気配を感じて目を開けてみると、咲夜の顔があった。
咲夜はベッドで横になっている私に覆い被さるようになっている。腕は伸ばしきっているから、距離はある。
青い瞳がじっとこちらを見てきている。月明かりに照らされるその姿は、どこか儚い幽玄さを感じさせる。
「……何をしてるのよ」
少し考えて、真っ先に思い浮かんできた言葉を口にする。まあ、聞かなくてもなんとなくは分かる。寝起きで自分の口を止められなかっただけだ。昔は、反射的に起き上がって行動しなければならない事が何度かあったのだ。
攻撃動作に入らなかったのは、それだけ平和に慣れてきたという事だろう。
「お嬢様のご尊顔を拝見させていただいていました」
大方予想通りの言葉だった。真顔のまま、取り繕おうとする様子もない。
「じゃあ、どうしてこんな事をしているのかしら?」
本当に聞きたかったのはこちらだ。割と咲夜の事は分かっているつもりだけど、不意にこちらの理解が及ばない理由から行動を起こす事がある。
「大した理由ではないのですが、なんだか寝付けなかったのでお嬢様の姿を見れば眠れるかなと」
別段突飛な理由ではなかった。寝起きで鈍ってたのかしらね? もしくは変に勘繰りすぎていたか。
改めてじっくりと咲夜を観察してみる。
言葉通り表情に眠気の色はない。無理に寝る必要はないのではないだろうかと思うけど、日中仕事をしなければいけないからそういうわけにはいかないのだろう。別に休みたい日は休んでくれてもいいと言っても聞かないだろうし。
そのまま視線を下に向けて、咲夜が寝間着を着ている事に気付く。その事から、寝ようとしていたという事が分かる。
メイド服以外を着ているのを見るのはかなり久々だ。咲夜が私の従者となって以来ではないだろうか。
普段の姿と比べると、子供っぽい印象を抱く。だからか、普段はそれほど意識する事のない愛しさが顔を覗かせてきている。
「……あの、恥ずかしいのであまり見ないでいただけますか?」
そう言いながら視線に咲夜の顔が割り込んできた。若干頬が赤く染まっている。端から見れば、逢瀬の一幕にでも見えるかもしれない。
この部屋に私たち以外はいないから、誰もそんな印象は抱かないけど。
「主の寝顔を覗きに来ておいてよくそんな事が言えるわね」
「いえいえ、何も整えていない格好をお嬢様にお見せするなんて無礼な事はできないという意味で恥ずかしいのですわ」
「ふーん? 私は別に気にしないけどねぇ」
けど、それが咲夜の在り方なのだろうから否定はしない。この子を私の従者としてしまった時点で、全てを受け入れると言ってしまったようなものだし。
「私が気にするのですよ。中途半端にものぐさなお嬢様には理解出来ない事でしょうが」
「何よ、その中途半端にものぐさっていうのは」
面倒くさがりに中途半端も何もないような気がする。
「特定の事に関しては力を入れるのに、他の事は適当に済ませてしまうという事ですわ」
そういうふうに言われれば、まあ納得出来る部分もある。けど、別に面倒くさがってるつもりはないんだけどねぇ。どうでもいいと思っているだけで。
咲夜もその事は分かっていて、あえてそう言った言い回しを使ってるんだろうか。
「関心のない事に注力して、本当に大切なものを疎かにするよりはよっぽど賢い生き方だとは思わないかしら?」
「ふむ、薄情な生き方ですね」
「貴女には言われたくないわよ」
全てを捨てて私に仕えていると言っても過言ではないのに。
「お揃いですね」
「嬉しそうに言うのは何か間違ってる気がするわ」
薄情である事を喜んで、どんな益があるというのやら。
「それより、貴女はいつまでこうしてるつもりかしら?」
「ああ、そうですね。お嬢様を起こしてしまったようですし、そろそろ自室に戻らせていただきます」
すっかり私に覆い被さっていた事を忘れていたようだ。その状態が咲夜にとって自然だというのは、私は咲夜にどういう立ち位置だと思われているのだろうか。
私がそんな事を考えている間に咲夜はベッドからそっと降りる。思っていたよりも身体に重さがかかっていたようで、解放感があった。私も先ほどの状態を自然だと思っていたようだ。
さて私自身はどう思ってるのやら。あんまり意識するのも面倒くさいから思考を投げ捨てる。
横になったまま咲夜の方を見てみると、真っ直ぐ立ってこちらを見下ろしていた。
「お休みになられている所、邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした」
恭しく頭を下げられる。別に迷惑をかけようとしていたつもりではなかったみたいだから、咎める気はない。
それよりも、寝付けないという言葉の方が気になっていた。
「このまま部屋に戻って、貴女は寝れるのかしら?」
「さあ、それは分かりません。出来る限り自分の健康状態は管理しているつもりですが、不測の事態というのはいつでも起こり得る可能性がありますので」
それは、未だに眠気が喚起されていないという事だろう。
「で、また寝付けないと思ったら、私の所に来るのかしら?」
「いえ、お嬢様の眠りを妨げるようなことはできませんので、大人しくしていますよ。眠くなるまで時間を止めているという事も出来ますし」
「別に一緒に寝てあげてもいいわよ? 三人くらいが横になっても余裕のありそうなベッドだし」
布団を持ち上げて咲夜の入る空間を作りながら言う。暖かい空気が出ていってしまっているが、咲夜が入ればすぐに暖まるだろう。
「いえいえ、いえいえいえいえ、従者である私がお嬢様と床を同じにするなんて事が出来るわけがございません!」
「寝ている主の部屋に勝手に入ってきて寝顔を覗き込んでた従者の言葉だとは思えないわね」
凄い勢いで手を横に振っている咲夜へそう返す。全力で拒否をしているが、嫌がっているわけではないというのは分かっている。本気で従者としてそうするべきだと思っている。私には掴みがたい特殊な価値観を持っているのだ。
「……あれは、お嬢様に触れていませんでしたし」
「髪を梳いてくれてる時も髪や頭に触れてるわよね?」
「あれは仕事ですから」
ふむ、また一つ咲夜の価値観を掴む事が出来た気がする。
まあ、それはいいとして。
「なら、私が一緒に寝てほしいと言えば、寝てくれるのかしら?」
「ええ、当然です」
迷いのない返事だった。どの程度が忠誠心から来るもので、どの程度が自分の願望から来るものなのだろうか。いや、願望のほとんどが私への忠誠心となっているんだから、その考え方は間違いか。ある意味で私に対する行動は全て願望から来るものになっている。
だから、正確には私に命令されずともそうしたいと思っているのはどの程度なのか。
「そう。でも、私は一人で寝れるし頼もうとは思わないわ」
「そうですか」
引いてみると、落胆も何もなく平静な様子だった。気持ちを押し隠しているという様子はない。
うーむ、どこかで完全に諦めてしまったんだろうか。
とはいえ、咲夜が寝付けないと言っているのをこのまま放っておくという事はできない。私がいる事で本当に眠れるかは分からないけど、寝付けなくて私の顔を見に来たのだから、多少の効果はあるだろう。
「代わりに、一緒に寝てあげるわ」
そう言いながら、私はベッドから出る。布団の中の暖まっていた空気は完全に逃げてしまっていたから、温度の変化はさほど感じない。
「……お嬢様は私と寝たいんですか?」
「ま、一応そういうことになるわね。寝付けない、なんて私の従者が言ってるんだから気になるわよ。だから、貴女が寝るまで見ていてあげる。それを見届けたら私もさっさと寝るわ」
どうせ、気になって寝れないだろうし。
「素直じゃないんですね」
「貴女には言われたくないわよ」
背伸びして咲夜のでこをつついてそう言う。咲夜は少し困ったような表情を浮かべて、つつかれた部分をさすっている。
「お見通しでしたか?」
「あんな勢いで拒否されるとねぇ。まさに、本当はそうして貰いたいけど、っていう感じだったわよ」
「すみません、今後気をつけます」
「貴女の理想像はどこに向かってるのよ」
普段の態度から、自分の感情を表に出そうとしないというのは絶対にありえない。けど、それ以外で今までの言動から咲夜の目指す姿を想像する事は出来ない。
「いつでもお嬢様に対して優勢を取れているような自分でしょうか」
「どんな従者よ……」
従者として前代未聞の理想像だった。いやでも意外といたりするんだろうか。フランやパチェのように必要のない知識にまで手を出す事がないから分からない。
「そんなのよりも、そのままの方が可愛げがあっていいんじゃないかしら?」
他に例があろうとあるまいと、あまり掴み所がないというのもどうかと思う。時々分かり易さを見せてくれるくらいが丁度いいのではないだろうか。
まあ、いつも世話になってばかりだから、偶には甘えてもらいたいという思いがあるからなのだけれど。
「褒めても、何も出ませんよ?」
「そうやって素直な反応をしてくれたら、甘やかせる隙ができるわ」
こちらから顔をそらした咲夜のでこに触れる。
「……ぁ」
そのまま、ほんのり赤く染まったでこをゆっくりと指でなぞる。すべらかな感触はどこかくすぐったさも含んでいて、こちらの身が少し縮こまってしまう。たぶん、咲夜の反応のせいだ。
ただ、その反応は同時に気になるものでもある。いつもと比べると少々抵抗が弱い。普段ならここで何か言い返してきてもよさそうなのに。
「咲夜、眠くなってきたんじゃないかしら?」
でこを撫でていた手で目を覆いながらそう聞く。明かりは一切付けていないけど、外から月明かりが入ってきているから眩しいかもしれない。暗い方が眠気も分かりやすいだろう。
私は、月明かりで少し眩しいくらいが好きだけど。
「そんな事は、ありませんよ」
「そう? 貴女が何も言い返してこないなんて珍しいけど」
それに、声も少しゆったりとしたものになってきている。
あまり動くとせっかくの眠気が引っ込んでしまうかもしれない。
だから、空いた方の手で咲夜の身体を抱く。
「それは、突然お嬢様に触れられて驚いたせいです。……それより、何をしていらっしゃるんですか?」
「眠いのにこのまま部屋まで戻らせるのも悪いかなぁ、とね。……よっ、と」
咲夜をベッドへゆっくりと引き倒す。反射的な抵抗さえなかったという事は、身体の方は眠りかけているという事だろう。
「……お嬢様は、強引な方ですね」
「主の事ばかりを優先させて、自らを慮らない従者が目の前にいるからねぇ。まあ、私のお節介だから、寝にくいっていうなら勝手に出て行ってもいいわよ」
そう言いながら、咲夜を抱いたまま目を覆っていた方の手を使って布団を掛ける。私は咲夜の体温だけで丁度いいけど、咲夜の方はどうだか分からない。私の方がずっと身長が低いし。
「そう仰りながらも、出て行く隙がないのですが……」
「だって簡単に出れるようにしたら、貴女の本心に関わらず出て行くじゃない」
「むぅ……」
困ったように声を漏らす。嫌がっている素振りはないから気にしない。
「じゃあ、おやすみなさい。寝かし付ける際の歌も物語も聞かせてあげられないのは残念だけれど」
「……お嬢様が傍にいてくださるだけで、十分ですよ」
「そ、ならよかったわ」
布団を掛け終えてする事がなくなっていた手で咲夜の頭を撫でる。私の髪とは違って真っ直ぐな銀髪は、手の動きに合わせてさらさらと流れる。手触りがいいから、手の動きを止められない。普段、触れる事がないから尚更に。
「むぅ……」
再び困ったように声を漏らす。何をそんなに困る必要があるのやら。
「お嬢様はずるいです」
「何がよ」
不満そうな表情を浮かべる咲夜。先ほど言っていた理想像に反している今の状態が気に入らないのだろうか。
「私の弱みを的確に突いてくるところです」
「私にしか扱えない弱みは弱みと言っていいのかしらね?」
多分、他の人が同じような事をしても同程度の効果は得られないだろう。むしろ、嫌がりそうな気さえする。私以外で最も気を許しているように見えるフランに対してさえ、少し距離をとっているようだし。
「じゃあ、他人の好意を弄ぶ悪女です」
「目の前でそんな事を言うなんていい度胸ね」
特に怒りが湧く事もなくただ呆れる。
「お嬢様は、良い悪女ですから」
「それって矛盾してると思わないかしら?」
「分かってますよ。話の流れを壊さないよう、適当に言っただけです」
眠気が襲ってきたのか、咲夜のまばたきの回数が増えきている。間近に青色の瞳があり、それが頻繁に瞼の裏に隠れてしまうからよくわかる。
ここで無理に寝かせるのと、寝てしまうまで会話を続けるのとどちらがいいのだろう。
考えている間に、咲夜は話を先へと進めてしまう。
「他人を想って、でも本質的には自分の為。そういった方は、どう言い表せば、よろしいのでしょうかね?」
「それは私の事よね?」
「はい、そうです」
真意をはかろうと青色の瞳を見つめてみる。けど、夢見心地に微睡んでいて、真剣も冗談も読み取れない。輪郭がなく、ただそこにある。
けど、だからこそ冗談で言っているわけではないのだろう。冗談を言うのは、少々頭を使う事だから。
「お嬢様は、周りも、自分も、大切にしていらっしゃいますから」
「……」
まあ図星だ。自覚はあるけど、指摘されると座りが悪い。横になってるけど。
「ふふ、最後の最後にお嬢様に勝てたようですね」
「あー、もう、分かったからもう寝なさい」
愉快そうに目を細めている。まったく、どっちが性悪なのやら。
「はい。……おやすみなさいませ、お嬢様」
「ん、おやすみなさい」
笑みを消して、素直に目を閉じる。眠気が限界まで達していたのか、すぐに寝息が聞こえてきた。思っていた以上に、私の存在が咲夜の眠気を喚起するのに役立ったようだ。
ふと、ずっと咲夜の頭を撫でていた事を思い出す。
少し悩んで、撫で続けることにした。眠ってしまうまでお互いに忘れていたのだから、起きたりする事はないだろう。
柔らかな触り心地に埋没させてしまわないように、先ほど咲夜に言われた言葉を頭の中で転がす。
咲夜は周りを大切にしていると言っていた。正しいし、間違ってはいない。でも、正確には私を大切にしている周りだ。
そういう人たちを愛して、愛し返してもらおうとしている。相手の純粋な好意につけ込んで利用しているのだ。
咲夜はそれにしっかり気付いてる。
それでいて、私を全面的に信頼して赦してくれている。
気付かれていても、気付かれていなくても結局開き直れない。だから、意識すると座りの悪さを感じてしまう。罪悪感はないのだけれど。
「……はぁ」
憂鬱になって色々と面倒くさくなってきた。
だから寝よう。
明日になれば忘れてるだろうから。
そうして結局、私は咲夜の言葉をそっと沈み込ませた。
Fin
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