妖精達の遊び場の一つである太陽の畑にひとりの氷精の高笑いが響き渡る。

「パーフェクトフリーズっ!あっはっはっはー!あたいに凍らせないものなんて何一つないわ!」

 陽気な妖精でさえも、うだってしまいそうな暑さを吹き飛ばすような笑い声だ。しかし、それもそのはず、今、彼女は凍らされた向日葵に囲まれているのだ。そのおかげで本当の意味で暑さは吹き飛んでしまっている。

 氷の花に囲まれたチルノはそのうちの一つを無造作に掴む。その拍子に向日葵の氷の茎は容易く折れ、花は粉々に砕けた。

「……なんだかいまいち面白くないわねー。もうちょっと、こう、刺激のあることってないかしら」

 今までのテンションはどこへやら。つまらなさそうな表情を浮かべると氷の花畑で横になる。

 そうして、また、ひとつの向日葵が砕ける。

 氷の粒子が降り注いでくる光景はきらきらと輝いていて綺麗だった。チルノはその光景に見惚れる。

 そして、突然、隣の向日葵へと向けて転がった。

 もうひとつ、向日葵が砕ける。

 再び降り注ぐ光の粒子。
 彼女はその光景が美しいと思った。だから、もう一度それを見ようとまた、転がる。

 向日葵が砕け、砕け、砕ける。
 氷の粒子が降り、輝き、魅了する。

 幻想的な光景の直中にいるチルノは気がつかない。こうしている間にも、近づいてくるモノがいるということに。

「あら、なんだか騒がしいと思ったら、氷の妖精が紛れ込んでたのね」

 花畑の中から現れたのは妖怪。桃色の花を模したような傘を持っている。
 凍らされた花畑の一角を見た幽香の表情が一瞬固まる。そして、浮かぶのは無表情。静かな怒りを湛えた無の表情。

「……貴女、自分が何をしたかわかってるのかしら?」

 冷たい、氷よりも冷たい一言。

 チルノはその声によって幽香の存在に気がつく。しかし、無に隠された怒りには、その言葉の冷たさには気が付いていない。

「ダレ?あんた。ここは、あたいの遊び場なんだから譲る気なんてないわよ」

 起き上がり、いつもの分け隔てのない口調で話す。いつもなら彼女の魅力の一つとなっている口調だが、今は幽香の感情を逆撫でるものとしかならない。

「そう、遊び。貴女にとっては遊びでしかないのね。……命を奪っているというのに」
「……え?」

 チルノは頓狂な声を漏らす。幽香の言葉が理解できていないかのように。

「……貴女、さっさとここから去りなさい。そして、もう、ここには来ないで」
「ダレだか知らないけど、ここは、あたいの場所よ。なんで帰らないといけないのよ」
「立ち去らないというのなら、殺すわよ」

 瞬間的に溢れ出る殺気。さすがのチルノもそのただならぬ雰囲気に気がつく。
 しかし、彼女は幽香の言う通りにしよう、という気はさらさらない。

「ふ、ふん、何言ってるのよ。そんな脅し文句―――」

 虚勢を張るチルノの顔の真横を風が凪いだ。
 正確には花の形を模した弾幕が彼女の横を通り過ぎたのだ。ただし、『弾』とはついているが花びらの部分は鋭い。直撃すればただではすまない。

「……っ?!」
「次は、当てるわよ」

 幽香はチルノを睨みつけ傘の切っ先を向け言った。
 言葉に感情は乗せられていない。しかし、彼女が纏うオーラがただならぬ雰囲気を作り出している。

「な、何?こ、このあたいとやり合おうって言うのっ?」

 危険を感じて尚、好戦的な妖精は逃げ出そうとしない。逃げる、という選択肢が浮かんでこないのかもしれない。

「……」

 幽香は無言でチルノへと歩みよる。チルノは無意識のうちに一歩後ろへ下がる。
 それから、周囲を見回す。それは、逃げるためか、勝機を見出すためか。
 しかし、チルノは計らずも気付いてしまう。

 周囲の向日葵が全て自分の方を向いている、ということに。

 ぞくっ、と恐怖が一瞬で彼女の中を駆け巡った。それは、見えない拘束具。彼女はその場から動けなくなる。

「逃げる?それとも、このまま、私に殺されたいのかしら?」

 チルノとの距離を詰めた幽香は彼女の額へと傘の切っ先を当てた。
 既に勝負は決してしまっている。いや、もともと勝負など始まってはいない。

「あ……、あ、あたいは最強なのよっ!あ、あんた、なんかに負けるわけがないっ!で、でも、今日は調子が悪いから見逃してあげるわ!」

 自失から立ち直ったチルノはそんな捨て台詞を残して太陽の畑から飛び去ってしまった。
 残された幽香はゆっくりと傘を下ろす。

 それから、周囲の凍らされた向日葵たちへと手のひらを向ける。

 一瞬で向日葵を覆っていた氷が溶けていく。すぐに、向日葵は氷精に凍らされる前の姿に戻り、太陽へとその大きな花を向ける。
 しかし、氷精によって砕かれ原形を失った向日葵はそのままだった。
 幽香は傘を地面に置きしゃがみ込むとゆっくりとその欠片を拾い上げた。

「ごめんなさい。私がもっと早く気づいていればこんなにならなかったのに……」

 彼女が浮かべているのは本当に悲しそうな表情。楽園のフラワーマスターである彼女にとって花は彼女の友達そのものだ。一つ一つの花の区別も出来ている。
 だから、彼女にとって花がコロされるのは耐え難いことだ。だから、花をコロしたモノを殺したくなるのは当然だ。
 しかし、彼女はそれをしなかった。何故なら、彼女はあの氷精が悪意を持ってやったのではないことを知っているから。
 悪意を持ってやったのならば簡単に殺せる。しかし、悪意を持たずにやったモノに対しては躊躇が生まれてしまう。

 彼女は優しすぎる。
 だから、幽香は一人花の欠片を抱いて悲しみに打ち震えていることしかできなかった。



「あー!もー!何なのよ!あの妖怪は!」

 太陽の畑から逃げ出しいつもいる霧の湖に戻ってきて不満を漏らしていた。

「どうしたの?チルノちゃん。いつになく荒れてるみたいだけど」

 チルノの声を聞いて現れたのは大妖精だった。彼女はチルノといることが多い。

「あ、大ちゃん!聞いてよ!今日、腹の立つ妖怪に会ったのよ!」
「ちょ、ちょっと、チルノちゃん。顔が近いよ、顔が」

 大妖精は苦笑しながら興奮気味のチルノの肩を押す。チルノは自覚がないまま大妖精へと顔を近づけていた。

「あ、ごめん。あたいとしたことが興奮しすぎたわ」
「うん、いいよ。……それで、何があったの?」

 チルノと大妖精は近くにあった小ぶりな岩の上に座る。

「すっごく嫌な妖怪に会ったのよ!」
「うん、さっきもそう言ってたね。どんなふうに嫌だったの?」
「あたいが向日葵を凍らせて割って遊んでたら突然もう来るな、って言われたのよ。その上、あたいのことを殺す、なんて言ってきたのよ!信じられるっ?」

 興奮したような口調で大妖精へと同意を求める。
 こう言われた場合、いつもの大妖精なら「危ない妖怪もいるんだから気をつけないと駄目だよ。あと、花を傷つけちゃ駄目だって言ってるでしょ」、と答えていたはずだ。最近はめっきり減ったが理由もなく妖精を殺して周る凶暴な妖怪もいるのだ。殺す、といっても厳密には死んでいるわけではないのだが。

 しかし、大妖精の声はいつも以上に真剣なものだった。妖精の中でこういった声を出せるモノはなかなかいない。

「……チルノちゃん。チルノちゃんが会ったのって、どんな妖怪だったの?」
「うーん、よく、覚えてないけど、緑色の髪で、花みたいな傘を持ってたわよ」

 その返答に大妖精ははっ、としたような表情を浮かべる。

「大ちゃん、どうしたの?……もしかして、大ちゃんの知り合い?」

 首を傾げるチルノに大妖精は首を左右に振る。

「ううん、知り合いじゃないよ。でも、チルノちゃんが会った妖怪の名前はわかる。風見幽香。チルノちゃん、この名前を聞いたことある?」
「かざみ、ゆーか?そんな名前、聞いたこともないわよ。有名な奴なの?」
「うん、有名も有名だよ。最強クラスの妖怪の一人なんだから」
「最強はあたいよ!」
「あはは、うん、そうだね」

 大妖精は苦笑を浮かべる。まともに相手をしないところから彼女がどれだけチルノの扱いに慣れているのかがわかる。

「今は、最強かどうかなんてどうでもいいんだよ。……風見幽香は楽園のフラワーマスター、って呼ばれてるんだ。どうしてだかわかる?」
「うーん……」

 腕を組んで考え始めるチルノ。
 今、彼女の頭の中では今日、幽香に出会ってからあった出来事がゆっくりと再生されている。そうして、彼女が気に止めたのは幽香が弾幕を放ってきたその瞬間のことだった。
 一瞬だけ彼女の視界の中に映った花の形をした弾幕。彼女は、そこから答えを導き出す。

「あ、わかった!花を操ることができるのね!」

 得意げに答えるチルノ。

「うん、正解。偉いね、チルノちゃんは」

 大妖精は笑顔を浮かべてチルノの頭を優しく撫でる。そうされながらチルノは威張るように胸を張る。

「当然よ、あたいは最強なんだから」
「じゃあ、最強なチルノちゃんにもう一個。花を操れる、ってことは何ができると思う?」
「それは、花を咲かせたり、枯らせたり自由にできるんじゃないの?あとは、あたいみたいに弾幕にしたり」

 何を当たり前のことを、と悩む間もなく一瞬で答える。

「チルノちゃんの答えは間違ってないけど、私が望んだ答えとは違うなぁ」
「む、だったら、何だって言うのよ」

 答えが違ったので少し不満そうだ。しかし、大妖精はその程度のことは気にしない。

「花の声を聞くことができる、だよ」
「あたいは、氷の声なんて聞こえてこないわよ」
「氷は生き物じゃないでしょ」
「あぁ、そっか」

 ぽん、と手を叩く。こういった答えを返すのは妖精と言えどもチルノくらいのものだ。

「でも、それが今までの話とどう関係があるっていうのよ」
「それはね。風見幽香にとって花は大切な存在なんじゃないのか、ってこと」
「それが……あっ!」

 何かを言おうとしてチルノは気付いてしまったようだ。

「うん、チルノちゃんのしちゃったことは大変なことなんだよ。そう―――」
「や、やだ!それ以上は聞きたく無い!」

 耳を塞いで必要以上に大きな声を出して大妖精の声を遮ろうとする。しかし、ある意味残酷な大妖精の言葉はその程度では遮ることができなかった。

「―――風見幽香の大切な、大切な花をコロしちゃった、っていうことは」

 静かな、声だった。しかし、だからこそ、騒ぐチルノの耳にも届いてしまったのかもしれない。

「大切な花をコロされちゃった風見幽香はさぞかし悲しんでることだろうね。チルノちゃんが花を大切にしなかったばかりに」
「……あたいは、悪くない」
「そうやって、自分のしたことから逃げちゃ駄目だよ。ちゃんと、受け入れないといけないよ」
「だって、だって……」

 うわ言漏らすようなチルノの頭の中に浮かんでいるのは小さな彼女を見ていた大きな向日葵たち。あの時は恐怖を感じていた。そして、今、彼女を埋め尽くすのも恐怖。
 しかし、それは自分を取り囲んでいた向日葵たちに向けたものではなく自らが犯した罪に対するものだ。それは、彼女が初めて感じた罪悪感なのかもしれない。

 自分がやってしまったのは「花」という遊び道具を壊した、ではなく、「花」という誰かの大切なモノをコロした、だった。認識が変わったことによってチルノにとってなんでもなかったはずだった事がとても重大なこととなる。

「自分の罪に気付けただけでもチルノちゃんは偉いよ」
「じゃあっ……!」
「でも、チルノちゃんは逃げてるだけでいいと思ってるの?」
「そ、れは……」

 妖精はどうでもいい事はすぐに忘れられる。だから、大妖精の言葉なんて否定してしまえばいいはずなのだ。
 けど、チルノは言葉に詰まってしまっている。考えてしまっている。
 逃げたいけど、逃げる事も出来るけど、同時に、逃げては駄目だと思っている。

「そうやって、私の言葉にすぐ答えられない、ってことは逃げたいけど、でも、逃げたら駄目だ、って思ってるってことだよね」
「……」

 暗い表情で俯くチルノ。大妖精の言っている事はすべて図星だったから答える事が出来ない。

「チルノちゃんはどうしたい、って思ってるの?」
「……わかん、ない。ねえ、大ちゃん、あたい、どうすればいいの?」

 道に迷った子供のような表情を浮かべて大妖精を見る。

「……ごめんね。私もわかんないよ」

 微苦笑と共に答えを返す。その瞬間にチルノの顔に浮かんだのは絶望に似た色。

「だって、私は風見幽香っていう妖怪がどういう考え方をする妖怪なのか知らないから。この先はチルノちゃんが自分で考えないと」
「わかんない、わかんない、わかんないよ!ごめんなさい、って言って赦してもらえるとも思えないし、花を治すことも出来ない!どうすればいいのかなんて、わかん、ない、よぉ……」

 罪の重さに耐えきれなくなったチルノは涙を流し始める。氷の妖精に似つかわしくないその涙は溶けた氷から溢れ出てきているもののようだ。
 そんな自らの身が削られていくような苦しみに苛まれるチルノを大妖精は優しく抱きしめる。

「チルノちゃん、そうやって無理に答えを出そうとしなくてもいいんだよ。じっくりと考えて、でも、途中で逃げ出さないようにして、そうやって、答えを出せばいんだよ」
「……でも、あたい、バカ、だから、最強なんかじゃないから、考えてもわかんない、わよ」
「ほんとに、そうかな?私は知ってるよ。チルノちゃんは考えなしなところもあるけど、優しさも持ってて、バカじゃない、ってことを。今は、取り乱しちゃっててわかんなくなっちゃてるだけだよ。今は思いっきり泣いて、それで、落ち着いたらきっと、何かを思いつくよ」
「そう、かな?」
「うん、きっとそうだよ」

 チルノに見えないということがわかっていながらも大妖精は笑顔を浮かべた。少しでも安心させてあげられるように、と。

「……大ちゃん」
「ん、何?」
「……みっともなく、泣いちゃうけど、いい、わよね?」
「うん、いいよ。チルノちゃんにならいくらでもこの胸を貸してあげるよ」

 その言葉をきっかけとしてチルノの中の色々な物が決壊した。それは恐怖や苦しみといったものだ。
 彼女の慟哭は二人の間だけで響いていた。



「どう、落ち着いた?」

 泣き始めてから十分ほどでチルノは泣き止んだ。今はもう、大妖精には抱きしめられてはおらず、彼女の隣で洟をすすっている。

「うん、少しは。大ちゃん、ありがと」
「いえいえ、どういたしまして。チルノちゃんの為なら何でもやるよ、私は」
「なんでも?」
「そう、何でも」

 チルノは大妖精の言葉に首を傾げる。なんで、そこまでしてくれるの、と視線が言っている。
 大妖精はすぐにその意を汲み取ったようだ。

「どうして私がチルノちゃんの為に何でもやってあげるんだと思う?」
「すごい!なんで、大ちゃんあたいの思ったことがわかったのよ!」
「私がチルノちゃんに何でもやってあげる、っていう想いと一緒だよ。ほらほら、考えてみて」

 チルノは腕を組んで、むー、と考えを巡らせる。だけど、小さな氷精の中にその答えはなかった。

「……わかんない」
「ふふ、わかんないなら、わかんないでもいいよ。チルノちゃんがもっといろんなことを知ったら教えてあげるよ」
「いろんなこと、って何よ」
「いろんなことは、いろんなことだよ」

 大妖精は笑顔を浮かべる。対して、チルノは大妖精が何も教えてくれないからか不満そうだ。

「いいわよ、大ちゃんが教えてくれない、っていうならあたいが自分で見つけてくから」

 拗ねたような口調のチルノ。大妖精はそんな友人の姿を微笑ましげに見る。

「うん、ぜひ、そうしてほしいな。それで、チルノちゃんが体験したことを私に話して聞かせてほしいな」
「ふふ、いくらでも聞かせてあげるわよ」

 チルノは不敵な笑顔を浮かべる。さっきまで浮かべていた暗い表情は浮かんでいない。しかし、それは隠しているだけで消えたわけではない。
 大妖精はしっかりとそれを見抜いていた。だから、岩の上から立ち上がってチルノの前に立つ。そして、チルノの額へと口付けをした。

「?大ちゃん、これ、何か意味あるの?」
「うん、チルノちゃんに元気をあげるためのおまじないだよ」
「あ、あたいは、見ての通り元気よ!大ちゃんから元気をもらう必要なんてないわ!」

 チルノは立ち上がって飛び跳ねる。本人としては自分が元気であると示しているつもりなんだろう。

「そうみたいだね。……じゃあ、チルノちゃんがもっと元気になる為のおまじない」
「もっと?」
「うん、もっと。チルノちゃんが元気になると私も元気になれるんだよ」
「そっか、わかった。あたい、もっと、元気になるわ!」

 元気よく拳を突き上げる。ほとんど霧に覆われている霧の湖だが今だけはチルノの周りだけが晴れているように見える。

「……これで、後は、チルノちゃんが自分で答えを見つけるのを待つだけかな?チルノちゃんには暗いものを背負っていては欲しくないからね」

 大妖精の呟きは誰にも届くことなく空気へと溶けていった。
 彼女の瞳に映っているのはチルノの小さな背中。
 そこに背負われるものは明るいものだけでいい。そのために、少しキツイ言い方をしたのだ。

 不意に、大妖精に背中を向けていたチルノがくるり、と振り返る。

「大ちゃん、あたい、ゆーかの所に行ってくる。あたいが、ゆーかを元気にしてあげないと。……元凶は、あたい、なんだけど、あたいがやるしかないと思うのよ」
「……ぇ?」

 チルノの言葉は大妖精にとって予想外なものだったから言葉に詰まってしまった。彼女は少し日を置いて行くと思っていたのだ。

 ほんの気紛れ。でも、本音の混じった言葉がチルノの背を押してしまったようだ。
 本当に、単純だ。ちょっとした戯れの様な言葉を信じて行動に移すのだから。

「ふふ……」

 自然と小さな笑い声が漏れてしまう。仕方ない、抑えきれないほどに可愛らしい、と思ってしまったのだから。

「だ、大ちゃん、なに、笑ってるの?」
「あ!ううん、なんでもないよ!……頑張ってきてね、チルノちゃん」
「?……大ちゃんがなんで笑ったかはわかんないけど、頑張ってくるわ!」

 元気よくそう言うとチルノは太陽の畑の方へと向けて飛んでいった。

「行ってらっしゃーい!」

 後ろから大妖精の見送りの言葉が聞こえてきたが、既に先のことしか考えていないチルノの耳には届いていなかった。



 幽香は手に着いた泥を落としてゆっくりと立ち上がった。

 彼女の前には小さな向日葵が何本か咲いている。
 それは、チルノが砕いた向日葵の欠片を集めて蘇生させたものだ。砕かれた姿を見て、もう、戻せない、なんて思っていたが、少し取り乱し過ぎていた。
 取りあえず、欠片を集められるだけ集めておこう、と思って集め終わってから気がついた。

 自分らしくない、と思う。いつもならこんなことすぐに気がつくのに……。

 とにかく、後はこのまま自然に任せておけば元の大きさに戻るはずだ。そう思うと、ほっ、と安心の一息が漏れた。
 幽香は手にした傘を開く。陽が高くなり傘を開かなければ陽を避けられなくなったのだ。

「ゆーか……」

 不意に、幽香を呼ぶ声が背後から聞こえてきた。彼女はゆっくりと振り返る。そこには神妙な表情を浮かべたチルノが立っていた。

「貴女、もう、ここには来ないで、と言ったはずでしょう?」

 幽香の声には明らかに殺意が混じっている。一応助かったとはいえ、花を一度でもコロした存在を赦す気は全くない。

「あ……、ごめん、なさい。でも、ちょっとだけ、話を聞いてくれないかしら。そうしたら、すぐに、帰るから」
「……少しだけなら、聞いてあげるわ。でも、私が聞きたくない、と思ったらすぐに追い出すわよ」
「ありがとう」

 チルノは安堵の笑みを浮かべる。
 彼女は大妖精の所から勢いよく出て行ったのは良かったがここに来るまでの間、幽香に言われた言葉を思い出して不安になっていた。会ったらすぐに追い返されてしまうんじゃないだろうか、って。
 だから、幽香の許しをもらえて安心したのだ。彼女に拒絶されてしまえばチルノから出来る事は何もない。

「それで?のこのことここに戻ってきて何の話をするというのかしら?」

 幽香の心の中の拒絶の表れか周囲の向日葵がすべてチルノの方を向いている。チルノはその光景を見て怖い、とは思わなかった。ただ、彼女の中で肥大化した罪悪感が彼女の心を苛む。
 けど、今は立ち止まっているときじゃない。そのために、チルノは実際に一歩だけ前に出た。

「ごめんなさいっ……!ゆーかの大切な花をコロしちゃって。あたいがバカで何にも知らなかったとはいえひどいことをしちゃったわ」

 チルノが深く頭を下げる。大妖精から謝る時はこうするんだと聞いた。
 今まで実際にそうしたことはなかった。それは、彼女の中に反省や後悔といったものがなかったからかもしれない。

「謝れば赦される。……そう、思ってるのかしら?」

 幽香の言葉はひどく冷ややかだった。氷精の体を一瞬強張らせたほどだ。

「……そんなに簡単に赦されるとは思って、ないわ。あたいがしたことはこんなに簡単に赦されていいはずのことじゃないから」

 チルノはゆっくりと顔をあげる。
 幽香の顔を見ているのは怖い。だけど、顔をそらしたくない。

「何かしないといけない、って思ったのよ。何をするのが一番いいのかなんてわかんないけど、それでも逃げちゃダメだ、って思って……」

 チルノの瞳にじわ、と涙が浮かぶ。

「あ、れ……?大ちゃんの、ところで、いっぱい、泣いてきたのに。なんで、なんでっ?あたいのバカっ、こんなときに泣くな!」

 自らを叱咤する。しかし、余計に涙が滲んできて、ついには一滴の雫が流れてしまう。

「ゆーかっ!あたいをぶっ飛ばして!こんなときに涙を流すあたいをぶっ飛ばして!」

 両の瞳から涙を溢れさせながらそんなことを言う。
 チルノはこんなときに泣いてしまう自分が許せなかった。ここに来るまでずっと思っていたのだ。幽香の前では絶対に泣かない、と。

 しかし、実際にはこんなにも早く泣いてしまった。
 だから、そんな自分自身が許せなかった。許せない自分なんかぶっ飛ばされてしまえばいいと思った。

「……」

 突然、自分のことをぶっ飛ばせと言ったチルノを幽香は呆然と見ていた。彼女にとって予想外だったのだろう、その言葉は。

 数秒後、幽香は、はっ、と我に帰る。チルノはいまだに幽香にぶっ飛ばされるのを待ったままだ。
 幽香は傘を下ろしてチルノの方へとゆっくりと歩みよる。チルノはその来るべき時の為に身構える。

「……ぇ?」

 しかし、チルノが予想していたような衝撃は一切なかった。代わりに包むような温かさが彼女の体を覆った。

「妖精風情がそんな表情を浮かべるんじゃないわよ。……赦すしかなくなるじゃない」

 チルノの耳元で囁くように言う。幽香はチルノの前に跪くとそのまま彼女を抱擁したのだ。

「ゆーか、赦して、くれる、の……?」
「今回だけの特別よ。……次に同じことをしたら絶対に赦さないわよ」

 チルノの体を離し、顔を見る。

「うぐっ……、ひぐっ……」
「って、なんで、ここで泣き出すのよ!」

 チルノの様子にあたふたとする幽香。彼女は、こういう相手にどう接すればいいのかわからない。

「だ、だって、ゆーかは、絶対に、赦し、てくれない、と思って、た、から」

 言葉を詰まらせながら不安だった気持ちを暴露する。

「ああ、もう!ほら、泣くんじゃないわよ。これだと、私が貴女のことを苛めてるみたいじゃない」

 幽香は不器用な手つきでチルノの頭を撫でる。幽香の手の動きに合わせてチルノの青色の髪が揺れる。

「ぐずっ……ごめん、ゆーか」
「別に、いいわよ、謝らなくても」

 そう答えながら、チルノを撫でる手は止めない。
 結局、幽香がチルノの頭を撫でる手を止めたのはチルノが泣き止んでからだった。

「もう、大丈夫そうね」

 幽香は立ち上がると膝に着いた土を手で叩いて落とす。花と共に生きる彼女はこれくらいの汚れは大して気にしない。

「ありがと、ゆーか。ゆーかは優しいのね」
「な、何を言ってるのよ!私は、ただ、貴女みたいな弱い妖怪を苛めてる、と思われたくなかっただけよ!」
「?なんで、ゆーかの顔は赤くなってんの?」

 首を傾げて素直に自らの疑問を口にするチルノ。

「赤くなってなんかなってないわよ!」
「でも―――」
「それ以上言うと追い出すわよ」
「……ごめんなさい」

 チルノは俯いて謝る。そして、再び泣きだしそうな雰囲気となってしまう。
 いつもならこの程度で泣き出すようなチルノではないが、今は少し精神が不安定になっているのでちょっとしたことでも泣き出しそうになってしまう。どうやら、チルノにとって罪悪感や後悔、というのはそれだけ重いものだったようだ。

「ああ、ほら、私は怒ってないから泣くんじゃないわよ」

 チルノの様な小さな妖怪と真面目に関わったことのない幽香はあたふたとしてしまう。今の幽香からは大妖怪の気迫は一切感じられない。

「な、泣いてないわよっ」

 目元を拭うとチルノは顔をあげた。しかし、それからすぐに顔を俯かせてしまう。
 何かを考えているようだ。

 チルノの中で考えがまとまったのか顔をあげて幽香の顔を見る。

「……ゆーか、あたい、これからもここに遊びに来てもいい?」

 不安が彼女の顔には浮かんでいた。

「……」

 幽香は何も答えない。品定めをするようにチルノのことを見下ろす。

「今度は、これからは絶対に花を傷つけたりしない。あと、ゆーかが嫌がるようなことも言わない。……でも、あたい、まだゆーかのことよくわかんないから嫌がること言っちゃうかもしれない。そのときは、あたいにちゃんと教えて。次からは絶対に言わないようにするから」

 再びチルノは顔を俯かせてしまう。それだけ、彼女は不安なのだ。まだ、幽香は自分のことを拒絶するんじゃないのだろうか、と。

「……貴女の好きにしなさい。もともと、ここは私の場所じゃないから」

 素直じゃない答えだった。でも、チルノは自分が拒絶されていない、ということがわかった。彼女にとってはそれだけで十分だった。

「ありがとっ、ゆーかっ」

 チルノは勢いよく幽香に抱きついた。

「うわ、いきなり抱きついてくるんじゃないわよ!」

 驚きながらもしっかりとチルノの体を支える。彼女は、なんだかんだ言うが本当は優しいのだ。

「あ、ごめん……」

 申し訳なさそうな表情を浮かべて離れる。

「いや、だから、怒ってるんじゃないわよ」
「ほんと?」

 小さく首を傾げる。目が微妙に潤んでいる。

「本当よ。貴女がいきなり抱きついてくるから驚いただけよ」
「じゃあ、これからも、嬉しい事があったりしたら、ゆーかに抱きついてもいい?」
「それは……」

 うるうるした瞳で幽香は見られる。視線をそらすことは、出来ない。

「……ああ、もう、わかったわよ。特別に許可してあげるわ」

 純粋な瞳を前にして幽香は簡単に折れてしまった。

「ありがと、ゆーかっ!」

 そして、早速飛びつくチルノ。一度拒絶された影響か、出来るだけくっつこうと思っているようだ。

「けど、一つ言っておくわよ。冬には抱きつくんじゃないわよ」

 氷精から漏れる冷気が幽香にそう言わせた。今は夏だから大丈夫だが、流石に冬になれば耐えられそうもない。

「うんっ、わかったわ」

 ぎゅーっ、と幽香を抱きしめながら答える。
 幽香は苦笑を浮かべることしかできなかった。赦されてすぐに飛びついてきたチルノと、チルノの言うことを一つ一つ許してしまう自分自身に対して。

「……そういえば、まだ貴女の名前を聞いてなかったわね」
「あたいは、チルノよ!」
「私の名前は……と、思ったけどチルノは私の名前を知っているのよね」
「うん、かざみ、ゆーか、よね。大ちゃんに教えてもらったわ」

 何故かチルノは嬉しそうな声で言う。何がそんなに嬉しいんだろうか。

「その、大ちゃん、っていうのはチルノの友達、なのかしら」
「うん、大ちゃんはね、あたいにいろんなことを教えてくれるのよ。こうして、ゆーかの所に謝りにこれたのも大ちゃんのおかげなのよ」
「ふーん、そうなの」
「でねっ、でねっ、大ちゃんはね―――」

 チルノは夢中で幽香へと自分の友達の事、自分自身の事を話して行く。幽香はそれに対して相槌を返すことしかできなかったが、チルノはそれで満足なようだった。



 チルノが一方的に幽香に話しかけていただけで陽は傾いてしまった。

 二人はいつの間にか並んで地面に直接座り込んでいた。二人ともお尻が汚れる事は気にしていないようだ。

「―――次はねっ、次はねっ」

 長い時間話して尚、チルノの声は元気だった。チルノの弾むような声は、幽香に赦してもらえた嬉しさと、幽香がちゃんと話を聞いてくれていることへの嬉しさが合わさったものだ。普段の倍の元気はあるだろう。
 しかし、そろそろ、チルノを帰らせなければいけない。夜目の利かない妖精にとって夜は危険が多くなるだろう。

「チルノ、そろそろ、陽が暮れてきたけど、帰った方がいいんじゃないかしら?」
「あっ、ほんとだ。そろそろ、帰らないと」

 そう言って、チルノは立ち上がる。幽香も後に続けて立った。

「ゆーか、明日も行くから、待っててね!」
「私に会いたいのなら貴女の方から私を探しなさい。……まあ、傘をさしておくくらいはしてあげるけど」

 相変わらず幽香の言葉は素直ではない。

「うん、それでもいいよ。あたいにかかればゆーかなんてすぐに見つけられるわ!」

 自信満々に告げる。まだまだ、考え方が幼いチルノは幽香の素直ではない言葉も素直に受け取る。

「とにかく、明日は楽しみにしててよ。あたいが面白いものを持ってきてあげるから。……ばいばいっ、ゆーか!」
「ええ、さようなら」

 チルノは大きく手を振りながら飛び去っていった。幽香は律儀にチルノの背中が見えなくなるまで見送った

「……まさか、妖精なんかと関わることになるとは思わなかったわ」

 誰に言うでもなくひとり呟く。

「…………まあ、時間つぶしにはなるわね」

 それは本音とは違った呟き。
 ひとりになっても素直にはならない幽香だった。



「大ちゃん、ただいまっ」

 辺りが薄暗くなり始めたころ、チルノは霧の湖に戻ってきた。

「おかえり、チルノちゃん。どうだった、……って聞く必要はなさそうだね」

 大妖精は一切曇りのない表情を浮かべているチルノを見てそう言った。

「うんっ、ちゃんと、ゆーかに赦してもらえたわ。それに、ゆーかにいっぱい話を聞いてもらったのよっ」
「そっか、よかったね」

 大妖精は微笑みを浮かべてチルノの頭を撫でる。幽香のそれとは違ってかなり手慣れている。

「チルノちゃん、泣いたりしなかった?」
「な、泣いてなんかないわよ!なんで、あたいが泣く必要なんかあるのよ!」

 必死に大妖精の言葉を否定する。しかし、その行動こそが肯定になっていることにチルノは気付かない。

「ふーん、そっかそっか」

 大妖精は楽しそうにチルノを見る。

「なんで笑うのよー!」

 チルノはがーっ、と怒る。ちょっと顔が赤くなっているので、大妖精に気付かれているのはわかっているようだ。

「ふふ、何でだと思う?」
「……ぬー」

 むくれてしまうチルノ。からかわれている、というのにも気付いているようだ。

「あー、ごめん、もうからかわないから。ほらほら、機嫌悪くしないでよ」

 大妖精は笑いながらチルノを宥める。そうしながら、彼女は安心していた。チルノの中でこの問題はちゃんと解決出来たんだな、と。

「……じゃあ、明日、ゆーかにお土産を持ってくから、それを作るのを手伝って」

 チルノにしてみれば、からかった大妖精に対する罰のようなものと思っていたが、

「うん、当然、手伝わせてもらうよ」

 大妖精にとってはまったくそんなことはなかった。チルノの為に何かをすることが彼女の喜びなのだから。

「……なんで、そんなに嬉しそうなのよー」

 恨めしそうに大妖精を見る。

「言ったでしょ?私はチルノちゃんの為になら何でも、やってあげる、って」
「むー……」

 納得できるような出来ないような、と言った感じだ。そんなチルノの頭を大妖精は撫でる。
 しかし、それだけでチルノは誤魔化されてしまう。

「それで、私は何をすればいいのかな?」
「あ、うん、あたいがゆーかへのお土産を作る所を見ててほしいのよ」
「それだけでいいの?」
「うん、あたいだけだと、ちゃんと完成してるかわかんないから」
「わかった。ちゃぁーんと見てあげるよ」
「うんっ、ありがと、大ちゃん」

 嬉しそうな笑顔。大妖精は一瞬ふらつく。
 彼女はチルノの顔にノックアウト寸前だった。



「うあ、湖から離れると暑いんだね。チルノちゃん、お土産は大丈夫?」
「うん、平気よ!あたいが持ってる限り絶対に壊れたりしないわ!」

 チルノと大妖精が並んで幻想郷の空を飛ぶ。これから幽香の所に行くのだ。チルノはひとりで行くつもりだったようだが、大妖精もついて行く、と言ったのでこのようになった。

 熱い日差しが照りつける。本当はもう少し早めに行くつもりだったのだが、昨日夜遅くまでお土産作りをしていたので朝起きるのが遅くなってしまったのだ。
 だから、彼女たちの飛ぶ速度は約束の時間を守る為に急ぐかのように早い。いつ会いに行くかは決めていないはずなのに。

 と、彼女たちの前に太陽の畑が見えてきた。飛ぶ速度を落として向日葵畑の中を見ながら幽香の姿を探す。

 しかし、思ったよりもすぐに見つかったようだ。

 チルノはあるものを見ると一目散に向かって行った。黄色の中、ただ唯一ピンク色が咲いている場所に。

「ゆーかっ、約束通り遊びに来たわよ!」

 幽香の前にしゅたっ、と着地する。

「昨日の場所で待っててくれたのね」
「……散歩をしてたら偶然あなたが来ただけよ」

 幽香の言葉は嘘だった。ずっとここにいたわけではないがこの日のうちに何度もここを通っていた。

「チルノちゃん、早いよ」

 突然、飛ぶ速度を上げたチルノに置いていかれていた大妖精が追い付く。

「あ、こんにちは、幽香さん」

 幽香へと丁寧に挨拶をする。彼女は妖精以外と話をするときは丁寧な話し方となるのだ。

「……貴女は、チルノが話していた大妖精、かしら?」

 地面に降りてきた大妖精を見る。

「はい、そうですよ。やっぱり、チルノちゃんは私のことを話してたんですね」

 そう言って、嬉しそうに顔を綻ばせる。チルノの口から自分のことが出ていたことがよっぽど嬉しいようだ。

「ええ、チルノからは色々と聞かせてもらったわ。この子の良いお姉さんみたいね」
「ありがとうございます。でも、私が目指してるのはもっと別のものですよ。……ふふふ」
「?大ちゃん、なんで笑ってるの?」

 チルノも幽香も大妖精の様子に首を傾げる。ただ、幽香には疑問だけでなく困惑もあった。チルノから聞いていたのとは違う印象を受けたからだ。純粋なチルノでは気付かない部分に気付いた、ということだ。

「なんでもないよ、チルノちゃん。それよりも、お土産、渡すんでしょ?」

 いつも通りの表情に戻ると、そう言う。

「うんっ。ゆーか、これ昨日あたいが作ったのよっ」

 そう言って幽香に見せたのは氷で出来た向日葵。造りはそれなりに精巧で本物の向日葵がそのまま氷になってしまったようにも見える。

 それが、チルノが大妖精に手伝ってもらって作ったものだ。これを作り上げるまでにいくつもの失敗作が生まれた。霧の湖の一角には小さな氷の花畑が出来ている。

「すごく、綺麗ね。でも、そのままだとすぐに溶けてしまうんじゃないかしら?」
「大丈夫よ。大ちゃんが力の使い方を教えてくれたからそう簡単には溶けないわ」

 言われて幽香は氷が霊力を帯びていることに気付く。それを確認してチルノの言葉に頷いた。

「確かにそうみたいね。それでも、三日持てばいい方じゃないかしら?」

 いくら霊力が宿っているとはいえ、チルノは妖精。そこに込められる霊力も微弱なものだ。だから、普通の氷よりも長くもつ、程度にしかもたない。

「そうならないように、あたいは毎日でもゆーかの所に行くわっ!」
「えっ!チルノちゃん、私にはもう会いに来てくれないのっ?!」

 大妖精が悲痛な面持ちで真っ先に反応を返した。

「大ちゃんとも、ちゃんと毎日会うわよ?」
「ほぅ、よかった。チルノちゃんに見捨てられちゃったのかと思っちゃった」

 大妖精は胸を撫で下ろす。本気で心配していたようだ。

「大ちゃんもあたいの大切な友達なんだから見捨てたりなんかしないわよ」
「私はチルノちゃんのことを友達以上だと思ってるよ!」

 そうして、チルノに抱きついた。しかし、チルノがまだ氷の向日葵を持ってるのでそんなに力は込められていない。
 幽香は今までのやり取りの間、ずっと蚊帳の外だった。

「ねえ、ゆーか、友達以上、ってなに?」

 それに気付いたどうか定かではないがチルノが幽香に問いかける。

「さあ、親友とかじゃないかしら?」

 人間や他の妖怪とほとんど付き合ったことのない幽香は友達以上、と言われてもよく解らなかった。友達よりも親友の方が上、そんな感覚しかない。
 逆にチルノは感覚を持ってはいてもそれを表す言葉を知らなかった。

「親友?……そっか、親友、って言うのね。うん、あたいも大ちゃんのこと親友だと思ってるわ」

 嬉しそうに言った。今まで感じていただけだった感覚を的確に表す言葉を知って嬉しいのだろう。

「チルノちゃんっ、その言葉はすごく嬉しいけど、私がチルノちゃんに抱いてるのとは違うものなんだよっ」

 大妖精は一度チルノから離れて彼女の顔を見るとそう言った。嬉しさ半分、哀しさ半分といった感じだった。
 チルノも幽香も大妖精が哀しむ理由が分からず首を傾げていた。

「あっ、大ちゃんだけじゃなくてゆーかもあたいの親友よ」
「っ!」

 チルノの眩しい笑顔を見て幽香は顔を赤くして、視線を逸らす。

「わ、私は別に、そんなふうには思ってないわよ。でも、貴女が私のことをどう思おうと勝手なことよ」
「照れてるの?」
「照れてないわよっ!」

 幽香は照れ隠しをするかのようにチルノ達に背中を向ける。
 しかし、チルノはそれを自分の言葉を嫌がったのだと勘違いした。

「あ……、ゆーか、ごめん。あたい、ゆーかが嫌がること言っちゃった?」

 悲しげな表情を浮かべながらもチルノは幽香を気遣う。

「あ、いや、別にチルノは悪くないのよ」
「……じゃあ、なんで親友じゃない、なんて言うの?……そっか、昨日、あたいがあんなことしたから当たり前よね」

 チルノは自虐的に言う。幽香はもう赦しているのだが、チルノ自身はまだまだ引きずっているようだ。
 隣の大妖精は責めるように幽香を見る。いたたまれなくなった幽香はチルノの方を向いて言う。

「そうじゃないわよ!あ、あれよ、昨日、会ったばかりなのに親友、だなんておかしいでしょう?ま、まずは、友達からよ」

 友達、と言う言葉を自分から言うことに慣れていないのか恥ずかしそうだ。

「友達?……うんっ、そうよね。まずは、友達からよねっ」

 幽香へと向けてチルノは花咲くような笑顔を浮かべる。親友ではなく友達として認められたのでも彼女は十分嬉しいらしい。

「幽香さん、素直じゃないんですね」
「何がよ」

 大妖精へと鋭い視線を向ける。しかし、大妖精は全く動じない。
 これから飛ぶのが弾の弾幕、ではなく、言葉の弾幕だということがわかっているからだろう。

 大妖精は二つの指を立てる。

「主には二つですね。ひとつは本当はチルノちゃんが来るのを待っていたのに偶然だと言ったこと、もうひとつはチルノちゃんに親友だと言われて本当は嬉しかったのにそれを否定したということです」
「どういう根拠でそう思ってるのかしら?」

 幽香の口調は落ち着いたものだったが、その内心は少しばかり動揺している。それは、大妖精の言葉が図星だったからだ。

「そうですね。私の勘がそう言っている、というのが一番の理由なんですけれど、それでは納得できませんよね」
「当り前よ。私も十分に納得できるように説明してほしいわね」
「あたいも、あたいも」

 今まで二人の会話に入ることのできていなかったチルノは当然のように疑問を持つ。それに、彼女は幽香がどんな考えの持ち主なのかも知りたい、と思っている。だから、二人を見る目は真剣だ。
 幽香は居づらいことこの上ないが逃げる事も脅しをかけて黙らせる事も出来ない。今この状況でそれらのことをする、と言う事は大妖精の言ったことを認めることに他ならないからだ。

「では、一つ目の理由です。幽香さんが昨日、チルノちゃんに会ったのと同じ場所にいた、ということです」
「だから、それは、偶然だと言ったでしょう?」
「はい、確かに言っていましたね。でも、このとても広い太陽の畑の中で偶然に昨日と同じ場所に来ることがあるんでしょうか」
「現にこうして私は来ているでしょう?」
「下手な嘘ですね。嘘を付くのでしたらここを散歩の道にしている、とでも言えばよかったんじゃないですか?」
「……あ」
「はい、今、幽香さんは私の言葉を認めました」

 幽香の漏らした声を聞いた瞬間、大妖精はそう言った。

「な、なんでよ!今、私がどうやって貴女の言ったことを認めた、っていうのよ」
「今、幽香さんが漏らした声は、『ああやって、嘘を付いておけばよかった』、っていう後悔の声じゃなかったんですか?」
「そんなこと、思ってないわ」
「まあ、私は相手の心を読むなんて芸当はできませんからそうじゃない、と言うこともあるでしょう。けど、幽香さんが声を漏らした、という事実はあります。そして、その事実は幽香さんが私の言葉を聞いて何らかの動揺を受けた、ということを表しています」
「そ、そんなの、言いがかりよ」
「じゃあ、幽香さんの声はなんで動揺してるんですか?言いがかりだと思うならもっとはっきりと言って下さい」
「……ぅぐ」

 とうとう幽香は大妖精に言い返せなくなった。普段は口先でも負ける事のない彼女だが、今回は今までとは事情が違った。彼女は大妖精に自らの弱みを見られてしまっているのだ。そんな状態で口だけで勝つのはかなり難しい。

「はい、では、私の言ったこと、認めてくれましたね?」
「……」

 幽香が完全に認めているとわかって確認を取るのだからあくどい。幽香も何も言えないでいる。

「では、二つ目の幽香さんはチルノちゃんに親友だと言われて本当は嬉しかった、ということ。こっちはほとんど私の勘なんですよね。でも、だからと言って証拠がないわけじゃないですよ?」
「……そんなに勿体ぶらなくていいから早く言いなさい」

 幽香の声に力があまり込められていない。反論するだけの気力と言葉が残されていない、ということなのだろう。

「幽香さんは、チルノちゃんに親友だ、と言われた時顔を逸らしていましたよね。何でですか?」

 ゆっくりといたぶっていくように言葉を紡いでいく。大妖怪が妖精に追い詰められていく、という幻想郷でも珍しい光景が出来ている。

「それは…………」

 幽香はそのまま沈黙してしまう。大妖精とチルノが続きの言葉を待つ。

 しかし、幽香は何も答えることなく二人から視線をそらしてしまう。
 そんな幽香へと大妖精が近づき、耳元で囁くように言った。

「逃げましたね?言い訳も何もせずに」
「ああ、もう!なんなのよ、貴女は!」

 ぶおんっ!幽香の傘が空を切った。当てるつもりがない、というのがわかっていたのか大妖精はその場から少しも動いていなかった。

「ふふ、優しいんですね、幽香さん」

 楽しそうに笑う。大妖精からは余裕が滲み出ている。対して、幽香からは大妖怪特有の余裕さが一切感じられない。

「優しくなんてないわよ!ただ、チルノの目の前で友達である貴女を傷つけたくなかっただけよ。二人っきりなら確実に貴女に当ててたわよ」
「ふーん、チルノちゃんのことは大切にしてるんですね」
「な、何を言ってるのよ!」

 ぶおんっ!再び、傘が空を切る。

 大妖精は後ろに下がった。そうしていなければ傘は彼女に直撃していたことだろう。

「あ、危ない!危ないですよ、幽香さん!照れながら傘を振り回さないでください!」
「照れてなんかいないわよ!」

 がーっ、と怒ったように言う。そこに大妖怪らしさは微塵も感じられない。

「じっくりと観察するにはいろいろ危険ですけど、こうして見ると幽香さん、って可愛いですね」

 これ以上挑発するのは危険だとわかっていても大妖精はやめない。死を恐れていないからこそそういったことが出来る。

「―――っ」

 幽香は言葉にならない声をあげて、顔を赤くしたまま弾幕を放った。と言っても、昨日チルノを追い払うときに使った即死級の弾幕ではなく通常弾だ。よほど当たり所が悪くなければ死ぬことはない。
 とはいっても、当たれば痛いことに変わりはない。

「ちょ、ちょっと、なんで弾幕を撃ってくるんですか!」

 大妖精は必死になって弾幕を避ける。ただし、それは大妖精の実力によって避けられているわけではない。多少、大妖精の実力も絡んできてはいるか、大体は幽香が手加減をしているから避けられるのだ。
 しかし、大妖精を思って手加減しているわけではない。幽香は大妖精に本気で弾幕を当てる気でいる。彼女が手加減をしているのは、チルノと周辺の向日葵たちに弾幕をぶつけないためだ。

「ゆーかも大ちゃんもケンカしちゃダメよっ!」

 今まで、二人を見ているだけだったチルノが両者の間に割って入った。幽香は、チルノがこちらに向けて走ってきているのに気がついた時点で弾幕を撃つのをやめていた。

「チルノちゃん、は、今のが、喧嘩に、見えた、の?私、一方的に、攻撃、されてた、だけ、だよ?」

 大妖精は息を整えながら話しているので言葉が切れ切れになっている。チルノは氷の向日葵と共に大妖精の方に向く。

「あたいはよくわかんなかったけど、大ちゃんは幽香が嫌がるようなこと言ってたわ」
「あれは、幽香さんが素直じゃないから、素直にしてあげよう、って思って言ってあげたことだよ?別に、嫌がらせをしてるわけじゃ……」
「でも、ゆーかは嫌がってるみたいだった」
「はいはい、私が悪いんだよね」

 チルノの問答無用な言葉の前に適当な感じに認めた。たぶん、本気で認めているわけではないだろう。しかし、単純なチルノが気がつくことはない。

「うん、それでいいわ。……あと、ゆーかもすぐに手を出したらダメよ。ちゃんと口で言わないと」

 くるっ、と半回転して今度は幽香の方を見た。

「……わかったわよ」

 幽香もしぶしぶと頷いた。

「うんうん、二人とも素直でいいわね」

 チルノが一人満足そうに頷いていた。氷の向日葵はなんだか楽しそうに輝いている。

「……そういえば、貴女が持ってきたその向日葵、どこに植えておくのかしら?」

 今までの蒸し返される前に幽香が話題を変える。

「ゆーかにあげるお土産だからゆーかが決めてよ」
「そう言われても困るわね」

 幽香は周りを見渡してみるが、これと言った場所はなかった。どこでもいい、とも言う。

 チルノも植えるのにちょうどよさそうな場所を探しているのか首をきょろきょろと動かす。
 と、ある一点を見て、チルノは止まった。幽香も大妖精もどうしたのだろうか、と思い、チルノの視線の先を見る、
 そこに、あるのは小さな向日葵達。チルノが一度砕いてしまった命達。

「あれは?」

 チルノの小さな手が小さな向日葵を指差した。

「あれは……」

 幽香は言葉に詰まってしまう。チルノが昨日のことをとても気にしているのがわかっているからだ。
 けど、考えてみれば黙っているよりは話してしまった方がいいのかもしれない。完全ではないけれど、チルノがコロした花たちは生き返ったのだ、と。

「あれは、チルノが一度コロしてしまった花達よ」
「あ……、そう、なんだ」

 しんみりとした様子よなる。けど、その表情はすぐに見えなくなった。

「じゃあ、あそこにするわ。良い出来事じゃなかったけど、ゆーかに会うきっかけになったものがあるから」

 チルノは、小さな向日葵達の前に近づいていく。

「ゆーか、ちょっと、持ってて」

 幽香は言われて反射的に氷の向日葵を受け取った。予想以上の冷気が手を覆った。
 ずっと持っていれば大妖怪といえども凍傷を負ってしまいそうだ。
 しかし、幽香はそんなことは一言も口にしない。短時間であれば耐えられるし、何よりも他人に心配を掛けられたくなかった。

 チルノは、幽香のそんな心情には気付かない。ゆっくりと地面に膝をつき、手のひらに先の尖った氷を出す。その氷でもって穴を掘った。

「ゆーか、ありがと」

 チルノの腕が入るほどの穴を掘ると幽香から向日葵を受け取る。その茎をチルノが掘った穴に入れると、茎の部分を埋めた。

「よしっ、できたわっ」

 頬に土がついているがまったく気にしていない様子だ。満足げな笑顔を浮かべている。

「チルノ、頬に土がついてるわよ」

 そう言いながらスカートのポケットからハンカチを取り出して土を拭った。

「ありがと、ゆーか」
「別に、気にするほどのことでもないわよ」

 素直なチルノに、素直じゃない幽香。

「あ!幽香さん、それは私の役目です!」

 そして、チルノとくっつこうとする大妖精。

 彼女たちを見て、小さな向日葵が揺れ、氷の向日葵が輝いていた。


Fin



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