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 朝食の時間が近づいてきた頃、いつものように、ふらふらー、とこいしが食堂へと入ってきます。

「おはよう、こいし。……顔が赤いみたいだけれど、大丈夫かしら?」

 食堂へと入ってきたこいしの頬は赤く染まっていました。そういえば、入ってくるときも、ふらふらー、というよりは、ふらーふらー、と揺れが大きかったような気がします。風邪でも、引いたんでしょうか。

「んー、なんかね。起きた時から、身体が火照って、ふらふらー、ってするんだ。これって、恋だよね? ……ふふー、今日はなんだか素敵な出会いがありそうな予感っ!」

 非常に嬉しそうにそんな事を言ってますが、おそらくいつもの無意識に任せた良く分からない言葉の一つでしょう。決して、こいしに恋人が出来たりするのが許せないからそう思ってるわけではありません。断じてです。

「こいし、ちょっとおでこを貸してもらってもいいかしら?」
「え? ……うん、いいよ。お姉ちゃんも私の恋の温度を感じたいんだね」

 嬉しそうに頬を綻ばせ、先ほどよりも頬が赤くなります。その恥らったような姿に、私は姿の見えない何者かに嫉妬を覚えてしまいます。
 こいしの勘違いによるものとはいえ、妹のこういう姿を見るというのは辛いものがあるのです。だから、嫉妬も致し方ないのです。

 そんなことを思いながら、私は椅子から立ち上がってこいしへと近寄ります、
 こうして、傍に来ることで分かりますが、こいしの瞳は少しばかり焦点が定まっていないように思えます。ぼんやり、というか、ぽわー、というかそういった言葉が似合います。

「では、少し失礼します」

 そう断りを入れながら、こいしの額へと触れました。

「……熱があるわね」

 私の予想通り、風邪、ということで間違いないでしょう。もしかすると、別の病気かもしれませんが、その可能性はもう少し時間が経ってから考えることにしましょう。兎にも角にも恋、という可能性が消えて一安心です。

「恋の熱だよ。どう? お姉ちゃんもどきどきしてきた?」

 一安心、といっても懸案事項はまだまだたくさんあるのですが。まずは、どうにかしてこの子を大人しくさせなければいけません。
 このまま放っておけば、恋の導きに従って、とか言って外に行きかねません。長い間一緒にいたお陰か、心は読めずともある程度言動が読めるようになってきました。

「これは、単なる風邪の熱よ。だから、今日は大人しくしてなさい」
「恋の温度は微熱、っていうでしょ? だから、これは風邪の熱なんかじゃないよ」
「微熱どころか、かなりの高熱よ」

 今、こいしの額から伝わってくる熱は、暖かい、を通り越して熱い、まで来ています。本当に恋をしていたとしても、これはそれとは違った熱だ、と誰もが断じるでしょう。

「それだけ私が恋焦がれてる、ってことだね。じゃあ、お姉ちゃん。私、これ以上待てないから、恋する相手を探してくるね」

 くるりと反転して食堂から出て行こうとするこいし。手のひらが食堂の少し温い空気を感じる前にこいしの腕を咄嗟に掴みました。けど、思った以上に力が強くて引きずられてしまいます。これが、引き篭もりと放浪癖持ちの違いなんでしょうか。いや、これでもペットたちを相手にしているので、それなりに体力はあると思っていたのですが……。
 今は、そんなことどうでもいいですね。現実がどうあれ、なんとしてでも、この困った妹を止めなければなりません。

「こ、い、しっ! 止まりなさい!」
「いーやーっ! 今日はお姉ちゃんになんと言われようとも、外に行くから!」

 ずるずるずる。食堂から出て廊下を引きずられていきます。風邪を引いてるというのに、どうしてこんなに元気なのでしょうか。それとも、風邪を引いているからでしょうか。
 どちらであろうとも、私がこいしを止めなければいけないことに変わりはありませんが。

「今日は、絶対に外には行かせないわよ! だから、とーまーりーなさいっ!」
「お姉ちゃんの分からず屋! 唐変木! そんなんだから、友達出来ないんだよっ!」
「なっ! 今はそんなこと関係ないでしょう!」

 突然痛い所を突かれて手を放しそうになりましたが、なんとか掴み続けます。なので、まだこいしに引き摺られ続けています。

「はーなーしーてーっ! お姉ちゃん、しつこい!」
「しつこくて結構! 風邪を引いてる貴女を外へは行かせられませんから!」

 口ではそう言うものの、確実に玄関へと近づいて行っています。しかも、腕力が限界を迎えかけていて、そろそろ休憩を挟まないとこいしの腕を放してしまいそうです。それに対して、こいしはまだまだ元気そうです。後で、反動が来ないか心配になってきます。

 と、そんなことを思っていたら、こいしが足を止めてこちらに振り向きました。その間に、掴む腕を持ち替えて、私はこいしの両腕を掴みます。

「お姉ちゃん。腕が辛いなら放してもいいんだよ」

 私に気を遣って放してもらおう、という作戦ですか。残念ですが、それは通用しません。

「そう。気遣いはありがたいけど、退くわけにはいかないのよ。それに、こうすれば絶対に貴女は逃げられないでしょう?」
「えっ? あっ!」

 今になってようやくこいしは、私に両腕を掴まれたことに気付いたようです。私に話しかけたことに気を取られていたようでうす。この子は無意識で動くが故に、注意が散漫になりやすいのです。
 逃げ出そうとする前に、私はこいしを正面から抱き締めて抱き上げます。足の力では勝てなくとも、動物を抱き上げるのには慣れているので、こうしてしまえばこっちのものです。

 それにしても、身体もだいぶ熱くなってきているようですね。先ほどまで暴れていたせいもあるかもしれませんが、やはり風邪のせいでしょう。早く、ゆっくりと休ませねばなりません。

「さあ、部屋に戻って寝ててもらうわよ」
「きゃー! お姉ちゃんにベッドで変な事されるー! 汚されるー! 誰か助けてーっ!」

 耳元で響く突然のこいしの甲高い声に驚きますが、決してこの腕は放しません。というか、

「何誤解を招くようなことを言ってるのよ」
「うー、だってお姉ちゃん、無理やりベッドに連れて行こうとするんだもん」

 唸り声を上げていますが、ペットたちの反応と比べたら可愛いだけで威嚇にもなってません。威嚇をするならば、もっと剣呑な雰囲気で、低い声でしなくては。
 それに、時にペットたちは、唸り声を上げた後は、本気で噛み付いてきます。こいしは一切そういった様子を見せないので、身構える必要もありません。

「……あの、さとり様、こいし様。朝から、何をしてるんですか?」

 こいしの部屋へと向かう途中、食堂の前を通ったとき、開け放たれた扉からお燐が顔を覗かせました。ずっと私たちの騒ぎが気になっていたけど、食事の準備があるので今の今まで顔を出せなかったようです。

「ああっ! お燐! ちょうど良いところに! お姉ちゃんに変なことされそうだから助けてっ!」
「こいしが、風邪を引いたみたいだから、部屋に連れて行くところなのよ。悪いけど、朝食はこいしの部屋まで運んできてくれないかしら。あと、冷たい水とタオルの用意もお願い」
「はい、わかりました。……さとり様、移されないように気をつけてくださいね」

 こいしの発言に苦笑しながらそう答えてくれました。お燐も、こいしの発言が適当なものだということを分かっているのです。彼女も、私たちとの付き合いは長いですから。

「大丈夫よ。じゃあ、よろしくお願いね」
「お燐の裏切り者ー! 後で絶対に、お姉ちゃんにされたのと同じことをするんだから!」

 お燐を無理やりベッドに寝かせて、看病でもするつもりなんでしょうか。適当に発言していてもやる時はやるのがこいしです。
 まあ、もし実際にお燐が捕まって仕事が出来なくなったとしても問題は無いでしょう。その分は、他のペット達に分担させればなんとかなりそうですし。

 そんなふうに、お燐がこいしに巻き込まれたときのことを考えながら、こいしを部屋へと連れて行くのでした。

「はーなーしーてー!」
「ちょっと! いつまでも暴れてるんじゃないわよ!」

 ……色々と多難ですが。





「あぁ、遂にお姉ちゃんに押し倒されちゃった……」

 布団の中から顔をちょこんと覗かせたこいしがそう言います。意識的にやっているのか、頬がだいぶ赤らんでいます。変なところで器用な子です。
 ちなみに、私はこいしのベッドの横にいます。

「嘘を言うんじゃないわよ」

 呆れながら私はそう答えます。

「……むー。それで、お姉ちゃん、いつまで私の手、握ってるの?」

 こいしが、身体を起こして、私に握られた左手を上げます。それにあわせて、私の右手が動きます。
 何もせずそのまま寝かせていたら、私が油断した一瞬の隙に逃げてしまいそうだったので握っておいたのです。

「貴女の風邪が治るまでよ」
「このままだと、行き場を無くした恋のエネルギーがお姉ちゃんに向かっちゃうよ?」
「それでもいいから、大人しくしてなさい」

 空いてるほうの手でおでこを押して、横にさせてあげます。
 相変わらず、熱いですね。

「む、お姉ちゃんの手、冷たい。恋が足りてないよ」

 こいしが不満そうにこちらを見てきます。私の体温は普通よりも少し低いくらいらしいので、こいしには冷たく感じるのでしょう。

「熱を冷ますのにちょうど良いんだから、いいじゃない」
「あ〜、お姉ちゃんに恋のパワーが吸い取られてくー」

 こいしがじたばたと暴れ始めます。布団が捲れ上がります。

「こらっ、大人しくしなさい」

 言葉だけでは当然止まりません。かと言って、押さえつけようにも片手が使えないので、それも出来ません。
 とりあえず、空いてる方の左手で押さえつけてみますが、大人しくさせるには到底及びません。

「きゃー! お姉ちゃんがほんとに手を出してきたー! たーすーけーてー!」

 及ばないどころか、更に酷く暴れるようになってしまいました。
 なんというか、熱のせいかいつも以上に思考の飛躍が酷くないですかっ?

「あー、もうっ! 暴れるんじゃないわよ! 大人しくしてなさい!」

 手だけで押さえるのでは埒が明かないので、私自身もベッドに乗ります。両足で布団越しにこいしの両足を挟んで、両手を掴んでベッドに押さえつけます。これでもう、こいしは動けません。
 大型犬との日々の闘いで押さえつけるのも得意になってしまいました。というか、ペットを相手にしていて養った技術がこいし相手に役立つ、というのはどういうことなんでしょうか。深くは考えないようにしましょう。

「……お姉ちゃん、強引」
「風邪を引いた妹を暴れさせるわけにはいきませんから」

 ようやく大人しくなってくれたこいしを見下ろしながらそう答えます。こいしは、暴れすぎたせいか、少々息が上がっているようです。

「……遂に、姉妹の一線を越えちゃうんだね」
「……何を言ってるのよ」

 風邪の熱以外の要因で火照らした顔でそのようなことは言わないでほしいものです。冗談だと分かっていても、面と向かって言われるとどう反応して良いものか困ってしまいますから。

「ふっふー、お姉ちゃんって意外と純情だよね。こんな言葉一つで顔赤くしちゃうなんてさ」

 案の定冗談だったようで、けらけら、と楽しげに笑ってます。こういう表情を見ているほうが安心できるので、からかわれた、と憤慨するようなことはありません。
 まあ、今一番見たいのは、寝顔なのですが。いえ、その前に朝食ですね。
 ……冷静に考えて気付いたのですが、私はどうして今必死になってこいしを寝かそうとしてるのでしょうか。こいしがあまりにも逃げ出そうとするので、寝かすことに躍起になってしまってたようです。

「さとり様、こいし様、入りますよ!」

 こんこん、と扉の叩く音と共にお燐の良く通る声が聞こえてきます。
 私とこいしが無駄な体力を使う前に来て欲しかったものですが、文句は言えません。今の私が出来ないことを変わりにやってくれているのですから。

「ええ、どうぞ。入ってきてちょうだい」

 こいしを押さえているので動くことの出来ない私は、ベッドの上からそう答えます。お燐の為には扉を開けてあげるべきなのでしょうが、今は仕方がありません。自分でどうにかしてもらいましょう。

 お燐が部屋に入ってくるのを待つ間、私もこいしも無言となります。聞こえてくるのは、扉の向こう側の音だけ。どうやら、持ってきたものを床に置いて扉を開けるつもりのようです。
 そして、少しして部屋に扉の開けられる音が響きます。

「じゃじゃーん! 火焔猫 燐の登場です!」

 そんな口上と共に、明るい笑顔でお燐が入ってきました。しかし、私たちの姿を見て、すぐに疑問に彩られてしまいました。
 まあ、この光景を見れば、当然ともいえる反応でしょう。

「……なにやってるんですか?」
「お姉ちゃんに襲われてるの。だからお燐、助けて」
「こいしが逃げ出さないように押さえてるのよ。」

 お燐の疑問に同時に答えます。

「……ご苦労様です。頼まれたものは、ここに置いておきますね」

 相変わらず二人とも仲が良いなぁ、と思いながらお燐がテーブルの上に朝食と、水の張った洗面器、タオルを置きます。
 相変わらず、とはどういう意味ですか。

「ありがとう、お燐」
「いえいえ、ご主人様の頼みを聞くのがあたいの勤めであり喜びですから」

 一点の曇りのない笑顔で、一切の嘘偽りなくそう言い切ります。毎回お燐はこう言ってくれますが、そのたびに私の胸は感動で一杯になってしまいます。
 心を読むことで、気持ちが真っ直ぐに届くからでしょう。それに、慕われる、というのは純粋に嬉しいものです。

「っと、あたいはこの辺で失礼させていただきますね。仕事があるのであたいはお手伝いできませんが、他の子たちに今のこいし様の状態を伝えときますので、何かあったら言ってやって下さい。では、お大事に、こいし様」
「むー、私は元気だよっ!……って、聞いてないし」

 お燐は、手をひらひらと振りながら部屋から出て行きました。何から何までありがとう、と言うつもりでしたが、タイミングを逃してしまったようです。まあ、後で伝えれば良いでしょう。

「じゃあ、こいし。朝食にしましょうか。……絶対に逃げるんじゃないわよ」

 こいしを押さえるのをやめて、左腕だけを掴んでベッドから降ります。示し合わせていないのに全く同時に立ち上がってしまいました。これも、この子の力の一環なのでしょうか。この力との付き合いはそれなりに多いのに、謎な部分はまだまだ多いのです。

「お姉ちゃんが私を捕まえようとするから逃げるんだよ。私のことを諦めてくれれば私は逃げないよ」
「風邪を引いてるのを外に出すわけにはいかないでしょう」
「風邪じゃないってば。何度も言ってるけど、これは溢れ出る恋の熱だよ」
「はいはい」

 適当に返事を返してテーブルまで引っ張っていきます。こいしが不満そうな雰囲気を醸し出しているのを背後に感じますが無視です。

「お姉ちゃん、このままご飯食べるつもりなの?」

 私が取り合ってくれない、と分かったからか全く別の話題を振ってきます。こいしが掴まれた腕を振るので、私の腕も振れます。

「ええ、そうよ。だって、この手を放したら貴女はすぐに逃げていくでしょう?」
「逃げるんじゃないよ。恋を探しに行くんだよ」
「貴女に何処にも行って欲しくない、という私の意志を無視して出て行くのを一般的に逃げる、というんじゃないかしら?」
「そんな意志捨てちゃえば良いよ」
「大切なものだから捨てられないわ」

 そんな不毛な会話を続けながら、こいしを椅子に座らせます。私もその隣まで椅子を引いて腰掛けます。

 テーブルの上には、今日の朝食である白いご飯、ベーコンエッグ、お味噌汁が並べられています。
 そして、箸ではなくフォークとスプーンが用意されていました。どうやら私たちの様子を見ていたお燐が気を利かせてくれたようです。本当に助かります。利き手でない方の手で箸は使えませんので。

「狭い」
「そうね」

 お互いの食事スペースが重なってしまうくらいには接近しています。けど、使う手は逆なので、腕がぶつかり合う、なんていうことはないでしょう。
 というわけで、私たちは片方の手が使えないままに食事を始めます。

「食べにくい」
「貴女は利き手が使えるんだからいいじゃない」

 フォークとスプーンといえども、利き手でない方では食べにくいのです。むぅ、フォークがベーコンに上手く刺さりません。
 かちゃかちゃ、と必要以上に音を立てながら食事を進めていきます。

「こんな苦行を自らに課して、私にまでつき合わせるお姉ちゃんってマゾヒストなの? それとも、サディストなの?」
「こいしの為ならどちらでも」

 被虐主義か、嗜虐主義かで語るようなことではありませんが、まあ無理やり当てはめるのなら、こういう答えになるのでしょう。
 こいしの為になるというのなら、厳しくもするし、どんな苦行にも耐えてみせます。
 そして、今は、厳しく接すべきときのようなのでそう接しているのに過ぎないのです。

「ふーん」

 どうでもよかったようです。まあ、私もわざわざ話すことでもない、と思ってますし。

 そのまま無言で、かちゃかちゃ、と食事を続けていきます。
 食事の時に音を立てるなんてマナーがなってませんね、と心の片隅で思いながら。





「お姉ちゃん、重い」
「貴女が逃げ出そうとしたんだから仕方がないわね」

 再び、私はベッドに乗ってこいしを押さえつけています。逃げれないのが分かってるのか、暴れる様子はありません。

 食事が終わった後、ごちそうさま、と言った直後にこいしは外に向かおうとしました。当然私は、こいしの前に回りこんで正面から抱き上げました。そうして、再び今の状態へと戻ったのです。
 そのせいで、お燐が折角用意してくれた冷たい水で冷やしたタオルをこいしの額に乗せてあげることが出来なかったのですが、まあ、隙を見て取りに行くとしましょう。それまでに温くなっていなければ良いのですが。

「……お姉ちゃんの顔しか見れないから、お姉ちゃんに恋しそう」
「それは、好都合ね。そうしたら、私からは逃げないんでしょう?」

 勘違いから本気に移行してもらわれたら困りますが、まあ今は便乗することにしておきましょう。

「……姉妹の禁断の恋。背徳感でぞくぞくとどきどきが一緒に来るね」
「わかったから、早く寝なさい」

 こいしを落ち着かせるように額に右手を乗せます。

 それにしても、何を嬉しそうな表情を浮かべてるのですか。
 本当にこの子の思考は読めませんね。覚りとしてではなく、ただ一人の姉として。

「お姉ちゃん、冷たい! そんなんじゃ、私の中で渦巻く恋のパワーが鎮まっちゃうよ」
「そのまま鎮めてくれた方が嬉しいわね」
「むぅ、やっぱりお姉ちゃんには恋パワーが足りない」

 こいしが唇を尖らせます。その唇を掴んでみたい衝動に駆られますが、今この状況ではそんなことは出来ません。

「……」

 今度はじぃ、っと私を見つめてきます。私もじぃ、っと見つめ返していたら、翠色の瞳に私の顔が映っているような気がしました。
 目は口ほどに語る、と言いますが、こうしていてもこいしが何を考えているのか一向に分かりません。

「お姉ちゃん、私に惚れて」
「唐突な申し出ね。というか、それは頼むようなことなのかしら?」
「だってそうじゃないとお姉ちゃん冷たいままなんだもん。折角の恋のパワーもお姉ちゃんのせいで何もすることなく冷え切っちゃうよ」
「それはいいことね」

 正直、今のこいしのテンションには付いていけません。まあ、いつもそうですが、今日は特に。

「むー、冷たい。冷たさのあまり、寒さに凍えて死んじゃうよ?」
「暖かい布団があるから大丈夫よ」
「無機物の暖かさなんて紛い物でしかないんだよっ! お姉ちゃんは、それが分かってない!」

 そう言って、ぎゃーぎゃーと騒ぎ始めます。……どうやったら、この子は落ち着いてくれるんでしょうか。

「……わかった、貴女が寒さに凍えないよう、抱き締めてあげるわ」

 無機物の暖かさで満足できず、凍えてしまう、というのならそうしましょう。まあ、こいしは恋の熱とやらを求めてるようですが、そんなのは適当に誤魔化してしまいましょう。そうやって時間を稼いでいるうちに、こいしも眠ってくれることでしょうから。
 自分以外の生き物の暖かさを間近に感じると、いつの間にか眠ってしまうものなのです。猫や犬を抱きかかえてよく居眠りをする私が言うのですから間違いはないです。

「そんなに簡単に抱き締める、って言うなんて軽々しいね」
「こいしが相手だからよ」

 そう答えながら私は、布団の中へと潜り込みます。その間も、こいしの手は放しません。
 ……む、こいしの熱とあいまって中は少々熱いですね。まあ、風邪を引いたこいしにはこのくらいがちょうど良いのでしょう。

「……」

 目の前にあるこいしの瞳が、じぃ、っと私を見つめています。さてさて、何を考えているんでしょうか。

「……お姉ちゃん、私の事好き?」
「ええ、大好きよ」

 風邪が治るまで一緒に居てあげよう、と思うくらいには。

「じゃあ、私のこと愛してる?」
「ええ、誰よりも愛してるわ」

 当然、姉妹として、ですけど。

「ふむ。……なら、私に恋して?」
「残念だけど、それは出来ないわね」

 予想してた通りの言葉でした。首を傾けながら、可愛らしく言ってもダメなものはダメです。
 いつまで恋にこだわるつもりですか。

「じゃあ、嫌っ! 恋してないお姉ちゃんなんかに抱き締められたら、私の恋のパワーが吸い取られちゃう!」

 こいしが私から逃れようと暴れ始めました。それを、必死に抱き締めて逃げないようにします。暴れるゴールデンレトリバーを相手にする時くらいに力を込めます。

「あー! いやー! 吸われてくー! 私の大事な物がお姉ちゃんに取られるー!」
「あー、もう! 暴れるんじゃないわよ! 大人しくしなさい!」

 そうやって、私たちは布団の中でぎゃーぎゃーと暴れるのでした。
 病人なんですから暴れないでください!





「……頭痛い、気分悪い、視界がぐるぐるする」
「……だから、言ったでしょう、風邪を引いてるんだ、って……」

 今になって体調不良を訴え始めたこいしに、息も絶え絶えに答えます。

「うー……」

 不満そうにこちらを見てきますが、私の言葉を認めざるを得ないのか、特に何かを言ってくることはありません。はあ、ようやくですか……。

「お姉ちゃん、吐いていい……?」

 そう言いながら、こいしが抱きついてきました。このままの体勢で吐くのは遠慮して欲しい所です。

「出来れば私がテーブルの上にある洗面器を取ってくるまで待って欲しいわね」
「うー……じゃあ、我慢する」

 どうやら私から離れたくないようです。妖怪が風邪を引くなんて滅多にないことなので不安なのでしょう。
 私に出来るのは、少しだけ強く抱き締めてあげることだけ。本当に強く抱き締めると、吐くんじゃないかと不安なのです。

「足りない……」
「はい?」

 腕の中からそんな声が聞こえてします。
 足りない? 何が足りないのでしょうか。

「もっと強く抱き締めて」
「それはいいけど、吐いたりしないかしら?」
「ん、大丈夫。私、強い子だから」

 自分でそう言う人の発言ほど信用ならないのですが。……まあ、しょうがないのでこの子の望みを叶えてあげましょうか。最悪の事態が起きたら、その時はその時でなんとかします。
 自分の中でそう結論を出して、こいしを抱く腕に遠慮なく力を込めます。そうすると、こいしもぎゅぅ、っと抱き返してくれました。

「苦しくないかしら?」
「うん、大丈夫。……それと、ごめん、お姉ちゃん。変なこと言って」
「え?」

 こいしが目を閉じて以来、初めて謝られてつい素っ頓狂な声を出してしまいます。目を閉じてからこいしは随分と素直ではなくなってしまいました。

「……何? その反応」
「いえ、こいしから謝られるとは思ってなかった――いたっ」
「む〜、何それ。心外過ぎるよ」

 そう言いながら、こいしが脇腹をつねってきます。まあ、こんな事を言われれば当然でしょうけど、脇腹の辺りが地味に痛いです。

「ごめんなさい、こいし。だから、つねるのはやめてくれるかしら」
「じゃあ、一緒に寝て。こう、悪寒とかその他諸々とかが止まらないから」
「……悪化してるんじゃないかしら? 大丈夫?」

 意識してみれば、朝よりも体温が上がっているように感じます。それに、声にも元気がありませんし。
 暴れた、ということだけが原因ではないのでしょう。

「だーいじょうぶ、だいじょうぶ。お姉ちゃんに移して治すから」
「やめなさい」

 移ってしまったのならそれは仕方のないことですが、わざと移してもらおう、とは思いません。
 しかも、私の質問の答えになっていません。今どうなのか、を聞きたいのです。

「愛が足りないね」
「移して治るなんて迷信よ。……そんな迷信を信じるくらいなら、私の愛に温められて眠りなさい」

 囁きかけるように、そう言います。

「そういう事言って、恥ずかしくない?」
「……正直言うと、少し」

 指摘されて余計に恥ずかしくなりましたが、どうせこいしには顔を見られていないので気にしないことにします。先ほどのような、歯の浮くような台詞を言うのはどうも苦手です。

「ふふー、でも、お姉ちゃんがそんな気の利いたこと言ってくれるなんて思わなかったなー。これなら、頭痛くても、気分悪くても、寒気がしても寝れそうだよ」

 こいしの表情は見えませんが、おそらく笑顔を浮かべているのでしょう。少なくとも私は、そう思いました。

「じゃあ、おやすみ、お姉ちゃん。調子が良くなる為の元気はお姉ちゃんの愛でどうにかするよ」

 ようやく、寝てくれますか。これで一息つけそうです。身体は自由に動かせませんが、まあ別にいいでしょう。

「ええ、そう簡単に尽きる事はないから好きなように使いなさい」

 私のこいしへの愛が枯渇するとすれば、私が死ぬときでしょうか。生きている間に、こいしへの愛がなくなることは想像できません。

「……では、おやすみなさい、こいし」

 安心させるように、気持ちを落ち着かせるように囁きかけます。

「……うん」

 私の腰に回した腕にぎゅぅ、っと力を込められました。私ももう少し腕に力を込めて、こいしを抱き返します。

 お互いに伝え合う温度は優しく心地よく、手放し難いものなのでした。
 だから、こいしも私もぐっすりと眠れる事でしょう。


Fin



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