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 何冊かの本を積み重ねた山を抱えて、果ての見えない廊下を歩いていく。自分の足音は、真っ赤な絨毯に飲み込まれて、何の音も聞こえてこない。
 この時期は、寒さに音が萎縮してしまったかのように、世界は静けさに満ちる。こうした静けさに寂しさを感じることはないと思っていたけど、ただただ私の経験不足が原因だった。
 音のなさでは私の部屋も引けを取らない。それでも、そこに何かを感じることがなかったのは、そういう場所だと意識に刻まれていたからだろう。
 でも、ここは違う。今の時期でなければ、どこにいても妖精メイドたちが仕事をさぼって遊ぶ声が聞こえてくる。中には真面目なのもいるようで、時折遊び声の中に、仲間たちを諫める声が混じってくる。私が初めて部屋から出たときからそうだったから、私の意識にこの館の廊下は賑やかなものという印象が刻まれている。
 だから、冬になって妖精メイドたちが騒ぐ場所が部屋の中に移って、廊下の喧噪も一緒に移動してしまうと、賑やかなときとの対比から寂しいといった印象を得てしまう。
 でも、こうしてぼんやりと考え事をしながら自室へと戻る程度には、この静けさの中に同居する寂しさは嫌いではない。元々静かな場所にいたから、これくらいの方が居心地はいいのだ。
 不意に扉の一つが開いて、そこから一人の妖精メイドが現れる。その姿が見慣れたものだと気が付いた瞬間に、私はくるりと振り返って元来た道を戻ろうとした。
 でも、ほぼ直線で手近なところに曲がり角も見当たらないから、どうしようもない。本を持っているから、姿を消すこともできない。

「あっ! フランお嬢様発見!」

 背中を向けただけだから、当然見つかってしまう。
 私は嬉しそうに弾んだ声を振り切るために、足早にこの場から離れようとする。でも、本を抱えているせいで、あまり速度を出すことはできない。

「逃げようとしても無駄ですよ!」

 そして、案の定背後から抱きつかれてしまう。振り払うために羽をばたつかせてみるけど、向こうの方が身長が低い上に、腰の辺りに腕を回されている状態だから、全く効果がない。

「フランお嬢様。何か暖かい飲み物を出すので、厨房に行きませんか?」
「早く部屋に戻って、本を読みたいなぁと思ってるんだけど……」
「でしたら、私もお付き合いいたしますよ。学はあまりないので、隣で船を漕いでるだけかもしれませんが!」

 そんなことを力強く宣言されても困る。

「私の部屋、寒いよ……?」
「フランお嬢様がいるから、だいじょうぶですよ」

 そう言いながら、更に私へとしがみついてくる。
 彼女の言葉は、他人の体温に温めてもらえるから、という理由から来るものではない。冬の間、私は全ての熱を奪おうとする冷気を退けるために、自分の周りの温度を魔法で操作している。だから、その温度を求めて、この妖精は私にまとわりついてくるのだ。冬以外でもやたら関わってこようとしてくるけど、さすがに今みたいに縋りついたりまではしてこない。

「さあさあ、どうします? 私はどちらでも構いませんよ?」

 ぎゅーっと腕に力を込めて、思い通りになるまで放さないという意志を押しつけてくる。無理やり振り払おうと思えばできないこともないけど、さすがに気が引ける。吸血鬼の圧倒的な力量が引き起こしかねない事態は、私の意識に強く刻まれている。

「……部屋に本置いた後でいい?」
「はい、いいですよ」

 できればあまり他人の気配を感じない状態で本を読みたいから、厨房に行くという選択肢を選んだ。
 しばらくの間、読書に身を浸すことはできそうになそうだ。




 いつだったか、咲夜と仕事のことをちらつかせながら追い払おうとしたことがあった。でも、私に構うことも仕事の一つになっているようで、全く意味がなかった。
 ちなみに、妖精メイドたちの仕事は、咲夜がやっていることを元に決められているらしい。そして、咲夜がしていることを一言で言い表すなら、お姉様の世話ということになる。でも、お姉様一筋である咲夜がそう簡単に誰かにその座を明け渡すわけがなく、家事全般の補佐もしくは私の世話が仕事となっているらしい。
 ただ、私の世話というのを実行しているのは、彼女一人くらいだ。他の妖精メイドたちは、顔を合わせれば挨拶をしたりはするけど、それ以上の関わりはない。
 理由は何となくわかっている。私のことがよくわからなくて、気後れしているのだろう。
 私は曲がりなりにも大妖怪に分類される吸血鬼だ。それに、絶対に誰からも歓迎されないような力を持っている。さらに、私は自分から他者に関わろうとすることがほとんどない。だから、妖精メイドたちの中での私は、フランドール・スカーレットという個人ではなく、危険な力を持った吸血鬼という抽象的な存在となっているのだろう。そうなっていれば、わざわざ関わろうという気になるはずがない。どう思われていようと、私には関係ないのだけれど。
 でも、彼女はなぜだか私を人格ある個人として見なして、積極的に関わってくる。今では、私が彼女の性格をある程度理解できてしまう程度には絡まれてしまっている。
 まあ、なんというか気を休めることができない相手なのだ。
 今現在、その妖精メイドは部屋に本を置いて自由になった私の腕に縋りついてきている。腰に抱きつかれるよりはましだけど、これはこれで歩きづらい。重くはないからそのせいで体勢を崩すということはないけど、時折足がぶつかったりして足を取られそうになる。

「今、反対側にもう一人いれば歩きやすくなるのになぁ、なんて考えてましたね」
「いやいや、人の思考を捏造しないで。余計に歩きにくくなるだけだし、あなたが離れてくれたら解決することなんだから」

 少しくらい離れてもだいじょうぶなようにと、魔法の範囲を広げている。だから、密着する必要は全くないのだ。それに、黙ってそうしたわけではなく、ちゃんと伝えたはずなのに、変な理屈を並べて離れようとしてくれない。

「それは、私と二人っきりになりたいという告白ですか?」

 恥ずかしげもなく真顔でそんなことを言ってくる。図書館に似たようなことを言ってくる司書がいるし、積み重なる彼女との交流の中で慣れてしまっていた。だから、この程度でうろたえたりはせず、多大な呆れを以て対応することとする。

「都合のいいところしか聞いてないでしょ」
「当然です。楽しく生きるコツは、自分にとって良い物を集めることですから。わざわざつまらない物を拾ってなどいられません」

 心底楽しそうな笑顔をこちらへと向けてくる。そんな顔を見せられると、毒気も抜かれてしまう。そして、代わりに別にいいかなぁ、と思わされてしまうのである。
 この妖精メイドは、本当に厄介な存在だ。行動が強引な上に、屁理屈も無理やりねじ込んでくるから、真面目に相手をしていると疲れてしまう。かといって、無視してしまう気にもならなくて、疲れはますます蓄積されていってしまう。

「なんだか、不幸そうな表情してますね」
「あなたが私のこと解放してくれたら、すぐさま不幸もどこかに行くんだろうけどね」

 不幸というのは言い過ぎだけど、憂鬱さをもたらしているのはこの妖精メイドに他ならない。私を一人にしてくれたら、それだけでだいぶ気分が変わってくることだろう。

「ではでは、厨房にて私が幸せを提供してあげましょう」

 全然私の話を聞いてくれていないようだった。でも、そういう振りをしているだけで、実際にはしっかりと聞いているというのがこの妖精メイドの厄介なところだ。他の妖精に比べると、だいぶ頭がいいような気がする。

「咲夜の料理とかでだいぶ舌が肥えてるだろうから、難しいと思うよ」

 とりあえず、私の話を聞いてくれていないということに対するささやかな復讐のため、突き放すようにそう言う。ただ振り回されているだけというわけではない。

「うぐ……っ。それは、確かにそうかもしれません」

 妖精メイドが大袈裟に声を詰まらせる。でも、図星を突かれたというのが声から感じられるから、私の言葉は彼女の弱い部分を的確に突いたのだろう。数秒後には既に立ち直ってることが多いから、虚しさしか感じないけれど。

「……最近のフランお嬢様は、意地が悪いですね」

 声に意気消沈を滲ませながらそんなことを言ってくる。わざとらしい態度を取ってくるのに言われたくはない。

「誰のせいだと思ってるの」
「さあ? 周りにいるのはひねくれたのばっかりなので、わかんないです」

 先ほどまでの意気消沈を捨て去って、代わりに無知を装うように首を傾げる。
 まあでも、彼女の言う通りだ。私にとって最も影響力のあるお姉様でさえ、その傾向がある。昔はそうでもなかったけど、こっちに来て余裕が出てきてから、そうなっていったような気がする。
 まあ、それは今はどうでもいいとして。

「それって、自分のことをひねくれてると思ってる上に、自分が原因だって言ってるようなものじゃない?」

 私は妖精メイドを指しながら誰のせいかと言って、彼女が原因であることを暗に示した。でも、誰の何が原因かとは一度として聞いていないのである。彼女は余計なことを言い過ぎなのだ。

「おや、私としたことがこれはとんだ失態を犯してしまったようですね」

 そう言いながらも、悪びれた様子を見せない。まあ、今更一つ二つ何かをやらかしたからって、遠慮するようなことはないと思うけど。
 ……本当、なんでこんなのに絡まれてるんだろうか。

「フランお嬢様。またまた不幸そうな顔をしてますよ」
「……誰のせいだと思ってる?」
「冬の寒さのせいでしょうか。この時期は妙に人恋しさを感じて、一人でいると憂鬱になっちゃいますよね」

 そう言いながら、更にこちらに身体を寄せてくる。私は歩きやすさを優先して、壁の方へと寄っていく。そうすると、妖精メイドが開いた分だけ寄ってくる。
 もう一歩逃げる。すると、またまた寄ってくる。それを何度か繰り返すと、羽が壁を掠めて限界に手が届く。

「歩きにくい」
「まあまあまあ、そんなに邪険にしないでください。寂しさに心を蝕まれた妖精は死んじゃうんですよ」
「聞いたこともないんだけど」
「私限定の特性ですから」

 いけしゃあしゃあとそんなことを言ってくる。

「……はぁ」

 色々と言い返したいことはあったけど、気力が尽きてしまって、口から出てくるのはため息だけなのだった。




 この館の各部屋には、温度を調節するためのマジックアイテムが設置されている。とはいえ、誰かが館中の道具に魔力を供給し続けるというのも非現実的だから、傍にいる誰かの魔力やら妖力やら霊力やらそんな感じのものを吸い取って稼働するようになっている。
 今私がいる食堂にもそれは設置されている。今は私の魔力を使って稼働している状態だ。私が魔法を使って部屋を暖めるよりは、断然効率がいい。
 そんな館の空調事情をぼんやりと考えながら、広い食堂の一角のテーブルの席に座って、妖精メイドが戻ってくるのを待つ。私以外には誰もいない。厨房の方には、何人かの妖精メイドがいるらしく、談笑する声が聞こえてくる。
 この隙に部屋まで逃げ帰っても良いけど、どうせ押し掛けてくるだけだろう。私の逃げ場は限られているから、向こうに追いかけようという気があればどうしようもない。そして、あの妖精メイドはそのすぐにでも捨て去ってほしい気力を持ち合わせてしまっている。

「お待たせしました! 幸せをふんだんに詰め込んだ私特製フェアリースペシャルティーと咲夜さんが作ったパウンドケーキです」

 妖精メイドがワゴンを押して元気よく戻ってくる。そして、言葉で無駄にごてごてと飾られた紅茶の注がれたティーカップと、断面からドライフルーツが顔を覗かせているパウンドケーキの載った皿とフォークとを私の前に置く。それから、私の向かい側の席にも同じセットを置くと、彼女も席に付いた。
 一応立場としては私が主のはずだけど、彼女からは自分が従者だという自覚が全く感じられない。主なんて私の柄じゃないから、その辺りはどうでもいいけど。

「ふっふっふー。このパウンドケーキ、今朝咲夜さんが作ってるのを見かけて、ずっと狙ってたんですよ!」
「……私が部屋で本を読みたいって言ったとき、付いてくるって言ってなかった?」
「そう言えばフランお嬢様は食堂に行くと言ってくれると思ったんですよ。目論見通りでした」

 どうやら、彼女の手のひらの上で踊らされていたようである。気にくわない。

「まあ、そんなことよりも、早くいただきましょう」

 意識が完全にパウンドケーキの方へと向いてしまっている妖精メイドは、私の不満を気にした様子もない。フォークを手に取ると、標的を切り崩して口へと運んでいく。
 その直後に浮かべた表情は、至福という言葉がこれ以上ないくらいに似合っていた。そんな表情を見せられたら、不満の行き場がなくなってしまう。打算の一つでも見つけられたら違うんだろうけど、今の彼女は私の方を見ていない。

「んーっ! やっぱり咲夜さんの作るお菓子は最高ですねっ! ほらほら、フランお嬢様も早く食べないと私が取っちゃいますよ?」
「そのときは全力で応戦するよ?」

 無邪気な問いだとしても、それだけは絶対に許さない。私だって咲夜の作るお菓子は好きなのだ。そう簡単に盗らせるつもりはない。

「おおう。珍しくフランお嬢様から闘気が感じられます。これは、気楽に手を出したりはできませんね」

 おどけたような態度だから、言葉通りのことを私から感じ取っているとはとても思えない。警戒しておくに越したことはないだろう。

「まあ、それはそれとして、そろそろ私の淹れた紅茶を飲んでほしいなぁと思うわけですが」
「……何を仕掛けてるの?」
「幸せが濃縮されている、とだけ」

 言葉の雰囲気から、咲夜並の悪戯が仕掛けられていることはなさそうだと感じられる。確証はないけど、大事には至らないだろう。咲夜のも一応小事で済んでいるけど、それはお姉様相手だからであって、人間相手に仕掛けたら悲惨なことになっているだろう。

「……いただきます」

 カップを手に取って、警戒しつつ鼻先へと近づけてみる。それだけで、湯気と共に甘い香りが鼻を抜ける。妖精メイドの方へと顔を向けてみると、まるで自分は色のいい感想を期待しているんだとばかりに、こにことした笑みをこちらに返してきた。今までの言動と併せると、胡散臭さしかない。
 嫌な予感が脳裏をよぎるのを感じながらも、カップに口を付ける。なんらかの糾弾をするにしても、相手が何を仕掛けたかくらいは知っておくべきだろう。軽度のものなら尚更に。
 ゆっくりとカップを傾けると、甘さの固まりみたいな液体が口の中へと入ってきた。甘いものは好きだし、飲めないこともないけど、いささか甘すぎる。
 でも、思っていたよりもずっと大人しい悪戯で拍子抜けだ。特に何かを言おうという気にもならない。二口目は、飲むというよりも舐めるといった感じで口に含む。こうすれば丁度いい甘さかもしれない。時間が掛かりすぎるという難点があるけれど。 
 そう思いながら、向かい側の席に視線を向けてみると、妖精メイドが驚いたような表情でこちらを見ていた。

「なに?」
「あんな甘い物をよく表情一つ変えずに飲めるものだなぁと。ちょっと味見してみましたが、あまりの甘さに吹き出すかと思いましたよ。ああぁ、思い出しただけで、口の中に砂糖をぶち込まれたような感覚が」

 妖精メイドは、口の中に含んだ空想の砂糖を流し込むようにカップに口を付ける。どうやら、自分の紅茶は普通のものにしているようだ。主目的はパウンドケーキを食べることみたいだから当たり前か。
 そんなことを思いながら、カップをいったんテーブルに戻す。それから、パウンドケーキをフォークで切り崩して、口へと運ぶ。こちらにはなんの細工も施されておらず、正真正銘の幸せな甘さが口の中に広がる。私の意志とは関係なく、頬が緩むのを感じる。

「幸せそうですね」
「うん。咲夜の作るお菓子は美味しいから」

 私が掛け値なしの言葉で答えると、妖精メイドが先ほどとは異なる性質のにこにことした笑みを向けてきた。それこそ、幸せそうという言葉が似合うような。
 なんなのだろうかと思って、見つめ返してみる。私を見ているだけだから、咲夜の作ったお菓子の美味しさに幸せを感じているというわけではないだろう。
 この妖精メイドはいつもこうだ。ふとした瞬間に、私の方へと幸せそうな表情を向けてくる。その理由が知りたいというのも、本気で追い払おうと思うことができないでいる理由の一つとなっていたりする。
 その疑問を彼女に問いかけてみたこともある。でも、はぐらかされてしまって聞き出すことはできなかった。
 だから、最近ではこうして思考によって答えを導き出そうとしている。
 そして、その結果として答えのようなものは一応出てきている。でも、それが合っていると保証するものは何一つとしてない。簡単にそうだと認めてしまうのも、自意識過剰のような気がするし。

「ふっふっふー、フランお嬢様は私の幸せの理由が気になるようですね。もし、お嬢様が望むのであれば話してあげてもいいですよ」
「どういう心境の変化?」
「フランお嬢様がこちらに近づいてくる速度が遅すぎて、焦れったくなってきたので、一石を投じてみようかと。あまりにも私の理由が衝撃的すぎて、近づきすぎちゃったりしないでくださいね」
「それはないと思う」

 一言で断じる。油断ならない相手に、その心の一部を曝け出されても、警戒を解くまでには至らないだろう。

「そうやって余裕を見せていられるのも今のうちだけですよ。では早速、といきたいところですが、フランお嬢様が私の行動をどう考えているのか聞きたいです。何も考えず、ただぼんやりと私を眺めていたというわけではないんですよね?」

 こちらが向こうのことをある程度理解しているのと同様に、向こうもこちらをある程度理解しているのだ。単純に洞察力が優れているというのもあるけれど。

「見当違いなこと言ってたらいやだから、言いたくない」
「えー、聞きたいです」

 妖精メイドが催促の視線をこちらに向けてくる。私が喋るまで圧力をかけ続けるつもりのようだ。
 私もその程度で屈するつもりはないから、紅茶に口を付けて逃げる。一気に飲むことはできないから、時間は十分稼げるはずだ。
 私はしなければならない予定のない身だし、彼女も私に関わっている限り、それは同じだ。だから、単純な忍耐力の勝負となる。
 しばらく、私たちの間を沈黙だけが支配する。黙らなければいけないわけではないけど、私も彼女も口を閉ざすことを選んだ。
 私は会話を進展させるつもりはないと、カップの縁に口をつけたまま、水面を見つめ続ける。妖精メイドがこちらをじぃっと見つめているのが、視界の端に映っている。
 と、不意に彼女の頭がテーブルの下へと消えた。私は即座に魔力を足下へと向ける。
 そのすぐ後に、じたばたと暴れるような音が聞こえてくる。何をするつもりだったかは知らないけど、とっさの判断は間違っていなかったようだ。今のところ、こっちには特に被害がないから、放置してパウンドケーキを一口食べる。
 租借して飲み込むくらいの時間が経っても、音はまだ聞こえてくる。

「フランお嬢様、地味にきつい体勢になってるので解放してくれませんか?」

 少しして、音がやんだ。代わりに、妖精メイドの弱ったような声が聞こえてきた。

「じゃあ、私に妙な真似をしないって約束して」

 下から聞こえてくる声に、淡々と答える。
 どんな体勢になっているかは知らないけど、お姉様の真似をして作ってみた鎖に捕らえられて動けなくなっているはずだ。……演技をしているという可能性は否定しきれないけど。
 そんな可能性に思い至った途端、私の中に不安が生まれる。じわじわと沸き上がってくるそれを押しとどめるため、テーブルの下を覗いてみる。

「引っかかりましたね! フランお嬢様!」

 その瞬間、勝ち誇ったような声が飛び込んできた。予感が的中したかと思い、体がびくりと震える。
 でも、よくよく見てみると、妖精メイドは魔力で作られた赤い鎖に絡め取られて動けなくなっている。私の魔法は、狙ったとおりの効果を発揮している。

「あっはっは! 引っかかりましたね、フランお嬢様!」

 台詞は先ほどと同じだったけど、声を彩っているのは楽しげな色だった。
 私は無言で椅子にしっかりと座り直して、再びティータイムのセットと向かい合う。少しでも騙されてしまったのが悔しい。

「あ! 無視しないでくださいよ!」

 じたばたと暴れるような音が聞こえてくるけど、気にしない。

「おーじょーうーさーまー!」

 喚くような声を背景に紅茶に口を付ける。うるさいけど、無視する。
 暴れるだけでは効果がないことを察したのか、ぴたりと黙る。そして、大抵こういうときは、同時に禄でもないことを思いついている。

「フランお嬢様って、足綺麗ですよね。ほっそりとしていてか弱そうな印象がありますが、必要な部分はしっかりと肉付いてて、どこか色気を感じるくらいです。……なんだか、ずっと見てるといけない気分になってくる気がします」
「……蹴っ飛ばすよ?」

 どこぞの司書のように、そういう話題を出してこないのが唯一の美点だと思ってたのに。

「わざわざそういうことを口にして確認するのがお嬢様の甘さですね! 私の淹れた紅茶よりも甘々です! って、だからって絶妙な位置で足振らないでください! 怖いですからっ!」

 妖精メイドがいた位置を思い返して、ぶつけないようにしながら力を込めて足を振ってみたら効果絶大だった。いつも好き勝手に振り回されてるから、本気で怖がっている声が耳に心地いい。
 そんな感じに満足したから、妖精メイドを解放する。何か不届きを働いてきたら、もう一回捕まえておけばいいだろう。

「……はあ。フランお嬢様って、案外サドの気があったりしますか?」

 妖精メイドが大人しくテーブルの下から戻ってきて、安堵の息を吐きながら席に座る。

「知らない。あなたが余計なことしようとしてくるから、実力行使に出ないといけないっていうのだけは確か」
「あらー、本願を叶えようとがんばってたら、藪蛇を出しちゃった感じですか」
「私なんかにそんなもの望んでどうするの?」
「そんなものと言われても、なんのことやらさっぱり。具体的に言ってくれませんか?」

 やっと元に戻ったと思ったら、同じ道筋を辿り始めている。そんなことはないだろうけど、また同じやり取りを繰り返すのだろうかと思うと、変な意地を張っているのも面倒くさくなってきた。

「私が浮かべる気の許した誰かに見せるような表情」

 彼女との短くない付き合いの中で、そんな予想を手に入れていた。状況証拠はいくらでもあるけど、理由がわからなくてそうだと確信することはできていなかった。

「さすがフランお嬢様。正解です」

 私が正しい答えを口にしたことを褒め称えるように、もしくは喜ぶようににこりと笑顔をこちらに向けてくる。

「フランお嬢様が答えてくれたので、私も答えるべきですね。一言で言っちゃえば、お嬢様のその表情に一目惚れしちゃったわけです。だから、理由を聞かれると困っちゃうわけです」
「はあ……」

 なんと返していいかわからない答えだったから、気の抜けた反応となってしまう。

「なんですか、その反応は」
「……からかってるとかじゃないの?」

 彼女の言動から、綺麗なものとかお気に入りのものを見つけたとかの意味での一目惚れだというのはわかったけど、それもそれで納得できない。私にそこまでの価値や魅力があるんだろうか、と。

「珍しく曝け出した純心に対して、からかってるとは酷い言いぐさですね。私は本気ですよ」

 怒ったような表情がこれ以上ないくらいに、本当のことを告げているのだと示している。ただ、やっぱり納得が追いついてこない。

「フランお嬢様は、それはもう筆舌につくし難いくらいに魅力的な方なんです。それこそ、レミリアお嬢様に匹敵するくらいに」
「それは絶対にない」

 私の世界の半分以上を構成している存在が、私と同程度というのはありえない。誰もがそう思っているとはさすがに考えていないけど、少なくとも私の中では世界一なのだ。

「そういえば、フランお嬢様はそういう方でしたね。引き合いに出す方を間違えました」

 呆れが返ってきた。

「まあ、とにかく、フランお嬢様自身が思っているほど地味な存在ではないですよ。普段の冷めた態度とは全く違った感情的な姿に心奪われた妖精が一人ここにいるわけですから」
「あなたが変なだけじゃない?」

 私が知っている妖精の中では、十分変わり者に属している。

「まあ、確かに変わったところはありますけど、フランお嬢様のことが気になってるのは何も私だけじゃないですよ? 私以外にも、フランお嬢様のことを気にしている妖精メイドはいます。私以外は、フランお嬢様の誰も寄せ付けない態度に弾かれちゃってますけどね」
「……私に近づいたら危ないとか思ってるんじゃないの?」

 噂話程度にしか私のことを知らないのなら、そうなるのが当然のはずだ。

「確かにそういうのもいますけど、そういうのはレミリアお嬢様とかも怖がってますからねぇ。基本的には、私たちとは相容れないような世界の住人に対して気後れしちゃってるだけです。私たち妖精は、根が庶民なので」
「私も一応、庶民側のつもりなんだけど。世間知らずなところはあるかなぁとは思ってるけど」
「えー、フランお嬢様が庶民とか絶対にないですって。常識を身につけて、町娘に扮したとしても十中八九の人がただ者じゃないって気付くはずです。気付かないのは、今まで生きてこれたのが不思議なくらいに鈍いやつだけでしょう」
「そう、かな……?」

 始終確信に満ちた声色でそう言われると、その通りのような気がしてくる。でも、やっぱり私なんかにそうした評価は不釣り合いだ。

「そうですよ!」

 思いがけない強い声に私はびくりと震える。

「フランお嬢様は、普通なら私のような存在では関わることのできないような存在なんです! みんなの中心に立っても、絶対に褪せることのないくらいの輝きを持ってるんです! 私がこれだけ言っても、まだ納得できませんか?」
「う、うん。……ごめんなさい」

 怒ったような語調に圧されて、思わず謝ってしまう。

「……まあ、現状だとそう思えないのもしかたないですよね。あー……、みんなをフランお嬢様と関われるように橋渡し役をすればいいんだろうけど、そうすると折角の独占状態が……」

 目に見えて落ち込む様子を見せたかと思うと、頭を抱えて苦悩し始める。独占という言葉から、どれだけ私に対する好意を抱いてくれているのかが透けて見えるようで気恥ずかしい。いつものように、冗談混じりではないだけに。

「……取りあえず、現状維持でいきましょう。変革は場の流れに任せることにします」
「あなたがそういうこと言うのって珍しい気がする」

 いつも積極的な態度だから、受け身の発言をすることがあるとは思ってもいなかった。

「私は臆病な妖精ですよ? 万が一にも今の立場を誰かに取られてしまったら、取り戻すのは至難でしょう。それとも、フランお嬢様なら数え切れないほどの存在から慕い敬られても私のことを忘れないでいてくれますか?」

 こちらを真っ直ぐに見つめて、自嘲するような笑みとともにそんなことを言う。普段の彼女からは考えられないくらいに、しおらしい態度だ。怖いもの知らずなのかと思っていたけど、そんなことなかったんだなぁと思う。
 ただ、臆病なのに、なんの気後れもなく私に近づいてきたのはどういうことなんだろうかとも思う。でも、一般的な妖精の生き方を考えてみれば、もともと失うものはほとんどなさそうだ。そう考えれば、彼女の臆病さは失うことへの怖さを引き出しているのだろう。
 そんな弱さを見せられて、無視するということはできない。だから、私が思っていることを言ってやろう。遠慮はしない。

「あなたほど強烈で面倒くさいのを忘れるなんてありえない。忘れようと思っても、月日の経った汚れみたいに、そう簡単に消えてくれないと思う」
「……酷い言いようですね」
「自業自得。でも、私はあなたを忘れるつもりはない」

 そこにどんな感情が付随しているかは自分自身でもわからないけど、心のどこかが忘れたくないと言っている。

「……本当ですか?」
「うん、ほんと。今更あなたがいなくなっても寂しいだけだろうし」

 私は静かな方が好きだ。でも、一度騒がしさを知ってしまった後の静けさには、寂しいという感情が伴う。だから、騒がしいのも嫌いではないということなのだろう。

「……ふふ、そうですか。そうですか! なら、怖がる必要もありませんね。……でも、やっぱり今の状態を変えてしまうのは惜しいので、私は何もしないようにします」

 先ほどまでとは対照的に、心底嬉しそうな声で表情を輝かせる。私の言葉一つでそこまで感情を露わにされると、気恥ずかしさが溢れ出してきそうになる。慣れない感覚に、私は逃げ出したい気持ちに襲われる。ただ、今この瞬間にそれを実行したらどんな傷を残してしまうかわからないから、腰が浮かないようにがんばる。
 妖精メイドの方からは、それ以上特に何も言ってこない。私からも言いたいことはないから、何も言わない。二人しかいない部屋は、それだけで静かになる。厨房からの声が聞こえてはくるけど、静けさを壊してしまうほどではない。
 妖精メイドは相も変わらず、嬉しそうな表情をこちらに向けている。体の中に幸せの源泉があって、絶えず湧き出てきているかのようだ。
 ……ものすごく居心地が悪い。

「……なんだかものすごく嬉しそうだけど、私何か特別なこと言った?」
「ええ、言いましたよ。でも、それ以上に私はフランお嬢様が私に対する笑みを向けてくれたことが嬉しいんです」

 妖精メイドの言葉を聞いて、自分の頬にぺたりと触れてみるけど、そこに答えはない。たぶん、彼女が望んでいる気を許した相手に見せる表情の一つなんだろうけど、それを浮かべたという自覚はない。

「なんだかんだと言いながら、私のことを受け入れてくれてたんですね」
「……私に嫌われること前提でああいうことやってたの?」
「中途半端に踏み込むよりは、一気に距離を詰めちゃう方がいいと思いまして。はあ……、嫌われてなくてよかったです」

 安堵の溜め息を吐きながら、胸をなで下ろしている。
 不安になるくらいなら普通に近づいてくればいいのにと思ったけど、それだったら私はやんわりと遠ざけていたかもしれない。そう考えれば、彼女は正しい選択をしたということなのだろう。
 そんな姿を見た私は、彼女を放っておけないと考えてしまう。もしかしたら、私の心の奥底の部分は最初からこうした考えを抱いていたのかもしれない。だからこそ、面倒くさいと感じながらも、本気で追い払おうという気にならなかったのだろう。
 彼女の私に対する評価は、全く同意することはできない。でも、彼女の中ではまぎれもなく真実だ。だから、今日からは身内以外にも私を評価する奇特な人がいるくらいには考えることができそうだ。それに、この面倒くさい妖精メイドが何かをやらかしてしまいそうな気がしてしまう。
 彼女との付き合いは長いものになりそうだ。
 珍しく素直な表情を浮かべる彼女へと柔らかな表情を浮かべる自分を自覚しながら、そう思うのだった。





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