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 私の視線の先で咲夜が紅茶を淹れてくれている。
 無駄なくそつなく淡々と瀟洒に仕事をこなしている。

 そんな完璧とも言えるような所作を意識せず行うことのできる咲夜はお姉様の従者だ。他にも妖精たちがメイドをしているけど、お姉様の従者と呼ぶにはとても及ばず、精々が咲夜の部下といった感じだ。そもそも、真面目に仕事をしている姿もあまり見たことがないような気がする。他には、美鈴も従者と呼べる立場にいるけど、門番だからお姉様の傍にいることは少ない。
 そういうわけで、咲夜は従者たちの中で唯一お姉様直近の従者と言っても過言ではないだろう。そんな咲夜は、ただ優秀なだけではなくお姉様のことをかなり理解している。同じようにお姉様のことを慕っているはずの私以上に。
 いや、それ以前に私がお姉様のことを理解できていなさすぎるのだと思う。何年何十年何百年と一緒に過ごしてきたはずなのに、私の考えていることだけが筒抜けで、逆に私がお姉様の考えを見抜くことは滅多にできない。

 咲夜と私、何が違うんだろうか。
 私がお姉様の妹だから理解できないのか、咲夜がお姉様の従者だから理解できるのか。
 それとも、私が私だから理解できないのか、咲夜が咲夜だから理解できるのか。
 その答えは見つからず、ただただ疑問だけが大きくなっていく。

「フランドールお嬢様、どうかしましたか?」

 不意に、咲夜が声をかけてきた。どうやら紅茶を淹れ終えたようだ。紅茶の香りがふんわりと鼻腔をくすぐる。

「なんで咲夜はお姉様のことを理解できてるのかなって」

 咲夜に向けた感情は羨望。私よりもずっとお姉様を理解している咲夜のことがとても羨ましい。私もその位置にありたいと強く思う。

「ふむ、なんででしょうかね」

 私の前に紅茶の注がれたカップを置いてから考え込む。

 少しの間、何もせずに待ってみる。咲夜はまだ考え込んでいる。
 紅茶に口を付けてみる。甘みと共に香りが口の中に広がる。砂糖の入っていない紅茶は苦手だから、すでに混ぜてもらっている。

「私が私であろうとした結果、でしょうか」

 紅茶を半分くらい飲んだ頃に、答えを見つけたらしい咲夜がそう言った。

「そう、なんだ」

 思わず落胆の声が漏れてきていた。
 咲夜の言葉が何かヒントになるかもしれないと思っていたけど、そう甘くはないようだ。それどころか、私では絶対に理解できない。そんなふうに言われたようにも感じてしまう。

「ふむ、お嬢様はレミリアお嬢様の事を理解したいと思っているんですね?」
「うん……」

 気持ちが沈んでいってしまっているから、答える声は暗くなっている。

「でしたら、私に一ついい考えがあります」
「……いい考え?」

 思わず首を傾げて聞き返してしまう。思いついたという割には、考え込んだような様子を全く見せていない。私がこういうことを言い出すと思って、事前に考えていたんだろうか。咲夜なら、その可能性は十分にありうる。

「これです」

 そう言った咲夜の手に現れたのは一着のメイド服。咲夜の着ているメイド服とデザインは同じようだけど、青ではなく赤を基調としている。
 もしかして――

「一日レミリアお嬢様のお側でメイドとして働いてみれば何か分かるのではないでしょうか。この私のように」

 私が理解するタイミングを待っていたかのように、そんなことを言ったのだった。





「フランドール、仕事の時間ですよ」

 翌日、咲夜に渡されたメイド服を着て、落ち着かない気持ちで椅子に座っていると、聞き慣れない呼び方で咲夜に呼ばれた。
 一応メイドの仕事をするということでそんな呼ばれ方になっている。でも、お姉様の妹としては扱ってくれるようで口調はいつも通りだ。なんとも中途半端な状態。
 まあ、そんなことはどうだっていい。もし敬語を使ってくれなくなったとしても、普段から割と砕けた態度を取っているから、それほど気にはならないだろう。

「うん、行こう」

 立ち上がって、咲夜に付いて部屋から出る。

 ちなみに仕事というのは、昨日も咲夜が言ってたけどお姉様の世話をすること。だから、向かう先はお姉様の部屋だ。

 それで、お姉様の世話をするにあたって、事前に決められたことが三つある。
 一つは、できるだけお姉様から離れるなというもの。それは、特に問題ではない。お姉様の傍にいられるなら本望だ。
 ただ、残りの二つが問題だった。

 一つは、お姉様をお姉様と呼ばずお嬢様と呼ばないといけないということ。
 もう一つは、お姉様に対して敬語を使わなくてはいけないということ。
 お姉様にそういった態度を取ることに違和感やら抵抗感やらがあるのは必至だ。そしてたぶん、何日、何ヶ月、何年と続けてそんな態度を取ったとしても自然に振る舞うことができるようになることはないと思う。何百年と取ってきた態度はそれくらい身体に染み着いているのだ。
 でも、咲夜はそうして距離を取ることで何か見えてくるものがあるかもしれないと言っていた。
 だから、やらないといけない。それで、本当にお姉様を理解できるようになるのかはわからないけど、何もやらないよりはずっとましなはずだ。

 と、そんなことを考えているうちにお姉様の部屋の前にたどり着いていた。扉が目に入った途端に気が引き締まる。そのまま、引き締まりすぎてちぎれてしまいそうな気さえする。
 鋭い咲夜のことだから、私の心情には気づいてるはずだ。でも、こちらに振り返ろうともせず、無情にも扉を叩く。まあ、気を遣われてこの緊張状態を引き伸ばされるのも嫌だけど。

 咲夜は返事も待たずに扉を開けて部屋へと入っていく。その姿は従者としてはどうなんだろうかと思ったけど、いつも何の前触れもなく傍に現れてるからいつも通りかと思い直す。でも、そうだとすると咲夜は時間を止めているときも扉を叩いてるんだろうか。そういう音が聞こえてきたことは一度もないけど。

 気負いもなく歩く咲夜に続いて私も部屋の中に入る。今の私はただの妹としていられないのだと思うと、足がいつもよりも重くなったように感じる。でも、お姉様を待たせることはできないから、なんとか前へと進んでいく。

「おはようございます、お嬢様」
「お、おはよう、ござい、ます……」

 咲夜の挨拶に続いて、かなりぎこちなくそう言う。今すぐこの場から逃げ出したいくらいの恥ずかしさや居心地の悪さを感じている。

「ええ、おはよう」

 そう返してくれたお姉様は、鏡のついたクローゼットの前に立っていた。着替えはすでに終わっていて、薄紅色のドレス風の洋服を着ている。
 かなり動揺している私とは対照的に、お姉様の声音はいつも通りのものだった。そのおかげか、私の気持ちも多少落ち着いてくる。本当に多少だけど。

「咲夜が珍しくノックして入ってきたかと思うと、それ以上に珍しい格好をしたフランを連れて来たわね。どういうつもりかしら?」
「フランドールに社会勉強をと思いまして。今日一日、お嬢様の世話はこのフランドールに任せますわ」

 咲夜が淀みなくそう答えた。そう聞かれるのは当然だろうから、事前に答えを用意していたのだと思う。でも、折角なら事前にどんな嘘を吐くのか教えておいてほしかった。
 色々と考えてたせいで、今になってようやくそのことに考えが至っておいて言うのもなんだから声にはしないけど。

「ふーん。でも、私の世話って取り立ててするような事なんてあったかしらね? 九割がた貴女に遊ばれてるだけのような気がするんだけれど」
「お嬢様は酷いですね。私がお嬢様で遊んでるのは六割ほどです」
「主で遊んでるなんて堂々と言う貴女の方がよっぽど酷いわよ」
「素直さが取り柄なんですよ」

 呆れたようなお姉様と、生き生きとした様子の咲夜。お姉様と話しているときの咲夜は、他の誰かと話しているときとは全く様子が違う。
 私と同じくお姉様を慕う者ということで、その気持ちはわかるような気がする。

「でも、貴女が仕事を譲るなんて意外ね。誰であろうとも譲るつもりがないと思ってたんだけど」
「ええ、決してこの仕事を誰かに譲りたいとは思いませんよ。しかし、これもまた私の野望を叶える為なので仕方がありません。涙を呑んで、今日一日身を引きますわ」
「何よ、その野望っていうのは」
「秘密です」

 私がお姉様と話しているときには決して生まれないような軽妙なやり取り。
 それを羨ましいとは思わない。立場が違えば、その距離感にも違いは出てくるだろうから。でも、その姿の根底にあるものがお互いの理解だというのなら羨ましいと思うのだろう。今はまだそれが関係しているのかどうかがわからないだけ。

「ま、咲夜が何か企んでいようが企んでいなかろうがどっちでもいいけど」

 そう言って、咲夜を見て私の方を見る。お姉様の紅い瞳は、全てを見通しているような色を持っていて、今みたいに隠し事をしているときはそうして見つめられると、とても居心地が悪い。
 たぶん、私が何か隠しているというのには気づいてると思う。でも、だからといってお姉様のことを理解したいと正面から言うのも難しい。問いつめられたら、すぐに口にしてしまいそうではあるけど。

「それよりも、今日は一日頼むわね、フラン」
「あ、うん。……じゃなくて、はいっ」

 反射的にいつもの口調で答えてしまい、慌てて言い直す。慣れない口調を使っているのと相まってかなり恥ずかしい。

「では、フランドールはお嬢様の御髪を梳いて差し上げてください」

 そう言って、咲夜は一本の櫛を取り出す。私がいつも使っているのと同じ物だ。私の部屋から持ってきたのではなく、単に同じ物を使っているというだけだろう。よく見てみると、私が使っている物よりも綺麗だ。
 櫛を受け取り、お姉様の傍へと向かう。いつも咲夜に梳いてもらっているのか、特に疑問を持った様子もなくお姉様はクローゼットに取り付けられた姿見を見ている。
 そこにお姉様の姿は映っていない。人間である咲夜と、吸血鬼らしからぬ羽を持った私しか見えない。吸血鬼の血が薄いのか、何故か私は鏡に映ってしまうのだ。

 まあ、鏡に映る自分の姿なんて見慣れたものだから、そんなことを気にするなんて今更すぎるくらいに今更だ。でも、初めて自分以外の髪に櫛を入れる、しかもそれがお姉様のものとなれば、そうでもして気をそらさないと近づくことさえできなくなってしまいそうだった。
 プレッシャーやらにはとことん弱いのだ。そういったものにほとんどさらされることのない生活を送っていたから。

「で、では、失礼します」

 お姉様の真後ろになんとかたどり着いて、青をまぶしたような銀髪に櫛を入れる。自分以外の髪を整えるという行為に困惑を感じながらも櫛を上下させる。櫛が引っかかる場所があれば引っ張ってしまわないようにしながら念入りに。

 何度かそれを繰り返しているうちに、櫛から伝わってくる感触が毎朝感じるそれと同じだということに気づいた。私と同じ髪質なんだと思うとなんだか安心してきて、緊張がほぐれてくる。こんな些細なことでも、いつも通りだというのは大切なことなのかもしれない。
 気持ちを入れ替え、綺麗に整えようと、念入りに丁寧に丁寧に梳いていく。

「へぇ、上手ね」
「あ、ありがとう、ございます……」

 褒められた。お姉様にできるだけみっともない姿を見せないようにと、毎朝自分で髪を梳いていたのが役立ったようだ。

「お嬢様が髪梳きの上手い下手がわかるなんて意外ですね」
「まあ、自分を綺麗に見せるっていう意味では全然わかんないわよ。でも、大切にしてくれてるというのはわかるし、丁寧にやってくれてるというのもわかる。私にとって、髪梳きに重要なのは心地よさがあるかどうかなの」
「ふむ、愛が必要だということですね」
「そんなこと言ったかしらね、私。というか、フラン、どうかした?」

 顔を少し俯かせて動きを止めている私を鏡越しに見たお姉様がそう聞いてくる。

「な、なんでもないっ。……です」

 慌てながら、でも乱暴にならないように手を再び動かす。

 愛とかそんな言葉を聞くだけでなんだか妙に気恥ずかしくなってくる私なのだった。
 というか、なんで二人とも平然としてられるんだろうか。





 お姉様の髪を整え終えると、私たちは食堂へと向かう。お姉様の後ろに咲夜と私が並んで歩くような形になっている。
 そうして歩くと当然お姉様の後頭部が見えるわけで、私が整えた髪の様子も見える。
 はねたところが残らないようにと念入りにしたつもりだけど、それでも見落としがあるかもしれない。そう思うと、落ち着かなくなって自然と視線はお姉様の髪の細部まで見ようとする。

「……フラン。視線がもの凄く気になるわ」

 不意にお姉様がこちらへと振り向いた。呆れたような顔と目が合う。

「ご、ごめんなさいっ」
「いや、謝らなくてもいいけど、何かおかしなところでもあるかしら?」
「私の整えた髪におかしいところがないかなって思って眺めてただけ、です」
「ふーん? 咲夜、どう?」

 お姉様が自分の髪に触れながら咲夜にそう聞く。

「私がやった場合には及びませんが、十分綺麗に整っていると思います」
「だ、そうよ。咲夜がああやって言うんだから気にしなくても大丈夫よ」

 咲夜に向けていた視線をこちらに向けて、微笑みを向けてくれる。

「あ、はい。……手間を取らせて、すみません」
「気にしない気にしない。どうせ時間なんて有り余るほどあるんだから、ちょっと時間を取られるくらいがちょうどいいの」

 そう言いながら、お姉様は前に向き直って歩き始める。私は少し距離を取りながら追いかける。

「こんなちょっとした事でも楽しいと感じられるのよ? それって、素敵な事だとは思わないかしら?」

 言い換えればどんなことでも楽しめるということなんだろう。お姉様のどこか充実しているような声を聞いていると、確かに幸せなことなのかもしれないと思う。
 私にはそれができていないから、なおさらに。ああでも、お姉様の傍にいられるだけでもいいっていうのは似たようなものかな?

「お嬢様、それは完全に暇人の考え方ですわ」
「ええ、咲夜の言うとおり私は暇人よ。元からやる事が少なかったっていうのに、優秀な従者がそれらさえもかっさらっていってしまったから」
「では、妖精メイドの管理でもやってみますか? 仕事始めと仕事終わりとで数が合うなんて事は一度としてなく、見知らぬ顔がいつの間にか増えてたりと大変摩訶不思議な体験が出来る仕事ですよ」
「管理出来てないだけじゃない」
「もし朝と夕方とで数が合っていた場合、翌日いい事があったりなかったり」

 咲夜はお姉様の言葉に取り合おうとはしなかった。でも、お姉様もそのことは気にしていないようだ。

「そういう、気休めにもならないまじないは信じない質なのよ」
「私もです」
「だったらどうしてそれを売りにしてるのかしら?」
「それくらいしか売りがないですから」

 二人の会話に私の入り込める隙間はない。私と話をしているときは、無理してテンポを合わせてくれてるんじゃないだろうかと思ってしまうくらいにお姉様の声音は軽い。

 お姉様を理解できればああして話すことが出来るのだろうか。
 それとも、理解できるからこそああして話すことが出来るのだろうか。

 独りで歩きながら、またそんなことを考えてしまうのだった。
 だいじょうぶ。まだ憂鬱にはなってない。





「お嬢様の傍にいてはどうしても喋りすぎてしまうようです。なので、後はフランドール一人で頑張ってください。あ、ですが、何かあればすぐに駆けつけるのでご安心を」

 お姉様の朝食が終わって、咲夜と二人で朝食をとっていたときにそう言われた。そのときの咲夜はやけに真顔で、ちょっと怖かった。
 ちなみに、私の朝食は血を混ぜ込んだ紅茶を一杯という、とっても簡単なものだ。必要不可欠な食事となるとそれだけで十分。吸血鬼にとって、血液以外のものは娯楽でしかない。

 まあ、そんな朝食を終えた今現在、私はお姉様の部屋にいる。お姉様が部屋に一脚だけしかない椅子に座って外を眺めているから、私は扉の傍に立ってその姿を眺めている。

 何を考えているのかはわからない。でも、どことなく穏やかに見えるその表情からは、煩わしいことを考えているわけではないというのが伝わってくる。
 その穏やかさが私に伝播して静かな気持ちになってくる。メイドになることでお姉様を理解しようとしていることさえ忘れてしまいそうだ。
 でも、お姉様のことを理解することさえできればいいのだから、同じ気持ちになるのも悪くはないはずだ。その気持ちの源泉を理解できていないのに意味があるのかはわからないけど。

「いい天気ね」
「……あ、はい、そう、ですね」

 話しかけられるかもしれないということを完全に失念していたから、反応がかなり遅れてしまった。敬語で話しかけないというのがなければもう少しくらいは早かったかもしれない。まあ、誤差としか思えないような違いしかないだろうけど。

「でも、……お嬢様が、そう言うのは意外、です」

 お嬢様という言葉が自分の舌で上滑りしているように感じるほどに違和感があった。敬語以上に慣れそうな気がしない。

「そうかしらね? 確かに私たちにとって太陽の光は毒だけど、その光景を嫌う事はないと思うわよ。月だって光り輝いているからこそ美しいのだし」

 お姉様と日の光という取り合わせは似つかわしくないと思っていた。でも、考えてみればお姉様は昼間それも晴れているときに出かけることも多い。だから、晴れているのを見ていい天気だというのも当然なのかもしれない。

「それに、こう清々しいほどに明るいとこっちの気持ちまで清々しくなるじゃない?」

 穏やかさの混じった澄んだ笑みを浮かべる。それは、今までに見たことのない類の笑みで、つい見惚れてしまう。

「さてと、そろそろパチェのところに行きましょうか」

 でも、椅子から立ち上がるとすぐにその笑みは無表情の下に隠れてしまった。いつまでも見ていたかったけど、思った通りにはいない。

「はい」

 落胆を隠すようにして私は頷いたのだった。





 館の図書館に住んでいるパチュリーはお姉様の友達で喘息持ちだ。だから、本を読んでいるとき軽い咳をよくしているし、稀に息が出来なくなるくらいに酷い咳をすることもある。
 私はよく図書館で本を読んでいるから、その酷い咳をしている場面に遭遇することもある。何度か遭遇してどうすればいいのかというのも聞いているけど、冷静に対処できたことはない。
 焦って混乱して、司書のこあかたまたまその場に居合わせたお姉様にばかり任している。

「あ、いたいた。おはよう、パチェ。……うん、調子は悪くなさそうね」

 いつもパチュリーが本を読んでいるテーブルにいなかったから、本棚の森の中を歩いて、ようやくパチュリーを見つけることができた。結構な時間歩いたような気がする。

「ええ、おはよう、レミィ、……とフラン?」

 本棚から抜き取ったらしい分厚い本をぱらぱらとめくっていたパチュリーは、顔を上げて私の方を見て首を傾げた。

「おかしな格好をしてるわね。……レミィの趣味?」
「どうしてそうなるのよ。社会勉強の一環らしいわよ。私の傍で働くことがどう役立つかは知らないけど」
「ふーん……」

 パチュリーが何か意味ありげな表情を浮かべてこちらを見てきた。ずっと見ていたら負けそうな気がして、視線を逃がしてしまう。いや、どこにどんな勝ち負けがあるかはわかんないけど。
 でも、私が何か他意を持っているというのは気づいていると思う。それを口にするようなことはないだろうけど、ずっと顔を見ていられるほど剛胆な性格ではない。

「ああ、そうだ。こあに会ってきたらどうかしら? 多分、楽しいことになると思うわよ」
「いや、いいわ。面倒なことになるのは分かりきってるから」

 お姉様の言葉に同意するように私は首を縦に振る。私の今の姿を見たこあが私を標的にするのは容易に想像ができる。
 だから、会いたくない。できればとか曖昧なことは言わず、絶対に。

「それは残念。でも、私の部下はとても空気が読める子なのよ」

 パチュリーが浮かべるのは悪戯っぽい笑み。今一番会いたくない人の笑みを控えめにすると、ちょうどこんな感じかもしれない。

「呼ばれたような気がしたので小悪魔さん参上! 悪戯されたい方絶賛募集中ですっ!」

 絶対にどこかで出るタイミングを計っていたとしか思えないくらいに絶妙なタイミングでこあが現れた。何かされる前からどっと疲れが出てくる。

「というわけで、聞きました、聞きましたよっ!」

 実際にどこかで聞いてタイミングを計っていたようだ。ばっとこちらへと飛んでくる。思わず一歩後ろに飛んでしまう。

「フランドールさんがレミリアさんの為に頑張るそうですねっ。よろしければ従者に必要な秘訣をお教えしましょう!」
「や、やだっ」

 なんだか怖い。

「いえいえ、怯える必要なんてありませんよ。私のことを信用してください」
「……自分が今までやってきたこと覚えてる?」

 じりじりと近づいてくる。その度に、私もゆっくりと逃げる。すぐに逃げようとしないのは、そうしようとしたとたんに飛びかかられてしまうような気がするから。

「ええ、ええ、覚えていますとも。一緒に楽しく遊んでくれましたよね」
「私が一方的に遊ばれてたんだよっ」

 都合よく改竄されてるらしい記憶へと真実を叩き込む。出会う度、とまではいかなくともしょっちゅうちょっかいを出されてからかわれたりしている。
 限度はわきまえてるみたいだから、やりすぎるということはないんだけど、苦手意識は抱いてしまっている。

「ありゃ、それは心外ですね。あれらはまだまだ序の口ですよ。私が本当に誰かで遊んだ場合、どのようになるかを知らないようですね。ふっふっふー、今すぐ教えてあげてもいいですよ?」
「……ぁ」

 声が漏れる。
 不意に背中が何か硬い物が当たったせいだ。振り返ることはしないけど、たぶん本棚にぶつかったんだと思う。こあから逃げることばかりに気を取られていたせいで、誘導されていることに気づけなかった。
 右に飛ぶか、左に飛ぶかを考えてみるけど、こあいわく私はわかりやすいらしいから、どっちに飛ぶにしろその隙を狙われてしまうと思う。まあ、万が一捕まった場合もどうにかなるから、逼迫しているというわけではない。
 でも、こうして追いつめられていくのは怖い。いつにない威圧も感じられるし。

「小悪魔、その辺でやめておきなさい」

 お姉様の声に、こあがぴたりと動きを止める。そして、くるりとお姉様の方へと向く。

「レミリアさんも人が悪いですねぇ。こんないいところで止めるなんて」
「他人をからかっておいて、何がいいところよ」
「ふっふっふー。甘いですねぇ。今日は、フランドールさんのメイド服姿にテンションもハイになってまして、半分くらいは本気でしたよ?」

 なんだかいつもよりも危ないところだったようだ。

「尚更駄目じゃない」

 お姉様は呆れている。今にもため息を吐きそうだ。

「というわけでフランドールさん、今日一日、私に付き合ってはくれませんかね?」

 再びこあがこちらを向いて、笑顔を見せてきた。さっきとは違って随分と落ち着いた様子だ。
 でもだからといって安心できるわけもなく、ほとんど反射的に首を左右に振っていた。そもそも、お姉様を理解するためにこうしているのだ。こあに付き合っている暇もない。

「そうですかそうですか。残念ですが仕方ないですね」

 言葉とは裏腹に残念そうな響きは感じられない。意外にもずいぶんあっさりと身を引いてくれた。

「ですが、代わりにちゃんとお仕事頑張ってくださいね」
「う、うん」

 『ちゃんと』の部分をやけに強調していた。パチュリーと同様に、私が純粋に仕事をしようとしているとは思っていないようだ。
 そんなことを考えながら、お姉様の斜め後ろへと戻る。

「じゃあ、パチェ。私たちはそろそろ行くわね」
「ん、道中変なのに襲われないよう気をつけて」

 外はどうだか知らないけど、館の中ではこあくらいしか変なのはいないような気がする。というか、これ以上いられても困る。

「変なのはそこにいるのだけで十分よ」

 お姉様も同じようなことを思っているようだ。

「まあ、それはそうだけど、いつどんな弾みで増えるかわからないし」
「いやいやお二方、私が二人に増えるのはそれはそれで楽しそうですが、なんだか私の扱い酷くないですか?」
「そう思うなら、自分の今までの行動を振り返ってみなさい」
「楽しい悪戯の思い出でいっぱいです! まあ、それのせいだと言うのでしたら、改める気は全くないですが」
「じゃあ、私も態度を変えるつもりはないわ」
「ふっふっふー。別にかまいませんよ。そうしてつれない態度を取っている方に悪戯を仕掛けるのもまた一興」

 余程心の底から嫌がられていなければ、こあは自分に都合の悪い言葉は受け流してしまう。そして、そういう本気で嫌われかねないことはしないから、こあをこっちの思い通りにさせるのはかなり難しい。
 唯一パチュリーだけが、こあの手綱を握ることができている。それを引っ張ったりするようなことはそんなにないけど。

「……フラン、行きましょう。小悪魔といると無駄に疲れるわ」
「は、はいっ」

 二人に背を向けたお姉様を慌てて追いかける。ようやくこの場から離れられることに安心していた。

「じゃあ、レミィ、何か楽しいお土産話期待してるわ」
「お二人とも、今日は目一杯楽しんでくださいね!」

 二人の見送りの言葉はなんだかずれているような気がした。





「流石に、一つの傘に二人も入ると狭いわねぇ。まあ、なんとか入れて辺り、あらためてこの傘の大きさに感心もするわけだけど」

 図書館から出ると、無駄に広い館内をぐるりと一周した。
 今日初めて知ったことだけど、お姉様は毎朝館の見回りをしているようだ。廊下の所々で出会う妖精メイドたちと挨拶を交わしながら、その様子を見て回っていた。とはいえ、全員を見て回るなんてことは不可能だから、館の中を一通り歩いたときに出会った妖精たちに限るけど。
 咲夜がお姉様に対して妖精の管理をどうのと言っていたのはこのことを知っていたからなんだろうか。

 そうして見回りの締めくくりに向かったのは館の外だった。さっきまでただ付いて歩いているだけだったけど、陽の射している外では日傘を差すという仕事ができる。
 とはいえ、一応吸血鬼である私も影のある場所に逃げ込まないといけないわけで、一つの日傘に二人で入る形になっている。お互いの羽が邪魔になってしまうからそんなに距離を詰めることもできない。まあ、お姉様の言っていたとおり、それにも関わらず二人入れてしまっているわけだけど。
 一人で使っているときも大きいとは思ってたけど、ここまでとは思っていなかった。

「おはようございます。お二人がご一緒……ってフランお嬢様どうなさったんですかそのお格好は。咲夜さんの趣味ですか?」

 お互いの羽を触れ合わせたりしながら、門の近くへと寄ると声をかける前に美鈴はこちらに気づいて振り向いてきた。気を操れるというだけあって、気配を読むのは得意らしい。
 まあ、お姉様や咲夜も似たようなことができるんだけど。

「まあ、近いようなものね。一日メイドの体験をして社会勉強をするらしいわよ」
「へぇ、そうなんですか。頑張ってください……えっと、この場合はフランドールさんでいいんでしょうか?」
「あ、うん。ありがと」

 どうやら美鈴は咲夜の作り話を信じてくれているようだ。信じてくれているらしいのが一人だけっていうのは嘘としてどうなんだろうか。しかも、一番ばれたくない人にばれているかもしれないという状況だ。

「社会勉強ですかぁ……。その様子だと、お嬢様の世話をなさるという感じみたいですね。何をなさるんですか?」
「えっと……、お、嬢様に付いて歩く……?」

 咲夜からはほとんど何も聞かされてない。というか、お姉様と咲夜の話を聞いていた時点で、することがほとんどないというのはわかっている。
 こういうときは、嘘を見抜いていてほしかったと思う。そうすれば、こんなことを聞いてくるようなこともなかっただろうから。
 まあ、都合のいい考えだと思うけど。

「あはは、かなり硬くなってますね。仕事は簡単そうですが、そうして態度を改めるべき場所に立つというのは良い経験になると思いますよ」

 なんだかあっさりと納得されてしまった。
 ずっと引きこもっていたから、他人と関わるのが苦手だと思われてしまっているようだ。まあ、事実だしそのおかげであまり追求されずにすんだからいいんだけど、こう、なんとなく釈然としない。

「フラン、なんだか難しい顔してるわよ」

 お姉様にそんな指摘をされてしまった。表情を見る限り、私の反応を見て楽しんでるようだ。
 それならそれでいいかな、なんて思ってしまう私。

「お嬢様? なんだか楽しそうですね」
「そう見えるんなら、そうなんでしょうね」
「あはは、相変わらずひねくれた物言いですね」
「余計なお世話よ。そもそも、素直なのは私の性には合わないの」
「そんなことないですよ。素直な方が素敵だと思いますよ。ねえ、フランドールさん?」
「え? えっと、う、ん……?」

 お姉様が素直だったなら、私がこんな格好をしてこうしていることもなかっただろう。でも、それだとお姉様はお姉様のようでいて別人となるわけで、私の好きなお姉様とは違ってしまう。
 そんな二律背反のせいで、返事はよくわからないものとなってしまった。まあ、頷いたから同意したことにはなってるんだろう。

「ほら、フランドールさんもこの通り」
「ものすごく曖昧な頷き方じゃない」
「それはですね、えっと、私が突然話を振ったからですよ。ですよね?」

 またしても美鈴がこちらへと話を振ってくる。気を遣ってくれてるのか、単に自分が答えにつまったからなのかはわからないけどやめてほしい。私だって態度を決めかねているのだから。
 とはいえ、話題を振られて無視をすることもできない。だから、適当に頷き返しておいた。突然話を振られて、少々気が動転していたというのは嘘ではない。

「ほら、やっぱりそうじゃないですか」

 なぜだかとても嬉しそうな美鈴。

「ふむ、貴女はよっぽど私に素直になってほしいみたいね。何が目的なのかしら?」
「いやいやぁ、何を仰いますか。別に目的も何もなくただ純粋にそう思っただけですよ?」
「ふーん?」

 お姉様は美鈴の言葉を信じていないようだ。追求しようという姿勢は見えてこないけど、美鈴はそれだけで居心地を悪くしている。ちょっと顔色が悪い。

「……すみません。素直になってくだされば、私でもお嬢様に勝てると思ったんです」
「素直でよろしい。でも、勝てるっていうのはどういう意味よ」
「ほら、お嬢様って何を言っても動揺しないじゃないですか。なので、少々いじりがいがないなーと思いまして」

 確かにお姉様が動揺している姿というのは見たことがない気がする。咲夜ならそういった姿を見たこともあるんだろうか。

「へぇ……、生意気にもそんな事を思ってたのね」
「……」

 自分の発言が失言だと気づいたらしい美鈴が動きを止める。まあ、普通は思ってても口にはしない。

「……お嬢様! 本日はどこかへ行かれるご予定はありますかっ?」
「今のところは特にないわねぇ。とはいえ、フランがせっかく仕事をしてるのにじっとしててもつまらないでしょうから、どこかには行きたいところね」

 お姉様は美鈴が無理矢理話題を変えたことに関しては気にしないことにしたようだ。もしくは、もともとどうでもいいと思っているか。

「ねえ、フラン。どこか行きたい場所はある?」

 他人事のように考えていたらこちらに話題を振られた。

「えっと、……ないです」

 館の中だけでほとんど世界が完成してしまっている私にそんなことを聞かれても困る。どんな場所があるのかというのを知らないということはなく、単純に興味を抱けない。

「そう。……なら、霊夢のところにでも行きましょうか。確か貴女は一度も行ったことがなかったわよね?」
「……はい」
「よし、なら、それで決まりね」

 行くということ自体には頷いていないのに決定されてしまった。まあ、たぶんどこかへ行くっていうのは決定事項なんだろう。だとしたら、私が何も言わなければ、お姉様の行きたいところに決まるのは自然な流れだ。

「ということは、神社に行かれるのですね。いってらっしゃいませ!」
「気が早いわね。まずは日傘を取りに戻るわよ」
「あー、言われてみればかなり歩きにくそうですよね」

 私もこのまま出発するものだと思っていた。でも、確かに歩きにくいから長距離を移動するのには向いていない。
 全然気を配れていなかった。

「そういう事。じゃあ、私たちは一回戻るわね」
「はい」

 美鈴が頷くとお姉様がこちらへと視線を向けてきた。

「じゃあ、戻りましょう?」
「あ、はい」

 少し苦労しつつその場で向きを変えて、私たちは一度館へと戻るのだった。





 博麗神社は私にとって思い入れの深い場所だ。といっても、お姉様が言っていたとおり行ったことがあるというわけではない。
 お姉様がよく行っているから。ただその理由だけで思い入れが深まっている。

 私の世界は小さく閉じている。だから、その中にいる人物の動きはとても重大な意味を持つ。例え、その人にとってはなんでもない行動であったとしても。
 中でも、お姉様という存在は格段に大きい。咲夜にパチュリーにこあに美鈴、それから妖精メイドたち。他にも私の世界に登場人物はいるけど、お姉様の存在感には遠く及ばない。

 お姉様の意識も幻想郷に来るまでは内に閉じていたはずだった。だから、館の中にパチュリーが来て美鈴が来て咲夜が来ても何とも思わなかった。
 でも、幻想郷に来てからお姉様に変化が訪れた。赤い霧の異変を起こしたりと、外へと働きかけるようになった。そして、異変が解決されてからは頻繁に外に出るようにもなってしまった。あの頃は、博麗神社へとよく行っていた。

 それを知った私はなんとも言えないもやもやとした気持ちを抱えていた。そして、その気持ちに従って私はお姉様を追いかけようと部屋から出たのだった。
 その結果、ちょっとした騒ぎを起こしてしまった。
 私が外に出るなんて思っていなかったパチュリーは異常事態だと思って、私が逃げられないよう雨を降らし始めた。まあ、初めて部屋から出た上に、咲夜が館の空間を引き延ばして無駄に広くしていたせいで道に迷って玄関さえ見つけられなかった私に対してその雨は本来の役目を果たしてはいなかった。
 けど、代わりに霊夢と魔理沙の二人を引き寄せた。そして、二人に出会った私はもやもやとした気持ちをぶつけるかのように弾幕ごっこを申し込んで、あっさりと負けた。滅多に動かないのに、いきなりそんなことをしたのだから当然とも言える。
 まあ、そのおかげで自分の力に関することを吹っ切れたわけだけど、今は関係ないか。

 とにかく、あのときは思ったままに動いてたけど、今冷静になってみると嫉妬してたんだろう。ずっと、こちら側を見ていたはずのお姉様が、いきなり外へ意識を向けるようになってしまったから。
 でも、今のお姉様の姿を見ていると、もともとは意識を外に向けるべき存在だったんだと思う。そう思ってしまえば、お姉様が外に出るということに対して何か思うところもなくなったし、外への興味も急速に失せてしまった。
 まあ、初めてお姉様と見た館の外の景色に感動しなかったというわけではない。ただ私には広すぎる世界だと、そんなふうに思ってしまっただけ。

 そんなわけで、私の生活圏はあの日を境に少しだけ広がったけど、大きく変化するようなことはなかった。

「到着、っと。フラン、大丈夫?」
「あ、はい、だいじょうぶ、です」

 そうやって考え事をしながら歩いて博麗神社へとたどり着いた。

 私のことを気遣ってくれていたのか、長い階段をのぼるお姉様のペースは考え事をしていた私にちょうどいいものだった。毎日とまではいかなくとも、頻繁にここをのぼっているならもう少し早くのぼれると思う。
 これでは、どっちが世話をする側なのかわからない。
 こんなにも気を配れるお姉様だからこそ、咲夜のようにいろんなことを器用にこなせないとお姉様の世話なんて満足にこなせないのかもしれない。

「そう」

 お姉様が柔らかく微笑む。私は自ら望んでその表情に見惚れる。
 でも、残念なことにそれはいつまでも続くことはない。

「はあ、また来たのね、あんた。なんか見たことのないメイドを連れてるし」

 境内の掃除をしていたらしい霊夢が竹箒を持ったまま話しかけてきた。

「ええ、また来たわ。それより、私の妹に向かって見た事ないとは酷いんじゃないかしら?」

 お姉様は笑みを引っ込めて霊夢の方へと振り向いた。まあ、話しかけられていなくても、これくらいのタイミングでさっきの笑みはみれなくなってしまってたんだろうけど。

「んー……?」

 冗談の類かと思っていたけど、本当に霊夢は私のことを忘れてしまっているようだ。こっちをじっと見ながら、思案顔になっている。
 あれから数年経ってるし仕方ないの、かなあ? 自分で言うのもなんだけど、特徴的な姿をしているからそう簡単には忘れられることはない、と思う。幻想郷がどんな場所なのか把握していないから、断言はできない。

「……なんか、こう、引っかかりが、あるような、ないような……」

 そろそろ思い出すかなぁと思いながら待ってみる。

「……いや、私が妖怪のために頭を悩ます必要なんてないわね。というわけで、あんたの名前はメイドで決定」
「えー……」

 思わずそんな声がこぼれてしまっていた。それと同時に、初めて会ったときとの差が全然ないことに少しばかりの安心を覚える。ほとんど知らない誰かよりは、ちょっとだけでも知ってる誰かの方が接しやすい。
 誤差のような違いだけど。

「お? 誰が来たかと思えば、やっぱりレミリアとフランか」

 霊夢の後ろから箒を持った魔理沙が顔を覗かせる。どうやら、魔理沙も神社に来ていたようだ。
 こっちはちゃんと覚えてくれていた。まあ、図書館で一週間に一度くらいは会うから当然だけど。

「とと、フランがメイドの格好してるな。お嬢様は廃業か?」
「そういうものじゃないと思うんだけど……」

 仕事とかそういった類の物ではないし。

「まあ、ちょっと、社会勉強をしてみようかなって」
「ふーん、なんだかお前らしくないな」
「そう、かな?」
「ああ、らしくない。何か企み事のにおいがぷんぷんするぜ。仕掛け人は咲夜か?」

 そこまで頻繁に会うわけでもない魔理沙にまで見抜かれてしまうようだ。いや、もしかしたらはったりかもしれない。魔理沙はよくそうやって場を乱そうとする。
 まあ、はったりだろうと何か確信めいた物があって言っていたとしても、言い当てられてしまっていることに変わりはない。問い詰められた場合、どう誤魔化せばいいのかなんてわからない。
 もうすでにお姉様にはばれてしまっているかもしれないとはいえ、自分からばらしてしまうのも気が引ける。だから、なんとか誤魔化せないかと頭を捻らせていると、

「ねえ、魔理沙。そんなことよりも、霊夢がフランのことを覚えてないなんて言ったんだけど、どう思うかしら?」
「それは実に霊夢らしいな。あれ以来一度も会ってないんだろ? それなのに覚えてる方がらしくないだろ?」
「まあ、そうね」
「それよりも、だ。フランがこんなことをしてるのには何か裏があるとしか思えない。だから、気づいてないらしいお前に変わって私がちゃんと聞き出してやろう」
「残念ながら最初っから気付いてるわよ。あえて気付かない振りをしてあげてたの。だから、その件には触れないであげてちょうだい。後でちゃんと聞き出しとくから」

 今までは気づかれてるかもしれないだったけど、今の発言で気づかれているというのは明確になってしまった。

「それじゃあ、私が面白くないじゃないか」
「真面目に仕事はしてくれてるのよ。だから、誰であろうと邪魔をしようってなら容赦しないわよ」
「ほう、そうかそうか。だが、私は障害がある方が燃える質なんだ」

 なんとなく二人の間に剣呑な空気が漂い始める。でも、どことなく楽しげな雰囲気もあって、止めに入ろうという気にはならない。

「あんたら、掃除したばっかりなんだから別のとこでやんなさい」

 でも、さっきまで掃除をしていたと思われる霊夢は、非常に面倒くさそうではあうけど止めに入る。

「大丈夫よ。私に負ける魔理沙に掃除をさせるから」
「はあ……、まあ、なら別にいいわ」

 なにやら諦めのため息を吐きながらそう言った。何度も同じようなことを繰り返してきてるんだと思うけど、その課程で霊夢は何かを諦めたんだろうか。許可しながらも気の進んでいない様子からそう思う。

「私が勝てば、貴女はフランに手出しをすることを諦めて大人しく境内を掃除をする。私が負ければ、私は貴女がフランに手出しをするのを黙って眺めながら掃除をする。それでいいかしら?」
「ああ、いいぜ。日傘を持っていようと私は本気で行かせてもらうからな」
「ええ、そっちの方が後腐れがなくていいわ」

 条件を確認しお互いに挑発するように言い合った後、二人はほとんど同時に飛び上がった。
 そして、お姉様を中心として紅が、魔理沙を中心として星が広がる。

「ねえ、あんたってお茶淹れられるの?」

 二人の勝負を眺めていようかと思っていたら、霊夢に声をかけられた。さっきまでの諦めの色はどこにも残っていない。切り替えが早いようだ。

「ううん、できないけど」
「何よ、ダメじゃない。お茶を淹れるのってメイドとして一般常識じゃないの?」
「えっと、私は――」
「まあいいわ。私が教えてあげる。私はお賽銭を入れてくれる参拝客と美味しいお茶を淹れられるメイドしか歓迎しないの」
「わわっ?!」

 仕事体験をしてるだけだからと言おうとしたけど、途中で遮られてしまった。腕を掴んで私をどこか、たぶんキッチンの方へと連れて行こうとする。

 逆らうことはできただろうけど、ただ待っているだけというのも悪い気がしてされるがままになっているのだった。





 背後から聞こえてくる激しい音を気にしながら、霊夢の後ろを付いて神社の裏へと向かう。心配する必要はないんだろうけど、お姉様のことになるとどうしても気になってしまう。

「そんなに気になるの?」
「うん」
「そ。でも、お茶を淹れるまでは自由にさせてあげない」

 それなら最初から聞かなければいいのに。なんとも意地が悪い。

「そういや、あんたらが揃ってここに来るなんて初めてだけど、仲悪かったの?」
「え? そんなことない、と思う、けど」

 何も問題はないと思うけど、真っ正面からそんなことを聞かれると自信がなくなってしまう。思い上がった私が勝手に仲がいいだなんて思ってたんじゃないだろうかって。
 ……お姉様を理解できてないから、こんなにも簡単に不安になってしまうんだろうか。

 そんな私の心情の変化に気づいた様子もなく、霊夢は首を傾げながら続ける。

「いや、まあ、そうよねぇ。初めて会ったときに名前間違えて言ってやったとき、あんたやけに怒ってたし」

 どうやら私と会ったときのことを思い出してくれたようだ。でも、その言い回しに引っかかりを覚える。

「ねえ、あのときはわざと名前を言い間違えてたの?」
「音の響きだけ覚えてたから、勘に任せて適当に言っただけ。もしかしたら、ちゃんと名前を言えてたかもしれないし。だから、わざとじゃあないわ」
「えー……」

 なんとも強引な理屈だった。考えるのが面倒くさくて、適当に思いついたままを口にしているんじゃないだろうかと思ってしまう。
 いや、実際にそうなんだろう。さっきの発言の内容からそう思う。

「まあ、そんなことはどうだっていいの」

 また、私たちのことについて何か言うんじゃないだろうかと身構えてしまう。

「美味しいお茶を淹れることの方がずっと重要よ」

 でも、実際に言われたのは私が考えてたようなことにはかすりもしないようなことだった。

 がらがらと音を立てて扉が開けられる。
 会話に集中していたせいで、キッチンにたどり着いていたことに気づかなかった。霊夢が開け放した横開きの扉の向こうに、館のとは全く異なった様式のキッチンが見える。

「あんたって魔法使えるのよね? だったら、ヤカンに水入れて沸かしてちょうだい」

 それだけ言って、霊夢は棚の方へと向かってしまう。私が断るとは微塵も思っていないようだ。まあ、実際にそうだけど。
 とはいえ、何をすればいいかもわからないので、まずは部屋の中を見回してみる。

 土を固められただけの地面の部屋の中、目当ての物はすぐに見つかった。よく使うものだから、すぐに手の届くところに置いているのだろう。
 まっすぐに竃に近寄って、上に置かれていたヤカンを確保。触るのは初めてだから、なんとなく表面を撫でてしまう。冷たくて固い。
 それから、流しの方へと近寄って固まる。

 手押しポンプがあるから、そこから水が出てくるっていうのはわかる。ハンドルを下げたり上げたりすればいいっていうのも知ってる。でも、どのくらいの力加減でやればいいかわからないから手が出せない。変に力を込めすぎて壊してしまってもいやだし。
 とはいえ、頼まれたことを無視することもできないと、おそるおそるハンドルの方へと手を伸ばそうとしたら、

「あんた何やってんのよ」
「――っ!」

 不意に声をかけられて、がんばって伸ばしていた手も引っ込んでしまう。まあ、私の行動が明らかに挙動不審なのはわかってるけど。

「あー、えっと、こういうのに触るのって初めてだから、壊れたりしないかなぁって」

 振り返ると、茶筒を持って空いた手を腰に当てている霊夢が立っていた。

「妖怪の馬鹿力でやんない限り大丈夫よ。まあ、壊したら弁償してもらうことにするから安心しなさい」

 やる側としては逆に不安になるばかりだ。

「そんなことより、私はお茶が飲みたいんだからさっさとしなさい」
「う、うん」

 睨むように見られて慌てて動き出す。不安があろうと他人の圧力にはかなわない。そういうのを向けられるのに慣れてないから。

 ヤカンの中にポンプの口を入れる。流れ水に弱いとはいえ、飛び散った水くらいはだいじょうぶだと思うけど、一応念のため。
 それから、ポンプのハンドルを掴んでとにかく押し下げてみる。そうすると、案外簡単に下がった。少しして、水の流れる音が聞こえてきて手に重みがかかる。更に二度ハンドルを上下させて、ヤカンの中へと十分な量の水を入れ終えた。

 無事、ポンプを壊すことなく水を入れることに成功したようだ。自然と安堵のため息が漏れてきた。

「……」

 霊夢に何か言われるだろうかと思って身構えていたのに、何の反応もなかった。
 振り返ってみると、湯呑みを並べた木のお盆のそばで急須に茶葉を入れている霊夢の姿が目に入った。湯呑みが三人分しかないけど、わざとなんだろうなぁ。弾幕ごっこに負けてしまうと、掃除をしないといけない上に、お茶も出してもらえないということなんだろう。
 作業の進み具合からして、私がポンプの方へと向き直ったときにはすでに離れていたようだ。ほとんど放置されてる気がする。

 お茶の淹れ方を教えてくれると言ってた気がするけど、まあいいか。気にし過ぎてもしょうがない。私は頼まれたことをやるとしよう。
 気を取り直して、ヤカンを竈のへこんだ部分に置く。それから、魔法でヤカンの中の温度を上げていく。今までの作業とは違って、ある程度慣れもあるから戸惑いもない。集中する必要もないから、暇なくらいだ。

 だから温まるまでの間、あまり見回すことのできなかった部屋の中を見回してみることにした。
 神社と聞くと、居住区も含めて生活感が薄そうだと勝手な印象を抱いていたけど、実際には全く違うようだ。
 私の右前には棚があり、調味料が並べられている。地面の隅の方には何が入ってるかはわからないけど、大きなかめや樽が置かれている。そのそばには、野菜が無造作に置かれている。

 館のキッチンに入ったこともほとんどないけど、全然雰囲気が違うというのは感じ取れる。土間というんだっただろうか。土を踏み固めただけのような地面が、自然に近い雰囲気を醸し出している。
 だからか、こうしてじっくり観察してみると何となく落ち着かない。多分、ずっと人工物に囲まれた部屋にいたせいだろう。

「なんか珍しいもんでもある?」

 することがなくなって暇になったのか、霊夢が話しかけてきた。ぼんやりしながら待ってる方が私には合ってるけど、たまにはこういうのもいいかもしれない。実際は大抵何かを待っている間は、近くに誰もいないだけなんだけど。

「うん。この部屋自体が珍しいものだらけ」
「あんたんところってこの辺の建物とだいぶ雰囲気が違ったわよね。……そういや、何度かあの館に行ってる気がするのに、初めて会ったとき以外にあんたに会わなかったのはなんで?」

 霊夢が不思議そうに首を傾げる。

「ほとんど部屋と図書館を往復してるだけだからかな?」
「ふむ、確かにあんな陰気臭そうな場所には近づかないわね」

 それはどっちに対して言ってるんだろうか。両方? いやでも、霊夢が私の部屋を知ってるとは思えないから、図書館の方かな。
 まあ、外に慣れ親しんでいるなら、どちらに対してもそう思ってしまうものなのかもしれない。でも、私はあの場所が好きだし、落ち着く。
 外も色々と発見があって嫌いではないけど、その分疲れてしまう。

「図書館ってことは、あんたも本ばっかり読んでるってこと?」
「うん」

 部屋から出るようになってからは特にそうかもしれない。読み終わればすぐに自分の足で本を取りに行けるようになったから。それまでは、ぼんやりとしている時間も長かった。

「ふぅん。いっつも出歩いてる印象のあるレミリアとは真逆なのね」

 真逆。確かにそうかもしれない。何もかもが私と違うとは思わないけど、そういった部分は多いと思う。
 それが、お姉様の理解を妨げてる? ……どうなんだろうか。
 でも、お姉様は私のことを理解しているみたいだから関係ないような気もする。

「あ、もうよさそうね。温めるのやめてちょうだい」

 一人考えに耽っていると、霊夢がそう指示を出してきた。
 考えるのは今日一日のことが終わってからでもいいだろう。あんまり迷惑はかけたくないし。

「沸いてないけどいいの?」
「お茶を淹れるときは沸騰する前のお湯を使うのよ。常識だから覚えときなさい」
「うん」

 たぶん、霊夢の世界は自分が中心なんだろうなとかそんなことを思った。





 お茶の注がれた三つの湯呑みと急須の乗ったお盆を持った霊夢に付いて、本殿の前へと戻ってくる。私はお湯の入ったヤカンを持って、冷めないように魔法で温度を保っている。
 お姉様と魔理沙の弾幕ごっこの決着はすでに付いていた。お互いにスペルカードの宣言してた枚数が少なかったんだろうか。
 まあ、枚数が残っていたとしても魔理沙は行動不能な状態になっているけど。

 魔理沙は赤い鎖に縛られて身動きの取れない状態で横たわっていた。お姉様は賽銭箱の前の階段に腰掛け、魔理沙の箒を手に持ったままその姿を眺めている。その余裕そうな様子から、さほど苦戦することはなかったようだ。
 お姉様が本気を出してたのか、魔理沙がうっかり魔法の鎖の一端に引っかかってしまったのか。結果だけを見ても判断することはできない。

「おい、二人が戻ってきたんだから解放してくれよ」
「この眺めもなかなかよかったんだけど、ま、貴女はこれから掃除しなきゃいけないんだし仕方ないわね」

 魔理沙の言葉に頷くと赤い鎖は溶けるように実体を無くした。それと同時に魔理沙は起き上がり、傍に落ちていた帽子をかぶり直し服に付いた土を払い落としていく。

「まったく、相手を縛り上げて眺めるのが趣味なんてどうかしてるな」
「単に勝者としての優越に浸りたいだけよ。特に貴女みたいな不遜な相手に対して」
「はっ。それもそれでどうかしてるな」
「まあ、貴女にどう思われようとも私には関係ないけど」

 鼻で笑う魔理沙と平然と受け流すお姉様。館にいるときに比べるとお姉様の受け答えは粗雑になっている気がする。

「魔理沙。無駄口たたいてないでさっさと掃除しなさい」
「あたっ」

 お盆をお姉様の側に置いた霊夢が、柱に立てかけていた竹箒の柄で魔理沙の横腹を突いた。魔理沙の声の様子から、本気でやったわけではないようだ。

「酷いな霊夢は」

 そう言って魔理沙は霊夢の方ではなくお姉様の方へと手を伸ばす。

「レミリア、掃除するから私の箒を返してくれ」
「返すわけがないじゃない。貴女が箒に乗って飛ぶっていうのは知ってるんだから」
「私がその箒でしか飛べないと思ってるのか? だとしたら、それは大きな間違いだ。別に飛ぼうと思えば今霊夢が持ってる箒でだって飛べる。ただ、な。私はその箒じゃないと掃除ができないんだ。だから、返してくれ」

 最後の方は少ししおらしい様子だった。私だったらその姿を見ただけで気の毒に思って返してしまっているかもしれない。
 でも、お姉様は余裕そうな態度を維持したまま箒を渡そうとはしない。

「掃除用の箒なんて消耗品なんだからそう変わんないと思うけどねぇ。だからこそ、手入れの行き届いたこの箒は掃除に使うものだとは思えないわ」
「はっ。掃除をしたこともないようなお嬢様が何を言ってるんだか」

 しおらしさは簡単に吹き飛んでしまった。
 お姉様は鼻で笑う魔理沙の態度を気にした様子もなく平然と言い返す。

「咲夜が来るまでは自分で掃除してたわよ? 使わないほとんどの部屋は放置してたけど」

 少なくとも私の部屋を掃除してくれていたことは知ってる。いつからか、咲夜が掃除をするようになってたけど。

「なんでもいいからさっさとやんなさい」
「いだっ」

 再び霊夢が魔理沙の横腹に竹箒の柄を突き刺した。さっきと比べるとかなり容赦がない。

「霊夢、酷すぎる、ぜ」
「あんたが大人しく掃除してればこんなことしなかったわよ」

 横腹を抑えて少し苦しそうにしている魔理沙に対して霊夢はきっぱりとそう返す。お姉様共々接し方が酷いなぁと思うけど、自業自得のような気もして同情の念はあまり湧いてこない。

「はぁ、わかったよ、やればいいんだろうやれば。全く今日は厄日だな」

 ぼやきながら霊夢の手から竹箒を受け取る。

「貴女がフランの邪魔をするって言い出さなければこうはならなかったんだから自業自得よ。掃除をしながら深く反省しなさい」
「へいへい」

 投げやりに答えながら石畳を半分ほど進んで箒を動かし始める。なんだか掃いているというより、ゴミを飛ばしているという感じだ。でも、誰もそれに対して何かを言おうとしない。
 お姉様は湯呑みを手に魔理沙の様子を楽しげに眺めているし、霊夢は我関せずと言った感じでお姉様の隣に腰掛けてお茶を飲んでいる。言うだけ無駄なのをわかっているのかもしれない。弾幕ごっこが長引かなかったせいか、あまり散らかっている様子がないというのもあるかも。

「このお茶、フランが淹れたのかしら?」
「お湯を温めてもらっただけで、淹れたのは私」

 二人の会話を聞きながら、こういう場合立っておく方がいいんだろうかと内心首を傾げながら、一つだけ残っていた湯呑みを手に取る。
 紅茶のような甘い香りはなく、草っぽいにおいだけがする。淹れてるのを横で見ていたときも思ったけど、あまり美味しそうには見えない。材料は同じはずなのに加工の仕方でこんなにも違ってしまうんだと少し感心する。

「ねえ、あの子私にくれない?」

 じーっと緑色の液体を見つめていたら、霊夢がそんなことを言うのが聞こえてきた。思わず、二人の方へと顔を向ける。

「自ら妖怪神社としての名をほしいままにしようとするとは、霊夢も変わったわね」
「それはそれ、これはこれよ。というか、最初に寄りつき始めたあんたがそんなこと言うんじゃないわよ」
「ここはなんだか居心地がいいから、足が勝手に向くのよ。まあ、そうね。私に所有権はないからフランに直接聞いてちょうだい」
「じゃあ、そうする」

 お姉様の言葉に頷いた霊夢がこちらへと視線を向けてくる。
 どう答えるかはすでに決まってるけど、身構えてしまう。そういったことを聞かれるのは初めてだから。

「フラン、私のところに来てちょうだい。寝床の用意くらいはしてあげるから」

 必要最低限にも満たない用意だった。まあ、一緒にいればなんだかんだと必要なものは提供しくれると思うけど。

「ごめんなさい。私の居場所はあの館だけだから、霊夢の言葉は聞き入れられない」
「そう、なら仕方ないわね」

 予想していたよりもずっとあっさりと諦めてくれた。少なくとももう二、三言くらいは交わすと思っていたのに。

「随分と早い諦めね」

 お姉様も同じようなことを思っていたようだ。

「だって交渉なんて面倒じゃない。弾幕ごっこしてまでほしいとは思わないし」
「そ。少しの期間でもそっちで預かってくれるってことになったら、良い経験になると思ったんだけどねぇ。フランは、一ヶ月くらい霊夢のところで生活してみるって言うんなら聞き入れられるかしら?」
「あ、その場合は冬の一番寒い時期にお願いね」
「それでも聞き入れられ、ません」

 たぶん、そんなに長い間お姉様から離れるなんていうのは耐えられない。最低でも一日に一度はお姉様の顔を見ることができなければ落ち着けない。お姉様が異変を起こして、慌ただしくしていたころを思い出すと心の底からそう思う。
 あのころは、会いに来てくれることがなくなったということはなかったけど、会いに来てくれても意識が私ではなく外へばかり向いていた。だから、お姉様と会っているという実感が薄かった。

「それは残念ね」

 本当に残念がっている。
 だって、お姉様は私にもっと外の世界に触れてほしいと望んでいるから。

 ……でも、それがどんなにお姉様の強い望みでも、私はそれに応えることはできない。
 この、小さな世界だけで満足しているから。

 そもそも、どうしてお姉様は私に世界を広げてほしいと思っているんだろうか。

「なんでレミリアってそんなにフランを突き放そうとしてんの?」

 霊夢が私の気持ちを代弁してくれた。本人にそういった意図はないだろうけど。

「どうしてだと思う?」
「……嫌いだから?」

 霊夢のその答えに全身が怯えるのがわかった。お姉様の口からその言葉が出てきていたとしたら、どうなっていたかわからない。

「短絡的な答えをありがとう。全然違うわ」

 ひどく動揺する私とは対照的に、お姉様は呆れを見せつつも落ち着いているようだった。その呆れは、どちらに対するものなんだろうか。

「フランの世界はあの館の中だけで終わって欲しくないって思うからよ」
「ふぅん、当の本人とは正反対のことを思ってるのね」

 私のことを忘れていたはずなのに、すでに私の本質を見抜いているようだ。そんなにわかりやすいだろうか。

「そ。だから、あんまりうまくいかないし、どうするのがいいのかわかんなくなってるとこ」
「どっかに捨ててくれば?」
「一度は考えたこともあるけど、ショック療法は効果が大きい分、反動も怖いからねぇ。実行はしなかったわ」

 お姉様の思考が一歩間違っていれば今頃私は館の外に捨てられていたようだ。
 いや、お姉様は万が一にもそんな選択はしない、……はず。

「フランがしてもいいっていうなら今すぐここに置いて帰るけど?」

 こちらへ顔を向けてきたお姉様に全力で首を横に振って否定した。

「ま、本人がこんな感じだし、焦る必要もないからのんびり考えるわ」
「ふぅん」

 霊夢は興味がなくなったのか、気のない返事をして湯呑みに口を付ける。お姉様もそんな霊夢の様子を気にせず湯呑みに口を付けている。

 私一人だけがお姉様の言葉に翻弄されていた。
 この中で唯一他人事としてすませられないから。お姉様の言葉だから。

 それに、結局私の疑問は新しい疑問に塗り替えられてしまっただけだった。

 どうして、私に世界を広くしてほしいと思っているんだろうか。





 神社でお姉様と霊夢、それから掃除を終えた魔理沙と何でもない会話をして時間を潰して、日が傾き始める少し前に私たちは帰ることになった。日が傾きすぎてしまうと、日傘でも日を遮りきることができなってしまう。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

 館に入った瞬間、咲夜に出迎えられた。咲夜が突然出てくることには慣れているけど、外から帰ってきて気が緩んだ瞬間だったから驚いてしまった。

「ええ、ただいま」
「た、ただいま」

 驚いていたのと言い慣れない言葉ということで少々言い淀んでしまった。というか、そんな挨拶の存在も忘れていて、私一人だったら何も言ってなかったかもしれない。

「何か変わったことはございませんでしたか?」
「フランがメイドをしてるって事以外はいつも通りだったわよ」

 魔理沙を縛り上げるのはいつものことらしい。まあ、正確にはいつもあんなノリだということなんだろうけど。

「では、何かご不満な点などは?」
「別になかったわよ」
「至らない点は?」
「そういうのもなかったわ。というか、貴女はどんな回答を望んでるのよ」
「何らかの問題が起きて、フランドールが成長するような展開になることを望んでおりました。残念ながら望み通りにはならなかったようですが」
「私の日常生活はそんなに波瀾万丈なものじゃないわよ」

 お姉様が呆れを見せる。
 私の生活に比べれば変化はたくさんあるけど、それでもいろんな問題が起きるにはほど遠い生活だと思う。たとえ、私がこうしてメイドの真似事をしていたとしても。

「特異的な変化が他へと大きな変化をもたらすことも有りうるのですよ。まあ、今回はその目論見も外れてしまったようですが」
「私の生活を把握してる貴女が本当にそんなことを目論んでいたのかしらね」
「万に一の確率でそうあったらいいとは思っていましたよ。そうでなければ、もっと回りくどくない方法を提示していましたし」
「え、ちょっと……」

 驚きが咲夜を止めようとするけど、困惑が言葉を形作らせない。そのせいで、咲夜を止めるにはあまりにも脆弱な声が漏れる。

「思った通りの働きを見せなかったから切り捨てたって解釈でいいのかしら?」
「いえ、これ以上イベントが期待できないので切り上げようかと」
「協力者、と貴女が思ってるかは分からないけど、相談もなく勝手に決めるのは酷いんじゃないかしらね」

 まったくだ。

「ふむ。お嬢様がどうしてもこのままが良いとおっしゃるのでしたら、それでもよろしいですが。次段階に移行するのは、今日中であればいつでもいいですし」
「最後の最後まで直接意思確認をするつもりはないのね」
「このことに関しては、誰の意志を尊重しても大して変わりはありませんから。でしたら、私の最優先事項であるお嬢様の意志を尊重するのが当然だとはお思いになりませんか?」
「まあ、貴女らしいとは思うわね」

 ため息混じりに返答すると、私の方へと顔を向けてきた。

「と、咲夜はあんな事を言ってるけど、フランはどうしたいの? 先に言っておくけど、昼間以上に何も起きないわよ?」
「あ、え、っと……」

 どうするのがいいんだろう。いや、私はどうしたいんだろう。
 メイドとしてお姉様に付いて歩くことで、今まで知らなかった一面を見ることができた。でも、果たしてわざわざ立場を変える必要はあったんだろうか。
 昨日、咲夜に提案されたときは名案だと思った。でも、過ぎ去って振り返ってみると、お姉様が私に接する態度は変わっていなかったように思う。
 こっちから何を考えてるのか分からないのに、あっちからは筒抜けなんじゃないだろうかって思わせる言動。
 近すぎることも遠すぎることもない距離感。
 すべてがいつも通りだった。
 ただ、私が長い時間お姉様の傍にいて、いろんな人に対する言動を見てきたというだけだった。

 だから、

「お姉様と、話したい」

 元通りにすることを望んだ。
 その上で、今日知ったことを確認したかった。 

「では、着替えを持ってきますね」
「貴女は私の妹をこんなところで着替えさせるつもりかしら?」

 言った後に色々と足りないと気付いたけど、二人にはちゃんと伝わっていたようだ。
 というか、さっきから咲夜の私に対する対応が酷いような気がする。目の敵というか、そういった類に思われてるのかなぁ。咲夜がお姉様の傍を離れるって言ってたときもちょっと怖い顔をしていたし。
 まあ、お姉様を慕う者としてその気持ちはわからないでもないけど。

「ふむ、言われてみればそうですね。では、私がこれ以上する事はなさそうなので、失礼させていただきます」

 そう言って、咲夜は姿を消す。時間帯からして夕食の準備の途中だったんだろうか。時間を操ることのできる咲夜だけど、余裕があるときは時間を止めずに仕事をしている。

「お姉様、いいの?」

 咲夜はお姉様が私の申し出を断らないという前提で動いていたけど、まだ本人からの返事は聞いていないのだ。

「断る理由がないわね。昼間以上に何もないって言ったでしょう? それに、貴女と改まって話をする事なんてそうないでしょうから、いい機会かもしれないわ」

 お姉様も何か話したいことがあるんだろうか。ふと思いついたのは、霊夢のところで私にもっと世界を広げてほしいと言っていたこと。

「ま、とりあえず着替えてきなさい。私は部屋で待ってるから」
「うん」

 きっと私はお姉様の願いを聞き入れることはできないだろう。
 それにも関わらず私の、お姉様を理解したいという願いを叶えようというのは傲慢なことなのだろうか。





「お姉様、入るよ?」

 扉を叩いて、部屋の中へと問いかける。朝のように敬語を使う必要はないから言葉はするりと出てきた。

「ええ、どうぞ」

 すぐに返事があった。お姉様を待たせるなんてことはできないから、間を置かずに扉を開ける。

「いらっしゃい」
「うん、お邪魔します」

 お姉様の挨拶に答えて部屋の中へと入っていく。毎回こうしてお姉様の部屋に入る瞬間は、少し気が引き締まる。

 部屋の中央には咲夜が用意したらしいテーブルが置いてある。上にはなぜかワインボトルと二人分のグラス、それからコルク抜きが置いてある。咲夜が用意したものだとは思うけど、それをどこかにやろうとはしてないからお姉様の意向も含まれてるんだと思う。
 椅子は二脚が向かい合うように置かれている。奥の席にはお姉様が座っていて、私の席はすでに決められているような状態だ。
 躊躇いながらも、そこに座る。

「フランは、お酒を飲んだ事はあるのかしら?」

 お姉様は手慣れた様子でボトルのコルクを抜く。ぽんと気の抜けるような音が部屋の中に響く。
 お姉様が私の前でそういったものを飲んでいる姿を見たことはないけど、結構な頻度で飲んでいるというのは知っている。

「ううん」

 飲みたいと思ったこともないし、私の前に出てくるようなこともなかったから口にするような機会は一度としてなかった。
 実際に前に出てくると、少々興味をそそられる。お姉様がよく飲んでいるというその事実の分だけ。

「そ、なら、これもいい機会かもしれないわね」

 そう言いながら、グラスへとワインを注いでいく。そつのない姿から、咲夜を思い浮かべる。咲夜はお姉様の影響を受けているのだろうか。

「はい、どうぞ」
「あ、ありがと」

 赤い液体の注がれたワイングラスが私の前に置かれる。紅茶の紅とはまた違った赤さだ。澄んだ赤色にはどこか作りものめいた綺麗さが含まれている。ぼんやりと眺めていると、吸い込まれていきそうだ。
 色に見惚れながらグラスを持ち上げて、一口含んでみる。

 舌に液体が触れた途端にすっぱさを強烈にしたような味がした。びくりと身体が震える。
 それから、舌の上になんとも言えないゆっくりと味が広がっていく。

「聞くまでもなさそうだけど、初めてのワインはどうだったかしら?」
「すごい強烈な味だった……。全然美味しくない……」

 よくこんなものを飲める人がいるものだと思う。
 これ以上飲む気にはならないから、グラスはテーブルの上に戻す。

「ふむ、フランの舌には合わなかったみたいね」

 そう言いながら、お姉様が静かにグラスを傾ける。
 その姿はとても様になっていて、端的に言うと格好いい。お姉様のどんな姿に対してもそうだけど、必然的に見惚れてしまう。

「さてと、フランは私に何を話したいのかしら? 夕食の時間は融通を利かせてくれるみたいだから、ゆっくりと話してちょうだい」

 グラスを置いたお姉様が紅い瞳でこちらをじっと見つめてくる。私はその視線から逃れることはできない。
 まあ、もともと逃げようというつもりもないけど。

「えっと、まずは騙すようなことをしちゃってごめんなさい……」

 何を話すにしてもそれからだ。最初からばれてしまっていたような状態だったとはいえ、そのままにしておくのは決まりが悪い。

「取り立てて怒ろうって気もないから、気に病まなくてもいいわよ。それより、こんなことをしようと思った理由の方が気になるわ」

 興味を抱かれてもそれはそれで困る。口にするのは少し恥ずかしいから、素っ気ない態度を取っていてほしかった。
 でもまあ、ここまで来てしまったのなら話してしまうしかない。

「……お姉様のことを理解したかったから」

 恥ずかしさに耐えきれず、視線がお姉様から逃げてしまう。逃げれないと思っていたけど、案外簡単に逃げれてしまった。代わりに多大な居心地の悪さが生まれてきてしまったけど。

「ふむ、それで、咲夜に入れ知恵をされて、あんなことをしたってわけね。で、今日一日過ごしてみてその目的は達成できたのかしら?」

 だめだったと正直に言うのは少々バツが悪いけど、収穫が零ではなかったということを付け加えれば少しは緩和できるかもしれない。

「ううん。全然理解できなかった」
「そうなの?」

 意外そうな表情をされた。お姉様は時々自分を過小評価しすぎてるところがあると思う。私も過大評価しすぎてしまっているというのは否めないけど。

「うん。でも、今まで知らなかったお姉様の一面を見れたと思う」
「ふーん? 例えば?」
「お姉様が毎朝館の中の皆の様子を見て回ってることとか、外では対応が結構粗雑なこととか」

 ほとんど部屋で過ごしていて、自分からお姉様に会いに行くようなことがなかったから気づけなかったようなことばかりだ。私に会っているお姉様ばかりしか見たことがないのだから当然だ。
 というか、お姉様が毎朝見回りをしていたことに今まで全く気付いていなかった自分自身に呆れる。

「外と館にいるときの私ってそんなに違う?」
「うん、今の方が柔らかい感じがする」
「ふぅむ?」

 自覚がないのか、不思議そうに首を傾げている。普段は澄ましたような態度を取っているから、お姉様のこういう無防備な姿は珍しい気がする。

「意識しなくても、そういうのは表に出てくるって事かしらね」
「そういうのって?」
「さあてね。私の事を理解したいなら、すぐに聞いたりせずに自分で考えてみなさいな」

 確かにそうだ。自分からその機会を捨ててしまっているのでは意味がない。
 もしかすると、この怠惰がお姉様の理解から私を遠ざけていたんだろうか。今日だけで色々な可能性の候補を見つけたからよくわからない。

 まあ、とにもかくにもお姉様の言った『そういうの』について考えてみる。
 答えは案外簡単に浮かんできた。 

「えっと、……私たちのことが、好き、っていう、こと……?」

 でも、実際に言葉にするのはかなり恥ずかしくて、声は掠れるようなものになっていた。顔の方に血が集まってきているのがわかる。ついでに、心臓まで落ち着かなくなっている。
 一時撤退して気持ちを落ち着かせたい。でも、今ここで逃げ出してしまったら戻ってこれないような気がするから、なんとか耐える。

「ふむ、間違ってはないけど、足りないわね。私は貴女たちのことを大切に想っているし、愛してる。だから当然、好きでもあるわよ」

 直視するのも難しいくらいに色んな想いの込められた笑みを浮かべられた。

「……」

 色々と耐えられなくなって、足を無意味にばたばたと動かす。それにつられるように羽も大きく揺れる。
 本当にどうしてお姉様は平然としていられるんだろうか。

「なんだか見てるこっちが恥ずかしくなってくるくらいに初々しい反応ね」
「……全然そんなふうに見えない」

 なんとか無理矢理心を落ち着けて、顔を少しだけ上げてそう言う、
 どう見ても余裕そうな雰囲気を醸し出していて、私と同じような心的状態になっているとはとても思えない。

「なら、そうなのかもしれないわね」
「……どっち?」
「さあてね。貴女が思った通りでいいんじゃないかしら?」

 煙に巻くようにそう言う。私がお姉様を理解できないのは、こうして薄ぼけた態度を取ることが多いからなんじゃないだろうかと思ってしまう。
 でも、咲夜は理解できてるんだよね。だから、単純に私がお姉様のことを知らなさすぎるだけなんだろう。きっと。

「……お姉様って難しい」
「そうかしらね? 私は単純に生きてるつもりなんだけど」

 とてもそうは思えない。色々なことを考えて、その結果として今のお姉様があるんだろうから。今朝、穏やかな表情を浮かべて窓の外を眺めていた姿を思い返してみると特にそう思う。

「まあ、でも、こんな私でも貴女は理解するのに苦労してるみたいだし、ここは一つ私の胸中を明かしてあげましょうか。どの程度助けになるかはわからないけど」

 そこで一度言葉を切り、ワインで口を湿らせる。

「神社で貴女の世界はこの館の中だけで終わって欲しくないって言ったのは覚えてるかしら?」
「うん」

 忘れるはずがない。滅多に願いを口にしないお姉様だから。
 それと、どうやら私の予想は合っていたようだ。

「どうしてそんなふうに思うんだと思う?」

 再度投げかけられる問い。さっきのと似ているようで少しだけ違う。今度は、感情の矛先が私だけだから。
 お姉様が口にした言葉のいくつかが思い浮かぶけど、それは答えからずれてしまっていると思う。答えの理由にはなり得るけど、答えそのものではないといった感じだ。

 大きくなってきた疑問を支えられなくなり、だんだんと首が傾いていく。

「随分と頭を悩ませてるみたいねぇ。受け取る側にはそんなにわかりにくいものなのかしらね」
「う……、ごめんなさい」
「ま、別にいいけど」

 気にしてる様子は見られないけど、それでも私の中には罪悪感が降りつもっていく。どうして、お姉様が大切にしている願いにまで気づけないんだろうって。

「私は貴女の成長を願ってる。だからこそ、外に出て貴女の世界を広げてほしいと思っているのよ」

 お姉様がこちらを見つめて真剣な声でそう言った。
 初めて真っ直ぐに思いをぶつけられた。

「正直に言うと、貴女が部屋から出るまで自分の中にそんな気持ちがある事に気づきもしなかったのよね。でも、貴女が部屋から出ている姿を見たとき、無性に嬉しかったのよ。それで、ようやく気づくことができた。それと同時に、貴女がどこかに行きたいと言ったらどこにでも連れていってあげようと思ってたのよ?」

 私の行きたい場所なんてお姉様の傍くらいなものだ。でも、ずっと傍にいたら邪魔になるだろうと思って、私の唯一の趣味とも言える読書ばかりをしている。

「でも、その日以来貴女が行くのは図書館ばかり。たまに外に出たかと思えば、館の敷地内止まり。だから、私の方から何かしようとしてみたけど、守る事ばかりを考えてたからどうするのがいいのかなんて今でもわからないわ」

 それは、神社でも言っていた。

「ゆくゆくは、私を越えてくれるんじゃないだろうかなんて想って楽しみだけが膨らんでるんだけど、こんな姉のために頑張ってみようとかは思ってくれないかしらね?」
「お姉様を越えるなんて無理だよ」

 それは、宗教を信じてる人にとって崇拝している神を越えるに等しいこと。私の世界において、お姉様は絶対の存在なのだ。

「無理なんかじゃないわよ。貴女は私の妹なんだから」
「お姉様が私の姉だから越えられないんだよ」

 さて、この主張はどちらがより客観的な事実に基づいているのやら。個人的判断ではどっちもどっちだと思う。お互い具体的なことは何も言ってないし。

「ま、今はそこまで高望みはしないようにするわ。今日、こうして私の気持ちを口にしたことで良い方向に変化してくれればいいって期待してる。でも、数百年の間十数歩歩けば終わるような世界にいた貴女が、十数年で私と同じ世界に並んで追い抜いていくって言うのは感慨深いものがあるとは思わないかしら?」
「……わかんない」

 わからないけど、お姉様が見ようとしているものと私が見ようとしているもの違いはわかったような気がする。

 小さな世界で停滞している私は、現在と過去とを見ている。それに対して、私よりもずっと大きな世界を持っているお姉様は、現在と未来とを見ている、見ようとしている。
 どちらがいいのかなんてことは知らない。でも、その違いが私にお姉様を理解できないようにしている。それに対してお姉様が私を理解できているのは、その想い描いている未来がちゃんと過去から積み上げてきたものだからだろう。
 そういう意味では、停滞というのは罪深いものなのかもしれない。

「それは残念」

 大して残念がった様子も見せずにグラスを傾ける。私も釣られるようにしてワインを口にしていた。
 そして、激烈な味を感じた途端に慌てて口を放す。
 うあー……。

「やっぱり駄目みたいねぇ。姉妹だから好みも同じだと思ったんだけど。ま、今度フランとこうしてお酒を飲む機会があったら、飲みやすいのを用意しておくわ」

 私の様子を可笑しそうに眺めながらそう言う。
 もし、こうした機会がまたあったときはどんなことを話すことになるんだろうか。今日と代わり映えがしないのか、それとも何か変化が訪れてるのか。

「そのときは是非とも、今と心境が変化したきっかけなんかを聞いてみたいところね」

 今までの話を聞いてれば当然だけど、お姉様は変化を望んでいるようだ。

 さて、今の私はどちらを本当に望んでいるのだろうか。お姉様と話をしているうちによくわからなくなってしまっていた。





 ベッドに腰掛けて一人考え事。
 夕食をとり、お風呂にも入って、髪も大方乾いてきて後はもうこのまま寝るといった段階だ。
 すぐにでも寝ようとしないのは、このまま寝てしまうのはもったいないような気がするから。今日は少し特別な日だった。明日思いつけないことも、今日なら思いつけるかもしれない。

 今日知ったこと。
 それは、お姉様の色々な側面、望んでいること。
 今日から考えないといけないこと。
 私はこのままであり続けたいのか、それとも変わっていきたいのか。

 知ったことに関してはもういいだろう。後はゆっくりとでも私の中に浸透させていけばいい。
 だから、考えるのはこれからのこと。私にしてはかなり珍しい、というか初めてのことだと思う。今日明日くらいのことなら考えることはあるけど、今後の方針となるようなことを考えたことはなかった。

 まあ、だからどう考えていいかがよくわからない。過去から今を考えるなら適当にこねくり回すだけだった。特に具体的なことを閃いたりするようなこともなく、ただただ現状を眺めているだけのような感じだった。
 でも、今から未来を考える場合はそれではだめなような気がする。だからこそ、どうしていいのかわからないのだけど。

 こんこん。

 不意に扉が叩かれる。
 お姉様だ。

「あ、いいよ。入ってきても」

 お姉様の扉の叩き方だけは聞き分けられる自信がある。まあ、それ以前にこんな時間に部屋を訪れるのはお姉様くらいしか思い浮かばない。

「こんばんは。っと、そろそろ寝るところだったかしら?」

 部屋に入ってきたお姉様は顔を多少上気させている。
 結局あの後、お姉様が一人でワインを飲み干してしまった。その酔いがまだ抜けきっていないんだろう。部屋を出る前にふらふらしていたときよりは、かなりましになってるみたいだけど。

「ううん、だいじょうぶ。考え事してたから。お姉様は何か用?」
「大した事じゃないんだけど、フランと寝てみようかなとね」
「……なんでいきなり?」

 本当に脈絡がなくて、言葉が出てくるまでに少し時間がかかってしまった。

「今日一日貴女と過ごして気づいたんだけど、一緒にいる時間って結構短いのよね。だから、今日くらいはできるだけ長くいたいと思ったのよ」

 喋りながら近づいてきて、言い終える頃には私の目の前に立っていた。威圧を感じる。お姉様はそんなこと全く気にしてないだろうけど。

「まあでも、考え事をしてるんなら一人で先に寝てるわ」

 そう言いながら、靴を脱いでおもむろにベッドに潜り込んだ。ここまで一度も確認を取られなかった。
 酔うと自分勝手な感じになるんだろうか。でも、私が考え事をしているというのは考慮してくれていて、なんとも中途半端な感じだ。

 さて、私はどうしようか。
 今日考え事をしないのはもったいないような気がする。
 でも、ここで考え事をしてしまうのは更にもったいないような気がする。だって、考え事ならまたいつでもできるかもしれないけど、こういう機会は滅多に来ないだろうから。

 というわけで、魔法の明かりを消して、私も身体を横に倒して布団の中へと入る。いつもよりも、ほんの少しだけ暖かくなっている。

「考え事はいいのかしら?」

 目の前にお姉様の顔がある。既に寝かかっているのか、いつもある鋭さのようなものは見えてこない。

「どう考えていいかわからないから、時間をかけてのんびり考えてみることにするよ」
「ふーん? どこかで聞いたような言葉ね」
「お姉様が使ってた」
「よく覚えてるわねぇ」
「うん、お姉様の言葉だから」

 些細な言葉でも覚えていられる自信がある。

「貴女といい、咲夜といい、もっと他のことを覚えた方が有意義だと思うけどねぇ」

 呆れられてしまった。あと、どうやら咲夜も私同様お姉様のことを逐一覚えているようだ。
 もしかしたら、咲夜のことを理解する方が簡単かもしれない。そんなことをふと思ってしまうけど、お姉様の理解への優先度には遠く及ばないから、すぐに霞となって消えてしまう。

「ううん。それだけで、十二分に有意義だと思ってる」
「ふむ」

 何か私の言葉に思うところがあったのか、納得したように頷く。
 何をどう納得したのかはわからないけど、何も言おうとしないのが私を不安にさせる。布団の中のお姉様の手を掴んでしまう。

「突然どうしたのよ」
「お姉様が何も言わないことに不吉な予感を覚えたから」
「大丈夫よ。ゆっくりと少しずつ慣らしながらやってくから」

 否定されないことが更に不安を募らせて、手を掴む力を少し強める。せめて、朝起きたら隣に誰もいなかったという状況だけでも避けれるように。
 そのことに対して、お姉様は何も言わない。ただ、少しだけ強く握り返してくれるだけだった。

「おやすみなさい、フラン」
「……うん。おやすみなさい、お姉様」

 そうして、お姉様はあっさりと瞼を閉じてしまった。しばらくその顔をじっと見つめてみるけど、反応はない。
 私はお姉様との距離を縮めて、少し丸まるようにして目を閉じる。

 空いている手で抱きしめられることを期待していたけど、私の意識が落ちるそのときまでついに腕が伸びてくることはなかった。


Fin



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