「ていやっ!」
本を読んでいると突然、そんな掛け声とともに妹に右の頬を左の人差し指で突かれた午後の昼下がり。眠気で頭は少しぼんやり。
「……こいし、何かしら?」
本をテーブルの上に置きながらそう聞きます。
突発的な行動の多い子ですが頬を突かれたのは初めてかもしれません。
なんとなく頬に手をやってみるとこいしの細く柔らかな指に触れます。無意識に動いているときに傷つけたりしないかととても心配です。
「うーん、お姉ちゃんのほっぺたを見てたら柔らかそうだなぁ、って思ってね。気づいたら指が動いてた」
「そう。それで、感想は?」
一応毎日手入れはしているのですが誰かに触られたことがないので自信はあまりありません。
「やわらか、ふにふに〜」
そんなことを言いながら私の頬を弄繰り回します。というか、いつの間にか人差し指が二本に増えてました。別に、こいしの左手の人差し指が増えた、というわけではありませんよ? 右手の人差し指も私の頬を突いているのです。
されるがままな私。悪い気はしません。これも、姉妹の交流の仕方の一種なのでしょうから。
ふらふらと散歩に出かけていつ帰ってくるわからない妹を持つ私はつねに妹分が不足しているのです。
「ねえねえ、お姉ちゃん。ほっぺたの次に柔らかそうな場所ってどこだと思う?」
顔をずずい、と近づけたままそんな質問。指はいつの間にか離れてしまってました。ちょっと寂しい。
……ふむ、柔らかそうな場所、ですか。
私はじーっ、と間近にあるこいしの顔を見つめ返しながら答えを考えます。心は読めなくとも、無意識に忠実なこいしの思考は読みやすい場合もあったりします。
姉として、妹が何を考えているかはなんとしても知りたいのです。
注意を向けるのはこいしの視線の先。何かに興味を向けていれば当然視線はその興味の対象へと向くことでしょう。
……なんということでしょう。近すぎてどこに注意が向いているのかわかりません。
私の瞳を見つめながらも下の方にちらちらと視線が向いているのはわかるのですが……。
こうなったら上から順番に答えていくしかないでしょう。
私もこいしの真似をして視線を下に下げて見ます。そして、真っ先に写ったのは柔らかそうな唇。
柔らかそう……。ふむ、答えの候補としては期待が持てそうです。
「唇、かしら?」
「おおっ、正解だよ。すごいね、お姉ちゃん。私の心は読めないはずなのに」
どうやら正解だったようです。驚きながら浮かべる笑顔が心地いいです。
「ふふっ、お姉ちゃんはこいしのことなら何でもわかるのよ」
嬉しさのあまり私は少々調子に乗ってそんなことを言ってしまいます。でも、そうなりたい、という願いはあるのです。
「じゃあ、そんなお姉ちゃんにはご褒美をあげるよ」
そんな言葉と同時にこいしの顔が急接近。生まれて初めてここまで近づくことができました。
そんなふうにして喜んでいると、唇に触れる柔らかい感触。独特の弾力があって美味しそう。
食べてしまおうかとも思いましたが、もう少しこの感触を楽しんでいたいので我慢。けど、そんなことをしている間に離れてしまいました。これは、惜しいことをしてしまったようです。
まあ、そんな冗談は置いといて。
「えへへ〜、私の思ったとおりお姉ちゃんの唇って柔らかいね」
こいしが笑顔を浮かべながら自らの唇を指でなぞっています。ああすれば、感触を思い出すことができるんでしょうか。
私もやってみますが返ってくるのは私の指の感触だけでした。残念。
もう一度、触れてみたい、という気持ちがあるんですが、姉の方からそれを求める、というのはどうなんでしょうかね?
「お姉ちゃん、私の初めてのキスはどうだった?」
「とても柔らかくて美味しそうだったわ」
「うん、私も同じ感想だよ」
そう言ってこいしが抱きついてきます。抱き返すと返ってくるのは柔らかい感触。いつか一緒に寝てみたいと思ってるんですがいつになったら叶うのでしょう。
「ねえねえ、お姉ちゃんってさっきのが初めてのキスなの?」
絶対にそうだ!、という気持ちを込めたように聞いてきますが、残念ながら初めてではないのです。
「いいえ、残念ながらそうじゃないのよ」
「じゃあ、二番目?」
首を傾げながらそう聞いてきますがそれも違うのです。
「うーん……百……十? 二十、だったかしら? まあ、うちで飼ってるペットたち全員とはキスをしてるわね」
地霊殿に住んでいる、いたペットの数が思い出せないのでそう答えます。うーん? 百ではすまないような気も。
とりあえず、動物、というのは口を近づけて何もしないとこちらのことを安心してくれるのです。大抵の動物にとって歯や牙、といったものは武器ですからね。
「お姉ちゃんの節操なし!」
こいしに、怒られてしまいました。そして、同時に離れていく温もり。ああ。
「……ちなみに、誰と初めてしたの」
涙目で私を軽く睨みながらそう言ってきます。感情的になるのは喜ばしいことなのですが、それが否定的な、しかも私に向けられたものだということにショックが隠せません。
そんなに、一番が良かったんでしょうか。
今度からは優先的にこいしに一番を譲ることにしましょう。
「お燐ね。あの子が最初のペットだったでしょう?」
ちなみに二番目はお空です。
「うん、そうだね。……わかった」
そう言ってこいしは部屋から出て行ってしまいました。珍しくふらふらとしていません。
お燐の所に行くのだろう、ということは予想できましたが、何をするかはわかりませんでした。
◆
「さ、さ、さとり様!」
こいしが部屋から出て行きまた本を読んでいると慌てた様子のお燐が部屋へと入ってきました。
ここまで全力で走ってきたのか息が上がり、顔が赤くなってます。まあ、赤くなっているのはそれだけの理由ではないみたいですが。
……ふむ、こいしにキスをされた、ですか。あの子なりの新しいスキンシップの取り方なんでしょうか。
「あ、あたい! こいし様にキスされちゃいました!」
「それはよかったわね。どうだったかしら? あの子の唇、柔らかかったでしょう?」
「えっ、ええ! それはもう! ……じゃなくてっ! …………もしかして、さとり様もやられたんですか? キス」
「ええ。私が初めてらしいわよ」
私がそんな事を言うとお燐が黙ってしまいました。
お燐はこいしが私に恋慕を抱いているのではと思っている様子。……それはないでしょう。私たちは姉妹なのですし。
「お姉ちゃん! お燐からお姉ちゃんのファーストキスは奪い返してきたよ!」
こいしが元気良く帰ってきました。今までで最短記録です。
ちなみに最長は一週間。あまりにもこいしのことが心配で食事が喉も通らなくて最終的に倒れてしまったのもいい思い出です。
それに悪いことばかりでもありませんでした。あの日以来こいしは毎日家に帰ってくるようになりました。私が嫌いだから帰ってこなかったわけではないようで一安心です。
まあ、それはそれとして。
どうやら、先ほどのこいしの発言からするにこいしなりの新しいスキンシップの取り方ではなかったようです。
お燐の考えてたことが一瞬頭をよぎりますが、気のせいでしょう。まあ、仮にそうだとしたら受け入れるつもりはあります。
折角再び芽生え始めたこいしの感情を無下にすることなんて出来ませんから。それに、長い妖怪の一生、妹から恋されるなんてことがあってもいいのではないでしょうか。
なんにしろ分からないというのなら聞いてみるのが一番。こいしは話したがり屋なので聞けば答えてくれるでしょう。
それに、何を考えているのかわからないこいしから答えが返ってくる、というのは私にとっていい刺激となります。
「こいし、貴女はどうして私にキスをしたりなんかしたのかしら?」
「んー、私の無意識がお姉ちゃんを求めてるから?」
こいしが首を傾げます。
「疑問系で返されても私は困るだけなのですが」
「まあ、何でもいいよ。私はお姉ちゃんと居られれば満足なんだから」
そして、気が付けばこいしが私に抱きついていました。どうやら、私はこいしの笑顔に見惚れてしまっていたようです。
隙を見せるとこいしはすぐにどこかへ行ってしまいます。今回は私のそばだったのでいいんですけど。
とりあえず間近にあるこいしの頭を撫でてみますがこいしが顔を上げてしまったので撫でられなくなってしまいました。
「ねえねえ、節操なしのお姉ちゃんはもう一度私とキスしてくれる?」
代わりにずずい、とこいしの顔が近づいてきます。具体的には睫毛の一本一本が確認出来るほどに。
翠の瞳が私を捉えて放しません。
「それくらいならお安い御用よ」
「お安くない! お姉ちゃんは自分のキスの価値に気付くべきだよ!」
……怒られてしまいました。
でも、こいしの怒っている顔が珍しいので思わず見つめてしまいます。つり上がった
眉毛が可愛らしいです。
じぃー……。
…………っと、ずっと見つめているだけ、というわけにもいきませんね。
「うーむ、そうは言われても良く分からなのよ」
「お姉ちゃんが節操なしだからだよ」
間近でこいしが睨んできます。その瞳には強い意思が見え隠れ。でも、睨むのはよろしくないです。
「私のがどうだかはわからないけど、こいしのキスには価値があるってことはよくわかるわ」
あの柔らかさは他の誰も持ちえないでしょう。こいしの自慢できる所がまた一つ増えました。
「むぅ。そう言ってくれるのは嬉しいけどお姉ちゃんが自分のキスの価値に気付いてくれないと意味ないよ」
子供みたいに頬を膨らませます。先ほどこいしがやっていたようにその頬を突いてみたいのですが、ここは我慢しておきます。あんまり突飛な行動を取るわけにもいきません。
「そうは言うけど、どうしてそこまで拘るのかしら?」
いくらこいしに言われようとも私のキスに価値なんて見出せないんですが。
「私以外に簡単にキスして欲しくないから」
ずずずいっ、とこいしの顔が更に近づいてきます。既にこいしとの距離はほぼ零です。
お燐の姿は見えませんがとても居づらそうにしている意識だけは届いてきます。うーむ、どうして私たちがこうして近づいているだけでそんなに居づらいと思うのでしょうか。理解が出来ません。
「それと、私以外も見ないで欲しい」
そう言いながらこいしが私の第三の目を手で塞いでしまいます。これで、お燐の意識は見えなくなってしまいました。
そして、こいしが目を閉じます。そう言えば、想い人とキスをする時は目を閉じるだとかなんだとか。
どうやらお燐が考えていたこともあながち間違いではなかったようです。
再びこいしの柔らかな唇が触れます。
「……お姉ちゃんが理解するまで、何度でもするから」
頬を上気させながら、少し濡れた瞳をこちらに向けてそう言ってきました。
どうやら、私は妹に恋されたようです。
Fin
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