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 古明地こいしは夏の日射しの下を駆ける。
 どこへ向かうのか定めもせずにただただ駆ける。

 それは境内へ続く階段だったり、人里の大通りだったり、妖怪の山の山道だったり、寺の裏の墓場のど真ん中だったり、野生動物の住処となっている森の中だったりと一切の脈絡がない。
 けど、空っぽの彼女に意味を問いただしても無駄骨にしかならないだろう。彼女自身、自らの行動に意味を見出していやしない。ただ前に道が伸びているから、ただ前に進むことのできる空間が広がっているから。そんな理由さえも持ち合わせないのだ。

 息が切れても止まりはしない。彼女の本能が休むことよりも走ることを求めている。まるで、目に映る景色が止まると死んでしまうと訴えかけているかのようである。

 けど、彼女がいくら妖怪であるといえども限界はある。
 足を上げようとして、少し土が盛り上がっただけの段差とも呼べないような段差に足を取られる。普段の彼女なら、それでもその場に踏ん張っていただろうが、限界を超えていたためにそのままバランスを取り直すこともできず、地面の上へと無様にも倒れ込んでしまう。受け身も一切取らずに地面の上へと滑り込むように。
 勢いを付けて土の上を滑る。彼女の被る鍔広の帽子も勢いに任せて飛んでいく。そして、身体が勢いを失って動きを止めると同時に、一切動かなくなってしまう。上下する肩だけが、彼女が一応生きているということを伝えている。

 と、そこへ大きな狸の尻尾を揺らす妖怪、二ッ岩マミゾウが通りかかる。こいしが倒れているのには気づいていないようだ。こいしは他人の意識の内へと入り込みにくい。だから、気づかれることはないだろう。不幸が起きさえしなければ。

「むぎゅぅ」
「ぬおっ! なんじゃなんじゃ!?」

 マミゾウはこいしの背中を踏んづけて、その感触かもしくは声に驚いて飛び上がる。そして、そのまま地面の一部に成り行くようなこいしの姿を見て、また別の驚きを浮かべる。

「……お前さん、こんなところで何しておるんじゃ?」

 しかし、声に多分に込められているのは呆れだった。他人の気を抜くような声を出す余裕があったところから、切羽詰まった状態ではないと判断したのだろう。

「……妖怪にも、体力の、限界が、あるんだって、痛感、してる、ところ」

 さすがに短時間で回復することはできないようで、息も絶え絶えな様子で答える。うつ伏せのままだから、声はくぐもっている。

「前に逢うたときも思っておったが、変わった奴じゃな」
「えへへー」
「褒めておらんて」

 マミゾウは嬉しそうな声を聞いてため息をつく。自らの常識が欠片も通用しないせいで、精神的な疲労に苛まれているのだろう。

「ほれ、いつまでも寝とらんで起き上がったらどうじゃ?」

 そう言いながらマミゾウはこいしを起こして地面の上に座らせる。そして、顔や服が土で汚れているのを確認すると、それを払い始める。放っておかず、ここまでするのは彼女が世話好きだからなのかもしれない。
 こいしはほけーっとその姿を眺めているだけで、目立った動きは見せようとしない。

「それで、何をしとったんじゃ?」

 こいしから少し離れた位置に落ちていた鍔広の帽子を頭の上に乗せてやりながらそう聞く。

「走ってた」
「……何のためにじゃ?」
「さあ?」

 マミゾウの質問に対して、こいしは心底不思議そうに首を傾げる。普通ならありえない反応だが、彼女にはよくあることだ。無意識にたゆたう彼女は、自分の行動でさえ御しきれないことが多々ある。
 けど、不意に彼女の瞳に意識の色が現れる。

「でも、流れていく景色は中々面白かったよ」

 笑顔でそう言ってから、横の方へと砂混じりの唾を吐く。今更ながらに口の中に入った砂が気になり始めたようである。せっかくの表情も今は不快が滲んでいる。

「ねえ、水とか持ってない? 口の中がじゃりじゃりして気持ち悪い」
「……持っとらんの。じゃが、近くに川があるから案内してやろう」

 マミゾウは突然まともな反応をするようになったこいしを観察するように見つめていたが、特に何か言及するようなこともせず、こいしの要望に応える。

「よし、なら早く行こう行こう。……おや?」

 こいしは立ち上がろうとしたが、足が完全に萎えきってしまっているようで、力が入らないようだ。自らの身体の状態を顧みない持ち主によって壊されないように制限をかけたようである。

「まったく、自分の身体に無理させすぎじゃよ。ほれ、背中に乗るがよい」

 マミゾウはこいしに背を向けてしゃがみ込む。そうしたことをよくするのか、割と様になっている。

「そんなに知り合いってわけじゃないのに、なんか悪いね」

 言葉とは裏腹に遠慮なくマミゾウの背中へと乗りかかると首に腕を回す。こちらもこちらで何故だか様になっている。

「本当にそう思っとるのかの」
「もふもふー」

 足に当たる尻尾の感触が面白いのかゆっくりとだが足をばたつかせる。背中に乗るというよりは、大きなぬいぐるみに抱きついているかのような様子だ。要するに、マミゾウの言葉は聞いていないようである。

「……はあ」

 マミゾウは呆れたようなため息をつきながら歩き出す。今すぐ捨ててしまいそうな様子はないが、こいしに関わったことを少々後悔しているようだった。





「なんか物足りない?」

 マミゾウに川辺まで連れられて、口をすすいで一息ついていたところで、こいしは首を傾げる。

「元気に走り回って腹でも空いたんじゃないかの」

 真面目に応対しても意味がないと学んだのか、その声にはどことなく適当さが含まれている。

「朝ご飯はちゃんと食べたよ、たぶん」
「……この期に及んで走り足らんとか言わんよな」

 どうせ外れているだろうとは思いながらも、そう思い切ることのできないことを口にする。
 こいしは反対側へと首を傾ける。その言葉が正しいかどうか確かめているのか、しばしそのまま動きを止める。

「……そうかも?」

 再び首が反対側へと傾く。まるで長い周期で振れる振り子のようだ。

「何がそんなにお前さんを駆り立てるんじゃろうな」

 問いを向けたところで明確な答えが返ってくることがないというのが分かっているからか、自身に向けるような口調だった。彼女にはこいしと関わるような理由はないのだが、ふわふわと風に流されるような彼女の在り方を見ていると、どうしても気にかかってしまうようである。

「なんかね、前はもっと満たされてた気がする。もしかしたら、私の本能はそれを探し求めて駆けずり回ってるのかも」
「そういえば、前に逢うたときのお前さんは生き生きしておったの。何を考えておるのかはさっぱりじゃったが」
「そうだったっけ?」

 振り子は止まらない。

「ああ、そうじゃな。あの時はよう分からんかったが、今のお前さんと比較して見てみればよう分かる。あの時のお前さんは誰かから注目されるということに貪欲じゃった。そして、それを目的に動いておった。今の何の目的も持っておらんようなお前さんとは真逆じゃな」
「そうだった、のかも。なら、あの時みたいに色んな人たちを打ち負かしていけば、また私は満たされるかな」

 こいしの瞳に指針が映る。彼女にしては珍しい意思の色。けど、それを上から塗りつぶす事実を知っているマミゾウは苦々しい表情を浮かべる。

「無理じゃろうな。失われていた希望は取り戻された。お前さんや宗教家たちの手によって、それから元凶たる彼女自身の頑張りによっての。じゃから、一時的な注目はあれども、あの時のような熱狂を伴った注目はないじゃろう」
「……そっか」

 こいしはあからさまに落胆の色を覗かせて言葉をこぼす。そして、全てを投げ出すように、地面の上に倒れ込み青空を仰ぐ。

「……疲れた」
「本当、今更じゃな」
「がんばる理由がなくなったから?」

 こいしは他人事のように首を傾げる。実際、何もかもがどうでもよくなってしまっているのだろう。自分のなくしたものを思い出し、それがもう手に入らないのだと知ってしまったから。
 マミゾウはほんの少しの申し訳なさを滲ませながら、こいしの顔を見下ろしている。彼女に一切の非はないとは言え、ここまで落胆する様子を見せられてしまえば、事実を伝えた自分が悪いと思ってしまうのだろう。しかし、伝えていなければこいしはないものを探して駆けずり回っていた。それに比べればましなのだろう。それに、

「誰からも注目されることはなくとも、お前さんの熱心な支持者の一人や二人残っておるんじゃないかの。一時の爆発的な人気が衰えたとしてもそういった輩はいつまでも残っとるじゃろうて。少し特殊な状況だったといえどもの」
「どうせ私のことなんて忘れられるし」

 不貞腐れたようにマミゾウから顔を逸らす。

「儂は覚えとったぞ」
「それが何?」

 視線だけがマミゾウの方へと向けられる。まだ気にはなっているようだ。

「他にも覚えとる奴がおるかもしれんということじゃよ。そう言った奴を探してみる方が建設的じゃと思うがの」
「……幻想郷中駆け回った気がするけど、だぁれも声かけてくれなかった」

 こいしの声は寂しげに響く。まるで、このまま一人で消えていくかの様相である。
 けど、今はマミゾウが彼女のことを気に掛けている。少なくとも彼女に見捨てられるまでは消えることもないだろう。

「お前さんは気配が薄いから気づかれにくいんじゃろうな。儂がお前さんを踏んでしまったのも何かの縁。儂も一緒に探してやるぞい」

 マミゾウはそう言うのが当然であるかのようにそう言った。

「……歩きたくない」
「儂の背中を使えばよい」
「……行きたくない」
「怖いのかの」
「……そんなことない」
「ふむ、ではこうしよう。お前さんは儂と甘味を食べるために里へと行く。こんな暑い日じゃ、餡蜜なんてどうじゃ?」
「食べ物にはつられない」

 最後だけやたら声がはっきりとしていた。

「それは残念じゃ。では、儂一人で食ってくるとするかの」

 マミゾウはわざとらしくゆっくりと立ち上がる。こいしの手は、そんなマミゾウの服の裾を掴む。それが彼女の意識によるものか無意識によるものかは判断できないが、マミゾウにとってはどちらでもいいのだろう。釣り糸が反応を示すのを見た釣り人のような表情を見せている。

「食べたいなら食べたいと正直に言った方がよいぞ?」
「なっ、こ、これは無意識が勝手に」
「食べたいんじゃろう? まあ、甘味処の周りにだけでも顔を覗かせてみてはどうじゃ? それなら、別の場所に支持者がおったのかもしれんと逃げ道を用意しておくこともできるしの」

 餌をちらつかせながら、本来の目的を口にする。

「……そうやって油断させて私のこと連れ回したりしない?」
「そんなことはせんよ。里の中で泣かれても困るしの」
「泣いたりなんてしないっ」

 こいしはマミゾウの方へと怒りの表情を向ける。基本的に淡泊な反応しかしない彼女だが、からかわれるような発言に対してはその限りではないようだ。何かしら自覚していることがあるのかもしれない。

「なら決定じゃな。よっと」

 短いかけ声と共にマミゾウの身体は煙に包まれる。その煙が晴れたとき、中心に立っているのは人間の姿をしたマミゾウだった。彼女が里に行くときにいつもそうしている姿だ。

「……尻尾がない」

 身体を起こしたこいしは不満そうにそんなことを言う。一度負ぶさった時の尻尾の感触が忘れられないのだろう。

「この前の騒動のおかげで元の姿で入りやすくなったとは言え、物を買うことは出来んからの。ま、自業自得じゃが」

 そう言いながら、木の葉を一枚拾い上げて貨幣に変化させる。重さも硬さも本物とほとんど差はない。それが元は一枚の葉っぱだということを見抜くのは、ある程度力のある妖怪でも難しいだろう。

「もふもふー……」

 こいしはマミゾウが人間を騙そうとしていることだとか、変化の巧みさだとかには全く興味がないようだ。名残惜しそうに、尻尾の見えていた辺りに視線を向けている。

「切羽詰まっとるんだか、そうじゃないんだがよう分からん奴じゃな」

 マミゾウは呆れたように苦笑を浮かべるのだった。





 里の甘味処の軒先の庇の下に置かれた長椅子に妖怪二人。端から見れば、妖怪と人間という珍妙な取り合わせに見えているのだが。
 里に入ったとき、二人はかなり目立っていた。しかし、背負われているのがこいしだと分かり、マミゾウが外で倒れていたのを拾ってきたと説明するとさほど注目を浴びることはなくなっていた。
 その事実にこいしは落ち込むような様子を見せていたのだが、餡蜜の入った器が手中に収まるなりそれは鳴りを潜めている。今は、笑顔でスプーンをくわえているところだ。それが、強がりなのか本心からのものなのかは隣に座るマミゾウには判断がつかない。

「こいしちゃん、こんにちは」

 と、年配の女性がこちらに近づいてきながら声を掛けてくる。誰かに話しかけられるとは思っていなかったようで、こいしはスプーンをくわえたままびくりと身体を震わせる。
 マミゾウはそんな露骨な反応を面白そうに眺めている。

「最近見なかったけど、元気にしてた? 危ないこととかしてない?」
「え、えっと……」

 こいしは困惑に意識が引きずられて、まともな反応をすることができないでいる。

「とと、ごめんなさいね。私、商売人だから知り合いじゃなくても馴れ馴れしくなっちゃうのよね。迷惑だったかしら?」

 女性はこいしの浮かべる困惑に気づいたようで、少し申し訳なさそうな表情を浮かべる。それに対して、こいしは勢いよく首を左右に振る事で答える。言葉はいまだ困惑に連れ去られている。

「そう、よかったわ。あ、そうだ。よかったら、西瓜食べていかない? 仕入れたばっかりのだから味見も兼ねて特別にね」
「……うん、食べたい」

 まくし立てるような口調に圧倒されている様子だったが、最後は素直そうな様子で頷く。女性はその反応を見て満足そうだ。

「ふふ、じゃあ、私は先に用意しておくから、ゆっくり来てちょうだい」
「儂も付いていっていいのかの」

 と、マミゾウが最後まで彼女のことに触れることなく立ち去ろうとする女性を呼び止める。

「ええ、どうぞ。こいしちゃんの恩人を無碍に扱うことなんてできないもの」
「では、ご相伴に預からせてもらうとするかの」
「私のお店は八百屋だから、絶対に来てちょうだいね!」

 弾んだ様子でそう言って、日差しの中を駆け去っていく。こいしはその姿を、まるで夢の中のものか蜃気楼を見るかのような様子でぼうっと眺めていた。

「ほれ、ちゃんとお前さんを見てくれる奴がおるじゃろう?」
「あれはたまたま……」
「確かに他人に好かれるというのは、多かれ少なかれ偶然によるものじゃな。でもこれで、無情にもお前さんのことを忘れ去っていってる奴がおらんという証明にはなった」
「……でもどうせ、時間が経てば忘れられるし」

 残り少なくなった餡蜜へとスプーンで突き刺しながらそう言う。後ろ向きの感情が彼女の中には渦巻いているようだ。

「それはお前さんの努力次第じゃろうて。忘れられたくなければ自分の意思で関わっていく。今のお前さんならそれができるんじゃろう?」
「……」

 こいしは何も答えない。ただ俯いて、器の中を眺めているだけだ。

「ま、お前さんがどう思おうと、先ほどのご婦人はお前さんが来ることを待っておる。それを無視するわけにはいかんじゃろうて」

 こいしはスプーンで器の中身をくるくるとかき回す。自分の立ち位置を決めかねているかのように。

「それにしても、西瓜が貰えるならこの選択は失敗じゃったかな。まあ、向こうもそれを見た上で勧めてきたんじゃから自信があるのじゃろう。楽しみじゃな。単にうっかりしていただけとも考えられるがの」

 マミゾウは一人暢気な様子で喋りながら、餡蜜の残りを掬っていく。

「食わんのなら儂が貰ってやろうか?」
「だ、だめっ」

 マミゾウの声に急かされてこいしは慌てて餡蜜をかき込み始める。マミゾウはそんな必死な様子を可笑しそうに見ている。
 少しずつマミゾウはこいしのからかい方を見抜き始めているようだった。





「ここじゃな。正面から声を掛ければいいのかの」

 相も変わらず歩きたくないと言うこいしを背負って、マミゾウは八百屋の前までやってくる。店先では先ほどの女性と同じくらいの年齢の男性が何人もの客を相手に野菜や果物といったものを売っている。

「おっ? おーいっ、こいしちゃんたちが来たぞ!」
「はーい!」

 二人の存在に気づいた男性が店の奥へと声をかけると、すぐに女性の声が返ってきた。二人の、正確にはこいしの訪問を今か今かと待っていたのだろう。
 女性が駆け足で店先まで出てマミゾウたちの前までやってくる。客たちは女性の動きにつられるように、マミゾウたちへと視線を向ける。
 マミゾウは平然と笑顔を返すが、こいしはマミゾウの背中に顔を埋めて縮こまっている。

「なんだか元気がないようだけど、大丈夫? 暑さにやられた?」

 女性は背負われたこいしを見て心配そうに問う。社交辞令的なものではなく、本心からのものであるというのが端から見ても分かる。

「大丈夫じゃよ。疲れておるせいで、あまり歩きたがっておらんだけでの。なあ?」
「……ん」

 女性に気に掛けてもらえているということが信じきれないでいるのか、こいしの頷き方は距離を取っているかのようなものだ。

「そう? まあ、こんな所にいても余計に疲れるだけよね。早く上がってちょうだい」
「そうじゃな。日射しに溶かされてしまいそうじゃわい」

 女性の先導に従って、マミゾウは店の奥へと入っていく。客たちはその姿を興味深そうに眺めていたが、見えなくなると自分たちの買い物へと戻る。そう強い関心があるわけではないようだ。
 マミゾウはそれを気配で察しつつ、三和土で履き物を脱ぐ女性へと視線を向けるとどこか満足そうに頷く。背負われているこいしはその動作に気づきはするが、その意味は分からないようで首を傾げる。
 マミゾウは女性に続いて下駄を脱いで家へと上がり込み、こいしは背負われたまま足だけを使って靴を三和土の上へと落とす。マミゾウはそれを見て横着な奴じゃなと苦笑し、女性は嫌な顔一つ見せず靴を並べていた。

「じゃあ、ちょっと待っててちょうだいね。すぐに持ってくるから」

 ちゃぶ台と三枚の座布団の敷かれた部屋へと二人を案内した女性はすぐに部屋から出ていく。

「よっぽどお前さんに逢いたがっておったみたいじゃの」

 マミゾウはそう言いながら、こいしを座布団の上へと降ろす。こいしは、少し足を広げてぺたんと座り込む。マミゾウはその隣に敷かれた座布団の上へと胡座をかいて座る。

「……からかってる、とか」
「臆病じゃな、お前さんは」
「なっ! お、臆病なんかじゃないっ」
「くっくっく、そういう反応は図星を付かれた時にするもんじゃよ」

 マミゾウは笑いをかみ殺しながらそう言う。笑ってしまえばこいしが怒ると分かっているが、笑い出したい衝動を抑えきれなかったようだ。

「性悪っ!」
「褒め言葉として受け取っておこうかの」

 マミゾウは笑いをこらえながら、余裕の態度でこいしの言葉を受け流す。こいしは何を言っても相手を喜ばせるだけだと判断したのか、マミゾウに背を向けるように座り直す。そんな態度もまたマミゾウを楽しませてしまっているようだが。

「あらあら、喧嘩? 仲がいいのねぇ」

 切り分けられた西瓜の乗った大皿と種を出すための小鉢を入れた木の角盆を持って戻ってきた女性が眩しそうに二人を見る。

「だといいんじゃがな。単にこやつがちょいと他人に飢えすぎてるだけじゃよ。じゃから、お前さんも里の中でこやつを見かけたら声をかけてやってくれんかの」

 こいしは、そんなことないとばかりにマミゾウを睨む。言葉として発しないのは、一笑に付されるのが分かっているからだろう。もしくは、彼女自身そうした自覚があるのかもしれない。

「そうなの? でも、それくらいならお安いご用よ」

 机の上へと角盆を置きながら、笑顔でそう言う。
 恐らく彼女はこいしの持つ力を知っていてもその厄介さを知りはしないのだろう。だからこそ、そんなにも簡単に請け負えてしまえる。けど、そう言ったときに彼女が浮かべていたのは、日陰者には眩しいくらいの笑顔だ。彼女がどれほどこいしとの繋がりを得たいと考えているのかがそこに映し出されている。

「だ、そうじゃよ。よかったの」
「そ、そんなこと、ない、し……」

 しばし女性の笑顔に目を奪われていたこいしは、二人から顔を逸らす。マミゾウの言葉を素直に認めることはできないが、だからといって女性の言葉を邪険に扱うこともできないといった様子だ。

「素直じゃないのう」

 今度は忍び笑いを零す。こいしはそんなマミゾウを睨もうとするが、女性の視線に気づくとばつが悪そうな表情を浮かべる。境遇のせいか、ほとんど初対面にも関わらず純粋に善意だけを向けてくるのを相手にする方法が全く分からないようだ。
 代わりに、目の前の問題全てから逃げるように西瓜を一切れ手に取るとかぶりつく。そんな礼儀知らずの態度も女性は嫌な顔一つ浮かべず眺めている。その視線は、妖怪を見るものと言うよりは近所の子供を見守るかのようなものだ。

「どう? 美味しい?」

 半分ほど食べて、種を小鉢へと出したところで女性はそう聞く。やはり、その声は子供に向けているかのような柔らかいものだ。

「……うん」
「そう、よかったわ。いくらでも、とはいかないけど好きなだけ食べてちょうだい」

 女性の嬉しそうな笑顔を見ながら、こいしはこくりと頷く。困惑のせいか、口数が極端に少なくなってしまっているようだが、反応自体はいつにも増して素直になっている。

「あ、貴女も食べていいわよ。冷めないうちにどうぞ」
「うむ、ではいただくとしようかの」

 女性の声がいくらかトーンダウンする。もともとこいしのおまけとして付いてきたマミゾウは、そうした露骨な態度の違いを気にしていないようだ。
 今この場所は、こいしと女性のためにあるようなものだ。どちらかがいなくなってしまえば、この部屋にある雰囲気はがらりと異なったものとなってしまう。けど、マミゾウだけは仮にいなくなったとしても大した差はないだろう。

 そのことを自覚しているマミゾウは西瓜へとかぶりつきながら、満足げな表情を浮かべているのだった。





 里の通りをこいしとマミゾウは並んで歩く。
 こいしは女性に「こいしちゃん、またいつでもいらっしゃい」といった言葉をかけてもらって、それに対して少しの躊躇の後に頷くという別れを経た後から、ずっと不思議そうな表情を浮かべている。時折、首を傾げたり、胸に手を当てたり、手を握ったり開いたりをしているが、胸の内に浮かんだ感慨を処理しきれずにいるようだ。

「今でもまだ、あの婦人がお前さんをからかおうとしておると思っておるのかの」
「よく、わかんない」

 答える声はぼんやりとしている。まだ、ああして関わってくる存在がいるということに現実味を持てないでいるようだ。

「私を騙そうとしてるんだとは思わない。でも、なんで私なんかのことをあんなに気に掛けてくれるのかがわかんない。あの時の熱狂は作られたものなんだよね。……だから、信じられない」

 そう言いながらも、胸の前でぎゅっと手を握る。胸の中に宿ったものを絶対に失いたくないとでもいうかのように。
 本当はあの女性から向けられる感情を信じたいのだろう。けど、感情や思考と言ったものに裏切られた彼女にはそうすることは難しいようだ。向けられるものが綺麗であればあるほどに。

「正確には熱狂の原動力じゃがな。希望を失った大半の者たちは、心の中にため込んでいたものをダダ漏れにしておった。そんな折りに、お前さんや宗教家たちは、皆の前で決闘をすることで心の空いた領域にそれぞれの希望を注ぎ込んでおった。それは、紛れもない本物じゃよ。
 じゃがまあ、それはその場しのぎのようなもので、本来各々が持つ希望が戻ってくれば、それらは押しやられてしまう。お前さんらは非日常の象徴じゃということじゃな。
 じゃが、先ほどの婦人のようにお前さんを日常の中に見続けるものだっておる。あの騒動はそのきっかけに過ぎんという事じゃよ。
 ま、理屈で理解するもんではないんじゃろうがな」

 最後は気楽な様子で締めくくる。こいしのこの先のことはあまり心配していないようだ。無関心だからなのではなく、あの女性の存在があるが故に。

「ところで、さっきから儂らをつけ回しておるのがいることには気づいとるのかの」
「え?」

 こいしが驚きで足を止める。そして、振り返るときょろきょろと辺りを見回す。人が歩いているのがまばらに見えるだけで、特に怪しい影は見つからない。
 けど、何か気配を感じたのか家と家との間の狭い隙間へと視線を向ける。先ほどまでは別のことに気を取られていたせいで気が付くことができなかっただけで、元来こうした感覚は鋭い。

「儂かお前さんに用があるみたいじゃが……、儂の予想ではお前さんを狙っておると思っとるんじゃが、お前さんはどう思っとる?」
「マミゾウじゃないの?」

 そんなことはありえないとばかりに、マミゾウとは逆の意見を口にする。

「ふむ、では本人に尋ねてみるとするかの」

 楽しげな様子でそう言うと、懐から一枚の葉っぱを取り出し、何かを囁きかける。そして、さりげなさを装いながら宙で手を離す。
 すると、その葉は風に乗ったかのように舞い始める。そして、気配のある方へと飛んでいくと家と家との間へと落ちていく。

「……いっつもそれ持ち歩いてるの?」
「心配せんでも、お前さんの弱味に興味のある奴はおらんぞい」
「そんなこと心配してないっ!」

 迫力をつけるかのように地面を勢いよく踏みつけながらそう言う。けど、当然ながらその程度のことで怯むようなマミゾウではない。

「そうかいそうかい。ほれほれ、そんなことより逃げ出す前に儂らをつけ回しておった奴を捕まえるとするぞい」

 マミゾウはそう言うなり、葉の飛んでいった方へと早足で向かう。こいしはマミゾウのあしらうような態度が気に入らないようだが、つけ回していた者の正体は気になるようで、異論は唱えずマミゾウの後を追う。

「あの小僧が犯人のようじゃな。今なら手を引いてやって優しい言葉をかければ簡単に手中に収められそうじゃよ」

 路地を塞ぐような位置にある壁を前にして立ちすくんでいる少年の背中を見ながらマミゾウはそう言う。

「私を惚れさせてくれるようなのじゃないと嫌」
「ま、それもそうじゃな」

 マミゾウはこいしの言葉に同意を返すと、少年の方へと近づいていく。こいしはとことことその横について歩く。

「小僧、儂らに何の用じゃ?」

 マミゾウの少々の凄みを利かせた声に、少年は怯えるように身体を震わせる。そして、恐る恐るといった様子で二人の方へと振り向くが、こいしの姿が目に入るとすぐに壁の方へと向き直ってしまう。
 それを見逃すようなマミゾウではなかった。すでにその顔には楽しそうな笑みが浮かんでおり、からかおうというのがありありと見て取れる。
 こいしも少年の視線には気づいていたようだが、不思議そうに首を傾げるだけで、その意味は理解していないようだ。

「ほほう、どうやらお前さんはこいしに気があるようじゃな」

 再び少年が身体を震わせる。けど、先ほどのものとはその性質が異なっている。

「お、お前には、関係ないだろ……」
「儂も含めてつけ回しておいて、よくそんなことが言えるの。ま、確かに関係はないことじゃがな。というわけで、関係のあるお前さんの好きにすればよい」

 そう言って、こいしに発言の場を譲る。けど、こいしは特に言いたいこともないようで、マミゾウの方へと振り返る。

「好きにすればいいって言われても困る」
「とりあえず、儂の予想が正しいかどうかだけでも聞いてみればいいんじゃないかの。本当にお前さんに気があるなら、素直に答えてくれるじゃろうて。女をつけ回す最低な男という評価が付いている今の時点で嘘を吐けば取り返しのつかんことになるじゃろうからな」

 少年の耳にも届くようにとわざとらしく大きめの声で言う。

「ほんと、性悪だねぇ」

 こいしは呆れた様子でそう言う。自分がそれの標的にされていないからか、最初にそう評したときに比べると声色は暢気なものだ。

「そんなに褒めんでもよいぞ?」
「褒めてない」

 こいしは端的にそう答えながら、とことこと無防備な様子で少年の方へと近づいていく。

「あなたは私のことが好きなの?」

 そして、躊躇なく少年の背中へとそう問う。
 提案者であるマミゾウを性悪だと評したものの、気にはなっているようだ。先ほどの女性のように分かりやすく好意を外側へと向けているわけではないから。
 それに、今の段階であれば、そうでないと言われたところで、彼女の心は少しの傷も負うことはないだろう。少年自体に対する興味は毛ほどもないのだから。

「……」

 少年は沈黙している。マミゾウへとそうしたようにすぐに誤魔化そうとしないのは、多少なりともマミゾウの言葉を気にしているからなのだろう。
 そんな反応だけでも、こいしの言葉に対する答えにはなっているのだが、好意を容易に信じることのできない彼女はじっと答えを待つ。仮に答えを聞いたとしても、信じることはできないだろうと考えながら。

 いつまで経っても少年は答えようとしない。焦れたこいしは更に少年との距離を詰めると、その顔を覗き込む。さして我慢強い方ではないのだ。

「答えて」

 少年は驚いて仰け反る。けど、こいしの顔が視界に映ったことが彼を後押ししたのか、すぐに真面目な顔となる。

「……ああ、そうだよ。おれはこいし姉ちゃんのことが……好き、なんだよ」

 けど、年相応の羞恥に邪魔をされて、最後までこいしの顔を見ていることはできなかったようだ。間近で見ているこいしには彼の顔が赤くなっているのを見て取れていることだろう。

「なんか馴れ馴れしい」

 けど、こいしは彼の羞恥に関しては気にしていないようだ。それよりも、彼のこいしに対する距離感の方が気になるようだ。
 呼び方が憧れの人に対するそれではなく、知り合いに対するそれのように感じたようだ。

「……こいし姉ちゃん、おれたちとよく遊んでくれてるだろ」

 少年はちらりとこいしの方へと視線を向ける。けど、こいしにそうした記憶はないようで、首を傾げて答えとする。

「いや、おれも忘れてたんだけどさ。でも、あの祭りんときにこいし姉ちゃんがいろんな人たちと戦ってるのを見て、……かっこいいって思ってたら、急に思い出したんだよ。遊んでもらってたときのこと。そしたら、まあ、その……」

 熱っぽく話していたが、最後の方はごにょごにょと消えていってしまう。それが、彼の恋の始まりだということなのだろう。

「そうなんだ……」

 こいしの声はぼんやりと空気の中へと溶けていく。少年の熱は確かに届いているのだろうが、それでもやはり現実のこととして受け入れることができないようだ。

「……こいし姉ちゃん?」

 少年はこいしの雰囲気に何か不穏なものを感じ取ったのか、不安そうに声をかける。自分の感情を拒絶されているとでも思ったのかもしれない。

「そやつは他人からの好意を素直に受け取れん奴じゃからの。大方、お前さんがどうしてそやつを好きになってるのかを無理やり理解できんものにしとるんじゃろうて。もとより、理解するもんでもないのにの」

 手にした一枚の葉っぱを弄びながらマミゾウはそう言う。少年の行く手を阻んでいた壁はいつの間にかどこにもなくなっていた。
 マミゾウのことを完全に意識の外に追いやっていたのか、少年は声に驚いたように身体を震わせる。マミゾウはそんな反応に呆れたような笑いを零すが、特に言及しようとはしない。

「マミゾウは他人の考えを勝手に妄想するのが好きだよね」

 こいしはマミゾウを睨む。けど、マミゾウはどこ吹く風といった様子だ。

「騙すというのはそこから始まるもんじゃからの。見当違いでも相手の考えておることを頭に置いておかんと、何をしていいか分からんくなる。当然、正確であればあるだけいいもんじゃがの」

 そんな持論を口にする。こいしは胡散臭そうな視線を向ける。

「というわけじゃから、今しばらくの間は小僧の想いが成就することは絶対にない。じゃが、他人との繋がりには飢えておるようじゃから、関わり合いを持つことは難しくないじゃろうな。さて、これを聞いてお前さんはどうするつもりじゃ?」

 試すような口調で問いかける。こいしは勝手なことを言うなとばかりにマミゾウを睨みつけてはいるが、言葉にして否定しようとまではしない。

「……」

 少年は再び黙り込む。けど、今度は言い淀んでいるというわけではなく、本気で悩んでいるといった様子だ。
 人生経験がほとんどない彼にとってみれば、詳しくは分からないでも、こいしの抱える事情はどうしようもなく強大なものだ。いや、多くの経験を積んだ者にとっても非常に難しい問題だろう。
 そして、彼女に恋をする彼は先ほどの女性のように楽観的に捉えるという事もできない。
 だから、悩む。悩んで悩んで悩みつくす。けど、これだという答えは出てこない。

「……こいし姉ちゃん、またおれと遊んでくれるか?」

 それでも、彼は立ち尽くすのではなく、無闇に手を伸ばした。けど、振り払われてしまわないかと不安そうだ。

「……私なんかでいいの?」

 そして、こいしはこいしで掴んだ手を離されやしないかと不安を浮かべる。

「こいし姉ちゃんがいいんだよっ!」

 お互いに不安を抱えていたが、少年はこいしの手へと腕を伸ばした。彼に躊躇を与えたのが恋であれば、勢いを与えたのも恋である。トラウマに縛られるこいしとは対照的な心の動きを見せている。

 こいしは驚いたように目をぱちくりとさせる。少年は冷静になって自らの行動を省みてしまったようで、またまたこいしから顔をそらしてしまう。

「……ありがと?」

 こいしが困惑の中から捻り出したのはそんな言葉だった。けど、彼女自身はその言葉に納得がいっていないのか、疑問系ではあったが。
 それから、二人は黙り込んでしまう。こいしは何を言えばいいのか分からず、少年は恥ずかしさからのせいで。

「まだまだ先は長そうじゃの」

 蚊帳の外のマミゾウは楽しそうにそんなことを言っているのだった。





「で、結局儂についてくるんじゃな。別にあの少年と遊んできてもよかったんじゃよ?」

 こいしは少年とまたいつか遊ぶという約束を交わして別れた後、里の中をマミゾウと並んで歩いていた。ぽつぽつとこいしに興味を抱いているようなのはいるが、声をかけたり露骨に関心を見せたりするほどの様子を見せるのはあの二人以来現れていない。

「あなたくらい捻くれてるのを相手にしてる方が気が楽。……ああいう人たちといると、なんか変な感じがしてくる」

 こいしは複雑な表情を浮かべてそう言う。

「嫌味は正直に言える奴じゃな。ま、慣れるしかないじゃろうて。怯えず怖がらずじっくり時間をかけての」
「……」

 何かを言い返したところで、また笑われるかそれ以上に面白くないことで返されると学んだのか、こいしは何も言わない。代わりに視線にたっぷりの不満と不機嫌さを込めてマミゾウを睨んでいる。

「なんじゃか不満そうじゃな」

 けど、マミゾウにしてみればそんな反応も面白いようでからかうような笑みを浮かべている。こいしはそれから逃げるように、ぷいと顔をそらす。

 そのまま、二人は残暑の日射しに照らされた道を無言で進んでいく。その道は里の外へと続いている。このまま誰にも声を掛けられることがなければ、いずれ里から出て行ってしまうだろう。

「……ねえ、なんでここまで付き合ってくれるの?」

 里の出入り口にさしかかった辺りで、こいしは不意に足を止めてそう問う。マミゾウに向ける視線は心の内を探るようで、何かを疑っているようで、怯えているかのようだった。

「暇つぶし、部下探し、憐れみ、気まぐれ、そういう性分。お前さんが好きな理由を選んでくれてよいぞい」
「茶化さないで」
「化かすのが狸の性分じゃからな」

 そんな冗談を返すと、こいしは怒りを込めてマミゾウを睨み返す。

「やれやれ、余裕のない奴じゃな」

 呆れたように息をつきながらこいしとの距離を詰め、手を伸ばす。こいしはその手の行く先を視線で追いかけるだけだった。

「そういう性分なんじゃ。路頭に迷う子供を見ておると、放っておけんくなるんじゃよ」

 こいしの帽子を取ると、反対側の手で我が子を慰めるかのような手つきで頭を撫でる。

「こ、子供扱いしないでっ」
「なんじゃ、正直に答えてやっても怒るなんて理不尽なやつじゃな」

 こいしに手を振り払われ、マミゾウは悲しげな表情を浮かべる。ただ、その割には余裕そうな態度が漏れ出てきている。少なくとも、こうした反応を予想していたのだろう。

「だ、だって、今まで散々からかわれてきたから……」

 逆にこいしの方はそうした反応をされるとは思っていなかったのか、狼狽を見せる。刺々しい態度を取っても傷つくことはないといったひねくれた信頼を寄せていたのだろう。

「くっくっく、可愛い反応をする奴じゃな」

 そして実際、こいしの信頼は間違ってはいないのだ。マミゾウはこの程度のことは笑い種とする。化けることが多いからか、演技が得意だという厄介さを兼ね備えているというだけで。

「なっ、だ、騙したっ!」
「そうじゃな、見事に騙されてくれたの」

 マミゾウは笑いながら再びこいしの頭を撫でようとする。けど、今度は頭を振ることで振り払われてしまう。
 そして結局、頭を撫でるのは諦めて帽子を元の位置に戻す。こいしはそれを両手で押さえて死守する。正確には、帽子ではなく自身の頭を守っているのだろうが。

「じゃがまあ、そういう性分じゃという事に偽りはありゃせんよ」

 マミゾウの言葉にこいしは胡散臭そうな視線を向ける。せっかくある程度信用されていたのに、また地の底についてしまったようだった。

「信じる信じないはお前さんの自由じゃがな」

 片目を閉じて茶目っ気を見せる。当の彼女は気にしていないようである。
 こいしはそれに対してなんともいえない表情を浮かべるが、マミゾウは何も言わずに再び歩き始める。こいしもその表情のまま背を追う。

 二人は誰にも呼び止められることなく里から離れていき、分岐路へと達する。

「では、ここでお別れじゃの」

 一本は彼女の住む森への道、もう一本は地底へと続く道となっている。正確には地底へ続く方はまだいくつか道が分かれているのだが、それは大した問題ではない。

「え……」

 マミゾウの言葉にこいしは名残惜しそうな声を漏らす。けど、そうした声を出すつもりは一切なかったのか、直後にはっとしたように口を押さえる。
 一度漏れ出た声はどうすることもできないということは理解している。だから、その後には絶対に今のことには触れるなというのを視線に込めてマミゾウを睨みつける。

「ここで素直になっておいたほうが得じゃと思うんじゃがな」
「うるさいっ! さっさと帰って!」

 けど、大人しく見逃すマミゾウではなかった。こいしはにやにやとした笑みを浮かべるマミゾウへと激昂をぶつける。

「では、そうさせてもらうかの」

 あっさりとこいしに背を向けて歩き始める。誰にも表情の見られることのないこいしは、素直に不安そうな表情を浮かべる。

「ああ、そうじゃ。儂はあの森に住んどる。日が暮れた後は大抵あの森におるが、それ以外は分からんがの」

 不意にマミゾウが足を止める。こいしは振り向かれるのではないだろうかと表情を引き締め、怪訝を代わりに浮かべる。

「……だから、何?」
「友人に住処を教えるのは別段おかしな事でもないじゃろう?」
「そんなものになった覚えはない」
「明確に線引きをした上でなるもんでもないからの。まあ、儂はそう思っとるくらいに思っとくれ。儂はお前さんがどう思っとろうと気にはせんから」

 結局マミゾウは一度も振り返ることなく、片手を上げて歩き去る。
 こいしは呆然としたようにその背中を見つめていた。

 けど、その後に彼女が浮かべていたのは嬉しそうな笑み。内心ではどうせ裏切られるからとそれを否定しようとしていたのだが、最後までどうすることもできない。
 そして、家路へ付く彼女の足は知らずの内に弾んでいた。





 古明地こいしは夏の日射しの下を駆ける。
 本当に向かいたい場所を避けるようにただただ駆ける。

 それは境内へ続く階段だったり、妖怪の山の山道だったり、墓場のど真ん中だったり。
 ある者には避けている場所の見当がつくかもしれない。けど、今の彼女は誰にも知覚されないという問題があった。側を駆け抜けても風が通り抜けたとくらいにしか感じないだろう。

 息が切れても止まりはしない。徐々に意識は朦朧としてきて、意識的に押し込められていた無意識が彼女を支配し始める。

 気がつけば彼女は人里にたどり着いていた。そして、見知った顔を見かけると本能の赴くままに飛び出し、自らの存在を誇示する。

「こいしちゃんっ?」
「こいし姉ちゃんっ?」

 女性と少年の驚いた声が響く。いきなり現れたことよりも、地面に膝を付いていることに驚いているようである。
 こいしは怖さと不安と気恥ずかしさとでその場から逃げだそうとする。けど、限界を越えたその身体は思うようには動いてくれない。

 だから、逃げるのは諦めた。
 仕方がないから関わるしかないのだと言い聞かせながら、誰にも見えることのない笑みを浮かべるのだった。


 離れた場所に、素直ではない彼女に呆れた笑みを浮かべるものがいた。


Fin



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