パソコンのファンが部屋の中を低い音で満たす。
何もしていないときは騒がしいと感じるその音も、パソコンに触れている間はさほど気にならない。
今ディスプレイに映し出されているのは、フランとこいしを写した写真だ。車窓から覗く景色に目を奪われるフランの横顔を始めとして、何枚も何枚も順々に映し出されていく。
フランは表情豊かで、素直に笑ったり、景色に見惚れたり、私とこいしにからかわれて恥ずかしそうにしたりしている。
対してこいしは、あまり表情が動いていない。でも、枚数を重ねていくたびに表情は柔らかくなってきている。まあ、フランの隣にいるとき、フランをからかったりしているときはすごく楽しそうな表情を浮かべているのだけれど。
そして、今日のまとめとも言えるのは私たち三人で撮った写真。
私とこいしに挟まれたフランが困ったような表情を浮かべて、私とこいしは楽しそうに笑みを浮かべている。
自主的に集合写真を撮ったのなんて初めてだ。学校行事で強制的に撮らされたことは何度かあるけれど。
この写真に今日一日分の全てが詰め込まれていると言っても過言ではないだろう。だからか、この写真を見ていると自然と頬が緩んでくる。
他の写真よりも長い時間眺めてから、キーボードの矢印キーを押す。
次の写真は、こいしの肩に頭を預けて眠っているフランの寝顔。
その次は、背負われたフランと背負っているこいしの後姿。
これが最後の写真だ。最後の最後まで二人の姿が映っていた。
全ての写真を見終わったとき、自然と満足の溜め息が出てきた。
今まで撮ってきた写真はただの資料でしかなかったけど、今日撮ってきたこれらの写真は全く別のものだからだろう。これらには、思い出が詰まっている。
今日、博麗神社へと向かったのは何か目的があったからではない。昔一度訪れて、古びた神社がある以外は特に目立ったものはないということも知っていたし。
でも、どうしてもそこへ向かわなければならないような衝動に駆られて、学校をさぼって私は神社へと向かった。
もしかしたら、二人との出会いを予感していたのかもしれない。実際に妖怪が存在するのなら、そういった運命的な力が存在していてもおかしくないはずだ。
まあ、なんでもいいか。
今日フランとこいしに会うことができた。
景色ばかりを写していた私のカメラが誰かを写した。
ただ、それだけで十分なのではないだろうか。
必然やら運命やら奇跡やらなんやらは私が考えたって仕方がない。
どうせ、考えたところで答えなんて出やしないのだから。
それに、他に考えないといけないこともある。
ふと思い立って、写真表示のためのソフトを閉じ、ブラウザを開く。それから、検索窓に文字を打ち込んでいく。
気が早いかもしれないけど、今度二人を案内するお菓子の美味しいお店を探そうと思ったのだ。近場で美味しいお店があるのも知ってるけど、せっかくならとびっきり美味しいところへと連れていってあげたい。
そうしてまた二人の写真を撮るのだ。
今度は、美味しいそうにお菓子を食べている姿を。
そんなことを考えるだけで、自分の頬が緩んできているのを感じるのだった。
桜の芽が膨らむのを待ち遠しく感じるなんて初めてかもしれない。
Fin
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