夜。妖怪たちが活発になる時間。
 真っ暗な夜道の中にぽつん、と一軒の屋台が存在する。

「〜〜♪ 〜〜♪」

 その屋台には一人の妖怪の姿がある。背中から鳥の大きな翼を生やした夜雀だ。
 彼女は鼻歌を歌いながら店を開く準備を進めている。
 食器やテーブルを拭いたり、材料の確認なんかをしている。かなり手馴れた様子で無駄な動きは一切ない。

 彼女は焼き八目鰻の屋台の店主であるミスティアだ。

「こんにちはー。ミスチー、材料とか持ってきたよー」

 その暢気な声は毎日のように屋台に現れるミスティアの友人の声だ。

「おっ、ありが……」

 鼻歌と作業の手を止め、いつものように食材を持って来てくれたであろう友人へ感謝の言葉を伝えるべく顔を上げたところでミスティアは声を詰まらせてしまう。

 友人の姿がなかった、というわけではない。友人がいつもと違った姿をしていた、というわけでもない。

「……ルーミアが、二人?」

 ようやく我に返ったミスティアが漏らしたのはそんな言葉だった。

 そう暖簾を上げて入ってきたのは二人のルーミア。その姿は鏡に映した様にそっくりだ。
 
 漆黒の衣装も、赤い瞳も、金色の髪も、皆一緒だ。違うのは片方は金髪の中に赤いリボンを揺らしているが、もう片方はそれがないということ。リボンのある方は暢気そうな笑顔を浮かべているが、ない方は不機嫌そうな表情をしていること。違いはこれだけだ。

「分身する力でも身につけたの?」

 ここ幻想郷において分身を作れる者は少ないながらもいる。有名所では、紅魔館主の妹、博麗神社の居候の鬼、それから分身とは少々異なるが冥界の庭師。
 なので、ミスティアがそういった予想をするのは自然なことであった。

「ううん、違うよ。こっちは、私の中に封印されてたもう一人の私なんだ」
「……」

 そう言いながら朗らかな笑顔を浮かべたルーミアは、もう一人のルーミアの肩を叩く。それに対して叩かれた方は更に機嫌が悪そうな表情を浮かべた。

「……どういうこと?」

 ミスティアはルーミアの言葉に首を傾げる。それに対して、暢気な雰囲気を纏ったいつもどおりなルーミアは、

「それは、ミスチーの鰻を食べながら答えてあげるよ」

 そう、言ったのだった。





「とりあえず、封印についてだけどー、聞く覚悟は出来てる?」

 右手に串に刺さった焼き鰻を持ったままルーミアがミスティアへとそう問い掛ける。言っていることの割に雰囲気は暢気なままだ。

 ちなみに、鰻はルーミアが持ってきたものだ。お金の代わりとしてルーミアは食材や酒をミスティアの屋台へと運んでいる。

「覚悟がいるような話なの? ルーミアが二人いること以上に衝撃的なことがあるとは思えないんだけど」

 ミスティアが視線を向けるのは、もう一人のルーミアの方。来た時から変わらない不機嫌そうな顔のままミスティアの出したお皿に乗った焼き鰻を見つめている。

「ほら、一応付き合いの長いミスチーに明かす事実だからさ。もしかしたらショックを受けるんじゃないかなぁ、って思ってね」
「ルーミアが言うことは大抵受け入れられる気がするけど」

 そう言いながらミスティアは苦笑を浮かべる。付き合いが長いと、意外とどんなことでも受け入れられるようになる。
 それに、ミスティアは屋台の店主をやっているので拒絶する、という考えはあまり持っていないのだ。

「うん、じゃあ言うけど、私、実はもう一人の私が封印されたときに生まれた人格なんだ」

 さらり、と何でもないことのように言う。

「ふーん。じゃあ、そっちのルーミアは封印されるくらい悪いことをしたってことなんだ」

 そして、ミスティアも何でもないことのように受け取って、そんなことを言う。それを聞いたリボンを揺らすルーミアは嬉しそうに口元を綻ばせたが、焼き鰻を見つめていたルーミアはミスティアを睨みつけた。
 ミスティアはもう一人のルーミアの視線を気にした様子もなく鰻を口に運ぶ友人の話に耳を傾ける。

「うん、遠い昔に幻想郷を支配しようとしてたらしいんだ。でも、紫に止められちゃってそのまま封印されちゃったんだって。それで、それ以来この身体は私が動かしてるんだ。どう? 私の話を聞いてショックを受けちゃったでしょ」
「んー、驚きはしたけど、なんとなく納得、っていう感じかな。ルーミアって私たちみたいな弱小妖怪にしては達観したような感じだったし」

 友人の数々の言動を思い返しながらそう言う。ルーミアはどこか深いところまで見て行動しているような節がいくつも見られるのだ。

「私の性格と封印うんぬんは無関係なんだけどなー。それに、達観してるっていう意味ではミスチーも似たようなものだと思う」
「まあ、屋台をやってれば少しくらいは達観してくるもんだよ。そうじゃないとやってらんないし。酔っ払い、ってのは困った人が多いんだよ」

 やれやれ、といった感じにわざとらしく肩をすくめる。妖怪も人間も酔っ払ってしまうと暴れたり絡んできたりととても大変なのだ。
 ミスティアの場合、人間を相手にしているときは能力を使って視力を奪ったりして大人しくさせているようだが。

「あはは〜、ミスチーって苦労人気質だからねー」

 ルーミアが可笑しそうに笑いながらそう言う。こういう笑い方をするのはミスティアの前でだけだ。ミスティアの鰻を気に入って以来誰よりも心を許している。

「私は笑えないんだけど……」

 今にも溜め息を吐きそうな雰囲気を纏わせながら肩を落とす。けど、それは単なる演技であり本当にルーミアの言葉を気にしている、というわけではない。

「……っと、話がだいぶ逸れちゃってたね」

 だから、こうしてすぐに背中をしゃきっ、と伸ばして再びルーミアのほうに視線を向ける。

「それで、なんでその封印されてたもう一人のルーミアが表に出てきたの?」
「んー、それは―――あ、そろそろ鰻が無くなりそうだから追加で焼いて」
「あいよー、っと」

 話し出そうとしたところで鰻を優先させたことに突っ込みなどは入れない。こういう性格だということをよく熟知しているからだ。

 鰻を足元の水槽から掴み上げ、包丁を突き刺し、まな板の上に固定させ調理を始める。
 
「今日のお昼に命蓮寺にご飯を食べに行ったときに、ぬえに紫鏡を覗かせてもらったんだ」

 ルーミアは色々な人の作った料理を食べるために日々幻想郷中を飛び回っている。そんな事情を知っているミスティアは何故、と突っ込みを入れたりはしない。

「ぬえは私に怪談なりなんなりを聞かせて、私を怖がらせたり、驚かせたりするつもりみたいだったんだ。だけど、私が覗き込んだときにもう一人の私が出てきて、逆に驚かせちゃったみたいなんだ」

 その後ぬえは驚かされたことにショックを受けてとぼとぼと自分の部屋へと帰ってしまったらしい。正体不明の妖怪として驚かされたことによって、相当プライドを傷つけられたようだ。

「じゃあ、その紫鏡、っていうのは分身を作る力がある鏡なの?」

 捌いた鰻にタレを塗りつけながら聞く。このくらいのことは手元を見なくともしっかりと出来る。ミスティアが下を向くのは鰻を捌くときだけだ。それ以外は経験と勘で手元を見ないでも行うことができる。

「ううん、ぬえが分身を作るための媒体にしてるだけで、普通の鏡だ、って言ってたよ。というか、そうじゃないとぬえが驚くなんてことはありえないでしょ?」

 そう答えて最後の一口を口の中に入れる。そして、何も刺さっていない串が皿の上に置かれる。

「まあ、確かにそうだ。じゃあ、なんで増えたの?」
「これは、聖が言ってたことなんだけど、私が二人分の魂を持ってる特殊な状態だった、っていうのと、鏡がぬえの力の影響を受けてそういう鏡になり始めてたんじゃないか、って。―――あ、焼けたみたいだね。早く早くっ」

 不意にルーミアが二人に増えた話をすることから、ミスティアの焼く鰻の方へと向いた。
 誰よりも多くミスティアの作った焼き鰻を食べているルーミアは、ミスティアと同じくらいに焼けるタイミングを熟知していた。

「はいはい、焦らない焦らない。焼いた鰻は逃げたりしないから」
「それが分かってても焦っちゃうような魅力がミスチーの鰻にはあるんだよ」

 笑顔を浮かべてミスティアから鰻を受け取る。そして、その笑顔のまま鰻に被りつく。

「相変わらず、ルーミアは口が上手いことで。ま、そうやって嬉しそうに食べてくれるから私も作りがいがあるんだけどね」

 ミスティアも顔を綻ばせて言葉どおり嬉しそうに言う。
 食べる側と食べさせる側。そういう視点で見てもこの二人は相性がいいようだ。

「これで、大体必要なことは話したかな? ミスチー、何か質問とかある?」

 ルーミアの言葉にミスティアは、んー、と声を零しながらわざとらしく人差し指を額に当てる。

「……さほど重要なことじゃないけど、もう一人のルーミアって鰻、嫌いなの?」
「いやいや、とっても重要なことだと思うよ。私も気になってたしねー。……それで、どうなの?」

 二人の視線が、今まで会話に加わらずミスティアの焼いた鰻を見つめているだけだったもう一人のルーミアの方へと向く。そんな二人へと睨み返しながら答える。

「……どうして、真っ先に私に向ける質問がそんなに俗っぽいものなのかしら?」
「私の鰻に手をつけてないから、どうしたのかなぁ、って思ってね。それで、どうなの?」

 ミスティアはもう一人のルーミアの鋭い視線にも怖気ないで同じ質問を繰り返す。理不尽な理由で睨んでくる客などいくらでもいる屋台で店主をやっているミスティアにとっては睨まれることなど、どうということはない。

「……どうでもいいでしょう、そんなこと」

 真っ直ぐに見返してくるミスティアの視線に耐えられなくなったのか、視線をそらしてしまう。

「そうだねー。どんなに鰻が嫌いでもミスチーが焼いたのなら食べれるだろうからね。食べないと損だよ?」
「そんなに言うなら貴女にあげるわよ」

 ルーミアの方へと鰻の乗った皿を押し付ける。けど、ルーミアはそれを受け取ろうとはしない。

「駄目だよ。それはミスチーが貴女の為に作ったんだから貴女が食べないと」

 ルーミアがもう一人の自分へと強い視線を返す。ミスティアの料理に強い思い入れのある彼女はミスティアの料理のこととなると、いつもよりも感情的になるのだ。

「私は一言も作って欲しいとは言ってないわ。余計なお世話よ」
「余計なお世話だと思っても受け取っとかないと。もしかすると思わぬところで貴女を救ってくれるかもしれないよ?」
「この単なる鰻が私を救う? 私は救われる必要なんてないし、そもそもこんなものがどうやって私を救うというのかしら?」

 もう一人のルーミアはルーミアを睨み付ける。ルーミアの言う言葉が尽く気に入らない、とでも告げるように。

「少なくともそれを食べれば空腹からは救われると思うよー。まあ、食べたくなるまで置いときなよ。ミスチーの作った物は冷めても美味しいからさ」

 そう言った時、ルーミアの強い視線はなりを潜めていた。変わりに暢気な笑顔が浮かぶ。

「ミスチー、そろそろお酒を注いでくれないかな。もう一人の私の分も一緒に」
「あいよーっと」

 答えてお酒を収めた棚から一升瓶を取り出す。それなりの値段の酒から高い酒までが並んでいる。安い酒は置かない主義なのだ。

「……勝手に決めるんじゃないわよ」
「余計なお世話、っていうやつだよ。飲みたくないなら、飲みたくなったときにすぐ飲めるように手元に置いとけばいいんだしさ」

 笑顔のルーミアにもう一人のルーミアは返す言葉が思い浮かばなかったようだった。だから、ただ、ため息を吐いた。





「屋台の単なる店員にすぎない私が言うのもなんだけどさ、あんまり意固地にならない方がいいんじゃないかな?」

 ミスティアがふとそんな事を言ったのはルーミアがお猪口で三杯の酒を飲み、串にして六本の鰻を食べた時だった。
 もう一人のルーミアは酒にも鰻にも手をつけておらず、終始何もせずただただ無言を貫いていた。

「……確かに、店員風情がそんなことを言うなんてどうかと思うわ。馴れ馴れしすぎるわ」
「あー、やっぱりそう思われるかぁ。……姿がルーミアそのものだから距離の取り方がすごく難しいなぁ」

 まだまだだなぁ、なんて言いながら溜め息を吐く。他人の言葉の影響はあまり受けることのないミスティアだが自分の失敗は大きく気にするのだ。

「ミスチーが気に病む必要なんてないよ。もう一人の私のことを心配してくれての行動なんだからさ。ありがと、ミスチー」
「……ありがと、ルーミア。そう言ってくれると、ちょっとだけ気が楽になるよ」

 ルーミアが笑顔を浮かべ、ミスティアも小さく笑顔を返す。

「……その程度で立ち直れるなんて単純ね」
「ま、ね。簡単に立ち直れるような考え方をしてないと心なんてすぐに折れちゃうから」

 もう一人のルーミアの言葉に笑みとともに軽口を返す。

「それに、落ち込んでるっぽい感じの人の前で、いつまでもへこんでるわけにはいかないしね」
「もう一人の私はどこも落ち込んでるようには見えないわよ? 鳥目にこの夜の闇は辛いのかしら?」
「私の友達のルーミアは、そう簡単に落ち込むほどやわじゃないよ。ま、食べ物が絡むと結構簡単に落ち込んだりもするけど」

 ミスティアはルーミアが鰻を地面に落としてしまい、ひどく落ち込んだ姿を思い出しながら笑う。

「食べ物は私にとって最重要のものだからね。美味しいものがあれば喜ぶし、食べ物がなければ悲しいよ」

 ルーミアがミスティアの言葉を肯定するようにそう言う。彼女は行動基準の多くを食べ物に委ねているのだ。
 一部違う所もあるようだが、それは今は関係のないことである。

「……なら、見えないものでも見えているのかしら? 狂った妖怪を相手にするほど私は物好きじゃないのよ」
「酷い言い様だねぇ。私は貴女のことを心配してる、っていうのに」
「は? 私? 私は貴女に心配される必要なんてないわよ。というか、貴女には私が落ち込んでいるように見えるって言うのかしら?」
「おっ、やっと正解に辿り着いてくれたねぇ。そ、私には貴女が落ち込んでいるように見えてそれが心配なんだ」
「……貴女の目、節穴なんじゃないかしら?」

 もう一人のルーミアがミスティアへと鋭い視線を向ける。その視線がミスティアの言葉は間違っている、と断言している。

「残念ながら両の目とも埋まってるよ。ま、貴女が認めたくない、っていうんならそれでもいいけどね。関わり過ぎない、っていうのが私の信条だから。まあ、でも、今日は関わりすぎたからそのお詫び、ってことでこれをあげるよ」
「……貴女は私に喧嘩を売ってるのかしら?」

 ミスティアが棚から取り出したのは琥珀色に輝く飴の入った瓶だった。

「ふっふっふー、これは普通の飴じゃないんだ。永遠亭のお嬢様から貰った、竹の花の蜜で作られた飴なんだよ。そこら辺の子供や妖精が食べてる飴と一緒にしてもらっちゃ困るね」

 不敵に笑いながら自慢げに言う。
 評判の高いミスティアの店には色々な者が訪れる、その中には代金の代わりに珍品などを残していく者もいるのだ。

「ふぅ、ん。普通の飴じゃないってわけね」

 ミスティアの言葉に興味を持ったように飴玉へと視線を向ける。当然、ミスティアはその視線に気付く。
 意地悪をするように小さく瓶を揺らすと、もう一人のルーミアの視線はそれを追いかける。

「そ、永遠亭以外だと私くらいしか持ってないような代物だよ」
「……なら、貰ってあげるわ」

 もう一人のルーミアが手を伸ばす。ミスティアは瓶の中から一粒取り出すとその手のひらの上に飴玉をそっと乗せた。

「良かったねー、もう一人の私」
「何を言ってるのよ。私にはこれくらいのものを用意しておくのが当然なのよ。夜雀、今度からは、こういう物ばかり用意しておきなさい」

 そう言って、飴玉を口の中へと入れて転がす。

 カラ、カラ、と飴玉と歯とがぶつかり合う小さな音が響く。
 微かに顔が綻んでいるが本人は気付いていないようだ。

「何処かのお嬢様並みにわがままだねぇ。それと、自己紹介してなかったけど私はミスティア・ローレライね」
「貴女の名前なんてどうでもいいわ」

 飴を口の中に入れているせいか、その声は少しくぐもっていた。それが気に入らなかったのか、もう一人のルーミアは微かに眉を顰める。

「ま、それならそれでいいよ。私の名前を知らないからそう呼んでたのかな、って思ってただけだから」
「……虐め甲斐のないやつね」
「そりゃどーも。私を困らせたいなら暴れるくらいしないと」

 答えながらミスティアは瓶を収める。そして、代わりに別の瓶を取り出す。―――本日、二本目の一升瓶だ。

「あ、珍しいね。ミスチーが二本目を出すなんて」
「これは、貴女じゃなくて、そっちのルーミアの為のお酒だよ。普通のは嫌だ、って言うからとっておきを出してあげようと思ってね」
「至れり尽くせりだねー」

 ルーミアが笑顔を零す。自分の子供が誰かに親切をされた親のような雰囲気が滲んでいる。

「初めてのお客さんだからねぇ。最初の印象は大切だから」
「……そういうことを客の目の前で言ってもいいのかしら?」

 睨むようにミスティアを見ながらも普通じゃない、という言葉が気になるのかミスティアが手に持つ一升瓶へと興味は向いている。

「貴女みたいな無遠慮な相手には、これがくらいがちょうどいいんだよ」
「……それで? 貴女はまだ飴を食べている私に酒を勧めるというのかしら?」
「いや、食べ終わるまで待っててあげるよ。ただ、その間、無言、っていうのも寂しいかと思ってね。お酒の説明でもしててあげるよ」
「そうね。私に相応しいものかどうかを見極めないといけないものね」

 もう一人のルーミアはミスティアの言葉を聞くためか、その顔をじっと見る。

「よしよし、ではでは、私がこのお酒について語って差し上げましょう。このお酒は、秋の神様たちが厳選したサツマイモで作られた芋焼酎で―――」

 もう一人のルーミアは真剣な様子でミスティアの言葉に耳を傾けている。最初にここを訪れた時に浮かべていた不機嫌そうな表情はもうどこにもない。代わりに興味が浮かんでいる。

 そんな様子を見てルーミアは、一人小さく笑みを浮かべるのだった。





「寝ちゃったね」
「うん、寝ちゃったねー」

 夜明けも間近となった頃、一升瓶の中も空となり、もう一人のルーミアは寝入ってしまっていた。そんな彼女へとミスティアは優しく毛布を掛けてやる。

「ありがとね、ミスチー」

 テーブルに頬杖をついたまま笑顔を浮かべてそう言う。

「いえいえ、どういたしまして」

 ミスティアは空になったお猪口と皿とを片付けながらそう答える。もう一人のルーミアは酔っている間に鰻を無自覚のうちに食べてしまっていた。

「でも、これからどうするの? そもそも、もう一人のルーミアはどうなるの?」
「もう一人の私がどうなるか、は知らないけど、自分なりに何をするか、って決めるまでは一緒にいてあげるつもりだよ」
「やっぱりそうだよね。……その子、何にも力を持ってないんでしょ?」
「よくわかったねー。そ、もう一人の私の本来の力はまだ私の中に残ったままだよ。一応聞いてみるけど、なんでわかったの?」

 金髪と赤いリボンを揺らしながら首を傾げる。けど、目に疑問の色は浮かんでいなくて既にミスティアがどう考えているかを見透かしているようだった。

「ああいう性格でいつまでも私たちの傍にいるとは思えないからね。力があるんならさっさと何処かに行っちゃってただろうし」
「一人でいるのが寂しかったのかもしれないよ?」
「あー、そういう考え方もあるかぁ。まあ、でも、私の勘だけどそれはないと思う。もう一人のルーミアは、孤独であることをそんなに気にしてないみたいだからさ」

 ミスティアとルーミアの二人だけで話をしていた時も、もう一人のルーミアはさほど気にしたような様子を見せてはいなかった。

「よく見てるね、ミスチーは」
「屋台の店主を舐めないで欲しいな。それと、ルーミアもあんなこと言ってたけどほんとは気づいてたんでしょ?」
「まあねー。ミスチーが自分の答えにどれくらいの自信を持ってるのか試してみたくなったんだ」

 朗らかな笑顔を浮かべてそう言う。相手がミスティアだからこそ行った一種の悪戯だ。当然、看破されることもわかっていた。

「いいよ、そういうことはしなくても」

 ミスティアもため息を吐くような仕草をしながらも口元を綻ばせる。彼女たちの戯れはいつもこのような感じだ。

「ねえ、ミスチー。もう一人の私に名前をつけてあげない?」

 不意に、ルーミアがそんなことを言う。視線はもう一人の自分の方へと向いていた。

「名前? 二人ともルーミアだから紛らわしいのは確かだけどさ、勝手に名前を付けたりして怒ったりしないかな?」
「そのときはそのときで私がその名前を使わせてもらうよ」

 名前を変える、というのに随分と軽い口調だ。あまりこだわりはないのかもしれない。

「まあ、考えるだけはタダだから別にいいか。それで、何かこういう感じにしよう、とかいう候補はあるの?」
「んーん。全くの白紙だよ」
「そっか。んー、どういうのがいいかなぁ。……例えば―――」

 ミスティアが適当に名前を上げていき、ルーミアがそれに対して気に入らないだのなんだの、とコメントを付ける。ルーミアが名前を上げていったときも同じような感じだ。

 前には一向に進みそうにないが、二人ともとても楽しそうで、そして真剣だ。まるで、新しい家族の名前を考えるかのように。





 二人は夜が明けてもずっと話し合いを続けていた。話が纏まったのは屋台に陽が当たり始めたころだった。

 ちょうどその時、もう一人のルーミアも眩しさからか目を覚ます。

「あ、おはよ」
「あ、おはよー」

 同時に気付いた二人が声をかける。そして、二人が浮かべるのは笑顔だ。

「ねえ、新しい名前を考えたんだけど、私と貴女どっちが名前を変える?」
「……名前?」

 少々寝ぼけているのか反応が少し鈍い。

「そ、名前。貴女たちって、どっちもルーミアだから紛らわしいでしょ?」
「……まあ、確かにそうね。……いいわ、『ルーミア』は貴女にあげる。どうせ、私が貴女の中で眠ってる間に食い意地の張った妖怪、っていうレッテルでも貼られてるんでしょう?」

 今にもため息を吐きそうな表情を浮かべていたが、そこには鋭い視線も不機嫌そうな顔もない。
 どうやら、一緒に酒を飲んだことで少しは二人へと心を許したようだ。

「昔は人喰いとして怖がられてたんだけどねー。今ではミスチーのお陰で、美味しい料理を探し回る妖怪だよ」
「そんな、貴女が人喰い妖怪をやめた経緯なんてどうでもいいわ。早く新しい名前を教えなさい」
「うん、そうだねー。じゃあ、ミスチー、せーの、でいこう。……せーの」

 ルーミアとミスティアが同時に朝の冷たい空気を肺に溜め込む。そして―――

「ルーティ!」

 不思議な経緯で生まれた妖怪の新しい名前が二人分の声で、はもって響いた。


Fin



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