私のお姉様へ向ける気持ちが、姉妹に対するものではないんじゃないだろうか、と思ったのはつい最近のこと。
そう思った時から、他の姉妹がどう思ってるのか気にし始めるようになった。
とは言っても、ほとんど家にこもり切りな私。だから、そういった情報を収集するのは、主には本からだった。
それらによると、一緒にいると安心できたり、心地よかったり。逆に一緒に居たくなかったり、ぎすぎすしていたり。まあ、色々とあるようだ。
時々、部屋に侵入してくるこいしにもお姉様がいるらしい。話を聞いてみるところによると、色々と言ってきて面倒くさいこともあるけど、まあ別に一緒にいてあげてもいいかな、らしい。口では否定的なことを言ってたけど、表情は柔らかなものだった。ほんとに色々ある。
多様性は色々とあるようだけど、ある程度の法則も見られる。それは、姉だか妹だかに好意的な感情を抱いている場合、穏やかな気持ちでいられる、ということ。
では、こんな色々な姉妹の関係と私自身を比べると、どうなのか。
言うまでもなく私はお姉様のことが大好きだ。お姉様と一緒にいると、とてもどきどきしてくる。それと同時に、気持ちが舞い上がってきて、どんどん心の中が幸せに満たされていく。
それは、私が今まで調べてきた姉妹の間で抱く感情とはどれとも似つかない。あまりにも激しすぎるのだ。
けど、気晴らしに関係ない本を読んでいる時、私はこの感情がどういったものなのか気付いてしまったのだ。
本の中にもいたのだ。好きな人と一緒にいられるだけで、幸せで幸せでたまらなくて、どうしようもない気持ちになってくる人が。
その人は、私と違ってその感情の正体を知っていた。
どうやら、その感情は、恋、と呼ばれるものらしい――
◆
私は弾む気持ちを抑えるようにしながら、廊下を進んで行く。油断をしたら、このままスキップでもしてしまいそうだ。
今、私はお姉様とのお茶会の為に、歩を進めている。いつからか、三日に一度の間隔で、お姉様と二人きりのお茶会をするようになっていた。
する場所は、お姉様の部屋か私の部屋。特に事情がない限りは、交互にお姉様の部屋に行ったり、私の部屋に来たりしてもらっている。
お姉様の部屋へと向かう時は、一歩足を進めるたびに心が弾んでく。私の部屋で待っている時は、いつ来てくれるのか、と胸を高鳴らせている。
そして、今日はお姉様の部屋でお茶会をする日だ。だから、私はお姉様の部屋を目指している。少しずつ胸の鼓動が高まっていって、自分の耳にまで心音が届いてきそうになる。
それが最高潮へと達した時、私は足を止めた。
目の前には、木製の豪華な扉。部屋主の名前はどこに書かれてないけど、誰の部屋なのかはここの館にいる人なら誰もが知っている。
ここ紅魔館の主にして、私のたった一人の肉親であるお姉様がこの扉の向こう側にはいる。
私は震えそうになる手で、控えめに二度扉を叩いた。小さいけれど、静かな空間にはよく響く音が鳴る。
「――フランね。入ってきてもいいわよ」
扉の向こう側からくぐもったお姉様の声が聞こえてきた。何処の誰よりも私の耳朶を優しく震わせるその声に、私は緊張を覚える。
今もまだ、小さく震える手でノブを掴んで、しっかりと回して扉を開放させる。廊下とお姉様の部屋とが繋がる。
「こんばんは、フラン」
私の姿をその綺麗な紅い瞳に映したお姉様が、柔らかな微笑みを浮かべながらそう言ってくれた。
私と同じ紅い瞳、蒼の混じった銀髪、整った顔、大きな黒い蝙蝠のような翼。それら全てに私の目は、心は奪われてしまう。
「こ、こんばんは、お姉様」
どうしようもないくらいに緊張して、心臓がどきどきと高鳴る私は、声が裏返らないようにするだけで精一杯だった。
私が、お姉様に恋をしていると気付いてから、いつもこんな感じだった。お姉様の前にいると、全く平静でいられないのだ。
でも、本当は知っている。お姉様にこんな気持ちを抱いてしまうのは間違ってるんだ、って。きっと、私の気持ちを伝えたらお姉様は困ってしまうか、私のことを変だと思う。
だから、この気持ちはいつまでも胸の内にしまっておこう、と思う。お姉様が私の気持ちに応えてくれないのは非常に残念だけど、私は傍にいられるだけでも幸せなのだ。だから、伝えられなくても大丈夫。
「フラン? どうしたのよ、そんな所に突っ立って」
「え? あっ! ご、ごめんなさいっ」
お姉様に声をかけられる。こっちを怪訝そうに見ているのに気付いて、私は慌ててお姉様の座っているテーブルまで駆け寄り、お姉様の正面の椅子に腰掛ける。
考え事は一人の時にしないと一緒にいる人に失礼だ。
と、そこで、テーブルの上の違和感に気付く。いつもなら、ティーポットとティーカップのティーセットが並んでるはずなのに、それがない。
代わりに置いてあるのは、ワインボトル。首の部分が濃い緑色で、液体が満たされている部分は黒色だ。確か、赤ワインがそんな感じだっただろうか。本での知識しかないから、断定は出来ない。
「お姉様、それ、ワインだよね。どうしたの?」
「今まで一度も貴女と一緒にお酒を飲んだことがなかったからね。飲んでみよう、と思ったのよ」
そう言いながら、お姉様がワインボトルを引き寄せる。中の液体が揺れて、黒と緑の境界が揺らぐ。
「フランは、今までお酒を飲んだことがあるのかしら?」
「ううん、ないよ」
お姉様が飲んでいるのを何度か見たことがあるだけで、実際に飲んだことは一度もない。飲んでみよう、と思ったこともない。
「美味しいの?」
けど、こうしてお姉様が用意してくれたのを前にして興味なんてなかったのに、沸々と興味が湧いてきている。飲んでみたい、と強く思うようになってきている。
これが、恋の力なのかなぁ、なんて思う。
「さあ? そんなのは貴女が実際に飲んでみなければわからないわ。でも、咲夜には最高の物を選ばせたわ」
お姉様が柔らかな微笑みを浮かべる。たったそれだけのことに、胸がとくん、と高鳴って顔が微かに火照ってくる。お姉様から顔をそらしたい、という思いがある反面で、私はお姉様に見惚れてしまっている。そらしたくない、と思う。
そんな私に気付いた様子もなく、お姉様はテーブルの上からコルク抜きを手に取る。
お姉様は慣れた様子でコルクに螺旋状の針を沈ませていく。そして、ぽん、という少々気の抜ける音と共に、ワインボトルが開けられた。
二つのワイングラスへと、ワインが注がれていく。私が予想したとおり、赤ワインだったようで、グラスの中で赤色の液体が揺れている。
二つのうちの一つが私の前へと置かれる。アルコールと葡萄の匂いとが香ってくる。何度も嗅いだことのある匂いだけど、こうして目の前に置かれてみると不思議な感じだ。
揺れる赤色の水面をじぃ、っと見詰めてしまう。そこには、赤色で歪な私が映っている。
「フラン?」
お姉様に呼ばれて、慌てて顔を上げると、少し可笑しそうな表情を浮かべて、ワイングラスを手に持つお姉様の姿があった。
さっきの姿を見られていたと思うと、恥ずかしさを感じる。ワインの水面を眺める私の姿はさぞかし間抜けだったに違いない。
これ以上、可笑しな姿を見せないために、私はお姉様の意図を汲んで、ワイングラスを持ち上げる。
「乾杯」
短い言葉を重ね合わせて、ガラスのぶつかり合う音を響かせた。
◆
ワインの味は、思ったよりも甘くなくて、少し苦味があった。けど、飲むたびに気分が良くなってきていたおかげか、飲むのをやめることはなかった。
気分が良くなっているのは、酔っているからだけじゃない。お姉様の傍にいられるから、っていうのもある。これら二つがあわさることで、私はもう幸せで幸せでたまらなかった。
思考がふわふわとして、身体が火照ってふらふらしてきても、その想いだけは一つも変わることはなかった。いや、これらも私が幸せを感じる要素となっているのかもしれない。
けど、不意にお姉様の口から放たれた言葉によって、それは微かに揺らいだ。
「ねえ、フラン。貴女、何か悩み事があるんじゃないかしら?」
「ううん、そんなもの、ないよ」
私は首を振る。お姉様に伝えられない想いはあるけど、それは悩み事ではなかった。
それよりも、お姉様は最近の私の変化に気付いてる。そう思うと、動揺が私の心を揺さぶる。
お姉様は、私の答えに納得できないように酔って赤くなった顔のまま、紅い瞳に真剣な色を滲ませて私の瞳を見詰めてくる。
私は、顔をそらしそうになりながらも、なんとか見詰め返す。ここで顔をそらしてしまえば、何かあると怪しまれてしまう。
「じゃあ……、何か隠し事とか」
「ない、よ……」
そう答えながらも、私は顔をそらしてしまった。真っ直ぐ見つめるお姉様の瞳と、嘘を吐くことへの罪悪感に耐えられなかった。
「相変わらず、貴女の反応は分かりやすいわね」
そうして、お姉様はどこか可笑しそうに私のことを見ながら言う。嘲笑してるわけではなく、微笑ましい、と思っているような感じだ。そして、仕方がない、とも思ってるみたいだ。
「別に怒りやしないから、言ってみなさいな」
一切気負った様子を見せずにそう言う。お姉様にとって、それが当たり前のことであるかのように。
そして、実際にお姉様は私がどんなことを隠していたとしても、怒ることはないだろう。けど、隠し事、というのはいつだって人を怒らせるものとは限らないのだ。
「……多分、聞いたらお姉様は困っちゃうよ」
私のこの気持ちは伝えていいものじゃない。ずっと、私の中に納めておくべきものなのだ。
私はお姉様の傍にいられればそれでいい。それだけでいい。これ以上は望んではいけない。望むべきではない。
「酔った勢いで話してくれればいい、と思ったけど、駄目だったみたいね。……まあ、話したくなかったら、無理に話してくれなくてもいいわ」
お姉様が寂しげな表情を見せる。まるで、信頼してくれていた、と思っていた人から信頼されなくなったような――
あ……。
違う。違う。そんなことない。そんなことは絶対にない。私は、誰よりもお姉様を信頼してる。誰よりもお姉様が好きだ。
だから、信頼しなくなる、なんてことはない。嫌いになる、なんてことはありえない!
「違うの! 黙ってるのは、お姉様のことが嫌いだからとか信頼してないからとかじゃない! むしろお姉様のことが好きすぎるから! でも、だからこそ伝えるわけにはいかなの! だって、私は、お姉様に――」
気付けば、私は椅子から立ち上がってそう言っていた。そして、秘密を口にしかけていた。
ああ、駄目、駄目だ。言ってしまっては駄目だ。
けど、どうする? どうすればいい?
この場を、どう取り繕うべきなの?
わからない。
わからないまま、私は部屋から飛び出る。むしろ、わからないから、お姉様から逃げる。
「フランっ?」
お姉様が背後で私を呼んでたけど、私は酔いふらふらしたまま飛び続けた。
◇◇◇
突然、フランが逃げ出すように部屋から出て行ってしまった。
何故? そんなに、酔わせて隠し事を話させられるのが嫌だったんだろうか。
確かに、フェアなやり方ではないと思っていた。けど、フランは一度話さない、と決めてしまうと中々話してくれない。そして、それは大体私に心配をかけまいと私に気遣ってのものだった。
あの子は、一人でどうしようもないことさえも抱え込んでしまうのだ。私にとってそれは何よりも寂しいことだ。あの子の、私に対する信頼はそんなものだったのか、と突きつけられたように感じられるから。
今回もそうだと思っていた。だから、早々に外に吐き出させてやろうと思った。私に対する信頼だとかよりも、早くあの子に楽になって欲しい、という思いからだ。
けど、今回はいくつか違和感があった。中でも一番大きなことは、私の前であの子が、心の底から楽しそうにしてくれていた、ということ。
あの子が何か悩み事を抱えているときは、大抵その表情に陰がさしている。けど、今日はそれが一切なかった。
でも、あの子はここ最近、よく考え事をしている。それが何であるかはわからないけど、きっとまた何か悩んでるんだろう、と思った。
そうして、行動した結果がこれだ。あの子は何かを言いかけて、私の所から逃げ出してしまった。
あの子は、私に何を言おうとしてたんだろうか。想像してみても、全く分からない。
悪いことを言おうとしてたんじゃないことまでは分かるけど……。
とにかく、このままにしておくのは気分が悪い。この際、フランが何を隠しているかはいいとして、謝るくらいはしておきたい。
だから、私は急ぎ足で部屋を出た。
向かうのは、当然フランの部屋だ。
◆
長い階段を下りた先。そこにフランの部屋はある。
何度か、地上の方に部屋を移してみないか、と聞いてみたけど、一度も首が縦に振られることはなかった。あまりいい思い出のある場所ではないけど、それなりに愛着もあって部屋を移したくないらしい。
その言葉を聞いてからは、私の方から部屋を移さないか、と聞くことはなくなった。もしも、フランの方から部屋を移したい、と言ったらすぐにでも移せるように準備はしてあるけど。
私の部屋とは違った意味合いで重厚な扉を叩く。硬質な音が響いた。静かなこの場所にその音は大きすぎるように感じた。
「お姉様? ……ごめんなさい。今は、会いたくない」
内側から扉が開けられることはなかった。代わりに、申し訳なさそうな声が聞こえてくる。
どうして貴女がそんなに申し訳なさそうなの? 謝るべきはこの私よ。
「フラン、ごめんなさい。酔わせて無理に話させよう、だなんて馬鹿なことを考えてたわ。……許して、とは言わないわ」
非道なことをしたのだ。許されないくらい当然のことだろう。私は、心のどこかでフランになら何をやっても大丈夫だ、と思ってそれに甘えてしまっていた。
私は、フランを護るべきなのに。
「違う……、お姉様は、何にも、悪くないっ。悪いのは、全部、私、だよ……」
あ……。
聞こえてくるのは今にも泣き出しそうな声だった。
酔ってるせいで、気持ちが不安定になっているのかもしれない。……今日は話せそうにない。フランの酔いが醒めた頃にゆっくりと話すことにしよう。
「フラン、貴女の酔いが醒めた頃にまた来るわ。その時に、ゆっくり話しましょう」
何を話すか、何を話すべきなのかは、私自身決めてない。けど、時間はあるからその間に考えよう。パチェにも、話を聞いてみるかな。
「……うん」
今にも静寂の中に溶け込んでしまいそうな声だったけど、フランは頷いてくれた。拒絶されなくてよかった、と私は思わず安堵の溜め息を吐いてしまう。
「じゃあ、また後で。フラン、おやすみなさい」
「……うん、おやすみなさい、お姉様」
そう挨拶を交わして、私は扉へ背を向けた。
次に来た時に、その扉を開く自分の姿を思い描きながら。
◆
「――という事があったんだけど、どうしてフランは私から逃げたのかしら」
小悪魔の淹れてくれた紅茶には一つも手を付けずに、私は先ほどあったことをパチェへと話した。その間に、酔いはすっかり醒めてしまっていた。
フランと別れた後、一人で色々と考えてみたけれど、どう頑張っても答えには辿り着けなかった。だから、私は一人で考えるのを諦めてパチェに頼ることにした。
私は、あまり他人に頼るのは好きではないけど、フランのことに関しては別だった。あの子には、出来る限り正しく接してあげたいから。
「……」
珍しく本の方へと目を遣らずに話を聞いてくれていた友人が私をじっ、と見つめる。私も静かに見つめ返す。
「……分からない、かしら?」
けど、耐えられなくなって私の方から口を開いてしまう。実を言うと、今までフランが私から逃げる、なんてことがなかったから、かなり動揺しているのだ。だから、黙っているのが辛い。何かをしていないと落ち着かない。
「いえ、分かってるわ。……けど、その答えを聞いて、レミィは後悔をしない?」
「後悔? するわけがないじゃない。むしろ、知らないでいる方が後悔すると思うわ」
パチェは何を言ってるんだろうか。確かに、知って後悔することはある。けど、知らなければ何の解決にもなりやしない。
特に今はフランに関することだ。例え後悔することになろうとも、知らなければならない。
「本当? もしかすると、貴女たちの仲を壊す、までは行かなくとも、今よりは関係が悪くなってしまうとしても?」
「何? そんなに話したくないことなの? でも、私は聞くわよ。その程度の言葉で私が退かない、っていうのは良く知ってるでしょう?」
早く話してくれないパチェを前にして、少し苛立ちが募ってくる。けど、ここで怒りを爆発させたとしても何の意味もない。だから、我慢する。
「……思ってないわ」
パチェが溜め息混じりにそう言う。ようやく話す気になってくれたようだ。溜め息を吐くために下げられていた視線が再び私の方へと向く。
「フランは、貴女に恋慕を抱いているわ」
そして、間髪入れずそう言ったのだった。いつもの静かな口調で。冗談は一切含まれていない、と言うように。
だから、一瞬そのまま流しそうになってしまった。けど、このままにしていい言葉じゃない!
勢い良くテーブルを叩いて立ち上がる
「パチェ! 私たちは姉妹よっ?」
同性愛、というものもあるらしい。けど、そんなことよりもまず、私たちは血の繋がった姉妹だ。そこに、恋愛感情が芽生えてくるとは到底考えられない。
「ええ、そうね」
私はかなり混乱しているというのに、パチェは酷く冷静だった。そのことが、何となく気に入らず、私はパチェを睨んでしまう。
「随分と淡白ね」
「まあね。以前から、なんとなくではあるけど、そうじゃないかな、とは思ってたのよ。だから、今更驚きもしないわ」
私に睨まれてもなお、パチェはいつもどおりだ。出会った時から変わらない。パチェは私を前にして一度も動じたことがない。
一度くらいは、動じた姿を見てみたいものだけれど、今は関係のないことね。
「それで? このことを知ったレミィはどうするつもり?」
「……私をからかってるわけじゃあないのよね」
パチェはよく私をからかうことがある。けど、今のパチェの様子から、それはないことがわかる。いつもは眠そうな瞳に、今日は真剣な色が見える。
だから、パチェが嘘や冗談を言ってるんじゃない、っていうのはわかる。わかってるんだけど、認めたくないというか、認められないというか……。
「ええ。こんなことでからかっても仕方ないもの」
「やっぱりそうよねぇ。……私は、どうするべきなのかしら」
あの子の気持ちは受け入れられない。けど、そう答えを出した上で私はどうすべきなのか。
「それを私に聞いてどうするのよ。私は原因を提示するだけ。解決の仕方は自分で見つけてちょうだい」
パチェは冷たく突き放すように言って、本へと視線を移した。もう話は終わった、と態度で物語っている。
薄情者め、と思わなくもなかったけど、いつも通りの反応なので口にしたりはしなかった。
代わりに、私は椅子に座り直して頭を働かせる。大抵は勘で動くけど、フランに関するときだけは別だ。必死に思考を巡らせる。
そもそも、パチェの言ったことは正しいんだろうか。もしかすると、間違い、ということもありえる。パチェは魔女であり、この館の中で一番賢いけど心が読めるわけではないのだ。だから、単に色々な要素から予測しているだけに過ぎない。
……そう言えば、パチェはフランのどんな様子からそんな予測を立てたのかしら。
フランが私に恋慕を抱いているんだ、と仮に考えながら最近のフランの様子を思い出してみる。
私の前にいるフランは、いつだって嬉しそうに羽を揺らしていた。私以外の誰かといる時のフランがどんな様子なのかは知らないけど、その態度が私だけに向けられているものだ、って言うのには気付いていた。姉妹だから、とそんなふうに思っていた。
けど、パチェの言葉を聞いて、それだけでもないような気がしてきた。私と共にいる時、あの子にはどこか緊張しているような様子もあって、挙動もどこかぎこちなかった。そして、なんとなくだけど、ぼんやりとしていることも多かった。話は聞いてるみたいだけれど、何かに気を取られているような。
確かにこうして考えてみれば、おかしな所はいろいろとある。しかも、よくよく思い出してみれば、昔はこんなことはなかったはずだ。フランはもっと楽にしていたはずだ。
いつから、フランの私に対する態度は変わったんだろうか――
「うーあー……」
考えるのが面倒くさくなってきて私の口からそんな声が漏れてくる。そして、そのままテーブルに突っ伏す。流石に、紅茶の入ったカップは避けた。
やっぱり難しく考えるのは私の性に合わない。しかも、私が全く予想だにしていなかった事だけに何処からどう考えていいのかさえ分からない。
……本当にフランが私に恋慕を抱いてるかどうか、なんて考える必要ないんじゃないだろうか。本人に聞いて確かめればすぐにわかることなのだから。
だから、私は本当だった時にどうするか、ということだけを考えることにしよう。
椅子に座り直す。それから、両肘をテーブルにつけて、顎を手のひらに乗せ考える。
もしも、フランが本当に私に恋慕を抱いているというのなら――
「……よし、決めたわ」
考えは纏まった。私は、今すぐにでも行けるけど、フランの方は大丈夫だろうか。あの子も、酔いが醒めていればいいんだけれど。
そう思いながら、私は立ち上がる。結局、小悪魔の淹れてくれた紅茶には一度も口をつけなかった。
悪いとは思うけど、今はそんな気分じゃあないんだから仕方がない。
「パチェ、相談に乗ってくれてありがとう。それと、相談ついでに、頼まれ事、ひとついいかしら?」
「私に出来る範囲でなら」
さほどこちらに興味がないのか、本から顔を上げないで淡白な言葉を返してくる。全く、パチェは私がどれだけ悩んでるのかわかってるのかしら。
まあ、いいか。パチェが、私のこの言葉を蔑ろにするとは思えないし。
「もしも、私がフランと不仲になったら、あの子のことお願い」
何がどう転がるかは分からないけど、最悪あの子とは話が出来なくなるかもしれない。嫌いになるとかじゃなくて、もっとどうしようもない理由で。
「……そんな後ろ向きのことを言うなんて、貴女らしくないわね」
「まあね。いつも通りじゃないから」
パチェの言葉に、私は弱々しく笑い返すことしか出来なかった。
この話、丸く収まってくれるのかしらねぇ……。
◇◇◇
薄暗く静かな部屋。聞こえてくるのは、時計が時を刻む音だけ。視界に映るのは真っ黒な天井。もとは白いけど、今は光源が足りないから黒く見える。
私の胸の内に閉まっておくべきことを言いかけて、お姉様から逃げ出した。そんな私を追いかけて来てくれたけど、私は追い返してしまった。あの時の私は、全然冷静でいられなくて、もしお姉様の前に立てば何を言いだしてしまうかわからなかった。
お姉様は、こんな私を変に思ってないだろうか。……嫌いに、なってないだろうか。
お姉様には会いたくない。いや、正確には会うのが怖い。
けど、だからと言って会わないわけにはいかない。多分、このままお姉様に会わなかったらずっと顔を合わせられないような気がする。
それに、お姉様は、後で話をしよう、と約束してくれたのだ。だから、きっと嫌われては、ない、はずだ。
そうは思っても、やっぱり怖いものは怖い。ちょうど、ベッドに横になってることだし、このまま寝てしまおうか、とさえも思ってしまう。
けど、そうすることは出来なかった。
「フラン、入るわよ」
ノックの音と共に、お姉様の声が聞こえてきたから。考え事に集中してたせいか、お姉様が階段を降りる音に気付くことが出来なかった。
私は、返事をしようとして、やめる。なんだか、向こう側まで届く声を出すだけの元気がなかった。変わりに、寝返りを打って視界の中に、扉が映るようにする。
お姉様は扉に鍵が掛かってない限りは、私が寝ていようとも部屋に入ってくる。それを止めさせないのは、私がお姉様のことを信頼してるから。
でも、私がお姉様に恋してる、って気付いてからそうされたときは、目を開けたら突然お姉様の顔が映ってかなり動揺してしまった。その時、お姉様はただ単に私が驚いてるだけだ、と思ってたみたいだけど。
そんなことを考えている間に、部屋の扉が開け放たれた。
「あら、フラン、起きてたのね」
お姉様が近づいてくる。私は横になったまま、お姉様に何を言われるんだろうか、と身構える。自分の心臓の音が嫌に大きく聞こえてくる。
「……ねえ、フラン」
しばしの静寂の後、お姉様が口を開く。私は、心臓が跳ね上がるのを感じた。
何を、言うんだろうか。
まるで、裁判席に立つ被告人のように、次の言葉を待つ。
「……貴女が、私に恋慕の情を抱いている、というのは本当、なのかしら?」
え?
その言葉はあまりにも予想外すぎて、私の中の時間を止めるには十分すぎるくらいの言葉だった。
けど、徐々にその言葉を理解していって、ゆっくりと時間の感覚を取り戻す。そして、私は諦めの念を抱きながら、口を開く。
「気付い、ちゃったんだ……」
ずっと、私の中に納めておくつもりだったのに。ずっとずっと、私だけの気持ちにしておくつもりだったのに。
けど、お姉様に気付かれてしまったことで、もうこの気持ちは私だけのものではなくなってしまった。お姉様の想いと相互に作用するようになって、何処に向かっていくか分からなくなる。
「パチェに、気付かされただけよ。私だけで考えてたら、きっと気付きやしなかったわ」
……なんだ、そうだったんだ。お姉様が、自力で気付いてくれたわけじゃなかったんだ。
けど、私はそうやって残念がる裏で当然か、とも思っていた。だって、
「……変、だよね。私たち、姉妹、なのに」
私自身そう思ってるのだから、そんな感情を抱いてるわけじゃないお姉様が気付く方がありえないのだ。
だから、当事者でもないのに、私の気持ちに気付けたパチュリーはすごいと思う。それとも、当事者じゃないからこそ、気付けたんだろうか。
「……まあ、そうね。正直に言うと、そう思ってるわ」
やっぱり、か……。所詮、叶わぬ恋だったわけだ。
分かってた。分かってたけど、もうばれてしまった、というのならやれる事はやっておきたい。
私は、身体を起こしてベッドに腰掛ける。お姉様はベッドの横に立っているから、私はお姉様を見上げる形となる。
「駄目元で聞いてみるんだけど、お姉様は、私のこの想いに応えてくれる?」
こんな形で言うことなんて望んではいなかった。そもそも、表にさえ出すつもりもなかった。
けど、今こうしてどうしようもない事態に陥ったというのなら、言うしかないじゃないか。もしかしたら、に望みをかけて、聞いてみるしかないじゃないか。
「ごめんなさい。私は、貴女の想いには応えてあげられないわ」
予想通りの言葉だった。
「姉妹だから、同性だから、それもある。けど、それ以上に私は貴女にいつかは自立して欲しい、と思っているの。私の手から離れて生きられるようになって欲しいと思ってるのよ」
どう答えるかを決めていたようで、お姉様の言葉に迷いはなかった。そして、同時に、お姉様の中で私は家族でしかないんだ、ということを再確認する。
わかってたことなのに、胸がずきり、と痛む。
「そっか……」
苦しい。思ったように、息が出来ない。
「……それは、いつかはここから出て行け、ってこと?」
それでも、私は無理やり笑顔を浮かべながらそう言った。……きっと、そんなに上手くは笑えてない。もしかしたら、泣いているようにも見えるかもしれない。
そう思っていても、私は無理のある笑顔を浮かべるのをやめない。
「別に、そこまでは言わないわ。貴女が私に頼らなくなってくれれば、私はそれで満足だわ」
「でも、そんなこと言いながら、お姉様はよく私の世話を焼いてくれるよね」
私が頼んでも頼まなくても、お姉様は何かとやってくれる。……私がお姉様に恋をしてしまった理由の一つ。
「そうね。私も……貴女も、そろそろ姉妹離れ、すべきかしらね」
その声色から、お姉様がそれを本当に望んでないことを知る。でも、お姉様も今のままではいられない、と悟ったからそう言ったんだと思う。
「……」
「……」
それっきり、私たちは黙ってしまう。私たちの間に流れる空気が変わっていることを感じる。
けど、悪い方へと変わったのか、良い方へと変わったのか、それはわからない。分からないけど、確かな辛さを感じる。
「……ねえ、フラン。よかったら、どうして貴女が私に恋慕を抱いたのか、教えてくれないかしら」
けど、お姉様が沈黙を破って、そう言う。紅い瞳は、私をじっと見ている。
「うん、いいよ」
内容は私にとって価値も付けられないくらいに大切なことだけど、話すくらいならお安い御用。お姉様には振られてしまったけど、どうしてこういう感情を持つようになったのかは、話しておきたかった。
「……私が物心付いた時から、私がこの部屋から出るまで、私の世界には私と、それからお姉様しかいなかった。お姉様は私にとっても優しくて、私を大切にしてくれていて、嫌う要素なんて何一つとしてなかった。……だから、私は好意的な感情を全部お姉様に向けた。でも、その時は、その中に恋心が混じってるなんて知らなかった。気付かなかった」
昔の私は、感情を向ける相手がお姉様しかいなかった。だから、感情が細かく分かれてることなんて全く知らなかった。心の中にある、好意、という塊を全てお姉様へと向けていた。
「でも、外に出るようになって、私とお姉様以外に興味を持つようになって、私は気付いたんだ。何か、特別な感情が混じってるって」
地下から出るようになって、いろんな人と知り合った。紅魔館に住んでる皆。図書館に出入りする魔理沙やアリス。それから、勝手に部屋に侵入してくるこいし。
私は、そんな知り合いの皆のことが好きだった。そうやって好きな人たちが増えていく中で、好意にも違いがあることに気付いた。お姉様へと向ける好意が何処かおかしいんじゃないだろうか、と思うようになった。
「単なる物語としてしか読んでなかった本を自分と比較しながら読んだり、こいしから話を聞いて、私の気持ちはお姉様に向けるべきじゃない物だということに気付いた。それを恋って呼ぶことを知った。たぶん、その時から、私の恋は始まったんだと思う」
それ以前にも、私は恋心を抱いていたのかもしれない。けど、本人が気付いていなければないのと同じだ。それに、私は、自分の感情に気付いてから、お姉様を前にしたときの気持ちのあり方が大きく変わった。
「多分、どれかが決定的な理由じゃないんだ。どれか一つでも欠けてたら、きっとまた違った感情を抱いてた。だから、どの理由も私にとっては、とっても、とっても大切なものなんだ」
……けど、それらは私の胸を締め付けて、痛みへと変わっていく。私はそれに耐えられなくて、胸の辺りをぎゅっ、と掴む。
余計に、苦しくなった気がした。
「それは、私の、せいね……」
「せい、だなんて言わないでよ。お姉様のお陰だよ。きっと、お姉様がいなかったら私は完全に壊れてたから」
お姉様がいなかったら、私はこの薄暗く閉じられた部屋でたったの一人きりだった。そんな場所にいれば、どんなに正常な人でも壊れてしまってるだろう。
そして、私はもともと異常だった。だから、お姉様がいなければ私は今みたいに正常になることもなく、心を壊していた。いや、もしかしたら私自身を壊していたかもしれない。
だから、私は心の底からお姉様に感謝している。お姉様のお陰で今ここにいられるんだと強く強く思う。
けど、同時に思うのだ。もう、お姉様がいなくても、大丈夫だ、って。ただ、私が恋心を抱いていたから、一緒にいたいと思っていただけ。
多分、もう、私はお姉様とはいつまでも一緒にはいられない。
「お姉様、私、自立できるように頑張ってみるよ。今までは、お姉様の優しさに甘えて自立しよう、だなんてこれっぽっちも思ってなかったけど、今日からは自分で何処まで出来るか見極めてみるよ」
きっと、自立することが出来たなら、私はこの胸の痛みを感じないようになれる。
「今よりも、もっと外に出るようにしてみる。そうやって、もっと広い世界があることを知ってみる。そうじゃないと、お姉様の傍にはいられそうにはないから」
世界を知らない私は、酷く盲目的だ。だから、お姉様に恋心を抱いて、そして、困らせてしまった。
そんな私だからこれから世界を知れば、きっとお姉様のことも諦めがつくはずだ。
「フラン……」
お姉様が少し寂しげな表情を浮かべて私の名前を呼ぶ。けど、すぐにその表情は引っ込んで、代わりに真剣な色を浮かべた顔で私を真っ直ぐに見据えてくる。
「……分かったわ。貴方の納得のいくようにしなさい。だから、私の方からは貴女を必要以上に助けないようにするわ。でも、だからといって、貴女の方から全く頼んでこない、っていうのもなしよ。本当に私の助けが必要なときは、私を頼りなさい」
「うん、わかった」
「よし、ならいいわ」
そう言って、お姉様は笑顔を浮かべた。私も、同じように笑顔を浮かべようとするけど、出来なかった。
「さてと、私はそろそろ寝るわ。普段使わない頭を使って疲れちゃったから。じゃあ、フラン、おやすみなさい」
お姉様が、小さく欠伸をしながら、私に背を向ける。
「うん、おやすみなさい。……愛してるよ、お姉様」
最後に、未練を断ち切れたらいいな、と思ってそう言ってみた。
「ありがとう。けど、私は愛してるわ」
振り返ってそう返してくれた。そして、お姉様は今度こそ部屋から出て行った。
同じ言葉なのに、込められた感情はまるで違う。断ち切るどころか、私たちの間にある感情は全く違うものなのだ、と、突きつけられてしまった。
多分、私は今ここで初めて失恋を実感した。
最初に感じたときとは比べられないほどに胸が痛い。それとも、あの時は、お姉様がいたから強がってただけなんだろうか。
痛む胸を押さえて、身を折る。大きくなっていく感情が抑えきれなくて、涙となって溢れてくる。
しまいには、嗚咽が漏れてきて止まらなくなる。
もう会えないわけじゃないのに、こんなに痛いなんて。
見捨てられたわけじゃないのに、こんなに辛いなんて。
苦しいくらいに大きな感情に翻弄されながら、私は嗚咽と涙を零し続けた。
◆
どれくらい時間が経ったかは分からないけど、ようやく落ち着いてきた。でも、まだ胸は痛いし、喉の奥も痛い。油断すると、また涙と嗚咽が漏れてきそうだ。
思考もあんまり定まってなくて、何を考えていいかが分からない。
けど、それでも私は立ち上がる。というか、このままここにいたらまた、泣きそうな気がした。
手近な所に顔を拭くものがなかったから、布団で乱暴に拭う。
そして、あまり使うことはないけど、外に出るときには必ず持って行っている紅色の傘の柄を掴む。
普段はこんなことしないけど、気持ちの整理の為に、外に出よう。そう、思ったのだ。
◇Epilogue
「久しぶりだね、お姉様」
数年ぶりに、あの子が帰って来た。
「……ええ、久しぶり、ね」
あの子は日傘を差しているにも関わらず、光の中に溶け込んでいるように見えた。
◆
「突然泣かれるとは思ってなかったよ。……ごめんなさい、心配かけさせちゃって」
「いや、眩しすぎて涙が出てきただけよ。別に泣いていたわけじゃないわ」
私は、そう言って対面に座って頭を下げるフランへとそう言い訳をする。けど、多分フランはそれが誤魔化しでしかない事に気付いてる。顔を上げた今も、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
あの時は、私自身驚いた。まさか、数年ぶりにフランと顔を合わせて、元気そうな姿を見ただけで涙を流すとは思ってもいなかった。
「ほんとに、ごめんなさい。私、ほんとにお姉様と顔を合わせるのが辛くて……」
私の言い訳が聞こえていなかったかのように、そう謝る。昔よりも、意志が強くなっているような気がする。昔のフランなら、私に合わせてくれてただろうか。
「ああ、いいのよ。そんなこと気にしないで」
このまま無意味に、意地を張っても仕方がない気がしたから、折れることにした。そうして、話をそらすように話題を振る。
「それよりも、ここから出て、それから帰ってくるまで何があったのか教えてちょうだい」
「……、うん、いいよ」
私の様子を少し窺った後、そう頷いてくれた。
私が、フランの気持ちを知ってから数日後に、フランは手紙を残して何処かへと行ってしまった。この狭い幻想郷。私と咲夜が本気で探せば、それほど大きな苦労なく見つけられるはずだった。
けど、私はフランを探すようなことはしなかった。それは、私がフランに自立して欲しいと願い、フランが自立をする、と誓ったのだ。どうして、私がフランを止められようか。
それに、フランの居場所は、私が探さずとも天狗の新聞により知っていた。永遠亭でフランは働いていたようだ。
何故、永遠亭なのか、と疑問に思っていたけど、その疑問はフランの話を聞くうちに氷解していった。
どうやら、血を得る為にフランは永遠亭で働いていたようだ。そして、永遠亭で働くことを決めたのは、私がフランの気持ちに気付いたあの日。気晴らしに外を歩いてたときに、偶々薬売りをしていた兎を見て、思い付いたそうだ。魔理沙などから話を聞いて、その兎の師匠が医者をやっていることは知っていたらしい。
「――それで、私は世界のことをもっと広く知ったんだ。今、思い返してみて、私、本当に狭い世界しか見てなかったんだ、って気付いたよ」
向こうでの思い出を話し終えたフランが、そう言ってまとめに入り始める。まず浮かべたのは過去の自分への苦笑だった。
けど、すぐに私の方を真っ直ぐに見る。そこには、強い意志の力が見える。きっと今、あの子は私だけを見ている。
ああ、これはまさか――。
「でも、そうやって、広い世界を知っても私の中の恋心が消えることはなかったんだ。逆に、広い世界を知ることで、お姉様以上の人なんていないんじゃないだろうか、って思うようになってた」
私は、真摯な色を浮かべるフランの紅い瞳に吸い込まれそうになる。何故だか、自分の鼓動が高くなってきているのを感じる。
「お姉様。私は、貴女に恋をしてます。この想いに、応えてくれますか?」
やっぱり、か。
けど、あの時とは違って、迷いも遠慮も一切なかった。あまりにも真っ直ぐすぎる視線から逃げそうになってしまう。
「……ごめんなさい。応えることは、出来ないわ」
「そっか、残念」
フランが肩を落とす。私の答えを受け入れる準備が既に出来ていたのか、ショックを受けた様子は一切ない。
むしろ、私の方が何故だか動揺してた。
え? なんで?
「あ、そうだ。ついでに聞いておきたいんだけど、私、ちゃんと自立出来てるかな」
先ほどとは打って変わって、非常に自信なさそうな様子となる。その様子に、ほっとしてしまう私。
「何年も私の所を離れてた上で、仕事までしてたんだから十分すぎるくらいよ。私も、ここまで貴女が成長するとは思ってもいなかったわ」
「よかった……。お姉様の所をしばらく離れて正解だったみたいだね」
そう言って、フランが嬉しそうな笑顔を浮かべる。フランが、私の所を離れる前日まで見せていたのが、ぎこちない笑みだったから、酷く久しぶりにそんな表情を見るような気がする。けど、よくよく見てみると、柔らかさも含まれていることに気付く。
本当にこの数年で変わったようだ。
「うん、もう完全に諦めが付いた。同性なこととか、姉妹であることとかはどうしようもないからね」
全く持って清々しい笑顔だ。それと、フランの何がこの数年で変わったのか分かった。
「貴女、昔よりも余裕があるわね」
「そう、かな? ……うん、そうかもしれない。どうしても、永琳の仕事を手伝うには余裕が必要になるから。病気や怪我をした人を前にして、私が取り乱してたら不安を煽るだけだからね」
フランが、どこか大人びた表情を浮かべる。
なんだか、そんな表情を見ているとなんとも言えない気持ちになってくる。それは多分、私が立ち止まっている間に、フランが大きく前に進んでいる、ってことを実感させられるから。
ああ、全く。素直に喜ぶべきなのに、なんで私はこんな気分になってるのかしらねぇ。私自身、自分は素直じゃないとは思っていたが、ここまで筋金入りだったとは。
「ねえ、お姉様。これからは、一週間に一度くらいは帰ってこようと思ってるんだけど、いいよね?」
「ここは、貴女の家でもあるんだから、わざわざ聞かなくてもいいわよ。貴女が帰りたいと思ったときに帰ってきてちょうだい」
本当は、また戻ってきてくれるんじゃないか、って思ってた。けど、それをわざわざ口には出さない。フランがそうすると決めたのだ。私に邪魔をする権利はない。
「うん。ありがと、お姉様」
そう言って、フランは柔らかな微笑みを浮かべる。
やっぱりそれは私の知らない表情で、私の手の届かない所にある表情だった。
不意に、手が暖かいものに包まれた。
「お姉様? どうしたの?」
気が付くと、テーブルの上で私の右手が、フランの両手に包まれていた。どうやら、私は意識せず、フランの方へと手を伸ばしていたようだ。
「あー……」
どう言い訳をしようか。いつの間にか手を伸ばしていたことよりも、久しぶりに触れるフランの手が柔らかくて暖かいことに動揺している。そのせいで、全く考えが纏まらない。
「……フラン、放してくれるかしら」
結局言えたのは、言い訳でも何でもない逃げのような一言だった。
「ダメ。一週間は会えないんだから、今のうちにお姉様のぬくもりを補給しとかないと」
そう言うと、フランは両の手にぎゅっと力を込める。絶対に放すまい、と行動で訴える。
「自立したんじゃあなかったかしら?」
「うん、お姉様が言うにはそうらしいね。でも、お姉様を前にすると恋人としてじゃなくてもいいから甘えたいなぁ、って」
ふにゃり、と気の抜けたような笑みを浮かべる。その表情に胸が高鳴った気がしたけど、気のせいだ、と心の中で首を振る。
「……全く。まあ、いいわよ。数年間甘やかす相手がいなかったから、存分に甘やかしてあげるわ」
「やったっ。ありがと、お姉様」
そうしてフランが浮かべるのは心の底から嬉しそうな笑顔。
今、この子がどんな気持ちでいるのかはわからないけど、このくらいのことで満足するというのなら叶えてあげよう。
そう思いながら、私もフランの手をそっと包み込んであげるのだった。
Fin
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