こんこんこんとノックの音が静かな廊下に響く。
 市松模様の床がどこまでも続くこの場所には、私しか立っていない。たくさんのペットを飼っているけれど、彼らは皆どこかの部屋でくつろぐかそれぞれの持ち場について仕事をしている。長い廊下特有の寂しさを厭っているのだ。
 かく言う私も、ここに住み始めたときはこの空虚な雰囲気に寂しさを感じていたものだ。でも、今では慣れてしまったし、それ以上に寂しいと感じるものがあるから、気にならなくなってしまっている。
 そうやって、静寂の中に思考をたゆたわせていても、部屋の中からの返事はない。今日もあの子は出かけているようだ。一言くらい声をかけてくれてもいいのに。
 そんな今更な愚痴を頭の中でだけ吐き出しながら、部屋の扉をそうっと開く。万が一あの子が眠っていたりして、それを邪魔してしまうのは悪い。
 部屋に入り、部屋の中を見渡す。統一感の一切ない置物を並べたいくつかの棚、雑多に物が置かれた壁際の机、空っぽのベッド。どうやら、誰もいないようだ。
 私はそのことを確認しながら、机の方へと近づいていく。そこには、様々な物が好き勝手に寝転がり、混沌とした様相を作り出している。けれでも、私はそこに二つの法則があることを知っている。
 一つ目は、最近こいしが興味を持っている、もしくは持っていた物が置かれているということ。
 二つ目は、手前にある物ほど新しく興味を持った物であること。
 そのどちらも、無造作に物を置いていっているのだとすれば極々当たり前のことなのだけれども、私にとってはそれだけでもわかれば十分だ。
 あの子は私に色々と話をしてくれる。してくれるのだけれど、毎日顔を合わせることができるわけでもなく、更にはよほど変わったことがなければ話をしてくれない。無意識に身を任せて動いていることが多いから、ほとんど覚えていない、だそうだ。
 だから、話を聞く代わりに、机に並ぶ物を見てこいしがどこに行き、何に興味を持ったのかを考えている。そこから更に、こいしの考えていることがわかる、かもしれない。今のところ、後者に関しては何も達成されていない。
 あの子が興味を持つ物はあまりにも統一感がなさすぎる。変わった形をした石、色鮮やかな花々、少し欠けた食器、空になった酒瓶、外の世界から流れてきただろうがらくた。おおよそ幻想郷で目に付き、なおかつ手に持てそうな物は粗方この部屋に持ち込まれたのではないだろうかと思う。
 私はそれらのうち、机の上から追いやられそうになっている物を棚に移して整理している。並べてみれば何かわかることもあるのではないだろうかと始めてみたことだけれど、余計にあの子はよくわからなくなりつつある。わかるのは好奇心が強いということと、最近はその好奇心がより外に向いてきたということくらいだ。
 こいしのことがよくわからなくとも、私はこうして勝手にあの子の部屋に入り、勝手に整理をするのが日課となっている。あの子は私がこうしていることを知っているとは思うけれど、文句を言われたことはない。かと言って、感謝されているというわけでもない。何一つ反応がない。でも、追及されたりすれば、それはそれで気まずいので、これでいいのかもしれない。
 そんなことを思いながら、机の上を見渡す。物が増えているのに気づく。
 薄汚れた球。おそらくこれは、人里で拾ってきたものだろう。度々遊びに行くのだと聞いたことがある。でも、妖怪でも球遊びをするのがいない訳ではないから、そういうのに混じったり眺めていたりしていたのかもしれない。
 少ししなびた水葵。水辺に咲く花だったはずだ。暑くなってきたから、涼を求めて水辺に寄っていたのだろう。
 そんなふうに、増えた物があればあの子が何をしてきたのだろうかとつらつらと考える。短編小説を読み解くようで楽しい。当然主人公はこいしだ。想像の中でのこいしは、当人だったり観察する側だったりしている。
 でも、水葵の元気のなさを見て、あれこれと空想するのをやめて、急ぎ足で部屋から出る。今はまだのんびりとしている余裕はない。
 水を入れた小さな花瓶を用意して、すぐに戻ってくる。太陽の昇らない地底では、花は長持ちしない。お空に頼めば疑似的に太陽を作ってはくれるけれど、あの子も暇ではない。花に対して残酷なことをしてしまっているだろうかと思うけれど、こいしが持ち帰ったものだと思うと、なんだかもったいなく感じて放っておくこともできない。
 水葵を花瓶に挿すと、その花瓶を棚の空いた部分へと移動させる。無造作に投げ出された物の下敷きになって無惨な姿となった花を見つけて以来、花だけは早めに移動させることにしていた。そして、数日のうちに枯れているのを見つけて、少々悲しい気持ちを抱きながら処分をすることになる。
 花瓶の向きを調節して、満足できる見栄えになると、一人で頷いて机の方へと戻る。
 それから、机の上を見回して落ちそうになっている物を慎重に手に取る。将棋の駒を無造作に積み上げて、崩さないように引き抜くという遊びを連想する。あの遊びと違うのは、崩れてしまうと大惨事になるということと、邪魔になっている物をどけてもルール違反ではないということだ。
 少々の苦労を伴いながら引き抜いたのは、博麗の巫女が持っていた札だ。使用済みなのか、それとも込められていた霊力が抜けてしまったのか、妖怪を払うような力は感じられない。弾幕ごっこをしているときにぶつけられた物なのか、どこかに落ちていた物を拾ったのか、はたまた盗んできた物なのかは想像することしかできない。そして、そのどれにも当てはまりそうなのがこいしだった。まあ、どれでもいいのだ。私にできるのは、あることないことを一纏めにして思い描くことだけなのだから。
 札を手にしたまま、再び棚の方へと近寄る。そこから、アルバムのような本を抜き取る。それの頁は、紙の代わりに透明な袋のようなもので構成されており、頁ごとに上から紙などを入れることができるようになっている。いつかそれが机の上に置いてあるのを見つけて、便利だからと勝手に使わせてもらっている。おそらく外の世界の物なのだと思う。少なくとも、地底で同じ物を見たことはない。
 私はその本を丁寧にめくっていき、空っぽの頁を探す。その間に色々なものが視界に映り込んでくる。
 弾幕ごっこの最中に破れた物だと思われるスペルカードの切れ端。よほど激しい戦いとなったのか、それともうっかりした失敗から破れてしまったのだろうか。
 当人にとっては重要だろうけれど私には無価値なことの書かれたメモ。こいしはそのメモの書かれる現場を見ていたのだろうか、それとも無造作に投げ出されているのを見て興味を抱いて手に取ってしまったのだろうか。
 人里の店の物らしい大仰な謳い文句の書かれた散らし。こいしの欲しい物がここにあるのだろうか、それとも色鮮やかな紙面に惹かれただけなのだろうか。
 古い物ほど最初の方に収められているということを除けば、本当に混沌とした有様だ。けれど、こいしの行動や考えを思い描きながら眺めていると、時間が経つのを忘れてしまいそうだ。
 そうして寄り道をしながら、空っぽの頁へと辿り着く。随分と後ろの方の頁だ。地底の外には外の世界の物を扱っている道具屋があるらしいから、ペットの誰かにお使いを頼んでみるのもいいかもしれない。外の世界の物だろうから、確実に置いてあるとは限らないけれど。
 そんなことを考えながら、手にしていた札を透明な袋の中へと入れる。こいしの思い出が増えたことに満足して、誰に向けるでもなく頷く。いわゆる自己満足というものだけれど、それで構わない。間接的でも私の方からこいしに関わる方法は、極々限られているのだ。
 こいしの蒐集記録を棚へと戻す。後は、簡単に掃除を済ませて部屋を出るだけだ。この部屋に浸ろうと思えば、それこそこいしの思い出が身体の奥底までに浸透してしまいそうなほどにいられるけれど、それだけをしているわけにもいかない。私一人が路頭に迷うならそれでいいけど、私が今任されている仕事を辞めさせられてしまえば、必然的にこいしも同じ道を辿ることになる。あの子ならなんとかなるような気はするけれど、いらない苦労をかけさせる理由もない。
 さて、と頭の中で呟いて気持ちを入れ替える。掃除は棚の上から始めようといつもの手順を思い浮かべながら振り返り――

 ――私は驚きのあまり身体を跳ねさせた。

 いつの間にかこいしが私の背後に立っており、じーっとこちらを見ていたのだ。気配が云々の前に、扉の開閉の音さえ聞こえてこなかった。この静寂の中では、例え小さな音さえも隠しようがないというのに。
 でも、こいしの力を用いればそれくらいは造作のないことだ。それを理解していても本当に意識の外から現れてくるから、何年経とうと驚いてしまう。

「えっ、と、何か用かしら?」

 こいしが関わるつもりがなければ、滅多にこちらから声をかけることはできない。だから、私に用があるのだと考えて声をかけてみた。妹に対する声にしては、少々遠慮がちなものとなってしまっているけれど。ここで現れるとは思っていなかったから、どういった態度で接すればいいのかわからなくなってしまっているのだ。

「え?」

 こいしもこいしで何故だか驚いていた。自分が私の意識に捉えられているとは思っていなかったようだ。本人でも自身の行動を制御できていないということを聞いたことがあるから、そういうこともあるのかもしれない。でも、こういったことが起こったのは、今回が初めてだ。
 地底に人間たちがやってきてから、こいしも少しずつ変わりつつある。これもまた、その影響なのかもしれない。

「お姉ちゃんが一人でにやにやしてて楽しそうだから、混ぜて欲しい?」

 首を傾げながら他人事のようにそう聞いてくる。普通の人妖なら聞くことがない類の質問だ。

「ええっと、私に聞かれても困るのだけれど」

 どこから見られていたかはわからないけれど、妹の部屋に勝手に入り、持ち物を眺めながらあれこれ考える姿を見られていたかと思うと、羞恥が沸き上がってくる。それを誤魔化すように困惑を装いながら、そう返した。

「ふむ、確かに。それで、何やってるの?」
「……こいしが持ち帰った物を眺めて、何をしてきたのかと考えてたのよ。そのついでに、部屋の片付けと掃除もね」

 勝手に部屋に入って、勝手に部屋の物を触っているという後ろめたさから多少言いづらかった。でも、誤魔化してしまう意味もないから、正直に話してしまうことにした。たった一人の妹に、こそこそとした態度を取っているのが嫌だったというのもある。

「……なんだか変態っぽい。そのうち、私に手を出したりしてこないよね」

 じっとりとした視線を向けられ、更には身を守るような態度を取られてしまった。ある程度予想はしていたとはいえ、実際に見せられると傷つく。
 だからといって、黙って誤解させたままにしているわけにもいかない。

「そ、そんなわけないじゃないっ! 私はこいしが何を考えてるのかなぁということが気になってこういうことをしているだけで、やましい気持ちはこれっぽっちもないのよ!」

 誤解されたまま避けられたくないという思いから、無駄に力強い言い方となってしまっていた。

「ほんとかなぁ」

 こいしは胡散臭そうにこちらを見る。でも、私はその態度にふざけた様子が見え隠れしているのに気がつく。そのおかげで、この場から逃げ出して墓穴を掘るという愚を犯さずにすんでいる。誤解が深まっていれば、立ち直れなくなっていたかもしれない。

「本当よ」
「ふーん。まあ、どっちでもいいけど」

 無関心故のそうした発言なのか、それとももし仮に私が背徳的な感情を抱いていようとも構わず受け入れるつもりなのか判然としない声色でそう言われる。何か本当に些細なきっかけで、今の関係を変えてしまいそうなのがこいしの怖いところだ。

「ねえ、私も混ぜてもらって良い?」

 私の微かな危惧を知ってか知らずか、気楽な様子で意外な申し出をしてくる。少し前のことを聞いても、覚えていないと言うから、自分がしたことに興味がないものだと思っていた。

「え? ……そうね、いいわよ。覚えていたら、それを拾ったときにどういうことをしていたか話してくれると嬉しいわ」

 本人が一緒にやりたいと言うのなら、拒む理由はない。それどころか、こいしと話ができるというだけでも嬉しい。

「……なんかもう一人で楽しそうにしてる」

 こいしは、置いてけぼりを食っていることが気に入らないようだ。声の中に若干の不満が混じっている。
 そんなに顔に出てしまっていただろうか。なんとなしに顔に触れてみても、自分の表情はよくわからない。
 でも、心の弾み具合くらいなら自分でもわかっている。こいしと話ができるというだけでここまで舞い上がる私は姉バカなのだろうか。本人に迷惑がられていないのなら、気にする必要もない。
 自問自答の中でそう開き直って、態度を引き締めようとはしない。

「こいしと話ができることが嬉しいのよ」
「そんなこと言ってるの前にも聞いたことがあるけど、そのときより楽しそう」
「え? そう?」

 でも、言われてみればそうかもしれない。こいしと話ができるというのが嬉しいとはいえ、非日常に属するようなことではない。顔を合わせることが不定期とはいえ、会うたびに話はしているのだ。
 どうしてだろうか、と内心首を傾げる。答えは案外早くに見つかる。
 今、私の中ではこいしに対する質問が次々と沸き上がってきている。そのどれもがたわいないものではあるけれど、こいしがどう答えてくれるのだろうかと考えるだけで楽しくなってくる。いつもなら、すぐに会話が途切れてしまって、ここまで色々と聞きたいことが浮かんでくるようなことはないのだ。

「……ええ、そうね。こいしと話をしていても、覚えてないとばかり答えるから、現物を前にすれば色々と話してくれるのではないかと思ったのよ」
「ふぅん」

 興味がなさそうな呟きを漏らしながらも、視線は私をじっくりと観察するように真っ直ぐこちらに向いている。何を考えているのか見抜けはしないかと、私も翠色の瞳を見返してみるけど、少し嬉しそうな私の瞳くらいしか見えない。

「……って、近いわよ」

 気が付けば、お互いの息がかかりそうになるくらい間近までこいしの顔が迫っていた。ほとんど反射的に両肩をそっと押して、離れさせる。会話をするのに適切な距離を保っていれば、相手の瞳の中に自分の瞳が見えるなどあり得ない、と気づくまで互いの距離に対する意識など欠片も持っていなかった。

「じー」
「ええっと、何かしら?」

 擬態語を口に出すのはどうなのだろうかと思いながらも、一切曲がったところのない視線にたじろぐ。ペットたちも同様の視線を向けてくることはあるけれど、彼らの心は読むことができるから圧倒されることもない。

「お姉ちゃんが私に注目してるみたいだからお返し。……じー」
「そ、そう。……ありがとう?」

 どう反応すべきかわからなくて、なんとも曖昧な態度となってしまう。でも、慣れてくればこいしに見つめられているというのも悪くないもので、同じようにしてじっと見つめ返す。

「……お姉ちゃん、楽しい?」

 しばらくして、若干つまらなさそうな表情でそう聞いてくる。

「んー……、楽しい、よりは、満たされている、がしっくりくるわね」
「はあ」

 笑顔を返すと呆れられてしまった。私と同じことを感じてくれているというわけではなかったようである。そのことに、若干落胆する。

「そんなことより、私と一緒に部屋の物と記憶を掘り返すんじゃなかったの?」
「ええ、そうだったわね。こいしがよければ、このままでもよかったんだけれど」
「私はつまんない」

 素っ気ない言葉で正直にそう言われる。本人にそう言われてしまうなら仕方がない。また別の機会を探すとしましょう。

「じゃあ、最近の物から見ていきましょうか」

 私は振り返って、棚と向き合う。こいしが隣に並んだのを、足音と温度から感じ取る。それでも、ちらりと視線をそちらに向けて、本当にこいしがいるかを確認する。大丈夫、ちゃんといる。
 そんな些細なことに安堵をしながら、先ほどそこに置いたばかりの花瓶を見る。

「あれは、水葵よね? 水辺にでも行っていたの?」
「水辺? 水辺……、うーん? どうなんだろ」

 首を傾げて考え込む。思い出そうとしてくれているみたいだから、私は黙って待っている。
 ただ、水葵は一日花だから、採ってきて一日と経っていないはずだ。事によっては、つい先ほど採ってきたという可能性も考えられる。だというのに、記憶が曖昧になっているということに少々不安を覚える。無意識で動くことが多いから、記憶に残りにくいらしいということを知っているにも関わらず。

「……あ、うん、行った行った。霧の湖に行ってて、気づいたら身体が半分くらい水の中に浸かってた」
「え……、そんなことをしていたの? 風邪を引くかもしれないから、あまり突飛なことをしては駄目よ?」

 人間より丈夫だとは言え、妖怪の中では貧弱な部類に入るサトリだ。だから、あまり無茶はできない。

「だいじょうぶだいじょうぶ。風邪程度ならいくらでも誤魔化せるから」
「無理をするんじゃありません。というか、今までそういうことをしてきたのではないでしょうね」

 平然とした態度から、常習犯という言葉が滲み出てきている。被害者も加害者もこいし自身なのだけれど。

「さてさて、真相は無意識の彼方に。私だって、そんな細かいこと覚えてないし」
「いやいや、細かくはないわよ」

 いつか取り返しのつかないことをやらかしはしないだろうかと心配になってくる。

「お姉ちゃんは神経質すぎる。そんなんじゃ、いつか病んじゃうよ?」
「こいしが落ち着いてくれればいいのよ。貴女のこと以外は、それほど心配すべきこともないし」

 仕事は事務的なことを除けばペットたちに任せて安定しているし、生活もそれなりの水準を維持できている。サトリに心を読まれることに対する忌避と、一応ではあるけれど閻魔の部下という立場によって、身の安全も確保されている。
 後は、こいしが危ないことをしないだろうという安心感さえあれば、気に病むことはなくなる。

「明確な指向性を持たず、ふらふらと無作為にその向きを変えてしかるべき無意識に落ちつけとは無茶ぶりを。お姉ちゃんは魚に陸で呼吸しろって言うの?」
「そこまでの無茶ぶりだとは思わないけれど……」

 思っているだけで、そうだという確信があるわけではない。無意識というものに関して、明確になっていることは本当に少ないのだから。そうでなければ、私がここまでこいしのことについて悩むこともなかったはずだ。

「でもまあ、お姉ちゃんが私のことを心配してくれてるってことは覚えとく。そうしたら、多少は自重するようになるかも」
「ええ、そうしてくれると嬉しいわ」
「でも、お姉ちゃん、私の拾ってきた物見て楽しんでるみたいだから、面白そうな物見つけたら無茶しちゃうかも」
「やめてちょうだい……」

 こいしの中での私の優先順位が割と高いというのがわかったのは嬉しいけれど、それのせいで危険を冒させてしまうというのは看過できない。でも、止めるのに適切な言葉が思い浮かばず、少し泣きそうな声で嘆願するようになってしまっていた。こいしの前ではしっかりとした姿を見せていたいのに、どうにもうまくいかなくなってしまう。これも全て、こいしのことを理解できないからだろうか。

「……」

 と、こいしがこちらを見つめてきていることに気づく。先ほどに比べると、だいぶ真剣な色が見られる。

「……何?」
「お姉ちゃんの愛はどれほどの物なのかなと。とりあえず、すごく重そうだけど、そんなもの背負ってて肩とか凝らない?」
「平気よ。むしろ、この重さが心地良いくらいだわ」

 その重さこそが、私の生きる意味となっている。こいしがいなければ、私を取り巻く環境は全くの別物となっていただろう。
 私の全てをこいしに捧げているとまではいかないけれど、私の周りのそのほとんどは、こいしに対してのためのものだ。
 こいしの帰るための場所となる地霊殿、少しでも不自由なく生活させてあげるようにするための仕事、閉ざした心を開かせるためのペットたち。こいしに関係ないものと言えば、趣味で集めた本くらいなものだ。

「なんにも持ってない方が気楽なのに、変なの」
「例えそうだとしても、こいしのことを考えなくてもいい世界は嫌だわ」

 それは例え、こいしが目を閉ざさず、今でもその心を見ることができていたとしてもだ。こいしのことがわかるわからないは大きな問題ではない。そのどちらであろうとも、こいしのことを考えるのに意義を見出せるのが私だ。

「シスコン」
「姉バカの方が個人的には好きだわ。愚直な感じが一層出てきてて」
「私は時々お姉ちゃんの言ってることがわかんなくなる」

 気がつけばこいしを呆れさせてしまっていた。でも確かに、冷静に考えてみれば私らしくもない言葉だ。今更恥ずかしくなってくる。

「ま、まあ、お互いなんでもかんでも知ってるわけではないのだから、そういうこともあると思うわよ。私だって、こいしの言っていることがわからないことはあるし」
「じー……」

 こいしの方へと視線を向けない私に対して、こっちはちゃんと見ているんだぞ、という圧力をかけてくる。かなり気まずい。擬態語を口に出すのはどうかと思っていたけど、場面によっては効果的だというのを思い知らされる。

「さ、さあ、続きをやっていきましょう! じゃあ、次はこれに関して……」
「じぃー……」

 私が場の空気を誤魔化すように花瓶の隣にある、ぼろぼろになった人形を指さそうとしてもまだやっている。息継ぎをあまりしていないのか、苦しげな声に変わりつつある。
 いつまで続けるつもりなんだろうかと思っていると、不意に深呼吸を始めた。頑張るところを間違っているのではないだろうか。

「……大丈夫?」
「……お姉ちゃんの、羞恥心を、掻き立ててやろう、って思ってたのに……」
「……そういうことは、口に出して言わないでちょうだい」

 妹に真っ正面からそんなことを言われると、なんともいえない気持ちが沸き上がってくる。いつまでも純真無垢なままでいてほしいという無茶は言わないけれど、おかしな方向には進んでいって欲しくない。

「えへへへー、勝ったっ」

 何の勝負をして、どんな基準で勝ち負けを決めたのかはわからないけれど、楽しそうだからまあいいかと思ってしまう。嬉しそうな笑顔を見ていると、こちらは幸せな気分になってくる。

「さてさて、気分もいいことだし、お姉ちゃんの期待にも応えてあげようか。それで、あの人形だったよね。……なんだっけ?」

 こいしの笑顔にほだされて、私がやろうとしていたことはどうでもよくなってきていたけれど、こいしの手によって軌道修正される。かなり珍しいことだ。でも、こいしは案の定自分の持ち帰った物のことを覚えていないようだ。

「なんとなくだけど、動物の玩具にされたような有様ね」

 記憶を呼び覚ますきっかけになりはしないだろうかと、私の思ったことを口にする。長年ペットを飼ってきたので、こういう発想になりやすい。

「動物に弄ばれる人形……。あ、そういえば、人里で猫が人形をくわえてるのを見かけて、追いかけたような気がする。その猫なんだけど――」

 一つ思い出せばそこから数珠繋ぎに思い出していくようで、どこか弾んだ声と少し大げさな仕草で私にその出来事を話してくれる。私はそれに対して、先を促すために頷いたり、気になるところがあれば質問したり、危ないことをしていれば諫めたりする。
 当たり前すぎるくらいに当たり前な会話だけれど、私はそれだけでも幸せを感じられる。満たされる。
 気がつけば、こいしの顔は笑顔で満たされている。おそらく私の顔も同じかそれ以上に満たされていることだろう。
 こんなたわいないことで、こいしも幸せを感じていて欲しい。
 こんな時間がいつまでも続いて欲しい。
 どこか泣き出しそうな気持ちで、そう願わずにいられないのだった。


Fin



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