誰にだって幸せというものはあるだろう。
私にとっての幸せは少々騒がしくとも穏やかな日常がある事。
それから、私にとっての最高の居場所があるという事。
そのどちらもがある事に気付いている私はとても幸せなのだろう。
幻想郷の中心となっている博麗神社。位置としては東の端だけど、多くの妖怪が度々訪れるという意味では中心といっても間違いではないはずだ。
私もそんな多くの妖怪の内の一人だ。今日もまた、賽銭箱の前に座る霊夢の横に座ってお茶を飲んでいる。
多くの妖怪が訪れるという事はそれだけ情報が集まるという事でもあるし、何よりなんとなくここの居心地の良さに引き寄せられる。おそらく多くの妖怪の大半もそういった理由でここに来るのかもしれない。
「――昨日、神奈子様たちと一緒にお饅頭を食べようと思っていたのに、諏訪子様ったら一人で勝手に食べてたんですよ。ヒドいと思いませんかっ?」
けど、今日の私以外の訪問者は人間だった。とはいえ、妖怪と渡り合えるだけの力は持っているから人間の中でも特別な存在なんだけれど。神の力を持ってるだとかなんだとか。
その特別な人間である早苗は霊夢を挟んで反対側に座り、私をいないかのように扱って霊夢に途切れなく喋りかけている。本当に何をそれだけ喋ることがあるのだろうかというくらいにひっきりなしだ。喋る事そのものを楽しんでいるのかもしれない。
同じ巫女だからなのか、やけに懐いているようなのだ。霊夢はつまらなさそうにしているけど。
私はお茶を飲みながらその様子を横目で眺める。楽しそうにしているから、話の内容が頭に入ってこなくとも聞いていて心地は良い。静かすぎるよりは少々騒がしいくらいの方が私好みだ。
と、妙な感覚がある事に気付く。五感によるものではない。第六感は少々語弊がある。ぼんやりとだけど視えているのだから。
これは、誰かの運命が弄られている時に感じるものだ。最近は運命を操るほどの事がなかったから、すっかり忘れかけていた感覚だ。
けど、一体誰がこんな事をしようとしているのだろうか。
その元凶を探ろうと意識を集中させようとしていると、
「お?」
飲み終えて空になった湯呑みにお茶を注いでいた霊夢が驚き混じりの声を漏らした。それを聞き取った早苗は喋るのを中断させて霊夢の顔を覗き込む。
「どうかしましたか?」
「ん、ほら、茶柱が立ってたから珍しいと思ってね」
「おおっ、ほんとですねっ。きっといいことがありますよ!」
「参拝客が増えるといいなぁ」
「それは単に霊夢さんの努力が足りないだけです。掃除だけ頑張っても、ちゃんと里に行って宣伝しないと無意味ですよ」
「じゃあ、私の代わりに宣伝を頑張ってくれる人が出てくると良いなぁ。……あ」
微かに妖力を放つ、指先で潰せそうな毛玉が霊夢の背中に付いているのを見つけたので摘まみ上げてみると、霊夢の運命の向きが変わった。おそらくは元の方向に戻ったのだろう。弄られる前にどこを向いていたかを視てないから、確かにそうだとは言えないけど。
「あー、沈んじゃいましたね。霊夢さんが怠惰な発言を繰り返すので幸運も逃げちゃったんでしょう。もしもこれが原因で神社が潰れちゃったりしたら、私と共に神奈子様たちを信仰しましょう。全霊で」
「冗談じゃないわよ」
二人の会話を尻目に、私の運命を弄ろうと奮闘している毛玉を突いてみる。じっと眺めてみると、中心に核のようなものがあるのが見える。
大した力は持ってないみたいね。まあ、そもそも私みたいに運命操作に対して耐性がある方が稀なんでしょうけど。
「で、あんたは何してんの?」
「霊夢の運命を操ってる輩がいたから捕まえてみたのよ。たぶん、これが茶柱の原因じゃないかしらね」
二人の視線の前まで手を上げる。
霊夢はぼんやりとした様子で見て、早苗はじっと見据えるように観察している。
「毛玉?」
「もしかして、これってケサランパサランじゃないですかっ?」
首を傾げる霊夢と目を輝かせる早苗。
私の姿を初めて見た時もやけに瞳をきらきらとさせていたのを思い出す。あの時は色々と面倒くさかった。
今回の標的は私じゃないみたいだから、そこまで面倒な事にはならないと思うけど。
「何よ、それ」
私は初めて聞く言葉に首を傾げる。霊夢も首を傾げたまま早苗の方へと視線を向ける。
「知らないんですか? ケサランパサラン。幸せを呼ぶと言われる妖怪ですよ」
「へぇ、聞いたことがあるような気はするわね」
「ふーん、そういうのがいるのね。意志は全然感じられないけど」
軽く揺すってみても反応はなく、揺れに合わせて毛先を揺するだけ。とにかく触れた者の運命を弄ろうとしているだけで、無機的な印象が強い。
見かけが地味なだけに、似たような力を持ったアンティークの傍に並べれば埋もれてしまいそうだ。
「レミリアさん、なんだか食いつきが悪いですね。こういうのに興味ないんですか? 幸せになりたくないんですか?」
「こっちに来てからは十分に幸せよ? それに、この程度の力じゃ私を幸せにするには全然足りないわね。そもそも、こういうのに幸せにして貰いたいとも思わないし」
他者に頼り切りで幸せになるというのは、押し付けられたようで気に食わない。少々面倒くさくとも自分で手に入れなければ意味がないと思う。
そろそろ毛玉が無駄な努力をしているのを見ているのが不憫になってきたので指を放す。個人的に恨みがあるならともかく、興味もない対象がそうしている姿を見て楽しむような趣味は持ち合わせていない。
「あっ!」「あっ」
二人の声が重なる。けど、小さな毛玉は風に逆らう事もなく流されていく。
見かけ通りよく飛んでいくわねぇ、なんて暢気に眺めていると、毛玉は不自然な位置で止まった。
「なんてことしてるんですか!」
立ち上がった早苗が詰め寄ってくる。眉を寄せて、怒りの表情を浮かべている。
毛玉は早苗の傍まで戻ってくると、その場でふわふわと浮かぶ。早苗が周囲に風を起こして捕らえているのだろう。
「そんなにいきり立つことないじゃない」
「こんな行動に怒らずしてどんな行動に怒れっていうんですか!」
なおも突っかかってくる。面倒くさいわねぇ。
「神が傍にいる貴女には無用の長物だと思うのだけれど」
神の加護も運命操作の一種だ。だから、その運命を弄るには同程度以上の力が必要となる。あの小さな毛玉では少し揺らがせるくらいが関の山だろう。日常の中に埋もれてしまうくらい本当に些細な変化しかないはずだ。
私でもそれくらいの事しかできないと思う。ずっと傍にいて、運命の向きを変え続けていれば、逸脱させられるかもしれないけど。
「関係ないですよ! 私は傍に飾っておきたいんです。あるかもしれない。けど、周りはないと信じていた。そんなものを見つけたときの興奮と一緒に」
そういえば、早苗は幻想を忘れ去っていっている外の世界の中で暮らしていたのよね。なら、そういった思いを抱くのも必然と言えるかもしれないわね。
「ふーん」
とはいえ、興味がないのでそんな淡泊な反応となってしまう。お互い、霊夢という共通の知り合いがいるだけだから当然といえば当然だけど。
「なんですかその反応。まあ、いいです。夢にまで見ていたケサランパサランを見つけることができて機嫌がいいので許してあげましょう」
「そ、ありがと」
「なんだか気に障る言い方ですね」
「あんまり感謝の気持ちもないからねぇ」
「生意気ですね」
「自分の気持ちを隠して誰にも彼にも媚びるっていうのは面倒だとは思わないかしら?」
「まあ、それはそうかもしれませんね。こちらも本意を探るのは面倒くさいですし」
「そ、お互い利益があるんなら文句はないんじゃない?」
「む……、煙に巻かれたような気がしますが……、まあいいでしょう。これ以上は時間のムダですし」
そう言って早苗はこちらに背を向ける。早く自分の神社に帰って、保管したいのだろう。あんなに小さな物、下手するとすぐになくしてしまうでしょうし。
まさに、幸せは気が付けばなくなってしまっているという事かしら?
「では、霊夢さん。今日はもう帰りますね!」
霊夢にだけしっかりと声をかけて足を動かそうとしたが、
「ちょっと待ちなさい。なんで勝手にあんたの物になってるのよ」
早苗の足を拘束するように結界が現れた。私たちが話している間に仕掛けたようだ。
あれってあんな使い方もできたのね。囲うだけしかできないと思っていた。
霊夢は立ち上がり、足を動かすことのできない早苗の正面に立つ。
「私は霊夢さんを救いたいんですよ! 信仰の足りない神様の神社にいる巫女なんて奇跡の類に翻弄されるだけなんですから!」
表情は見えないけど、声の調子から必死になっているのが伝わってくる。どうしても渡したくないんだろう。
「嘘をつくんじゃないわよ」
「嘘は言ってませんよ!」
確かに嘘は言ってない。どの程度まで運命を捻じ曲げられるかは分からないけど、霊夢ではちょっとした運命操作にも抗えないだろう。
ああいった類は大抵、失ったその時に反動が来るものだ。中途半端だから運命操作の結果を刻む事ができない。木の枝をしならせる事はできるかもしれないけど、力を抜いた途端に元の形に戻ってしまう。
けど、今までの発言だけを参考にしたら胡散臭いとは思うわよね。私には関係ないから黙って見てるけど。
「霊夢さんも見ましたよね! レミリアさんがケサランパサランを摘まみ上げた途端に茶柱が沈んでいくのを」
「ええ、見たわよ。でも、結界で囲んでおけば絶対に逃げられないわよ」
霊夢もあの毛玉の本質には気付いているようだ。
絶対とまではいかなくとも、結界で封じれば逃げられる事もないと思う。けど、運命を弄る事のできる相手にそんな方法が有効なのかしらね。
まあ、そもそも運命を弄った後に逃げていくかもわからない存在なのだけれど。ただ、あの姿は逃げるためのものとしか思えないからその可能性は高そうだ。
「それに、ケサランパサランの効果を受けるには、一年に二回以上見てはいけない、他人に持っていることを伝えてはいけないなどの制約があるんですよ!」
「そう。でも、結界で覆ってもそれほど場所は取らないだろうから、確信が持てるまで私が持っておくわ」
「白粉を餌としてあげたら増えるんです。ですから、増えた暁には分けてあげますから!」
「なら、私のところで増やせばいいじゃない」
「うぐぐ……」
どうやら早苗は押されつつあるようだ。弾幕と同様に霊夢はまともに言い合って勝てるような存在ではないのだ。ひらりひらりとかわしてしまう。言い合いに関しては、勢いで押し切ればどうにかなるみたいだけど。
とはいえ、その場から動く事のできない早苗は言葉くらいしか使えるものがない。あんまり下手に暴れるとあの毛玉もどこかに行っちゃうでしょうし。
このまま負けそうねぇ、と思いながらお茶を飲んでいると、早苗は足に力を込めて逃げだそうとし始めた。当然だけど、縫い止められたように足は動かない。
「けどっ、私の熱意は、誰にも、負けはしませんっ」
すでに説得は諦めているようだった。人間が力技でどうにかできるものだとは思えないから、心が折れるか体力が尽きるまではこのやり取りが続きそうね。
と、鎮守の森の方から気配を感じた。視線を向けてみると、一匹の妖怪兎がこちら、というか早苗と霊夢の方を見ているのを見付けた。
確かあれは永遠亭のてゐだったかしらね。悪戯好きで有名な。
何をしているんだろうかと眺めていると、向こうもこちらへと視線を向けてきた。そして、口の前で人差し指を立てる。
何を企んでるかは知らないけど、どうでもいいから放っておく。その視線から誰を狙っているかも大体分かるし。
ずっと眺めていても仕方ないから、二人の方へと視線を戻す。
「無駄なことせずに、さっさと諦めた方が賢明なんじゃない?」
「霊夢さんなんかに、負けま、せん……っ!」
今もまだ早苗は結界から抜け出そうと奮闘してる。ただ最初ほどの力強さはなく、疲労が出てきているのは明らかだ。
早苗の頭で半分くらい隠れてしまっているけど、霊夢が薄笑いを浮かべているのが見える。あれは、完全に苛めるのを楽しんでる表情ねぇ。
霊夢は早苗に意識を向けていて毛玉の方には見向きもしていない。てゐの存在にも気付いていないようだ。
早苗も結界の方に意識が向いていてしまって毛玉を捕らえる風の管理がおざなりになってしまっている。少し早苗の意図とは違った風が吹いただけで大きく揺れているから、もう少し強い風が吹いてくればそちらに流されていってしまうだろう。
その時を狙っていたかのように運命の向きが変わる。
「わっ」
一際強い風が吹いてきて、早苗が驚きの声をあげる。風の制御を手放してしまったのか、それとも単純に強い風に押し負けたのか、毛玉が早苗の作り出した風の束縛から解き放たれる。
てゐは森の中から飛び出し、風に流されてきた毛玉を危なげもなく掴み取る。それから、私の方を見ると親指を立てて森の中へと飛び込んだ。
かなり余裕そうねぇ。まあ、まだ二人とも毛玉が飛ばされて行った事に気付いてないからこそでしょうけど。
「ああっ! ケサランパサランがいなくなってる!」
いち早く気付いたのは早苗だった。けど、てゐの姿はもうすでに見えなくなっているからもう遅い。いくら探しても見付からないだろう。
「レミリアさん! なんてことしてくれるんですかっ!」
足が動かないので腰を捻ってこちらに顔を向ける。よくあんな体勢で声が出せるわね。
「今度は何もしてないわよ?」
「それこそが罪ですよ!」
罪かどうかはともかく、早苗が責める点としては間違ってない。てゐがいる事を黙っていたのだし。
それにしても、幸運を操る事ができるのになんだってあんなものを狙ってたのかしらね。どこかから幸運を供給する必要があるのか、もしくは単純にコレクター気質でもあるのか。
私の運命視ではなんとも言えない。誰かが幸運を掴めば、誰かが不運を掴むといった感じの全体の流れは視えないから。近く狭くしか視えないといったふうに私の力は近視眼的なのだ。
「って、聞いてますかっ?」
「大丈夫よ、ちゃんと聞いてないから」
「聞いてください!」
面倒くさいので何も答えずお茶を飲む。淹れたばかりの時の味を知っているだけに、冷めてしまってはあまり美味しいとは感じられない。
「はあ、無駄に終わったわね」
早苗の相手をする理由がなくなった霊夢がこちらに振り返って戻ってこようとする。
「あ、ちょっと、霊夢さん! 結界をそのままにしないでくださいっ!」
「ああ、そういえば。はい」
その声と同時に早苗を拘束していた結界が消える。意識せず拘束されていた足を支えにしていたのか、あっさりと転んでしまう。割と痛そうな音が聞こえてきた。
「いたた……、まったく散々ね」
愚痴をこぼしながら立ち上がり、服についた土を払い落としている。最近は晴れ続きで、地面が酷い状態になっていないというのがせめてもの救いだろうか。
「そんなあなたにお勧め、幸せ賽銭箱!」
この時を待っていたと言わんばかりに鳥居の向こう側から、両手で持てる程度の小さな賽銭箱を首から提げたてゐが飛び出してくる。いや、実際待ってたんでしょうねぇ。
とはいえ、運命を弄ってまでするような悪戯なのかという疑問はある。それに、早苗が転んだのも誰かが仕組んだものというわけではない。
「最近ついてない。なんだか運が悪い。何をしてもうまくいかない。そんなふうに思っていませんか? でも大丈夫。この賽銭箱にお金を入れてくれれば今すぐにあなたの運はぐんぐん急上昇! さあさあ、私に出会えた幸運を倍に、いや三倍、四倍に増やしませんか?」
綺麗すぎるくらいの満面の笑みを浮かべてそう言った。黙っていれば世間知らずくらいは騙せそうだけど、口上のせいで胡散臭さしか感じられない。
「ものっすごく胡散臭いです」
早苗も同じ感想を抱いているようだ。霊夢は興味がないのか、私の隣に座り直してからは時折湯呑みを傾けているだけだ。
「いやいや、今日はいつもよりも運気が集まってるから大盤振る舞いするよ? 今日はこんなものを見つけて気分もいいし」
「あー! それは!」
早苗が素っ頓狂な声を上げる。その視線の先には、先ほど飛んで行った毛玉の偽物があった。本物は腰の辺りにあり、相変わらず運命を弄ろうとしているようだ。結果は一切伴っていない。
けど、てゐの手にあるそれも微かに妖力を放っているから、妖力に敏感なだけでは見抜くのは難しいかもしれない。
なんなんだろうか、あれは。
「今なら、お賽銭を入れてくれればおまけにこれもあげちゃうよ」
「それは私のものです! 返してください!」
そんな事を言いながら飛びつく。胡散臭さも興味の前では忘れ去られてしまうようだ。
それより、いつ早苗のものになったのやら。
「なんでそう言い切れるの?」
「さっきまで私の傍にあったからです」
「そうなの? でも、これはそれとは違うと思うよ。竹林で見つけたものだから」
「む、そうなんですか?」
「そうそう」
早苗は不審に思いながらも、論破するための言葉が見つからずに納得しかけている。なんにせよ、てゐの手にあるものが求めているものと違うという事に気付かなければ早苗の負けは確定なんだけど。
「それよりもどうするの? 早く決めてくれないなら、人里の方で欲しがってくれそうな人を探しに行くよ?」
悩んでいるところへと揺さぶりをかける。言葉だけではなく、実際にこの場から去ろうとして、行動でもそういった意志があるのだと見せかけている。
「ああっ、待ってください! ……わかりました。全く全然これっぽちも信じられませんので、弾幕ごっこでどちらが正しいか決めましょう!」
早苗の周囲で風が渦巻き、一部はてゐの方へと吹き抜けている。完全に臨戦態勢に入っている。少しでも怪しげな行動を取れば、それが合図となり弾幕が解き放たれるだろう。
「えー、弱いものいじめ反対ー」
対して、てゐは余裕の表情を浮かべて飄々としている。応戦しようという意志も感じられない。
まあ、結末は大体読めた。
「問答無用です! ――あっ!」
一際強い風を放った途端、てゐの指が摘まんでいた毛玉は飛んで行ってしまった。空の青に溶け込んだか、庇に隠れてしまったかして姿を確認する事はできない。
「あーあ、飛んでっちゃったねぇ」
てゐがわざとらしくそう言いながら背後を振り返る。
「なに暢気なこと言ってるんですかっ! 霊夢さん、今日はこれで失礼させてもらいますね!」
今度は自分で飛ばしたせいで方向が分かっているからか、全力で鳥居の向こう側へと飛んで行った。すぐにその姿は小さくなってしまう。
うん、やっぱり思った通りの流れになったわね。
てゐは上手く騙せた事に気分をよくしているのか、笑い声をあげている。
「そういえば、霊夢はあの毛玉に執着してないみたいだけど、もういいの?」
「早苗を苛めてたらなんだかどうでもよくなったわ」
「ああそう」
何にも捕らわれない態度は実に霊夢らしい。私の力で運命を操っても、気が付けば元の方向に戻ってしまっているのではないだろうか。
まあ、弄るつもりもないからどうだっていいんだけど。
「それに、早苗みたいなのにまた絡まれるかもしれないと思うと面倒だなぁって。やっぱり、自力で頑張るのが一番よね」
「言ってる事は間違ってないけど、似合わなさすぎるわ」
頑張ったって言っても、三日坊主で終わらせている事が多い。もともと力があるからもったいないとは思うけど、できれば頑張らないで欲しい。
霊夢が努力してまともな参拝客が頻繁に来るとなると居心地が悪くなるだろう。人里の人間が全て気後れなく妖怪と接する事ができるとは思わないから。
「何よ、それ」
「貴女には努力が似合わないって事」
「む、私だってやるときはやるわよ」
「やる時はね。けど、それは一時のものじゃない」
「むむ……」
ちゃんと心当たりはあるようで、そこで黙ってしまう。そうそう勢いで押し切るだけじゃなくて、非を指摘するのも割りと効果的だったりするのよね。
それは、自分の力がどの程度なのか理解しているという事なんだろう。
「あー、私はあんたが羨ましいわ。運命が操れるんなら、なんの努力も必要ないじゃない」
「本気でそう思ってるんなら、貴女は私を相当買い被ってくれてるのね」
「ふーん、別に万能ってわけじゃなかったのね」
興味がなさそうに呟く。羨ましそうにしてると思ったら、次の瞬間にはそっぽを向いていて、本当に捕らえ所が一切ない。まあ、今は単に私に利用価値がないだとかそんな事を思ったのかもしれないけど。
それから、二人して黙ったままようやく落ち着いたらしいてゐの後ろ姿を眺める。
しばらくして、てゐがこちらへと向かってくる。あの詐欺師の笑顔を浮かべて。
「幸せ賽――」
「帰れ」
言い終わる前に霊夢が一蹴した。
「つれないねぇ、霊夢は。ま、いいや。はい、レミリア、これあげる」
そう言っててゐが差し出してきたのは小さな毛玉だった。運命を操るような力を持ったものではなく、早苗が追いかけて行ったのとおそらく同じもの。
「何よ、これ」
「兎の尻尾の毛玉。幸せを呼び込むほどの力はないけど、幸せに引き寄せられるくらいの力はあるから、糸で吊り下げとけば役に立つと思うよ」
「貴女の?」
「ううん、うちの兎たちの抜け毛を集めて丸めただけのもの」
「ふーん」
という事は、てゐの尻尾の抜け毛を集めておけば多少は幸せが勝手に集まってくるのかしらね。いらないけど。
「さてさて、用事も済んだし帰るよ」
「私には?」
「ないよ。じゃ、ばいばいー」
そう言うと、こちらに有無も言わせぬように走り去った。
「……なんであんただけに?」
「さあねぇ」
たぶん、私が黙っていたことに対するお礼なんでしょう。
あの性格からしてこうして形のあるお礼をするなんていうのは珍しい気がする。もしかして、早苗に悪戯を仕掛けたのはついでで、本命はあの運命を弄る事のできる毛玉だったんだろうか。本人がいないから、憶測の域は出ないけど。私の考えすぎで、単なる気紛れだという可能性だって十分にある。
けどまあ、てゐにとってはそれほど価値のなさそうなものを渡してくる辺りはらしいと思う。
「欲しいならあげるわよ?」
私が持っていても仕方がないし。
「いいの? じゃあ、さっそく……」
私の手から毛玉を取ると立ち上がり、いそいそとどこかへと向かっていく。
一人で座っていても暇だから、畳んで横に置いていた日傘を開いて、霊夢の背中を追いかける。
先を歩いている霊夢は母屋の方へと向かい、縁側から中へと入る。私は靴を脱ぐのが面倒くさいから、縁側に腰掛けて視線で霊夢の動きを追う。ここは、賽銭箱の前よりも庇が小さいから日傘は差したままにしておかなくてはいけない。
霊夢は棚の引き出しから白い糸を取り出していた。それを毛玉に巻き付けている。
案外といったら失礼かもしれないけど、慣れた手つきで糸を結び終えると糸の毛玉の付いていない方だけを持って手を離した。
「……」
けど、毛玉は真っ直ぐに落ちて糸に吊されるだけで、目立った動きもない。
毛玉の方をじっと見ていた霊夢は顔を上げて、こちらに視線を向ける。
「……あんた、騙されたんじゃない?」
「かもしれないわねぇ」
どこかで私たちの事を見て笑っているかもしれないと思い気配を探ってみるけど、私たち以外には誰もいないようだ。悪戯だったという可能性は低そうね。
「期待はずれだったわ。はい、返す」
興味を失った途端、こちらに寄ってきて突きつけてきた。
「霊夢が嫌われてるんじゃない?」
そう言いながら受け取る。まあ、これも意思を感じられないから好みで効果があったりなかったりするとは思わないけど。
本当に何の効果もないのか気になって、糸の先端を持ち、毛玉を垂らしてみる。その様子をじっと眺めているとある方向へ揺れているのが分かる。
「ほら、何も起こんないでしょ?」
「そんな事ないわよ? ちゃんと私の幸せの方に向かって揺れてくれてるわ」
揺れているのは紅魔館のある方角。私の幸せが詰め込まれた場所。
「む、なんであんただけ」
私の隣に腰掛けて、毛玉の動きを見た霊夢は不服そうに言う。
一応ちゃんとした効力はあるようだ。けど、それでもやはりこの毛玉に対する魅力は感じられない。道具に教えて貰わなくたって自分の幸せは分かってるから。
「さあてね。霊夢は常にこれを揺らしておけばその意味が分かるんじゃないかしら?」
霊夢の手に糸付きの毛玉を押しつけて立ち上がる。実際に揺れているのを見て再び興味が湧いたのか素直に受け取ってくれた。
「じゃあ、私も帰るわ。また気が向いたら来るから、美味しいお茶を淹れてちょうだい」
魅力を感じられなくともこんなものを見せられたら、帰りたくなるわね。あんまり私に依存させるのも悪いかなぁと思ってできる限り離れるようにはしてるんだけど、自分を抑えるというのは結構難しい。
「来るんじゃないわよ。うちは妖怪お断りなんだから」
「ああ、そうだったの。帰るまでは覚えとくわ」
「帰ってもずっと覚えておきなさい」
そう言いながら真っ先に忘れるのは霊夢の方なんでしょうけど。顔を見て思い出し、けど結局途中で忘れて私たちを受け入れて、それで帰る頃に思い出して、またすぐに忘れる。
なんだかんだと言いながら、私たちみたいなのが来れば楽しんでいるのだろう。本当に嫌がっているなら、今頃誰も寄りつかなくなってるでしょうし。
霊夢は私が立ち去る前からすでに意識は毛玉の方へと向いている。そして、動かない毛玉を見て首を傾げている。
自分に素直にならない限り気付けそうにないわねぇ。
内心でだけそんな苦笑を浮かべて、幸せの方角へ、私の運命が向いている場所へと向けて飛び立った。
Fin
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