散歩に行く前に、庭を覗いてみようと思った。春も目前のこの時期になると次第に色づいてきていて、目を楽しませてくれる。
けど、庭の手入れをしている美鈴によると本格的に春がやってくると、もっともっと色とりどりの花に彩られるらしい。私が外に出るようになったのは本当に最近のことで、本でしか見たことのないそんな色鮮やかな風景が楽しみなのだ。だから、まだ少しだけ寒さを感じるけど、足繁く庭へと訪れている。
敷地の中でも特に色彩豊かとなるらしい裏庭は、陽の当たる南に面している。植物が成長するのに太陽光は必要不可欠なものなのだから、当然といえば当然だ。けど、吸血鬼である私にしてみれば陽の光は最悪の相手だ。
それでも、陽に当たってしまわないよう日傘の向きを気をつけながら、裏庭へと出る。とはいえ、当たった途端に灰に還るなんていうこともないから、気を使いすぎる必要もない。
ただその代わり、陽に当たりすぎたときの脱力感はものすごく不快だ。日影に逃げて、しばらくは動きたくなくなる。
何度か散歩に出かけて、ちょっと当たったくらいなら平気だったからと、好奇心に身を任せてしまったときの実体験だ。もう二度とあの感覚はごめんだった。
苦い思い出を噛みしめ、日傘を傾けながら庭の様子を見る。残念ながら、今日はまだ美鈴の言う色彩豊かな庭にはなっていない。慎ましく白色の小さな花といくつかの蕾が見えるだけだ。
けど、今日は少し珍しいものがあった。
美鈴が花壇の前で首を傾げている。何かあったんだろうか。
「美鈴」
「フランドールお嬢様? どうかなさいましたか?」
私が声をかけると、美鈴はこちらへと振り向いてくれた。私と話をするためか、いつもの真面目そうな表情となっている。さっきまであったはずの感情が全く見えないあたりから、美鈴の切り替えの早さが見えてくる。
「首を傾げてたから、どうかしたのかなって」
「大したことではないんですけどね。あのチューリップから何かの気配を感じるんですよ」
再び困惑の表情を浮かべた美鈴が指さした先には、何枚もの葉を上へ上へと伸ばそうと背伸びをするチューリップたち。全部が全部緑色の蕾をつけている。けれど、次第に白くなり、それからそれぞれの花の色に染まるらしい。
初めて見たときはなんなのかわからなかったけど、美鈴に教えてもらった。チューリップというものは、本の中、それも花を咲かせたものしか見たことがなかったのだ。
そんなことを思い返しながら、美鈴が指さした辺りを見てみる。見た目だけなら特におかしな点はない。少し離れた場所に咲いたものとも比べてみるけど、変わったところはない。
けど、少し意識を集中させてみると、確かに一本のチューリップから何かの気配を感じる。微弱ながらも魔力を感じるから、幻想寄りの何かがいるのだろう。
何がいるんだろうか。
切り開いてみたらわかるのかもしれない。だけど、そういう可哀想なことはしたくない。相手が無抵抗でその上、痛みを訴えないのだとしても決してそういうことはしてはいけない。
誰かを、何かを無意味に必要もなく傷つけるということは私にとって最大の恐怖であり、禁忌なのだ。
だけど、中身がどうなっているのか非常に気になる。
「……あ、そうだ。パチュリーに聞いてこようか?」
わからないことがあれば、知っていそうな誰かに聞いてみればいい。
この館の中なら、パチュリーが第一候補だろう。この館で一番いろいろなことを知っている。それに、もしパチュリーにわからなくても、知識の宝庫である図書館を探してみればいい。そこに、私たちの疑問に答えてくれる書物があるかもしれない。
「いいんですか? お散歩に行かれるのではないのですか?」
「私も気配の正体を知りたいんだ。それに、散歩はパチュリーから話を聞いた後でも行けるでしょ?」
「まあ、確かにそうですね。では、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「うん、任せて」
美鈴へと笑顔を向けて、そう答えた。
◆
本を光から守るために薄暗くなっている図書館。入り口から少し奥に進んだところにあるテーブルに、パチュリーはいつも座っている。周囲には今にも崩れてしまいそうなほどのたくさんの本を積み上げている。
「何かの気配がする花? ……ああ、多分あれね」
私が庭で見てきたものを簡単に説明をすると、パチュリーはすぐに見当を付けたようだ。パチュリーの頭の中で分厚い辞書が高速で捲られ、目当てのページが一瞬で開かれる様子がふと思い浮かぶ。
「あれって何?」
けど、あれと言われてわかるはずがない。あれがわからないからこそこうして聞いているのだ。
だから、当然のように私はそう尋ねた。
途中で私たちの会話に興味を持って近づいてきたこあも、私の言葉に追随するように何度か頷いている。
「今は秘密という事にしておくわ。楽しみを奪うなんて無粋な事はされたくないでしょう?」
けど、返ってきたのは意地悪そうな笑みだった。素直に教えてくれるつもりはないようだ。
パチュリーはいずれ答えがわかるときや、特に危険がないときは答えを教えてくれないことが多い。より印象づけるためだとか言っていた気がする。
私自身は、パチュリーのそのやり方に不満を抱くようなことはない。すぐに教えてくれないというだけで、事がすめば解説をしてくれるし、パチュリーの言うとおり、そうやって経験した後の方がすんなりと頭に入ってくるような気がする。
けど、こあはそのようには思っていないようだ。
「パチュリー様は相変わらず意地悪ですね。ちゃっちゃと答えを教えてくださればいいのに」
「はいはい。なら、蔵書の中にそれに関して書かれたものがあったはずだから、勝手に探しなさい。本の整理は後回しにしてもいいから」
「えー、面倒くさいから嫌ですよ」
「じゃあ、花が咲くまで待ってなさい」
「はーい」
不満を訴えながらも、最後には元気よく返事をする。
なんとなくだけど、こあはちょっとした反抗をすることで、パチュリーと話をする時間を少しでも話を長引かせようとしている気がする。最後の返事が元気なだけではなく、楽しそうだったからそう思う。
実のところ、真相がどうだとかは気にしてないんじゃないだろうか。
「おや? パチュリー様は謎の気配に興味がおありなのですか?」
こあとの会話が終わるやいなや、パチュリーは手に持っていた本をテーブルに置いて立ち上がった。椅子を引いたとき本が倒れないかとひやりとしたけど、そんなことを心配しているのは私だけだったようだ。パチュリーもこあも平然としている。
「ええ。滅多に見れるものじゃないのよ?」
いつもはどこか眠たげな表情をしているパチュリーの顔に、何かを楽しみにするような表情が浮かんでいる。
本当に珍しいものなのだろう。
そう思うと、私もなんだか無性に楽しみになってきた。
◆
「間違いなくあれね。ふふ、久しぶりに楽しみが出来たわ」
「わざわざあれ、と強調して言う辺り、パチュリー様は本当に意地悪ですよね」
パチュリーとこあが例のチューリップの前にしゃがんで観察をしている。
現物を見たパチュリーは、私から話を聞いたとき以上に顔を輝かせている。けど、そうした表情を浮かべて知的さが消えないのは、魔女であり、知識の探求者だからなのだろうか。
美鈴と並んで二人の様子を見ながら、そんなことを考える。
「相手を煽るのは魔女の常套手段よ」
「そんなものこんなところで振るわないでください」
いつもどおり、二人とも仲が良い。言葉だけならお互いに無関心のようだけど、声の調子から距離の近さを感じる。
「さてと、これ以上眺めていても仕方がないし、私は図書館に戻るわ」
しばらくして、パチュリーが立ち上がり、こあがそれに続く。けど、そのまま歩み去っていくことはなかった。
パチュリーがこあの方へと向く。
「こあ、貴女はあのチューリップが枯れないように世話をしてちょうだい」
「枯れやすいんですか?」
「普通のチューリップと同じよ。だから、枯れる事はそんなにないと思うわ。けど、万が一があるかもしれないから、貴女が丹精込めて世話をして、その万が一を出来るだけ小さくしなさい」
「了解しました」
こあは何故か敬礼を返した。言動の一つ一つが少々大げさなところがあるのだ。
けど、すぐに手を下ろして満面の笑みを浮かべる。
「見事にチューリップを咲かせたら、ハグをするか、させるかしてくださいね」
「却下」
「む、いいんですか? そんなことを仰って。私にはパチュリー様の目を盗んで自主休憩を取るという選択肢もあるのですよ?」
「いいのかしら? そんな事を言って。私は貴女の図書館への出入りを禁止にすることも出来るのよ?」
意趣返しをするようにそう言う。
パチュリーの言う出入り禁止というのは、入ってくるなという意思表示ではなく、本当に魔法によって入ることをできなくするものだ。中にはそんな魔法を突き破って入ってくるのもいるけど、それほど魔法が得意でないこあなら本当にそうされてしまったらどうしようもないだろう。
「うぐっ……。さすが、パチュリー様、的確に怯ませてきますね。ですがっ! 図書館の蔵書の整理は私の仕事! そんな大事な大事な人材を閉め出したりなんかしてもいいと思っているのですかっ!」
「ええ、いいわよ。貴女がいなかった頃は私が自分でやっていたし」
「私はいらない存在ですかっ!? ……はっ!」
突然、こあが何かに気づいたみたいだった。私にはその何かは全くわからない。
「ふふー。いらないとは言いながらも私のことを使ってくださるということは、それだけ私のことが好きということですね!」
「貴女が勝手に住み着いて、勝手に整理してるだけじゃない」
「またまたー、照れないでくださいよ」
「……はあ」
こあが嬉しそうに言う。それに対して、パチュリーは疲れたようにため息をついている。
こあはかなり前向きな性格だから、否定的な言葉も肯定的に受け取るのだ。
「しょうがないですね。そんなパチュリー様のために人肌脱がせていただきますよ」
「……もう、なんでもいいわ。とにかく、無事に花を咲かせるよう頑張ってちょうだい」
躍起になって否定しない辺り、こあの言ったことも全くの見当違いだというわけでもないと思う。普段のやりとりから、こあのことをいらないだなんて思っている様子も全く見えてこない。
こあはそういったところからも、パチュリーの言葉を前向きに受け止めているのかもしれない。
「ええ、必ずやパチュリー様のご期待にお応えできるよう頑張らせていただきます」
こあの言葉を背中に受けながら、パチュリーは館の方へと戻っていった。
「ねえ、私も手伝いたいんだけど、いいかな?」
パチュリーの様子を見ていたら、余計に興味をかき立てられてしまったのだ。チューリップが花を咲かせるまでは、意識がそこから逃れることはないだろう。散歩をしていても、本を読んでいてもきっとそのことばかりを考えてしまうだろう。それは非常にもったいない。
だったらいっそのこと、自分の手で世話をして、咲く瞬間を見届けようと思ったのだ。
「当然ですよ! フランドール様が手伝ってくだされば百人力ですっ! 何をすればいいかは分かりませんが!」
そして、なぜだかこあのテンションが高くなる。パチュリーの役に立てるからというのとは違う気がする。やけに私のことを持ち上げている。
とはいえ、知識は中途半端で、経験は皆無な私が役に立つとはとても思えない。現に私もこあと同じで、何をすればいいのか全くわからない。
「それで、美鈴さん、私たちは何をすればいいでしょうかっ」
こあがテンションはそのままに美鈴の方へと視線を向ける。下手をすれば私を置いて、一人で突っ走っていってしまいそうだ。いや、どちらかというと、私の手を引っ張って引きずっていきそうだ。私を置いていくということはないだろう。顧みることはしそうにないけれど。
やけに私を持ち上げるような言動からそう思う。
「特にはないわね」
「そうは言われましても、私には万が一を億が一に、億が一を兆が一にする使命があるのですよ!」
「うーん。水はもうあげたし、雑草はそんなに生えてないし……」
こあに詰め寄られたからというわけではないだろうけど、美鈴が真剣に考え始める。美鈴は根っこの部分から真面目なのだ。
「……ああ、そうだ。なら、テントウムシを捕まえてきてくれる?」
「テントウムシですか? 童心に帰れとおっしゃいますか」
しばらくして返ってきた答えに、こあは首を傾げる。
「いや、そうじゃなくて、この時期になるとアブラムシが付いて、悪さをするのよ。いつもは、手袋をはめて葉に付いてるのを潰すんだけど、ものすごく効率が悪いの。だから、アブラムシを主食にしてるテントウムシがこの辺りに増えれば、楽になるかなって」
確かそうやって生き物の力を借りて植物を育てるのを生物農法っていうんだっけ。農業っていうほど大げさなものでもないと思うけど。
「そういうことですか。ならば、お安いご用です」
胸を叩いて意気込んで言う。ずいぶんとやる気になっているようだ。頭の耳がぴこぴこと動いている。
耳に気を取られていたら、不意にこちらを向いてきた。
「フランドール様はどうしますか? 虫ですよ、平気ですか?」
「大丈夫かはわからないけど、ちょっと気になる」
よくわからないものは怖い。けど、私にとっては大抵のものがよくわからないものだ。
臆病な私はそのせいで全く外に出ようとさえしていなかった。けど、本読み友達であるアリスに半ば無理矢理外へと引っ張り出されてからは、そんな臆病さを振り払って行動している。その原動力の最たるものが外に出るまで眠っていた好奇心だ。
色々なことを知りたい。
実際に触れてみたい。
そう、強く思うのだ。
虫を見たことはあまりない。館内は咲夜の手によって清潔に保たれていて、侵入者がほとんどいないのだ。それでも、時々蜘蛛が歩いているのを見ることがある。だけど、本当にそれだけだ。
だから、見たことのないものを知るために付いていきたい。
「じゃあ、付いてくるということでいいですね。ではでは、用意をしてきますので、しばしのお待ちを!」
そう言って、こあは走り去っていく。周りが一気に静かになってしまった。
こあは騒がしいけど、決して不快な騒がしさではないのだ。こあが傍にいるとこちらもちょっぴり楽しくなってくる。そんな騒がしさなのだ。
「お変わりになられていますね、フランドールお嬢様」
「うん、それを願ってくれてる人もいるからね」
アリスに無理矢理連れ出されたのが私が変わり始めた要因ではあるけど、アリスにそれを頼んだのはお姉様だ。連れ出されるのを嫌がる私にお姉様は、誰よりも私の成長を望んでいると言ったのだ。
そのときは仕方なくという形でその言葉に頷いたけど、今では心の奥底まで染み込んできている。
それはあまり表に出てくることはないけど、好奇心の裏でそれもまた私が行動するための原動力となっている。
外からの力ではあるんだけど、不思議と重みにはなっていない。他の誰でもないお姉様の言葉だからかもしれない。
内に籠もっていた私にとって、お姉様は一番特別な存在なのだ。
「そうですか」
そう言って、柔らかく微笑んだのだった。
美鈴も私が変わることを望んでいるのだろうか。
◆
竹で出来た蓋付きの籠を持ってきたこあに連れてこられたのは、霧の湖を越えて幾ばくか飛んだところにある小さな野原だった。名前のわからない野草が数え切れないほど生えている。中には花を咲かせるものもあるようで、緑に混じって白や黄、薄い紫が見え隠れしている。
「おー、すっかり春が近づいてきてますねぇ」
こあが感嘆の声を漏らす。
ここと似たような場所は、適当にうろうろとしていても簡単に見つけることができる。だから、私は野原の様子は知っていた。けど、それを見たときに、こあのように思うことはなかった。
冬場の殺風景さに比べれば、綺麗だとは思った。だけど、春の訪れつつあるそのことに感動することはなかった。
季節の変わり目を感じるというのが初めてなのだから仕方ないのだろう。来年は、もしくは再来年にはこあのように感じることがきっとできると思う。それまでは、私の中に春の気配を集めよう。
「まあ、今はそれよりも、テントウムシですね。テントウムシはこのような日当たりの良い野原にいるそうですよ」
籠を取りに行ったついでに調べてきてくれたようだ。幻想寄りの情報でなければ、色々な本に同じ情報が書かれていることが多く、見つけるのも容易になる。更にこあは図書館の書物の整理もしているから、どの辺りにどのような本が収められているのかも把握しているのだ。
だから、今回のようなことを調べるのはかなり早い。
「虫にしてはゆっくりと動くので捕まえるのは難しくないと思います。なので、手分けをして捕まえましょう」
「うん」
私が頷くと、こあは私から離れて適当な場所にしゃがみ込んだ。私は少しだけ野原の中に入り込んで、こあと同様にしゃがみ込む。
こあに渡された籠を脇に置く。それから、片手で日傘を支えながら、空いている方の手で野草をかき分けてみる。
そういえば、こうしてまともに草に触れるのは初めてではないだろうか。
アリスに外に連れ出されてから、何度も散歩を繰り返している。館の外で作った友達に会いに行ったり、景色を眺めたりするために。
けど、こうして自然に触れるということはなかった。そもそも、そういった発想自体がなかった。
本から知識を得てばかりだったから、視界の中に収めるだけで満足してしまっていたのだろう。触れたらどのような感触がするのだろうかと一切思いもせず。
もったいないことをしてしまっていたようだ。けど、今気づけたのなら、今からそういったことを気にしていけばいい。
別に焦って色々なことを経験していく必要はないのだ。ゆっくりと思いついたことからしていけばいい。
幻想郷の比較的にのんびりとした空気に触れてきてそんな風に思う。
考えごとをしながら適当に草をかき分けていたら、何かが動くのを見つけた。
片手で苦心しながら草を更にかき分けてみると、見つけた。今回の目的であるテントウムシだ。硬質そうな赤い体に覆われ、背中にいくつかの黒で斑点模様を形成している。数えてみると七つの黒点があった。
その虫は、私の指の先ほどの本当に小さな生き物だった。ちょこまかと足を動かして、一生懸命といった様子で葉の上を歩いている。
私は初めて実物を目にするその小さな生き物に目を奪われていた。じっとその姿を見つめていた。
飽きずに、一途に、ただひたすらに。
だから、逃げられてしまうのは当然のことだった。
「あ……」
テントウムシは葉の先っぽに到達すると、少しの間動きを止めたかと思うと、硬質そうな赤い体を広げ、下から透明な羽を取り出して、飛び去ってしまった。
止める暇はあった。けど、とっさには身体が動かなかった。
私は視線を上げて、思わず飛び立ったテントウムシを追おうとする。けど、すぐに日傘に遮られて、小さな姿は見えなくなってしまった。
追えないとわかったところで、視線を下へと戻す。さっきは見ていることしかできなかったけど、今度は捕まえてみせると意気込んでみる。
多分もうこの近くにはいないだろうから、しゃがみ込んだまま移動する。少し長めの野草が太股の辺りに触れてくすぐったい。
そうやって移動していると、偶然赤色の物体が目に止まった。テントウムシというのはこんなにも見つけやすい生き物なのだろうか。
なんにせよ、これはチャンスだった。片手しか使えないから、草をかき分けていたら捕まえることができないのだ。
草の間に隠れるテントウムシをじーっと見つめる。もう少し捕まえやすい場所に出てくるのを待つ。草の間に姿は見えるけど、まだまだ奥の方の捕まえにくい場所にいるのだ。
数十秒ほど待って、そのテントウムシは草の間から出てきた。先ほどのテントウムシと同じように一生懸命に足を動かしている。
飛んでしまう前に捕まえてしまおうと手を伸ばす。けど、捕まえた拍子に潰れてしまうんじゃないだろうかと不安になって捕まえることができない。
だからといって、このまま逃がしてしまうわけにもいかない。私はこあの手伝いをすると言ったのだ。何もしないなんて、許されざることだろう。
意を決して、親指と人差し指とでテントウムシを摘む。返ってきたのは思っていた以上に硬質な感触だった。そのことに驚く。
けど、そんな驚きを感じていられるのもほんの少しの間だけだった。私の指に挟まれて、テントウムシは完全に動きを止めてしまっていた。
しばらく待っても微動だにせず、まるで死んでしまったかのようだ。けど、死んでいるわけではない、と思う。外敵から身を守るために死んだ振りをしている、のだろう。適当な場所に放してあげて、少し待てばまた動き出すはずだ、きっと。
……やっぱり知識だけでは不安が増すばかりだ。死んでしまったのではないだろうかという思いばかりが募ってくる。
これ以上持っていたら、不安に押し潰されそうだった。急いで籠の蓋を開けて、微動だにしないテントウムシをそっと底に放してあげる。
心配で心配でたまらなかったから、籠の中をのぞき込む。けど、のぞき込む私自身とそんな私が持つ日傘が影を作ってしまっていて、中の様子がなかなかわからない。日傘をどけてしまおうかと思ったけど、そういうわけにもいかない。
焦れったさを感じながらもじっと眺め続ける。次第に中の様子が見えるようになってきた。
目を細めて、目を凝らす。そうすると、赤い粒のようなものが動いているのが見えた。それが見えたとたん、私はほっと胸をなで下ろしてしまう。
死んだ振りだなんて心臓に悪すぎる。それが、生きるための手段なのだとしても、生きたまま捕らえようとしている立場からしてみればたまったものではない。こちらの寿命まですり減ってしまいそうだ。吸血鬼に寿命なんてものがあるのかは分からないけど。
「フランドール様、ようやく一匹捕まえることが出来ましたね」
「……っ!」
ほっと一息ついていたところで話しかけられたから、声も出ないくらいに驚いてしまった。身体が大きく震える。
「分かりやすいくらいの驚きっぷりですねぇ。ふふー、素晴らしいくらい可愛らしいです」
その言葉を聞いた途端、私は思わずこあから距離を取ってしまう。
褒められるのに慣れていなくて困惑することはある。けど、こあにこういったことを言われたときだけは、何故だか微かな身の危険を感じる。
理由がわからないのに逃げていることは申し訳なく思う。だけど、身体の方が先に動いてしまうのだからどうしようもない。幸いと言っていいのかはわからないけれど、こあに気にしてる様子が全くないことが救いだった。
「そんなに怖がらないでくださいよ。取って食いやしませんから」
こあの浮かべる笑みを見て、今度は明白な身の危険を感じた。あれは、悪戯好きが浮かべる笑みだ。油断をしていると、何をされるかわかったものではない。
抱きしめられるか、くすぐられるか、耳を噛まれるか。とにかく、今までいろいろなことをされてきたから、警戒心が強まる。
「ね、ねえ! こあはどれくらい捕まえたの?」
何かをされる前に話題を振る。
「ふっふっふー、聞いて驚かないでください。なんとなんとっ! この短時間で六匹も捕まえたんですよ! 幸先がよすぎるとは思いませんかっ?」
こあのテンションが一気に上がる。そのテンションの差に困惑する。
けど、その困惑の裏で、こあの成果を聞いて、落ち込んでいる私がいた。
「そうなんだ。すごいね、こあは。……私、付いてきた意味ないよね」
もともと好奇心だけで付いてきたとはいえ、ここまで差を見せつけられると卑屈にもなってしまう。どうしても、自分がいる意味というのを考えてしまうのだ。
「そんなことないですよ。フランドール様を見ていると和みます」
落ち込む私へと、真顔でそんなことを言ってくる。冗談か何かの類ではないようだ。
けど、そう言われても私は困惑することくらいしかできない。どんな意図や感情がそこにあるのか全くわからない。
「な、和む?」
「はい。フランドール様の愛らしい仕草には癒しの効果があります。それを見ているだけで、私は活力を取り戻し、もっと頑張ろうっていう気になれます」
「そ、そうなん、だ……?」
私の中での混迷の度合いが高まってくる。
「ですから、フランドール様は好きなようにしていてください。私はそんなフランドール様を眺めながら、フランドール様の分も頑張りますから!」
力の込められた声でそう締めくくった。というか、気が付けばこあとの距離はほとんど密着するような状態になっている。顔がかなり近い。
「じゃ、じゃあ、その。任せても、いいかな?」
「ええ、ええ! 頑張らせてもらいます! ですから、お好きなように振る舞って、愛らしい姿を私に拝ませてくださいねっ!」
「う、うん」
どうしてこあがそこまで張り切っているのかわからないけど、気迫に押されて頷いてしまう。
「やった! ありがとうございますっ!」
「って、抱きついていいなんて言ってないよ!」
ほとんど衝動的といってもいいふうに抱きついてきた。けど、勢いだけでそうしてきたというわけではない。
日傘が傾いてしまわないように、絶妙な力加減がなされていた。そして同時に簡単には抜け出せないようにもされていた。少し身体をよじっただけでは抜け出せない。かといって、動きすぎると日の光を浴びてしまう。
どうしようもないようだ。
仕方なく私はしばらくの間、おとなしくこあに抱きつかれていた。
◆
こあが満足するまで抱きつかれた後、テントウムシ捕獲を再開した。
言葉通りこあはかなり頑張ってくれた。私が手際悪く、何度も捕まえたテントウムシを逃がしながら数匹を捕まえる間に、こあは数十匹のテントウムシを捕まえていた。
何かコツがあるんだろうかと少し眺めていたら、籠の蓋を最低限にしか開いていなかった。ちょっとした隙間から入れて、既に捕まえたのを決して逃がさないようにしていたのだ。
真似してみようと思ったけど、片手では無理だった。
それからは、完全に諦めてマイペースにやっていた。手のひらに乗せて歩く姿を眺めたり、上に向かって歩く習性があることを利用して遊んだり。
そんなことをしてたら、いつの間にか近寄ってきていたこあに、また抱きつかれたりしたけど。
そんなこんなで、私たちは館へと帰ってきた。体力的にはまだまだ余裕はあるけど、こあの相手をしていて精神的な元気は底を突きかけていた。
テントウムシたちを庭に放したら、しばらく一人でゆっくりとしたい。その時間を使って、チューリップのことを調べてみるのもいいかもしれない。美鈴の経験も混じった知識には勝てないだろうけど、どこかで役立つかもしれないし、何より個人的に興味がある。
「……かなり捕まえてきたわね」
開け放たれた籠をのぞき込んだ美鈴が少し呆れたようにそう言う。その間にも、最上まで上がったテントウムシは順々に飛び上がり、そのうちの何匹かはチューリップの方へと飛んでいってくれている。
「ええ、フランドール様の愛らしい容姿と仕草とを堪能しながら頑張りました!」
何故かこあは出発する前よりも元気だ。私の元気を吸い取ったんじゃないだろうか。
少々げんなりとしながらそう思う。
「……フランドールお嬢様、苦労なさったようですね」
「……うん」
力なく頷くことしかできなかった。
◆
それ以上は特別にすることもなく、美鈴の手伝いをしながらチューリップの様子を見て、開花の時を待った。
手伝いの内容は、雑草を抜いたり、水をあげたり、風で落ちてしまった早咲きの花を拾い集めたりだった。
今まで私は庭を見ているだけだった。何か苦労をしているんだろうとは思っていたけど、実感というものは全くなかった。苦労を実感してみると、今までは単に綺麗だと思っていた庭にそれ以外の感情も抱くようになっていた。
愛しいと思うようになっていたのだ。きっとこの感情を抱いたまま咲き誇る花々たちを目にしたら、ずっと綺麗に思えるようなそんな気がする。
だから、こうして美鈴の手伝いをできてよかった。
ただ、こあといる時間も増えて、気苦労も増えてしまった。
けど、そのせいでこあに抱きつかれるのには慣れてしまったような気はする。全然嬉しくないのはなんでなんだろう。
それと、主にこあが捕まえたテントウムシたちも頑張ってくれていた。
じーっとチューリップを眺めていると、緑色の小さな粒のような虫が目に入る。それが、アブラムシだそうだ。
見ているだけでは何か悪さをしているようには見えないけど、植物から栄養を吸ったり、病気の媒介などをしているそうだ。誰かに聞いてばかりもいられないから、図書館で自分で調べてみた。
そんなチューリップの咲く姿を見届けたい私たちからしてみれば、悪であるアブラムシをテントウムシたちは片っ端から食べていっていた。休む間もなく食べていて、小食の私には考えられないような光景だった。なんだか見ているだけで胸焼けを感じた。
そうして大きな問題は何もなく数日が経ち、風が更に暖かくなってきて変化は訪れた。
◆
「おはよう、美鈴」
「あ、おはようございます、フランドールお嬢様。今日もお早いですね」
門の外へと向いていた美鈴がこちらへと振り向いて、笑顔を浮かべる。
「うん、咲く瞬間を見逃すわけにはいかないからね」
チューリップは空気が温まってきた頃に花を咲かせると聞いて、日が昇る頃には外に出るようになった。
朝日はきついけど、咲夜に一回り大きな日傘を用意してもらって、なんとかしのいでいる。横に構えると、完全に私の姿が隠れてしまうほどに大きい。普通の傘に比べればかなり重いけど、吸血鬼だからそのことに関しては問題ない。片手でも軽々と持つことができる。
「そろそろいつ咲いてもおかしくない状態ですからね」
チューリップの蕾の色は緑から白、そして白から赤へと変わりつつあった。昨日の時点ではすっかり鮮やかな赤色に染まっていた。
「日に当たらないよう気を付けてください」
「うん、ありがと」
美鈴と別れて、東側から裏庭を目指す。西側から裏庭を目指すと、いざ裏庭に入ったときにチューリップの生えている場所まで、日傘を自分の正面に構えなくてはいけなくなる。そうなると、前が見えなくなり、非常に歩きづらくなる。しかも、前が見えないというのは大きな恐怖があった。
日傘に影がかかるから誰かがいるというのはすぐにわかる。けど、足下の小さなものは全く見えないのだ。それは、どこかで足を躓いて、転んでしまうんじゃないだろうかという恐怖を生み出す。
だから、一度だけ西側から裏庭を目指してからは一度もそのルートは選んでいない。
日傘を太陽の方へと向けながらゆっくりと歩く。気持ちよさそうに日を浴びる植物たちを見ていると、自分も浴びてみたいなんて思ってしまう。けど、吸血鬼が日の光を浴びてもそんなことを思えないことは知っているから、想像してみるだけにする。
太陽の下で両手を広げると身体が光に包まれる。
それはお姉様の抱擁のように優しくて安心できる暖かさを有している。
そんな暖かさの中で私はくるりくるりと回るのだ。全身でその暖かさを感じようと。
そうやってありもしないことへの想像を膨らませていたから、最初は異変に気づかなかった。
例のチューリップの目の前まで来て、いつもよりも気配を強く感じることに気づく。
そろそろ、それこそこの数十分、いや数分の間に花を咲かせるのではないだろうかと直感した。
根拠はない。けど、このとき、この場で考えられるのはそれくらいしかない。だから、私は日傘を素早く畳んで、できるだけ早く館へと戻った。
少しずつ身体から力が抜けていくのを感じたけど、全力で館の中まで飛んだからなんとか平気だった。
◆
四人並んでチューリップを見守る。パチュリー、こあ、美鈴、それから私の四人だ。
私は一番東側、傘で他の人の邪魔にならない位置に立っている。
「さてさて、ようやくパチュリー様が何を楽しみにしていたのかがわかりますね!」
こあが弾んだ声でそう言う。朝の静かな雰囲気が音もなく壊れる。
朝から元気だなあと苦笑しかできない。
「うるさくしてると目を塞ぐわよ」
「っと、すいません。パチュリー様が稀に見る浮かれようなので、こちらまで興奮してしまっていました」
こあの言うとおり、パチュリーは普段とは違った雰囲気を纏っている。本当にこの日を待ち遠しく思っていたのだろう。私から咲きそうかもしれないということを聞くと、こあと私を置いてすっ飛んでいってしまったくらいだ。
普段から魔法で浮いて移動している姿は見ているけど、あそこまで早く動いているのは初めて見た。
「それは悪かったわね」
こあに言われて自分の浮かれように気づいたのか、少し恥ずかしそうだ。こあへの言葉はぶっきらぼうなものだった。
「いえいえ、珍しいお姿を拝見できて眼福でございますよ」
「……わかったから、静かにしてなさい」
「はーい」
突き放すような口調と楽しげな口調。正反対な二人だけど、だからこそ相性がいいのかもしれない。片方が感情をあまり表に出さない横で、もう片方が素直に感情を溢れさせることで片方を引っ張るかのように。
「お二人とも、本当に仲がよろしいですね」
「うん、そうだね」
美鈴も同じことを思っていたようだ。
◆
「……そろそろね」
しばらく待っていると、パチュリーがぽつりとそう言った。確かに、感じる魔力が徐々に強くなってきている。
待ちすぎてぼんやりとしていた意識がはっきりとする。赤い蕾を膨らませたチューリップへと意識がまっすぐと向く。
劇的な変化はない。けど、よく見てみると蕾の表面がゆっくりと動いているのがわかる。
花を開かせようとしている。
誰も言葉を発しない。何が起こるのか。そのことに意識を集中させると自然と言葉というのは出てこなくなるのだ。きっと、パチュリー以外もそうなんだろう。
けど、パチュリーだけは違う。何が起こるかを知っていたから。それでも言葉を発しないのは、もともとそういう性格だからというのもあるだろうけど、一番の理由は何が起こるかを知っているからこそだと思う。結果を知っているから、どうするのがいいのかもわかっているのだろう。
蕾は焦れったいほどにゆっくりと動いている。少しずつ、少しずつ固く閉ざされた蕾がほぐされていく。太陽の日差しを浴びて、その光を求めるかのように花びらを大きく開こうとしている。
そして、たっぷりと時間をかけて蕾は開ききり、花となった。
けど、今のところ変わったところはない。ごくごく普通の、図鑑の絵のモデルとして使われていてもよさそうな真っ赤なチューリップだ。
そう思っていると、花びらの縁に何かが見えた。目を凝らして見てみるとそれはとっても小さな手だった。
「わ……っ」
中から出てきたのは、小さな妖精だった。太陽の光を浴びてきらきらと光る金髪、黒と白の模様が描かれた大きな蝶のような羽が印象的だった。
私たちの姿を見るなり、花の中へと隠れてしまう。けど、すぐにそろりそろりと顔を出して、チューリップと同じ赤色の瞳でこちらの様子を窺ってくる。
かなり警戒しているようだ。まあ、私も部屋を出るところを数人に眺められていたら怯えて警戒するだろう。そう思うと、妖精に申し訳なく思う。
「えっと、あなたたちが私の寝床の世話をしてくれたの……?」
「ええ、私以外の三人が頑張ってくれたわ」
最初に妖精の言葉に答えたのはパチュリーだった。
「とはいえ、私とフランドール様が手伝い始めたのは数日前なので、実質的にはこちらの美鈴さんの頑張りですね」
「うん、そうだね」
パチュリーの言葉に続けるようにこあは言い、私はそれに同意する。
実際、美鈴がいなければ私たちがチューリップの世話をすることさえなかっただろう。私が庭に何かを植えるなんてことは絶対にないし、パチュリーの世話をすることを最優先にしているこあも、それは同様だと思う。
「そうなんだ」
妖精の顔に喜色が浮かぶ。どうやらこれだけで警戒は解けたらしい。もともと危険はないと思っていたのかもしれない。私たちの姿を見てそのまま隠れっぱなしということもなかったし。
「ありがとう。あなたのおかげで、ずいぶんと寝心地がよかったよ」
妖精がチューリップの中から出てきて、美鈴へと頭を下げる。
「礼には及ばないわ。私は私がしたいようにしてあげただけだから」
「そうなんだ。じゃあ、これからもお花たちを大切にしてあげてね。みんな喜ぶから」
「ええ、任せて」
美鈴が頷く。そこには力強さが込められているから、とても頼もしく感じる。
妖精も同じものを感じ取ったらしく、満足そうな笑みを浮かべる。
「うん、あなたなら大丈夫そうだ。お礼の代わりに、リリーに真っ先にここに春を届けてくれるように頼んでみるよ」
「へえ、そんな事が出来るのね」
妖精の言葉を聞いたパチュリーが感心するように言う。
私にはリリーが誰なのかわからないから、なんで感心しているのかわからない。そんなに有名な人なんだろうか。
「うん。リリーは私の友達だから。でも、リリーかなり気紛れだから頼んでも聞いてくれないかも。まあ、そのときは引っ張ってでも連れてくるよ」
「それは頼もしい限りね。楽しみにしてるわ」
「あなたのためにするんじゃないけど、まあいいや。がんばってみるよ」
割と大雑把な性格のようだ。話をする相手にあまりこだわっていない印象を受ける。
でも、恩を返そうとする程度の義理堅さはあるようだ。
「それじゃあ、私は花たちに春が近づいてることを教えてくるよ。また機会があったら会えるかもね」
そう言って、妖精は高く浮かび上がる。蝶のような羽を大きく大きく揺らしながら、どこかへと向けて飛んでいってしまった。
こう言ってはなんだけど、思っていた以上に地味だった。もっと派手なことでも起こるのかと思っていた。
けど、考えてみれば派手である必要なんてどこにもない。春を間近に控えたここ最近の空気は穏やかの一言に尽きる。そんな中に派手なものがあっても浮いてしまうだけだろう。
「パチュリー、さっきの妖精はなんなの?」
妖精の姿が見えなくなったところで、数日前から気になっていた問題の答えを聞く。
「なんだと思う?」
「花の妖精、かな。どんな役割があるのかはわかんないけど」
ほとんどそのままな答えだ。けど、それ以上のことはわからない。精々言動から何かの役割がありそうだと予測できるくらいだ。
「そうね。正確には春の花の妖精ってところかしら。春が終わる頃に、花の種の中なんかに紛れ込んで、春の訪れを眠りながら待つの。そして、春になって花が咲くとさっき言っていたように他の花たちに春が近づいてきたことを教えて、準備をさせるのよ。春告精が春を告げた時に咲くのが遅れてしまわないようにね」
春告精というのが、あの妖精の言っていたリリーなんだろうか。けど、パチュリーが感心していた理由はよくわからない。それは多分、春告精というのがどれほどすごい位置にいるのかわかってないからだろう。
まあ、それは後で聞いてみることにしよう。
「じゃあ、さっきの妖精は幻想郷中を巡るってこと?」
知らない人のことよりは、やっぱり少しでも知っている人のことの方が気になる。
「ええ、そういうことになるわね」
「そっか、大変なんだね」
幻想郷がどの程度の広さなのかはわからない。けど、花のある場所全てを回るとなるとかなり大変なことだろう。
私に何かできることはないだろうか。
そう思い、ふと考えついたのは花の世話をしてあげることだった。誰よりも花に近いあの妖精はそうすることで喜んでくれることだろう。
不意に、暖かな風が吹く。それは優しく、緑の香りを内包していた
春はもう手の届くところまで来ている。
Fin
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