」
慣れない感覚に少しの抵抗感。でも、ずっと撫でられていく間に、そんな抵抗感も薄れていく。心地よさだけとなってくる。
「本当に猫みたいね」
ペットを甘やかしてるときみたいな声だった。けど、それ以上に柔らかさを含んでることにも気付く。相手が私、だからかな。
もうこのまま身を委ねてもいいかな、なんて思う。これは今の姿だからこそ味わえることだから、一応私の目的は達成することができた。
それに、慣れてくればこの心地よさも悪くない。お姉ちゃんの暖かさと相まって日向ぼっこをしているような感覚になる。
そして、次第にそれは眠気へと変わっていく。さっき起きたばかりなのに、既に抗えないほどとなっている。
二度寝するなんて何事か、とは思うけど私にはどうしようもないことだ。
だから、私は自らの意思で身体から力を抜いて、世界にたった一つだけの布団へと身体を預けた。
ずっと、こうしていたいな……。
意識が途切れる直前、そう、思ったのだった。
Fin
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