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「ったく、むかつく、むかつく、むかつく!」

 縦長に伸びる洞窟の中に、怨嗟に濡れた悪態の声が響く。誰に聞かせるわけでもない声は、その主の心中の苛立ちを吐き出すためのものだった。意味も価値もない。

「あーもうっ! むかつく! 私は遊んでんじゃねえんだよ!」

 小鬼のような姿をした彼女、鬼人正邪は幻想郷中の人妖から追われていた。幻想郷の転覆を企てる反逆者。そんな肩書きを背負って。
 しかし、本気で彼女を捕らえようとしている人妖は全くと言っていいほどいない。彼女を追いかけるそのほとんどが、思い付いたはいいものの、使いどころのない弾幕を試すように遊んでいた。もし、全ての人妖が本気を出していれば、彼女はとっくに捕らえられてしまっていることだろう。
 遊ばれてしまっている理由は単純だ。幻想郷転覆の首謀者は彼女だが、そのための力を振り撒いたのは、彼女が誑かした一人の小人だからであり、その小人は現在、博麗神社に保護されているからだ。天邪鬼でしかない正邪は、脅威としては見なされていない。悪餓鬼が悪戯をしていると、そう思われている程度だ。
 正邪はそのことが気に入らなかった。弱者として見られていることが、この上なく気に入らなかった。力がある故に余裕のある姿を見せつけられるのが、気に食わなかった。だから、いつか見返してやると誓う。
 しかし、そんな中でも、常に全力で彼女を追いかける者がいた。頻繁に彼女の前に現れて、いつだって必死な表情を浮かべていた。ひねくれ者な彼女にとって、それもまた気に入らないことだった。そして、妬ましくもあった。

「あら、珍しいわね。新規入居希望者?」

 思考の中で不満を投げているうちに、縦穴の終わりに着いていた。正邪が足を付いたところで、話しかけてくる者がある。

「さとりのとこのペットが騒ぎを起こしてから、観光気分でやってくるやつが増えに増えて嫌になってたのよね。貴女みたいなのは歓迎よ。良質な嫉妬の炎の熱が心地良いわ」

 それは、緑の瞳で正邪を見定めようとしながら、妖しげな笑みを浮かべる少女だった。どことなく友好の色が見て取れる。
 正邪は胡乱げに見つめ返す。今現在、出会うもの全てが敵である彼女は、どんな相手であれ疑うところから入る。

「……なんだ、お前は?」
「なんだっていいじゃない。そういう場所よ、ここは」

 緑眼の少女は、正邪へと近寄る。異変の後から、すっかり逃げ癖の付いてしまっている正邪は、無意識に後ろへと逃げる。しかし、壁に行く手を遮られてしまう。

「貴女、いい炎を持ってるわ。ねえ、もっと美しく燃え盛らせるために、私に身を委ねてみない?」

 白く細い華奢な指が正邪の頬に触れる。緑眼は正邪の赤い瞳へと絡み付くような視線を向ける。正邪はその感覚に内心震えながら、鼻で笑う。

「はっ、私が素直に頷くような奴だと思ってんのか? だとしたら、妖精にも劣る思考回路だな」
「ふふ、負け犬らしい安っぽい挑発ね。良いわ良いわ、気に入ったわ」

 緑眼の少女の背後に、彼女と同じ瞳の色をした一匹の蛇が現れる。それは、じーっと正邪を見つめている。それは、どこかに入り込む隙間がないかと伺っているかのようだった。
 正邪はその瞳に魅入られたように、ぼんやりと見返すだけだ。口から漏れ出ていた悪態は、完璧に鳴りを潜めてしまっている。

「さあさあ、燃やしなさい。貴女の嫉妬の炎で、妬ましい奴らを灰にしてやりなさい! ふふ、ふふふふ……っ!」

 洞窟に狂喜に濡れた笑い声が響き渡る。
 天邪鬼の赤い瞳には、小さく緑色の炎が揺らめいていた。





「おしまい。治療し忘れたところ、ないよね?」

 無表情な顔と代わりに表情を表現する仮面が特徴的な少女、秦こころが私の腕にガーゼを張り付けた後、首を傾げてそう聞いてきた。彼女の手元には、様々な簡易な治療道具が納められた救急箱が置かれている。

「うん、だいじょうぶよ。ありがとう、こころ」

 私―少名針妙丸―は、お礼を言いながら頷く。実のところ、あちこち痛んでいるせいで、自分自身でもどこに怪我があるのか把握しきれていないのだ。気にしすぎても仕方がないと諦めている。実家にいた頃は、傷をこしらえること自体珍しかったのだけれど、最近は小さな傷くらいなら日常茶飯事となっている。外に出るようになって、やんちゃになったということではない、と思う。

「どういたしまして。でも、いつもはそんなに傷多くないよね? 何かあったの?」

 こころの言うとおり、いつもなら擦り傷が一、二個できるくらいで、いちいち心配されることもない程度のものだ。
 今回は、いつもよりも痛むものの、面倒くさいからと放置していた。そうしたら、傷を見て心配してくれたこころが、治療を申し出てくれたのだ。こころは幻想郷では珍しく、素直な優しさを見せてくれる。

「何かあった、のかな。いつもと正邪の様子が違ったのよね」

 昨日のことを思い出しながら話す。

「今の正邪に、私を傷つけてるような余裕なんてないはず。私が個人的に追いかけてるなら別だろうけど、誰からも追いかけられてるのに、さっさと逃げ出さないなんてあいつらしくない」

 今のように追われているという状況において、正邪は有利不利に関係なく隙あらば逃げようとするはずだ。実際、これまではそうだった。たまに、第三者が介入してくるのだから、それがもっとも合理的だ。正邪はなんだかんだで、自らの力量は把握している。
 でも、昨夜は何かに駆り立てられているかのように、執拗に攻撃を仕掛けてきた。まるで、私が仇であるかのように。だから、初めてこちらから撤退することになってしまった。
 正邪に、何があったんだろうか。感情に任せて口を動かす方ではあったけど、行動に激情が伴うような性格ではなかったはずだ。いつだって、一歩引いた思考を残していて、逃げるための余裕を持っていた。
 何かに巻き込まれているのだろうか。だとしたら、私に何かできることはないだろうか。昨日の正邪には、危うい印象がある。自分の身が傷ついてしまっていることに気づかず、ぼろぼろになっていくようなそんな危うさ。私の知らないところで消えてしまうのではないか。そんなことを思ってしまう。
 そうやって、昨日の正邪の様子を思い出していたら、こころが指で私の頭を撫で始めた。頭を撫でることに慣れていないのか、指で撫でることに慣れていないのか、どこかぎこちない。
 でも、こころなりに私の不安を感じ取って、抑えてくれようとしているのだと思うと、穏やかな心地よさがある。

「……」

 とはいえ、素直に受け入れてしまうのは子供っぽい気がしてしまう。かといって、振り払うのは大人げがない。だから、無言で大人しくしていることしかできない。

「あ、そうだ。今度正邪と対峙するときは私も付いていこうか? そうすれば、話をして様子を探る余裕も出てくると思う」

 しばらく撫でられていると、不意に指を止めてそんなことを言ってきた。

「ありがたい申し出だけど、いいの?」
「うん。正邪の動向は、私にも無関係なことじゃないから」
「じゃあ、お願い。早速今日、付いてきてもらってもいい?」
「うん、だいじょうぶ」

 こころがこくりと頷く。頼もしい存在が近くにいてくれれば、随分と心強い。こころは、私と違って本物の強さを持っている。

「よろしくね、こころ」
「任せて」

 笑顔の面を付けて胸を叩きながらそう言う姿は、輝いて見えるのだった。





 夜の幻想郷をこころと並んで飛ぶ。こころの後ろへと流れていく桜色の髪は、月明かりに照らされ、風と共に踊っている。見惚れてしまいそうなくらいに綺麗な姿だ。前を見ないで飛び続けるのは怖いから、見つめ続けたりはしないけど。
 私はいつ正邪と出会ってもだいじょうぶなようにと、身体を人間の子供サイズにしている。普段の生活の中でもこの大きさでいたいところだけど、小槌には異変で無茶をさせすぎたせいで、それほどの力が残っていない。まだ、必要なときにしか使えるほどしか集められていない。
 正邪に構わなければ、念願の大きな体も手に入るはずだけど、正邪と天秤に掛けてまで欲しいものではない。あんなでも、一応元仲間なのだ。見捨てて、自分だけ望みのものが手に入るというのは目覚めが悪い。まあ、あいつが望むものを手に入れようとしているのは、私が阻止しようとしているのだけれど。

「針妙丸は、正邪の居場所がわかるの?」

 こころが話しかけてきた。正邪がなかなか見つからなくて、暇を持て余しているのかもしれない。なんとなくつまらなさそうな様子の面が頭に付いている。たまに微妙な表情の面が現れるけど、どこで手に入れているんだろうか。

「ここにいる! って断言はできないけど、この辺にいるかもなぁっていうのは予想できるわよ。平均で三日に一回くらい見つけられるくらいの的中率だけどね」
「へぇー、そうなんだ。やっぱり、傍にいる時間が長いと相手のこともわかってくるものなんだ」
「んー、そんなことはないと思うわ。霊夢たちに止められるまで、騙されてるなんて思ってもいなかったしね」

 私が正邪のことで理解できているのは、彼女が天邪鬼であって、素直さなんて一欠片もないということ。だから私は、正邪を止めようとはするけど、やめさせようとはしない。止めようとするのでさえ無駄なんだろうけど、好き勝手やらせているとそのうち消されてしまいそうだから、私は決して正邪に関わることをやめるつもりはない。

「でも、その部分は意図して隠そうとしてたところでしょ? 自分の全てを隠しきるなんて、距離が近ければ近いほど難しいことだと思う」
「そうは言われても、実感がないわ」
「んー、本人としてはそういうものなんだ? と、来たみたい」

 こころが狐の面を付けて、青白く光る薙刀を手に取って構えを取る。周囲には、いくつもの面が現れ、護衛をするかのように浮かんでいる。
 私も背に差していた針を持って、真っ暗な地上を見つめる。でも、正確にはどこに意識を向けるべきなのかがわからない。強さの差を見せつけられている気分だ。こころにそう言う意図は全くないんだろうけど。

「よぉ、針妙丸。今日は道具も随伴か? 私の手には物言わない付喪神のなり損ないしかないってのによぉ!」

 ようやく姿が見えたかと思いきや、激情と共に弾幕を放ってきた。威嚇のようなその攻撃を、私もこころも難なく捌く。正邪の弾幕はさほど驚異ではない。

「こころは道具じゃない。私の仲間よ」
「そうかいそうかい。そっちのも、そのちびの力が目当てなのかっ?」

 私の言葉に適当に頷いていたかと思うと、こころへと疑問を投げかけながら飛びかかる。その行動には違和感しかない。私の知る正邪なら、得物を持った相手に、真っ正面から近づくようなことは絶対になかったはずだ。

「私は、あなたに幻想郷の平穏を乱して欲しくないだけっ」

 こころは薙刀を振るう。軌跡は綺麗に円弧を描いて、峰の部分が正邪の腕を打つ。さすがに痛みを無視してまで突っ込んでくるほど無謀にはなっていないようで、私たちから距離を取って腕を押さえる。

「はんっ! 何が平穏だよ! んなもの、てめえみたいな強者の欺瞞に決まってんだろ!」

 正邪が陰明玉を取り出す。ぼんやりと赤い光を纏っているようなそれは、一見すると呪われているようにも見える。でも、直接的な危険のある道具ではないということはわかっている。

「こころ、瞬間移動するから気をつけて!」

 自分の周囲に針型の弾を展開しながら、こころの背後にも同型の弾を飛ばす。正邪の持つ道具の中では対処しやすい部類のものだけど、知らなければ厄介なものだ。
 正邪の狙いはこころから変わっていなかった。剣山の盾のない部分へと、正邪が飛んだ。
 こころはいつの間にか薙刀から、青白く光る扇子へと持ち替えていた。そして、剽軽な面を被って軽快に舞いながら、扇子の先端から七色の花火を打ち上げる。
 小規模な爆発が起こる。でも、間近でそれを受けた正邪は怯んだ。こころは素早く薙刀へと持ち替えて、渾身の力を込めて振り下ろす。
 風を切る音。そして、痛々しい鈍い音。

「あ、やりすぎたかも」

 薙刀を振り下ろしたままの格好で、地面へと落ちていく正邪を見つめている。もともと私のサポーターとして付いてきたわけだから、倒してしまうつもりはなかったのだろう。
 でも、今夜の正邪はこの程度でくたばることはないような気がする。今の正邪からは、自らの四肢を失っても、相手に食らいついていきそうな執念を感じるのだ。

「……ぐがっ!?」

 不意に苦しげな声が聞こえてきた。一瞬、こころが不意打ちを受けたのかと思ったけど、声のした方に視線を向けてみれば、薙刀の石突が正邪の腹にめり込んでいるのが見えた。かなり痛そうだ。

「残念。道具の魔力がだだ漏れだからばればれ。それに、背後から襲うなら、もっと上手く気配を消さないと」
「はっ! 道具風情が、偉そうに、講釈垂れてんじゃねえ、よっ!」

 早くも痛みから立ち直った正邪が、弾幕と共に蹴りを放つ。こころは前方へと避けながら、身体の向きを反転させて、薙刀で弾を捌いていく。そこに正邪が追いすがろうとする。
 正邪らしくない。この場面では逃げているはずだ。だって、形成が不利なのは誰の目にも明らかで――

「がっ?!」

 たった一発の弾が容易く正邪に命中する。隠すつもりも、裏をかくつもりもない、真っ正直な弾道にもかかわらず。それくらい、正邪の行動は無防備で真っ直ぐだった。

「ねえ、正邪。本当にどうしたの? 昨日から様子がおかしいわよ?」

 正直に聞いたところで答えてくれないとわかっていても、聞かざるを得なかった。

「私がおかしい? 私はいつも通りだろぉ? どうしようもないくらいに弱者で、ただただ強者に弄ばれてるだけのなぁっ!」

 世界への憎しみを吐き捨てるようにしながら、自身を卑下する。

「そもそも気に食わねえんだよ! お前の偽善に満ちた行動の全てがよぉ!」

 そして、こちらを睨んできながら、悪罵をぶつけてきた。そんなことは、今までいくらでもあった。
 でも、私は立ち竦んでしまっていた。
 何故なら、全てを憎悪するような赤い瞳の中に、しつこくまとわりつくような緑色の炎が見えたような気がしたから。それは、何もかもを否定してひっくり返してしまう天邪鬼らしくないものだ。ひっくり返したちゃぶ台の上に、それまで置かれたものがそのまま残っているような違和感がある。そこに、今回の元凶を見た気がした。

「敵前で固まるなんざ余裕だなぁ!」
「あ……」

 気が付けば、正邪が目の前まで迫ってきていた。私の小槌を模した大槌を振り上げているのが目に入る。攻撃を避けることはできそうにない。

「あなたは、他人のこと言えないと思う」

 正邪の動きがぴたりと止まる。背後には、雄々しい面を付けたこころがいる。彼女の手から蜘蛛の糸が伸びており、それが正邪の身体を絡め取っている。でも、強度はそれほどないようで、正邪の前進によって一本ずつちぎれていっているのが見える。
 私は慌てて距離を取って、弾幕での剣山を生成する。正邪への攻撃としてではなく、もっと観察するための盾として。

「針妙丸! 任せてだいじょうぶっ?」
「あんまり保たないだろうけど、ちょっとの間任せて!」

 このまま正邪を見ていて何かがわかるとは限らない。でも、少しくらいは情報を増やしておきたい。

「無理しないで!」
「わかってるわ!」

 私が答えると同時に、ぶちぶちっ、という音を立てながら、正邪が拘束を振り解いた。それから、手のひらサイズの地蔵を取り出して、こちらを真っ直ぐに目指してくる。
 正邪の持つ道具は厄介なものが多い。でも、手に持っていなければ効果は発揮できないようで、何をしようとしているかはばればれなのだ。後は、私の力でどうにかできるかどうかが問題だ。

「羨ましい限りだなぁ、おい! 誰にも相手にされてなかったくせに、今では頼りになる仲間がいるなんてよぉ!」

 ねっとりと絡み付いてくるような声色で、こちらを捕らえるかのように突っ込んでくる。こころの用いた蜘蛛の糸は、簡単に外すことができそうだったけど、こっちは少し触れただけで、しつこくくっつき続けてきそうだ。

「だったら、正邪も幻想郷の転覆なんて諦めて、こっち側に来ればいいのよ! そっちだと、仲良くする相手なんてなかなか見つからないでしょう?」
「そんなの願い下げに決まってんだろうが! 私はなぁ、自分より強ぇやつらが気にくわねぇんだよっ! だから、そんな世界でのうのうと生きてる奴を仲間にするなんて、願い下げだ!」

 正邪が真っ正面から剣山のごとき壁に突っ込んでくる。道具のおかげで平気なんだということがわかっていても、執念深い表情で身の危険も顧みず迫ってこられると、恐怖を感じる。まるで、道具など関係なく感情で痛みや衝撃をはねのけているかのように見えてしまうから。
 私はこちらに手を伸ばしてくる正邪から逃げる。今は剣山が正邪の攻撃を防いでくれるけど、さすがに触れられた状態では役に立たない。

「中々鬼気迫ってるわね! 趣旨替えでもしたの?」
「ああ、ちょっとばかし正直に生きてみようと思ってなぁ! まあ、やることは変わねぇんだけどなっ!」

 ついに、正邪の手が届く。こうなってしまえば私にはどうしようもない。小槌で多少まともに戦えるようになっているだけで、元は先祖が優秀なだけの極平凡な小人なのだ。こころが何とかしてくれるはずだと願いながら、衝撃に備えることしかできない。痛いのはやだなー。

「針妙丸! 当たったらごめん!」

 置き謝罪と共に、ごぉっ、と空気の焦げる音が聞こえてきた。
 正邪は私へと延ばしていた手を引っ込めると同時に、下へと逃げる。さすがにあれはまともに食らうべきものではないと判断したようだ。私も炎が迫ってきているのを目の当たりにして、正邪と同じ方向へと逃げる。何か考えがあったというわけではなく、単純に釣られてしまったというだけだ。
 だから、正邪がこちらへと放ってきた弾へと意識を向けるのが遅れた。

「っ!」

 弾を受け止める用意もできていなかったから、驚きに声を飲み込んでしまう。そして、反射的に身を丸めようとしたその直前に映ったのは、私を狙う無数の弾と一直線にこちらへと向かってくる正邪で――

「もらった――……がっ?!」

 正邪の驚きと苦痛混じりの声。私に対する衝撃は一つもない。
 恐る恐る視線を前へと向けてみると、無数の面が私の前を塞いでいた。面の向こう側には、こころの背中が見える。正邪へと薙刀を突き出す格好となっているけど、刃はこちらに向いている。まるで、そこで時間が止まっているかのようだった。
 でも、それは永遠に続かず、正邪が落下を始める。

「正邪!」

 こころが落ちていく正邪を追っているのが見えたけど、私はそれを追い越すくらいの速度で、正邪の方へと向かった。
 落ちていく途中で逆さまになったらしい正邪を抱き留める。気を失っているようだ。私よりも大きな身体を支えるのは辛いから、ゆっくりと地面へと向かう。それでも、途中で落としてしまわないように、腕に全力を込めなければいけない。辛い。でも、正邪を地面に叩きつけるわけにはいかないから、がんばる。

「だいじょうぶ?」

 ふと、腕の中が軽くなった。こころが正邪を支えてくれているようだ。私が支える意味はなくなってしまっている。もしかすると、必死になって追いかける必要さえもなかったかもしれない。

「このままだと、頭に血が上りそうだから、ちょっと放してもらっていい?」
「うん」

 私が頷いて離れると、こころは「よっ」と小さく声を上げて、正邪を横にして抱え直す。軽々とあんなことが出来てしまうことが羨ましい。小槌の力を使えば不可能ではないけど、正邪を止めるための力がなくなってしまう。私は小槌の力がなければ、そこらの妖精と同じくらいの弾幕しか出すことができないのだ。一応由緒正しい血筋らしいけど、小槌を扱えること以上の特異性は何もない。
 今更気にもしないんだけど。

「どうする? 連れて帰る?」
「んー……、ちょっと気が引けるけど、適当な場所に寝かしときましょう。今の正邪は誰彼構わず襲いかかりそうだから」

 霊夢の傍にいれば確実に騒ぎになるだろうし、こころのところに預かっていてもらうというのは、マミゾウの手に渡るのと同義だ。彼女はなんとなく信用できない。かといって、放置しておくのも、それはそれで危ない気がするけど、今のところ大きな被害は出してないみたいだからだいじょうぶだろう。私の知る限り、本気で正邪を追いかけているのは私くらいしかいない。

「わかった」

 こころは頷いて下降を始める。手持ち無沙汰な私はその後に付いていくことくらいしかできることがない。

「この辺でいいかな? 気休めにしかならないだろうけど、これも置いとこう」

 草の陰に隠れるように正邪を横たわらせたこころは、正邪の頭に笑顔を浮かべた面を乗せる。いつもこころが付けているのと比べると、安っぽい気がする。

「何それ」
「私が異変を起こしたときに集めた面のうちの一つ。特別な謂われのあるものじゃないけど、私の影響を受けて、少しくらいは感情に働きかけるものになってるはず。なんだか余裕がないみたいだから、楽しいことを見つけるための多少の手助けくらいにはなってくれるんじゃないかなぁと」
「それなら、こころが直接感情を操った方がいいんじゃないの?」

 そんな回りくどいことをする必要性はあるのだろうか。

「私が直接手を出しても一時しのぎにしかならないし、感情が極端に振れすぎちゃうから、無闇に精神を疲弊させるだけ。こういうのは、少しずつ進めていかないと。だから、針妙丸が正邪に安寧を与えたいなら、がんばって。たぶん、正邪の感情をいい方向に振れさせることができるのはあなただけ」

 こころが真っ直ぐにこちらを見つめてくる。強い意志の込められた紫桜の瞳からは、私への期待を感じ取ることができる。私のどこに、そんな期待できる要素があるというのだろうか。
 でも、正邪に前向きな感情を向けることができるのが私だけというのは確かだ。幻想郷に住む者は大抵正邪を敵と見なしている。こころも今は正邪に味方するような態度を取っているけど、それは間に私がいるからだろう。そう思えば、私に期待するというのもわからなくはない。
 なんにせよ、私がどうにかするしかないのだ。ひねくれ者のこいつが自発的に歩み寄るなんて考えられないし、こんなのを助けようとする物好きもいないだろう。

「楽はするなってことね」
「そういうこと」

 まったく、面倒くさいやつだ。





「瞳の中に緑の炎?」
「うん。後は、やたら執着心が強くなってた気がする」
「うーん……、なんだか誰かを思い出すような思い出さないような……」
「えっ! 本当?! 霊夢! がんばって思い出して!」

 数多くの妖怪と関わってきた霊夢ならもしやと思って、いの一番に聞いてみたけど、早速当たりを引くことができそうだ。ただ問題なのは、霊夢が他人にあまり頓着していないということ。だから、いくら特徴的だろうとも、関わりがあまりなければ忘れてしまっていることも珍しくない。記憶が曖昧ということは、この付近で活動していないということだけど、それでは大雑把すぎる。やっぱり、ある程度方向は定めたい。

「んー……、うん、思い出せないわ」
「えー……、あっさり諦めすぎよ。気にならないの?」
「ならないわよ。どうでもいいから忘れてしまっているんでしょうし」
「じゃあ、なんかこう、一緒にイメージとして出てきたものとかない?」

 諦めきれなくて、記憶の欠片だけでも引きずり出させようとしてみる。直接の答えじゃなくても、ないよりはましだ。

「陰気くさい、風通しが悪そうでじめじめしてそう。後、薄暗い」

 後ろ向きな言葉しか出てこなかった。でも、何か手がかりに……、なるのかなぁ。なってくれればいい。そんなイメージを抱かれるような人とは、あまり関わりたくないと思ってしまうけど。

「あ、そういえば、地底がそんな感じだったわね。あんまりじめじめしてるって感じではなかったけど」

 どうやら言葉にすることで、埋もれかかっていた記憶が頭くらいは覗かせたようだ。このまま、真相の答えを引きずり出してくれればいいんだけど、霊夢からはがんばって思い出そうとしている様子は感じられない。まあ、次の行き場所が決まっただけでも御の字かもしれない。本当にそこに答えがあるかはわからないし、問題がある。

「ねえ、霊夢。ついてきてくれない?」

 地底といえば、悪名高い妖怪が多くいる場所らしい。正邪と異変を起こすまで箱入り娘をやっていたから詳しくは知らないけど、良い話は聞かない。
 そんな場所を、私みたいな弱っちい妖怪一人でうろつくべきではないだろう。せめて、護衛となってくれそうなのが一人くらいはいて欲しい。

「嫌よ、面倒くさい」

 一蹴されてしまう。予想はしていたから落胆はしない。むしろ、頷かれてしまっていた方が、どうすればいいかわからなくなっていただろう。
 さて、改めて誰にお願いしようかなー、と思うけど、思い浮かぶその誰もが、神社に訪れるのを待たなくてはいけない。どこに住んでるのかなんて知らないし、そもそも幻想郷の地理にも明るくない。
 となると、誰かが来るまで待つしかないのだった。





 閑古鳥の住処になってるんじゃないだろうかと揶揄されている神社だけど、遊びに来る手合いは多い。霊夢自体は、親しい相手を作ろうとはしていないけど、人望があるのだ。正確には妖望?
 そんなわけで、頼むことのできる相手は多かった。聞き入れてもらえるかは別として。
 割合外に開かれるようになった今でも、地底の立ち位置は微妙なようで、頼りになりそうなのは、難色を示すばかりだった。そういうのは大体ある程度の地位についているのだ。
 だから、何人かに断られた時点で、同行者を見つけるのには時間がかかるかと思っていたけど、案外早く見つけることができた。流石、数多くの異変に関わってきた霊夢の人脈の広さである。

「緑色の炎ってのには心当たりがないけど、執着心の炎を燃やしてると言えば、あの人だろうねぇ」

 地底へ向かう道中で、私が示した情報にそう答えてくれたのは、今回地底に同行してくれることになった火焔猫燐だ。お燐と呼んで欲しいと言っていたので、そう呼ぶことにする。同行とは言うが、私は肩に乗せてもらっている状態だから、連れて行ってもらっているというのがより正確かもしれない。魔力と労力の節約である。
 お燐は地底に住んでいる妖怪だ。元々の気前のよさも関係しているんだろうけど、前提条件としてそれがあるからこそ、あっさりと引き受けてくれたのだと思う。

「その人ってどんな人なの?」
「橋姫って妖怪で、どんな些細なことでも嫉妬しまうほどの変人だねぇ。嬉しそうな奴を見ればどんないいことがあったのかと嫉妬して、落ち込んでる奴を見れば落ち込んでる時間があるのかと嫉妬して、よくストレスなんかで死なないと感心する妖怪さ」
「話だけ聞く限りだと、危険そうな感じはしないわね」

 実際に関わるとなれば面倒くさそうな印象はあるけど、害を与えられるような雰囲気はない。

「あたいが知ってるのは、地底で面倒ごとを起こさないように大人しくしてる姿だけだからねぇ。地底に住んでるってことは、それだけ厄介な手合いってことなんだろうさ」
「お燐もそうなの?」

 なんとなくだけど、地底に住んでいるというのが似合わない気がする。でも、お燐は実際に地底に住んでいるわけだから、実は結構危険な妖怪だったりするのだろうか。

「あたいは、地底が地獄だった頃からいるだけの地獄猫さ。だから、死体をちょいと頂いたり怨霊と話が出来たりするだけで、大した力も持ってない」

 そういえば、地底はもともと地獄だったというのを誰からか聞いていた。地獄は鬼の住処でもあったらしいから、住み始めた時期によって、傾向の違いとかがあるのかもしれない。

「怨霊とどんなこと喋るの?」
「そうだねぇ。例えば――」

 そうして、気が付けば正邪に干渉している犯人に関する話題からは遠ざかっていくのだった。





「ねえ、少し話を聞かせてもらって良い?」

 妖怪の山の麓にある洞窟へと入り、深い深い縦穴を潜った先の橋に、金髪の少女が立っていた。お燐いわく、彼女が件の橋姫―水橋パルスィ―らしい。こちらに向けられた緑の瞳からは、面倒くさいといった色が見て取れる。
 最初は直球で問いつめていくつもりだった。でも、お燐に止められて、何も知らない風を装う搦め手でいくことになった。言われて思い出したけど、彼女が犯人だと決まっているわけではないのだ。
 こういうのは正邪の十八番だったけど、私は苦手どころか、そういった手の格好の的だった。最近は多少世間を知るようになってきたけど、だからといって実践できるわけでもない。だから、お燐にあらかじめ大まかな流れを考えてもらって、後は細かく手助けしてもらうということにした。

「話すことなんてないわよ」
「最近、鬼人正邪という天邪鬼を見なかった? 赤い髪と白い髪が混じった黒髪で、ちっちゃい角がある、何言ってもひねくれたことしか返さない奴なんだけど」

 お燐から貰った助言の通り、言いたいことを言ってしまう。こうすることで、必ず答えが返ってくるということではないらしいけど、まともに問答する事による疲弊は防ぐことができるとのことだった。この辺りは、地上とそれほど変わらない部分かもしれない。

「世間知らずなお嬢様は、他人の話を聞くということもできないのかしら?」
「そうなのよ。だから、現在絶賛勉強中のところなんだけど、探し人が見つかるまで身に入りそうにないの。だから、面倒を振り払うためと思って、教えてちょうだい」

 開き直るのは、正邪とのやりとりを続ける内に慣れてしまっている。あいつの言うことは、いちいち真に受けていたら、精神的に保たないのだ。

「……ねえ、その図々しいちっこいの、持ってってくんない? あんたの連れなんでしょう?」

 パルスィは苛々とした様子で、お燐を睨む。これが、正邪と関わっていることを隠そうとしていることの現れならいいんだけど、ただ単に面倒くさがっているだけのような気がする。

「あたいは、このお嬢さんの手助けするつもりでいるから、それは聞き入れないねぇ。別に、そう面倒くさい問いじゃないんだから、答えてやってくれないかい?」
「……はあ。追い払う方が面倒くさそうだから答えてあげるわよ。そこの小人の言う天邪鬼なら見たわ。一度、旧都の方に向かおうとしてたけど、びびったのかすぐに戻って行ってたけどね」

 淀みなく答えるその姿の中に嘘は見つけられない。声の中にも煩わしさぐらいしかない。

「ふむふむ。ありがとう、参考になったよ」

 お燐は何かわかったのだろうか。聞いてみたいけど、さすがにここで聞くことではない。

「お礼なんて良いから、さっさとどっか行きなさい。その小人、ありとあらゆることが妬ましくて鬱陶しくて仕方ないのよ」

 そうしてこちらに向けられた瞳には緑色の炎が灯っていた。いつかの夜、正邪の瞳に映っていたのと同一の、燃え上がるほどの激しさはないものの、じわじわと全てを焦がしていくようなそんな炎。
 確たる証拠はなくとも、今回の元凶は彼女だと確信した。

「そうかいそうかい。じゃあ、針妙丸。休憩がてら、いったん地霊殿に寄ってみるかい?」
「そう、ね。手がかりもなくなっちゃたし」

 とりあえずここは、お燐に合わせていったん引くことにするのだった。




「どうだい? あの人が黒ってことで合ってそうかい?」

 橋から離れたところでお燐は立ち止まった。周りにはちらほらと妖怪だと思われるのが歩いている。なんとなく、こちらへと注目が集まっているような気がする。地上から来た私のことが珍しいのだろうか。

「うん。正邪の瞳の中にあったのと同じ炎が見えたわ」
「そうかい。じゃあ、これからどうするんだい?」
「あいつをとっちめて正邪を元に戻させるわ。お燐、ありがとう。あなたのおかげで、犯人がすぐに見つかったわ」

 感謝の念を込めて頭を下げる。霊夢の朧な記憶だけを頼りに地底に来ていたら、今もまだ犯人を探してさまよっていたことだろう。

「なんだか、別れの言葉みたいだねぇ。一人で行くつもりかい?」
「うん」

 私の求めていた護衛は、地底での犯人探しに付き合ってくれるような人だった。元々は、その人も巻き込んで、犯人と一揉めあるだろうと思っていたけど、お燐の機転のおかげで、犯人を見つけた後で別れる余裕ができた。私が勝手にやってることなんだから、必然的な危険を被るのは私だけでいい。護衛は、偶発的な危険を抑えるためにほしかっただけだ。
 本当は、一人で挑むのは不安だ。でも、だからといって、今日知り合ったばかりの妖怪に頼むことではないだろう。

「そうかいそうかい。じゃあ、お前さんが友達を救い出せるように健闘を祈ってるよ。ああ、そうだ。お前さん一人で行かせたら煙に巻かれそうだから、橋姫の挑発の仕方を教えてやろう」

 お燐はそう言って、パルスィのこだわりを教えてくれる。そんなものでいいのだろうかと思ったけど、他に手段もない。私にも簡単にできそうだから、試してみる価値くらいはあるだろう。




 橋に戻ってくると、まだパルスィが立っていた。あそこに住んでいたりするのだろうか。妖怪だから、あり得ないとは言い難い。

「あら、もう戻ってきたの? さとりから逃げ帰ってきたのかしら?」

 馬鹿にするような笑みを浮かべて嘲笑してくる。その言動にむっとするけど、冷静さを失ってしまわないようにする。

「一つ聞き忘れてたことがあったのよ」

 続く言葉を聞いた瞬間に攻撃してくると言うことも十分にあり得るから、すぐに戦闘態勢に入れるよう、小槌と針に意識を向ける。

「あなたが正邪に何かを仕掛けてる犯人でしょ?」
「何を言っているのかしら? 天邪鬼に何かが仕掛けられてる? 初めて聞いた話ね」
「正邪の瞳の中には、緑の炎が宿ってたわ。あなたが私を羨むときに、瞳の中に宿していたのと同じね!」

 びしぃっと、人差し指をパルスィへと向ける。とぼける犯人に証拠を突きつけるという滅多にない場面だったから、格好をつけてみたくなったのだ。

「……羨望なんて綺麗なものじゃないわよ。私の炎は妬み嫉みで燃え上がる、生産性の欠片もないものよ」

 パルスィは全く動じていなかった。でも、自らが犯人だと白状させることができていた。
 お燐の言っていた方法は本当に効果覿面だった。ここまであっさり正体を現すとは。正邪の天邪鬼としての性質はある程度理解しているけど、そうしたものは他の妖怪でも当てはまることがあるのか。

「ねえ、あの炎に気づいたということは、間近で見たんでしょう? どう? 最後には自身の身さえ焼いてしまいかねない炎は、美しいものだったでしょう?」
「まあ確かに、正邪は嫉妬ばっかりしてた奴だったわね。でも、あいつに感情任せに動いてる姿なんて似合わないわ。だから、今すぐ元に戻してやってちょうだい」
「……妬ましい。仲間なんて誰一人としていないみたいな雰囲気を放っていたくせに、こんな健気な理解者がいたなんて、なんて妬ましい。ふふ、人形みたいな貴女の首をもいで見せてあげたら、どんな反応をするのかしらね?」

 緑の瞳の中で、炎が激しく燃え盛っている。それは、私へと向けられたものではない。でも、私はその迫力に圧倒されてしまう。
 それに、冗談でも何でもない悪意に背筋が冷える。正邪が見せていた悪意がちっぽけな物だったのだと、思い知らされる。

「……鬱陶しいのがいなくなって、清々するんじゃないかしら? でも、だからって負けるつもりはないわ! 正邪は私の初めて一緒に何かをした仲間なんだから!」

 怯えを振り払うように、小槌を勢いよく振る。自分の身体が大きくなり、普段は使えないような力が漲ってくるのを感じ取りながら、人一人くらいなら貫くことができそうな長大な針を構える。

「ああ! 妬ましい! 全てが光り輝いてる貴女が妬ましい!」

 パルスィの周囲に緑色の炎が浮かび上がる。それは、さながら蛇のような軌跡を描きながら燃えている。
 実体のない蛇と目が合ったような気がした。それが、始まりの合図となった。





「ったく、簡単に捻ってあげられると思ったのに、予想外だったわ」

 パルスィは橋の上に膝を突いて、見るからに悔しそうな表情でこちらを睨んでくる。なんだか、思ったよりもあっさりと終わってしまった。もっと苦戦するつもりでいたんだけど。
 そういえば、よくよく考えてみれば、小槌を手に入れてから相手にしたのは霊夢みたいな規格外とルール無用の正邪くらいだ。小槌のおかげで多少は強くなったかなーとは思っていたけど、思っていた以上だったのかもしれない。借り物の力は、その実体を把握しづらいということなんだろう。
 まあ、私の強さに関してはどうでもいい。

「さあ、正邪を元に戻してちょうだい」

 針の切っ先を向けながらそう言う。脅しているつもりはなくて、単なる格好付けだ。

「ここにいないやつに関与なんてできないわ」
「じゃあ、正邪を連れてきたら、元に戻してくれる?」
「さてさて、どうしようかしらね? そこまでする義理なんてないわ」
「……何が望み?」
「あの天邪鬼の嫉妬の炎が見れた時点で、私の望みは叶えられてるわ。単純に、他人に従うのが気に食わないだけ」
「……むぅ」

 さてどうしようか。この状態のまま、正邪をここに連れてきても、骨折り損となってしまうだけだろう。今の状態の正邪が、大人しくしてくれているとはとても思えない。
 勝ったのに、何も進展する気配がない。何とか約束を取り付けることができないだろうか。

「おやおやお嬢さん、お困りかい?」

 こちらの言うことは何一つとして聞くつもりのないという態度を取っているパルスィを前にして悩んでいると、聞き覚えのある明朗な声が聞こえてきた。さっき別れたばかりのはずなんだけど。

「お燐、帰ったんじゃないの?」
「そう思わせておいて、危機に瀕してるところで、あたい参上! みたいなことをやりたかったんだけどねぇ。針妙丸、お前さん思った以上に遣り手だったんだねぇ」
「私自身も驚いてるところ」

 だから、褒められても自分に向けられたものだという感じがしない。いつかご先祖様のように、真に強くなることはできるのだろうか。でも、正邪を止めることさえできればいいので、強くなることに興味があるわけではない。あればいいかなー、という程度のものだ。

「他人事だねぇ。まあ、それはいいとして、あたいの助けが必要かい?」
「何か手でもあるの?」

 わざわざ出てきたのだから、適当なことを言っているということはないだろう。だから、純粋にどうやるのかというのが気になったのだ。

「実はあたいにはとあるコネがあってねぇ。真っ直ぐ生きてる奴には、ほとんど効果がないんだが、ひねくれた奴にはこれ以上ないくらい有用なコネなんだ。それを使えば、上手くことが運ぶかもしれない」

 お燐の瞳には、獲物を狩る獣の光があった。気さくな感じの妖怪だと思っていたけど、それだけではないのかもしれない。敵に回すと厄介そうだ。

「ペットに飼い主を使う資格なんてあるのかしら?」

 パルスィは何か心当たりがあるらしい。というか、お燐は誰かに飼われていたのか。誰にも飼われず、気ままに生きているのだと思っていた。

「飼い主を都合の良いように使う。でも、恩義を感じればその分はしっかりと返す。猫ってのはそういうもんさ」
「ふんっ。でも、それがどうしたって言うのよ。あんたの飼い主様は、そう簡単に動くような奴じゃないでしょう?」
「まあ、確かにさとり様は、面倒くさがりで、こんなことに手を貸すようなことはないさ。普通の状態であればね」

 お燐がパルスィへと近づいていく。

「今、針妙丸が追いかけてるのは、幻想郷で手配にかけられてるようなそんなやつだ。ま、それほど騒ぎになってないことから分かるとおり、本気で危機を抱いてるようなやつは少ないんだけれどね。でも、お前さんが手を出しちまったことで、現実に危機を振りまくようになる可能性だってある。狡賢い奴は自分の限界を悟って、自然と行きすぎないもんだが、感情に振り回されてる奴は何をしでかすかわからない。そんな危険性があるなら、さとり様だって重い腰を上げるだろうさ」
「やけにその小人に肩入れするのね。どうせあの程度の天邪鬼が暴れたところで、消されておしまいよ。その程度で、あのさとりが動くとは思えないわ」
「その可能性だってあり得るねぇ。でも、絶対に動かないという保証だってない。だったら、天邪鬼に施した物をちょちょいと解除するのが賢いんじゃないかい? 何も天邪鬼を捕まえろって言ってるわけじゃないんだからさ」

 無言で二人が睨み合う。そこに、私が入っていける余地はない。それどころか、不用意に近づけば、両者の間に張った緊張の糸に弾き飛ばされてしまいそうだ。

「……はあ、わかったわよ。私はその天邪鬼に仕掛けた物を解除すればいいのよね?」
「だそうだけど、それでいいのかい?」
「うん」

 お燐の言葉に頷く。わざわざそう聞いてきたということは、責任は私が持てと言うことなのだろう。

「よし、じゃあ、これで交渉成立だ。パルスィ、約束を破るんじゃないよ」
「はいはい、わかってるわよ」

 パルスィは適当な感じの返事をする。だいじょうぶなんだろうか。約束を反故されないだろうかと不安になってくる。

「にしても、ほんとなんであなたはその小人に肩入れしてんのよ」
「なんというか、一生懸命な姿を見てると断れなくなっちまったのさ。で、どうせ手伝うなら、やれるところまでやろうってね」
「……やっぱり貴女は、妬ましいものばかりで構成されてるのね」

 じっとりと絡み付くような視線を向けられる。私は思わず距離を取るように動いてしまう。なんだか、身の危険を感じた。

「ああ、妬ましい妬ましい」

 パルスィは呪いの言葉のように、そう繰り返すのだった。





 パルスィに正邪を元に戻して貰う約束を取り付けたことで、あらかじめすべきことは整った。後は、実際に正邪に会って、引きずってでも地底へと連れて行くだけだ。
 一応方法は考えてある。それは、正邪に絶対に逃げられないようにと小槌に願うという力業だ。
 とはいえ、正邪と対峙するためには身体を大きくしていないといけないから、それ以上願いすぎると代償が発生してしまう可能性がある。何個か願いを叶えてきた経験での実感だけど、自分自身に働きかける願いよりも、他者へと働きかける願いの方が圧倒的に魔力も必要となる。だから、できる限り相手へ与える影響の少ない願いとした方がいいだろう。あまり魔力を放出させてしまえば、またどんな代償が発生してしまうかわからない。
 何が何でも自分自身の手でいったん捕まえる。そして、小槌に頼んで、決して逃げることができないようにするのが、最善といったところだろうか。
 何にせよ、行動するしかない。




「正邪! ようやく見つけたわ!」

 月明かりに頼った捜索の末、ようやく探し求めていた背中を見つける。
 私が犯人探しをしている間にも、色々な人妖に絡んでいっているという話は聞いていた。でも、そこには襲われたという事象だけが乗せられていて、正邪の様子についてはほとんどなかった。あったとしても、しつこく付き纏わられただとかそんなものばかりだった。
 目の前にいる正邪は、ぼろぼろになっていた。服は所々破れており、その向こう側には傷が見える。だというのに、弱っている様子はなく、赤い瞳の中には悪意ばかりが、渦巻いている。
 いつか考えていたように、本当に消えていってしまいそうな、そんな危機感を抱かせる姿だった。
 こころがあげた面は効果がなかったようだ。それ以前に、目を覚ましてすぐに捨ててしまったのかもしれないけど。

「よぉ、針妙丸。今日は一人なのか?」

 目に入る全てを羨むような、それでいて全てを憎むような、ねっとりと絡み付くかのような声。全てを打ち返そうとする正邪らしくない声。

「ええ。今日は話し合いに来たんじゃないもの。私は全力であなたを捕まえればいいだけだから、足止め役は必要ないわ」

 針の切っ先を正邪へと向ける。他人から見れば頼りない武器かもしれないけど、私にとっては立派な武器だ。これで、心を奮い立たせるのだ。

「はっ、大した自信だな! 今まで私の邪魔をするだけで、捕まえることなんてできなかったくせによぉっ!」

 言葉そのものを叩きつけるように吐き捨てながら、赤色に輝く陰陽玉を取り出す。私はタイミングを計ってから、前へと出る。
 今日の作戦は、とにかく前進だ。とにかく一度でも捕まえることができれば、後は小槌に正邪が絶対に逃げられないようにと願うだけだ。
 目の前に正邪が現れる。私が突っ込んでくるとは思っていなかったようで、こちらを驚いたように見ている。そういえば、私自身の手で正邪を脅かしたことはない。

「捕まえたっ!」

 そう思った。でも、伸ばした手は空を切る。とっさに身体をひねったらしい正邪が私の視界の端を横切る。
 まさか避けられるとは思っていなかった。
 やはり、正邪は越えてきた場数が違うのだと思う。借り物の力を振るう私とは違って、個々の動きが洗練されている。
 そう考えながら、勢いそのままに前へと出て正邪との距離を取る。背後を見せるなんて隙を見せれば、確実にそこを狙ってくるはずだ。

「遅い遅い! それで逃げてるつもりかぁ!?」

 振り返る。そこにはすでに、正邪が肉薄してきていた。左手には、神社によく訪れてくる天狗が持っているのよりも、一回り小さなカメラが握られている。
 私は針を突き出して、弾幕を展開する。光の針が私の周囲に広がって、接近する者を拒む壁となる。

 かしゃり。

 正邪がカメラを覗き込んで、シャッターを切ると周囲の弾幕が切り取られ、正邪との間を阻むものがなくなる。でも、そうなることはわかっていた。だから、カメラを覗き込んでいた瞬間には、隙間から飛び出そうとしていた。

「読まれてないとでも、思ったかぁっ?!」

 カメラの代わりに、小槌を模した大槌を振りかぶっていた。逃げるかこのまま突っ込むか、逡巡してしまう。その結果――

「まず、いっぱぁつ!」
「あぐ……っ!」

 横殴りの強い衝撃が襲ってきて、口から空気とともに苦悶の声が漏れ出てくる。痛いだとか思っている余裕はない。
 私に置き去りにされていく風によって、吹っ飛ばされているのだと気づく。その場に無理矢理踏ん張ろうとする。体勢を立て直してはいられなかった。

「にはぁつ!」

 私に追いついた正邪は、大槌を再度横に振るう。身を守るという本能だけで避けようとしたけど、行動を始めるには既に遅い。
 今度は意識が揺らされる。朦朧としながら、自分の身体が回転しているのを自覚する。
 止まる、逃げる。この動作を続けて行わなければならない。でも、勢いを殺すことはできず、せめて少しでも逃げようとするけど朦朧とした意識では、どちらに進めばいいのかわからない。正邪が確実にこちらとの距離を詰めに来ているということだけがわかっている。

「そして、最後ぉっ!」

 衝撃が頭のてっぺんから突き抜けた。
 数瞬、意識が飛ぶ。
 気が付いたときには天地が逆転していて、星の瞬く夜空が足下に来ていた。
 このまま、死ぬのだろうか。嫌だな、とは思うけど、揺れている意識はどうすべきかという答えを導き出せない。
 私を殺したからといって、正邪が気に病むことはないだろう。でも、正邪の抑止をする人がいなくなってしまう。そうなれば、いっそう過激になっていくだろう正邪に待ち受けるのは、破滅だけとなる。
 そんなのは駄目だ。正邪の性質からいって、散々な目に遭ってしまうのは、仕方がない。でも、終わらされてしまってはいけない。あんなのでも、一応私を外へと連れ出してくれた恩人だ。永遠の眠りの中に横たわるのだとしても寝覚めが悪い。
 私ががんばるしかない。
 そして、どうすればいいのか思い出す。上を正確に意識できないままに飛ぶ。勢いを殺すことができているのかは、よくわからない。

「よしっ。キャッチ成功!」

 最悪死ななければいい。そう思うと同時に、思いの外柔らかな地面へと落ちた。その直後に、明朗に響く嬉しげな声が聞こえてくる。

「針妙丸、無事かい?」

 ぶん殴られた衝撃が残っていて揺れているように感じる視界の中に、お燐の笑顔が映る。私をうまく受け止めることができたのがよほど嬉しいようだ。
 それにしても、何で私を受け止めてくれたんだろうか。腕で抱き留めてくれたというには、距離がありすぎるし、そもそも背中に触れているのは腕ではない。それよりはずっと面積がある。更に言えば、不快な臭いが鼻につく。
 何の気なしに、私の下に敷かれているものを見てみると、白濁した眼球と目があった。

「……」

 最初、見えてくるものが意味するものがなんなのか、理解できなかった。こんな目で物が見えるのだろうかと、筋違いなことを考えてしまうくらいだった。
 でも、少ししてそこに何があるのかを理解して、文字通り飛び上がる。

「ぎゃーっ! 何これ何これ! 気持ち悪い!」

 私の下にあったのは、恐らく人間の男の死体だった。初めて触れる父親以外の異性がすでに事切れているのだなんて嫌すぎる。軽いトラウマ物だ。

「さっき拾ってきた死体だよ。でも、気持ち悪いだなんて非道いねぇ。こんなに綺麗なのも珍しいくらいなのに。たぶん、毒でも食っちまったんだろうから、身体の中はそうでもないかもしれないけどね」

 しみじみとそんなことを言っているのを聞いて、お燐がそういう妖怪だということを知る。単なる頭の回転の速い化け猫かと思っていたけど、それだけではなかったようだ。

「こ、殺したりなんてしないわよね」
「しないしない。あたいは自ら手出しはしないで、既に出来上がった死体だけを持ち去るんだ。それに、殺すつもりなら今ここで助けてなんかないさ」

 確かにその通りだ。間近にあった死体のせいで、冷静さを欠いてしまっていた。

「そんなことより、こんなところで無駄話なんてしてていいのかい? お取り込み中だったんだろう?」
「そうだった! 正邪!」

 空を見上げる。そこにはまだ正邪がいて、こちらを見下ろしてきている。心底、憎々しげな表情を浮かべて。

「今宵こうして出会ったのも何かの縁。お前さんがよければ力を貸すけど、必要かい?」
「うん、お願い。あの状態の正邪には勝てないみたいだから」

 それは、気持ちの違いのせいなのだろう。私は止めようと思っている程度だけど、向こうは本気でこちらを殺そうとしている。
 でも、なんだってそこまでしようとしているのだろうか。パルスィは嫉妬を増大させていると言っていた。なら、正邪は私を妬んでいるということになるけど、私に何かそこまでのものはあっただろうか。
 唯一、小槌を振るうことができるという血筋は誰からも羨まれそうだけど、正邪はそこに付随する制約も知っているはずだ。そのおかげで、あの異変はうまくいかなかったわけでもあるし。

「よし。じゃあ、いっちょやるとしますか」

 お燐は気合いを入れるように頷いて、猫車の取っ手から手を離して空を目指す。私もそれに続こうとするけど、ふらふらとして真っ直ぐ進むことができない。
 死体との衝撃的接触で意識外へと弾き飛ばされてしまっていたけど、正邪から与えられた衝撃はまだ残っている。今なお中心が少しばかり定まらない。

「大丈夫かい?」
「うん、だいじょうぶ」
「そうかい。ま、無理はしないことだ」

 私はその言葉へと頷き、改めて正邪のいる空へと戻るのだった。




「しつこい、しつこいなぁ。お前はそんなに私に殺されたいのか?」

 正邪が心底鬱陶しそうにこちらを睨んでくる。嫉妬にまみれてない素の反応を久々に見た気がする。そんなことに少し安堵。なんだか今までは、似た姿の別人を相手にしているような感覚だったのだ。

「別にそんなつもりはないわ。私はただ、正邪にいなくなって欲しくないだけ。幻想郷の転覆を諦めるんなら、私はすぐに関わるのをやめるわよ」
「はっ、お前に指示されるいわれなんてねぇよ!」

 吐き捨てるように、私の提案を蹴る。まあ、最初っから期待なんてしてない。それでこそ正邪だ。

「にしても、次から次へと味方を引き連れてくるな。お姫様は一人じゃなんにもできないってか?」
「姫って呼んでるのって正邪だけだよね」

 それなりに生まれも育ちもいいと思っているけど、お嬢様といった方がしっくりとくる気がする。配下とかがいたわけでもないし。私たちは、人間にも妖怪にも相手にされず、それなりの暮らしをしていただけだ。
 もしかすると、正邪は城には姫が必要だからというそう呼んでいたのかもしれない。そう思うと、正邪は意外とロマンチストなのかもしれない。まあ、だからこそ幻想郷転覆なんて物を企み続けているのだろうけど。

「んなもん、なんだっていいんだよ。私は声をかけるだけで簡単に味方を増やせるお前が妬ましい。何の努力もしてないくせに、味方を得られるなんてずるい」

 ああ、やっぱり正邪らしくない。先ほどの言葉が本心であれなんであれ、一人でいることを誇ってこその正邪だ。早く捕まえて、元に戻してあげないと。

「横からちょいと失礼。あたいがいいことを教えてやろうか? 仲間っていうのは努力だけで手に入れるものじゃないんだよ。決まった方法があるわけじゃないけど、あたいが針妙丸の仲間をしようと思ったのは、愚直に頑張ってる姿に心惹かれたからさ。あたいの友人に似たようなのがいるってのも無関係ではないだろうけどね。天邪鬼に説教なんてするつもりはないけど、これだけは知ってても損はないんじゃないかい?」

 そう言いながら、お燐が片手を上げると、頭に輪っかを付けた顔色の悪い妖精が何人か現れる。この辺りで見かける妖精とは、雰囲気が異なっているような気がする。

「余計なお世話だ。お前ら、まとめて殺してやるよ!」

 憎悪とともに、元の大きさの私よりも大きな花火玉を投げつけてくる。
 私は弾幕を盾にするようにしながら、距離を取ろうとする。でも、毎度のことだけど、弾幕は爆風に吹き飛ばされ、私の速度でそれから逃れることはできない。いつものように吹き飛ばされて、大きく隙を作る。
 いつもなら、ここで正邪の本命が飛んできているはずだった。でも、爆風から先の攻撃はこちらへと向かってこない。
 体勢を立て直しながら、周囲を確認してみると、お燐が正邪との距離を詰めていた。若干黒こげになっているものの、ぴんぴんとした様子の妖精たちが前線に加わっていっていることから、彼女たちを盾にしていたのかもしれない。普段の言動からは考えづらい、えげつない戦い方だった。あまり相手にはしたくない。
 そんなことを思いながら、急いで前線へと向かう。

「おっと、大丈夫だったかい?」

 お燐は人魂のようなもので構成された車輪をいくつか正邪の方へと投げつけながら、こちらへと振り向く。

「うん。ええっと、それより、その子たちはだいじょうぶなの?」
「ああ、大丈夫。こいつらは、丈夫さと粘り強さとしつこさが売りなのさ。生まれが灼熱地獄跡のすぐ傍だから、その影響を受けてるんだろうさ」

 それを聞きながら妖精たちを見てみれば、嫌々やっているようには見えないから、私があれこれ言うのは余計なお世話なのかなーと思ってしまう。だからといって、受け入れ難いというのは変わらないけど。

「それで、あたいたちはどう動けばいいんだい?」
「とにかく、私が一度正邪を捕まえられれば、絶対に逃げられないようにするから。正邪に近づきやすくして」
「了解。うちのゾンビフェアリーたちを盾にして道を作るから、なんとか突っ込んどくれ」

 平然とそんなことを言っているけど、正直言うとかなり気が引ける。でも、前線より少し下がった場所にいる妖精たちは、任せろとでも言うように私にガッツポーズを見せて、嬉々とした様子で飛ばされた子と入れ替わりで前へと出て行く。

「ま、お前さんの価値観で判断しないこった。こいつらは、自分たちの頑丈さが役立つのが嬉しいのさ」

 司令塔らしいお燐がそう言っているし、妖精たちやる気を見せてくれている。私の常識はいったんどこかへ片づけておいて、その厚意に甘えさせて貰おう。

「うん、それじゃあ、お願い」
「任された。じゃあ、お前たち、やってくよ!」

 お燐の声に応えるように、鬨の声が上がる。一人の妖怪を捕らえるには過剰なくらいの盛り上がりようだ。でも、大勢を統率するにはそういうのも必要なのかもしれない。

「ちっ、羨ましいくらいに仲がいいなぁ! 一人残らずぶっ飛ばしてやるよ!」

 二発目の花火玉が投げ入れられる。あの花火玉は、一定時間が経つと復活する、そんな道具だ。
 投げ入れられた花火玉へと、妖精たちが殺到する。妖精たちの内の一人が、こちらへと振り返ると親指を立ててウィンクをした。構わず捕らえに行けということらしい。
 私は妖精たちの頑丈さを信じて、正邪の方へと一直線に飛んで行く。正邪はすでにこちらへと意識を向けているけど、あの花火玉以上に危険な道具はないから、警戒さえ怠らなければしばらくは大丈夫だ。

「正邪! 覚悟!」

 ただで捕まってくれるとは思っていないから、輝針の弾幕を展開しながら近づいていく。玉となった妖精たちを追い抜かしたところで、爆発音が届いてきた。視界の端で何人かの妖精が飛ばされているのが見えた。
 私はそちらに気を取られないようにしながら、正邪へと手を伸ばす。

「そう簡単には捕まらねぇよ!」

 この程度で捕まえられるはずがないことはわかっていた。でも、今の私には頼もしい仲間がいる。

「って、まとわりつくんじゃねえよ! 鬱陶しい!」

 爆風によって吹き飛ばされていた妖精が、正邪へとしがみついて捕縛する。最初からそれを狙っていたのかはわからないけど、追いつめて行くには有効な手立てだ。
 私は再度手を伸ばす。まだ、捕まえることはできないだろうと思いながら。

「まだまだ甘いんだよ!」

 動きが制限されている中でも、正邪は送り提灯を取り出す。そして、それを掲げると、正邪の身体が透けて、妖精たちの手から逃れてしまう。
 それは、使用者の身体を霊体にして実体をなくす道具だ。一度使うと、次に使えるようになるまでに時間がかかるみたいだけど、正邪が持つ道具の中では一、二を争うくらい、厄介な道具だ。
 幸いなのは、その道具を使っている最中は他の道具を使うことができないということだろうか。今の正邪の主力は自前の弾幕ではなく、道具の持つ力なのだ。
 正邪が弾幕を撃ち込んできながら、こちらへと向かってくる。普段の正邪なら、逃げ出しているはずだ。
 さてどうしようかと悩む間もなく、妖精たちが私と正邪の間へと割り込んで、盾となってくれる。
 私は彼女たちへと「ありがとう!」と感謝を述べながら、正邪から逃げる。そんな私を正邪が、妖精たちを無視して追ってくる。何が何でも私を倒したいようだ。

「正邪! そんなに私と遊びたいなら、また今度遊んであげるから、今は大人しく私に捕まって!」
「ばーか! 誰がんなこと言われて、はい分かりましたって頷くってんだよ!」

 まあ、ごもっともである。

「じゃあ、ちょーっと、私に付き合ってくれるだけでいいから! 用事が済んだら、後は正邪の好きにしていいから!」
「詐欺の常套手段じゃねぇか! 騙されねぇよ!」

 嘘を吐いてるつもりなんてないんだけどなー。自分が嘘ばっかり吐いてるせいで、他人の言葉を信じられなくなってしまっているのかもしれない。主目的は、時間を稼ぐことだから信じてくれようがくれまいがどちらでもいいんだけど。

「ふふん。私が詐欺なんてできると思う?」
「なんで、偉そうなんだよ!」

 シンプルな突込みが返ってきた。
 あ、そろそろいいかも。

「なんにせよ、私の言ってることがほんとだって分かれば、付いてきてくれるってこと?」

 進行方向を逆向きにして、腕を掴む。誰のとは、言う必要もないだろう。

「んなわけねーだ、……あ」

 気づかれた。でも、振り払われてしまう前に、片手で小槌を振って願う。正邪に逃げられないようにしてください、と。
 その結果、正邪の身体から力が抜けた。それと同時に、正邪の身体が落下を始める。私は慌ててその身体を抱きしめて、なんとか踏ん張る。
 正邪は気を失っていた。どうやら、小槌が正邪から妖力を抜き取ったようだ。
 願いによっては、こんなこともしでかすのか。もしかして、今までの苦労は無駄だったんだろうか。まあ、考えるだけ無駄か。正邪を大人しくさせることができた。その結果が出ているのだから、それで十分だ。

「案外あっさりと片づいたみたいだねぇ。あたいたちの力、いらなかったんじゃないかい?」
「ううん、そんなこと、ないわ。あなたたちが、いなかったら、私の方が負けてたと、思うわ」

 正邪を落としてしまわないよう踏ん張っているせいで、声が途切れ途切れとなってしまう。
 お燐の加勢は大きかった。特に妖精たちの盾には随分と助けられた。何かお礼をしようと思うけど、何がいいだろうか。落ち着いたら、ゆっくり考えてみるとしよう。

「あと、正邪を地底にまで、運ぶのを、手伝ってくれたら、助かるわっ」

 ここで、お礼と共に立ち去れたら格好良かったんだけど、残念ながらそこまでの力も意地も持ち合わせていないのだった。





 妖精たちに手伝ってもらって地底へと行って、無事正邪に仕掛けられたものは解除してもらった。お燐は死体を運ぶべく、猫車を押していた。
 地底から戻ってきた今、私は輝針城にいる。神社に住ませて貰っているから、普段は霊夢に頼んで誰も入れないようにしている。私以外に誰も使わないから、あまりこっちに移ってくる気にならないのだ。騒がしいのが好きというわけでもないけど、一人きりでいるのは寂しい。
 そんな私の前では、正邪が布団の上に横になっている。ぼろぼろになっていた服は着替えさせておいた。傷の治療も私なりにやっている。本当どれだけ、無茶をしてきていたんだろうか。
 まだ目を覚ましてはおらず、静かな寝息だけが聞こえてくる。起きているときは、黙っているのが珍しいくらいだけど、寝ているときは当然のように大人しい。偶に寝言を言うことがあるけど。
 と、正邪の目が開く。まだ意識が半分くらい夢の国に残っているのか、赤い瞳はこちらに焦点が合っていない。私はその瞳を間近で覗き込んで、緑の炎が燻っていないことを確認する。うん、大丈夫そうだ。

「……何してんだ」
「悪いものが残ってないかの確認。正邪、気分が悪かったりしない?」
「……最悪の気分だよ」

 そう言って、横を向いてしまう。たぶん、だいじょうぶなんだろう。

「ねえ、ここ数日くらいのこと覚えてる?」
「日常のことなんていちいち覚えてないに決まってんだろ」
「じゃあ、正邪は私の何を妬んでたの?」
「お前、会話する気ないだろ」
「正邪が素直に答えてくれないから仕方ないわ」

 幻想郷のひねくれ者たちと関わりつつ正邪を追いかけ回しながら覚えた、正邪とのやりとりの仕方だ。

「……ほんと、面倒くさい奴になったよな」
「正邪のおかげというかせいというか。なんにせよ、箱入りでしかなかった私を連れ出してくれたことには感謝してるわ。ありがとう」
「……」

 正邪からの反応はない。正邪的には私を騙していたから、嫌われて当然と思っていたのに、感謝なんてされてしまうのだから、反応できなくなってしまうのも仕方ないのかもしれない。

「それで、正邪が嫉妬してたのは、私がちょっと良いところの出だから?」
「良いところつっても、小人族の中でだろ。誰がそんなの羨ましいだなんて思うか」
「私が小槌の力を使えるから?」
「あんな欠陥品が使えるからってなんだってんだ。私の持ってる道具の方がよほど優秀に決まってんだろ」
「私を手伝ってくれる人が結構いるから?」
「私は一人で平気だ。他人の力なんて必要ない」
「ええっと、後は――」
「うるさい、黙れ。それ以上喋ると、口を縫い合わせるぞ」

 何か他に確認できそうなことはあるだろうかと考えようとしていたところで、正邪の乱暴な声が割り込んできた。ここまで思い通りに動いてくれると、なんだか楽しい。

「何笑ってんだよ」
「正邪って結構律儀だなーって。隠したいことがあるなら黙ってればいいのに」
「今更隠すことなんてねぇよ」

 まだ他にも何か私に嫉妬していることがあるらしい。

「そうなの? でもまあ、今はいいわ。想像する楽しみもあるし」

 私がそんなことを言うと、正邪が悶え始めた。天邪鬼としては私の楽しみを奪いたくて仕方がないと思っているけど、正邪自身の衿持が喋ることを拒んでいるとかそんな感じなのだろう。面倒くさい種族だ。それ故に、慣れてしまうとその手綱を握るのも難しくはない。
 それにも関わらず、これまで正邪にある程度好きにさせていたのは、正邪に自分自身で幻想郷が敵ではないということに気づいて欲しいからだ。どうせ気づいたところで今更引くことはないだろうけど、線引きはするようになるだろう。

「じゃあ、私は神社に戻るわ。あんまり悪いことはし過ぎないようにね。あと、私と霊夢以外は勝手に入れないようになってるから、忘れ物はしないようにね。私に言ってくれれば、入れるようにはできるけど」

 伝えておくことはこれくらいだろうか。結局正邪は喋ってくれなかったけど、がんばって追々喋らせることにしよう。想像する楽しみというのもあながち嘘ではないし。布団はまた後で片づけに戻るとしよう。

「ま、待て!」

 そんなことを考えながら、背を向けて立ち去ろうとしていたところ、布団から上体起こした正邪に呼び止められた。私は振り返るだけで、何も言わない。正邪を促すための最適な言葉が見つからなかったのだ。

「……私は、一人満たされているお前が羨ましい。かつて同じ場所にいたはずの私には何もないのに、お前の周りには色々なものがある。……地位や特別な力や仲間は絶対に欲しいって訳じゃないけどな。私はただ満たされたいんだ。なのに、何をやっても空虚なんだよ」

 そう言って、本音を晒け出したことを恥じるように、こちらに背を向けてしまう。
 そうか。正邪はそんな望みを抱えていたのか。でも、考えてみれば、あの異変以来、身に余る肩書を付けられてしまったせいか、空回りしてばかりしているようだった。そんな状態で、満たされるようなことはないだろう。
 とはいえ、それを知ったところで、天邪鬼である正邪を救うのは難関だ。真っ正面から向かう方法では、正邪自身が避けてしまう。

「私が満たされてるのは、正邪のおかげだけどね。あのとき、私に小槌を持ち出させるようにけしかけられてなかったら、私は小人族の中で退屈な日々を過ごしてるだけだったと思うわ。だから、とても感謝してる」

 今の正邪は、幻想郷中を敵に回して、誰にも認められていない状態だ。だからとりあえず、私にとって正邪は価値ある存在なのだということを伝えておく。
 私に認められているということが、正邪にとってどの程度の価値があるのかはわからないけど。

「とにかく、私が言いたいのはそれくらいかな。じゃあ、正邪、今度こそ私は神社に戻るわ」

 正邪が満たされるために必要なことは、これから考えていこう。あんまり言い過ぎては、正邪の行動を縛りかねない。正邪の手綱は欲しくない。
 改めて正邪に背を向けると、今度は呼び止められるようなことはなかった。





「ぼんやりしてる」
「そー、ぼんやりしてるのよー」

 縁側に座って、熱を帯びた頭を冷やしていると、こころが現れた。私を潰さないよう注意してくれながら、隣に座る。

「正邪のことでも考えてたの?」
「そー」

 朝からずっと正邪のことを考えていた。でも、一向に妙案は浮かばなくて、頭に限界が訪れていた。考えるのは、あまり得意ではない。何にも考えずに、正邪が暴走しすぎないよう邪魔をしていた頃の方がずっと気楽だった。
 だからといって、正邪の本音を聞かなかったことにしたいとは思わないけど。きっと、あの言葉を知っているのは私だけなのだろう。だとすれば、正邪は私のことを認めてくれているということであって、一方的でなかったということが嬉しい。そう思えば、そのことに応えたい。

「そういえば、あの暴走は解決できたの?」
「ええ、お燐に手伝ってもらって、無事解決できたわ」
「そっか、よかった」

 こころの頭に嬉しそうな表情の面が現れる。
 そういえば、こころが正邪のことを悪く言ってるのを聞いたことがない。お人好しということなんだろうかと思ったけど、幻想郷から希望が失われる異変が収束しつつあるときに、こころは人間たちの感情を徒に弄ぶ宗教家たちを敵と認定した上で撃退したことがあると聞いたのを思い出す。人が好いだけというわけではないのだろう。きっと、こころはこころなりの正義を持っている。だからこそ、聞いてみたいことがあった。

「ねえ、こころは正邪のことをどう思ってるの?」
「どう思ってる?」

 突然の問いだったからか、不思議そうな表情の面と共に首を傾げられてしまう。

「うん。こころが正邪のことを悪く言ってるのを聞いたことがないなーって思ったから」
「んー、どう思ってるかと聞かれると、幻想郷の平穏を乱す輩は許さない! っていう感じだけど、針妙丸がどうにかしてくれそうだから、わざわざ悪く言う必要もないかなーと」

 どうやら、私は期待されているらしかった。自分のために動いてるだけなんだけどなー。

「……あ」
「どうかした?」
「天啓が降りてきたかも」

 ほとんどの人妖の正邪に対する印象は最悪のものだ。あれだけのことをしたのだから当然だろう。でも、こころのように私を通して正邪を見たのは、悪し様に言うことはない。お燐だって、そうだったはずだ。私に出会う前のことは知らないから、実際のところはわからないけど。
 なんにせよ、私がこのまま、もしくはもっとがんばっていれば、そのうち正邪の印象が多少は改善されるかもしれない。それが、正邪が満たされるということに直接繋がるとは思わないけど、多少は何かの足掛かりになるかもしれない。

「どんなの?」
「んー……、とりあえず、今のところは秘密で。これしてるって明言しちゃったら、効果が薄れちゃいそうだから」
「気になる……」
「ふふーん、もっともっと気になるといいわ。そのうち話してあげるから、楽しみにしてなさい」
「残念。でもまあ、がんばって。手伝えそうなことがあれば手伝うから」

 こころがぐっとガッツポーズを見せる。正邪とは比べものにならないくらい、素直な反応だ。見ていて和む。

「まっかせなさい!」

 今後少しでも正邪の嫉妬を抑えられるようがんばろうと誓うように、そう答えるのだった。



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