「咲夜、少し外に出てくるわ。貴女は付いてこなくてもいいわ」
レミリアが従者である咲夜へとそう言った。
咲夜は掃除の手を止めてレミリアの顔を見る。
「お一人で、ですか? では、こちらの傘をお持ちください。外は陽が出ていて危険ですから」
咲夜は何処からともなく紅色の大きな傘を取り出し、主へと手渡そうとする。しかし、
「いえ、今日は必要ないわ」
「お嬢様?」
主の言葉に咲夜は首を傾げる。
吸血鬼であるはずのレミリアは傘を差さなければ外には出られないはずだ。
実際、突風で傘が飛ばされてしまったときに真正面から陽の光を浴びて倒れたはずだった。その時に、陽の光に当たると危険だと言うことを身を以って知ったのではないのだろうか。
「……死ぬ気ですか?」
咲夜が考えに考えて行き着いたのはそんな答えだった。
性格からしてそんなことをするとは考えられない。しかし、しかし、だ。もしかすると、辛い事があったのかもしれない。
だとしたら、それに気付けなかった自分は従者失格だ。
自らの未熟さを責めながらも咲夜は主を止めるべく次なる言葉を口にする。
この間に過ぎた時間はほんのわずか。咲夜の二言目を止められた者はいないだろう。
「すみません、お嬢様。私が未熟だったばかりに苦しんでいることに気付かなかったようです。ですが、ですが! 死ぬのだけはお止めください! フランお嬢様を始め、お嬢様を必要としている方は大勢いるのですから!」
強く。主への想いを込める。
言葉にこそしていないが、誰よりも自分がレミリアのことを必要としているのだとその声には込められている。
「咲夜、落ち着きなさい。私は死ぬつもりなんて一切ないわ」
少々錯乱気味な咲夜とは対象にレミリアは咲夜を落ち着かせるかのようにとても平静な様子だ。
「……でしたら、何故、そのようなことを?」
「私は陽の光にやられたあの日から成長したわ。夜の王が敗北したまま立ち止まるはずがないでしょう? そう、今度は絶対に大丈夫よ!」
無駄に自信に溢れた一言。太陽に負けるはずがない、と信じ切っているかのような声だった。
「そうなんですかっ! 流石お嬢様です! では、今すぐにでも外へ参りましょう。私もお嬢様の成長を拝見させてもらってもよろしいでしょうか」
咲夜は主の言葉に興奮していた。誰よりも強く、誰よりも頼りがいのあるレミリア。しかし、そんな彼女も陽の光と、流れ水と、炒った豆には弱いのだ。
そのうちの一つである陽の光を克服したのだと分かると興奮するのも仕方がない。
「私一人で楽しむつもりだったけど、まあ、いいわよ。よく考えてみれば貴女に見せてあげるのは当然のことよね」
レミリアは艶然と微笑む。
「はいっ、ありがとうございますっ!」
咲夜は陶酔しきったような表情でそう言ったのだった。
しかし、その数秒後、
「お、お嬢様あああぁぁぁっ!!」
紅魔館内にそんな従者の声が響いたのだった。
◆
「レミィはどうしてまたそんな馬鹿げたことをしたのかしら? 気でも違えた?」
友人が陽の光を浴びて倒れた、という話を聞いてレミリアの部屋へと訪れたパチュリーの最初の一言はそんな辛辣な一言だった。
「大丈夫になってると思ったのよ……」
レミリアはベッドの上でぐったりとした様子だった。真正面から陽の光を浴びて体力を根こそぎ奪われてしまったようだ。
隣には心配そうに主の顔を覗く咲夜が座っている。
「んな訳がないじゃない。人間が首を切っても死ななくなるくらいにありえないわ」
「でも、竹林には死なない人間がいるそうよ」
「あれは、薬を飲んだその結果でしょう? レミィは何かしたのかしら?」
「心持ちが変わったわ」
信じていればどんなことでも可能になると信じきっているような言葉。基本的に自らが信じたことは何があろうとも疑おうとしないのだ。
「それで体質が変わったら医者なんていらなくなるわね。……で? どうしてレミィは陽の光に当たっても大丈夫だと思うようになったのかしら?」
「ふふ、よくぞ聞いてくれたわね! いいわよ、話してあげるわ。私が陽の光に当たりたいと思うようになったその理由を!」
パチュリーのそんな質問だけでレミリアのテンションは最高潮となる。
「手短にお願いね」
このまま話させると長くなると感じたパチュリーは冷静な様子でそう告げた。暴走した友人の面倒くささは誰よりも実感している。
「まあ、確かに私の心情変化なんて聞いてもつまらないでしょうね。でも、私の話を聞けば私の行為が馬鹿だったとは思えなくなるはずよ」
「いいから、早く話しなさい」
「もう、パチェったらせっかちね。いいわよ、話してあげましょう」
レミリアがそう言いながら身体を起こそうとする。一人でも起き上がれそうだったのだが、咲夜が慌てたようにレミリアの身体を支える。
咲夜の主への愛は溢れんばかりにある。
「ありがとう、咲夜」
「ご無理はなさらないでください、お嬢様」
「大丈夫よ。そう簡単に倒れるつもりはないから」
感謝を持って従者に接する主と、献身的に主に仕える従者。理想的な主従像を体現したかのような光景だ。
「でも、陽の光の前では倒れてしまってるのよね」
パチュリーが水を差す。けど、そんな言葉にもレミリアは気を悪くしないで笑みを浮かべる。
「陽の光は私にとって魅力的過ぎた、ということさ」
何故か気取ったような口調だった。
そんなレミリアの様子にパチュリーは溜め息を吐かざるを得なかった。
「はあ。意味が分からないわ」
「それを今から話すのよ」
そう言ってレミリアは瞳を閉じる。
「あれは、昨日の昼のことよ。私が自分の部屋に戻ると窓とカーテンが開いていて陽の光が部屋に入り込んできていたわ」
「あ……、お嬢様、すみません。部屋の換気の為に開けてそのままにしていたようです」
咲夜が申し訳なさそうな表情を浮かべる。けれど、レミリアはそれを笑って許す。
「いいえ、気にする必要なんてないわ。そのお陰で私は変わることが出来たのだから」
晴れやかな笑顔。夏の日差しを受けて笑顔を浮かべる少女のような爽やかさがある。
「私は陽の光に当たらないように気をつけながら窓を閉じ、カーテンを閉めたわ。そして、私は何となく床の陽の当たっていた部分に興味を引かれた。だから、私は触れてみたのよ。そうしたら、とっても温かかった」
その時のことを鮮明に思い出しているのかうっとりとしたような表情を浮かべる。
「気が付けば私はその上に横になって寝ていたわ。そして、起きたときに妖精たちが話していた日光浴、というものを思い出した。床に蓄えられた熱だけでもあれだけ気持ちよかったのだから、実際に陽の光に当ればどれだけ気持ちのいいものなのかと思ったのよ」
「それで、傘も差さずに日光の下に出てみようと思った、というわけね?」
パチュリーが勝手に結論へと持っていった。
「ええ、そうよ。どうかしら? 私の行為は馬鹿げていない、と思えるようになったでしょう?」
「レミィは最高に馬鹿ね」
何の躊躇もなかった。
「なっ?! パチェ、貴女には太陽の偉大さが分からないのかしらっ!」
「吸血鬼らしくない言葉ね」
「らしさなんて飾りよ。私は私の生きたいように生きるわ!」
「そのせいで死に掛けてるなんてどういった皮肉かしら」
「あれは単なる不幸な事故よ」
何故かそこでふんぞり返るレミリア。
「はあ……。何でもいいわ、もう。でも、二度と同じようなことをするんじゃないわよ」
何を言っても無駄だと思ったのかパチュリーは最後の忠告を告げて溜め息をついた。
「太陽が私を魅了し続ける限りやめるつもりはないわ!」
忠告を聞き入れるつもりはないみたいだった。高らかな宣言が部屋の中に響く。
「お嬢様! おやめください! お嬢様がいなくなってしまえば私はどうすればよろしいのでしょうか!」
「大丈夫よ。次は二の舞を踏まないよう特訓を積むわ」
どこか既視を感じさせるやり取り。けれど、当事者達は熱が入って気付かないし、パチュリーは今回始めてこのやり取りを見るので気付くはずがない。
「咲夜、付き合ってくれるわよね」
「はいっ! 当然です。私は何処までもお嬢様についていくと決めたのですから!」
絶対の忠誠と共に高らかに告げる。レミリアもその言葉を聞いて嬉しそうだ。
「咲夜!」
「お嬢様!」
そして、そのまま抱き合う主従。どこよりも美しい主従関係だ。
「……どうやったらそんなテンションになれるのよ」
パチュリーは一人置いてけぼりを食らっていた。呆れたように主従の二人を眺めている。
「お姉様っ!」
と、不意に元気な声と共に扉が開け放たれる。入ってきたのはレミリアの妹、フランドールだった。
彼女は室内の様子を見て首を傾げる。
「あれ? なんでパチュリーがお姉様の部屋に? それに、お姉様と咲夜はなんで抱き合ってるの?」
「主従の愛を確かめ合っていたのよ」
「傘も差さずに外に出て倒れた馬鹿なレミィの様子を見に来たのよ」
「えっ! お姉様倒れたの?!」
パチュリーの言葉を聞いてレミリアの言葉は頭に残らなかったようだ。
扉の辺りから、ベッドの上で横になっているレミリアの場所まで文字通り一直線に飛んで行く。その際に、咲夜はさりげなくレミリアから離れる。
どんなに離れがたくとも、姉妹の絆を優先させるのが従者としての気遣いだ。
「お姉様! 大丈夫なのっ?」
顔全体に心配を浮かばせてレミリアの顔を見る。今にも泣いてしまいそうな雰囲気がある。
「ええ、大丈夫よ」
レミリアは微笑みを浮かべてフランドールを落ち着かせようとする。
「ほんとに?」
ぐいっ、と顔を近づける。レミリアはそれでも一切動じたような様子もない。むしろ、妹に心配されて嬉しそうだった。
「ええ、本当に」
「よかったぁ……」
姉の言葉に漏れてくる安堵の笑顔。心の底からレミリアのことを心配していたようだ。
「そんなに心配しなくても私は貴女を残していなくなったりはしないわ」
頭を撫でる。優しく、優しく。
「うんっ」
そして、フランドールが浮かべるのは最上級の笑顔。それは、まるで―――
「ふふ、フラン。貴女の笑顔はまるで太陽みたいね」
「そう? えへへ〜」
嬉しそうに頬を緩ませる。太陽らしさはなくなったけれど魅力的な笑顔であることに変わりはない。
そこで、ふとレミリアは気付く。
自分が手に入れたいと思った太陽の輝き。それは、目の前にあるそれなんじゃないだろうか、と。
「ああ、そうか。私は手の届かないほど遠くにある太陽を求める必要なんてなかったのね。フラン、私は貴女の笑顔さえあれば幸せだわ」
「私も、お姉様がいてくれれば幸せだよ!」
二人でそう言って抱き合う。
咲夜は二人を羨ましそうに見るが、特に行動に移そうとはしない。代わりに、微笑ましげな笑みを浮かべた。
パチュリーもまた太陽のような笑顔を浮かべる紅色の姉妹を眩しそうに見つめているのだった。
Fin
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