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 赤が広がる。

 それは、私の中にたまっていた幸せの象徴か。
 それとも、誰もが持つ不偏なものなのか。

 ……まあ、後者に決まってるんだけど。
 こんなときにも無粋なことを考えるなんて本当情趣がない。

 そもそも、自分の中から幸せをこぼしていっているという時点で間違っている。こんなのは私の望んでたことじゃない。
 無意識直感本能その他諸々に流され続けてたことに今更ながら反省。
 それが今後生かされるかどうかは知らないけど。

 徐々に意識が閉じてきている。
 無意識も怠惰に身を任せて仕事を放棄している。

 だから、私は眠る。喪失に虚脱に空虚にたゆたうように。

 みなさん、それではおやすみなさい。



 そうして、私は死んだ。





 最初に思ったのは、死後の世界はなんと心地よい世界なんだろうかということだった。
 身体はふわふわとした物に包まれていて暖かい。いつまでも微睡みの中に浮かんでいることができそうだ。こういうのも、幸せといえるのだろう。

 けど、自ら切りつけた左手首の痛みが心地よさを打ち消す。
 そういえば、誰かが自らを殺すのは罪だと言っていた。だとしたら、この痛みはその罰なんだろうか。私がその罪を省みるまでの。
 この考えが正しかったとすれば、未来永劫それを抱えることになってしまう。私は自分のやったことをこれっぽっちも罪だとは思っていない。自分の幸せのため、最善のことをしたと信じていた。
 この上、閻魔の説教が待っているかと思うと憂鬱だった。こんな思いをしたくて死んだわけではないというのに。

 ただ私は――

 と、不意に聞こえてくる何かの軋む音。少しして扉が開閉される音だと気づく。この世界に不釣り合いな気がして特定するのに時間がかかってしまった。
 でも、よくよく考えてみれば怨霊やら幽霊やらはどこにでもいるわけで、日常的な音が聞こえてくるのもおかしなことではない。単に私が荒唐無稽な想像をしていたというだけだろう。

 誰が来たのか確かめるべく目を開く。私の死体がどうなってしまっているかというのにも興味があった。

「こいし……?」

 最初に見えたのはお姉ちゃんの顔だった。内から漏れ出そうになっている感情を抑えているような、そんな表情を浮かべている。

「……後追い自殺?」
「違うわよ」

 苦笑しているような泣いているような顔で言われると、罪悪感が湧いてくる。目尻で何かが光を反射させて光っているように見えたけど、気にしないことにした。気にしたら、たぶん色々と耐えられない。
 そういえば、怨霊も幽霊もそれぞれ見分けのつかない、なんか丸っこい物体だった。だから、お姉ちゃんはそうではないということなんだろう。

「よかった」

 不意に抱きしめられる。
 そこでようやく自分の身体の形を意識する。お姉ちゃんと同じ人型で、複雑な形のままのようだ。

 どうやら私は死ぬことができなかったようだ。誰だろうかこんな余計なことをしてくれたのは。お姉ちゃんのこんな姿を見せられてしまえば、また同じことをするのはかなり難しくなる。
 気にしないって思ったのに、心がずきずき痛んでる。いやこれは物理的な痛みだ。心じゃなくて胸の辺りが痛い。

「ねえ、こいし。どうしてこんなことをしたの? 何か悩んでるなら、相談してくれればよかったのに」
「……お姉ちゃん、目が食い込んできてて痛い」

 お姉ちゃんに覆い被さられるようになってるわけで、第三の目が抉るように押しつけられている。普段は気を付けてるみたいだけど、今は些か感情的になりすぎているようだ。珍しい。原因は明快だけど。

「あっ……、ごめんなさい」

 そう言いながら離れて……、くれなかった。何故か抱きしめられたまま起こされる。体重がかからなくなったのと私の言ったことを意識してくれたのとで痛みはなくなったけど、どうしてこんなことをされてるのか。
 いやまあ、なんとなくわかってはいるけど。

「お姉ちゃんは心配性だねぇ……」

 私に対してだけ。ペットたちは放し飼いにしておくくらい、ほとんど自分から関わろうとはしないのに。

「自分の妹が悩んでいてなおかつ死のうとしているのなら、心配になるのが当然よ」

 そっちのことじゃないんだけど、まあいっか。話の流れを変えるのも面倒くさいし。
 頭が少々ぼんやりしてて、やる気があんまり出てこないのだ。血が足りない。

「お姉ちゃんは、今更私が悩み事なんかで死ぬほど柔だと思ってるの?」

 絶望で死ぬ時期なんてとっくに過ぎている。当時の私は衝動的に逃げを選んだ。結果、今では割と暢気に生きることができている。
 それに、今考えてもそんな理由で死ぬなんて真っ平ごめんだ。望みがないときは、世界の滅亡でも願うくらいがちょうどいいのだ。恨みを語り、呪詛を唱って。

「……じゃあ、どうして?」
「幸せだから」

 迫害が完全になくなったというわけではないけど、お姉ちゃんとペットたちがいる暖かい家庭がある。私を心配してくれるお姉ちゃんがいる。そんなお姉ちゃんと向き合えるようになった私がいる。
 今の私はこれ以上の幸せは考えられない。

「私は今どうしようもなく幸せ。だから、今死ねるって言うのは極上の幸せだと思うの」

 幸せの絶頂、すなわち目の前に続くのは下り坂。どこまで落ちるかは分からないけど、最悪底まで落ちて二度と這い上がれない可能性は十分に有りうる。特に一度完全に閉ざしかかった私の心では。
 幸せを婚約相手にマリッジブルー。それを拒むかのように私は赤に染まろうとした。
 まあ、手首を切ったことにそんな意図があった訳じゃないけど。別に首吊りでも投身でも焼身でも入水でもなんでもよかった。ふらっと入ってみた台所で包丁を見つけて、ただなんとなく、自身を切りつけることを選んでみた。無意識に流れて流されてそうなった。

「……こいしは、私が不幸になってもいいっていうのかしら?」

 抱きついたまま囁くような、その上泣きそうな声でそんなことを言うのはやめてほしい。なんだか、いけない恋に目覚めてしまいそうだから。
 それは私の求めてる幸せとは違う。平穏平静何事も起こらないことこそが私の幸せだ。
 まあ、背徳の中に幸せを見つけるのも悪くはないと思うけど。

「なら、心中でもしてみる?」

 だからというわけでもないけど、そんな提案をしてみる。
 お姉ちゃんを残して逝くことに罪悪感があるなら一緒に連れていってしまえばいい。
 今のお姉ちゃんの幸せ具合はわかんないけど、少なくとも不幸ではないと思う。だったら、私が死んで不幸になってしまう前にそこで途切れさせてしまえば安泰だ。

「バカなことを言わないでちょうだい」

 お姉ちゃんは乗り気じゃないようだ。まあ、わかってたけど。堅実で比較的常識的なお姉ちゃんがこんな選択肢を選ぶはずがない。
 乗ってきたなら、お姉ちゃんに何かあったのだと疑う必要がある。そして、妹として、それ以上に自分の幸せのため、不幸の源泉には退場を願わなくてはいけない。実力行使だって辞さない心構えだ。

「そんな幸せ、これから訪れる幸せに対する冒涜よ」
「お姉ちゃんは純粋だねぇ」

 そんなこと、あるはずがないけど。
 心を読む力を捨て去った私でさえも本当に甘い蜜は極々少量で、大量の蜜には毒が混じっていて、それどころか周囲にあるのはあからさまな毒か無害無益なものばかりだと知っている。今でも力を捨てていないお姉ちゃんがそのことを知らないはずがない。
 それでも先の幸せを信じているようなことを言うのは、臆病だからなんだろうなと思う。私と違って自棄になることもできないみたいだし。

「そんなことないわよ。ただ私は、こいしの暖かい身体を抱きしめられなくなるのが嫌なだけ」
「その理由はなんだかやらしいなぁ。……お姉ちゃん、そういうことに興味あるの?」
「な、なにを言ってるの。そんなんじゃ、ないわよ」

 照れてる照れてる。心が読めないせいで、私の言葉にだけは素直に反応してくれるから、からかうと楽しい。
 でもまあ、お姉ちゃんの言ってることに同意はできる。こうしてお姉ちゃんに抱きしめられてるというか、抱きつかれてる今も私の幸せゲージはゆっくり上昇していってる。
 そうして徐々に何もかもがどうでもよくなってきている。だから、一人でいるときを狙って死のうとしたんだけど。

「……単に貴女を抱きしめられるなんて言ったら、死体でも抱けばいいなんて言われそうだったから」
「さっすがお姉ちゃん、よくわかってるねぇ」

 お姉ちゃんに対して言うなら、冗談の域を出ないものになるんだろうけど。一過性の興味の対象ならともかく、いつまでも親愛なる存在でいてほしいお姉ちゃんに本気でそんなことを言いたいとは思わない。そもそも、そういう愛し方はお姉ちゃんらしくない。
 それに、私だってお姉ちゃんに抱きつくなら生きていないと嫌だ。今みたいにからかうことだってできなくなるし。

「……はぁ、全然さっきまで死のうとしてたような態度じゃないわね」

 疲れたようなため息を吐きながらの言葉だった。あちこちにふらふらと捕らわれないから、真面目に付き合ってたら疲れやすいだろうなとは思う。面倒くさいから直そうというつもりは一切ないけど。

「幸せも衝動も無意識も全部まとめて変則的で気まぐれなものだからねぇ」

 少なくとも今は死にたいという気持ちは一切ない。でも、お姉ちゃんに対する罪悪感を忘れてしまえばどうなるのやら。自分を止めれる自信はあんまりない。

「じゃあ、私はそういうもの流される貴女を絶対に死なせない」

 今までのどこか弱気な声とは違って、芯の通った、覚悟ができている人の声だった。
 うーん、かっこいい。可愛い系のお姉ちゃんのギャップのおかげでなおさらに。
 でも、まだまだ足りない。

「ふぅーん、どうするの?」
「……ずっと見張ってるわ」

 具体的なことは何も考えてなかったのか、答えるまでに少々間があった。

「へぇ、仕事もせずに。というか、妹の動向を一から十まで見てようだなんて変態だね」
「そ、そういうつもりはないって言ってるじゃないっ!」
「あっはっは、必死だねぇ」

 せっかくのかっこよさも全部吹っ飛ばしちゃってるし。おもしろいおもしろい。

「しょうがない。かわいいお姉ちゃんに免じてしばらく死なないように努力はしておくよ」
「納得のいかない理由ね……」

 かわいいと言われるのは不服なようだ。うん、からかうときはもっと言ってやろう。

「……でも、ごめんなさい。そんな不安を抱いてることに気づいてあげられなくて」

 抱く腕に力が込められる。
 別に不安だった訳じゃないんだけどねぇ。ただ、失うのが嫌だった。どうせ失うなら自分の手で始末したかった。それだけだ。
 でも、見ようによってはそれも不安からくる感情なのかも。幸せを失うことの怖さは一度味わってるわけだし。

「絶対とは約束できないけど、できるかぎり貴女の幸せは守ってみせるわ。だから、安心、してちょうだい」

 ものすごく自信なさげだった。せっかくかわいいっていう評価を覆せる機会だったのにもったいない。

「自信たっぷりに言ってくれてたら惚れてたかもしれないのに、チャンスを逃したね」
「妹に惚れられても嬉しくないわよ」
「じゃあ、自信がないながらも健気に妹を守ろうとするお姉ちゃんかわいい」
「う、うるさいわよ」

 焦ってる焦ってる。

「まあ、いつかお姉ちゃんがかっこいい姿を見せてくれるのを期待してるよ」
「……その瞬間に死にたいだなんて思わないでしょうね」
「はてさて。でも、そんなかっこいいお姉ちゃんがいるなら、不安を感じなくてすむから大丈夫かも」
「じゃあ、頑張ってみるわ」
「うん、私が惚れちゃうくらいかっこよくなってね」
「……こいしが死なないですむならそれでも……、いいんでしょう、か……?」

 なんだかものすごく悩んでるみたいだった。こっちに聞いてるのか、それとも自問自答なのやら。
 まあ、どっちでもいいか。私が答えてもおんなじことを繰り返すだけになる。精々自分一人で悩んでもらおう。私はその姿を見て楽しむ。

「というか、お姉ちゃんはいつまで私を抱きしめてるつもりなの?」

 表情でも見て楽しもうかと思ったら身体が動かなかった。抱きしめられてるのだから残念ながら怪奇でもなんでもない。いや、気づけばこの状況に完全に馴染んでしまっていたそのこと自体が怪奇かもしれない。おそるべしお姉ちゃんパワー。

「いつまでも」

 まったく迷いのない言葉だった。でも、現実主義な私はそんな言葉に騙されはしない。

「ふぅん、仕事は?」
「そ、それはお燐が代わりにやってくれてるからいいのよ」
「へぇ、それで自分は妹を抱いてようだなんていいご身分だね」
「……それだけ、あなたのことが心配だということよ」

 ……冗談で言ったのに真面目に返されると困る。無意識が逃げ出そうとするけど、抱きしめられてるせいで身体は動かない。どうにも謀略にかかってしまったようだ。もしくは、自爆したともいう。

「それに、今日はあなたのせいで仕事に手がつきそうにないし、諦めて明日頑張ることにするわ」
「……それってダメな人の発言だよね」
「い、いままで頑張ってきたから一日くらいいいのよ」

 開き直ってるのかと思ったら別にそういうわけでもなかった。なんとも中途半端だ。根が真面目だから仕方ないのかもしれないけど。
 とにもかくにも、気恥ずかしさを誤魔化すために反撃開始!

「いーや、そういう油断が堕落への第一歩だったりするんだよ。あーあ、お姉ちゃんのせいでペットたちと一緒に路頭に迷うことになっちゃうのかぁ……」
「……」

 反応がない。真に受けたということはないだろうけど、やっぱり思うところがあったのかもしれない。

「そうね、こいしの言うとおりね。仕事はちゃんとするべきね」

 ようやく口を開いたかと思うと、やけに抑揚のない声だった。危険信号が全力で鳴り響いてるけど、動けないからどうしようもない。

「でも、今のこいしを自由にさせておくのは不安だし、とりあえず逃げれないようにしとくわ」

 そう言ってお姉ちゃんが私を離したかと思うと手早く首に何かを巻かれた。一瞬視界の端に映ったのは鍵のようなものだった。
 お姉ちゃんの手首にはなにやら紐が巻かれていて、私の首まで伸びてる。
 ……おや?

「お姉ちゃんってこういう趣味があったの?」
「心配してるのにそれを弄ぶようなことをするようなのには適切な処置だと思うわよ?」

 こっちの冗談めかした口調を無視して、清々しいくらいの笑顔を浮かべていた。
 調子に乗りすぎて怒らせてしまったようだ。また、自爆をしてしまったようだ。しかも、今度はかなり致命的だ。というか、どこから取り出したのやら。
 ……もしかして、常々私を捕らえるために持ってたとか? まっさかー。でも、鍵付きの首輪を使う相手なんてかなり限られる。その中で、お姉ちゃんが言うことを聞かせられないのは私ぐらいだ。うん?

「さて、あなたの望み通り私は仕事をしないといけないから書斎に行くわよ」
「わっ、ちょ、ちょっと待って、首! 首絞まりそうだから!」

 いきなり立ち上がったお姉ちゃんに引っ張られて慌てて立ち上がる。首輪を所持してる理由を考える暇なんてありやしない。

「大丈夫よ。ちゃんと声が出ている限りは絞まってない証拠だから。それに、遅れないようについてくれば苦しくはならないわ。だから、ちゃんとついてきなさい」
「は、はいっ!」

 少しばかり冷ややかな視線に背筋が伸びる。初めてお姉ちゃんを怖いと思ったかもしれない。

 これはお姉ちゃんの機嫌をよくする方法を考えないといけないようだ。私の幸せ的にこれは大変よろしくない。後、胃とか自由とか。

 とりあえず、今後はお姉ちゃんを怒らせるようなことは自重しようと誓ったのだった。
 当分死にたいと思う余裕はなさそうだ。

 ……いや、それよりちゃんと解放されるよね?


Fin



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