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 長年人里を眺め続けてきた大木の上で、少女の姿をした一人の妖怪、多々良小傘が息を潜めてじっとしている。
 彼女は青と赤の双眸を輝かせて、木陰を見つめているようだ。時折羽休めに枝に止まった小鳥は彼女の姿に首を傾げ、すぐに興味を失ったように羽繕いを始める。そして、それが終われば飛び去っていく。その間に小傘が動くことはない。

 彼女は、そこに誰かが通りがかるのを待っていた。驚いた心で腹を満たすために。

 けど、人里の者たちは誰も小傘のいる木へと近づこうとしない。葉の緑の中では目立ちそうな水色の服と髪は、光加減によっては空に隠れるだろうが、彼女の半身たる紫色の傘は遠目にもかなり目立っている。そして、彼女はやたら驚かしてくる妖怪として有名である。だから、皆関わらないようにと避けている。
 けど、たった一人だけ不用心にも木の下へと近づき驚かされた者がいた。その偶然による成功によって自信をつけてしまったがために、彼女は一人目を驚かしてからそれなりに時間の経った今でも、瞳を期待で輝かせたままでいられるのである。
 人を驚かせられるのが稀であるからこそ、一度の成功が過剰な自信となってしまうのだ。後数日はこうしてここに張り付き、うまくいかないということを受け入れ、また新しい方法を考え出すことだろう。一度めげても決して折れずに真っ直ぐさを維持しているのが、彼女の良い所でもあり悪い所でもあった。

 と、大木の方へと近づく人影が一つ。人影といってもその輪郭は管を纏ったような姿をしており、人間だと言うことははばかられる。更に、その管の先には閉じられてはいるが目のような物がついており、完全に人間からは逸脱している。
 そんな異様な姿をした妖怪の少女、古明地こいしは、黒い唾広の帽子を手で支えて静かな足取りで進んでいる。帽子を押さえる姿は、自らの顔を隠そうとしているかのようだ。それは周囲に顔を覚えられない為なのか、それとも表情を隠す為なのか。
 彼女の人間離れした出で立ちも、誰も近づこうとしないところへと近づくという行動も目立つはずだが、注目を浴びている様子はない。ただ一人、小傘だけが彼女へと視線を真っ直ぐに向けている。近づいたところを驚かそうとしているのは、誰の目にも明らかだ。
 こいしの姿に気がついていない里の人間たちは、そんな小傘の姿に首を傾げている。この状況を客観的に見ることのできる者がいれば滑稽に感じていることだろう。

 こいしが小傘の足下まで近寄った。彼女が帽子から手を離して、小傘を見上げようとした瞬間、

「わーっ!」

 小傘は声を張り上げながら木の上から飛び降りて、こいしの前へと真っ直ぐに落ちる。そして、どちらかが少しでも前に進もうとすれば、鼻の先が触れ合ってしまいそうなほどの距離で赤と青の双眸と翡翠色の双眸の視線とがかち合う。小傘が脅かしに来ると分かっていても、普通この距離ならばなんらかの反応を返すところだろう。
 けど、こいしは空っぽの表情で見返すだけだった。驚きに我を失っているというわけではなく、観察するように色違いの瞳をじっと見つめている。
 小傘はそんな視線に対してたじたじとなるが、このまま退こうという気はないようだ。伊達や酔狂で隠れ通していたというわけではない。だからこそ、意地もある。周囲からは、少々抜けているように見えてはいたが。

「……う〜ら〜め〜し〜や〜」

 彼女が出しうる限りの低い声でそう言う。けど、どこか軽い調子が残っており、おどろおどろしさの欠片もない。だから、ただただ白けきった空気が流れるばかりである。
 小傘もこいしも動きを止める。小傘の手はこれで打ち止めのようだ。

「五点」
「……え?」

 不意にこいしが端的にそう告げた。小傘は何のことを言っているのか分からず素っ頓狂な声を返す。

「あなたの悪戯に対する評価」
「……わーい半分も貰えたー」

 自分自身でもそんなことはありえないと思っているようで、全く感情の込められていない棒読みの声だった。俗に言う現実逃避というものである。

「百点満点に決まってんじゃん。ちなみに点数の内訳は、そんな酷い方法で驚かせれると思ってた可哀想なあなたに対する同情点五点。以上」

 こいしは笑顔を浮かべて毒を吐く。いたたまれなくなった小傘は背を向けてその場から逃げ出そうとするが、こいしはそれを正確に追いかけて逃げ道をふさぐ。
 こいしの笑顔は遊び道具を見つけた猫のようなものへと変わっている。それを真正面から見せつけられた小傘は、悪い予感を抱いていることだろう。

「あーあ、せっかくどういうふうに驚かせてくれるのか楽しみにしてたのになぁ。堂々と姿を晒してたから、どんなすごいことしてくれるのかと思ってたのにこの程度だなんて期待外れだなぁ。まあでも、あんなので驚かせれるって思ってた精神には驚きだねぇ。真似したいとはこれっぽっちも思わないけど」
「うぐぐ……」

 小傘はこいしの嫌みに対して何も言い返すことが出来ないようで、口からは意味のない呻きしか漏れてこない。そんな反応に、こいしの口元には嗜虐の色が浮かんでくる。

「その傘を使って大道芸でもした方がいいんじゃない? その方がよっぽど驚かれると思うけど。変な傘だから、注目も浴びそうだし」
「へ、変な傘って言うなぁ……」

 小傘の声は微妙に泣きそうなものとなっていた。彼女にとっては禁句だったようである。けど、こいしは気にした様子もなくその場でくるりと反転して小傘へと背を向ける。

「さてさて、これ以上関わってても時間の無駄にしかならないだろうし、退散させてもらうよ」

 そして、こいしは立ち去っていく。小傘はその背中へと恨みのこもった視線を向けるのだった。


 ちなみにその後、小傘の待ち受ける大木へと近づく者はいなかった。





 翌日、小傘は同じ大木の上へと身を隠して獲物を待ち望んでいた。ただ、昨日に比べると色違いの双眸は精彩を欠いていた。昨日あれだけ待っても成果がなかったのだから、当然とも言える。ただ失望よりも退屈の色の方が強い。

「懲りずにまた同じ所にいるんだ。なんか画期的な方法でも思いついた? それとも、待ち惚けが大好きな変人?」
「のわわわぁっ?!」

 少々気怠げな様子を見せながら木の下へと意識を向けていた小傘は、背後から不意に話しかけられて驚きからの大声を上げた。元々背後へと意識を向けていなかったが、気配を完全に消すことのできるこいし相手にはあまり関係のないことだろう。
 こいしは顔をしかめながら両耳を押さえていた。間近にいる彼女にとって、小傘の大声はやかましかったようだ。

「お、お前はっ!」

 こいしがいることに気づいた小傘は、少し敵意の混じった声でそう言う。昨日の一件で、心証はすこぶる悪くなっているらしい。

「やあやあ、悪目立ちする傘につられてまた来てみたよ」

 こいしは敵意には気づいているようで、どこか白々しさの漂う陽気な口調だった。仲良くする気があるのかないのかは不明だが、少なくとも素直な態度で相対する気は全くないようだ。

「がるるるっ」

 前日は自分自身を馬鹿にするような発言に対して心を折られかけていたが、今回は拒絶を剥き出しにして犬のようなうなり声を出す。一日の間に熟成された敵意が、彼女の攻撃的な部分を支えているようだ。けど、こいしはそんな反応を面白がって笑うだけで、効果は全くないようだった。

「よしよし。私は敵じゃないよ」

 こいしは笑いの衝動が引いたところで、小傘を落ち着かせるように水色の髪を撫でる。まるで犬の扱いだ。

「……私の心の傷抉って来てるくせに白々しい」

 睨みながら恨み節を呟くように言う。けど、当然のようにこいしは全く動じた様子を見せない。手を止めないまま淡々と答えを返す。

「そういう種族だから仕方ない。それに、私はあなたと敵対するつもりなんてこれっぽっちもないから嘘じゃない。遊び道具になってもらおうかなぁ、くらいしか考えてないよ」
「……私、なんでこんなのに絡まれてるんだろう」

 小傘は現実に嘆いて逃避する。

「このままこの里の名物になってもいいくらい目立ってるのに、本人はうまくいくと思ってる姿が滑稽だったから」

 こいしは、そんな独白に対しても答える。律儀なのではなく、単純にからかえそうだから答えているというだけだろう。

「昨日はうまくいった」
「単に引っかかったのが相当間抜けだったってだけじゃない? ちょっと周りを見回してみれば、ここが避けられてるってのはすぐに気づきそうなのに」
「み、みんな私に恐れをなして近寄れないだけだからっ」

 一応、何かおかしいということには気がついているようだ。それを認めるところにまでは至っていないようだが。

「何がしたいの?」
「うぐ……」

 矛盾を突かれて言葉に詰まる。

「そうやって、現実から目をそらそうとしてるから、いつまでもあんなつまんないことやってんじゃない?」
「うぐぐ……」

 正論にも言葉を詰まらせる。

「それとも、自ら望んで打ちひしがれようとする被虐趣味でも持ってんの?」
「そ、そんなことないっ」

 けど、不当に張られそうになったレッテルは突き返した。

「ふーん。じゃあ、ここで何やってるの?」
「……驚かせそうなのが通りがかるのを待ってる」
「怖がらせて近寄らせないようにしてるのに?」
「……意地を張ってそう言っちゃただけ」
「へぇ? 嘘ついたんだ?」
「……ごめんなさい」

 小傘はうなだれて謝る。敵意も一切残っていないようで、完全に言いくるめられてしまっている。

「謝るなら最初から嘘なんて言わなければよかったのに」

 こいしは頭の上に乗せたままだった手を再び動かし始める。今度は子供を慰めるようなどこか優しげな手つきだ。そうして慰める必要ができたのは、他でもないこいしのせいなのだが。

「そうやって、いらない見栄張って結局自分自身が精神的に傷つくのはその目立つのに人気のない色の傘が元の姿だから? そんな所まで元の姿に影響されなくていいのに」

 小傘はこいしを睨め上げる。どんなに相手のペースに持っていかれようとも、心の傷に触れられることだけは許せないようだ。
 こいしは相も変わらず動じた様子はない。けど、何か思うところがあるらしく、頬を両手で挟むとじぃっと小傘の瞳を見つめる。

「な、なに?」

 小傘は真剣な色をたたえた瞳にたじろぐ。ほとんど無意識に後ずさりしそうになるが、こいしに捕まっているせいでそれは叶わない。

「ほんと、全然怖くないね、あなたの視線。その様子だといいとこの出なのかな。境遇のせいでひねくれちゃってるみたいだけど」
「そんなことない」

 小傘は否定の言葉を口にする。彼女の記憶に残っているのは、捨てられて誰にも手に取られることのない日々。もし手に取られたとしても本来の役目を果たすことなく別の場所に捨てられるだけ。いい思い出など一つとして持ち合わせてはいない。そのはずだ。

「あなたが覚えてないだけなのか、はたまた根っからの暢気者なのか。でも、こんな変な傘なんだから、作った人はなんらかの思い入れがありそうだよね。そうじゃなければ、お仲間さんたちが他にもいそうだし」
「……なんで私のことをそんなに気にかけるの?」
「そういう種族だから。捨てたつもりなんだけど、根元的なものにはあらがえなくてねぇ。ま、こういうのは元々好きだったし、楽しいから別にいいんだけど」

 それと、と言いながらこいしは小傘を放して後ろに下がる。そして、散々変だと言い続けた紫色の傘を見上げる。

「あなたの傘が結構好きだから。そこまで突き抜けた意匠の傘なら、遠目にも誰が差してるのか一目瞭然だし」

 小傘はしばし動きを止めた。こいしの口から出てきた単語が信じられなかったから。それでいて何よりも耳にしたいと願っていた単語だったから。
 けど、こいしの言葉をしっかりと咀嚼し飲み込んだ小傘が浮かべた表情は不審だった。

「その言葉はバカにしてるようにしか思えない」

 それだけでなく、これまでの言動も少なからず関係しているだろう。出会い頭の言葉がこれだったなら、もう少し素直に受け取っていたかもしれない。

「そう?」

 どう受け取られようとも構わないと思っているのか、こいしは首を傾げたりはしているものの反応は淡泊なものだ。

「……褒めてるの?」

 けど、そうした態度だからこそ、小傘はもしかしたらそうなのではないだろうかと思った。

「さてさてどうだろうね? まあ、お好きにどうぞ。言葉にどんな意味が込められてようとも、投げかけられた側がどう受け止めるかが重要なんだから」
「むむむ……」

 小傘はどう反応すべきなのか分からないようで、苦悩の呻きを漏らす。
 真実はこいしの胸の中だけに。しかも、時間が経てば消え去ってしまっている可能性も十分にある。どんなに重要な言葉でも、そのときは心を込めた言葉でも、大して心に留めることがないのがさとり妖怪であることを否定しようとした彼女の在り方だ。

「うん。やっぱりあなたの反応は暢気すぎる。覚えてない? 大切にされてたときのこと」

 こいしはまるで小傘の過去の一片を知っているかのような様子でそう聞く。けど、彼女たちが出会ったのは昨日が初めてだ。だから当然、どちらも互いのことはほとんど知らない。

「……私はずっとひとりぼっちだよ。だぁれも見向きもしてくれなくて」
「でも、今は私があなたに関わってるよ?」

 小傘の寂しさの混じった言葉に対して、こいしは脳天気な様子で首を傾げた。

「それは、……私がこうして自由に動けるようになってるからじゃないの?」
「きっと私はあなたが単に意匠がへんてこりんなだけの普通の傘だったとしても拾い上げて本来通りの使い方をしてたと思うよ。使い続けるかどうかはわかんないけど、少なくとも家に持って帰るくらいはするんじゃない?」

 こいしは、どう足掻いてもたどり着くことのできない可能性の一つを言葉にした。それは小傘の望みうる世界なのかはわからないが、現実とは違い、他者との関わりのある世界だ。

「……それは見向きしてるって言うの?」
「飾りとしてならいくらでも。まあ、そんな傘があってもいいんじゃない? どうしても不満だったら、がんばって微かでも意思を持てばお姉ちゃんが拾って、私に伝えてくれるだろうし」
「むむむむ……、なんだか仮定の話の中の献身的に関わってもらえてる私が嫉ましくなってきた」

 言葉とは裏腹に、顔には憧憬ばかりが浮かんでいた。普通の傘としては、逸した話ではあるが、大切にされた記憶のない小傘にはそれでも十分なのかもしれない。 

「いいなぁ、いいなぁ。そんな世界に生まれたかった」
「あなたが手を伸ばせば、そんな世界に手が届くかもしれないよ?」

 こいしは小傘へと手を差し伸べる。小傘は反射的にその手を掴みかけるが、寸でのところで止める。
 こいしが話したのは、自我が芽生える以前の小傘と出会ったときの仮定の話だ。今の妖怪化してしまった小傘に出会うというのとは決定的に違う。
 だからこそ、望んでいる、もしくは望んでいた世界をここで手に入れていいのかと考える。今の自分をその世界に組み込んで。

「……やっぱり、いいや」

 小傘の手は何も掴むことなく下ろされた。

「へぇ、どうして? 私のことが信用できないとか?」
「まあ、それもあるけど、いまさら普通の傘として扱われてもなぁ、と。今の私は誰かに持ってもらうよりも、風に飛ばされるように気ままに誰かを脅かしてる方が性に合うと思う」
「ふむふむ、そういうことか。なぁるほど」

 小傘の言葉を聞いたこいしは、一人で何かに納得したように頷いている。対して小傘は、その反応に首を傾げる。

「何がなるほどなの?」
「あなたがそんなに暢気な理由。昔大切にされてたから、っていうのは見当違いだったみたい。一応確認ついでに聞いてみるけど、あなたの最初の記憶って誰かの驚いた顔じゃない?」
「……そう言われてみればそんな気が。って、なんでわかるのっ?!」
「相手の情報を手当たり次第に引きずり出して、それを的確に組み合わせていけば誰にでもできるって。相手の考えてることを想像するなんて、そう特別なことじゃないから」
「ほへぇ……」

 小傘はこいしの言葉に感心しているようだった。元々思考を持たない道具であった彼女にとって、賢い者は一種の憧れなのである。
 だからか、最初はこいしに対して向けていた敵意もいつの間にか消え去ってしまっている。

「ま、私のことはどうだっていいよ。それより、あなたにぴったりな脅かし方を思いついたから教えて上げる」
「えっ、なになにっ?」
「それは――」

 こいしは小傘の耳に口を寄せて秘密の方法を囁く。
 小傘はその方法に顔を輝かせた。





 空がどんよりと曇り、幻想郷中を薄暗くする。夜のように手元が見えなくなるほどの暗さとはならないが、雲によって心に蓋をさせられたかのように誰もが少し浮かない気持ちとなる。
 さらに風も強く、家の間を通り抜けるときの音が陰気な印象を強める。

 ある家から一人の男が出てくる。風の強さに家のことが少し気になったのだろう。家の周りをぐるりと回り、最後に正面から家を見上げる。表情から自身の家に対してどのような評価を下したかは見て取れないが、それ以上何かをしようという気配はないから、大丈夫だという判断を下したのだろう。
 と、一際強い風が吹く。男は反射的に頭を腕でかばうようにする。動物の本能的な行動だ。
 そして、男が顔を上げた瞬間――

 風を切る音と共に傘の切っ先が鼻の先をかすれた。

 男は驚いて反射的に後ろに下がり、尻餅をついてしまう。その視線の先には紫色の傘を振り切った小傘が立っている。身体はしっかりと捻られ、綺麗なフォームから繰り出されただろう事が伺える。
 男は曇天にも関わらず、小傘の背後に晴れ空を幻視した。夏のどこまでも透き通るような胸がすっとする青空だ。
 小傘の顔には笑みが浮かんでいる。男を驚かすことのできたことに対する満足の笑みだ。けど、尻餅をついたままの男には、運動の後に浮かんでくる爽やかな笑みに見えていたかもしれない。

 小傘フルスウィング。

 風に飛ばされる傘の危うさ。驚き顔を初めて見た小傘の胸中に浮かんだ爽やかさ。それらを融合させた新たな驚かせ方だ。命名者は発案者であるこいしである。


 しばらくして、少し天気が荒れそうなときの名物となったのは言うまでもない。


Fin



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