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 ちりん。

 時計の針でさえも息を静めてしまいそうなほどの静寂に包まれた部屋の中に、軽やかな鈴の音が響いた。閻魔様に提出しなければならない書類から顔を上げて、部屋の中を見回してみる。
 ここから見える範囲には誰もいない。閉じられたままの扉、応接用の机と椅子、灼熱地獄跡の記録が納められた棚、そして書類と筆記用具の置かれた大きな仕事机。代わり映えのない、いつも通りの仕事部屋である。
 気のせい、だったのだろうか。

 ちりん。

 私の考えを否定するように、再び鈴の音が響く。
 やけに気になるので、立ち上がって死角を覗き込んでみる。机の下、棚の裏、そして机の引き出し。それでも、音の発生源を見つけることは出来ない。

 ちりんちりん。

 そんな私を嘲笑うかのように、軽やかな音が鳴り響く。少々腹が立ってきて、なんとしても見つけてやろうという気になってくる。
 でも、殺風景なこの部屋で簡単に見付けることが出来ないのだから、一筋縄ではいかないだろう。そう思ったところで、ふとあることに思い至る。

「こいし?」

 中空へと向けて、妹の名を口にする。でも、声は静かな空気の中へと溶け去って、誰にも届かない。
 意識の隙間をたゆたうあの子なら、この場にいながらも姿を知覚させないということは可能だ。だから、鈴の音の発生源は十中八九あの子で間違いないだろう。そうではないかもしれないという考えも浮かぶけれど、あの子以外に私が知覚できない存在は思い浮かばない。
 そうだとして、こいしの目的はなんなのだろうか。

 ちりん。

 反応がないと思っていたら、鈴の音が響いた。こいしが鳴らす音だと思いながら聞いてみると、私のことを誘っているように聞こえてくる。
 せっかくの誘いだから、付き合ってあげようか。
 まだ途中の仕事をほっぽり出して、扉の方へと向かう。こういうときのために、ある程度の余裕を持たせているのですよ。




 鈴の音に先導されながら、廊下を進んでいく。自分の意志で向かう先を決めているわけではないので、意識の半分は取り留めのないことを考えることに没頭している。
 今考えているのは、鈴の音に関する思い出。昔、首輪に鈴を付けた猫がいた。毛の色は黒。ペットというには少々偉そうな性格で、私を顎で使うような態度を取っていた。いつも鈴の音で私の気を引いて、世話をさせようとしていた。
 その猫は、私がペットを飼うきっかけとなった存在だ。それまでも、ここに動物が迷い込んでくるということはあったけれど、極力関わらないでいた。こいしのこととか、ここでの生活をどうやって維持していくとかで、周りに目を向けている余裕がなかったのだ
 それに、ここに迷い込んでくるのは、他者を信じられなくなり臆病になっていたのばかりだった。だから、そっとしておこうと思っていたのだ。
 あの黒猫も例に漏れず、他者を信じていなかった。でも、自分自身だけは信じており、他者を利用するだけの強かさは持っていた。要するに、世渡りが上手いのだ。
 それだけなら、私がペットを飼おうという気にはならなかっただろう。でも、表面上は他の動物よりも人懐こいという振る舞いをこいしは気に入っていたようだった。実際に関わっていた場面を見たことはないけれど、鈴をつけたり、頭を撫でたり、ふらふらとついて行っている姿を、黒猫の記憶越しに見ていた。
 初めてそれらの姿を見たときの衝撃は、今でも忘れられない。あのときのこいしは今よりも放浪癖が酷く、今よりもずっと感情が希薄だった。だからこそ、何かに関わっているというだけでも、私にとっては大事件だったのだ。
 だから、その黒猫は特別な存在となった。こいしの心に少しでも触れて、私が見ることの出来ないこいしの姿を映し出してくれるという。それが後に、動物たちを手懐けて、こいしに関わらせるという今の状態の礎となった。結局、私がやたら懐かれるという想定外によって、思っていた以上の動物たちが集まってしまい、管理しきれなくなってしまったのだけれど。今は何匹かを特別扱いして、それ以外は気の向いたときにだけ世話をしている状態だ。世話好きな子もいるようで、それでもなんとかうまくいっている。

「……さま! さとり様!」

 私を呼ぶ声によって、意識が思考から引き摺り上げられる。ぼうっと霞んだような視界を後ろに向けて、私を引っ張り上げた主を映す。

「……お燐じゃない。どうかしたの?」

 先ほどまで思い出していた黒猫であり、特別扱いしているうちの一人が立っていた。今更ながらに思考が流れ込んでくる。そこには、心配と呆れとが入り交じっていた。
 月日の流れとともに、気が付けば信頼されるようになっていた。お互いの最初の印象がどうであれ、後の関係がどうなるのかなどわからないものである。ちなみに、今ではもう鈴は付けていない。回りくどい方法で、気を引く必要がなくなったからだ。

「どうかしたの、じゃありませんよ。こっちが聞きたいくらいです。心ここにあらず、といった様子で玄関に向かってたら呼び止めるしかないじゃないですか」

 心と違わず、声にも心配と呆れとが込められている。お燐の記憶の中の私は、確かにそれだけの感情を向けるに値する振る舞いをしていた。夢遊病者と称されても仕方がない。

「鈴の音を追いかけていたのよ。たぶん、こいしが鳴らしているものだと思うけど」

 そう答えながら、鈴の音が聞こえてこなくなっていることに気が付く。一人で行ってしまったのだろうか、それとも私が歩き出すのをどこかで待っているのだろうか。私の方からそれを知る手段はない。

「鈴の音、ですか? 懐かしいですね。あの頃のあたいはまだまだやんちゃでしたねぇ……」

 しみじみと昔を思い出しながらそう言う。そこに、先ほどまで鳴り響いていた鈴の音のことは混じっていない。お燐の耳の良さなら聞こえていてもいいはずだ。だというのに、お燐が心の中で鳴り響かせているのは、過去の音ばかりだ。
 私だけが気付いているのだろうか。だとしたら、寂しい。

「それはいいとして、こいし様と追いかけっこをするのは構いませんが、周りにはちゃんと意識を払ってください。それから、その格好で外出するのはお勧めしません。ただでさえ弱っちいんですから、凍え死にますよ。防寒着持ってくるのでそこで待っててください」

 お燐はそう捲し立てるなり、私の部屋へと向けて駆け出す。
 お燐に言われたことは、確かにその通りだと頷くことの出来るものだ。でも、ペットが主人に対して向ける言葉としては、随分と辛辣だった。こういう辺りは昔のままだと思えるけど、どちらの立場が上なのか分かったものではない。

 ちりんちりん。

 鈴の音が聞こえてきた。その音はどことなく私のことを笑っているように聞こえるのだった。




 お燐が持ってきてくれた身体がすっぽりと覆われるほどのコートを着込んで、鈴の音を追って旧地獄街道を歩いていく。灼熱地獄跡の熱によって暖められている家の中では、軽装しかしないから、重さを感じるこの服を着ていると動きづらいことこの上ない。でも、それと同時に家の外の寒さを忘れ去っていた身体を守ってくれている。この大仰さがなければ、お燐の言葉通り寒さに凍えていたことだろう。
 そういえば、こいしはしっかりと防寒を行っているのだろうか。こいしが出掛ける前や帰ってきた後にそれなりの頻度で声を掛けてくれるようになってから何年か経つけれど、そうした格好をしているのを見たことがないような気がする。
 ペットたちに仕事を任せられるようになってからは、全くと言っていいほど外に出なくなったので、そんなことにまで気が回っていなかった。今度からは、しっかりと言い聞かせておこう。
 そうやって考え事をしながら歩くけれど、今のところ危なげはない。喧噪はいくらでも耳に届いてくるにも関わらず、だ。
 それもこれも、私がサトリだからだ。道行く人たちは、私に心を見られることを嫌って避けている。そのおかげで、私の前には専用の道が出来上がっている。通行人を掻き分けたりする必要がないので、非常にありがたい。問題があるとすれば、ざわめきや雑多に混じり合う心の声といった、雑音が鬱陶しいことくらいだろうか。
 ふと、こいしにとってこの音がどういった物だったかを思い出す。
 あの子にとって、周囲から向けられる嫌悪や不快感は、他人を拒絶するために投じられる石だった。
 一般的なサトリであれば、そうした感情に対して嘲りや侮蔑といったものを返す。そのために、相手を陥れることを厭いもしない。私は以前であればそうだったけれど、こいしが心を閉ざしてからはどうでもよくなってしまった。時折、本能がそうしたものを望むことがあるけれど、心を読んで多少からかう程度で満足してしまう。しかも、相手を選んでやっているから、心の底からの嫌悪や拒絶が返ってくることもない。
 私もどこかしら壊れてしまっているのだろう。それを悪いとも思わず、直そうという気もない。あの子のささやかな変化を感じ取ることが出来れば、それで十分だと思っている。

 ちりん。

 鈴の音が一際大きく響いたような気がした。でも、これだけの人がいるにも関わらず、その音を聴いているのは私だけだった。




「これはこれは意外な顔が一つ。貴女みたいなのが地上に何の用?」

 鈴の音に導かれるままぼんやりと歩いていると、不意に真っ正面から声を掛けられた。また、意識が沈み込んでしまっていたようだ。現実へと焦点を当て直して、身体がはねる。近すぎるくらいの位置に、逆さまの顔が映り込んできていた。茶色い瞳には、からかいの色が浮かんでいる。

「へぇ、サトリでも考え事をしてるときは不意打ちしほうだいなのね。これは意外意外」

 愉快そうに笑いながら、私を驚かせたのは地面へと降り立つ。普段からああして宙吊りになっているのか、金色の髪は真っ黒なリボンによって結わえられている。
 周りを見回してみると、岩肌ばかりの光景が目に入ってきた。いつの間にか、旧地獄街道を抜けていたようだ。

「……特にこれといった用事があるわけではありませんが、妹を追いかけているんですよ」

 私の驚く姿をいつまでも見せられているのも嫌なので、さっさと質問に答える。少しばかり意識の向きが変わる。

「私には一人でふらふらしてるようにしか見えなかったけどねぇ。あ、でも、鈴の音が聞こえてたような? それを追ってるの?」

 私の言葉に呼応して、彼女の心の中に鈴の音が浮かび上がってくる。でも、私のようにそれが直接こいしへと繋がっているわけではない。私の言葉を通じて、朧気にこの辺りいるのだろうと考えているだけだ。

「鈴の音を使って追いかけっことは、変わったことをやる姉妹ねぇ。もしくは、妹君だけが変わってるのかな」

 そう言いながら彼女が思い浮かべているのは、私の数少ない知り合いである水橋パルスィさんが私とその周辺のことを話している姿だった。やたら友好的に話しかけられているのは、彼女のおかげのようである。まあ、無防備な姿を晒して歩いていたからというのもあるようだけれど。

「ま、貴女がこんなところにいる理由も分かったし、姉妹水入らずのところを邪魔するのも悪いから退散させてもらうわ」

 そう言いながら、彼女は天井を指さして指の先から糸を伸ばす。そして、糸の先が岩に付着すると彼女の身体が宙に浮き始める。と、思ったら私を見下ろすくらいの位置で止まった。

「とと、そうだそうだ。外に慣れてなさそうな貴女に一つ忠告。洞窟から出るときは下を向いといた方が良いわよ。世界の醜さから目を背けたい願望があるなら止めはしないけど」

 わざわざ忠告を口にして、上へ上がっていったかと思うと、横穴の一つの中へと消えていった。私のことを知っている上で初対面にも関わらず、ああした態度を取ってくれるというのはとても珍しい。
 パルスィさんの話してくれた内容と、私自身の行動によって先ほどの人の中での私は、妹のことになると周りが見えなくなる正真正銘の姉バカという位置づけとなっていた。
 そのおかげで向こうも、警戒心をあまり抱くことなく私に関わることが出来たのだろう。素直に喜べるかどうかは脇に置いておくとして。




 蜘蛛の人に忠告された通り、洞窟の出口が見えてきた辺りで、視線を地面へと向ける。ちらっと見えたところ、頭をぶつけそうな場所はなかったから大丈夫だろう。
 この道の往来は少ないようで、地面はでこぼことしていて歩きづらい。忠告がなかったとしても、足場を確かめるために俯いたまま移動をしていたかもしれない。
 リズムよく鳴る鈴の音とは対照的に、私の歩みはとろとろと淀んでいる。あの子が頻繁にこの道を通って出掛けているというのを、話としてではなく実際のこととして知る。単純に私が鈍くさいというだけなのかもしれないけれど。
 やけに苦労しながら、洞窟の出口のその直前までやってくる。久々に目に入ってくる陽光に、思わず顔を上げてしまう。でも、地面に反射した光だけで目が眩んだ。ぎゅっと瞼をおろして、長年刺激から離れていた目を守る。
 ここに来る前は、日差しの下でも何の問題もなく動けていたというのに、気が付けばここまで弱くなってしまっていた。こいしは心を閉ざして以来立ち止まっているようだけど、私は緩やかに落ちていたのかもしれない。こうして、何らかの機会がなければ気が付くことができないほどに。
 と、誰かが私の手を握り、引っ張り始める。私は転んでしまわないように、足を動かす。この場で、この状況で、こんなことをしてくれるのは、一人だけしか考えられない。
 そんな私の考えを肯定するように、鈴が鳴る。私は反射的に目を開けそうになってしまう。でも、そうした瞬間に、手に触れる感触も、その持ち主も一緒に消えてしまいそうな気がして思いとどまる。
 その代わりに、思いの外冷たかった手を温めるように、ぎゅっと力を込めるのだった。




 鈴の音、手の感触、温かさ、私の足音、風の音、冷たい空気。それだけのものが、私の世界を作り上げている。だから、音を追いかけていたとき以上に、こいしの存在を強く感じる。世界の半分があの子に関することだから、仕方ないのかもしれない。
 でも、強く感じるというのは相対的な話であって、希薄であるということに変わりはない。いや、中途半端に強くなってしまったことで、ふとした拍子に消えてしまうのではないだろうかという不安が現れてくる。
 本当にいるのかいないのかよくわからない状態であれば、いなくなってしまうかもしれないというのは、実感としてあまり湧いてこない。あるのかないのかよくわからなければ、失ってしまうこともないのだから。でも、その実体が朧気ながらも感じられると、希薄な分だけそのうち消えていってしまうのではないだろうかと思ってしまう。
 私はこいしの存在が、徐々に薄れていったその課程を知っているのだ。
 あの子が心を閉ざしてしまった直後は、確かにそこにいるというのをしっかりと認識していた。生まれてからずっと心の繋がっていた妹との繋がりが途切れてしまったことに戸惑いながら、こいしをなんとか元に戻せないだろうかと、おろおろとしていた。
 でも、それからしばらくして、私は一人になることが多くなっていっていた。私がそうしようと思ったわけではない。こいしのことが意識に昇ってくれば、あの子の傍にいるようにしていた。私は徐々に徐々に、しかし不自然にあの子のことを忘れていっていたのだ。
 その違和感に気付いたときのぞっとするような感じは、今でもはっきりと覚えている。このままでは消えてしまうのではないだろうかと思うと、居ても立ってもいられなくなって、あの子をずっと抱き締めたりもした。
 それが鬱陶しかったのか放浪癖を持つようになってしまったけれど、それ以来、私があの子のことを忘れるようなことはなくなった。それでも、いつか帰ってこなくなるのではないだろうかと思うと、気が気ではなかったのだけれど。
 当時の感情がまざまざと甦ってきて、不安に胸が押し潰されそうになる。そして、二度とその感触を、温度を、存在を放しはしないという衝動が沸き上がってくる。

「わわっ?!」

 気が付けば、私を引く腕をこちらへと引き寄せていた。
 気が付けば、私よりもほんの少し小さな温もりを抱き締めていた。
 腕の中で、ちりんちりんと焦ったような鈴の音が聞こえてくる。それがこんなにも近くにあることに安堵しながら、一層力を込める。

「お、姉ちゃん……、くる、しい……」
「あ……。ご、ごめんなさいっ」

 苦しげな声が聞こえてきて我に返った私は、慌ててぱっと腕を放す。同時に、閉じたままだった瞼を上げて、瞳を光の中に晒す。まだ薄目でなければ世界を直視できない程度にしか光に馴染んでいないけれど、妹の姿が確認出来るなら、それで十分だ。

「抱き締め殺されるかと思った……」

 こいしが大きく息を吸うと同時に、鍔広の黒帽子の黄色いリボンに取り付けられた鈴が控えめにちりりと鳴る。
 薄目のまま視線を下へと向けて、姿が見えたら確認しようと思っていたことを確認する。すると、案の定この寒さにしては薄着のままであるこいしの姿が目に入ってきた。
 私はコートを脱いで、こいしの肩に掛ける。寒風に震えそうになるけれど、私の中にある数少ない気合いをかき集めて、強がってみせる。

「寒くない?」

 不思議そうな表情を浮かべて袖や裾に触れていたかと思うと、こちらを見て首を傾げた。なんとなくだけど、遠慮しているように見える。

「大丈夫よ!」

 強がりすぎて、らしくない返事となっていた。単純に既に限界が近くなってきているとも言う。地上で暮らしていた頃の私は、よく生きていられたものだと思う。

「ふーん」

 淡泊な返事だった。強がりはとっくに見抜かれてしまっていて、呆れられているんだろうか。だとしたら、しばらくは立ち直れないかもしれない。
 でも、その後の行動は予想と異なる物だった。こいしは自らコートの袖に腕を通して着込むと、私の横に立つ。そして、腕を絡めると、そのまま寄り添ってきた。私はこいしがふとした瞬間に離れていかないようにと、手を握っておく。
 片側は相も変わらず寒いけれど、こいしがいる側が暖かいので、殺意を感じさせる寒さにも耐えることが出来そうだ。

「さ、お姉ちゃん、行こう?」
「どこに行くのかしら?」
「秘密」

 楽しげな声が返って来るものだと思っていたのに、実際に聞こえてきた声には、何一つとして感情が乗せられていなかった。そんなに行きたくない場所なんだろうか。でも、それならそもそも行こうとはしないと思う。
 私は内心で首を傾げながら、黙ってこいしに引かれることしか出来ないのだった。




 多少の息切れを伴いながら、こいしに導かれるように歩いて辿り着いたのは、小高い丘の上だった。遮蔽物が何一つとしてないので、風の強さを一層感じさせられる。思わず縮こまりながら、こいしへと身体を寄せる。強がりも何もあったものではない。もう少しくらい強さを持っていたような気がしていたけれど、どこかにやってしまったのだろうか。それとも、ただの勘違いだったのだろうか。
 あんまり考えすぎて落ち込んでしまっても仕方がないので、こいしの方へと意識を向ける。

「ここが目的地?」

 ちりん。
 こいしが私の言葉に頷く。こいしは、ここからの景色を見詰めている。
 私もこいしに倣って、丘の上からの光景に目を向ける。ここに来るまでの間に、地上の眩しさにも慣れていた。
 目に入ってきたのは、寂しい光景だった。草は茶色く変色し、遠くの木々は一切緑を付けていない。生命といったものは一切感じられず、私たち姉妹だけが滅んだ世界に取り残されてしまったような錯覚に襲われる。
 こいしは、何を思ってこんなところに私を連れてきたのだろうか。誰かに紹介したいくらい好きな場所というわけではないだろう。無表情な横顔を見ていると、むしろ嫌いなのではないだろうかと思えてくる。

「ねえ、こいし。どうして私を連れてきたの?」

 分からないなら、ということで聞いてみるけれど、言葉による答えはない。代わりにぴたりと身体を寄せてくる。元々、これ以上詰めることが出来ないくらいに寄り添っていたので、こちらにかかる体重が増えるくらいだけれど。
 私くらいにしか気付かれない鈴の音を使って私をおびき出して、こんなにも寂しい場所で私に寄り添う意味はなんなのだろうか。
 最近はそれなりに感情を表に出すようになってくれて、ある程度は分かりやすくなってくれた。でも、分からない部分の方がまだまだ多い。私は心を読めるが故に、察しが悪いのだ。

「こいしの意図はさっぱり分からないけど、目的は達成できた?」

 鈴の音とともに、こくりと頷き返してくれる。
 なら、私の行動に間違いはなかったのだろう。となると、こいしのどことなく弱々しい印象の行動は、それだけでは解消しきれなかったものが関係しているのだろうか。
 何とかしてあげたいところだけど、原因が分からなければ手の施しようがない。
 ふと、とある考えが浮かんでくる。それは、こいしを追いかけながら私が考えていたことに関連するものだった。
 誰もこいしを知覚していないことを私は寂しいと思った。では、もし私さえもこいしを知覚しなくなればどうなるだろうか。いつか私が恐れを抱いたときに考えたように、こいしはいなくなっていたかもしれない。
 この場所には誰もいない。心の中に誰かがいたとしても、一人きりで立っていればその心の中の誰かも消えてしまいそうなくらいに寂しい場所だ。そんな場所にいて、誰も自分を認識してくれていないと感じてしまうのは、仕方のないことかもしれない。
 そう考えれば、こいしは私に縋り付いてきているのだろう。こんな場所でも私が消えてしまうことはないのだと確信するために。
 こいしがちゃんと答えてくれないので、本当にそうだという保証はない。だけど、そうだと思ったら、それに対して自分なりに出来ることをすべきだろう。
 私は繋いだ手をそのままに、無言でこいしを正面からそっと抱き締める。何もない景色を見て、誰も自分を見てくれていないのかもしれないと怖がるくらいなら見なければいいのだ。この場に、何があってもこの子のことを忘れないようにと誓ったお姉ちゃんがいるのだから。
 こいしの身体から、力がほんの少し抜ける。私に掛かる体重が更に増える。
 こいしの身動ぎと共に、鈴の音がちりんと響く。それは、腕の中の温度ともに、こいしの存在を強く強く主張していた。





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