夜も更けて吸血鬼の時間となる。けれど、特にこれといってすることがあるわけでもない。要するに私はすることがなくてとても暇だった。
「咲夜、紅茶を淹れてくれるかしら?」
こういう時は紅茶を飲むのがいい。咲夜の淹れる紅茶はとても美味しい。だから紅茶の味を堪能していれば簡単に時間は潰れる。
咲夜は暇をもてあます吸血鬼にとって本当に有用な紅茶を淹れてくれる。そのことには本当に感謝している。
「お嬢様、お待たせいたしました」
私を退屈させる間もなく銀のトレイを持った犬耳の咲夜が現れ……た……?
いや、待て。何かがおかしい。でも、何がおかしいのかわからない。いや、おかしい部分は分かる。わかるけど、何故か視線がそれていく。
ああ、どうやらあまりにも目の前の光景が信じられなくて現実逃避をしているようだ。いいからとにかく落ち着くのよ、私。
無駄の省かれた動作で紅茶をカップへと注いでいる咲夜を視界の端に収めながら深呼吸。お尻の方で大きな尻尾が揺れている。……今は気にしない。
吸って吐いてを繰り返すうちに私の思考が現実へと焦点を合わせていく。
「お嬢様、どうかなさいましたか?」
紅茶をカップに入れ終えた咲夜が私の前にカップを置きながら尋ねてくる。どうした、はこっちの台詞だ!
その言葉を飲み込んで、勢いだけを残す。
「咲夜っ!どうして、貴女には犬の耳と尻尾が生えてるのよっ!」
カップが乗っているからテーブルを叩くのは我慢。代わりに大声で怒鳴る。
「ああ、これですか。パチュリー様につけてもらったのです」
けど、咲夜は私が怒鳴ろうとも平然とした様子だ。耳と尻尾とを気にしなければいつもと変わらない。そう、耳と尻尾を気にしなければ。
耳も尻尾も咲夜の髪と同じ銀の毛で覆われていてどこか狼を思わせる。けど、狼のそれと比べれば丸っこくて鋭さがない。飼われる犬にるような親しみやすさ、というものが滲み出ている。
それにしても耳と尻尾、可愛いわねぇ。触り心地もとてもよさそう。今度、犬でも飼ってみようかしら。
いやいや、そうじゃない。今はそんなことどうだっていい。
頭を右に左にと振って現実から逃げかけている意識を呼び戻す。レミリア・スカーレットに逃げなど許されない。
とりあえず、咲夜の淹れてくれた紅茶に一口つける。
紅茶の微かに甘い香りが鼻腔に広がり、私の気持ちを多少落ち着かせる。深呼吸をする以上に効果がある。
咲夜の紅茶は今日も美味しいわ。
「……咲夜、どうして貴女は耳や尻尾を生やしてもらおうだなんて思ったのかしら?」
カップをテーブルに戻し私は平静を装いながらそう聞いた。実は紅魔館の中では尻尾や耳を生やすのが当たり前になっていて私だけが置いてけぼりになったりしてるわけではないだろう。
「そうですね、率直に申し上げると私の為、でしょうか」
「咲夜の為?」
思わず私は首を傾げてしまう。それにあわせて世界も傾ぐ。ついでに私の常識まで傾いでしまってたりしないだろうか。まあ、咲夜の答えを聞く限り私の常識が異常になっているわけでは無さそうだけど。
「ええ、そうです。私の為です。とは言いましても犬の耳や尻尾を生やしたい、と思っていたわけではありませんよ」
未だに半ば現実逃避しかけている頭の片隅で考えていたことを否定されてしまった。私は咲夜の考えていることを見極めようとして咲夜の顔をじっ、と見つめてみる。
「ところでお嬢様。今日の紅茶はいかがでしたでしょうか」
「えっ? ああ、いつもどおり最高に美味しかったわよ」
今までの会話と全く関係のない質問に驚いて少し返事が遅れてしまった。何で、今そんな質問をするんだろうか。
「そうですか、ありがとうございます」
恭しく礼をする咲夜。後ろでは尻尾が勢い良く揺れている。
何故だか、今まで見たことのない咲夜の満面の笑みが思い浮かんできた気がした。見たことがないから気のせいなんだろうけど。
◆
紅茶を飲みながら咲夜に耳や尻尾を生やした理由を聞いてみたけど誤魔化すばかりでまともに答えてはくれなかった。
「パチェ! 咲夜のあれ、どういうことよ!」
だから、私は紅茶を飲み終えて咲夜が仕事に戻るとすぐさま友人のパチェの所へと駆けた。ここに来る途中、妖精メイドたちが私の姿を見て驚いていたけどそんなことを気にしているような余裕はない。
一刻も早く咲夜が犬の耳と尻尾を生やした理由を聞かないといけない。
「レミィ、図書館では静かに」
図書館に入ってきた私に向けたパチェの第一声はそれだった。
「今はそんなことどうだっていいわよ!」
私はテーブルを叩いてパチェにこれ以上無駄なことを言わせないようにする。パチェはこっちが軌道修正してやらないととんでもない所へといってしまう可能性がある。
納豆の話をしてたら何故か宇宙の話になっていたりだとか。
まあ、今はそんなことどうだっていい。
「咲夜のあれ、って何のことかしら?」
パチェが首を傾げる。素でやっているのか、とぼけてやっているのかの判断はつかない。
「咲夜に生えている犬の耳と尻尾のことよ。貴女がやったんでしょう?」
「ああ、あのことね。確かに私がやったことよ」
何か他にもやったみたいな言い回しが気になったけど気にしない。
うちのトラブルメーカーであるパチェがやらかしたことなんていくらでもあるだろう。大きな 問題にならなかったことまで問い質していたらきりがない。
「それで、なんであんなことをしたのかしら?」
「強いて言うなら、お節介を焼いてあげた、という感じかしら」
「お節介?」
「そう、お節介。まあ、これ以上はレミィが自分で考えなさい。貴女はあの子の主なのでしょう?」
うっ……。そう言われてしまうとこれ以上は聞き辛い。これ以上聞くことを私の自尊心が邪魔をする。
あっちは私の弱点をいっぱい知ってるっていうのに、こっちはほとんど知らないだなんて卑怯だと思う。
「……分かったわよ。後は自分で何とかするわ」
私は踵を返して歩き始める。何をすればいいかなんて分からないけど、とにかくやってみるしかない。私に停滞なんて考えられない。
「あぁ、そうだ、レミィ。一つだけ助言をあげるわ」
その言葉に反応して私はパチェの方へと振り返る。もったいぶらずにさっさと言ってくれればいいのに。
「ここ最近で咲夜に言ったことを思い出してみなさい」
ここ最近言ったこと? 色々とありすぎて全てを覚えているはずがない。そもそも私は過ぎ去ってしまったことはほとんど覚えることがない。終わったことを悩んでいても仕方がないからだ。
私のこの生き方があだになるとは……。でも、だからといって今のこの生き方を変えるつもりは毛頭もない。一度決めたことを簡単に変えるだなんてことがあってはならない。
……かといって、パチェに聞いたところで教えてはくれないだろう。教えてくれるときは回りくどい言い方なんてせずに単刀直入に言ってくれる。
しょうがない、部屋に帰って悩んでみることにしようか。
あーあ、あんまり過去を振り返るようなことはしたくないんだけど。
◆
自室に戻ってから私はずっと考え続けた。咲夜が犬の耳や尻尾をつけるようになった私の一言はなんなのか。
だけど、一向に検討がつかない。私が思い出せる限りの言葉はどれも違うような気がする。
……あまり気が進まないけど、ここは本人から聞き出すことにしよう。私の自尊心がそれを許さないけど、咲夜のことを想えばそんなもの簡単に黙せられる。
「咲夜」
中空へと呼びかける。これだけでも咲夜は私の前へと現れてくれるのだ。
「はい。お嬢様」
音もなく咲夜が現れる。今なお咲夜の頭には犬の耳があり、後ろでは尻尾が勢いよく揺れている。そんないつもとは違う咲夜の様子を見て私は自らの中の勢いが削がれていくのを感じる。
そう、私は咲夜に今、何を思っているのか、というのを聞くことに尻込みしてしまっている。いつも咲夜のことは半分もわかっていないが、今日は一段と咲夜のことが分からないのだ。
いつもなら私は威厳たっぷりに咲夜に何かを言うことが出来る。だけど、今日はそれが出来そうになかった。けど、なけなしの威厳をかき集めて私は口を開く。
「咲夜、聞きたいことがあるけれどいいかしら?」
「なんでしょうか」
咲夜がじっと私の瞳を捉える。けれど、尻尾は瞳とは対照的に落ち着きがない。
私はそんな咲夜の姿を見ながら何度か口の中で言葉を転がして、ようやく口を開く。
「……咲夜、最近私は貴女に何か気に障るようなことを言ったかしら?」
「いえ、特には」
咲夜が首を振る。尻尾の勢いが少し落ち着く。
「じゃあ、私の知らないうちにとんでもない命令をしたとかは?」
「それもありませんわ」
一瞬の間を作ることもせずに答える。けど、何故だか苛々とする。
「ああ、もう! 文句があるのなら言ってみなさい!」
そして、耐えることをしない私は明瞭な答えを返してくれない咲夜へと逆切れする。いいえ、何かあるはずなのに隠している咲夜が悪いのよ。だからこれは逆切れではない。正当な怒りよ。
「文句などありませんわ」
平然とした態度を貫いたまま咲夜は答える。
いつもどおり。それだけで済ませようと思ったがよく咲夜を観察してみると尻尾が丸まっていた。
―――確か犬が怯えたときに尻尾がああなるはずだ。
「ああ、咲夜、ごめんなさい。……ちょっと私の気が短すぎたわ」
そのことを思い出した途端に私は慌てたように咲夜に謝っていた。
何故か? それは、今まで咲夜の怯えた姿を見たことがないからだ。
「そうですか」
私が謝るのを聞くと同時に尻尾は丸まるのをやめて元のようになる。いつもの咲夜に比べてえらく感情的な感じがする。
……ん?
「咲夜」
特に用事があるわけではないけど名前を呼んでみる。
「はい、なんでしょうか、お嬢様」
声はいつも通り平然としたものだった。けれど、尻尾が先ほどと打って変わってぶんぶん、と大きく揺れている。
笑顔を浮かべる咲夜が思い浮かぶ。
「いえ、なんでもないわ。少し呼んでみただけよ」
「はあ、そうですか」
言葉自体はいつもの咲夜だったけれど、尻尾はしょんぼりと垂れ下がって落ち込んでいるみたいに見えた。
……なんだか面白いわね。咲夜が感情を表に出すことなんてないから。
「……あ」
「いかがなさいましたか、お嬢様」
咲夜が私の漏らした言葉に律儀に反応してくれる。けど、私はそれに言葉を返す余裕はなかった。
分かった気がしたから、咲夜が犬の耳や尻尾を生やした理由が。
あれは、昨日のことだ。
私はいつものように紅茶を飲んでいつものように美味しいわ、と言った。そうすると、咲夜もいつものように、無表情にけれど恭しく礼をしながらありがとうございます、と返してくれた。
そこまでなら本当にいつも通りのはずだった。けど、そのとき、私はふと思ってしまったのだ。
なんて咲夜は無表情なんだろうか、と。
そして、私はそれを率直に咲夜に告げた。褒めても怒っても失敗をしても一切表情を変えない、など例を挙げながら。
悪意はおろか他意さえもなかった。ただ、純粋に思ったことを言っただけだ。
咲夜は特に大きな反応を見せなかったから気にしてないんじゃないだろうか、と思っていた。
けど、実はそのことをとても気にしていた? だから、感情の表れやすい犬の尻尾なんてものを生やした?
……まあ、後者はパチェが面白がってやっただけでしょうけど。
何にしろ自分で言ったことくらいの責任はとっておかないといけないわね。何の考えもなしに言ったからなおさら。
「咲夜、昨日は貴女のことを無表情だなんて言ってごめんなさい。傷つけてしまったかしら。……貴女は無表情なだけでしっかりと感情があることはわかっているわ」
「お嬢様が謝りになられる必要はありませんわ。むしろ、お嬢様の言葉を聞いて少し自分を抑えすぎていた、と気付いたくらいです」
そう言うと咲夜の尻尾が大きく揺れ始める。
「ただ、お嬢様には心配をかけさせてしまったようですね。すみません。……ですが、お嬢様の気遣いはとても嬉しかったですよ」
「あ……」
咲夜が初めて自分の気持ちを口にしてくれた。驚きに思わず声を漏らしてしまう。
「どうかなさいましたか? お嬢様」
再び漏らした声にも反応を返してくれた。たったそれだけの事なのに私はいつも以上に嬉しさを感じてしまう。
「咲夜、犬の尻尾や耳を生やさずとも自分の気持ちをちゃんと言葉にすればいいんじゃないかしら? 私には貴女の嬉しい、という言葉しっかりと届いたわよ」
「ああ、確かにそうですね」
咲夜が手を打って頷く。本当に今の今までそんな方法気付いていなかった、とでも言うように。
ああ、私の従者は本当に不器用だ。仕事は出来るくせにそれ以外はてんでダメだ。けど、そうだからこそ私は咲夜を愛しく思う。
「はあ、パチェには無駄なことをさせられたみたいね」
「いえ、そういうわけでもないですよ」
「そうかしらねぇ?」
傾いた私の視線の端で、ふりふりふり、と咲夜の尻尾が何かを期待するように揺れている。
咲夜が何を求めているのかはわからない。けど、何かを言うべきなのだろう。
……ま、悩むくらいなら思い浮かんだことを直感で言う方がいいわね。
「咲夜、私は貴女を最高の従者として愛しているわ」
「私もお嬢様のことをお慕い申し上げております」
咲夜が私の言葉にそう返しながら今まで見た中で一番大きく銀の尻尾を振る。嬉しくてたまらない、といった感じだ。
こうやって素直に感情を表に出す咲夜も悪くないかもしれない。
「ふふっ、最高の言葉だわ」
私はいつもなら澄ました顔で告げる言葉を今日は笑顔と共に返したのだった。
Fin
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