私が部屋の窓を開け放つと夜の冷たい風が舞い込んでくる。それに構わず私は窓辺に置いた一脚の椅子に座る。お医者さんには身体を冷やすな、と言われているからベッドの上から運んできた毛布を頭から被る。
なんでこんなことをしてるのか。
それは、昨日の夜私が見た吸血鬼に会うため。
昨日は一瞬だけこっちに向いた紅い瞳と大きな大きな黒い翼だけが見えた。でも、それだけでも私の脳裏にはしっかりと焼きついていて離れない。
特にあの紅い瞳。昨日、あれを見てから私はずっとずっとあの吸血鬼のことが忘れられないでいる。
あんな瞳を持っている吸血鬼はどんな姿をしてるのか。あんな瞳を持っている吸血鬼はどんな性格をしているのか。私の興味が尽きることはない。
「あ……っ!」
来た! あの吸血鬼だ!
姿は見えないけど、大きな大きな翼、紅い瞳はしっかりと確認することが出来る!
「吸血鬼さん! 一緒にお話しよう!」
私は窓から身を乗り出して必死に叫ぶ。周りの人に迷惑がかかるだとかそんなことは知ったことではない。
「私は、フランドール! フランドール―――」
それ以上は言えなかった。ずっと家にいて大きな声なんて出すことが無かったからその反動で咳が出てきた。
喉が痛い、咳が止まらない。
数分間、咳をし続けてようやく止まった。滲んだ涙を拭いながら窓の外を見てみるけどそこにはもう吸血鬼の姿はなかった。
……でも、満足だ。私の名前を言うことは出来たんだから。
ファミリーネームを言うことは出来なかったけど、別に問題はない。ファーストネームこそが私を指す名前なんだから。
今日は、もう寝よう。
今日はお話をすることが出来なかったけど、名前を教えたんだから明日はきっと吸血鬼は私のところに来てくれるはずだ。
そんな期待を胸に私はベッドに戻った。
◆
次の日の夜。
私は鏡の前で身嗜みを整えてた。
ずっと家にいたから余所行きの服なんてないけど、せめて髪だけでも整えておきたかった。
櫛で癖の少ない金髪を梳く。それから、赤いリボンで片側だけを結わえる。なんで左右非対称な髪型にしてるのか、っていうと後ろ手でリボンを結ぶことが出来ないから。両方で結わえてみようとも思ったことがあるんだけど、なんだかこっちの方が私は好き。
リボンを結び終わって私はじぃ、っと鏡を見つめる。
鏡の中から青色の瞳が私のことをじっと見つめ返している。
髪はねなし。癖もついてない。リボンもばっちり。
よしっ、これで吸血鬼を迎え入れる準備は出来た。
鏡の前から離れて窓辺に置いた椅子の上に座る。今日もまた夜の風が冷たい。
私は毛布に包まる。けど、せっかく整えた髪を乱すわけにはいかないから被ることはしない。
風の当たる顔がちょっと寒い。
月に照らされる静まり返った街を私はじっと眺める。動いているものは何もない。吸血鬼が現れる、という噂が流れてからはこの街は夜になるとこうしてとっても静かになるのだ。
吸血鬼の噂が流れ始めたのはちょうど一ヶ月前くらい。
とある家の中で死体が見付かり、その死体の首筋には牙を突き立てたような痕が残っていたそうだ。そして、それを見た人たちがの何人かが、吸血鬼の仕業だ、と言い始めた。
多分、その一件だけならここまで街は静かになっていなかったかもしれない。けど、同じような死体が見付かったのはその夜だけじゃなかったのだ。
それから数日おきに人が死んでその噂は信憑性を増していった。殺した存在の目撃情報さえもないのがそれにより一層拍車をかけたのかもしれない。
そう、誰も吸血鬼の姿を見たことがないのだ。だから、私は吸血鬼がどんな姿をしているのか知りたい。
そして昨日、ついに私は吸血鬼に私の名前を教えることが出来た。
きっと吸血鬼はその名前が気になって気になって私に会いに来てくれる事だろう。
それに、聞いてみたいこともあるのだ。
吸血鬼に血を吸われた人間は吸血鬼になる、と言われている。けど、今回の件でそうなった、という人の話は聞いていない。何故か皆殺されているのだ。
なんでそんなことをするのか、というのを聞いてみたいし、もし吸血鬼にしてもらえるのなら吸血鬼にしてもらいたい。
そう、思っていると、
「あ、来たっ」
窓の外。静まり返った街の上空。
大きな翼を生やした何かが、紅い瞳をこっちに向けている。
「おーいっ」
昨日のことがあったから声は控えめだ。代わりに大きく手を振る。それでもやっぱり私には少し辛い。
少しずつ、少しずつ大きな翼と紅い瞳が近づいてくる。
徐々に輪郭がはっきりとしてきて、それが人間の形をしてるって事もわかってくる。そして―――
「お前は、昨日も私のことを呼んでいたな」
尊大な声。私の目の前で吸血鬼が止まって月明かりの下、その姿が私の目にもはっきりと映る。
じっとこちらを見据えてくる紅い瞳。蝙蝠みたいな大きな翼。髪の色は真昼に浮かぶ月の様な青だ。
けど、何よりも私を驚かせたのはその姿。十歳の前半くらいの女の子、私よりも少し年上。想像していたのと全く違っていた。
だけど、纏っている雰囲気は私が知っている誰よりも大人びていて、そして何よりも神秘的だった。
私は、思わずその姿に見惚れてしまっていた。あまりの美しさに息も止まってしまうかと思った。
「どうした? あまりの恐怖に声も出ないのか?」
けど、吸血鬼の声に、はっ、と我に返って私は目的を思い出す。そう、私は吸血鬼とお話をしてみたかったのだ。
その為には、まず聞かないといけないことがある。
「ねえ、貴女のお名前は?」
そう、お互いの名前がわからないとお話なんて出来ない。私の名前は昨日教えてあげたけど、吸血鬼の名前は聞いてないのだ。
「私、私か?」
一瞬、不意を突かれたような表情を浮かべていたけど、すぐに真面目な表情へと切り替わる。
「私はレミリア・スカーレット! 全ての存在がひれ伏す夜の王だ!」
絶対の自信を持って放たれる吸血鬼の名前。なんだか、とってもカッコよかった。
私にはあんな自信はない。ずっとずっと家にいて守られ続けていたからそんなものを持つ機会も無かった。
まあ、今は私のことなんてどうでもいい。
「レミリア、レミリア……」
忘れないように、私の胸に刻み込むように何度も、何度も吸血鬼の名前を呟く。
それを幾度か繰り返す。それから、顔を上げてレミリアの顔を見る。
「ねえ、レミリア。私の名前を覚えてる?」
ここに来てくれた、ということは私の名前を覚えていてくれていた、ということだ。
そんな期待を込めてレミリアのほうを見る。
「は? 何故、私が人間の名前を覚えていなければならない?」
眉をしかめて少し厳しい声でそう言われてしまった。……覚えて、ないんだ……。
いや、でも、落ち込んでる暇なんかない。もしかしたらうっかり忘れてああいうことを言ってるのかもしれないんだから。
「私は、フランドール。フランドールだよ。貴女が忘れても何度でも教えてあげる」
そう言って私は笑顔を浮かべた。
対して、レミリアは首を傾げていた。そんな姿でさえもなんだか様になっている。
「何故、お前はこの私に名前を教えようとする」
「簡単だよ。私は貴女に私の話し相手になってほしいから。それと、もしよければ友達になってくれないかなぁ、なんて」
友達にするには遠すぎる存在なような気がする。でも、せめて話し相手くらいにはなって欲しい。
私が話を出来るのは家族である、お父さんとお母さん、それと私のことを診てくれるお医者さんだけだから。
「私は、そんなものになるつもりなんてない。お前は私に殺され、私の贄となるだけだ」
「ねえ、なんで貴女は血を吸った人たちを殺して、仲間を増やそうとしないの?」
「私に仲間は必要ない。私一人で十分生きていけるからな!」
「そっか……」
私は吸血鬼にしてもらえないようだ。吸血鬼になればこの病弱な身体とも別れて自由に生きられると思ったのに。
「まあ、お前が抵抗しない、というのならば殺さずにおいてやろう」
そう言いながらレミリアが窓から部屋の中に入ってくる。そして、綺麗過ぎる顔を近づけてくる。それだけのことで、少しだけ胸が高鳴る。
「うん、いいよ。私の血で良いなら分けてあげる」
私を包む毛布を床に落とす。そして、レミリアが私の肩に手を置いたかと思うとそのまま首筋に噛み付いてきた。
「……ぁ」
痛み。けど、それはすぐに虚脱感へと変わる。徐々に徐々に私の身体から力が抜けていくのがわかる。
その感覚が怖くて思わずレミリアに抱きついてしまう。
自分の中から何かが抜けていくような感じ。私は少しずつ抱きつく腕に力を込めていっているはずなのに、逆に腕の力は弱まっていく。
「ひゃっ……」
けど、そんな感覚も首筋に走ったくすぐったい感覚と共に消え去ってしまった。ざらざらしたあの感触は何だったんだろうか。
そんなことを思ってる間にレミリアが私から離れてしまう。それを残念に思いながら口元を拭うレミリアをぼんやりと眺める。
「……ねえ、お腹、一杯になった?」
調子がすごく悪いときの疲れのようなものを感じながら私はレミリアに聞く。
「ええ、十分に」
短くそう答えて私に背を向ける。
「もう、帰るの?」
レミリアは何も答えない。代わりに、翼を大きく広げる。
「お腹が空いたら、また来てよ。好きなだけ、私の血を、分けてあげるから」
見えないとわかっていても笑顔を浮かべる。そして、レミリアは振り返らないまま窓の外へと躍り出た。
翼を大きく羽ばたかせ飛んでいく。その背中がだんだん小さくなっていく。
ずっと、窓の外を眺めているとついには影さえも見えなくなってしまった。
頭が少しふらふらとする。レミリアに血を吸われてしまったからだろうか。
でも、何だか嬉しい、という気持ちもある。
それが何だかわからないまま私はレミリアに噛まれた所を撫でる。
明日もまた、来てくれるといいなっ。
◆
それから、数日の間レミリアはずっと私のところに来なかった。
ずっと、ずっと、毎日、毎日、夜が明けるまでレミリアが来るのを待っていた。
だけど、いくら待っていてもあの神秘的で美しい吸血鬼は私のところへと訪れてくれなかった。
なんで? どうして?
私の血が美味しくなかったから?
私は、私は、貴女に会いたいのにっ。
でも、私にはレミリアが私の所をわざわざ訪れてくれるようなものは何一つとして持っていないのだ。
話し相手になりたい、だなんて高望みをするんじゃなかった。私はレミリアの姿を見ているだけでも良かったのに。
私が高望みをしなければ、レミリアは私に会いに来てくれたのかもしれない、なんて考えてもしまう。
……今日で、レミリアを待つのは最後にしよう。
今日来なかったら、きっともうレミリアが私のところに訪れてくれることは絶対にない。
そんな暗い気持ちを抱いて私は窓辺に座る。
なんだか寒さは感じなかったから毛布はベッドの上に置いたまま。
来てほしい、来てほしい、来てほしいっ。
私は、貴女のその姿に魅了されてしまったから。
でも、でも、でもっ。
貴女にとって私はどうでもいい存在なのかもしれない。
そうやって、そうやって、ずっとずっと、自分の心を焦らせ苛み続けながらレミリアを待った。
「フランドール」
不意に綺麗で尊大な声が私の名前を呼んだ。
「ぁ……」
来た! 来てくれたっ!
顔を上げれば月を背負った何よりも誰よりも美しい吸血鬼の姿。全てを見透かしてるような気がする紅い紅い瞳が私を見下ろしている。
私は、見惚れた。初めてその姿を見せてくれたとき以上に見惚れていた。
レミリアは何も言わずに私の部屋に入ってくる。私を抱くように大きな黒い翼が窓から見える景色を隠す。そして、少し強く私の肩を抑えて首筋に噛み付いてきた。
また、痛み。そして、それに続く虚脱感。だけど、今日は怖くは無かった。
こうして私から力が抜けていく、ということはそれだけ私がレミリアの中へと入っていっている、ということだ。
いつ死んでしまうかわからない私にとって、この身体以外のところで私が生きている、と感じられるのはとっても嬉しいことなのだ。
だから、この虚脱感は私から血を奪うと同時に、幸福感を与えてくれる。
レミリアに会えないでいる間にそんなことに気付いた。
いつまでもこの感覚を味わっていたい。だけど、私の血は無限にあるわけじゃない。だから―――
「あ……」
レミリアが離れていく。私に背を向ける。
待って、待って、私を置いていかないで!
思わず私はレミリアの腕を掴んでしまう。何日も会えなかった間の暗い感情が甦る。
会えないのは、嫌。これが最後になってしまうかもしれないなんて思うのは、嫌!
レミリアが振り返って私を見る。
「レミリア」
私の口が勝手に動き始める。ふらふらとした頭では私の口を止められない。
「一緒に、お話、しよ」
ああ。私は高望みをしないと決めたはずなのに! どうして、やめることが出来ないのだろうか。
「……お前と話すことはない」
冷たく言い放って私の手を振り払ってしまう。ほとんど身体に力が入らない私はその腕を掴み続けることなんて出来なかった。
そして、そのままレミリアは夜の街へと飛んで行く。
私はゆっくりと手を伸ばしてみたけど、その黒い影にはちっとも届かなかった。
◆
それから数日の間、私はずっと調子が悪かった。
レミリアに血を吸われたから、というよりはもうレミリアが私のところに来てくれないんじゃないだろうか、っていう不安がその原因だと思う。
私の手が振り払われた途端、私はレミリアに拒絶されてしまったんだ。もう二度とレミリアはあの紅い瞳を私には向けてはくれない。
なんで私はあんなにも図々しい真似をしてしまったんだろうか。いや、本当はわかってる。レミリアは私にとって遠い遠い存在だから一度でも離れてしまうと二度と触れられなくなってしまうような気がしたから。
……レミリアが私のところに来ない。それがわかっていても私はレミリアを待ち続けている。でも、今は来ないだろう、っていう気持ちの方が強い。だからしている事といえば窓を開け放して、ベッドの中から外を眺めることだけ。
気が付けば朝になっていたなんて当たり前のことだった。
これも、調子の悪くなってる原因かもしれない。
そして、今も睡魔が私の頭を支配しつつある。このまま何も変化が無ければ私は眠りに落ち朝を迎えることだろう。そして、家に射し込む陽射しを見ながら思うのだ。ああ、私は、レミリアに見捨てられたのだ、と。
不意に、ぶわっ、っと強い風が吹き込む。私は思わず目を閉じてしまう。
「いつもの場所にいないから逃げた、と思ったが違ったようだな」
聞こえてきたのは私が待ち焦がれていた綺麗な声。急いで目を開けて身体を起こす。
部屋の中に立っていたのは腰に手を当てているレミリアだった。何故だかその姿は滲んで見えた。
もう二度と見れないと思っていた紅い瞳が視界の中に入っているのにはっきりと見えない。
「レミ、リア……」
自然と二本の腕がレミリアの方へと伸びる。レミリアは我関せずといった様子で悠然と歩み寄ってくる。
私の二本の腕の間にレミリアが身体を入れる。
そして、私をベッドの上へと押し倒し、押し付ける。
近くに、近くにレミリアを感じる。そのことが、そのことだけで私は喜びで満たされた。
首筋に痛み。
「ぁ……ぁぁ……」
もう二度と味わえないと思っていた感覚に思わず声が漏れる。そして、そのままレミリアを抱き締めて私は涙を流す。
「……よかった、私、見捨てられたわけじゃ、なかったんだ……」
レミリアの吸血が終わっても私は抱きついたままだった。
「見捨てる? 何を言ってるんだ? 私は食料の所へと訪れているだけだ」
……あ、そっか。レミリアにとって私はその程度でしかないんだ。なら、こんなことしてたら迷惑だよね。
名残惜しいけど、そっとレミリアから腕を放す。代わりに、
「私は、レミリアの綺麗な紅い瞳や、真昼の月みたいな、青い髪を見られるだけでも、嬉しいよ」
そんな言葉をレミリアへと向けて送る。どうせ独りよがりの言葉でしかない。ただ、何でもいいから何かを伝えたいのだ。
いつものように何の反応も返さずに帰るかな、と思ったけど、何故かレミリアは私のことをじっと見てる。
な、なんだろ。ちょっとだけ、胸がどきどきしてる。
「お前のその青い瞳も、金髪も綺麗だ。私の食料になるのが相応しいと思えるくらいにな。どうせ触れるなら綺麗な人間の方が不快さが少なくてすむ」
真っ直ぐ、私のほうを見たままそう言ってきた。
思わず私は惚けてしまう。
え? 今、私のことを綺麗って言ったの?
じわじわとレミリアの言葉を理解する。そして、気が付けば私は笑顔を浮かべていた。
「レミリア、ありがとっ。レミリアみたいな私とは比べ物にならないくらいに綺麗な人にそう言われて嬉しいよっ」
血を吸われて体力はあんまり残っていないはずなのに私の口から出てきたのは私自身も今まで聞いた事のないくらいに弾んだ声だった。どうやら私はレミリアに綺麗だ、と言われてよっぽど嬉しかったようだ。
「……私は、帰るぞ」
そっぽを向かれてしまった。
あ、余計なこと、言っちゃったかな。
「レミリア、また、来てくれるよね」
不安になって問い掛ける。レミリアは私のことを食料だ、とは言っていたけど不安なものは不安なのだ。私はまだまだレミリアのことを全然知らないから。
「……血が足らなくなったらな」
「うんっ。ばいばいっ」
去り際に初めて言葉を返してくれたことが嬉しくて自然と私の声は弾んでいるのだった。
◆
それから数ヶ月の間、レミリアは数日おきに私のところに来た。私以外からは血を吸ってないのか吸血鬼の噂や、誰かが殺されたという話は聞かなくなった。
吸血鬼というのは小食なんだろうか。それとも、レミリアが特別小食なんだろうか。一回だけ聞いてみたけど、答えてはくれなかった。
そして、私は一度聞いて答えてもらえなかったことは聞かないようにしている。レミリアに嫌がられることをするのは嫌だから。
私はベッドの上に横になったままぼんやりとレミリアが来るのを待つ。今日はレミリアがやってくるはずだ。
自由に身体が動けば窓辺でレミリアのことを待っていてあげられるのに……。そんな想いに反して私の身体は思うように動いてくれない。
……今の私には死期が迫ってきている。
レミリアに血を吸われ続けたからなのか、それとも元々それだけしか保たなかったのかはわからない。
ただ、日に日に体力が落ちてきて身動きが取れない日が増えていく。
レミリアは私が動けないくらいに体調が悪い日でも構わず血を吸う。私は止めて、と言うつもりはなかった。だって、レミリアの中にいる私が多ければ多いほど私にとっては嬉しいことなのだから。
けど、このまま死んでしまうのも嫌だった。
レミリアに会えなくなるから。レミリアの紅い瞳を見ることが出来なくなるから。レミリアの体温を感じることが出来なくなるから。
「フランドール」
そうやって自分の死期について考えているとレミリアがやってきた。いつからか、レミリアは部屋に入ると私の名前を呼ぶようになっていた。
それだけのことで私は嬉しくなる。レミリアへと飛びつきたい衝動に駆られる。
けど、弱りきった身体は思ったように動いてくれない。
恐らく、近いうちに私は死んでしまうのだろう。
レミリアがベッドの上に横になっている私の方へと歩み寄ってくる。私はレミリアへと必死に微笑みを浮かべる。
レミリアが私の心配をしてるとは思わない。ただ、レミリアには私の笑顔を見ていてほしい。
悠然と歩み寄ってきたレミリアが私へと覆い被さる。
いつものように肩が押さえられ、いつものように首筋への痛み。いつもの全身への虚脱感。
嬉しい幸福感に包まれる。だけど、同時に一つの想いが幸福感を薄めてしまう。
……もしかしたら、これが最後になってしまうのかもしれない。
そう思うと涙が溢れて止まらない。
声もなく泣き続けながら私は力が入らない腕でレミリアに必死に抱きつく。
「レミ、リア、私、そろそろ、死んじゃうかも、しれないんだ……」
もともと少なかった体力と、虚脱感があわさって思っていたよりも弱々しい声が漏れる。それが、私の死期が近いことを示唆してるようで余計に悲しくなってきた。
「私、レミリアと、離れたくないっ……! ずっと、ずっと、一緒に、いたい、よ……」
薄れていく意識の中、私はレミリアへとそう訴えかける。
でも、レミリアは反応してくれない。
ずっと、ずっと血を吸い続けるだけだ。
レミリアが離れない。ずっと、近くにいる。
そのことがたまらなく嬉しい。嬉しいけど、意識が、混濁していく……。
レミ……リア……、私は、ずっと、ずっと、貴女のことが……好……き…………
◆
冷たい風が頬を撫でる。意識がゆっくりと覚醒していく。
なんだかここ最近で一番良い目覚めな気がする。身体がどこもだるくない。
……あれ? あれっ? 何だか背中に妙な感じがっ。
慌てて起き上がって背中の辺りに触れてみる。そこには何か硬いものの感触があった。
そのまま急いで鏡の前へと走っていく。今までにないくらい自分の身体を軽く感じられたけどそんなことを気にしてる余裕なんて無かった。
大鏡の前に立つ。
……けど、鏡には何にも映っていなくて見えるのは窓の向こう側にある、まあるい、まあるい月だけ。
吸血鬼は鏡に映らない。吸血鬼の噂と共に流れたそんな言葉を思い出す。
くるり、と振り返る。そこには窓枠に腰掛けて月を眺めてるレミリアの姿があった。
「レミリアっ!」
心の奥底から湧き上がってくる感情が抑えきれなくて私はレミリアに抱きついてしまう。
ついさっきまで力の入らなかった腕が嘘みたいに思いっきりレミリアに抱きつくことが出来るっ。
最後だと思っていたレミリアの温もりに涙を少し浮かべながら、それ以上の歓喜で心を満たす。
「ありがとっ。私のことを吸血鬼にしてくれてっ」
鏡で自分の姿を確認することは出来なかったけどわかる。私はレミリアと一緒になれたんだ!
「……吸いすぎただけよ。故意にやったわけじゃないわ」
「故意でも不意でもどっちでもいいよっ。そのお陰で私はずっとレミリアと一緒にいられるんだからっ」
私の嬉しい、っていう感情にあわせて私の背中で何かが揺れる。鏡に映らなかったから確認は出来なかったけど、背中には翼が生えてるんだと思う。
「ずっといられるかどうかはわからないわ」
「どういうこと?」
「羽」
「羽?」
レミリアが私の背中の方を指差す。それにつられる様にしてレミリアから離れて後ろを見る。あ、こうすればよかったのか。
「あれ? 違う?」
私の目に映ったのはレミリアの背中に生えてる蝙蝠のような翼ではない。蝙蝠の翼の骨格だけを持ってきて宝石を垂らしたような羽だった。
「多分、貴女は普通の人間ではなかったのよ」
「どういうこと?」
「さあ? それ以上のことは私もわからないわ。貴女は普通の吸血鬼とは違うものになったみたいだから元も違うんじゃないか、って勝手に思っただけよ」
「なんでもいいよっ。レミリアと一緒にいられる時間が増えたんだからっ」
もう一度、抱きつく。レミリアから伝わってくる温もりがすごく、すごく嬉しい。
そういえば、
「ねえ、レミリア。話し方、変えた?」
今までよりもずっと柔らかい喋り方になってる。
「……ええ。事故とはいえ私は貴女を吸血鬼にしてしまった。その責任を取るために、これからはずっとあなたと一緒にいることになるのに堅苦しい話し方なんてしてられないわ」
「ずっと一緒にいてくれるのっ?」
思いがけない言葉に私の声は弾む。
「……貴女がどれほど生きられるかは知らないけれど、生きている間はね。私の家族として受け入れてあげるわ」
「じゃあ、レミリアのことお姉ちゃんって呼んでもいい?」
家族になるんなら、レミリアがお姉ちゃんで私が妹っていう形が一番だと思う。
けど、レミリアはあんまり乗り気そうじゃなかった。少し眉をしかめている。
「嫌、なの……?」
不安になって声が小さくなる。
「違うわよ。私を姉だと思うのならせめて敬意を込めて、お姉様、と呼びなさい」
なんだ、そんなことか。確かにレミリアはお姉ちゃんよりもそっちの方が似合ってるかもしれない。
「うんっ、お姉様っ!」
敬意も尊敬も憧れも好意も全部、全部全部、込めてそう呼んで思いっきり抱き付いた。
この瞬間から私はフランドール・スカーレットになったのだ!
◆
「……それにしても残念ね」
「え? 何が?」
レミリアお姉様に支えてもらいながら夜の街を飛ぶ。まだまだ飛び方がわかないからお姉様に支えててもらわないとそのまま落ちてしまうのだ。
寒さは感じない。吸血鬼になったからだろうか。
それにしても、何が残念なんだろう。
お父さんやお母さんに残した手紙? 私はちゃんと書いたと思うんだけどなぁ。
何も言わずに出ても、何かを言って出ても心配をかける。だから、私はせっかくだからお父さんたちに今までのお礼を伝えておきたくて手紙を残すことにした。
本当は面と向かって言いたかったんだけど、さすがにこの姿を見せたら驚かせちゃうからね。
……怖がられるのも、嫌だったし……。
ずっと私の看病をしてくれてありがとう、私はずっと二人のことが大好きだよ、そして、勝手に家を出てごめんなさい、でも元気になったから心配しないで。手紙にはそんなことを延々と書いた。
お姉様は書き終わるまで傍で待ってくれていた。
明日辺りには大騒ぎになってるんだろうなぁ。なんだかとっても申し訳ない。せめて元気になった姿を見せられれば良いんだけどなぁ。
「……何を考えてるのかしら」
「わひゃっ」
お姉様が私の顔を覗きこんでた。自分の思考に浸ってた私は突然のことに慌ててしまう。
「て、手紙は頑張って書いたんだよっ」
「手紙? あれは、貴女の年齢にしてはよく書けてたと思うわよ」
あれ? 褒められた!
「何か勘違いしてるみたいね。私が残念だと言ったのは、貴女の瞳よ」
「瞳?」
私の瞳のことを言ってるんだろうけど、どう頑張っても見えないから代わりにお姉様の紅い瞳をじっ、と見つめる。素敵な素敵な紅い瞳。
「そう。貴女の瞳は私の色に染まってしまっている。せっかく、綺麗な青色をしていたのに」
溜め息を吐きそうな表情でそう言ってたけど、私にそんなことを気にする余裕は無かった。
「変わってるのっ? 私の瞳の色」
少し興奮しながら私はお姉様に聞く。
赤の他人だから仕方ないけど、私とお姉様の似てる部分は一つもない。お姉様のお陰で手に入れた羽さえも全然違うのだ。
けど、今こうして瞳の色が変わっている、ということは―――
「ええ、血のような紅い瞳に変わってしまってるわ」
「私の、血の紅だよね。私が今までお姉様に捧げてあげた血。それが私に返ってきて私の瞳を紅くした」
「面白い解釈ね。私は貴女から貰ってばっかりだったというのに」
お姉様が口元を少しだけ緩める。
あ、お姉様が初めて笑ってくれたっ。
「……嬉しそうね、貴女」
「うんっ、嬉しいよ。お姉様の家族になれたんだし、お姉様とお揃いの瞳になれた。それに、お姉様が初めて私に笑顔を見せてくれたからっ」
「そう」
短い言葉しか返してくれなかったけど別によかった。
だって、こんなにも近くにお姉様を感じられるから。誰よりも、何よりも近い存在となってくれたんだから。
これ以上私は何を望めばいいというんだろうか。
前を真っ直ぐと見据えるお姉様の紅い紅い瞳を見ながらそう、思うのだった。
Fin
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