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 心がざわつく。

 不定に不形に不安定に揺れて何の形も取りなそうとはしない。

 喜も怒も哀も楽もなく。
 不快に無抵抗に揺らされる。

 読書も睡眠も運動も誰かに会いに行く事もできず、空虚に何も見ない。
 ただただ夜が明け、月が沈むのを待つだけ。

 でも、心は消さないようになくさないように壊さないように思考はする。自身を押さえつけ、内から広がってしまわないようにする。
 心を壊してしまえば楽になる。でも、それは絶対にできない。

 あの人の顔が浮かんできて私を止めるから。
 あの人がそんな結末を望むはずがないから。
 一応私は望まれてこの場所にいるのだから。

 それに、あの人の事を考えていれば少しは楽になってくる。
 今は実際に顔を合わせることができなくても、朝になったら会えるんだと思うとがんばれる。

 私の傍にいる姿を幻視しようと、頭を撫でてくれている幻触を感じようと、優しげな幻聴を聞き取ろうと、妄想に夢想に想像を重ねる。
 でも、私の現実は強固で、何の姿も見えず、何の感触も感じず、何の音も聞こえてこない。独りで冷たく柔らかなベッドに腰掛けて、しんと静まった部屋にあるだけだ。
 ざわめくだけの心では何も感じられない。
 ただ、ほんの少しだけ退屈だと思う。

 と、不意に音が聞こえてきた。
 いつもよりも鋭敏となった耳が、普段はとらえられない音をとらえる。


 心が、ざわつく。


 不定に不形に不安定に揺れて、全てが混ざり合った何かの形を取りなそうとする。

 喜も怒も哀も楽も全部まとめて突出しようとする。
 ぐらぐらと大きく揺れて内側で蠢いている。

「こんばんは、フラン」

 妄想と夢想と想像とだけで描いていた姿が扉の向こう側から現れた。それが、幻覚でないのは確かだった。自分の心はそんなものを生み出してしまうほどに楽観的でないのはわかっているから。きっと私の心が壊れれば何もなくなってしまう。
 目の前の現実に対してまとめて感情が溢れ出してくる。悲しくもないのに、釣られたように涙が溢れ出す。

「お姉、様……?」

 一番会いたくて一番会いたくない存在が来てくれたことに喜べばいいのか、それとも怒ればいいのかわからない。感情が暴れすぎていて、逆にそれが私の行動を縛る。

 満月の夜には会いに来ないでほしいと言ってるのに、調子が悪いときに限って会いに来る。まるで私の状態を見透かしているかのように。
 お姉様ならそれは十分にあり得る。

 感情が不安定に揺れ続ける今、力を制御しきれる保証はない。ここ十数年はだいじょうぶだったとはいえ、何度もお姉様を傷つけたことがあるから不安で仕方がない。脳裏の内側に焼き付いた、血を流すお姉様の姿がそれを増長させる。

「なんで、来たの……?」

 怒りが一つ突出して、声が低くなる。そして、そんな自分に嫌気がさして、一気に気分が沈み込む。

「一緒に夜の散歩でもどうかなぁと思ってね。折角月が綺麗なのに、それを見ないなんてもったいないじゃない?」

 お姉様は気にした様子もなく近づいてくる。私は、お姉様の言葉に首を左右に振ることしかできない。
 それは、怖い。何が起こるかわからないからとても怖い。
 いや、そもそもお姉様といるそのことそのものが怖い。

「春になって桜も咲いたから、綺麗な景色が見れると思うわよ?」

 首を左右に振る。

 私の心情とは正反対にお姉様の言葉はとても前向きだ。しかも、とても自然で無理をしている様子もない。あれだけ私に傷つけられたのにどうしてそんなに平気でいられるんだろうか。

「どうしても、嫌?」

 今度は首を縦に振る。
 ……本当は、行ってみたい。でも、今はだめだ。今だけは、絶対にだめだ。

「……そう」

 残念そうに呟きながら私の横に腰掛ける。ベッドが沈み込んで、少しだけ身体が傾く。力を入れるのが億劫で、そのままお姉様に寄りかかる。
 お姉様は私をそっと抱き寄せて、頭を撫でてくれる。その手つきは柔らかく優しい。
 触れられた部分から、安心と愉楽と不安と恐怖とが生まれてくる。

「一人で、行けば……」

 ぐちゃぐちゃな感情に不快を覚えながら、突き放すように言う。いつになく攻撃的なっていて、自分自身その声に身を竦ませてしまう。
 でも、相変わらずお姉様は動じない。何でもないことのように私の言葉をはねのける。

「そういう気分じゃないのよねぇ。私はフランと行きたいのよ」
「……なんで」
「今日はなんとかなるような気がするから」

 いつものように、気負いもなくただただ優しい声でそう言ってくれた。でも外に出ようと言われるのは初めてだった。今までは私が追い出そうとしても、無理矢理そばに居座るだけだった。
 突然の変化に不審を抱く。どうして、今このタイミングでそんなことを言うんだろうかと。

「というわけで、時間ももったいないし行きましょうか」
「……え?」

 不意にお姉様の膝の上に倒される。かと思っていたら、背中と膝裏に何かが触れ、浮遊感とともにお姉様の顔が近づく。
 どうやら、抱き上げられているようだ。事態に付いていけなくて、思考と感情が一時的に止まってしまっている。

「む……、両手が塞がってると不都合が出てくるわね。……ま、いいか」
「……なんのこと?」
「気にしない気にしない」

 誤魔化すようにそう言って立ち上がる。意味が分からなくて首を傾げてしまう。

 それが、涙で濡れた頬のことを指しているのに気づいたのは、少ししてからだった。





 真夜中の紅魔館は空間そのものが寝静まってしまっているかのように静かだった。しん、と静寂それ自体が音を発しているのではないだろうかと錯覚してしまうほどに何もない。
 光源はぽつぽつと並んだ窓から差し込んでくる月明かりだけで、窓枠が暗がりの中にぽっかりと浮かんでいるように見える。

 いつもなら夜中でも何かの気配は感じるのに、今はそれが全くなかった。それがじわじわと不安を呼び出してくる。私を置いてお姉様が消えてしまうんじゃないだろうかと思い、自分の手を握りしめながらお姉様の顔を見つめる。

「満月に浮かれて妖精メイドたちは皆外に出ちゃってるのよね。だから、とても静かになっちゃってるのよ」

 私の心中を読み取ったかのように、少し寂しそうな声でそう言った。それに感化され、私の感情にも寂しさが現れる。不安とあいまって、非常に心細くなる。

「静かなのも嫌いではないけど、行き過ぎはよくないわよね。私だけが取り残されたようで嫌な気分になるわ」
「……じゃあ、お姉様は寂しいから、私のところに?」

 そう言ってから、私はお姉様から離れなければいけないということを思い出す。いきなり抱き上げられたりして少々混乱していたせいで忘れてしまっていた。

「四分の一くらい正解。でも、やっぱり本命は貴女に綺麗な景色を見せてあげる事」
「……何が起こるかわかんないよ?」
「大丈夫よ。ここのところ一度も力の暴走を起こしてないんだから」
「なんでそんなに楽観的なの?」
「貴女が悲観的すぎるだけよ」

 少し棘を込めた言葉はたやすくかわされる。そして、正反対の言葉を投げ返された。
 お姉様が言ってることは正しい。だから、認める。でも、おとなしく黙っている理由もない。

「私はお姉様のことを心配してるの」
「それはありがとう」
「感謝するだけじゃなくて、ちゃんと私の心遣いにも応えて」
「私の心遣いを無視してるんだからおあいこよ」

 そんなふうにお互いに一歩も譲らない。私はいらいらとして、お姉様は飄々としている。
 それでも私が逃げ出さないのは、お姉様の腕の中の居心地がよくて、その優しさに甘えてしまっているから。それに、私の逃げ場所なんて自室くらいしかない。そこに逃げ込んでも、結局傍に居座られてしまうだけだろう。

 とにかく、連れ出すのを諦めてもらおうと私はあれこれとお姉様に対して言うことしかできないのだった。





「春になっても、夜になると外はまだ少し寒いわねぇ」

 外に出た途端に吹いてきた風と共に、そんな感想を漏らした。
 お姉様の言うとおり、中に比べると気温が低い。でも、お姉様に抱き上げられているから寒いとは思わない。むしろ、暖かいくらいだ。

「そう言えば、途中から静かになったわね」
「……何言っても無意味だと思っただけ」

 指摘をされると気まずくて、顔を逸らしてしまう。それに、思ったことを口にしている間になんだか感情も落ち着いてきていた。普段に比べればまだまだ騒がしいくらいだけど、これくらいならそれほど意識せずとも抑えていられる。

「物分かりがよくて助かったわ」

 そう言われるとなんだかまたむかむかとしてくる。こっちは心配して言ってるのに、それを全て受け流されてしまっているようで。

「強情」
「そうね」
「頑固者」
「そうね」
「分からず屋」
「いつまで同じような事を言い続けるつもりかしら?」

 苦笑混じりにそう指摘される。そうは言われても、それくらいしか言えることがない。真っ当に言い合うとこっちばかりが疲れてしまう。なんで何を言われてもこんなに平然としていられるんだろうか。
 じっとその顔を見てみても、答えはどこにもない。

「ほら、月が見えてきたわよ」

 マイペースを崩さないお姉様のその言葉とともに光が強まった。少ししてお姉様が足を止める。
 お姉様の視線を追いかけると、そこには大きく丸い金色の月が浮かんでいた。

 目を焼くほどの眩しさはない。でも、だからこそその圧倒的な存在感に惹き寄せられる。

 世界がざわついていることに気づく。

 しん、と静まってるのに空気を介して浮かれたような雰囲気が伝わってくる。情報の多さに、私の思考感情は戸惑い行き場を失う。受け身の態勢しか取れない身体は、お姉様へとすがりつく。

 驚嘆に憧憬に畏怖に愉悦に不安に感嘆に安堵にその他諸々の感情に心が支配される。そのまま、全てが吸い込まれてしまいそうで――

「と、あんまり見つめない方がいいわよ」

 視界が動き、視線が暗闇の方へと向く。満月は見えなくなり、私は我を取り戻す。

「あ……、私……」
「ごめんなさい、浅はかだったわ。悪いけど、傘を出してもらえるかしら?」
「うん……」

 ぼんやりとしたまま頷いて、魔法で作り出した空間から日傘を取り出す。柄を掴もうとしたけど、うまく掴めず落としてしまう。
 お姉様は落ちていく傘を視線で追っていた。身体の一部を何匹かの蝙蝠に変化させると、それを操って傘を開かせ支えさせる。
 視界に映るのはお姉様の顔と日傘の淡い赤色の布だけとなった。

「大丈夫?」
「……うん」

 本当は自分でもだいじょうぶなのかそうじゃないのかよくわからない。どこか気怠く、でも感情はごちゃごちゃとして落ち着かない。私一人でいたらどうなっていたんだろうか。

「月を背景に花見はお預けかしらねぇ。でもまあ、月に照らされる桜っていうのも悪くないわよ?」

 取り乱した様子もなく、いつもよりも優しすぎるくらいの声音でそう言う。私はその姿が少し怖くも頼もしい。

「……お姉様は、平気なの?」
「さあて、どうなのかしらね? もしかしたら、どうしようもないくらい狂ってるのかもしれないわ。静かに穏やかに月に魅入られて、ね」

 月明かりで影を被った笑みは、恐ろしいほどに綺麗だった。

 ぞっと背筋に悪寒が走った。
 はっとその表情に見惚れた。

 だから、この後に何をされても抵抗しないだろう。恐怖に信頼に畏怖に魅惑に身を委ねて。

 でも、お姉様はどこかへ向かって歩き出すだけだった。館の裏から玄関の方へと戻っているのはなんとなくわかるけど、どこに向かっているのかは全く検討がつかない。首を動かせばいいのかもしれないけど、なんだかそれがひどく億劫だった。それに、お姉様から視線をそらしたくない。
 まあ、わからないなら聞いてみればいいだろう。

「お姉様。行き先は決まってるの?」
「全然。何処なら綺麗な桜が見れるのかしらね。自然の桜は近くで見るのに向くのはなかなかないし、博麗神社は騒がしいでしょうし。フランは騒がしいのはあまり得意じゃないでしょう?」
「うん」

 特に今は誰にも会いたくない。誰かに会うのは、それだけ感情が暴走してしまう可能性が高くなるから。
 今は先ほどの反動か落ち着いてるけど、この後もずっとそうだとは限らない。何がきっかけになるかわからない。
 でも、満月を見つめて茫然自失となったことから、今は一人になるのも不安だ。
 なんだかんだで今日はお姉様の傍にいなければいけないようだ。現状、落ち着けるのはお姉様の傍だけだから。

「見つからなかったどうしようかしらねぇ」
「私は別に、このまま歩いてるだけでもいいよ」

 ずっとずっとお姉様を近くに感じて。

「私は嫌よ。フランと桜を見るって決めてるんだから」
「じゃあ、お姉様の好きにして。私はお姉様に連れていってもらえるならどこでもいいから」
「好きにして、だなんて面白くないわね。最高の場所に連れていって欲しい、くらいは言って欲しいわ」

 お姉様は不満そうだった。そして、だからこそ、お姉様が見せたがっている景色は素晴らしいものなんだろうと伝わってきた。

「じゃあ、私に素敵な場所を見せて」

 そこでならきっとお姉様のことがもっと美しく見えるだろうから。

「了解。じゃあ、適当に飛んで探してみるからしっかりと捕まりなさい」
「うん」

 お姉様の首に腕を回して、すがりつく。その結果、お姉様の横顔が間近に来てその距離を意識してしまう。普段は、それほど気にならないのに。
 やっぱり、満月の夜の私はどこかおかしくなってしまうようだ。まあ、このおかしさは許容できる程度のものだ。

「いい?」
「うん」

 頷くと同時に夜空へと向けて飛び立った。

 私は風の流れだけでそれを感じ取っていた。





「ねえ、退屈じゃない?」

 しばらく飛んでいたら、不意にそんなことを聞かれた。ぼんやりとお姉様の顔を見つめていたから、反応が少し遅れる。

「……え? ううん、全然つまらなくないよ」
「うん、確かにつまらなさそうにしてるような反応じゃないわね。楽しんでるとも言えないけど」

 呆れたようにそう言ったかと思うと、

「……」
「……な、何……?」

 顔を近づけて瞳をのぞき込んできた。紅い虹彩の中で瞳孔がその大きさを変化させているのがわかるほどに近い。
 そこには真剣な色が見て取れて、なぜだか息を止めてしまう。

「さっき危うく月に取り込まれかけてたから大丈夫かな、とね。大丈夫そうだけど、何で息を止めてるのよ」
「な、なんでだろ」

 自分自身にもよくわからないから答えることはできない。そして、今頃になって苦しくなってきた。慌てて何度か深呼吸を繰り返す。

「本当に大丈夫?」
「……だいじょうぶ、だと思う」

 部屋にいたときよりはだいぶ落ち着いてきたとは思う。ごちゃごちゃになった感情が内側で静かに騒いでいるくらいだ。そのせいで、今の自分がどんな感情を抱いているのかわかりづらくはなってるけど。

「それより、お姉様こそだいじょうぶ? ずっと飛んでるような気がするけど」
「全く問題ないわよ。月が昇っている間ならいくらでも飛べる気がするわ」

 確かにお姉様の顔に疲労の色は一切見受けられない。ずっと抱き上げられているだけの私よりも元気そうだ。端から見れば、私の方が疲れているように見えるかもしれない。

「けど、見つかるかどうかも分からないものを探すっていうのも飽きてきたわねぇ。……っと、なんだかよさそうな場所があるわね」

 不意にお姉様の声が喜色に満ちる。よほど嬉しいのか、やけに声が弾んでいるような気がする。
 心なしか飛行速度も上がり、風が強まる。そこには本当に微かに甘い香りが混じっている。

「到着、っと。妖精がいくらかいるみたいだけど、良い場所ね。いや、妖精がいるからこそ、良い場所なのかしらね」

 お姉様が周りを見渡して満足げに頷く。よく見えるようにするためか傘を下ろすと、視界の中を桜の花びらが舞っているのが見え始めた。

 首を横へ向けると、大木が目に入ってくる。緑色の葉をつけた木がたくさんある中、ぽっかりとあいた空間の中でその木だけは強く自己主張をしていた。
 木の上では何人かの妖精が騒いでいて、その動きにあわせて花びらがはらはらと落ちている。
 騒いでいる声は不思議と耳障りではなく、春の訪れを喜ぶ賛美歌のようにも聞こえる。

 月とは違って無条件に引き寄せるような超常の魅力はない。でも、一生懸命に咲き誇るひたむきな姿に惹かれる。
 触れてみたい。そう思うと、私の思考を読み取ったかのようにお姉様が桜の方へと近づいてくれた。
 あともうニ、三歩進めばぶつかりそうなところまで近づいたとき、お姉様の首に回していた腕を放し、巨木の方へと伸ばす。

 ささくれ立ったその表面に触れてみると、不思議と感情が落ち着いてきた。触れられるくらいに身近にあるからこそ感じられる安心感なんだろうか。

「わっ」

 そんなふうに感慨に耽っていたら、いきなり視界が桜色に埋め尽くされた。何かを振りかけられたという感じだったから、反射的に頭を左右に振る。
 なんとか視界が開けて自分の身体を見下ろしてみると、大量の桜の花びらが降り積もっていた。

 頭上から楽しげな笑い声が聞こえてくるから、上にいた妖精たちが落としてきたんだろう。
 後、妖精たちの声にお姉様の笑い声が紛れている。顔を上げてみると、髪の上に積もらせた桜の花びらを落としながら笑っているお姉様の姿が見えた。同じような姿になっているのに笑われるのはなんとなく釈然としない。

「お姉様も頭に積もってる」
「ふふ、春らしくていいんじゃない?」
「じゃあ、なんで笑ってるの」

 不満を込めてそう聞いてみる。今もお姉様の顔には笑みが浮かんでいて、なんとなく気に食わない。

「浮かれている、からかしらね。この場でそんな表情は似合わないわよ」

 私とは正反対に楽しそうな様子だった。そんな姿を見せられると、毒気が抜かれる。でも、不満とかそういった感情は内に沈み込んでいって行き場を失うだけで、結局気分は晴れず、すぐに浮かび上がってくる。

「お姉様、下ろしてくれる?」
「ん? いいわよ」

 少し屈み込んで私をそっと地面の上に立たせてくれる。そのときに、私の身体に積もっていた花びらも、お姉様の頭の上に積もっていた花びらもまとめて落ちていった。
 下を見てみると桜色の絨毯がある。私はその場に屈み込んでそれを両手ですくい取る。
 なんとなく温かさを感じたけど、それに対して何か感想を抱く前にまとめてお姉様の方へと投げつけた。形状のせいで速度はほとんど殺されて、雪のように私とお姉様へと降り注いでいくだけだったけど。
 なんとなく物足りない。沈み込んでた不満が更に多く浮上してくる。

「へぇ、貴女もこういう事するのね。満月に浮かれてるようね」
「お姉様に笑われてるのがなんだか気に入らないだけ!」

 一歩下がり、もう一度花びらをすくい、感情に任せて投げつける。今度は力みすぎたせいか、ほとんどが途中でこぼれてしまって自分の上へと降り注ぐ。
 なんだかバカにされてるようで、いらいらしてきた。

「気持ちよく笑ってただけなのに難癖をつけられるとはねっ」

 もっと花びらを投げつけようとまた一歩下がってしゃがんでいると、花びらを投げ返された。
 妖精に花びらを落とされたときほどじゃないけど、視界が桜色に覆われて思わず怯んでしまう。
 そして、それを狙っていたかのように再び上から大量の花びらが降り注いできた。それから、妖精たちの笑い声が再び聞こえてくる。

 その瞬間、私の中で何かの枷が外れた。

「あー、もう! お姉様も、上にいる妖精たちもまとめてやっつけるからそこでおとなしくしてて!」
「そう言われて素直に従うと思うかしら?」
「思わない!」

 私に関わると危ないから関わらないで欲しいと言ったのに関わってきた。そんなお姉様が私の言うことを聞いてくれるとは思わない。
 だから、地面にある花びらを手早くかき集めて問答無用でお姉様の方へと投げつける。でも、お姉様は避ける素振りも見せずそのまましゃがみ込んで同じように投げ返してくる。
 私も避けるなんていうことを考えるのが面倒くさくて、花びらを浴びながら何度も何度も花びらを投げる。
 合間合間に妖精たちが花びらを落としてくれるから、途切れることはない。
 だから、私は自分でも把握しきれない感情の中で、唯一明確に認識できている苛立ちに任せて、花びらの投げ合いを続けるのだった。





「……こ、降、……参」

 体力が尽きてしまって、思わずその場に座り込んでしまう。しばらくは動けそうにない。

「もうばてたの? だらしないわねぇ」

 顔や服のあちこちに花びらや土をつけたお姉様が余裕そうな態度のままそう言う。態度以外は、私も同じような状態だろう。何度口の中に砂やら花びらやらが入ったやら。
 花びらだけをすくうのも面倒くさくなってきて、無差別に地面にあるものを投げ合った結果だ。体力が削れてかなり冷静になった今、なんであんなことをしでかしたのか自分でもよくわからない。
 いらいらしてたからといって、ここまでしなくてもいいだろうに。自分自身に呆れてしまう。でも、感情を隠さず騒いだおかげか、心中はやけにすっきりとしている。
 その対価として、体力がほとんど奪われてしまったけど。

「……お姉様が、元気すぎる、だけだよ……」

 最初は木の上から花びらを落としているだけだった妖精たちも下に降りてきて私たちに混じっていたけど、疲れていったのから順番に抜けていって、今では全員桜に寄りかかって眠っている。どうやら、吸血鬼についていけるほどの体力がある妖精はいなかったようだ。
 そして、部屋の中でほとんど動くことのなかった私がお姉様についていけるはずもなく、こうして動けなくなっている。

 まあ、私がお姉様に勝てないと気づいたのは今さっきだけど。完全に我を失ってしまっていて、お姉様を倒せる気にさえなっていた。花びらを投げるだけで、何を持って勝ちにするつもりだったんだろうか。
 自分自身でもどんな思考をしてたのか全くわからない。

「貴女が本ばっかり読んでて運動が足りてないだけよ」

 ごもっともな言葉である。花びらの投げ合いを始めたときの私ならそれでも何か言い返してたかもしれない。でも、今はそれだけの元気も感情の高ぶりもない。

「それにしても、お互い酷い格好ねぇ。咲夜が見たらなんて言うかしら」

 楽しげな様子でそう言う。
 実を言うと、私も最後の方は楽しくなってきていた。だから、私にお姉様と同じくらいの体力があったら、延々と続いていたのかもしれない。

「さあ……、なんで混ぜてくれなかったのか、とか?」

 執拗にお姉様を狙う咲夜とそれに応戦するお姉様。たぶん、私もお姉様を狙うことになるだろうからニ対一で対立する構図が思い浮かぶ。そして、そんな状況でもお姉様は全力で楽しそうにしてるんだろうなぁ、と思う。

「ふふ、確かにそんなふうに言いそうね。次の満月の時には三人で、いえ、紅魔館の全員で動けなくなるまで弾幕ごっこでもしましょう? いやでも、パチェにはきついかもしれないわね」
「それは……」

 今日は特に問題がなかったけど、次もだいじょうぶだという保証は全くない。
 でも、お姉様がこっちに近づいてきて途中で言葉を飲み込んでしまう。

「今日の貴女を見てて思ったんだけど、単に塞ぎ込みすぎてるのが悪かったんじゃないかと思うのよ。今は割とすっきりした表情を浮かべてるし」

 私の傍でしゃがみ込んで視線の高さを合わせたお姉様は、私の頭にのっかかった花びらと土を払い落としながらそう言う。

「まあ、貴女が心配になるのも分からなくはないけど。だから、しばらくは二人だけで騒いでみるのがいいかもしれないわね」
「……でも、それだとお姉様を傷つけちゃうかも……」
「そんな事気にするなんて今更よ。まあ、貴女が今のままでも良いって言うんなら、無理して私の方からは関わらないけど……、嫌でしょう?」

 少し躊躇ってから、首を縦に振る。どうせ嘘をついても見抜かれてしまうだろうから。

「なら、貴女は辛い時は素直に甘えておけばいいのよ。私はやりたい事をやってるだけだから、貴女に心配される謂われはないわ」

 頭にのっかかっていた分はあらかた払いのけてくれたのか、頭を撫で始めてくれる。私はそれだけで、無条件にお姉様へと心を預けてしまう。
 明確な答えがないことでは、どうがんばっても勝てないのだ。私はお姉様に本気で反抗することができないから。

「……でも、お姉様を傷つけるのはいや」

 それでも、この思いだけは絶対に譲れない。

「それは奇遇ね。私も貴女が傷ついてるのを見るのは嫌だわ」

 ものすごくわざとらしく今知ったかのように言う。ずっと、それこそ私がその思いを抱いた頃から知ってるはずなのに。

「……そんなこと言ってお姉様はずるいと思う」
「そう思うんなら私以上にずるくなりなさいな。まあ、私は素直なフランの方が好きだけどね」

 頭を撫でながら笑顔を浮かべられると何も言えなくなってしまう。やっぱりお姉様はずるい。

 しばらく私もお姉様も黙ったままとなる。お姉様は私が何か言うのを待ってるんだろうか。でも、もう私の言いたいことは言ったし、何度も言うほどの気力も残っていない。

「さてと、落ち着いたみたいだし本来の目的に戻りましょうか」
「……なんのこと?」

 不意にゆっくりと立ち上がったお姉様の顔を見上げて首を傾げる。そういえば、何をするためにここに来たんだったっけ?

「花見よ。もう十分花びらは浴びたけど、ゆっくりとは見れてないでしょう?」
「あ……、そっか」

 すっかり忘れてしまっていた。

「私の提案はどうでもいいっていうことなのね」
「そ、そんなつもりはないけど……」
「ふふ、別に責めるつもりはないわよ。期待してた以上に楽しめたから、私もどうでもよくなってきてたし。でも、折角だから休憩がてら眺めていきましょう。立てる?」
「ん、たぶん」

 お姉様が差し出してくれた手を掴み、それを支えにして立ち上がる。少しふらついたけど、自力で立てないほどじゃない。座れるならすぐにでも座りたいけど。

 それから私たちは並んで桜の木に近づいて、妖精たちがいるのとは反対側へとまわる。
 そこには、いつの間に置いたのか畳まれた日傘が立てかけられていた。たぶん、お姉様が私の意識の外でやったんだろう。
 お姉様は日傘を手に取ると、桜に寄りかかって座り込む。私もその横に座って、気持ちお姉様の方へと寄りかかる。距離を詰められるなら、できるだけ詰めたい。

 そのまま、上を見上げる。月が沈みかけてしまっているから、最初に見たときほどはっきりと桜の姿は見えない。でも、桜色の花びらは十分に存在感を放っていて、見惚れさせられる。眺めていようと思えばいくらでも眺めていられそうだ。
 でも、私はそうしなかった。お姉様の方へと視線を向ける。

 お姉様は顔を上げてじっと桜を眺めていた。その横顔はとても綺麗で、月よりも強く、でも桜のように身近なものとして私を魅了する。

「貴女はどうしてこっちを見てるのかしら?」
「お姉様の方が綺麗だなぁって」
「何を寝ぼけたような事を言ってるのよ。それに、私の顔なんていつでも見れるじゃない」

 呆れたようにそう返されてしまった。冗談でも何でもない本気の言葉だったのに。
 お姉様はすぐに顔を上に向けてしまう。結局私も上を向く。特別な場所でお姉様の顔を見ているのと、特別な場所でお姉様と同じものを見ているのとどっちがいいだろうかと考えた結果だ。

 はらはらと静かに舞い降りてくる花びらを追いかける。辺りは静かで落ち着いていて、でも私たち以外の気配は感じられる。月が沈んでしまって、みんな寝静まってしまったんだろうか。ちょうど、私たちの反対側で眠っている妖精たちのように。

「ねえフラン。今日は楽しかった?」
「……うん、楽しかった」

 今回のことに関してはあまりお姉様を喜ばせるようなことは言いたくなかったけど、自分の気持ちを偽るようなことを言いたくないという気持ちの方が僅差で勝っていた。どうせ、先ほどまでの姿から見抜かれてしまってるだろうし。

「そう、良かったわ。じゃあ、次の満月の夜の予定も決定ね」

 思った通り、そんなことを言ってきた。勝てる見込みもないし、無駄にあがく元気もないから……、どうしようか。

「ま、貴女が嫌がっても無理矢理連れ出すけど。どうせ逃げ場なんてないんだから、早々に諦めときなさい」
「……お姉様ってかなりひどいよね」

 一番の望みを叶えるのは難しいとわかっていて必死に自分に言い聞かせているのに、簡単にその諦めを打ち壊してしまう。しかも、逃げ道がないことがわかっていながら容赦がない。

「あっはっは、好きなように言ってなさい」

 全然私の言葉に堪えていないようだ。いっそ、清々しささえ感じてしまう。

「……はぁ」

 苦笑と疲労とどうにもならないお姉様に対する諦めがまとめてため息となって出てきた。次に満月になったとき、私は喧嘩腰になりながらもお姉様に振り回されるんだろう。なんとも迷惑な話だ。

 でもまあ、どこかでそれを楽しみにしてしまっている時点でもうだめなんだと思う。
 さらわれている本人がいやがっていなければ、誰にも裁くことなんてできないのだから。

「大丈夫よ。悪いようにはしないから」
「私にとっては、不安定なときに連れ出されること自体が、悪いことなんだけど」
「それは必要悪なのよ」
「うん、お姉様には何を言ってもむだだね」
「信頼されてないわねぇ」
「あ、いや、えっと、……そんなつもりはないけど」

 ああ、本当にこんなことではいつまで経っても勝つことができない。でも、それでいい方向へと転がっていくのならそれでもいいのかもしれない。
 おかしそうに笑うお姉様の笑い声を聞きながら頭の片隅でそう思うのだった。


Fin



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