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 真っ黒な空に、たった一つ丸いまあるい月の浮かぶ夜。私は、紅い紅い薔薇がたくさん咲く紅魔館の薔薇園を、お姉様と一緒に歩く。お姉様は私の一歩前、私はお姉様の一歩後ろ。
 吸血鬼である私たちにとって、月が出ている夜は心地が良い。なんでか、って言われると、そういう種族だから、と言うことになるんだろう。まあ、ようするに理由なんてわからない、ってこと。心地いいんだから、それでいいじゃないか。

 この薔薇園は、私のお気に入りの場所だ。晴れているときは、いつもここで散歩をする。時には、今日みたいにお姉様と一緒に歩いたり、時には、お父様やお母様と一緒に歩いたり。

 薔薇の花が好き、というよりは、この場所が好きなのだ。私が外で唯一、気楽に歩くことが出来る場所だから。
 ……そう、私はあまり気楽に外を歩くことが出来ないのだ。別に、勝手に外に出るな、と言われてるわけじゃない。
 私は、外では少々異端扱いされている。人間からもだけど、主には同属から。

 そんな扱いをされるのは、私の背中にある歪な羽のせい。翼のなり損ないのようで、飛膜の代わりに宝石のようなものが垂れ下がっている。
 正確な原因が分かってるわけじゃないけど、吸血鬼であるお父様の血と、魔法使いであるお母様の血が混ざってしまったから、ということになっている。そして、お姉様にそういった傾向が見られないのは、お父様の血が濃いから、とも。

 でも、そんなこと私にはどうだっていい。原因が分かった所で、どうする事も出来ないんだから。
 それに、私の家族は皆、私を受け入れてくれている。お父様も、お母様も、そして、今隣にいるお姉様も。
 こんなにも素敵な場所にいられて、私は何を望む必要があるんだろうか。

 夜の涼しい風が、お姉様の銀色の髪と、私の金色の髪を揺らす。お姉様は、お父様譲り、私は、お母様譲りなのだ。だから、お姉様の髪も、私の髪も好き。お父様とお母様が、傍にいてくれるような気がするから。

「フラン、今日は良い夜ね」

 不意に、お姉様がそんなことを言う。顔が、少し上を向いているのが分かる。きっと、お父様譲りの紅い瞳で、月を眺めてるんだろう。お姉様は、花よりも月が好きだから。

「うん、そうだね」

 私はお姉様に見えてないことがわかっていながらも、頷きながら答える。そして、私も紅い瞳で、空を見上げてみた。
 お姉様も私も、お母様の蒼じゃなくて、お父様の紅を受け継いだ。でも、私は目元がお母様に似ている、とよく言われる。

 真っ白な月をじっと見つめる。次第に、紅が白に染め上げられていっているような気がする。
 そうやって、ずっと月を見つめていたら、月明かりに網膜が薄く焼かれた。思わず、私は下を向いてしまう。どうにも私の目は、強い光に弱いらしい。

 と、視線を下に向けた時、私は薔薇に何かがあるのを見つけた。

 目?

 それは、目のような何かだった。目のよう、と言っても、こちらをじっと見つめたりしているわけではない。ただ、本当に目のようなだけなのだ。少し、不気味だ。

 なんなんだろうか。

 気になった私はしゃがみ込んで、近くで見てみようとする。私が立ち止まったのに気付かないお姉様は、ゆっくりとだけど、私を置いて進んでいく。
 まあ、いいか、と思いながらその『目』を見つめてみる。

 生き物らしさは微塵も感じられない。ただ、目の形をしているだけ。いや、そもそも、なんで薔薇にこんなものが?
 病気の一種? そう思ったけど、そう言うのとも少し違う。薔薇の花にその目は触れていない。少し宙に浮くようになっている。

 え?

 不意に、その『目』が私の方へと近づいてきた。
 私は、何が起こっているのかわからなくて、身体を動かすことが出来ない。このままでは、『目』に触れてしまう。
 触れたらどうなるんだろうか。それが、わからなくて、怖くて、身体が竦む。

「フラン? 何かあったかしら?」
「う、うんっ、ちょっと、気になるものが」

 お姉様の声に反応して、弾かれるように立ち上がる。私の身体が動いてくれたことに、ほっ、と一安心。
 あの『目』から逃げられて、良かった……。

「気になるもの?」

 お姉様が、私の傍へと戻ってきてくれる。それだけのことで、もっと安心することが出来る。

「うん。……あれ?」

 頷いて、下に視線を向ける。けど、そこには『目』も、そして、薔薇もなくなっていた。
 代わりに、薔薇の花びらが落ちている。ばらばらに、誰かに一枚一枚綺麗にはがされてしまったかのように。

 何が、起きたんだろうか。何が、あったんだろうか。

「あら……、薔薇が散ってしまってるわね」

 私の視線を追いかけたのか、お姉様が散っている薔薇に気が付く。

「散ってしまってるけど、全然萎れてない。……おかしいわね」

 訝しむようにそう言う。そう、確かにおかしい。私が目を離した隙に散ってしまったことも、花びらに瑞々しさがあることも。

「フランが気になったのは、この薔薇のことかしら?」
「ううん。薔薇に目みたいなものが見えたんだ。それが、勝手に私の方に引き寄せられてきた」

 私が見つけたのは、散った薔薇ではない。散る前の薔薇にあった目のような何かだ。

「……もしかしたら、貴女にも、何かの力が目覚め始めてるのかもしれないわね」
「お姉様の、運命を操る力みたいなのが?」
「ええ、多分ね」

 そっか。あれは、私の力が目覚める前兆だったんだ。

 お姉様は、数年前に運命を操る力が使えるようになった。それは、吸血鬼の力でも、魔法使いの力でもない、お姉様だけの力だ。
 お姉様も私も、吸血鬼と魔法使いの混血、ということで異端なのだ。外見にその特徴が出ているか出ていないかの違いだけで。

 それにしても、私の力は何なのだろうか。『目』が見える、それを引き寄せる、っていうのは分かったけど、それにどんな意味があるのかは分からない。あの散った薔薇も、何か関係があるんだろうか。
 でも、わからないなら、分からないでいいかな。力なんて欲しいとは思わないから。ただ、お姉様や、お父様や、お母様たちと平穏に暮らせることが出来たらいい。

 それだけが、私の願いなのだから。





 それから、私たちは夜明けが近づくまで散歩を続けていた。飽くことなく、疲れることなく、ただただ、見惚れながら歩いていた。お姉様は月に、私は薔薇に。
 私たちは、姉妹揃って好きなものなら、いつまでも見ていることが出来るようだ。長寿な吸血鬼としては、幸せなことかもしれない。

「お帰りなさい、レミリア、フラン」
「うん、ただいま、お母様!」

 談話室へと入って、私はソファに座るお母様の方へと駆け寄った。私が近寄ると、蒼い瞳を細めて、笑顔を浮かべながら、私を優しく抱き締めてくれる。
 私はこのお母様に抱き締められる瞬間が大好きだ。ふわり、とした感触が私に強い安堵感を与えてくれるから。

 それから、お母様が柔らかい手つきで、私の頭を撫でてくれる。あまりにも心地よくて、このまま眠ってしまいそうだ。

「レミリア、そんな所に立ってないで、お父様に甘えてあげたらどうかしら?」

 私の頭を撫でながら、お母様がそう言う。私が、お母様に抱き締められてから、誰も動いてなければ、お姉様は扉の前に、お父様はお母様の隣に座っているはずだ。

「冗談じゃないわ」「冗談じゃない」

 お父様とお姉様の声が重なる。いつものやり取りだ。
 だから、二人の言葉に、お母様は可笑しそうに笑っている。私は、お母様に抱かれたままでも、二人が微妙そうな表情を浮かべているのが思い浮かぶ。

 お姉様は絶対に誰にも甘えようとしないし、そんなお姉様をお父様は甘やかそうとしない。けど、だからと言って、お父様がお姉様のことを嫌いなわけでも、お姉様がお父様のことを嫌いなわけでもない。
 多分、お姉様は恥ずかしくて、お父様はお姉様を後継者として見ているから、なかなかそういう態度で接することが出来ないんだろうな。二人とも、ちょっと微妙な距離にいるのだ。

「フラン、今日は、何かあったかしら?」

 お母様が私に話しかけてくる。
 いつもなら、何にもなかった、でも楽しかった。そう答える。
 けど、今日は違う。いつもと、違うことがあったから。

「うん。私も、力が発現したみたいなんだ」
「あら、そうなの? どんな力が発現したの?」

 お母様が、私の頭を撫でるのをやめる。私は、お母様の顔を見上げながら答える。

「よくわかんない。……ただ、目のようなものが見えて、私の方に引き寄せられてきたんだ」

 薔薇が散っていたことは、関係性がよく分からないから伏せておく。

「そう。……何かあったら、すぐに知らせるのよ?」
「うん、わかった」

 私が頷くと、笑顔を浮かべた。だから、私も笑顔を返した。

「じゃあ、もう寝なさい。夜明けも、近いのだから」
「うん」

 お母様が私を放す。名残惜しいけど、また、夜になって目覚めれば抱き締めてもらえるんだから、今は我慢。

「当然、レミリアもよ?」
「わかってるわ、お母様」

 お父様と一緒になって、私たちを見ていたお姉様が、お母様の言葉に頷く。いつも思うんだけど、羨ましいのかな? お父様も、お姉様も。

「おやすみなさい、お父様、お母様」

 部屋を出る間際、お姉様と声を合わせてそう言うと、

「ええ、おやすみなさい、レミリア、フラン」「おやすみ、レミリア、フラン」

 お父様とお母様も、声を重ね合わせてそう言ってくれた。





 私は自分の部屋の前で、お姉様におやすみなさい、と言って、部屋に入る。それから、ぱぱっ、と寝巻きに着替えた私は、ベッドの上に座っていた。正面には、お気に入りのクマのぬいぐるみが置いてある。
 何かあって考え事をするときには、いつもこうしている。
 些細なことでお姉様と喧嘩をしたとき、食事に私の大好きなものが出てきたとき、誰かが悩んでるのを見かけたとき。どうでもいいことでも、どうでもよくないことでも、いつだって、私はベッドの上に座って、このぬいぐるみと見つめ合いながら考え事をする。

 いつからそうするようになったのかとか、なんでこのぬいぐるみなのか、はわからない。
 お父様たちから、このぬいぐるみをプレゼントされたばかりのときは、こんなふうにはしてなかった。気が付けば、悩んでるときにこの子と見つめ合うようになっていたのだ。

 今日考えるのは、薔薇園で見たあの『目』のこと。
 どこか不気味さを感じさせるような、何も見つめない『目』。

 あれが、私の力に何らかの形で関わっているのだろう。
 でも、それはどんなふうに? そもそも、私の力は何?

 分からないでいい、とは思っていたけど、こうして手持ち無沙汰になると、気になってしょうがないようだ。自分のことながら、良く分からないなぁ、と思う。
 でも、まあいいか。分からないでいるよりは、分かっている方がいい。
 お姉様も、力が発現したときは、こんなふうに考えてたんだろうか。それとも、すぐに自分の力に気付いてたんだろうか。

「あ……」

 何処かに焦点をあわることもせず、ぼんやりとあちこちに意識を飛ばしていたら、不意に、視界の中に、あの『目』が映った。
 その『目』は、ぬいぐるみの前にある。薔薇園で見つけたときと同じように、ぬいぐるみには触れず、宙に浮くようにしてある。

 あの時は、勝手に近づいてきて、そのことに怯えて、私は動くことさえ出来なかった。でも、今回は自分から手を伸ばしてみる。『目』が動き出す前に、触れてみようとする。

 ゆっくり、ゆっくりと手を伸ばしていく。おっかなびっくり。臆病な私にしてみれば、未知のものへと、手を伸ばすことさえも怖いのだ。
 それに触れるとなれば、一層の恐怖が私の心の中に巻き起こる。

 他の人が見ていれば焦れったくなるような遅さ。でも、私の精一杯の速度で腕を伸ばす。
 けど、そんな私を待ちきれなくなったかのように、『目』が勝手に動いた。

 そして、それが私の指先に触れると――


 ――ぬいぐるみは、音もなく綿の塊へと成り果てた。


「――……え?」

 何が起こったのかわからなくて、私は数秒、言葉を失ってしまっていた。そして、ようやく出せたのが、驚きの声だった。

 今のが、私の力?
 何これ。物を壊すだけ?

 なんて、つまらない力なんだろうか。なんて、面白みのない力なんだろうか。お姉様の力の方が、何倍も何十倍も素敵じゃないか。
 まあ、もともと力が欲しいなんて思ってたわけじゃないから、別にいいか。……お気に入りのぬいぐるみをダメにしてしまった事は、全然良くないけど。

 がたっ。

 突然の音に、私は弾かれたように顔を上げる。
 何の音なのかは、すぐに分かった。その原因となったものが視界の中に入っていたから。でも、何が起こったのか理解、出来なかった。したくなかった。

 私の視界の先では、衣装棚がバラバラになって、私の服が床に散らばっている。

 誰が、あんなことを?
 そんなこと、簡単だ。私しかいない。
 でも、なんで?
 そんなの、わからない……っ。

 訳が分からなくて、どうしていいかわからなくなっている私の視界に、また『目』が映る。それが、引き寄せられ、背後でガラスの割れる音が響く。そして、同時に部屋が暗くなる。
 振り返ると、ランプが粉々に砕けてしまっていた。

 それを引き金のようにして、部屋中から破壊の音が響き始める。

 テーブルが粉々になる。椅子が粉々になる。ベッドが、タンスが、本棚が全部全部壊れて粉々になっていく。
 あっちを見ても、こっちを見ても『目』が見える。どれも私の方へと引き寄せられて、触れた途端に部屋にあった何かが、断末魔のような音を立てる。

 なに? なに? なにっ?
 何が起きてるのっ? 何でこんなことになってるのっ!

 止まらない音が怖い。もう嫌だ、って思うのに破壊の音は鳴り続ける。

 嫌だ。嫌だ。嫌だっ!
 こんなのは嫌だっ!

 そして、私は部屋の外へと駆け出す。一人でいることに耐えられなくなったから。


 走り続けている間も、破壊の断末魔が止まることは無かった。





 何処に行きたいのか、何処に行くべきかも分からないままに走り続ける。ただただ、何処かへ行きたい。足を止めたくない。
 私が一歩踏み出すごとに、館の中を照らすランプが割れていく。だから、私が通った後は、一切の例外なく暗闇と化してしまっている。
 一度だけ、後ろを振り返ったとき、見えたのは黒だけだった。もしかしたら、私は世界を壊してるんじゃないんだろうか。
 そう思うと、余計に怖くなって、私は必死になって闇雲に走り続けた。

 そうして、辿り着く。さっきまで、私たちがいた談話室に。別にここを目指してたわけではないけど、自然とここを目指してしまっていたようだ。

 きっと、この向こう側に、お父様とお母様がいる。

 そう、思っていたから。
 これで、安心だ。怖い思いをしないですむ。きっと、お母様が私のことを慰めてくれる。そう、思った。思ってしまった。

 私の行動が間違ってたんだ、って気付いたのは扉を開けて、すぐのことだった。

「フラン? どうしたの? 何か、怖いことでもあったの?」

 私の顔を見たお母様が、ソファから立ち上がって、真っ直ぐに私の方へと駆けてくる。お父様も、後ろから私のことを見ている。
 二人とも、心配そうな表情を浮かべている。

 そんな、二人を見て、私は後ずさる。だって、二人に『目』があるのが見えてしまったから。

「ぁ……」

 私は、逃げる。逃げようとする。でも、でも、このままだと、お父様とお母様を壊してしまうかもしれない、という恐怖が大きすぎて、身体が竦む。動かない。
 動け、動けと念じるけど、動かない。

 『目』が近づく、近づいてくる。
 嫌、嫌っ! お母様を壊すなんてっ、お父様を壊すなんてっ、嫌っ!

「ぃ……ゃ……」

 でも、私に出来るのは、そんな掠れたような声を零すことだけ。臆病な自分をこんなにも呪ったことがあっただろうか。

 もう、ダメだ。お母様も、『目』も近づいてくるのを止められない。

「フラン? そんなに、怖がらないで――」


 ――直後、紅い雨が私を濡らした。


「あ……」
「なっ……!」

 私は、呆然としたまま声を漏らす。お父様は、絶句している。
 けど、次の瞬間には、お父様も紅い塊に成り果てていた。床やソファ、壁までもを赤く濡らす。

 部屋の中に血の匂いが立ち込める。
 嗅ぎ慣れたにおい。私たち吸血鬼にとっては、糧となるべきもののにおい。けど、今はそれがただひたすらに不快で、おぞましくて、恐ろしい。

「……ゃ……」

 背中に、硬い物が触れる。いつの間にか、私はあとずさっていたようだ。硬い壁が、私を支える。逃げようとする私を止める。

 私が、私がお父様とお母様を壊してしまった。私が、この力を使って。
 ……ああ、なんてことなんだろうか。私は、どうすればいいの? どうするべきなの?
 考える、考える、考えるけど、血のにおいが鼻について、気持ち悪い。吐き気がする。苦しい……。

 嫌、嫌、嫌。こんな、場所にはいたくない。お父様だったものを、お母様だったものを見ていたくない。
 でも、私が動いてしまえば、また、他の誰かを壊してしまいそうで、動くことが出来ない。
 ねえ、ねえ。誰か、誰か。この状況をどうにかしてよ。もしも、悪い夢だっていうんなら、すぐに起こしてよ。
 気持ち悪さに、恐怖に、お父様とお母様を殺してしまったという状況に押しつぶされてしまいそうだから。

「フランっ? 何があったのよっ!」

 遠くから、お姉様の声が聞こえてくる。そんなに大きな音は立ててないはずだから、偶然部屋から出てきて廊下の惨状を見たんだと思う。
 走ってこっちに近づいてきているようだ。たったった、と感覚の短い足音が聞こえてくる。

 真っ赤な血に染め上げられた私を見て、お姉様は何を思うんだろうか。……私が、お父様と、お母様を殺したと知って、どう、思うんだろうか。

 ああ、私がこんなことを考えている間にも、お姉様が近づいてくる。
 ダメ、来たらダメ。そうしたら、私はお姉様も壊してしまうから。

 私は、いつの間にか力が入らなくなっていた身体に力を入れて、無理やり立ち上がる。そして、少しふらつきながらもお姉様がいるのとは間逆の方向へと飛んだ。





 飛んで、飛んで、全力で飛ぶ。滅茶苦茶に飛び回って、とにかくお姉様から離れることだけを考える。
 その間も、私は通り道にあったものを全て壊している。壊していく。
 ぱきん、ぱきん、ぱりん。
 無機物が壊れていく音には、もう慣れた。……だって、それ以上に恐ろしく、おぞましい音を知ってしまったから。

 それは、液体の跳ねる音。
 あの音は、私の心へと直接突き刺さり、吐き気を催させ、鳥肌を立たせる。

 今もまた、廊下の掃除をしていた従者の一人が血の塊へと成り果てる。悲鳴も、抵抗も、何
もなく。
 ただ、びしゃり、と音を立てて、床に叩きつけられ、紅い飛沫を床に、壁に、私に浴びせる。

 私は、泣きそうになりながら、必死に羽を揺らす。お姉様から、私のしてしまったことから逃げるように。
 
 私は、私は、どれだけの人を殺すんだろうか。
 嫌だ、嫌だ、嫌だ。
 何で、私がこんな思いをしないといけないの? それは、私が異端だから?

 そんな無意味な問いを繰り返していた。その間に、私はいつの間にか館をぐるりと巡って、自分の部屋の前まで戻ってきた。
 私は、そこが唯一の逃げ場だ、とでも思ったかのように部屋の中へと入り込む。そして、鍵を掛ける。扉に背を預けて座り込む。
 いつも、激しく動くことなんてないから、息が上がってる。
 息を吸って、吐く。でも、全然息苦しさは収まらない。むしろ、次第に息苦しさは増してきている。
 運動不足からだけで、息苦しくなってるんじゃない。別のことが、私を染める紅い飛沫が、そこに混じる血のにおいが、私の胸を締め付ける。

 苦しくて、苦しくて、このまま死んでしまうんじゃないんだろうか、って思った。そして、それも、いいか、と思ってしまった。
 私が死ねば、もう誰も死なない壊されない。私がいなくなるだけで、皆、救われるじゃないか。

 だから、このまま死んでしまおう。
 苦しくて、息も吸えないままに死んでしまおう。

 そう、思ったとき、

「フラン! 大丈夫っ? なにがあったの!」

 扉の向こう側から、お姉様の声が聞こえてきた。扉を叩きながら、必死に私の名前を呼んでる。
 その音を聞いて、私は息が吸えるようになっているのに気付く。けど、すぐに吸っていた分を全て、声に変える。

「お姉様! ダメ! こっちに来たら、ダメっ!」

 これ以上、大好きな誰かを壊すのなんて、耐えられない……っ!
 だから、だから、私のことなんて放って、何処かに行って……っ!

「フラン? フランっ! 来たら駄目、ってどういうことよっ! 何が、あったのよっ!」

 お姉様が、扉を強く叩きながら聞いてくる。背中にその振動が伝わってくる。

 ダメだよ、そんなに強く叩いたりしたら。そんなことしたら、扉が壊れて、その次の瞬間には、私がお姉様を壊しちゃうよ。
 そう、言おうとした。でも、口を開く前に私は思ったのだ。もしかしたら、お姉様は私が皆を壊したことに気付いてないんじゃないだろうか、って。
 だから、教えてあげないと、って思った。今の私はこんなにも危険なんだから、近づいたらダメだ、って。

「ねえ、お姉様。お姉様は、気付いてないのかもしれないけど、お父様も、お母様も、それから従者たちも、皆、皆皆、私が壊しちゃったんだ」

 私の目の前で、心配して駆け寄ってきたお母様が壊れた瞬間を思い出す。その後に、呆然としていたお父様が壊れた瞬間を思い出す。私が近づいたことにも気付かずに従者たちが壊れた瞬間を思い出す。
 どれも、どんなときでも、直後に残るのは紅い塊だけ。全部全部、バラバラになって、生きていた時の名残を残さない。

「お姉様が、このまま入ってきたら、きっとお姉様も壊しちゃうよ」

 部屋中にある、一度壊れたはずの物たちが壊れていく。無数の目が浮かび上がって、私の方へと近づいてくる。
 真っ暗な部屋の中、影がだんだん小さくなっていくのが見える。
 今はまだ大丈夫だけど、私とお姉様を隔てる扉がいつ壊れるかも分からない。

「フラン。フラン! 大丈夫、今はただ、突然のことに驚いて、力が制御できないでいるだけよ! だから、落ち着いて。落ち着けば、大丈夫だから」

 お姉様が焦りを含みながらも、優しい声色で話しかけてくれる。私を、落ち着かせようとしてくれてるんだなぁ、っていうのが伝わってくる。
 でも、そんなことでは落ち着けないほどのことがあったのだ。

「皆を、殺しちゃったんだよ……。それなのに、落ち着いてなんていられないよっ!」

 私のそんな叫びに応えるかのように、扉にヒビが入る。実際に見たわけではないけど、背後からしたのは、木が壊れる直前の音だった。

 はは……。
 私は、色んな物をたくさん壊していくうちに、物が壊れるときにあげる悲鳴を聞き分けられるようになってしまったようだ。そんなに、たくさんの時間が経ったというわけではないのにっ!

 このままでは、いずれ扉が壊れてしまう。お姉様は、今もまだ、扉の前に居るんだろう。
 ダメだ。絶対に、お姉様を私に近づかせてはダメだ。

 じゃあ、どうすればいい?
 ……ああ、そうだ。私が消えればいいんだ。

 詳しいことは良く分からないけど、私の力は『目』をどうにかして、その存在を壊す力のようだ。
 だったら、私自身の『目』をどうにかしてしまえばいい。押さえが利かないこの力なら、私が『目』を見つけ出せば、後は勝手に壊してくれるだろう。

 私は、意識を内へと向けて、自身の『目』を探し出す。
 ああ、ダメだ。全くどうしていいのか分からない。だって、この力に気付いてからまだ全然時間は経っていないのだ。『目』を見つけるコツなんて分かるはずがない。

 早く、早く、早く。そうしないと、お姉様を壊してしまう。
 それは、嫌だ。そんなのは、嫌だ……っ!

 ……あ、見つけた。
 何の根拠も無いけど、何故だか確信を持って、そう思えた。私の『目』は、私の瞼の裏側に浮かんでいる。
 後は、その『目』どうにかするだけだ。

「お姉様、さようなら。それと、……ごめんなさい」

 このまま、何も言わずに消えてしまうのもどうかと思って、そんな言葉を投げかける。

 さようならは、お姉様へと。
 ごめんなさいは、私が殺してしまった皆へと。

「フランっ? さようなら、ってどういうことよ!」

 お姉様が、叫んでる。私を止めようと必死になってるみたいだった。
 もしかして、私が何をしようとしてるのか、気付いちゃったのかな? でも、もう、止められない。

 私の身体へと痛みが走る。一部分じゃなくて、全身に。一思いに壊れてくれないのは、無意識に自分を護ろうとしてるからだろうか。
 少しずつ、少しずつ私が壊れていくのを感じる。
 皮膚が破れ、全身から血が流れ出す。

 痛い痛い痛い。

 もしかしたら、この痛みは、お父様、お母様、従者たちを壊してしまった私への罰なのかもしれない。

「フランっ!」

 お姉様の声。扉の壊れる音。そして、私を包み込む、温かさ。
 ……私の破壊が止まる。

「よか、った……」

 背後から、お姉様の安心しきったような声が聞こえてきた。
 けど、それとは対照的に、私は死ねないことに、疑問を、絶望を抱いていた。

 なんで? なんで、死ねないのっ?
 このままだと、お姉様を壊してしまう。
 だというのに、なんで、なんで、なんでっ?

「こんな形で、私の力が役に立つとは思わなかったわ……」

 ……ああ、そっか。私が死ねないのは、お姉様のせいなんだ。
 どうして、死なせてくれないの? こんな危険な存在がいていいはずなんてないのに……っ!

 ああ、早く、早く死なないといけないのに。もしかしたら、お姉様がこうして私の力の影響を受けないでいるのも、一時的なことなのかもしれないのだ。
 だから、だから、早くお姉様の腕を振り解かないと。振り解いて、館の外まで行かないと。今なら、きっと陽射しが出ていることだろう。
 でも、お姉様は私よりも力が強い。だから、振り解くことが出来ない。

 私を抱く腕にはぎゅう、っと力が込められている。けど、同時に、震えてもいた。
 そういえば、お姉様はいつもは気丈に振る舞っているけど、芯の部分では私と同じくらいに臆病だった。
 だから、お父様に、お母様に、従者たちを殺した私のことが本当は、怖くて怖くてたまらないんだろう。すぐにでも、逃げ出したいんだろう。

「……お姉様、私のこと、怖いんでしょ?」

 私がそう言うと、お姉様が身体を震わせた。腕に力が入るのが分かる。

「お姉様、臆病だもんね。何でも壊しちゃう私のことが怖くて、当たり前だよね……」

 お姉様に怖がられている、という事実を口にして、胸が苦しくなる。息が詰まる。
 でも、それは所詮精神的なものだから、長続きした所で死にはしない。死ねはしない。

「ねえ、私、お姉様に怖がられてるんだ、って思うと、辛くて、苦しいから、私のことなんて見捨ててよ。見捨てて、私を死なせてよ……」

 嘆願するようにそう言う。
 誰かを殺すのも、苦しいのも、辛いのも、全部嫌。そんなものがあるなら、自分自身が滅びてしまった方が何十倍もましだ。
 だから、私は必死に請う。お姉様に抱き締められていなかったら、膝をついて、両手を組んでいたかもしれない。

「馬鹿なことを、言うんじゃないわよ! 何処に妹を見捨てて、みすみす死なせるような姉がいるって言うのよ!」

 間近で聞こえてきたお姉様の大声に、私は身を竦ませてしまう。お姉様の声は、その音の震えが分かるほどに、強かった。

「私は――……くっ……」
「あ……」

 不意に、私を抱き締める、お姉様の腕が爆ぜた。真っ赤な、血の塊となったそれは、紅く染まりきった私を更に紅色に染めながら、床の上に広がる。

 私は、慌てて立ち上がって、お姉様から距離を取る。

「……失敗、してしまった、みたいね……」

 私の前に立っていたのは、左腕を失って、恐怖からからか、身体を震わせているお姉様だった。腕の付け根からは、血が止まることなく、溢れてきている。
 私を安心させるかのように、無理やり微笑んでいるけど、その表情は蒼白となっていた。

 ほら、やっぱり、私はどんなものでも壊してしまうんだ。やっぱり、私はどうしようもない存在なんだ。
 私を安心させようとしてくれる存在を壊してしまうくらいに。

「お姉様、早く、出て行って……」

 私は、今にも泣きそうだった。
 お姉様の腕を壊してしまったことが申し訳なくて、これ以上お姉様を壊してしまうのが怖くて、泣きそうだった。

「それは、出来ないわね……。今にも、泣き出しそうな、フランを一人になんて、しておけないわ」

 私の言葉に首を横に振ったお姉様は、ゆっくりと私の方へと近づいてくる。

 ダメ。ダメだ。これ以上、お姉様を私に近づけさせたら、ダメだ。
 お姉様が出て行かないなら、私が出て行こう。

「フランっ!」

 私を捕まえようとしたお姉様の腕を避け、お姉様の呼びかけを振り切って部屋の外へと出た。
 一瞬見た、お姉様の顔には悲痛の色が浮かんでいた。けど、私は止まらない。


 目指すは、館の外。
 自分一人で死ねないのなら、他の何かに殺してもらおう。





 限界ぎりぎりの速度で、私は館の外へと飛び出た。ここに来るまでの間も、何人かの従者を殺してしまった。
 鼻の奥に、血のにおいがこびりついている。血を吸いすぎた服からは、今も血が滴っている。

 でも、もう私は、誰も殺さない、壊さない。灰に還ってしまえば、私の狂った力は誰にも手を出さない。

 そんな思いを抱えたまま、陽の下へと躍り出る。

「……っ」

 真っ直ぐに射す朝日が私を灼く。
 熱さが痛みとなって、身を焦がす。
 ああ、お父様、お母様、従者の皆はこれで私を赦してくれるだろうか。それとも、この程度では赦してくれないだろうか。

 でも、とりあえず、お姉様を守ることは出来る。これ以上、お姉様を傷つけないでいいようになる。

 意識がぐらり、と揺れ、立っていられなくなる。抵抗する理由も必要性もないから、私はそのまま地面に手をつき、膝を付く。もう、今更死にたくない、と思おうが逃げられない。

 意識が閉じていく。それでも、痛みや熱さだけは強烈になっていき、その場で暴れだしたいような衝動に駆られる。けど、身体は動かない。
死が、確実に迫ってきている。

「フラン!」

 意識を失うほんの直前、そんな声が聞こえてきた。


 ……ああ、もう少し遠くに行っておけばよかった。





 まず感じたのは、温かさと柔らかさだった。そして、すぐにそれらは毛布の感触だと気が付く。私は、ベッドの上に横になっているようだ。
 ここが、あの世なんだろうか、と思ったけど、そんなことは絶対にないはずだ。私が、こんなにも心地のいい場所にいられるなんて、ありえないから。

 瞼を開けてみると、真っ先に視界に入ってきたのは、お姉様の顔だった。私の顔を覗き込んでいたよう、だ?

「フランっ! よかった……、目が、覚めたのね」

 お姉様の顔をまともに観察する暇もなく、お姉様に抱き締められた。ぎゅうっ、と私を抱き締める腕はちゃんと二本あって、ちゃんと元通りになったんだ、と私を安心させる。

 ああ、私、死ねなかったんだな……。

 お姉様から伝わってくる温かさ、それから、強く抱き締められすぎて感じる痛さ。それらが、私に生きていることを強く自覚させる。

 なんてことだろうか。死ねなかった上に、またお姉様をこんなにも私の近くへと来させてしまうなんて。
 私から、離れられないなら、離してもらうか、突き飛ばしてもらうしかないんだろうか。

「……ねえ、お姉様。私を、殺してよ。死にたいん、だ」
「馬鹿なことを言ってるんじゃないわよ!」

 私を抱き締めるのをやめて、両肩を掴んで顔を間近へと寄せる。その声は、怒っていた。私を見るその目にも怒りが浮かんでいて、私を睨むようでもあった。

「なんでっ? どうして、殺してくれないのっ? どうして、死なせてくれないのっ! 皆を殺しちゃったことがとっても辛いんだよ。これから、誰かを殺しちゃうことが怖いんだよっ! ……私、絶対にお姉様を殺したくなんか、ない」

 気が付けば涙が溢れてきていた。油断すれば嗚咽さえも漏れてきそうだ。
 辛くて、怖くて、苦しくて、そんなのが、嫌で、嫌で、死にたくて。
 皆を殺した瞬間が脳にこびりついて私を苛む。今にも目の前でお姉様が壊れてしまうんじゃないかと怯えてる。
 もう、血を被るのも、罪を背負うのも嫌だ。早く、死なせて欲しい、殺して欲しい。

「貴女がなんと言おうとも、私は貴女を殺しはしないし、貴女に殺されもしない。当然、見捨てたりもしないわ」

 私を逃がさないようにするかのように、ぎゅっ、と力を込めて、抱き締められる。そして、お姉様よりも力のない私は、逃げることが出来ない。
 ……ダメ。そんなに近くに居たらお姉様のことを壊して、殺してしまうかもしれない。今度は、私を抱き締めるその腕じゃなくて、頭を、全身を壊してしまうかもしれない。

「でも――」
「大丈夫。安心して。私が、貴女に殺される運命は全部、掴みきったわ。だから、もう、フランに傷つけられたりはしない。貴女を不安になんか絶対にさせない。だから、安心して。……死にたい、なんて絶対に言わないで」

 私の声を遮って紡がれた言葉は、自信に満ち溢れていた。何処からそんな自信が湧いてくるんだろうか、って疑問に思って、逆に不安に思ってしまうくらいに。
 けど、最後の言葉だけは弱々しくて、お姉様の素が出てきているのがわかった。だから、余計に信じていいのやら、わからなくなる。
 それに、そんなこと関係ない。結局、信じようと信じまいと私は、死ぬしかないのだ。いくら、これからが変わろうとも、起こってしまった結果は覆せないのだから。

「……お姉様、しばらく一人にしてほしいんだけど」
「駄目よ。今の貴女は、一人にしておけないわ」

 弱々しかった言葉が嘘だったかのように、強い口調。私を抱き締めるのをやめて、紅い瞳で私をじっと見つめている。私は、顔を逸らすことが出来ないでいる。

「……なんで?」
「貴女が、妙なことをしでかすといけないからよ」
「そっか……」

 はは、お姉様は私が何をしようとしてるのか、お見通しなんだ。
 ……まあ、当然か、ああ何度もお姉様の前で死のうとして、殺してと嘆願していたんだ。私が何をしようとするかなんて分かっちゃうか。
 お姉様が近くにいなければ、死ねるかも、って思ったのに、これも、ダメ、かぁ……。

「こんな話ばかりしてても、つまらないわね。……ねえ、フラン、お腹は空いてないかしら?」

 私にこれ以上死ぬことを考えさせないためか、お姉様が少し無理に話題を変えた。

 私は、お姉様の言葉に頷こうとして、すんでの所でやめる。
 そうだ、すぐに死ねないというのなら、ゆっくりと死んでいけばいいのだ。何も食べず、何も飲まず、ひっそりと果てていけばいい。

「ううん、空いてない」

 だから、首を横に振る。お腹が鳴ったらどうしようか。そのときは、拒絶し続ければいいか。

「寝起きだから、お腹が空いたように感じないのかしらね? でも、一日近く寝てて、その間、何も摂ってないんだから、無理にでも飲んでおきなさい」

 どうやら、お姉様は勘違いしたようだ。
 しゃがみ込んで、床に置いてたのか、下からガラスのコップを取り出す。中では、紅色が揺れていた。
 それを見ても、不思議と嫌悪感を感じることはなかった。誰の血かわからないからかもしれない。まったく、私も薄情なものだ。私以外の血なら、何にも思わないなんて。まあ、そうじゃないと生きていけないんだけど。
 それよりも、私は珍しいな、と思った。私やお姉様が血を直接飲むなんてことはほとんどないから。
 それに、床に置いてたのは、なんでなんだろう。そもそも、ここは何処なんだろうか。
 気になったけど、今は、お姉様と話してる途中だから、周りを見回したりはしない。後で、そういう暇も出来るだろうし。

「ほら」
「ううん、いらない」

 お姉様が差し出したコップを前にして首を振る。何があろうとも、私はその血を飲むつもりはない。
 どれくらい待っていれば死ぬのかは分からないけど、それまで頑として拒否するつもりだ。

「……ごめんなさい。今は、この館には、私と貴女しかいないから、こういう形でしか出せないのよ。だから、我慢してちょうだい」

 ああ、皆いなくなってしまったのか。私が殺したのは館の全員じゃないけど、残った従者たちは逃げてしまったんだろう。
 自分たちの命が危険に晒されるとなると、当たり前、か。こんなにも狂った力を持つ私の近くになんていたくないだろう。 
 それが悲しいとは思わなかった。むしろ、殺してしまうようなことが無くなって、安心しているくらいだ。

「ううん、お姉様は謝る必要なんてないよ。……むしろ、謝るべきは私。私のせいで、お姉様は一人きりになって苦労してるんだよね」
「何を、言ってるのよ。私だけじゃない、貴女だっているわ!」

 私を咎めるような口調だった。けど、瞳は私に縋るようで頼りがない。お姉様は、臆病だから一人になるのが怖いんだと思う。
 でも、私は死んでしまいたいから。思い直す気は、さらさらない。

「……ごめんなさい。きっと、これからお姉様は一人きりになるよ。どれくらいかかるかはわかんないけど、いつか私は死ぬから」
「ふざけんじゃないわよっ!」

 叫びにも似た突然の声に驚いて、私を身を竦ませてしまう。手にコップを持っていなかったら、私ははたかれるか、叩かれるかしていたかもしれない。それくらいの、凄みがあった。
 そして、なおも私へと言葉をぶつけてくる。

「さっきから死にたい死にたい死にたい、そればっかりじゃない! ほんとに、ふざけんじゃないわよ! 誰が、誰がっ、貴女の死を望んでる、って言うのよっ!」

 ――あ……。

 お姉様が、泣いてる。涙を流して泣いてる。絶対に人前で泣いたりしなかったお姉様が、泣いてる。
 そんなに、私が死ぬのを止めたいんだろうか。そんなに、私に死んで欲しくないんだろうか。
 こんなにも、危険な存在なのに……。こんなにも、罪と血で、濡れてしまっているのに……。

 私は、お姉様の顔が見ていられないで、顔を逸らしてしまう。そんな顔を見せられたら、私の思いが揺らいでしまいそうだったから。
 そう思いながら、私はどうやったらお姉様に見捨ててもらえるだろうか、って考えてる。どうしたら、お姉様は私のことを嫌ってくれるんだろうかって。
 お姉様を傷つける、なんていうのはありえない。じゃあ、お姉様を拒絶し続ければいいんだろうか。でも、今のお姉様の様子を見る限りだと、その程度だと、私を見捨ててくれそうにはなくて――

 不意に、顔が何かに挟まれた。それが、お姉様の両手だということに気が付くのにそれほど時間は必要じゃなかった。
 何の為に?、と思う暇はなかった。そう思うよりも前に、いつの間にか間近に迫っていたお姉様が、私の口に口を重ねていたから。

 驚いて、私は身を退こうとする。その時に、声を上げようとしてしまった。そして、それが失敗だった。
 少し開いた口から入ってくるお姉様の舌。同時に、流し込まれてくる液体。何処か甘さを含んだ吸血鬼に必要不可欠なもの。
 私は、口を塞がれたまま、それを飲み込まないように必死に抵抗する。けど、少しずつ少しずつ苦しくなってきて、結局私はそれを飲み込んでしまった。

 それと同時に、お姉様が私から離れる。多量の血を必要としない私は、さっきの量でもそれなりの満腹感を得られてしまう。
 身体に、力が戻ってくるのを感じて絶望する。

「なん、で……」

 口元の血と、頬の涙を手で拭うお姉様へとそう聞く。
 いや、ほんとは分かってる。お姉様が、私を死なせたくないから、無理やり血を飲ませた。ただ、それだけのことだ。
 けど、死から遠ざけられてしまった私は、お姉様を非難するように、そう聞くことしか出来なかった。

「貴女を、死なせたくないからに、決まってるでしょう」

 途切れ途切れの、今にも泣き出してしまいそうな声だった。そんな声の響きに、私の胸が締め付けられる。

「ほら、残りも、飲んどきなさい。いくら小食でも、一日何も食べて無かったのなら、足りないでしょう?」

 血の量が半分くらいになったコップを押し付けてくる。私は、やっぱり首を振って、それを拒絶する。

「自分で飲まない、って言うんなら、またさっきと同じ飲ませ方を――」
「ねえ、お姉様」

 お姉様の言葉を遮って話しかける。お姉様は、怒ることもせず、じっと私の顔を見る。

「どうやったら、お姉様は、私のことを嫌いになってくれる?」

 私を見捨ててくれないというのなら、嫌いになってもらうしかない。でも、私はどうすれば、嫌いになられるのかわからなかった。だから、本人に聞いてみた。

「……嫌いよ」
「え……?」

 あまりにも予想外な言葉に、私は思わずそんな声を上げてしまった。もしかしたら、聞き間違えなんじゃないだろうか、って思って。

「今の貴女のことは、嫌いよ」

 もう一度告げられた言葉は、やっぱり私を嫌いだ、という言葉だった。
 意味が分からない。なんだって、そんな言葉が返ってくるんだろうか。

「でも、じゃあ、何で――」
 ――私を見捨ててくれないの!

 そう、言い返そうとした。けど、途中で、私の声は途切れてしまう。途切れさせられてしまう。

「でも、貴女がいなくなるのは、怖いのよ」

 お姉様が私を抱き締めた。声は、震えていた。
 嫌いなのに、いなくならないで欲しい? そんな答え、予想できるはずが無いじゃないか!
 どうすればいいんだろう。どうすれば、私を見捨ててくれるんだろう。
 また、同じ問いを繰り返す。けど、どうやったって、答えは返ってこない。
 ああ、これもそれも、お姉様が悪いのだ。お姉様が、あまりにもわがままだから。

「お姉様の、わがまま……」

 文句を言うようにそう言った。こんなことを言った所で、なんの意味もないのに。

「ええ、そうよ。私は、どうしようもないくらいにわがままよ。……だから、フラン。死にたい、だなんて言わないで、生きていてちょうだい」

 ぎゅう、と私を抱く腕に痛いくらいに力が込められる。お姉様の想いまでも込められていそうだ。
 でも、私は首を横に振る。死にたい、と願い続ける。

「お姉様が、なんと言おうとも、私は、生きたい、だなんて思わないよ。……私は、これ以上誰かを殺したくない。私がしてしまったことに、償いたいから」
「そんなこと、知らないわ。何があろうとも、私は貴女を生かしきる。貴女を支え続けて、守り抜いて、絶対に死ぬ、なんて選択をさせないようにしてあげるわ」

 弱々しかった声に、力がこもる。決意にも似たようなものがそこにあることに気が付く。
 でも、その決意は私にとっては厄介なもので、障害にしかなりえない。だから、その決意を折るべく、口を開く。

「……でも、私の傍にいたら、死ぬかもしれないんだよ?」
「大丈夫、って言ってるでしょう? 貴女が心配をする必要なんて、何一つないわ」

 また、まただ。どうして、お姉様はこんなにも自信で溢れかえった声で返すことが出来るんだろう。私は、お姉様というものが、良く分からなくなってきている。

「……なんで、そんなに自信満々なの?」
「簡単なことよ。貴女は私の妹で、私は貴女の姉。だから、貴女の運命を読み解くことくらい、簡単なことなのよ」

 お姉様が、そう言い切る。何の根拠も無いのに、微塵も自分の言葉を疑っていない。なんで、そんなことができるの?

「……それに、もしも、貴女が死んでしまったら、私も死にたくなってしまうもの。そんな思いを味わいたくないから、私は、全力で頑張るわ」

 お姉様は、なんてことを言うんだろうか。私なんかが死んだ、なんてことだけで死にたくなるだなんて。
 お姉様には、お姉様にだけは生きていて欲しいのに。

「お姉様の、馬鹿……」

 なんでそんなふうに考えるの、って非難するように呟く。でも、お姉様の耳は間近にあるからきっと届いてることだろう。

「それは、お互い様でしょう?」

 返ってきたのは、そんな言葉だった。
 お互い様、かぁ。そうなのかな? 死にたい、って思うのはそんなにも馬鹿なことなんだろうか。
 ……わかんないよ。わかんないけど、死ぬべきなんだろう。そう、思う。

「……こんな話は、ここまでにしましょう」

 お姉様が、私を抱き締めるのをやめる。お姉様の表情は、私を抱き締める前よりも、暗く沈んだものになっているような気がした。

「フラン、残りも飲んでおきなさい」

 お姉様が、コップを差し出してくる。私を抱き締めてたときも、持ってたのかな? だとしたら、よく零れなかったなぁ、って思う。
 私は、そのコップを拒絶しようとする。でも、拒絶した所で、さっきみたいに無理やりのまされることになるんだろう。そう簡単に、お姉様から逃げられるとは思わない。
 だから、私は諦めて、

「うん、わかったよ」

 首を縦に振って、コップを受け取ったのだった。





 お姉様が、私を抱き締めたまま眠っている。私は、ベッドだった物の上で、上半身だけを起こしている。

 仕方なく血を飲み終わった後は、私は何処に視線を向けるでもなくぼんやりとし、お姉様は私のことをじっと見つめていた。
 私は、早く何処かに行ってくれないかな、ってずっと考えていた。お姉様が傍にいる限り、私は絶対に死ねそうにないから。

 その間、部屋にあるものは、順々に壊れていった。能力が発現した直後ほどの速さはなかったけど、今では部屋にあった全ての物が壊れてしまっている。
 と言っても、壊れてしまったベッド以外にあったのは空っぽの棚くらいだった。

 そんな中、お姉様には傷一つ付かなかった。あの、大丈夫、と言う言葉は、単なる強がりでもなかったようだ。
 お姉様は強いなぁ、って思う。
 自分自身を信じられる所とか、言ったことを本当に実現させてる所とか。

 ……もう起きないかな?

 お姉様は完全に寝入ってしまっている、と私は判断して抜け出してみようとする。けど、身を捩れども、お姉様の拘束からは逃げられなくて、余計に腕に力が込められるばかりだった。
 お姉様の顔を見てみると、眠っている、というのにとても必死そうな表情を浮かべていた。
 今すぐにでも、私の名前を呼ぶんじゃないだろうか、って思わせるほどだ。

 お姉様は、本当に私のことが嫌いなんだろうか。
 ……うん、嫌いなんだろう。お姉様の性格なら、私みたいに自分を否定するようなのは心底嫌うはずだ。
 それなのに、お姉様が私を護ろうとするのは、なんで? 妹だから?
 ……うん、そうなんだろう。私だって、理屈抜きにお姉様のことが好き。だから、絶対に殺したくない、って思った。
 でも、世の中には家族だろうと、拒絶するようなのもいるんだよね。お話の中くらいでしか、他の家族の事なんて知らないけど、ああやって書かれることがあるってことは、そういうこともあるんだと思う。

 ねえ、お姉様。どうして、そんなに必死になって私を護るの?

 思い出すのは、涙を流しながら私を止めるお姉様。
 演技でもなんでもない、っていうのは良く分かる。私は、お姉様の感情を間近で浴びせられたのだ。分からないわけがない。

 ねえ、お姉様。どうしたら、そんなに必死になれるの?

 どうしても答えが分からない。だから、私は絶対にお姉様の腕の中から逃れられないのかもしれない。





 鈍く、緩慢に意識が覚醒していく。生きよう、という意思が弱いと、中々起きることが出来ないんだろうか。
 そんなことを考えながら、目を開く。

 結局、お姉様から逃げられなかった私は、そのまま眠ってしまった。どれだけ頑張っても、お姉様は私のことを放してくれなかった。
 力を入れれば何とかなりそうな気もしたけど、起こしてしまっては本末転倒だ。
 だから、私は諦めて眠ってしまったんだけど、どうやら、その行動は正解だったようだ。

 私が目を覚ましたら絶対に声をかけてくるだろうに、お姉様の声は聞こえてこない。それは、この部屋の中にお姉様がいない、ということだ。

 でも、それはなんで? 部屋から出て行ったから? それとも……。

 不安になって、私は上半身を起こして部屋の中を見回す。
 見えるのは、真っ暗な部屋と、棚の残骸だけ。血の塊が広がっている、なんてことは無かった。ベッドも、羽毛を撒き散らしているだけで白さを保っていた。
 ほぅ、と息を吐く。お姉様には何事も起こらなかった様だ。
 食事の用意でもしてるんだろうか。なら、好都合だ。

 お姉様もいないみたいだし、死にに行くとしよう。もう、館の中には、お姉様と私以外はいないみたいだから、安心して外へと向かえる。
 今が何時か、はどうでもいいか。夜だったら、朝になるまで何処かへと逃げればいい。

 よしっ、と心の中で意気込んで立ち上がる。
 こうして心の中でも力を込めれば、いい方向に動いてくれるような気がしたから。

 埃っぽい石で出来た床を踏みしめる。そこでようやく、私は自分が裸足になっていることに気付く。
 裸足で歩くのは良くないか、と思って靴を探してみるけど、紅い革しか見付からなかった。例のごとく、私が壊してしまったようだ。
 まあ、しょうがない。ないものはない。どうしようもない。
 裸足で歩くのが嫌なら、飛べばいいのだ。私たち吸血鬼は、自由に空を舞うことが出来るんだから。
 でも、私はなんとなく歩くことを選んでみた。一歩あるくごとに、ぺたぺたぺた、と気の抜けるような音がする。
 足の裏にくっつく埃やなんやらが少し不快だけど、気にしないことにした。どうせ死ぬんだし。

 そうやって、投げやりに歩きながら扉の前につく。普通の部屋みたいに木製ではなく、鉄製の扉だ。表面には、魔法陣が描かれている。それは、チョークなどで描かれたものでもなく、ノミなどで彫られたものでもなかった。

 それは、魔力で描かれたものだった。
 そして、私はここがどこなのか気付いた。
 
 ここは、お母様が昔、蒐集品を置くために使っていた部屋だ。ほとんどがマジックアイテムだったけど、いらないから、といってつい最近全部処分していた。

 道具が暴走したときに被害を最小限にするため、ということで館の中でも、一番端の方、しかも地下に作られている。
 扉もお母様が作った特別製で、ほとんどの魔法は無力化してしまうような代物だ。現に、私がいくら見つめ続けても、『目』が現れてこない。
 そして、この部屋は物置として作られた部屋だ。だから、外側からしか鍵を掛けることは出来ない。逆に言うと、内側から鍵を開けることは決して出来ない。

 ノブを掴んで回す。そして、引っ張ってみる。でも、開かない。鍵が掛かっているから。
 諦め切れなくて、扉を壊すくらいの気持ちを込めて引っ張ってみるけど、開きも壊れもしない。
 ……これは、死ぬのに他人の手を借りるな、と言うことなんだろうか。
 でも、確かにそうだ。私の力のせいでこんなことになってしまったと言うなら、私の力で終わらせる、というのが筋と言うものだろう。

 私は、すう、と息を吸う。
 意識を内へと向けて、自分の『目』を見つけ出そうとする。
 ……あの時の、初めて自分の『目』を潰そうとしたときのことを思い出して、身体がぶるり、と震える。
 何を、何を怯えてるの? 罰には、痛みが付き物なんじゃないの? そう、思ったはずじゃないの?
 なのに、なのに、何で、私は、こんなにも怯えて、躊躇してるのっ!

 死なないと、死なないといけないのに、私は『目』を見つけられない。見つけたくないと、心の何処かが思ってしまっている。
 早く、早くしないと、お姉様が戻ってきてしまう。そうなれば、次に私が死ねるタイミングが出来るかなんてわからないっ!
 いや、そもそも、今死ねなければ、タイミングがあろうとも、私は死ぬことが出来ないんじゃないんだろうか。
 早く、早く、早くっ!
 気持ちが焦るばかりで、一向に私自身の『目』は見付からない。代わりに、私の周りにある物がばらばらになっていく。行き場を失った力が、指向性を失って周囲に撒き散らされている。

 見付からない、見付からない、私の『目』が見付からない。見付けられない。……見付けたがらない。
 そう、気付いた途端、私は床に膝を付いてしまう。

「は、はは……」

 私の口から、小さく笑い声が漏れる。
 だって、可笑しいじゃないか。
 たった一枚の壁に阻まれ外には出られず、痛みに震えて自身の『目』は見つけ出せない。ははっ、中々滑稽じゃないか。
 これを笑わずして、何を笑えばいいんだろうか。


 ……意気地なし。本当に私は意気地なしだ。

 ひとしきり哂い続けた後、虚無感を感じながらそう思った。





 扉の前で、膝を抱えて座っていたら、鍵の開けられる音が聞こえてきた。
 ああ、どうやらお姉様が戻ってきたようだ。
 自分を殺すことの出来ない自分に、どうしようもないやるせなさを感じた私は、色んなことのやる気が一気に失われた。ベッドに戻ることさえも億劫で、だから扉の前から動かずここに座っていた。
 お姉様は、こんな私を見てどう思うんだろうか。やっぱり私のことを嫌いになってしまうんだろか。

 ……どうせなら、そのまま私のことを見捨ててくれればいいのに。

「あ……。フラン、起きて、いたのね」

 扉の開く音と同時に現れたのは、手に血の入ったコップを持ったお姉様だった。その表情は、見付けられたくない物を見付けられてしまった者のような表情だった。お姉様が何を隠したがっていたかはすぐに分かった。でも、なんだって隠す必要があるんだろうか。
 お姉様は、それが正しいと思ったんでしょう?

「あの、フラン、ごめんなさい。こんな所に、閉じ込めてしまって」

 本当に、心の底から申し訳なさそうに謝る。お姉様には珍しく、頭まで下げている。

「……本当に、そうだよ。これで、私は死ねなくなっちゃった。ううん、本当は死ねるはずなのに、私が意気地なしだから、自分自身を壊せないんだ。だから、陽に灼かれて死のうだなんて思った。……でも、それも、お姉様に邪魔されちゃった。はははっ、ダメだね、私……」

 お姉様を非難して、自身を嘲笑う。
 私は、誰を責めればいいの?
 そんなの簡単だ。この私を責めればいい。私がお姉様を責める道理なんて全くない。悪いのは全部全部、私なんだから。

「……駄目、だなんてことはないわ。生きれば、いいじゃない。死ぬ、なんて言うんじゃないわよ」
「死ぬしか、ないんだよ。私は、災厄だから。私自身にも止められない、単なる災厄にしかすぎないから」

 私が、そう言った直後、お姉様の手にあったコップが壊れた。ばらばらとガラスの欠片が床に散らばり、血がお姉様の服を紅く染める。

「ほら。私、今、壊そう、だなんて全然思ってなかったんだよ。なのに、壊れちゃった。……壊しちゃった。こんな存在、災厄、としか呼びようがないでしょ?」

 たぶん、今の私は微笑んでる。どういう微笑みなのかは自分自身にも良く分からない。
 諦めるように? こう自覚しながらも死ねない自分を滑稽に思うように? それとも泣き出しそうなお姉様を安心させるように?

 お姉様は、私から顔を逸らすかのように顔を俯かせる。でも、もともと座っている私と、立ったままのお姉様だから、顔が隠れることはなかった。だから、下唇を噛むお姉様の顔がしっかりと見える。

「フラン」

 数十秒か、数分かが経ったとき、お姉様が口を開いた。悲しそうな表情はどこにも無くて、真っ直ぐに私を見つめている。

「貴女のその力の制御の仕方、私が絶対に見つけてきてあげるわ。……その後に、絶対に貴女が生き続けたい、と思えるようにしてみせるわ」
「お姉様の好きにしていいよ。どうせ、今の私は死ぬに死ねないから」

 やめて、って言った所で、お姉様がやめるとは思えない。
 だから、私の答えは投げやりだ。

「ええ、私の好きなようにさせてもらうわ。その前に、食事の方が先ね」
「……うん」

 断る、という選択肢のない私は頷くことしか出来なかった。
 ……どれだけ、私はお姉様の意志に負けてしまってるんだろうか。


 食事が終わると、「私がいない間も、絶対に妙な真似をするんじゃないわよ」、という言葉を残してお姉様は部屋から出て行った。扉には鍵を掛けて。
 どうせ、今の私では、自分を壊すことなんて出来ない。だから、お姉様の言う妙な真似なんていうのは出来ない。

 というわけで、私は閉じ込められることとなってしまった。お姉様への恨みとかは一切感じない。
 それは、たぶん、色んなことがどうでも良くなってきてるから。





 それから、長い年月が経った。ずっと地下にこもっている私も、ほとんど毎日のように外に出ているお姉様も詳しい年数はわからなかった。お姉様も私も、時間には無頓着なのだ。
 それでも、確実に時間は流れているんだ、と感じることが二つほどあった。
 一つは、私の力に関して。
 力が発現したばかりの時は、私の周囲にあるものを無差別に壊してたけど、最近では視界に映ったものを無差別に壊すようになっていた。まあ、それでも私が危険であることにはなんら変わりはないんだけど。

 でも、お姉様は些細な変化でも喜んでるみたいで、絶対に何とかなる、と更に自信を持ったようだ。
 そんなお姉様を単純だなぁ、と思うと同時に、羨ましい、ともなんとなく思う。あくまで、なんとなくであって、見習うつもりはさらさらない。今更、自分に自信を持ってなんになるのやら。

 そして、もう一つは――


「フラン、入るわよ」

 いつものように、扉の向こう側からお姉様が声をかけてくる。
 私は、それをベッドに横になったまま聞く。
 私の力のせいで、どんな家具もすぐに壊れてしまうから、このベッド以外部屋には何にもない。

 この館には物がたくさんある、と言っても、無限にあるわけじゃない。だから、お姉様も私の部屋に家具を揃えようとはしない。
 お姉様は、そのことをすごく気にしてるみたいだけど、私としては別にこのままでもいい。いつかは死ぬつもりの私に家具なんてあまりにも勿体ないから。

 それでも、お姉様はベッドだけは用意してくれた。ただ座っているだけよりは、横になってた方が楽だろう、って。
 それに、ベッドは視線を向けて使う必要が無い。だから、視界の中だけの物を壊すようになってからはあまり壊していない。そう、あまり、であって、時々壊してしまうのだ。
 そんなときは、お姉様はすぐに用意をしてくれる。私がいくら、このままでいい、って言っても。

「うん、いいよ」

 身体を起こして、ベッドに腰掛けながら、そう答える。普通に話しているときと同じ声量だから、普通なら扉の向こうまでは届かないはずだ。
 でも、前に一度なんとなく同じ声量で、入ってこないで、と言ってみた。そうすると、どうかしたの、と聞かれてしまった。
 あの時は、本当に驚いた。まさか、私の声が聞こえてるなんて思ってもいなかった。
 一体、どういう耳をしてるんだろうか。

「こんばんは、フラン」

 いつものように、扉の鍵を開けたお姉様が部屋の中に入ってくる。けど、その手には私が今まで見たことが無いものがあった。
 真っ白な白磁の平皿の上に乗せられた、これまた真っ白な丸っこいもの。クッションみたいに見えるけど、湯気を立ててる、ってこととお皿に乗せられてる、ってことでそれは違う、と断言できる。

 食べ物、なんだろうけど、湯気を立てているものを見るのは本当に久しぶりだ。
 お姉様は時々、お土産、と称して外から食べ物を持って帰ってくることがある。パンとか、クッキーとか、ケーキとか、そう言うもの。そう、持って帰ってくる、という性質上、暖かい物はどうしても出せないのだ。精々出てくるのは、温かさを保ったパンくらい。
 でも、それに不満があったわけじゃない。こんな私なんかの為に用意してくれて本当に申し訳ないくらいだった。

「こんばんは、お姉様。……今日も、ありがとう」

 ああ、そうだ。長い年月の間に変わった所はもう一つあった。

 それは、お姉様に感謝をする、ということ。

 閉じ込められたばかりのときは、なんでこんな余計なことをするんだろう、なんで殺してくれないんだろう、そんなことばかりを考えてた。
 でも、お姉様は私なんかの為に苦労してくれてるんだ。そのことを鬱陶しがってはお姉様に失礼じゃないだろうか。そう思うようになってからは、ちゃんと、感謝の言葉が口を出るようになった。

「でも、それは何?」

 湯気を出す白いクッションみたいなものを前にしてそう聞く。なんとなく、パンみたいな雰囲気が無いでもない。

「よくぞ聞いてくれたわね」

 私の質問に、お姉様が嬉しそうな表情を浮かべる。何か、いいことでもあったんだろうか。

「これは、肉まん、と呼ばれる、大陸の東の料理なのよ。新しく見つけた従者が作ってくれたのよ。さあさあ、冷めないうちに食べてみなさい。とっても美味しいわよ」

 お姉様が、かつてないほどの押しの強さで、肉まんとやらを勧めて来る。そんなに美味しかったんだろうか。

 お姉様の勢いの良さに圧倒されて、私は慌てたようにその肉まんを手にとって、かぶりついた。
 そして、それが失敗だった。

「あつ……っ!」

 手に持ったとき以上の熱さが私の口内を焼く。久々の感覚だ。熱さも、痛みも。

「フランっ? 大丈夫っ? 今すぐ、水を持ってくるから、待ってなさい!」

 お姉様が私に無事を確認しておきながら、返事も待たずに部屋から飛び出していく。
 その間に、熱の塊みたいなそれを私は味わうこともせず、慌てたように飲み込む。熱が喉元を通り過ぎた辺りで落ち着いた。

 舌が、ひりひりと痛い。
 でも、その痛みもすぐに引いていく。そして、残ったのは静寂と、今さっき私の舌を火傷へと追いやった肉まんだけだ。今もまだ、湯気を昇らせている。

 それにしても、お姉様もせっかちだなぁ。吸血鬼だから、この程度のことなんでもないのは分かってるはずなのに。

 と、私は部屋の扉が開けっ放しになっていることに気付いた。私だけがこの部屋にいるときは、必ず鍵が掛けられるはずなのに。
 本当にせっかちだ、お姉様は。まさか、部屋の鍵を掛けるのを忘れるなんて。

 ……今なら、簡単に部屋から出ることが出来る。今すぐ出て行けば、お姉様と擦れ違うこともないだろう。

 外に、出れる。今は夜だろうけど、全力で飛べるところまで飛べば、お姉様も私を見つけられないはずだ。
 そうなれば、朝まで待って私は朝の陽射しの中に消える。何度か想像してみたけど、中々絵になるんでないだろうか、と最近では思うようになっている。

 でも、そこまで考えても私はその開かれっぱなしの扉から外へと出ようとは思わなかった。
 理由? 簡単だ。お姉様が見つけてきた、という従者に鉢合わせてしまうかもしれないからだ。
 私の力のせいで、誰かが死んでしまうなんて絶対に嫌だ。誰かを殺したくないから、死のうと思ってるのに、その道中で誰かを殺してしまったら本末転倒じゃないか。
 だから、私は立ち上がりもせず、開いた扉を眺めるに留める。どうやら、私は完全に逃げられなくなってしまったようだ。
 いつ、どこに従者がいるかわかれば話は別だけど、今はそんなこと全く分からない。だから、私は絶対に逃げられない。

 諦めの念は抱かない。私が私を壊せないと知ったとき、お姉様にここに閉じ込められてしまったときになにもかもを諦めてしまったから。
 そして、今、こんなことを考えても無意味だと知っているから、湯気を上げる肉まんへと息を吹きかけながら、熱と一緒に思考も吹き飛ばす。
 熱も思考も程よくなくなった所で肉まんをもう一度かじってみる。

 あ、美味しい。
 大陸の東の方の料理、って言ってたけど、確かにこの辺りの料理とは違った感じがする。外側のパンのような部分が、ふわふわしてるような、水っぽいような、そんななんとも形容しがたい食感を与えてくる。
 味もこの辺りの食べ物とは違った感じだ。少し濃い味なんだけど、しつこく舌の上に残るような事もない。
 具材はとろっ、としたものに包まれていて、何だかこりこりした食感のものが入っている。何処からか特別に仕入れてきた食材を使ってるのかな?

 食感も味も文句なしだ。
 壊してしまうのは勿体ないなぁ、と思って扉の方を見ながら一口ずつかじっていく。

「フランっ?!」

 部屋の外から、物凄く焦ってるようなお姉様の声が聞こえてきた。扉を閉め忘れたのに気付いたのかな?
 騒がしいくらいの足音を立てながら、私の方へと駆け寄ってきた。

「フラン……っ! ……ああ、よかったわ」

 水を零さず、器用にその場に崩れる。
 それを見て私は、本当に私を心配してくれてるんだなぁ、と思う。そして、心の中に生まれるのはなんとも形容しがたい感情。
 肉まんのパンみたいな部分の食感みたいだ。いや、近い言葉が思い浮かばない分、こちらの方が厄介かもしれない。

「大丈夫。お姉様の新しい従者とやらがいる限りは、外に出られないだろうから」
「そう……。ごめんなさい、少し取り乱してしまったみたいだわ。それよりも、口の中は大丈夫なのかしら?」

 私の姿を見た途端に浮かべていた安心の表情は消え去って、私を心配するような表情を浮かべて近づいてくる。

「そんなに心配しなくても大丈夫。あ、そうだ。これ、美味しかった、って新しい従者に伝えといてよ」

 他の料理も作れるんだろうか、と思ったけど、あんまり色々と頼むのも失礼だよね。向こうもこっちも相手のことを知らないんだから。

「ええ、わかったわ。……でも、本当に大丈夫なの?」

 頷きながらも、一向に心配そうな表情をやめようとはしない。

「大丈夫だよ。心配性だなぁ、お姉様は」
「本当?」
「うん、ほんと」

 お姉様は過剰なほどに私の心配をする。ずっとずっとそうだ。私が死のうとしてるから、それに気を遣って心配を払うようになってくれたわけじゃない。
 元々、お姉様は私の心配をよくしてくれていた。
 私がちょっとした怪我をしたとき、私が風邪を引いたとき、本を読んでて私が泣いたとき。
 どんなときでも、お姉様は過剰なくらいに私の心配をしてくれてきたのだ。

「……なら、よかったわ」

 過剰なくらいに確認を取って、ようやくお姉様は胸を撫で下ろした。

 こんなにも、お姉様に心配をかけさせながら、死のうとする私は罪深い存在なのだろうか。
 皆を殺したのに生き続けるのと、どちらが罪深いんだろうか。

 その答えは、未だに出ない。
 ――それでも私は、きっと死を選ぶ。





 従者が増えて以来は、結構長い間、変化が無かった。
 でも、変化がない、ということはありえなくて、私が死なない限り、きっといつかは変化が訪れるのだ。

「フランっ!」

 いつもは、声をかけてから入ってくるお姉様が、今日は、鍵を開けた途端、飛び込むように入ってきた。勢い良く開かれた扉が大きな音を立てる。予想もしていなかったことに、私はベッドの上で横になったまま、驚いて身体を震わせてしまう。
 それから、身体を起こす。

「お、お姉様? 何か、あったの?」
「ええっ! ようやく、力の制御の仕方がわかったわっ!」
「わっ、お姉様、近い近い!」

 興奮してるのか、私が身体を起こすのとほぼ同時に、詰め寄るように顔を近づけてきた。お姉様の紅が間近に映っている。

「っと、ごめんなさい。嬉しくってつい」

 謝りながらも、お姉様は本当に嬉しそうで、背中の漆黒の翼が揺れている。当事者である私よりも喜んでるみたいだ。
 そもそも、私は嬉しいと感じていない。ただ、力が制御できるようになったら、外に出やすくなるかなぁ、くらいしか考えてない。
 外に出たらどうするか? そんなの、答えるまでも無く決まっている。

「力を制御するにはね、魔法を使うときに詠唱を必要とするように、自分でなんらかの条件を付加しちゃえばいいのよ。例えば、じっと見つめた対象物にしか力が働かないようにするとかね。意外とそういう融通は利くらしいわ」
「そうなんだ」
「フラン、何かいい考えはあるかしら?」

 お姉様が、私の顔を見てそう聞いてくる。
 条件を自らつける、か。
 私の力が、視界に映ったものだけを壊すようになったのは、自然とそういう条件付けが行われたせいなんだろうか。
 このことに、自分で気付けてたら、もっと早くに力を制御できてたんだろうなぁ。……でも、一番早くに気付けてたとしても、それはお姉様に地下に閉じ込められた後だと思う。どんなに単純なことでも、錯乱している状態では気付けやしないのだ。
 ましてや、今までなかった力の突然の発現。未知の感覚を前にして、そんなことに気付けるはずがあるだろうか。
 ……よそう。考えるだけ、無駄だから。

 それよりも、考えるのは、どうやって制御をするか、だ。多分、こういうのは、自分がイメージしやすいものがいいのだろう。詠唱なんてのは論外で、ただただ面倒くさいだけだ。

 まずは、私の力がどんなものなのか考えることから始めよう。私の力は『目』が見えることで発動する。それが、私の方へと引き寄せられ、私に触れるか何かをして、その対象物は壊れる。
 なら、考えるべきは、その『目』をどうするか、だ。
 ……そもそも、私の見ている『目』というのは何なんだろうか。真面目に考えたことがないから良く分からない。
 物質の魂? 物質の概念そのもの? それとも、物質の形を支える核?

 今までにないくらいに頭を働かせて、考えてみる。別に結論を出す必要はない。ぼんやりでもいいから、私なりにイメージを掴む必要があるのだ。

 ……掴む? 掴んでどうする?

 『目』が何なのか、というイメージがなくても、何とかなりそうな気がして、思考を別方向へと転がす。

 投げる? 押し付ける? それとも、……握りつぶす?
 そうだ、それがいい。掴んで、握りつぶす。目のようなものを握りつぶすなんて、正直ぞっとしないけど、イメージはしやすい。
 私の手に『目』を握り潰された物体は瓦解する。うん、イメージしやすいじゃないか。
 まあ、『目』を手の方へと引き寄せたり、自分の意思で潰せたり出来るかはわからないけど、やってみる価値くらいはありそうだ。

「うん、思いついたよ」
「そう。なら、早速特訓を始めましょう! 準備をするから、フランはそこで待ってなさいっ!」

 声を張り上げたお姉様が部屋から飛び出していく。私は、ぽつん、と部屋に取り残されてしまう。
 私は、お姉様のテンションの高さに置いてけぼりにされてしまった。だから、感じるのは寂しさよりも、呆れだった。ほんとに、なんでお姉様は私よりも張り切ってるんだろうか。
 扉は開きっぱなしだ。でも、私はやっぱりそこから出て行こう、という気にはならない。力が制御できてたら別なんだろうけど。

 それにしても、ようやく力の制御が出来そうな目星が立ったのか。実際にはかなりの時間が経ってるはずなんだけど、あまりそういうことは感じない。ずっと引きこもって、時間の流れをあまり感じてこなかったからだろうか。
 まあ、そういうことは別にいいか。
 それよりも、力の制御が出来る様になったら、私はどうするのか。
 うん、考えるまでもない。ここから抜け出すか、お姉様に部屋から出る許可を貰って、死ににいくだけだ。
 力が制御できた所で、私のやったことが償われるわけではないのだから。

 がしゃん。

 不意に、金属同士がぶつかるようなそんな音が聞こえてきた。そして、部屋に入ってくる大きな銀の鎧。

 全く持って予想だにしていなかった光景に、私は一瞬逃げ出そうかと思ってしまった。
 でも、それに続くように入ってきたお姉様を見て、逃げるのをやめる。そして、更にもう一体鎧が部屋に入ってきた。
 どちらの鎧も、お姉様の腕一本で支えられている。私たち吸血鬼なら、何の苦労もなくこなすことが出来るけど、明らかにバランスがおかしくて、妙な光景となってしまっている。

「……お姉様、それは?」

 部屋の中央に、二体の鎧を並べるお姉様にそう聞く。なんだか、二体並んでいると門番のようだ。いや、どちらかと言うと見張り、かな。私が逃げないように見張っているような。

「力を制御するにも何にしても、壊すものが必要でしょう? だから、不必要なものを持ってきたのよ」

 確かにそうだ。こんな物あった所で、邪魔になるだけだ。私は当然着たいとは思わないし、お姉様だってその気はないだろう。そもそも、サイズが大人用だからもし着ようと思ったとしても着ることは出来ない。

「……もしかして、また、お姉様が集めてきたの?」

 お姉様が時々妙な物を集めたがるときがある、ということを思い出しながら聞いてみる。まず、私がこの部屋に閉じ込められる前にはこんなものはなかったはずだ。

「ええ、そうよ。最初はいいかなぁ、なんて思ってたんだけど、どうでもよくなっちゃったのよ」

 ああ、やっぱりか。
 お姉様は突発的な蒐集癖を持ってて、ある日突然、物を集め始めることがある。そして、すぐに飽きてしまうのだ。
 私が覚えてるので一番新しいのは、コインの蒐集だった。あれは結構よかったと思ったんだけど、なんで今回は鎧なんだろうか。
 お姉様のセンスは良く分からない。

 そうやって、呆れていると、

「あ……」

 お姉様と私の声が重なる。
 ぼんやりと鎧を見つめながら、考え事をしていたら片方の鎧が鉄屑の山となってしまった。練習をする前に壊してしまうとは。
 何もしないままもう一体を壊すわけにはいかないから、鎧から視線を逸らす。こうしていれば、壊れることはない。
 そして、私は、顔を逸らしたまま立ち上がる。

「フラン。意識的に条件付けをする時は、集中するのが大切らしいわ。集中して、いらないはずの条件を意識に刷り込むのよ」

 私を落ち着かせようとするような静かな口調で助言をくれる。
 私は、その言葉に頷いて、一度大きく深呼吸。そして、目を瞑り、頭の中で強くイメージを描いておく。『目』を手のひらに引き寄せて、握りつぶすそんな光景を描く。
 よし、と心の中で呟くと、目を開いた。そして、もう一つ残っている鎧へと視線を向ける。

 まだ『目』は見えない。
 でも、私が少しの間見つめて、『目』を思い描くとそれは簡単に姿を現す。
 ……私の力、壊したくない、っていう意思は無視するのに、壊そう、っていう意思には応えてくれるんだよね。暴走してるから、なんだろうけど。

 っと、集中しないと。
 こっちに近づいてくる『目』を見ながらそう思う。いつかは、あの『目』がこっちに近づかないように出来たらいいんだけど、今は思うだけに留めておく。

 『目』を見つめながら、念じるかのように、手のひらの方へと向かう姿を思い描く。そうすると、『目』が進む向きを若干変える。
 いつもよりも、ゆっくりと近づいてきているような気がする。でも、それは、私が集中しすぎていて、時間の流れの感じ方がおかしくなっているからだろう。根拠も無くそう思う。だって、そっちの方が私の力らしく感じるから。
 そして、ようやく『目』が私に触れる。私の、右手に触れる。

 上手くいった!、と思った。でも、そう思うことができたのも、ほんの一瞬のことだった。
 私が、右手を握り締める暇もなく鎧は、崩れてしまっていた。

「……フラン、どう?」

 お姉様が、少し不安そうな声で聞いてくる。お姉様には、『目』が見えないから、上手くいったのかどうなかわからないんだろう。

「ううん、ダメだったよ」

 首を横に振りながら答える。
 でも、手応えはあった。お姉様の言葉どおり集中すれば、制御は出来そうだ。
 それが出来るようになるまでにどれくらい掛かるかは分からない。でも、やる意味がある、と最初の段階で思えるのはいい事かもしれない。

 なんだか、ひどく久しぶりにやる気、というものを持てたような気がする。

「でも、何とかなりそうな気はする。さっきも、少しだけ今までとは違う感じになったから」
「そう! なら、続けましょう! まだまだ、鎧ならたくさんあるから安心していいわよ! ちょっと待ってなさい!」

 私の言葉でお姉様の声が活気づく。そして、勢いそのままに私の部屋から飛んで出て行く。
 一体、どれくらいお姉様は鎧を集めたんだろうか。全ての部屋に鎧がいる、ってことはないだろうけど。
 まあ、いくらいようとも関係ないことだ。多いほうがいいけど、いざとなれば、一度壊した鉄屑でもなんとかなる。

 私は、右手をぎゅっ、と握り締めてみた。今はまだ、ちゃんと『目』を掴むことは出来ないけど、いつかはここに『目』が集うことになるのだろう。
 ……いつでも、手のひら一つで全てを壊せる、か。今みたいに、無差別に物を壊すのよりは、何倍もましだけど、恐ろしいことには変わりはない。
 いっそこの力が消えてくれればいいのに。
 ああ、でも私が死ねばこの力は消えるのか。

 いつものように、そんな結論に達する。

 ……さて、安心して外に出れるようになるために、頑張ろうか。
 前を目指して、後ろ向きに。





「フラン、大丈夫? そろそろ、休んだ方がいいんじゃないかしら?」

 力の制御の特訓を始めて、何時間かが経った頃、お姉様が心配そうに声をかけてきた。お姉様は、全ての鎧をこの部屋に運び込んでからは、ずっと私に付きっきりでいてくれた。
 こんなこと見ていても面白くないのに、と言ってみたけど、お姉様はその言葉に首を横に振って、私の傍にいることを選んだ。

「うん。……でも、後もう一回だけ」

 元気のない声で答える。
 数時間の間、休み無く力を使っているから、もう魔力もほとんど残っていない。まあ、ここまで連続して使えるものだとは思ってもいなかったけど。
 吸血鬼でありながら、魔法使いの血も多く流れているからだからだろうか。そこの所は良く分からない。
 ただ、私の力が暴走していたのはこの膨大な魔力のせいなんだと思う。私の中の魔力が減っていく度に、力が制御できてきているような気がするのだ。

 私は少し顔を俯かせ、目を閉じて、ゆっくり、けど深く息を吸う。大きく息を吸うよりもこうした方が集中できることを、何度か深呼吸するうちに学んだ。
 顔を上げて、元々は鎧だった物たちで作られた鉄屑の山を見る。その中から、比較的大きな残骸をじっと見つめる。
 すぐに『目』が浮かんでくる。そして、真っ直ぐに私の右手を目指して飛ぶ。

 ここまでは、もう慣れた。この程度をすることは、私の力にとっては、『目』を何処に引き寄せようと、何かを壊す、ということに代わりはないから、何の不都合もないことなのだ。
 だから、問題はこの後。私の手のひらまで引き寄せた『目』を勝手に潰さないようにすることだ。私の力にとって、対象物を壊さない、というのは何よりも耐え難い衝動だ。

 『目』が手のひらに触れるか触れないかの所で止まる。
 特訓を始めたばかりのときは、この段階でもう既に物体は壊れてしまっていた。でも、今では数秒間は待たせることが出来る。
 でも、それではダメなのだ。それでは、制御できたとは言えない。私の意志が反映されてないから。
 まだ『目』がなくなっていないことを確認して、私はさらに意識を集中させる。強く強く思い描く。私がこの右手を握らなければ、物は壊れない、という光景を。

 そして、数秒が経つ。けど、まだ、『目』は消えない。
 更に数秒が経つ。でも、やっぱり『目』は消えない。
 もう、この時点で今までの最高記録を出している。でも、もうちょっといけるだろう、と思って『目』へと意識を集中させる。
 数秒、数十秒と経つ。それでも、まだまだ『目』は消えない。消えていない。
 でも、そろそろ集中力も魔力も限界に近づいてきている。軽く、意識が明滅している。このまま続けていたら『目』が消える前に私が倒れてしまうかもしれない。
 だから、私は顔を上げる。残骸の方を良く見ておく。まだ、残骸は私が顔を下げる前の姿を保っていた。

 そして、右手をぎゅっ、と強く握り締める。
 それにあわせて、残骸が更にばらばらとなった。

「出来た……」

 心の中だけで言うつもりだった言葉が、声となって出てきてしまった。それほどに、この瞬間は私にとって大きな出来事だったのだろう。
 実際、全身から力が抜けて、そのまま床に座り込みそうになっていた。でも、私が床に座り込むことは無かった。
 何故なら、

「出来たのねっ! 良かったっ!ほんとに良く頑張ったわね、フラン!」

 心の底から嬉しそうにはしゃぐお姉様に、抱き締められたから。お姉様の腕には、痛いくらいに力が込められている。

「お、お姉様? ちょっと、痛いんだけど……」
「あ、ごめんなさい……。って、フラン、大丈夫っ!?」

 解放された途端に、崩れ落ちるようにして、床の上に座り込んだ私を見て、お姉様が慌てたような声を上げる。

「あー、うん、大丈夫。ちょっと、力が入らないだけだから」

 答えてから思ったけど、力が入らない、って大丈夫な状態じゃないよねぇ。普段だとありえないことなんだし。

「そう……。フランは頑張ったものね。でも、これでもう、貴女は自分の力に怯える必要はなくなるのよ」

 今までに見たことのないくらいに優しげな表情を浮かべて、お姉様が私の頭を撫でる。
 私は、そんな表情に少し見惚れながら答える。

「お姉様、それは、気が早いと思うよ。まだ、一回しか、成功してないんだし、今の私は、魔力も尽きかけてるん、だしさ」

 そう、先ほどの成功は、本当に特殊な成功なのだ。一回目の成功、なんてものは大抵あてにならない。
 十回、百回と数を重ねることで、ようやく信用をおけるようになるのだ。

「何を言ってるのよ。一度成功したんだから、今度からはもう大丈夫よ!」

 妙な自信と共にそう言う。いつも思うけど、お姉様のこの自信は何処からやってくるんだろうか。

「ふふっ、パチェにはお礼を言っておかないといけないわね」
「パチェ?」

 人の名前だとは思うけど、お姉様の声の響きからして、従者のような感じはしない。親しい存在とか、そう言う感じだ。

「最近出来た私の友人よ。パチュリー・ノーレッジという魔女なの。その子に力を制御するときのコツを教えてもらったのよ。いつか、機会があったら紹介してあげるわ」
「うん、力がちゃんと制御できるようになったらね」

 いつ、どの瞬間をもって制御できるようになった、と言えばいいのかは分からない。だって、もしかしたら制御できるようになった、と思った次の瞬間に暴走してしまうことがあるかもしれないから。
 きっと、私は生きている限りは自分の力を恐れ続けるのだ。

「大丈夫よ。貴女はちゃんと、力の制御は出来るようになってるわ。もし、さっきの偶然出来たものだとしても、直ぐに制御できるようになるわよ」
「……お姉様は、なんでそんなに自信満々なの? お姉様のことじゃなくて、私のことなのに」

 自信家であるお姉様が、自分のことに自信を持てるのは、まあ理解が出来る。でも、なんで私のことなんかで自信を持てるんだろうか。
 関係ない、ってわけでも、他人、って訳でもないけど、お姉様は私ではないのだ。身体も精神も別々の存在なのにどうして、自信を持つことが出来るんだろうか。

「貴女のことだからこそ、自信があるのよ。……だって、私は貴女のことを信じているんだから」

 あ……。
 お姉様が浮かべたのは、何処か悲しげな笑顔だった。
 どうしてお姉様は、そんな表情を浮かべるんだろうか。わからない。わからないけど、その表情は私の脳裏にこびりつく。

「……さて、いつまでも話をしているわけにはいかないわね。フラン、ベッドまで運んであげましょうか?」
「ううん、大丈夫」

 お姉様の申し出を断って立ち上がろうとする。けど、足に上手く力が入らない。一度、全身から力を抜いてしまったせいで、身体はもう休むつもりでいるらしい。
 それでも、頑張って立ち上がろうとしてみる。踏ん張れば、私の意志に応えてくれる。よし、立ち上がれそうだ! そう思ったとき、

「まともに立てないんなら、無理なんかするんじゃないわよ。貴女はもう少し他人に頼るって、ことを覚えた方がいいと思うわ」

 ふわり、と身体が浮き上がるのを感じた。でも、実際にはお姉様に抱き上げられただけだ。顔が、かなり近くなる。

「貴女は、自分に自信を持っていいのよ。……自分を、拒否する必要なんてないわ」

 悲しげな表情を浮かべながら、私の頭を撫でる。そのまま、お姉様は歩く。

 ……今度は、流石に気付いた。
 お姉様は、まだ私が死のうとしている、と考えてるんだ。そして、その考えは間違ってない。

「それは、難しいね」
「……どうしてよ。力の制御をするのだって、あんなに、頑張ってたじゃない」
「うん。力を制御できるようになれば、お姉様以外の存在を気にせずに、外に出られるかな、って」

 お姉様の目には、私が外で何の気兼ねもなく生きるために努力してるように映ってたのかな?
 ……いや、それなら、とっくに扉の鍵はなくなってる、か。お姉様は、たぶん、そう信じたかったんだと思う。
 私はそれを裏切った。だから、お姉様の予想通りに、まだ私は死にたい、死のう、と思っている。

「……そんなことを考えてるなんて、貴女は本当に馬鹿だわ」

 ベッドの上に降ろされる。でも、お姉様が顔を離そうとしないから、押し倒された後のような形となる。
 お姉様の表情は険しい。その顔には、私のことが気に食わない、と書かれているような気がした。

「うん、知ってる」

 頷く。何百年も新しい行動に出られなかった私は、本当に馬鹿なんだろう。

「……そんな貴女のことが、心底嫌いだわ」
「でも、死なせてはくれないんだよね」
「ええ」

 間近で、お姉様が頷く。
 それから、私を逃がさないとばかりに、紅い瞳でじっと私の瞳を覗きこむ。私は、視線を逸らすことも出来ない。

 ……ほんとに、私はお姉様からは逃げられないんだなぁ。

「……おやすみ、お姉様」

 それでも、せめてもの抵抗に、この場だけでもお姉様から逃げることにした。それに、眠くてこれ以上お姉様に反抗する気力も湧いてこない。
 お姉様が、食い下がってくることはないだろう。

「ええ、おやすみなさい、フラン」

 思ったとおり、お姉様は、私の額にキスをした後は、そのまま顔を離してくれた。そして、私の傍から離れていく。

 部屋から出て行くまでは起きてよう、と思ったんだけど、睡魔の進攻は思った以上に早くて、意識は簡単に私から離れていってしまったのだった。





 あれから、私に対するお姉様の態度が変わった、ということは特に無かった。まあ、それも当然か。私たちは、前にも一度似たようなやりとりを、更に感情的にやっていたのだから。

 でも、あの日を境に変わったことはあった。
 それは、私の力が暴走しなくなった、ということ。お姉様が妙な自信と共に言い放った言葉は正しかったのだ。
 勝手に『目』が浮かんでくることはあっても、それが勝手に潰れたりするようなことはなくなった。それをお姉様に伝えたら、それはもう嬉しそうに喜びながら、私を抱き締めたのだった。
 そして、私が困らない程度の家具や、娯楽品を部屋に運んできてくれた。
 更に、それを契機として色んなことが変わった。何が、っていうのをあげていくと、きりが無い。

 でも、私はまだ外には出れていない。お姉様が出してくれない、というわけじゃない。むしろ、お姉様は私を連れ出そうと誘ってくれている。
 だから、出れないのではなく、出ようとしないだけ。

 怖いのだ。もしかすると、力が暴走してしまって、誰かを殺してしまうかもしれない、と思って。
 お姉様が、私の手を引こうとしても、私が二の足を踏んでしまうから前に進むことはない。そして、お姉様が私を無理やり進めさせることもない。お姉様の場合は、私のように危惧を抱いてるわけじゃなくて、ただ単に私の意志を尊重してくれてるだけなんだろうけど。

 そうやって、大きな変化を怯えるように拒むまま、カレンダーを百枚、二百枚とめくっていった。
 その間も、変化があったけど、私にはあまり関係の無いことだった。お姉様の友達だ、っていうパチュリーが屋敷に住むようになったり、今更のようにお姉様の従者の名前を知ったり、それから――


「フラン、入るわよ」

 いつものように、ノックの音が部屋の中に響き渡る。椅子に座って本を読んでいた私は、その音を聞いて、本から顔を上げる。

「うん、いいよ」

 扉の向こうへと答えながら、栞を挟んで本を閉じる。続きはいつでも読める。
 私が、本をテーブルの上に置くのと同時に扉が開き、お姉様が入ってきた。今日もまた、鍵の外される音は部屋の中に響いた。
 紅茶とレアチーズケーキの載ったトレイを持ったお姉様が部屋に入ってくる。

「また、本を読んでたのね」
「うん。これが一番面白いからね」

 お姉様が持ってきた娯楽品は他にもあったけど、私は本を読んでばっかりだった。でも時々、手慰みに知恵の輪をやってみたりもしている。最初はあれこれ試行錯誤するんだけど、一度解いてしまうと本当に単なる手慰みにしかならない。
 でも、小説は違った。一度読めば分かるものもある。一度だけじゃ分からないけど、何度か読めば分かるものもある。そして、何度読んでも分からないものもある。
 それに、小説に解は存在しない。一度読んだものでも、色んな本を読んだ後にもう一度読み返してみると、全く違う印象を持つこともある。
 時間が有り余っている私は、何度も何度も楽しめるものじゃないと、すぐに退屈になってしまうのだ。ベッドしか部屋になかった頃に比べると、随分と贅沢な退屈だとは思うけど。
 あの頃は、横になってぼんやりしたり、寝てばっかりだった。

「じゃあ、また何か見付けたら持ってきてあげるわ」

 お姉様が笑顔を浮かべる。
 そういえば、私が力の制御が出来るようになった、と言ってから表情が柔らかくなったような気がする。まあ、そもそも力が制御できるようになる前は、照明さえもなかったからそのせいで印象が変わってしまってるだけなのかもしれないけど。

「うん、お願い。……それよりも、お姉様、なんだか良い事でもあったの?」

 この部屋に入る前から、お姉様がまとっている雰囲気はいつもと違った。今にもはしゃごうとするような雰囲気が見て取れる。

「ええ、食料にするつもりで捕まえた人間が、予想以上に面白い人間だったのよ。だから、つい連れてきちゃった。それで、このケーキはその人間が作ったものなのよ」

 お姉様が私の向かい側に座りながら、トレイをテーブルの上に置く。覗き込んでみるけど、普段食べてるレアチーズケーキとの違いは分からなかった。

「お姉様が興味を持つなんて、よっぽど面白い人間なんだね」

 基本的に、お姉様も私も見ず知らずの人間に興味を持つことはない。だって、私たちにとっては食料でしかないんだから。

「ええ、私に血を吸われる直前になっても怯えも見せないで、私に質問ばかり浴びせるのよ。なんて名前なんだ、とか、血はどんな味がするのか、とか、その容器は何に使うのか、とかね」

 楽しそうにお姉様が話す。
 ちなみに、容器、というのは血を採取するためのもので、お姉様が一度吸った血をそこに入れてるらしい。
最初にそのことを聞いたときは、なんだかかなり微妙な気分になった。でも、よくよく考えてみると、一度無理やり血を飲まされたこともある。だから、気にする必要もないことだと気付いた。

「しかも、その人間、料理が得意な上に、時間を操れたりするのよ」
「えっと、それって人間なの?」

 一応、何らかの特殊な力を持つ人間がいることはあるらしいけど、かなり稀だとかなんだとか。しかも、自称というだけの人間も多く、本物は隠したがるから探そうとして見付けられるものでもないらしい。しかもそれだけでなく、魔族には人間の中に紛れて暮らしているのもいるらしく、本物だと思っても、実は人間じゃなかった、というのも多くあるそうだ。

「ええ、何の疑いようも無く人間よ。吸血鬼である私が言うんだから絶対よ」

 まあ、お姉様が言うならそうなんだろう。吸血鬼が捕食対象を間違える、っていうのは余程のことがない限り無いことだから。

「それで、お姉様はその人間をどうするつもりなの?」
「決まってるじゃない。私なりの教育を施して、私の従者にするわ。まだまだ子供だから、洗脳も楽そうね」

 お姉様が、何だか嗜虐的な笑みを浮かべてる。私の知らない間に、性格、変わったのかな? 昔のお姉様がこんな表情を浮かべてたのなんて見たことないし。
 それとも、外でだけ見せる表情なんだろうか。
 初めて見るお姉様の顔に、私は戸惑いを覚えてしまう。

「フラン、どうかしたかしら?」
「ど、どうもしてないよっ。それよりも、早くしないと紅茶が冷えちゃうよ」

 突然話しかけられて、私は慌てたように話を逸らしてしまった。もし、今さっきの表情を向けられたらどうしようか、と考えてしまう。
 でも、お姉様はこんな私の態度をいぶかしむようなことも、嗜虐的な表情を浮かべることもなかった。

「ええ、そうね。ケーキも温まってしまっては美味しくなくなるものね」
「うん。はい、どうぞ」

 そのことに、ほっ、としながらフォークとケーキの乗ったお皿を配る。その間に、お姉様はカップへと紅茶を注いでいく。これが、私たちの間に自然と出来上がった役割分担だ。
 料理をしようとしないお姉様だけど、紅茶を淹れるのだけは何故だか得意だった。

 ふわり、と紅茶の香りが広がる。
 それぞれの前に、紅茶が置かれてお茶会の準備は終了だ。
 このささやかなお茶会は、私が力を制御出来るようになってから、すっかり日課と化してしまった。

「いただきます」
「ええ、どうぞ」

 お姉様が、私の方へと微笑みかけてくれるのを目にしながら、フォークを手に取る。お姉様が気に入ったという人間が作ったレアチーズケーキを、フォークで切り崩してみる。
 手に伝わる感触は柔らかく、力を入れずとも簡単に切り崩せる。それだけでこのケーキがかなりのものだと分かる。
 私は、切り崩した欠片をフォークに乗せる。そして、味にも期待をしながら口へと運んでいく。

「美味しい……」

 思わず、溜め息が漏れてきた。
 口に入れた途端に、チーズケーキは溶けるようになくなってしまう。けど、甘さとレモンの酸味はしっかりと感じられる。しかも、両者が程よく混ざり合って、爽やかな風味が口の中に広がる。
 文句のない出来だった。今まで食べた物の中で一番か、と言われればそうでもないけど、確実に上位には入る。

「ふふ、なら、その言葉直接伝えてみる気はないかしら?」

 微笑をそのままにお姉様が、そう言う。
 私は、一瞬、自分の身体が震えたような気がした。

「……ううん、それは、ダメ」
「……やっぱり、まだ駄目なのかしら?」

 微笑を引っ込めて代わりに浮かぶのは、私を気遣うような表情。私が、首を横に振るたびにこんな表情を浮かべる。

「うん」
「ここ何十年の間、一度も暴走して無くても?」
「……うん。だって、お姉様だから、私の力が暴走しないのかもしれないし」

 ここに入れられてから、私はお姉様に会っていない。だから、それ以外の人に会うのが怖い。
 どう接すればいいのか、どう距離を取っていいのかわからないから。そして、もしかしたら、そんな戸惑いが私の力を暴走させてしまうんじゃないか、って思ってしまうのだ。

 思い切ればいいんだと思う。思い切って、部屋の外に飛び出してしまえば、存外、なんでもないことなのかもしれない。
 でも、臆病な私はそう簡単に思い切るなんてことは出来ない。もしかしたら、を考えて身動きが封じられてしまう。

 こんなんだから、私はまだ死ねないでいるのだ。力の制御が出来るようになったのに、いまだに自分の『目』を握りつぶすことも出来ないでいる。
 手を握り締めようとした瞬間に、何故かお姉様の顔が思い浮かんできて、握り締めることが出来ないのだ。

「……そう。私にはどうしようもないことね。私に出来るのは、貴女が勇気を持てるその日を待つだけだわ」

 そして、目を細めて笑みを浮かべる。

「貴女が勇気を持つその日を、楽しみにしているわね」

 その言葉と混じりけのない笑顔は、何故だか私の胸に深く突き刺さった。
 




 新しい従者が増える、という小さな変化から数年が経った。

「……っ?」

 ある日、私は不意に大きな魔力の流れを感じた。
 えっ? 今のは、何? 何があったの?
 魔力の流れが何かがあった、というのは間違いがない。魔法は一度も使ったことは無いけど、力の制御を覚える過程で、自然と魔力は敏感に感じられるようになっていた。
 それよりも、お姉様は無事なんだろうか。振動とかは感じなかったけど、それだけで無事だとは決められない。

 と、鍵の開けられる音が響く。お姉様が無事で、私の様子を確認しに来たのか、それとも、別の誰かがここにやってきたのか。
 無意識的に、右手に力を込めようとして、やめる。もしも、扉の向こうから現れたのが、お姉様じゃなくて、私たちを殺しに来た存在だと言うなら、それでもいい。私を殺してくれる存在を拒む必要なんてない。
 そう思ったところで、扉が開かれる。

「良かった……、フランもちゃんとこちら側に来ていたみたいね」

 お姉様がほっと息をつく。相当、私のことを心配してくれていたようだ。
 でも、お姉様の言葉が何だか気になる。

「お姉様、こちら側、ってどういうこと?」

 普段使うときとは、なんだか違う意味合いを持っているような言葉に首を傾げる。さっきの膨大な魔力と何か関係しているんだろうか。

「ええ、パチェが言うには、私たちはどうやら、私たちが住んでいた世界とは違う世界に飛ばされてきたみたいなのよ。それだけ聞いて、フランの事が心配になって出てきたから、詳しいことは、今から聞いてくるわね。……一人でも、大丈夫よね? もし良かったら、付いてきてもいいわよ」
「ううん、大丈夫。お姉様、代わりに聞いてきてよ」

 お姉様の無事を確認できただけで、私は安心できるから。他の事は割りとどうでもいい。

 どうやら、私はこの長い長い引きこもりの生活の中で、大切なものはお姉様だけとなってしまったようだ。逆の言い方をすれば、他には何にもない。
 ……だから、私が自分の『目』を潰そうとするとお姉様の顔が思い浮かぶんだろうか。いや、お姉様を壊そうとして躊躇するならわかるけど、なんだって自分を壊そうとするときにお姉様の顔が思い浮かんで、躊躇してしまうんだろうか。
 わからない。けど、原因がお姉様にあるって言うのは明らかで、結論としてはいつもと変わらなかった。ただ、私の大切なものはお姉様だけでそれ以外には何にもない、ってことには気付けた。

「ええ、わかったわ。パチェから話を聞いたら、すぐに貴女に聞かせてあげるわ」

 お姉様は、早足で部屋から出て行った。当然、鍵を掛け忘れる、なんてことはない。それが、今のところお姉様が私を止める唯一の方法だから。
 それにしても、別の世界、かぁ。興味はそんなに惹かれない。
 でも、出来るだけ危険の少ない所だといい、と思う。だって、危険な場所だったら、お姉様が傷ついてしまう。そんな姿は絶対に見たくない。

 だから、願わくば、この世界が平和な場所でありますように……。





 それから、一時間くらいしてお姉様は戻ってきた。お姉様の顔を隠さんばかりに積まれた本の山を抱えて。

「お姉様、その本は?」
「それに関しては、まず、こっちの世界のことを説明してからにするわね。それと関係してることだから」

 私の言葉に答えながら、お姉様がテーブルの上に本を置く。その時に、崩れそうになってお姉様は慌ててそれを押さえようとする。けど、高すぎる本の山の崩落はそう簡単に止められるものではなく、結局大きな音を立てて崩れてしまった。

 何冊かが私の足元へと滑り込んでくる。
 その本の表紙には、見慣れない記号のようなものがあった。私が住んでる文化圏とは全く違う所の文字なのかな? 記号だけの本、ってことはないだろうし。

「……あー、やっちゃったわね」

 床に散らばった本を見て、お姉様がそんな言葉を漏らす。でも、それからすぐに拾い始める。見てるだけのもどうかと思って、私も手伝うことにした。
 まずは、足元に落ちていた何冊かの本を拾い上げる。その本をテーブルの上に置く。そして、またしゃがんで本を拾い上げる。
 そんな、単純作業を繰り返しているうちに、テーブルの上は本によって占領されてしまった。かなりたくさん持ってきたんだなぁ。

「ありがとう、助かったわ、フラン」
「ううん、気にしないでいいよ」

 お姉様の言葉に私はそう答える。別に、感謝をされたくてやったわけじゃないから。それに、私なんかが感謝されるいわれもない。
 そんな思いが顔に出てたのかどうなのかは分からないけど、お姉様が少し表情を変えたような気がした。けど、それが明確化される前に、お姉様はいつもの表情に戻って、口を開く。

「……それで、この世界のことについてだけど、ここは幻想郷、と呼ばれているらしいわ。そこは――」

 現実には無いものを思い描かれた場所。
 お姉様の話を聞く限りではまさしくそんな場所だ。私たちが元いた世界で忘れ去られた存在が、元いた世界では単なる幻想と成り下がってしまった存在が集う世界。
 そう、私たちは忘れ去られていっていた。お姉様が時々持ってきてくれる新聞の中からは徐々に私たちのような存在について書かれている記事がなくなっていた。かなり昔は書かれてたけど、徐々に減っていって、最近の新聞ではそんなこと一切書かれていない。殺人事件や誘拐事件のことが書いてあっても、確実に人間が犯人だと思われている。稀に、怪しげな記事もあるけど、それを信じている、というような感じはなかった。どちらかというと、楽しんでいる、というのが記事の言葉から伝わってきた。

 まあ、忘れ去られようと私には関係ないことだ。私自身は、お姉様の中にしかいないような存在だから。

 それから、幻想郷は極東の国、日本に位置しているらしい。極東、って言っても地図上の話であって、ずっと東に行ってたら地球をぐるぐると回るだけで何処にも辿り着かないんだけど。
 それはどうでもいいとして、どうやらお姉様はこの館の中で日本語を徹底する気のようだ。

 で、テーブルの上に広げられている本が日本語を勉強するための資料らしい。一冊開いてぱらぱらと捲ってみたら、私の知っている言語も書かれていた。
 まあ、時間は有り余ってるから別にいいかな、と私は思っていた。





 次の日、日本語についての本を読んでると、お姉様が昨日に引き続いて何も言わずに部屋に入ってきた。今日は、なんだか不満そうな表情を浮かべている。外で何かあったんだろうか。

「お姉様? 何かあったの?」

 首を傾げながら本を閉じる。小説じゃないから、栞とかは挟んだりしない。

「ええ、少し離れた場所に人里があったから、血の採取をしにいこうと思ったんだけれどね、途中で自称幻想郷の管理人、とかいうやつに邪魔されたのよ。無理やり退かせてやろうにも、攻撃は全部避けられるわ、訳の分からない場所から攻撃が飛んでくるわで散々な結果だったわ」

 うんざりとしたような溜め息を吐いている。

「え? それなら、どうするの?」

 しばらくの間は、血じゃなくて人間が食べてるものと同じでも大丈夫だ。けど、それが長く続くと、衰弱していって最終的には死んでしまう。
 私は別にいいんだけど、お姉様がそれで死んでしまう、っていうのは嫌だった。

「ああ、血に関しては心配はないわ。私たちが人里を襲わない限りは、その胡散臭い管理人が用意してくれるらしいから」

 そう言うお姉様の声はとっても不満そうだった。条件が気に入らない、っていうよりは、条件を呑まざるを得ない状況が不満なんだと思う。お姉様は、誰かに強制される、っていうのが嫌いだから。

「……それで、ここからが本題なんだけど」

 お姉様が、懐からカードを取り出す。そのカードには何も描かれていない。真っ白だ。

「もし、この世界で争いをするなら人間も魔族も関係なく、命名決闘法、普通は弾幕ごっことか呼んでるらしいけど、そういうルールのもとでしろって言われたわ。ルールは至って簡単。このスペルカードって呼ばれる紙に、あらかじめ自分が使う弾幕の名前を書いて、弾幕ごっこを行う前に、何枚を使うか明言しておく。そして、こちらの弾幕が破られる前に、相手の弾幕を破れば勝ち、というものよ」

 さっきまでの不満そうな様子はなくなって、楽しそうに話している。口元に笑みが浮かんでいるのがわかる。

「ちなみに、弾幕っていうのは、無駄弾が大量にあって、殺傷能力もない魅せる為の攻撃のことを言うのよ。相手を殺す必要なんて一切ない。ただ、相手の攻撃を避け続けて、こちらの弾幕で圧倒してやればいいのよ。どう? わかったかしら?」
「うん」

 身体を動かすのが好きなお姉様が気に入りそうな決闘法だ。どうりで、お姉様が楽しそうに話すわけだ。
 それにしても、殺し合いではない決闘法で争うことが普及してる、というのはかなりすごいことなんじゃないだろうか。人間と魔族はどんな時でも、殺し合う。私たちみたいに、出来る限り人間を殺そうとしない魔族もいたけど、そんなのは少数だ。

 でも、この世界ではそうではないようだ。私が願った以上に平和な場所のようだ。

「でも、私魔法なんて使えないよ?」

 使うときなんて来ないだろう、と思って一度も勉強しようと思ったことはなかった。こんな状態では、無駄弾どころか、必要な弾でさえも撃てない。

「あら、そうだったの? ……そうね、今からパチェの所に行ってきて、適当な魔導書を借りてくるわ」
「うん、お願い」

 私が頷くと、お姉様が椅子から立ち上がって、部屋から出て行く。鍵はおろか、扉さえも閉じずに出て行った。
 でも、もし、自分の力が暴走したら、と思っている私は、そこから外へ向かうことは出来なかった。


 しばらくして、お姉様は日本語に関する本を持ってきたときよりも高く積み上げられた本を持って戻ってきた。けど、あの時と比べたら、一冊一冊の厚さが比べ物にならないくらいに厚いから冊数は極端に少ない。そのことは、何の気休めにもならないけど。

「パチェに直接会えば、この本の冊数もだいぶ少なく出来るらしいわよ。……会いに、行ってみるかしら?」

 テーブルの上に本を置きながら控えめに、そう尋ねてくる。きっと、私がなんと答えるかわかっているからだろう。
 私は、その予想を裏切ることなく答える。

「ううん。いいよ」
「……そう。無理に、とは言わないわ」

 お姉様は、少し寂しそうにそう言った後、踵を返した。
 あれ?

「もしかして、まだあるの?」
「ええ、同じ山が後、三つくらいね。魔法の相性もあるだろうから、ってことでたくさん用意してくれたのよ」
「う、わぁ……」

 思わずそんな声が漏れてきてしまった。
 そして、部屋に大量に積まれるだろう本を想像して、溜め息が漏れてくるのだった。





 幻想郷にやってきてから、数年が経った。

 日本語はほとんど完璧になった。
 読み方は、お姉様が持ってきてくれた本で覚えた。最近では、日本語の物語も問題なく読めるようになってきた。
 でも、喋り方は本を読んでるだけで身に付くものではない。だから、喋り方はお姉様に教えてもらった。美鈴とパチュリーがもともと日本語を喋れるらしくて、お姉様は二人から日本語を聞いて覚えたそうだ。

 魔法もある程度は使えるようになった。お母様の血のお陰なのか、あまり苦労することは無かった。
 どちらかというと、弾幕に名前をつける、って言うことの方が苦労した。なかなか、これ、と言った感じの名前が思い浮かんでこないのだ。
 でも、一方でこのままでもいいかなぁ、とも考えてる。この世界でのルールらしい、ってことで一応準備をしているだけだし。そんなことを考えながらも、十枚も用意してしまった私は、用心深すぎるような気もする。
 確か、日本語に、備えあれば憂いなし、とかいう言葉があったっけ。まあ、私は単に臆病なだけだと思うけど。

 そういえば、つい最近、お姉様が幻想郷中に紅い霧を広める、なんていうことをした。この部屋には、お姉様が扉を開けるたびに紅い霧が入ってくる程度の変化しかなかったけど、外では日照量が減っていたらしい。
 なんでそんな事をしてるの、って聞いてみたら、貴女の為、と答えてくれた。
 一体どういうことなんだろうか。私が、日光で死ねないようにするため?

 でも、後でそんな考えは間違いだと気付いた。
 館の中で騒ぎが起きて、静まった時に紅い霧は消えてしまった。多分、誰かに止められてしまったんだろう。
 だから、お姉様、意気消沈してるだろうな、って思ったのに、その日に私の所に来たお姉様は、とても満足そうな表情を浮かべていた。
 意味が分からなくて、私はお姉様にどうしてか、って聞いてみた。
 そして、返ってきたのは、「近いうちにわかるわよ」、という言葉だった。

 事が起こったのは、紅い霧が消えてから、数日後のことだった――



 私が、椅子に座って本を読んでいると、鍵が外されると同時に、扉が乱暴に開け放たれた。
 扉が壁にぶつかって大きな音が鳴る。その音にびっくりして、私は思わず身体を竦ませてしまう。

 お姉様、機嫌が悪いのかな。

 そう思って、扉の方に視線を向けてみると、そこにお姉様はいなかった。
 代わりに立っていたのは金髪の少女。白と黒の衣装を纏って、頭に黒色の三角帽、左手には箒が握られていた。まるで魔法使いのような出で立ちだ。でも、実際にあれほど分かりやすい格好をした魔法使いなんていない。だから、偽物なのかもしれない。
 偽物だか本物だか分からない魔法使いが、黄色の瞳で無遠慮に私の部屋を見回す。

 それを、前にして、私は動けないでいた。
 だって、怖いから。名も知らない侵入者が、ではない。いつ、私の力が彼女の『目』を引き寄せ、壊してしまうか分からないから怖い。
 今は、まだ『目』は浮かんでこない。一応、あれからも力の制御を精確にこなせる様に、練習はしていた。それでも、怖いものは怖い。暴走しない保障があるとは言い切れないから。

「おっ、魔導書があるじゃないか」

 魔法使いっぽいのは、日本語でそう言いながら、私が視界に入っていないかのように、部屋の隅にある魔導書の山へと近寄る。そして、その場に屈みこんで、一冊一冊開いては閉じるを繰り返す。

 魔導書に興味を持つってことは本物の魔法使いなんだろうか。
 そんなことを考えながら、私は緊張で力が入りそうになっている両手から、力を抜こうと必死になる。まだ『目』は見えてないから、握り締めた所で問題はないけど、握る瞬間に、ということもありえる。だから、一切油断は出来ない。

「なあ」

 不意に、黒と白の魔法使いが話しかけてきた。
 話しかけられるとは思っていなかったから、再び驚いて身を震わせてしまう。私のことが、見えてなかったわけではなさそうだ。

「何か面白いものはないか? 入門の魔導書なんて読んでてもつまらん」
「……何の許可も無く入ってきて、挨拶もなしに、そんなことを聞いてくるなんて、失礼だね」

 緊張のせいで今にも声が震えてしまいそうだった。けど、精神を乱せば乱すほど力は暴走しやすくなってしまう。それを、感覚的に知っている私は、無理やり自身を落ち着かせ、声を震わせないようにする。

「ここの連中は挨拶をしても入れてくれない連中が多いからな。だから、勝手に入らせてもらった」

 そう言う彼女に悪びれた様子は一切ない。自分は間違ったことをしていない、と本気で思っているようだ。

「まあ、挨拶ぐらいはしとくか」

 仕切りなおすかのように、本を開いている間にずれた黒色の三角帽の位置を直す。

「お邪魔させてもらうぜ 。家捜しをしに来た。何か、面白いものはないか?」

 あまりにも非常識な言葉に私は自分の力のことも忘れて呆然としてしまった。この魔法使いは何を考えて話してるんだろうか。

「なんだ? 黙ってる、ってことは何か取って置きのものでも隠してあるのか?」
「……ないよ、そんなもの」

 何とか自分を持ち直して、そう答える。不思議と、緊張はほぐれていた。あまりにも非常識なのを目の当たりにして、色々と投げやりになってしまってるのかもしれない。

「ふーん、そうか。それで? 何でお前は、こんな所に閉じ込められてるんだ?」
「……閉じこもってるんだよ」

 魔法使いの言葉は間違ってない。でも、私の言葉を真実を指している。今の私は、閉じ込められ閉じこもっている。そんな状態なのだ。

「そうかそうか。なら、さぞかし運動不足なんだろうな。健康的な生活の為に、私が手伝いをしてやろうか?」

 彼女が懐から出したのはスペルカード。ぱっと見た限り、六枚ほどある。全てに、文字が書いてある。

「別にいいよ。健康的じゃなくても。だから、早く帰って」

 力が暴走する前に早く出て行って欲しかった。でも、魔法使いは私のそんな思いに気付かない。

「ふむ。じゃあ、言い方を変えるか。このまま帰るのはつまらないから、遊び相手になってくれるか? あれだけの魔導書を読んでるんだ。面白い魔法の一つくらい、使えるんだろ?」

 魔法使いの黄色い瞳が、何かを楽しみにするような輝きを持つ。そんなに、期待を持たれても困る。それに、

「……下手すると私、貴女のこと、殺しちゃうかもしれないよ」

 そう。いくら緊張がほぐれた、と言っても、今大丈夫、というだけだ。弾幕ごっこ中に冷静さを欠いた結果、暴走、ということが起こりうるかもしれない。

「おー、それは怖いな」

 冗談だと思っているのか、彼女は笑っている。全く怖がっている、という感じがしない。多分、何を言っても無駄そうだ。
 なら、弾幕ごっこをしている時間を短くすればいい。そうすれば、力が暴走する確率もかなり減らせるはずだ。

「……後悔、しないでね」

 そう言いながら、私は胸ポケットの中からスペルカードを一枚だけ取り出した。
 表には、『Cranberry Trap』と筆記体で書いてある。

「なんだよ、一枚だけかよ。もっと無いのか?」
「うん」

 嘘は得意じゃないけど、このくらいの嘘ならつける。
 よかった、お姉様の言葉に従って、懐にカードを収めといて。何処か別の場所に収めてたら、多分勝手に覗かれてた。
 それくらいは普通にするだろう、と自然と思った。彼女からはそれくらいのふてぶてしさを感じる。

「つまらんやつだな」

 さっきまでの期待の眼差しは無くなって、不満そうな表情を浮かべる。けど、直後に浮かんだのは疑いの眼差しだった。

「……本当は、隠してるだけなんじゃないのか? なんとなくだが、お前は恥ずかしがりな気がする。だから、弾幕で自分を表現する、ってことに恥ずかしさを感じてて、隠してるんだろ」

 結果だけが正しい言葉に私は、どきっ、としてしまう。結果までの過程なんて、多分彼女にとってさほど重要なことではないはずだ。

「そ、んなことないよ」

 それでも、なんとか平静を保ったまま答える。冷や汗、というのがどんなものか今日初めて知った。

「ふーん」

 全然信じてくれてない。でも、この決闘法のルールでは、手持ちのスペルカードを全て使う必要があるなんてないから、万が一弾幕ごっこ中にカードを落としたとしても問題ない。
 今は、とりあえず、この条件を相手に呑んでもらわないと。

「じゃあ、特別ルールだ。私は、お前が隠してるかもしれないカードを探しながら弾幕ごっこをする。その間、お前は好きなだけ私を攻撃してくれて構わない。ただし、私がお前のカードを見つけたら、絶対に使うこと。二十枚とか三十枚とかあっても私は気にしない。私自身が言い出したことだ、自業自得だと思って避け切るさ」

 私が何かを言う前に、そう言われてしまった。そして、私にそれを断る、という選択肢は存在しない。だって、本当に一枚しか用意してないなら、断る理由なんて無いのだから。
 だから、私が断ったらしつこく、私から隠しているカードを出さそうとするはずだ。

「……じゃあ、弾幕ごっこが終わったらすぐに帰ってくれる?」
「お前、私のことが嫌いなのか? ……まあ、いいか。じゃあ、この条件でやってくれるな?」

 彼女の言葉に私は頷いた。出来るだけ早く負けよう。そう、思って。





「私の、勝ちだな。……というか、そんなに睨まないでくれ。ほら」

 そう言って、黒白の魔法使いはなんとか無事だった毛布を私の方へと投げて渡してきた。私は床に座り込んだままそれを受け取って、胸元を隠す。服はぼろぼろになっていて、本来の役目をほとんど果たしていない。
 私は、魔法使いを睨みつける。

「……許さない」

 怒りとか羞恥心とかなんか色々とごちゃ混ぜになってここから逃げ出したい。でも、ここが私の部屋だから逃げ出せない。
 だから、私は彼女を睨みつけて、不機嫌だ、って事を見せ付ける。

 私に何が起きたのか。

 弾幕ごっこが始まって、彼女が真っ先に狙ってきたのは、私の胸ポケットだった。そこからカードを取り出したんだから、当たり前といえば当たり前のことだ。
 ただ、一度も誰かと戦った、という経験のない私は反応することが出来なかった。予想すらもしてなかった。

 その結果、星の形をした弾が私を切るように当たった。けど、痛みを感じることはなかった。殺傷能力がかなり抑えられていたからだろう。それに、吸血鬼の身体は結構頑丈なのだ。
 けど、衣服までもがそれに耐えられる、ということはなかった。下着ごと胸ポケットと私の服が裂かれてしまった。当然、その下の素肌は外へと晒されてしまう。
 あまりの事態に、私は言葉と冷静さを同時に失った。

 そして、その後のことは、あまり良く覚えてない。舞い落ちるカードを満足げに見る魔法使いを睨みつけて、適当にカードを掴んで、ルールに抵触しない程度に滅茶苦茶に魔法を使ってたのは覚えてる。それらの攻撃が、的確に避けられていたことも。

 そして、何も考えずに魔法を使った結果、私の魔力は尽き果てて、今はもう立ち上がることも出来ない。避けることも考えてなかったから、彼女の弾幕に当たって、服ももうぼろぼろだ。
 とにかく、早く出て行ってほしい。人前でこんな格好をしてるのもされたのも屈辱的だ。

「いや、ほんとに悪かった。だから、そんなに睨まないでくれ」

 手を合わせて拝むように謝る。許す気には全くならなかった。

「……じゃあ、早く帰って」

 ほんとはもう少し大きい声で言いたかったけど、そんな元気はなかった。魔力が残ってたら、魔法を使って追い出すのに。

「そういえば、弾幕ごっこが終わったら、帰る約束だったな。……なあ、また来てもいいか?」
「……顔も見たくない」

 睨んだままそう言う。さっさと出て行ってくれればいいのに。

「あー……。わかった、今日はもう帰る」

 困ったような表情を浮かべると、踵を返して扉へと向かっていく。そのまま帰ってくれるかと思ったら、扉の前で立ち止まってこちらへと振り返ってきた。

「自己紹介をしてなかったな。私は霧雨 魔理沙だ。お前は?」
「……」

 教える気も、喋る気も起きないから黙る。

「あるんだろ? 名前」
「……」

 魔理沙がまた困ったような表情を浮かべてるけど、やっぱり私は喋らないでいる。

「……」
「……」

 魔理沙は動かない。私もだんまり。

 魔理沙は、私が名乗るまで帰る気はないようだ。
 心の中で、うんざりとしたような溜め息をつく。

「……フランドール・スカーレット。これで満足?」

 私が名乗らなかったらいつまでも居座ってそうだから、教えることにした。いつまでもここにいられるよりは、開きたくない口を開いた方がましだった。

「ああ! ありがとな、フランドール! じゃあ、私はここらでおいとまさせてもらうな」

 何故か、お礼を言いながら魔理沙は階段を駆け上がっていった。
 それを、見届けると、私は溜め息をついた。ああ、ほんとに疲れた。この場に寝転がりたい、と思うけど、今の状態を思い出して思いとどまる。

 ……それにしても、どうしようか。

 周りを見回してみると、弾幕により壊れた家具がそこら中に散らばっている。うん、全部魔理沙のせいだ。そうしよう。
 そう思うと、さっきまで静まっていた怒りがまた沸々と湧いてくる。人の服を裂くなんて最低だ!

 早く着替えたいけど、多分この部屋にあった服は全滅だろう。

 扉の方へと視線を向ける。
 もう、認めざるを得ないが、私の力が暴走するようなことはなさそうだ。あれだけ怒りを放出して、その上で滅茶苦茶に魔法を使ってたのだ。あれ以上に、私の力が暴走しそうな状況なんてそうないと思う。
 かと言って、このまま部屋から出て行くことも出来ない。移動するだけの元気がないっていうのもあるし、着ている物が色々とぎりぎりなのだ。多分、動いただけで私の身を隠すものは無くなる。
 今の今まで無事なのは、一歩も動かずに魔理沙へと弾幕を撃ち込んでいたからだ。
 毛布で身体を隠す、っていうのも考えたけど、この毛布自体も結構ぼろぼろで、丸めることで、なんとか胸の辺りを隠せる程度だ。

 ぼろぼろの毛布を抱いたまま、どうしようか、と考えていると、足音が聞こえてきた。

「あーあー、酷い有様ねぇ。フラン、大丈夫かしら?」

 扉の向こう側からお姉様が現れた。私は、毛布で自分の身体を守るようにしながら、お姉様を睨む。

「……お姉様、魔理沙にこの部屋の鍵、渡したでしょ」

 実際に手渡した、とは思っていない。魔理沙は、勝手に部屋に入ってきて、物色を始めるような人間だ。多分お姉様は、鍵を盗まれやすいような状態にしてたに違いない。

「渡してなんかないわよ。あいつが勝手に持って行ったのよ」

 今さっき返してもらったけどね、と鍵を揺らしながら白々しく言う。でも、私の考えも何か証拠があるわけじゃない。状況から、ただなんとなくそう思っているだけだ。
 でも、私は信じてるのだ。お姉様が、この部屋の鍵を軽く扱うことは絶対にない、って。

「……じゃあ、わざと盗まれたんでしょ」
「……まあ、そうね。あいつなら、死ぬことはない、って思ってね」

 お姉様はあっさりとそう白状した。睨んでた視線に、恨みを込める。

「そんな怖い顔で見ないでちょうだい。せっかくの可愛い顔が台無しよ?」

 見ないでと言われたので、顔を逸らす。子供っぽい行動だとは思うけど、機嫌が悪いから仕方ないってことにする。勝手なことをするお姉様が、許せなかった。そのせいで、こんなことになったんだし。

「フラン。そんなに機嫌を悪くしないでちょうだい。私も正直、あいつがここまでやらかすとは、思っていなかったわ。……ごめんなさい」

 殊勝な声に、思わず逸らした顔をお姉様の方に顔を向けてしまう。そうすると、珍しく頭を下げるお姉様の姿が目に入ってきた。

「でも、こうでもしないと、貴女は私以外には会ってくれないだろう、って思ってたの。だから、後悔はしてないわ。例え、貴女に嫌われようともね」

 頭を下げていたお姉様が、真っ直ぐに私を見据える。顔を逸らそうとして、失敗する。強い意志を持った紅色の瞳に捕らわれてしまう。

「ねえ、フラン。自分の力が暴走してしまうかもしれない、っていう恐怖は拭い去ることが出来たかしら?」

 黙っていようかと思っていた。でも、お姉様の瞳を見てると答えないといけないような気になってきて、しかも、その瞳からは逃げられなくて、

「……うん」

 私は、頷いてしまっていた。魔理沙以上に厄介だ。今まで、ずっと傍にいたから。

「なら、よかったわ」

 お姉様が私に近づいてくる。床に膝を付くと、私の頭を撫でる。その顔には笑顔が浮かんでて、それがなんだかちょっぴり気に入らなくて、軽く睨む。
 でも、その反面不機嫌さは薄れてきていた。

「また、怖い顔になってるわよ」
「……お姉様が悪い。私が不機嫌なのに、笑ってるから」
「しょうがないじゃない。貴女が恐怖を一つ克服してくれて、嬉しくてたまらないんだから」

 笑みが一層深くなる。その顔を私は、不満に思いながら見つめる。睨んでたはずだけど、そんなことは出来なくなっていた。

「ねえ、フラン。明日、館の皆に挨拶をして回りましょう?」
「……うん」

 断る理由もないから、私は頷いてしまう。少し間が開いたのは、まだ少し不機嫌だから。

「よし、なら決まりね。今日は、疲れてるでしょうから、早く寝なさい」

 お姉様が少し強く私の頭を撫でる。確かに、疲れは限界にまで達していて、眠気はすぐそこにまでやってきている。
 だから私は、お姉様の言葉に頷きかけるが、今の状況を思い出してやめる。

「……お姉様、着替え、持ってきてくれないかな?」

 ぼろぼろの毛布を抱きながらそう言う。お姉様と話している間に、すっかり冷静になってしまって、今更ながらに恥ずかしさを覚える。

「あ、と、そうね。忘れていたわ。……それにしても、酷い格好ね」
「あ……ぅ……、あんまり、見ないで……」

 恥ずかしさで顔とかが火照ってきたのが分かる。でも、今の私には逃げ場がないからどうしようもない。そもそも、逃げようとすることさえ出来ない。

「ごめんなさい」

 お姉様がそう言いながら、私から視線を逸らしてくれる。でも、そうやって、意識されるのも、恥ずかしいと言うかなんというか。

「……着替えは、いいとして、部屋をこのまま、ってわけにも行かないわね。うん、いい機会だから、私の最高の従者を紹介してあげるわ。咲夜」

 私から視線をそらして、部屋を見回したお姉様が中空へと誰かの名前を呼ぶ。

「はい、お呼びでしょうか」

 そうすると、音もなく銀髪の少女が現れた。白と青とを基調としたメイド服を身に纏っている。
 私は、その光景に驚くと同時に、時間を操る人間を従者にする、とか言っていたのを思い出す。この人がその人間なんだろうか。

「咲夜、あの子の着替えと、部屋の修復を頼めるかしら?」
「畏まりました」

 咲夜、というらしい従者は、お姉様へと恭しく礼をすると、現れた時と同様に音もなく姿を消す。

 そして、奇跡が起こった。私がまばたきをした間に、家具の残骸が転がってたり、壁や床に穴の開いていた部屋が元の姿に戻っていた。いや、元よりも綺麗になっていた。

 その一瞬の出来事に見惚れてしまう。いくら、時間を操ることが出来ようとも、本人に器用さが無ければここまでは出来ないはずだ。
 お姉様の教育がすごかったのか、それとも、咲夜が元々すごい人間だったのか。その判別は付かない。ただ、目の前の出来事に、すごい、という感想しか持つことが出来ない。

「フランドールお嬢様」

 突然、声をかけられたことに驚いて、身体を震わせる。その時に、毛布を落としそうになって、慌てて強く抱き締めた。

「すみません。驚かせてしまったようですね」

 咲夜が頭を下げる。けれど、すぐに顔を上げて、寝巻きを差し出してきた。動作の一つ一つに無駄が少ないように感じる。

「こちらが着替えです。お手伝いいたしましょうか?」
「う、ううん、大丈夫。一人で着替えれるから」

 咲夜の差し出してくれた寝巻きを受け取りながらそう答える。
 というか、他人に着替えさせられる方が恥ずかしいから、一人じゃないと着替えられない。
 それを分かってくれたのか、咲夜は私に背を向けてくれた。
 けど、

「……お姉様、向こう、向いててくれないかな」
「ん? ああ、そうね。気付かなくて、ごめんなさい」

 謝りながら、私に背を向ける。二人とも、私の方を見てないことを確認してから、私は着替え始めた。


「いいよ、二人とも」

 着替え終わって、二人にそう声をかける。立つ気力が無かったから、今もまだ座ったままだ。
 そして、元々着ていた服は、布着れだかなんだかにしか見えないものと化して、傍らに置いてある。なんとか服に見えるって言う程度にしか原型を留めていない。動かなくて良かった、と再度思う。
 その布切れは、二人がこちらに振り返った直後には消えていた。仕事が早いなぁ、と感心する。

「ありがと、咲夜」

 部屋を直してくれたことと、着替えを持ってきてくれたこと。それらに関する感謝を一緒にして、そう言う。

「いえいえ、どういたしまして」

 控えめに微笑みを浮かべながらそう言う。何となく、お姉様の笑い方と似ているような気がした。

「と、そういえば、ご挨拶がまだでしたね。はじめまして、フランドールお嬢様。私、レミリアお嬢様の下でメイド長をさせて頂いてる、十六夜 咲夜と申します。御用のある場合は、私の名を呼んでください。そうすれば、すぐに駆けつけますので」
「うん、はじめまして」

 完全にお姉様以外の人と会うことに関して、怯えることはなくなっている。今日の出来事で、私は色々と吹っ切れたようだ。
 だからと言って、魔理沙に感謝するつもりはない。絶対に許さない。

「うん、よし。挨拶は終わったみたいね」

 そう言いながら、お姉様が近づいてくる。私の傍でしゃがみ込んだかと思うと、

「わっ……」

 何の前触れも無く、私を抱き上げた。驚いて、少し焦ってしまう。
 けど、すぐに落ち着いて、私は大人しくお姉様に運ばれていく。何処にかは、分かっている。
 前に一度、魔力を使い切って立ち上がれなくなったことがあったから、今日はもう自分で動けない、というのは分かりきっている。だから、抵抗はしない。

 ああ、温かさに安心してしまう。
 もう、睡魔にも負けてしまう。抗う気も起きない。

 だから、私はお姉様に抱きかかえられたまま、眠ってしまうことにした。


 微かに、おやすみなさい、という言葉が聞こえてきたけど、それに答えることは出来なかった。





 次の日、私はお姉様に連れられて、館に住んでいる人たちに挨拶をして回ることになった。
 まず向かったのは、お姉様の友達がいる図書館だった。


「うわー、ここも広いんだね」

 図書館の中へと入って私はそんな感想を漏らす。廊下と同じで、果てが見えない。しかも、ここは廊下とは違って、無数の本棚が森の木のように林立している。といっても、綺麗には並んでるんだけど。

 私が地下にいる間に、館の様子は変わっていた。廊下は何処までも続いているように見えるし、そこかしこにメイド服を着た妖精の姿が見受けられた。
 廊下の長さは、咲夜が操っているらしい。そんなことする必要があるのか、って聞いてみたら、たくさんの妖精を雇うため、という答えが返ってきた。妖精は、人件費が掛からないから、大量に雇って見栄えを整えるのにはいいだとかなんだとか。
 そんなのどうでもいいのに、と思ったけど、お姉様はそうは思ってないみたいだった。だから、館の様子がこんなことになってるんだろうけど。

「あ……」

 不意にあることを思い出して、私は足を止めてしまう。

「ん? フラン、どうかしたかしら?」

 先を歩いていたお姉様が、立ち止まって振り返る。

「……うん、昨日の弾幕ごっこで、パチュリーに借りてた本、全部駄目にしちゃったから」

 昨日は、疲れていたせいでそのことに思い至らなかったけど、大量に存在する本を見て、思い出したのだ。
 ああ、どうしよう。

「大丈夫よ。昨日、私の方から説明しといたし、怒っているような様子もなかったから」
「でも……」
「まあ、そんなに気にするんなら、貴女の方からも謝っておけばいいわよ。でも、貴女は何も悪くないわ。あの部屋にあいつを入れさせたのは私だし、フランに弾幕を撃たせたのはあいつなんだから」
「……うん」

 そう言って、私を安心させてくれようとする。それでも、安心しきれないのが私だ。
 でも、少しは心が軽くなったような気がする。

 私が頷いたのを見て、お姉様が歩き出す。私も足を動かして、歩を進める。

 それにしても、本当にすごい本の数だ。千や万では足りないくらいあるんじゃないだろうか。お姉様の友達は、これから、ここにある本を全て読むつもりなんだろうか。

 無数の本に視線を奪われながら辿り着いたのは大きなテーブルと、何脚かの椅子がある場所だった。テーブルの上には何十冊もの本が積み重ねられている。
 その何冊も積み重ねられた本の中に埋もれるようにして、紫色の長髪の少女が本を読んでいた。私たちには気付いてないようだ。

「あ、パチュリー様。レミリア様がいらっしゃいましたよ」

 代わりに、その少女の傍らに佇んでいた赤紫色の長髪の少女が私たちの方に気付いた。どうやら、紫髪の方がお姉様の友達のようだ。じゃあ、赤紫髪の方は、従者か何かかな?

「ああ、いらっしゃい、レミィ。そっちの子が、噂の貴女の妹かしら?」

 パチュリーが顔を上げて、紫色の瞳で私たちを見る。なんだか眠たそうな目をしているな、と思った。

「ええ、そうよ。私の自慢の妹、フランドールよ」

 噂、ってどんなふうに噂になってるんだろうか。私が死にたがってることも、お姉様は話したんだろうか。
 私がそんなことを考えていると、パチュリーが私の方を見ていた。

「はじめまして、フランドール。レミィから聞いてるかもしれないけど、私はパチュリー・ノーレッジよ」
「で、私は、ここでパチュリー様の図書館の司書をやらせていただいてる小悪魔です。名前はないので、お好きにお呼びください」

 パチュリーは無表情に、小悪魔は笑顔でそう言う。対照的な二人だなぁ。

「うん、二人ともよろしく」

 向こうは私のことを知ってるみたいだし、咲夜のときと同じように、短く返す。そして、私個人としては、この後に告げることのほうが大切だ。
 口を開く前から、緊張してきている。

「……あのっ、パチュリー」
「ん?」

 本へと視線を戻そうとしていたパチュリーへと話しかける。パチュリーの視線がまっすぐにこちらを捉える。

「折角貸してくれた魔導書、駄目にしちゃってごめんなさいっ」

 頭を下げて謝る。私はパチュリーが何かを言うのを待ちながら、床を見つめる。

「別にいいわよ、そんなこと気にしなくても。レミィから事情は聞いてるし、私は気にしてないから」

 本当に気にしてないような口調で言う。どうやら、お姉様が言ってたことは本当だったようだ。
 ほっ、と胸を撫で下ろす。一気に身体から力が抜けた。その場に座り込むほどではなかったけど。

「ほら、大丈夫、って言ったでしょう?」
「うん」

 お姉様の言葉に頷いた。

「さて、他にも行く所があるから、そろそろ行かせて貰うわね」
「はいっ。あ、そうだ。フランドール様、美味しい紅茶を用意しておくので、今度一緒にお話しませんか?」

 小悪魔が、純粋な笑顔を浮かべてそう言う。

「う、ん。機会があったらね」
「はい! お待ちしてますねっ」

 『今度』を拒絶しようと思っている私にはその笑顔が眩しすぎて、一瞬、言葉を詰まらせてしまった。
 でも、小悪魔はそれに気付いていないようだった。返ってきた言葉もまた、曇りのない笑顔と一緒だったから。
 でも、パチュリーはどうだろうか。お姉様はどうだろうか。

 パチュリーは知的そうな瞳で私を見ている。その瞳を見ていられなくて、私はお姉様の方へと視線を逃がす。

「さ、フラン。行きましょう」

 けど、お姉様は既に私に背を向けてしまっていて、どんな表情を浮かべているのか分からなかった。私は置いていかれないように、お姉様についていく。
 背後からは、小悪魔の「楽しみにしてますからー!」という元気な声と、本の捲られる小さな音が聞こえてきていた。





 今度は、館の外に連れてこられた。今は夜だったようで、真っ黒な空に丸い月が浮かんでいた。そして、風が冷たい。
 不意をついた冷たさに、私は思わず身体を震わせてしまう。

「フラン、寒いのかしら?」

 お姉様が、私の肩を抱き寄せる。お姉様が触れている場所だけだけど、暖かくなる。でも、その代わりに歩きにくい。
 それでも、お姉様を払いのけよう、っていう気にはならなくて、そのまま並んで歩く。お互いの羽が触れ合うほどに近い。

「今日は、月が最高に綺麗ね。貴女が、部屋から出れたことを祝福してるよう」

 ぴったりと寄り添い合うように歩いてるから、そこまで大きくないお姉様の声もはっきりと聞こえてきた。
 わかってて、声を抑えてるんだろうな、って思った。どちらかというと、騒がしい方が好きなお姉様だけど、雰囲気は大切にしたがるから。

 それにしても、祝福、か。こんなにも心の内では死んでやろう、って思ってるのに、祝福もなにもないだろうに。

「こんなにも素敵な夜は、外を散歩したくならないかしら?」
「ううん。そんな気分じゃないかな。それよりも、私は薔薇園がどうなってるのかが気になる」

 私はお姉様の提案を断って、別の提案をする。
 館の外に出ることで、私はようやく薔薇園の存在を思い出していた。もしかしたら、自分で思っていたよりも、薔薇はそんなに好きではなかったのかもしれない。
 でも、気になるものは気になるし、久しぶりに見てみたい。

「わかったわ。最後にもう一人に挨拶をしたら、薔薇園の方に行きましょう」

 そう言って、私の提案を受け入れてくれた。
 それからは、互いに無言で門の方を目指して、ゆっくりと進んで行く。門の前に、赤色の髪の人が立ってるから、あれがお姉様が最後に私に紹介したい人なのかな?
 月明かりの下に立つその人はなんだか特徴的な帽子を被って、これまた特徴的な服を着ていた。確か、人民帽と中華服って言うんだったかな?

「美鈴、お仕事ご苦労様」

 その人の真後ろまで来たところで、お姉様が声をかける。すると、その人はすぐにこちらへと振り向いた。
 今まで会ってきた誰よりも背が高いから、顔をあげないと、その顔は見えない。

「こんばんは、お嬢様。今日は、随分と月が綺麗な夜ですね」
「ええ、全く持ってそうね」

 振り向いた美鈴が水色の瞳で私たちを見る。この人が、大陸の東の料理を作った人なんだ。

「っと、その隣の方が、お嬢様の妹様ですか?」
「ええ、そうよ」

 美鈴が私を見る。その表情はなんだか優しそうだな、と思った。
 お姉様も、時々優しげな表情を浮かべるけど、それとは違った感じがする。全てを包み込むような、とかそんな感じ。

「はじめまして。私はここで門番をやっている紅 美鈴です。以後、お見知りおきを」
「うん、よろしく」

 浮かべた笑顔もやっぱり優しそうで、傍にいたら安心できそうな感じだ。こんな雰囲気を醸し出してて、門番が務まるんだろうか。

「お嬢様方は、これから外へ散歩ですか?」
「いいや、フランの希望で、薔薇園の方へと行くわ」
「そうですか。見てくれる方がいらっしゃれば、あの子たちも喜んでくれますよ」

 美鈴がなんだか嬉しそうに言う。お姉様や私のことを自慢する、お父様やお母様みたいな雰囲気がある。
 もしかして、薔薇園の手入れは美鈴がやってくれてるのかな?

「薔薇の手入れは美鈴が?」
「はい、そうですよ。お気に召していただければいいのですが」

 自信なさげに笑いながらそう言う。

「大丈夫だよ。美鈴が、薔薇に愛情を注いでくれてる、っていうのは何となくわかったから、絶対に気に入るよ」
「そうですか。そう言っていただけると、嬉しいです。ですが、気に入ったかどうかは、妹様がご覧に入れてから聞くことにしますよ」
「うん」

 確かに、実物を見てもないのに、気に入っただの、気に入らなかっただのを語っても仕方ないよね。

「お姉様、行こう」

 すぐ近くに居るお姉様へとそう言う。お姉様は、その言葉に無言で頷く。

「じゃあね、美鈴。お仕事頑張ってね」
「外の妖怪に舐められるようなことをするんじゃないわよ」
「はいっ。では、お二人も、お風邪を引かぬようご注意くださいね」

 美鈴の笑顔に見送られながら、私たちは踵を返して、裏庭へと向かった。





 何百年ぶりかも分からない薔薇園には無数の紅が咲き誇っていた。昔はあったはずの柵は無くなっていて、薔薇の咲いている位置も変わっている。でも、昔と比べて見劣りするような場所はありはしない。
 私は、お姉様に肩を抱くのをやめてもらって、薔薇の咲いている場所へと近寄る。それから、その場にしゃがみ込んで昔と同じように、私は薔薇にじぃ、っと見惚れる。
 そこに『目』が現れるようなことはない。

「……どうかしら? 久しぶりの薔薇園は」
「うん。とってもいいよ。昔みたいに、綺麗に並んでるわけじゃないけど、皆が思い思いに咲いてる感じがして」

 全体は整ってないけど、一輪一輪が整っているように見えた。ほんとに、美鈴は薔薇たちに愛情を注いでるみたいだ。

「そう、よかったわ。美鈴が聞くと喜ぶと思うわ」

 横からお姉様の声が聞こえてきた。その言葉を聞きながら、館に戻るときに、美鈴に感想を伝えておこう、って思った。

 それから、私が立ち上がって、二人並んで歩き始めた。私がお姉様に合わせるでもなく、お姉様が私に合わせるでもなく、目的もなく歩く。お姉様は、月に見惚れ、私は薔薇に見惚れながら考え事をして。

 そして、どれくらいの時間が経っただろうか。月が傾いた気がするような、それくらいの時間が経ってから、不意にお姉様が口を開いた。

「ねえ、フラン。今の館に住んでいる人たちに会ってみて、どう思ったかしら?」

 私は足を止めてお姉様を見る。そうしたら、お姉様と顔が合った。

「皆、いい人たちだな、って思ったよ」

 咲夜も、パチュリーも、小悪魔も、美鈴も。皆、私を受け入れてくれた。お姉様が私のことをどんな風に話したのかは知らない。けど、どんな風に話されていたとしても、私から少しくらいは距離を取るんじゃないだろうか。
 お姉様がどう言おうと、私は誰の前にも出られない異端、だったのだ。
 それなのに、皆私に普通に接して、受け入れてくれた。こんなにもいい人たちはそういないはずだ。

「ふふ、そうでしょう? ……毎日でも会って、お茶会をしたい、とは思わないかしら?」
「……」

 私は返事に窮してしまう。言葉は穏やかなのに、紅い瞳が鋭く私を見ていたから。
 多分、今はどんな嘘をつこうとも見抜かれてしまう。

「……はあ」

 お姉様が、溜め息をついた。私の反応に失望してるようだ。なんでかは、わかっている。

「……ねえ、お姉様は、私に聞きたいことがあるんじゃないかな」
「…………ええ、そうね。確認をしたいことがあるわ」

 短い沈黙が流れる。この時になってようやく私は、風が冷たくなくなっていたことに気付く。すっかり外の温度に慣れてしまうくらいには、外にいたようだ。

「……貴女は、まだ死にたい、とそう願ってるのかしら?」
「うん、そう、思ってるよ。……私は、皆を殺したから」

 いくら私が力の制御が出来るようになったとはいえ、私がお父様やお母様、従者の皆を殺してしまったことに代わりはないのだ。私はただ、これ以上の罪を重ねることがなくなった。それだけだ。
 重ねてしまった罪が消えることはない。

「それが、どうした、って言うのよ。貴女は意図的に皆を殺したわけじゃない。それに、死ぬ以外にももっと色んな罪の償い方があるはずよ。むしろ、死ぬだなんて最低。そんなのは、ただの逃げだわ」

 お姉様が、私を睨む。紅色の瞳を鋭くして、私を射抜くように見る。
 私はあまりの鋭さに身を竦ませてしまう。逃げたい、と思ってしまう。けど、視線でその場に縫い止められてしまったかのように動くことが出来ない。

「他人の生を台無しにしておいて、自分の生も台無しにする。これじゃあ、殺されたお父様たちが救われないわね」

 今にも、盛大な溜め息をついてしまいそうな口調だ。けど、お姉様が溜め息をつくことはない。その紅い瞳で私を縫い止め続ける。

「私は、そんな馬鹿げた真似をしようとする貴女が本当に気に食わないわ。死ねば赦される? そんなことは絶対に有り得ないわ」

 視線だけでなく、言葉までもが鋭く刺さる。
 痛い。血が流れてるわけではない、身体的な攻撃を受けてるわけではない。だと言うのに、痛い。胸が、苦しくなるくらいに痛い。

「私の妹がこんなにも愚かだ、なんてことを思うだけで嫌気がさすわ。嫌い嫌い、大っ嫌いよ、貴女の事なんか」

 お姉様の言葉が突き刺さるたびに、私は足が震えるのを感じた。
 そして、今更のように気付く、私はお姉様に見捨てられたくないんだなぁ、って。……いや、今まで生き続けてきたせいでそう思うようになってしまったようだ。
 心の底から発せられるような言葉がざくざくと、私の心を刺し貫く。

「……なのに、私のことは、見捨てて、くれないんだよね」

 気付いてもなお、私は、そう、口にしてしまう。理由は、まだ、死ぬしか道はない、と信じているから。

「当然よ。愛してしまってるんだもの。見捨てられるはずが無いわ」

 そして、お姉様の視線は優しげなものとなる。私を縫い止めるのではなく、抱き止めるように見る。
 私は、そんなお姉様の言葉と、視線とに安心する。してしまう。
 ……結局、私は、望んでしまっているのだ。お姉様に見捨てられたくない、と。
 ああ、本当にダメだ、私は。

「だから、貴女が死ねば、私も死ぬわ。それも、貴女みたいな生易しい死に方じゃない。銀のナイフで死ぬまで自分の胸と首を刺し続けるわ。貴女を生かせなかった私を永遠に責め続けながらね」

 何の迷いも、躊躇も、恐れもなく言い切った。この言葉は、誰にも捻じ曲げられない真実だとでも言うように。

「……あ、はは」

 お姉様のあまりの意思の強さに、笑いが零れてしまう。可笑しいのはお姉様じゃない、私自身のことだ。
 たった一人のせいで、私は死ねない。たった一人の意思に負けてしまうほどに私の覚悟は弱かった。
 これじゃあ、私は絶対に死ねないじゃないか。死ぬには、お姉様を殺す覚悟をしないといけない。そんな、覚悟、抱けるわけがないじゃないか。
 お姉様に見捨てられたくない、そんなことを望んでる時点で、私に死は程遠い。

 ……それに、大好きなお姉様が死んでしまうなんて、嫌だった。

「……やだよ。お姉様が死ぬなんて」

 気付けば、笑いは収まっていた。ただただ、胸の奥が痛い。

「なら、死ななければいいのよ。そうすれば、私も死のうとなんてしないわ」
「それは、出来ないよ。……それ以外に、どうすればいいのかわかんないんだから」

 そう。このまま何もしない、というわけにはいかないのだ。

「別に、今みたいに、自分のやったことに胸を痛めて、絶対に繰り返さない、と思うだけでも償いになるんじゃないかしら?」
「でも――」

 何かを適当に口にしようとして、お姉様が私の言葉を遮る。

「それじゃあ、足りない? なら、悩んで悩んで、一生悩み続けて、自然と終わりが来るその時まで悩み続ければいいわ」
「……それじゃあ、償いになってないよ」
「それはそれでいいんじゃないかしら? 自分で気付いてないだけで、知らない間に償えるなんてこともあるかもしれないし」

 お姉様は何でもないことを言うようにそう言う。

「そんなのじゃダメだよ。自分が犯した罪は、ちゃんと償わないといけないんだよ」
「誰が、そんなことを決めたのかしら? 償った結果、罪責から解放された気になって、自分の犯した罪さえも忘れてしまうんじゃないかしら?」
「それは、ないよ」

 きっと、私は何があっても、自分の犯した罪は死ぬまで覚え続けるだろう。いや、死んでからでも覚えている。そうじゃないとダメなんだ。

「そう。……まあ、何にしろ、貴女は考えすぎなのよ。そうじゃなければ、きっと好きになれるのに」

 そう言いながら、私の頭に手を乗せる。

「……お姉様が、考えなさすぎだと思う」
「ちゃんと考えてるわよ。前向きになるようにね。……と、そうだ。これは貴女に渡しておくわ」

 頭から手をどけて、懐から取り出した鍵を手渡してきた。私に渡すようなものだから、あの部屋の鍵なんだろう

「貴女の昔の部屋も、咲夜に頼んで整えさせておくから、好きな方を使うといいわ」
「いいの?」
「ええ。私の覚悟が、貴女の覚悟を止めると信じてるもの」

 何にも疑っていないような、自信に満ち溢れた表情で言う。怖いものなんて、何もなさそうだ。

「……自信たっぷりだね」
「当たり前よ。自信がないとあんなこと言えないもの」

 月明かりに照らされながら、そう言うお姉様の顔は格好よかった。……この自信が、私とお姉様の違いなんだろう。
 行動できるか、できないか。相手を変えさせられるか、変えさせられないか。

「フラン、まだ、死のうだなんて、馬鹿げたことを考えてるのかしら?」
「……うん。今の私は、そうするしかない、って思ってるから。……でも、お姉様のせいで、死に方から考えないといけなくなっちゃったよ」
「そう、それはよかったわ」

 私の言葉に、お姉様が笑顔を浮かべる。でも、何処か寂しそうだ。……理由は、わかってるけどさ。

「……」
「……」

 それから、お姉様も、私も黙ってしまう。

 そよそよと風が吹き抜けて、私の髪が頬を撫でる。お姉様の髪も揺れている。
 風に、薔薇の香りが乗っていたように感じた。甘い香りが広がる。

「……ねえ」
「ん?」
「……変わったよね、お姉様」
「何処がかしら?」

 寂しげな表情を消して、首を傾げる。

 私が死にたい、と言ったあの日、お姉様は、私にいなくなって欲しくない、と言った。私が死んだら、死にたくなる、とも言った。
 けど、今日のお姉様は、私に愛している、と言った。私が死んだら、自らに苦痛を与えながら死ぬ、と言った。

 それを一言で言い表すなら、

「覚悟の強さ、かな」
「へえ。よかったわ。私の想いの強さが貴女に伝わったみたいで」

 お姉様の綺麗な笑顔が、月明かりに照らされる。私は、思わずそれに見惚れてしまう。

「……私は、お姉様のその覚悟を疎ましく思ってる」
「ええ、そうみたいね」
「でも、それでも、どうしようもなく好きなんだ、お姉様のことが」

 今まで、思うだけで一度も伝えたことのなかった言葉を口にしてみた。何で今なのか、っていうと、今くらいしか、伝えられそうな時がなかったから。
 普段の私では、こんなことは言えない。

「……ありがとう。でも、残念ながら、私は貴女のことが嫌いだわ」

 うん。知ってる。
 私自身が嫌って欲しいって言ったこともあるし、何度かお姉様にも言われてたから。

 ……でも、今の私は、お姉様に好きになってもらいたいんだろうか。それとも、嫌っていて欲しいんだろうか。


 今ではもう、自分自身でもどちらなのか、分からなくなってしまっていた……。


Fin



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